16.ニラバラ科果実肥大症ウイルス
「なるほど。即ち、本来であればリアラに寄生できないキクイムシが、何故か御神木に巣食っている、と。」
アルブヒトレはそう言って、まじまじと直径数ミリ程度の穿孔痕を見つめた。
細くも暗い穴の奥には生命活動が感じられないが、それが言いようのない不気味さを醸し出していた。
「正確には、それに加えてリアラを摂食できる種の外来性キクイムシがグランベルグ島内に侵入した可能性がある、とも言えるわけです。ただ、これに関してはちょっと疑問が残るというか……。」
カズヤはそれに返答するというよりも、自分の考えを言語に纏めるように言うと、首を捻った。
彼が例示したキクイムシは熱帯種である。
つまり、いくら断熱性のある樹木内に潜んでいるとしても、この島の通年的な低気温に耐えられるとはとても思えないのである。
また、その種の生息地である島はグランベルグ島から遠く離れた無人島である。
およそ文明と呼ばれる人間活動が頻繁に干渉するような地ではない。
そこにわざわざ船が立ち寄ることはないし、その船がこの港町に寄港するとも考えられないのだ。
何より、ワンガンポートはグランベルグ島の“入り口”である。
そのため、外因の植物防疫に関しては非常に厳重であると言えよう。
これらのことから、『関わりのない無人島から特異的に固有種のキクイムシが持ち込まれる』。
『その個体が不適切な生育環境下であるにも関わらず生き延びる。』
『その個体が偶然にも神木に宿って何らかの方法で結実メカニズムに影響を与える。』
この3つの条件を満たしたとは納得できないのである。
「そ、そもそもキクイムシなのか、本当に? お前は決めつけてるみたいだが、別の虫の可能性だってあるだろう。」
案外まともな意見を挟んできたのはルーガードであった。
あまりにもまともなので、周囲からは驚嘆の声が上がった。もはや花級冒険者として数えられていないのである。
それはともかくとして、彼の言う通りではあるのだ。
実はキクイムシではなくて別の昆虫、そもそも虫ではない生物の仕業であるという可能性も無視は出来ない。
穿孔痕の直径や木屑の様相など、明らかにキクイムシ類の食痕と一致する特徴があるのだが、それが偶然であるという可能性もゼロではないのだ。
なんせ、リアラを食害するという前代未聞のキクイムシである。
「だからこそ、実際に虫を見てから判断しようと思ったんですが。」
そう、実物を見るまでは何とも断言することが出来ないのである。そして、そのための手段を現在は持ち合わせていないのだ。
カズヤにとっても耳が痛くなる話だった。
とはいえ、である。
それを差し引いても、リアラの幹に穿孔して巣食う寄生動物が稀少だという事実は、花級冒険者であれば知っていて当然だと言える知識である。
『リアラにキクイムシが巣食った場合の対処』というのは、花級冒険者資格更新試験の“レギュラーメンバー”とも呼べるほどに有名な引っ掛け問題であり、不正をせず真面目に更新試験を受けている資格者であれば、引っかかるはずもないものなのだ。
「なるほど、マシーナリーさんの発言意図はそういうことだったのですね。」
結果的に、カズヤの発言は自身が先ほど吐いた暴言を前倒し的に解説する形となってしまったわけだ。そして、支部長にとってはそれだけで彼の意図を理解するには十分だったようである。
彼は、隣に控えているネイ秘書に顔を向けた。
「マシーナリーさんの発言に関する査問委員会への通達は取り消しておいてください。」
それに対し、ネイ秘書は面倒臭そうな口調で答えた。
「お言葉ですが、この短時間で文書を作成できるとお思いで? さすがの私といえども物理的に不可能なことはあります。」
というわけで、あっさりとカズヤに対する疑いの目は晴れたのであった。
まあ、それは現状の根本的な打開のためには、何の意味も持ち合わせていないのだが。
アルブヒトレ支部長は、まるで恥をかかされたとでも言いたげなルーガードに僅か一瞥をくれると、目線をすぐさま逸らして親指と人差し指で自身の顎を摘まんだ。
「ふむ。では、この穴の持ち主がキクイムシであったと仮定しましょう。そのキクイムシが果実形成異常に対してどのように関与している、と?」
そう。今の時点では、『寄生虫被害の少ないはずのリアラの幹にキクイムシが付いた』という『ただの珍しい出来事』止まりだ。
防疫学的観点からは新たな害虫の発生は重要な事態となりうるが、それを神木の異常との因果関係を見出すのはまた別の話である。
まず、昆虫による食害が、食痕以外の形で植物の体に異常を引き起こすのは珍しくもない。
例えば、『虫こぶ』というものがある。
これは、茎や葉などの植物組織に昆虫が寄生することで、寄生箇所が瘤のような形で異常成長する現象である。吸汁性昆虫が原因で起こることもある。
吸汁性昆虫といえば、吸汁性昆虫が植物の汁を吸う際に、体内で共生しているウイルスや細菌を植物から植物へと移動させ、病気を媒介することがある。
大量発生したウンカが穀物にウイルスを伝播し、大飢饉を起こしたという事件は歴史的に何度も起こったことだ。
だが、何度も言うように、リアラの幹は病虫害に対して非常に強い部位である。
幹に病気を媒介する昆虫は今のところ見つかっておらず、そもそも認知されているリアラの感染症も有名どころ意外は非常に少ない。
全くもって、本件とは何の関係もない偶然の事象にしか思えない。
だが、わざわざ支部長が高い金を払ってまで招集した本命の花級冒険者が、そこに注目しているのである。
緊張の面持ちの人々は、カズヤに視線を集めた。
さて、当のカズヤは何と説明をするのか。
しかしながら当の本人は、頭を掻きながら、そして自信がなさそうに口を開いた。
「これに関しては殆ど空想みたいなものですが……、他に可能性を考えられないんです。」
がくっ、と一同が一斉に肩を落とした。誰かが呆然とカズヤの言葉を繰り返した。
「く、空想?」
「はい、空想です。でも、たぶん筋の通った説明が出来る空想です。」
やはり自信がなさそうにそう返した彼は、深呼吸を1つすると、一転して真剣な表情を張り付けた。
まず、彼は果実を解剖していた時に書記を務めていたエルフを見た。
「ヒントになったのは、先ほどライグラシアチモシー先生に見せて頂いた、『香り』に関するレポートです。レポートに関する詳細は先生にお聞きしていただければと思います。とりあえずレポートの気になった部分だけ抜かせていただきますと、『神木の果実の過熟過程は、一般的なリアラ種の果実のものと比較した際に、芳香物質の生成量増加が早い傾向にある』ということです。」
余談だが、『ライグラシアチモシー』というのは、書記係エルフの本名である。エルフの言葉で『魔水晶鉱山の牧草地帯』という意味らしい。
「両者の過熟速度の違いが1日未満程度であれば、サンプル間に存在する誤差と見做すことができました。しかし、実際にはそこに無視が出来ないほどの差異が存在している。具体的には神木の方が3日も早かった。そうですよね?」
「は、ハイ!」
ライグラシアチモシーがぶんぶんと頷いた。
カズヤは彼女に頷き返すと、話を続けた。
「話は変わりますが、皆さんは本件の解決に当たり、果実の巨大化についても調べられたのではないでしょうか。これは、一般にはジャスモン酸やジベレリンのような植物ホルモンが異常作用することによって、果実が正常に生成されない症状です。計測データからも分かる通り、今回の果実の場合はリアラのジベレリンが異常生成されたことによるものです。」
研究者たちが首肯で理解を示した。約一名だけは空気に合わせただけのようだったが。
ここまでは、長らくデータと格闘してきた彼らも深く理解していることだった。
これはあくまでも『果実が大きくなった理由』であり、その根本にある『どうして果実を肥大化させるホルモンが異常生成されていたのか』という疑問の、“前提”でしかない。
「植物ホルモン生成の異常に関して、最も良く知られているのはウイルス病ではないかと思います。ウイルスが自己複製の過程で植物の遺伝子翻訳過程に“ちょっかい”を掛け、結果的に植物ホルモンの生成量に異常をきたす、という症状です。結論を申し上げますと、僕は、今回の件を『一種のウイルス病による植物ホルモン産生量異常』であると考えます。」
カズヤはここまで言うと、ひと呼吸置いた。所謂質問タイムである。
さあ、手が挙がること、挙がること。
カズヤは一先ず、いちばん手前にいたドワーフの植物学者を指名した。
「ウイルス説は既に挙げられていたし、同時に誤りであったことも確認しているんだが。自然下でリアラ類に普遍的に感染しうるウイルス以外は観測されなかったデータも見たと思うけど、それでもウイルスだと言えるのか?」
彼の言う通り、ウイルス病の可能性は既に挙げられており、再三検証されてきた。
研究チームでは、既存の試薬による検出実験や、高精度の特殊顕微鏡を有している海外機関に果実組織を送付して撮影した写真で画像検証を試みていたようだ。
費用に対して結果が伴わなかったためにしばらく中断されていたようだが、それまでのデータは詳細に残されている。
反論の余地が見当たらないようにも思われたが、しかしカズヤはしっかりと首を縦に振った。
「はい、そこに関しては。データを拝見させていただいたからこそ、そこに疑念が湧いた、と言えばいいのでしょうか。」
「……と、言うと?」
「各実験に用いられたサンプルの部位ですよ。」
そう、カズヤはウイルスの検出実験に用いられた部位が、肥大化した果実周辺部分ばかりであったことに気付いていた。
とりわけ植物病においては、病原体が病床部位に集中することが多い。
そのため、ほとんどの場合はチームの行っていたような方法で病原体の有無を確認することが出来るのだ。
仕事にケチを付けられたと思ったのか、ドワーフは眉に皺を寄せた。
「肝臓が原因で黄疸が出るのと同じだって言うのか?」
「それこそ、リアラの近縁に位置するニラバラ科植物の果実肥大症は、根粒に共生している細菌、つまり根粒菌に寄生したウイルスによって引き起こされる症状です。病徴の出ている箇所が必ずしも感染部位ではないという最たる例かと。」
「そうか。そういえばそういうのもあったな……。」
とりわけ今回の場合は調査対象が『神木』であるため、調査と銘打って下手な事をすれば――例えば、必要以上にサンプルを削り取ったり、神木そのものに不要な試薬を打ったりするわけにはいかないのだ。
チームのパトロンであるはずの議会は、異常を治療するチームの結成にすら難色を示していたのだから。
チームがとりわけ果実にこだわって調べていたのは、下世話な話だがそこが大きいのである。
「ニラバラ科……、リアラの近縁種。……まさか、そういうこと!?」
と、誰かが呟いた。
声の主は太った研究員だったのだが、彼は注がれる視線に対して迷惑そうに答えた。
「な、なんだよぉ……。見落としたのは俺だけじゃないんだぞ、君たちもなんだから。」
「どうしたんだ……。オレたちは話が読めてないぞ。」
彼の隣に立っていた研究者がそれに突っ込んだ。
太った研究員は、絞れば苦い汁が出そうなほどの表情を作りながら、ぶつくさと口を開いた。
「ほら、どうして気付かなかったのかと思うぐらいに簡単な事じゃあないか。マシーナリーさんが言っているように、リアラに比較的近いニラバラには果実肥大症ウイルスが存在しているんだ。リアラに感染するようにウイルスが変異したっておかしくはないだろう。」
誰かが、いや、何も知らない支部長・ルーガード・ナーリアと発起人のカズヤ以外の皆が「あっ」と声をあげた。
元は別の動物に感染するウイルスであったものが、人間に感染するよう変異することがある。
例えば高病原性鳥インフルエンザに感染した家禽を群れごと殺処分するのはそのためであり、これによって重症化リスクの高い鳥インフルエンザウイルスが人間に感染する変異を取らないように防ぐのである。
当然、これと同様のことが植物ウイルスにも起こりうる。
そして、宿主どうしの共通祖先からの遺伝的距離が近い種間であればあるほど、感染に関する変異は起こりやすい。
「ニラバラとリアラの両者は交配しても受粉しない程度には遺伝的に遠い存在だ。でも、苔とフジーンゴ(赤い果実をつけるリンバラ科樹木)ほど離れているわけではない。さすがにそれは例えとして極端だけど、目レベルで離れている植物どうしと比べたら、非常に近い存在にあたるだろう。肥大症ウイルスの起源までは知らないけど、ニラバラとリアラの共通祖先時代から感染していたウイルスだったなら、もっと変異が起こりやすいかもしれない、と。」
「そういうことです。」
確認を求めてくるような語調にカズヤは同意した。彼の言いたかった事はまさしくそれである。
ニラバラ科果実肥大化ウイルスは、根粒菌を介してニラバラ科植物の根粒細胞に感染した際に、細胞小器官を利用して自己複製を行う。そして、その過程で植物ホルモンを生成する宿主植物由来の遺伝子翻訳を福産的に誘導してしまう。
このウイルスは、中でも特に果実細胞のジベレリン遺伝子転写誘導物質をコードしている遺伝子を強く刺激してしまうらしく、果実内でジベレリンが異常量生成されてしまう。
ジベレリンは植物細胞の成長を司る植物ホルモンであるため、果実の肥大化を引き起こしてしまうのだ。
また、このウイルスは自己複製過程において副次的に、果実の芳香成分生成経路を刺激するための誘導物質の生成酵素を生み出してしてしまうのである。
人間が見れば遠回りな経路ではあるが、結果的に果実が早い段階から強い芳香を放つようになってしまうのだ。
さて、ここで思い出してほしい“もの”がある。
エルフの研究者、ライグラシアチモシー博士が記録していた、神木の果実における芳香物質の増加量のレポートである。
それによると、神木の果実は通常のリアラの果実と比べて、芳香を放ち始める時期が早まっていることが分かっていた。
果実の肥大と芳香物質の生成異常という2つの異常。
もしも、神木がニラバラ科果実肥大症ウイルスか、それが変化したものに感染しているのだとすれば。
こじつけといえばこじつけだが、カズヤにはそれ以外の理由が思いつかないのであった。
書いておいてなんですが、自分でつけた固有名詞がこんがらがってきます。




