17.コッパツブサビキクイ
「さて、ここまで病原体の正体を考察してきたわけではありますが。」
なんとなく人々の顔色を確認したカズヤは、話をさらに進めることにした。
「同時に、皆さんはこう思った事でしょう。『キクイムシの話はどこにいったのか』と。」
体中の甘ったるい匂いがぼちぼち抜けてきた彼ら彼女らが波打つように首をぶんぶんと縦に振る光景。カズヤは思わず苦笑した。
さて、これまでの時点でカズヤが行ってきたのは、『害虫体制の高いリアラにキクイムシが巣食っているという現象』と、『病原体と思しきウイルスの存在』のそれぞれに関する考察の提示のみである。すなわち、この両者を繋ぐ“線”の部分についてはいまだに示されておらず、オーディエンスにとって、現状ではこの2つの情報が独立した“点と点”でしかないのだ。
「それについて語るには、まず、樹中のキクイムシの正体を知る必要があります。何度も言いますが、今回は神木本体に傷をつけることが出来ませんので、手荒な手段を取ることが出来ません。現時点で出ている情報から考察していくしかないですね。」
と、ここで神木の下に集った研究者たちの中からしわしわの手が挙がった。挙手をしたのは枯れ木のような昆虫学者の老爺であった。
杖を突きながら細かい歩調で人込みの前へと出ようとした彼に、人々はサッと道を譲ってやった。そうでもしないと、ちょっとした段で倒れてしまいそうなほどに弱々しい足取りに思えたのである。
時間をかけて神木へと辿り着いた昆虫学者は、近視用眼鏡を老眼用眼鏡に取り換えてから、そこに開けられた虫食い穴をじっと観察した。
「……やはり、か。これは、ひょっとすると、厳密になんという種なのかまで、絞り込める、否、絞り込めたやもしれませんな。」
掠れに掠れた嗄れ声に、人々は2重の意味でざわついた。
というのも、これまでの調査で、彼の声を聞いたのはこれが初めてだという者も居たほど、この昆虫学者は無口だったのである。
それに、カズヤが発言するまで、彼の専門分野は神木の異変の原因とは無縁であると考えられていた。それもまた、彼の発言機会が極端に少なかったことの原因となっている。
さておき、皺枯れ声でそう言った老人は、懐から細い絵筆を取り出したかと思うと、それを用いて穴の入り口を塞いでいた木屑を払い落してしまった。
盛り上がった木屑の後から現れたのは、僅かに楕円形を描く弧が特徴的な穿孔痕であった。
「うむ、間違いない。羽化前に脱出口を作る習性、そして脱出口の形、何より羽化時期が今の時期ということは、この虫は、コッパツブサビキクイでしょう。」
「そ、そうですね、僕もそう思います。あの種であれば……まあ、考えられる。」
カズヤも他の面々と同様、ちょっとびっくりしながら彼に同意した。
さて、このコッパツブサビキクイなる昆虫を詳しく説明していると話がまた徒長しまうだろう。ここではあくまでも簡単に特徴だけを纏めておくことに努める。
コッパツブサビキクイ。
この昆虫はキクイムシの仲間であり、グランドーラント本島にも生息している通常種だ。その名の通り、おが屑のような色をした錆色の甲虫で、ニラバラ科の果樹の幹を食害して果樹園にダメージを与える害虫として知られている。
また、何種類か存在しているニラバラ科果実肥大症ウイルスと共生する昆虫であり、食害と同時にウイルスを媒介する厄介者でもある。
一度この虫に巣食われてしまったら最後、その木を切り倒して燃やしてしまうぐらいしか駆除方法が無いのだが、巣食われる前に防除剤なりを散布しておけば簡単に防除できる。
……といったところ。
これを聞いた聴衆の様子は半々で、2人のその意見を聞いて『そういう虫が居るのか』と手やら膝やらを打った者と、それに納得した上で新たな疑問を浮かべた者に分けられた。
後者の者達にそう言った疑問が生じるのも当然だ。カズヤと昆虫学者は今回の件で一番重要な問題点に触れていないのである。
すなわち、仮に神木に巣食った虫がコッパ何某であったとして、それがどうやって病虫害耐性の高いリアラの幹を食ったのか、という話になってくるのである。
「ええと、やっぱり、アレでしょうか……」
控えめに誰かが口を挟んだ。たぶん、ライグラシアチモシーあたりだろう。
「ウイルスと同じように、虫も突然変異したっていう。」
「いやあ、さすがに遺伝子構造の複雑さに差がありすぎますからね。」
カズヤは即座に否定を返した。
たしかに、ウイルスというものはとりわけ遺伝子構造に変異を起こしやすい。
これに関しては、ウイルス性の流行病を例に取ればよくわかるだろう。
種痘法を受けたはずなのに、流行病に罹ることがある。これは、流行病の病原ウイルスが変異株となり、せっかく手に入れた獲得免疫から逃れ得る性質を得てしまうことに起因する。
病原体の変異はかなりの頻度で起こりうるため、それに合わせたワクチンを毎シーズン用意するのである。
もちろん、ウイルスの種類によって変異の起こりやすさには差があるものだ。
とはいえ、と言わせてもらおう。
生物である昆虫は、ウイルスという“半物質・半生物”的存在ほどには、変異を起こしづらいものなのである。
昆虫程に『複雑』な生物の遺伝子に自然下で起こりうる突然変異の殆どは、遺伝子の“余白”にあたる箇所で起こるものである。変異が余白で起こるゆえ、よほどのことがない限りは塩基配列が意味を為さないのである。
そうでない場合も当然あるが、そもそも、突然変異で生じた形質は、致死性のものか、生存に不利なものであることが多い。つまり、遺伝子グループから自然に淘汰されていく可能性が非常に高い。
無論、これがうまく淘汰されずに定着すれば、遺伝子プール内での該当変異遺伝子の割合が増えることとなるため、個体群の変化、やがては生物の進化に繋がるだろう。
だが、それは天文学的とも言える数字のもとで起こりうるものである。
ましてや、今回のように共生関係にある昆虫とウイルスが同時かつ特異的に都合よく進化したと考えるのは難しい所である。
……余談ではあるが、何らかの“意思”による介入があればその限りではないが。無論のことである。
さて、カズヤは“コッパツブサビキクイ”という昆虫が「リアラを消化できるように進化した」という仮説を否定したわけであるが、彼は結局のところ、どのように考えているというのだろうか。
カズヤは、また結論を無駄に勿体ぶるような言い方をしてしまった、と反省しつつ、最後のカードを開示することにしたのだった。
「……実の所、“自然条件下でなければ”、コッパツブサビキクイがリアラの組織を糧にして生育したという前例があるんです。」
本日何度目かのどよめきが広がる中、カズヤはちらりと老昆虫学者に視線を向けた。
「20年ほど前の記事ですが、樹木の幹部から侵入したニラバラ科果実肥大症ウイルスが根粒に到達するまでの経路を図式化する試みがなされたことがありました。当該の研究では経路を追いきることが出来なかったようですけど、その際に得られたデータ自体は後に他のグループが同研究を進めるための大きな手掛かりとなりました。」
20年前、その研究を率いたのが、ここにいる老昆虫学者なのである。
「もちろん、その件も今回の事に深く関わってますんで。後で時間があるときにでも記事とか論文を確認しておいてほしいところですが、とりあえず今はその研究で用いられたコッパツブサビキクイについて話させてください。」
カズヤのアイコンタクトにようやく気付いた老学者が、ゆっくりと彼の目を見返した。
カズヤとしては老学者に説明を引き継いでほしかったがゆえのアイコンタクトだったのだが、いまいち相手には伝わっていなかったようである。
結局、カズヤは自分で話を続けることにしたのだった。
「えーと……研究の本拠地となったのは、西の大国ゲルゲ・ゲンゲーグ。この国は砂漠地帯のど真ん中にあるような特殊環境にあるわけですから、この辺の地域とは生物群相が丸違いなわけです。」
つまり、これはコッパツブサビキクイやそのエサとなるニラバラ科植物が存在していないような地域で行われた研究である。
「研究テーマが生息していない場所で研究を行うためには、実験室なりでサンプルを養殖する他ありません。コッパツブサビキクイみたいに小さな昆虫を持ってくる分には簡単です。でも、それを研究用に継代飼育するとなると、これだけでは不十分です。」
虫に限らず、魔物を飼育するためには必要なものがある。
そう、餌である。餌が無い事には、増やしたいものも増やせないのである。
特殊な餌を要する魔物というのはこれまた面倒だ。ニラバラ科植物であればだいたいなんでも餌とできるコッパツブサビキクイは、その枠組みの他魔物たちと比べればまだマシであると言えよう。
だが、こと砂漠の国においてはそうとも言えない。
現状で知られているニラバラ科植物の全てが、砂漠という土地と相性が悪いのだ。
昼夜の温度差が極端すぎるこの土地に、新たにニラバラ科植物を育てるための環境を用意し、維持するとなると、それこそ国家ぐるみでもない限りは莫大すぎるリスクゆえに研究どころではなくなってしまうだろう。
そういう場合は往々にしてあることだが、現地にある別のものを代替品の餌として何とか見繕う他ないのである。
本題である。
「そこで、目を付けられたのはニラバラ科植物に比較的近縁なリアラです。」
リアラという植物は“世界樹”と呼ばれている。これは、あまりにも全世界に共通して生育していることからそう呼ばれるようになったのではないかと言われている。
そう、リアラという植物は、それほどまでに過酷な環境に強い植物である。
当然、砂漠のオアシス付近でも普通に見られる植物だ。
その当時、砂漠の国に籍を置いていた老昆虫学者らは、なんとかコッパツブサビキクイの餌にリアラを使えないものかと試行錯誤したようである。
ここまでに語ったとおり、自然条件下でコッパツブサビキクイがリアラを食害することは無い。学者らはリアラの生木にニラバラ科植物由来の成分を添加するなど、様々な手を試みたのだが、やはりそう狙い通りにはいかなかったようである。
ところが、諦め半分にとあるリアラをサンプルとして利用した所。
なんと、コッパツブサビキクイの繁殖に成功してしまったのであった。
「その個体というのは、ゲルゲ王立植物園の温室内に植樹されていた樹齢10年程度の若木でした。グランドーラントから親善の証として贈られたもので、そこのご神木と同じ種のリアラだと聞いています。」
「「「「「「……え?」」」」」
これで何度目かはわからないが、数々の声が上がった。
また話にツッコミを入れられて中断させられそうな気配を感じたカズヤは、慌てて言葉を補足した。
「違う違う! 言い方が悪かったですが、『王国産のリアラだからー……』みたいな話じゃなくてですね。問題は、その個体に特徴があったということなんです。」
そう、その樹にはとある居候がいたのである。
「アシグロレンガワラ。白色腐朽菌の一種で、腐朽菌なのに生木にも菌糸を貼る珍種です。植物園に植樹されているリアラの枝には、このキノコが発生していたんです。」
なんと、植物園の木には、神木と同様にアシグロレンガワラが付いていたのである。そして、コッパツブサビキクイは実験室において、植物園の木の、アシグロレンガワラが菌糸を張った枝のみを食べたということが報告されたのであった。
これについてはどうやら、アシグロレンガワラの感染した箇所において、リアラが対キクイムシ成分の代わりに別の類似物質を分泌するようになることが原因であるらしい。
これが判ったことにより、研究チームはアシグロレンガワラを国内のリアラに感染させたものをコッパツブサビキクイの餌として用意するようになり、安定的に研究対象を用意できるようにしたのであった。
当事者やカズヤ以外がこの発見を知らなかったのは、これが分野としてあまりにもマニアックすぎたためである。
この発見はあくまでも“実験材料を用意する段階”において生じた問題を解決するためのものでしかなく、ニラバラ科植物が普通に生育する地域で活動する研究者にとっては無縁とも言えるものなのだから。
これだけ人が集まっていても、ピンときたような者が少ないのは仕方のない事なのだ。
だが、そんなピンと来ていない者達にも、これだけは分かった。
すなわち、『神木はこの実験で判明した条件を満たしている』。
「……うむ、いかにも。しかし、よく、そんな古い研究を、ご存知でしたな。」
無口な老昆虫学者も、無口なりに肯定した。
「つまり、ですね。」
ぐるりと神木を振り返ったカズヤは、威容を誇る巨樹をじっと見つめた。
既に果実は落ち、一般公開に向けて果汁が掃除された神木は、それでもどこか異様な雰囲気を持っていた。
「つまり、本件の……、神木の果実が肥大化した理由はこうです。『何らかの要因でリアラに感染するよう変異したニラバラ科植物果実肥大化ウイルスと共生したコッパツブサビキクイが、偶然にもアシグロレンガワラに片利共生された神木を食害した』。」
背中を向けたままスラスラとこう述べたカズヤは、言い終わるや否や、ちょうど穿孔痕から這い出してきたコッパツブサビキクイの新成虫を捕虫ビンに閉じ込めたのだった。




