15.規則よりも大事な虫
「おお! 戻ったか、アルよ。我が義甥よ。」
おもむろに、場にそぐわぬ喜色を帯びた声が響いた。
場の誰しもがキョロキョロと周囲を見渡す。そして、声の主が何者であるかに気付くや否や、その誰しもが顔を下に逸らした。
「城主様。お忙しい所、無理な頼みをお聞き入れくださって感謝に堪えません。」
満面喜色に空気を読まない城主に対して極めて無表情に答えたのは、こちらもまた意外や意外。アルブヒトレ支部長である。
人が変わったのかと思う程の笑顔を浮かべていた城主は、彼の真面目くさった返答を聞くや一転、つまらなさそうな顔で鼻を鳴らした。
「フン、相変わらずつまらん奴だ。」
誰かが『支部長って既婚者だったんだ……』と呟いた。
「……は? 違いますけど。」
ついでに視線が集まったネイ秘書が心底嫌そうな顔で否定した。
余談だが、アルブヒトレ支部長の妻は、城主の弟である守衛騎士団長官のひとり娘であり、食器より重いものが持てないような淑女である。断じてネイ秘書がその人物というわけではない。
あわや喧嘩かという場面だったはずなのに、何とも言えない微妙な空気が流れる。
その空気を吹き飛ばすかのような咳払いがここで1つ。
「当然、ご存じかとは思いますが、マシーナリーさん」
いやに慎重な口調で引き締めなおしたのは支部長であった。
「協会の条項にある通り、他の冒険者の資格適正に対する提言には、相応の根拠が要求されます。無根拠の批判は中傷と見做され、懲罰対象となりますが」
そうだそうだ、と目で訴えつつ無言で拳を振り挙げているルーガード。周囲からは彼にこそ、むしろ冷ややかな目が向けられている。
さて、読者諸君のうち、冒険者資格者でない者は混乱していることだろうから、解説を少しばかり挟んでおくとしよう。資格者は読み飛ばしても問題がない。
おそらく読者諸君は、まず喧嘩を売ったのがカズヤであるにしても、手を先に出したのはルーガード(の護衛)であったことを覚えておいでだろう。
そして、そうであるにもかかわらず、アルブヒトレ支部長はルーガードではなくて、カズヤの方を注意しているということに釈然としないものを感じたのではなかろうか。
実は、冒険者協会では今しがたアルブヒトレ支部長が言ったような、冒険者同士による冒険者資格適正への疑問を呈するような発言を厳粛化するための制度が存在しているのである。
そもそもこの制度が制定された背景には、一昔前の冒険者協会上層部ぐるみの汚職事件が関係しているのだが、それを詳細に語るとまた長くなるので別の機会にしよう。
ひとまず重要な点だけ記しておくと、上記の汚職事件によって冒険者資格の信用度が失墜したのである。
一部の冒険者の信頼が失われたことから始まり、彼らを擁する各支部の信頼が失われ、果てには国際組織としての冒険者協会そのものに対する信用度が失われた時代があったのである。
これまた余談だが、それはカズヤが生まれるよりもずっと前の話である。
その時代には、上位組織の信頼失墜に従って無関係の冒険者たちの社会的信用度までもが地に落ち、数多くの引退者を生み出すこととなったのであった。
優秀な冒険者が協会から手を引き、それに目を付けた貴族の騎士団や傭兵団が彼らを引き抜いていった。
結果として冒険者協会はどんどんと手薄になり、それがさらに引退者を増やし、新規参入者を減らし、そして……というスパイラルが起こったのであった。
さて、ここからが本題である。この負のスパイラルを阻止するために冒険者協会が考えた策こそが、全ての原因となった冒険者資格に対するイメージを改善するためのものであった。
そのうちの1つに、対内的な意識改革というものがある。
これこそがアルブヒトレ支部長の言及していた『制度』である。
要は、資格適正への批判を予防することで資格審査の信頼度を高め、審査を通さない昇降格をより慎重にしようとしたのだ。
まあ、それは実を言うと建前である。この方策の真の狙いは冒険者協会への求心力を芽生えさせることである。
“資格の階級至上”という思考を冒険者たちに植え付けることによって、資格を制定する協会への信頼感をついでに高めようとしたであった。
なにはともあれ、元々、冒険者社会の上下関係が資格に依存していたこともあり、この施策は非常に良く嵌った。
冒険者協会が今もなお各国政府と切り離された独立機関として存在しえているのは、協会員たちに贈られる資格適正の正確さが何よりも信頼できるものであるからだ。
閑話休題。
というわけであるから、アルブヒトレ支部長はまず何よりもカズヤの発言に対する説明を求めたのである。
さて、困ったことになったぞ。調査チームの面々は少なからずそう思った。
確かに、カズヤ・マシーナリー氏が説明不足であるということはルーガードの発言どおりである。そして、内心では誰しもカズヤが来る前からルーガードの無能さには辟易させられていた。
誰も本人に文句を言わなかったのは、件の制度が存在しているからだというのもあるし、なによりもルーガードのクランを敵に回すという厄介を取りたくなかったのだ。
であるからこそ、それをズバリと言い切ってしまったカズヤに、そして、最悪のタイミングで戻ってきてしまったアルブヒトレ支部長に対して恨みを抱いたのだ。
よりにもよって、『冒険者』のカズヤが同じ『冒険者』のルーガードの資格適正を批判してしまったのだから、間違いなく件の制度に引っかかることになる。
まあ、それによってスカッと気が晴れたのも確かではあるが。
だが、カズヤがこの制度に引っかかってしまったことにより、なによりその現場をよりにもよって支部長に目撃されてしまったことにより、不祥事は言い逃れできないものとなってしまったのだ。
カズヤが不祥事を起こした以上、審査機関の納得できる理由を提示できない限り、彼は批判を理由に神木の調査チームをまず間違いなく外されてしまうだろう。
現時点において、ちゃんと手を動かしているカズヤの能力に対して疑問を抱いている者はいなかったし、なんなら調査が完結するまで引き留めようと考えていた者ばかりである。
ゆえに、修羅場の調査チームたちはアイコンタクトを取り合ってカズヤを庇う覚悟を決めたのであった。
「あー、その、すみません。」
チームを代表してドワーフの植物学者がいざ口を開こうとしたその時、我関せずと言わんばかりに沈黙して神木を弄っていたカズヤ当人が久方ぶりに口を開いた。
「いったん、謝罪だけさせてもらいます。」
「それは、何に対する謝罪ですか?」
アルブヒトレ支部長がすぐさま返した。
「ルーガードさんの資格に対して文句を言ったことに対して、です。」
ぺこりとアルブヒトレに頭を下げ、そう言いのけたカズヤ。
いや、認めちゃうの?! 調査チームの面々は少なからずそう思った。
再び交わされるアイコンタクト。
代表してドワーフの植物学者がカズヤを弁護しようと口を開く。
「お、おいおい。頭を下げるなら、被害者に下げろよ。叱られたからって、殴った相手じゃなくて先生に謝る子どもかよ。」
それを再び尊大な態度で遮ったのはルーガード。腕組みをしながら顎の位置を高めている彼の心の声が顔に書いてある。『どう落とし前を付けるんだ』、と。
対するカズヤは、面倒臭そうな顔で頭を振った。縦方向ではなくて、横方向に。
「ああいや、発言を撤回する意図の謝罪じゃなくてですね。今ちょっと大事な所なので、どうでもいいことは後回しにしたいと言いますか……。」
「ど、どうでもいいだと?!」
「さすがに言葉が過ぎますよ、マシーナリーさん。ルーガードさんもおやめなさい。……はぁ。」
再び喧嘩を始めようとした両者を制し、アルブヒトレ支部長は溜息を吐きながら頭が痛そうにこめかみを親指で押した。
そして、おもむろに右手から下げていた天球儀を2~3周ほど回すと、もう一度溜息を吐いた。
「……マシーナリーさん。規則よりも優先すべき事とは?」
「支部長。」
切り替えるように目の色を変えたアルブヒトレ支部長を鋭く制したのはネイ秘書であったが、支部長はそんな彼女を手で制し返した。
「何と言っても時間がありませんからね。城主様、市井には既に知れ渡っているようです。」
「ふむ、早すぎるな。我々の動きで察せられたにしても、いくらなんでも早すぎる。……何処から漏れた?」
城主がカイゼル髭を弄りながら顔を顰めた。
2人の会話から何が起こったのかを伺い知るには情報が少なすぎるが、どうやら重大な事件がまた起こったらしい。
神木といい、この港町では重大事件が起こってばかりの今日この頃だ。
アルブヒトレ支部長は、城主に何らかの書類を手渡すと、控えていた騎士に馬車の用意を指示した。
「調べてみなければ分かりません。とにもかくにも、急ぐ理由はそれだという事でご理解ください。」
「気が利くではないか。……良かろう。そうとあらば、この場は引き継いでもらうとしようぞ。こちらもすべき事が出来たのでな。」
「はい。重ね重ね、貴重なお時間を頂きまして本当にありがとうございました。」
「なあに、気にするな。我が義甥よ。」
2人はそう言い交わして深々と頷き合った。そうして、調査チームの面々が何もわからぬままに、城主は馬車に乗って去って行った。
馬車が見えなくなるまで見送っていたアルブヒトレは、やがて振り向いて長袖を捲った。
「さて、マシーナリーさん。報告の方をお願いしたいのですが?」
▽ ▽ ▽
「少なくとも、果実の肥大化の原因に関して心当たりがあるかもしれません。」
「えっ」「マジ?」「それは」
話のさわりに入ろうとするも、周囲が一気にざわつき始める。
ここまでなす術のなかった事態に一石が投じられようとしているのだから、無理もないことではある。
とはいえ、いつまでもざわつかれていると話のしようがないので、カズヤはパンと手を叩いた。
「こうは言いましたが、いまのところはただの心当たりでしかありませんので。ひょっとしたら、僕が考えているのと全く違う現象である可能性もありますし、最終的にはちゃんと調べる必要があります。あくまでも、その事を留意してください。」
彼がそう言うと、ざわめきはある程度収まった。
表記が『ある程度』なのは、調査チームの研究者たちに特有の独り言が消え切らなかったからである。独り言はこの際であるから無視することとする。
「今回注目していただきたいのは、こちらの穿孔痕です。」
カズヤはさりげなくアイテムストレージから指示棒を取り出した。
それを用いて指し示したのは、やはり先ほどから拘っている穿孔痕であった。
「この中に、リアラの病害虫を専門にしている方は? いや、専門という程じゃなくてもいいか。その関連の知識がにわかでもあるという方は?」
この問いかけに対して、学者たちのほぼ半数が手を挙げた。今回の問題がまさしくそれに関するものなのだから、当然と言えば当然だ。
「なるほど、ありがとうございます。……ついでに聞きますが、どなたでもいいので木をあまり傷つけずに中にいる害虫を取り出せるような方法をご存じだったり……しませんよねー。」
漏らした希望的観測に対しては特に何の反応も得られなかった。
心残りではあるが、カズヤは、とりあえずは説明だけを先に済ませておくことにしたのだった。
「では、宜しいでしょうか。皆さんは、キクイムシという昆虫をご存じだと思います。基本的には非常に小さな昆虫で、成虫・幼虫ともに植物の、特に樹木の幹の中に巣食って生きている植食者です。」
キクイムシ。
その名の示す通り『木を食う虫』であり、病気などで既に弱っている樹木の幹に穿孔する種が殆どである。
既に枯死した材木にも穿孔することがあり、防虫処理のされていない家屋の梁や柱へと被害を与えることもある。
概して、材木に対する害虫であると言える。
また、何らかの原因で大量発生した個体群が出現した場合、健康な植物体を食い荒らして弱らせてしまうこともある。
それに加え、キクイムシの仲間には菌類と共生しているものが多く、共生菌が食害によって弱った樹木に寄生して枯死させてしまうことすらある。
木が倒れることもなく枯死してしまうことから、この現象を『立ち枯れ』と呼ぶ。
所謂“ドングリの木”として知られているナラの仲間は人々に身近な雑木林の主構成植物であるが、これらの仲間はキクイムシの食害・キクイムシの共生菌のコンボによる立ち枯れの被害が顕著である。
森林に関する業界では、こういったナラ類の立ち枯れ現象の事を、とりわけ『ナラ枯れ』と称している。
前述した性質上、キクイムシ及びキクイムシの引き起こす立ち枯れ現象は、材木業に関わる者達からは憎悪と言ってもよいほどに忌み嫌われている。
そして、その解決に当たるのも花級冒険者の仕事の1つである。
「……ちょっと待ってください。素人質問で申し訳が無いのですが、1つ宜しいでしょうか。」
と、ここで話を遮ったのはアルブヒトレ支部長である。
彼は森林学や植物学に関しては門外漢であるため、文字通りの素人質問である。
「キクイムシという昆虫については理解が出来ました。ですが、そうすると、御神木はどうなるのですか。お話が確かなら、御神木が立ち枯れを起こしてしまうということになるのではないですか。」
「いいや、それが大丈夫なんですよ、支部長さん。」
目に見えて動揺しているアルブヒトレに対し、自信満々に答えたのはルーガードであった。
「リアラの木ってのは、確かに病気とか虫の被害に弱いんだよ。」
リアラの果実は安く叩き売られていることが多いが、それはリアラの果実を傷なく美しく作るのが難しいためである。
栄養価の高い果実にはすぐに虫が群がるし、糖度の高さゆえにカビが当たる。
葉も毛虫の食害に遭いやすく、また、黒星病やリアラこぶ腫病といった菌・ウイルス病にしばしばかかるのである。
これらの病害・虫害は薬品の散布によって被害を大幅に減少させられる。
とはいえ、薬剤耐性を持った害虫や病原菌が往々にして誕生するものであるし、完全に被害を防ぐことは出来ず、完全な状態のリアラが出回ることはほぼない。
なにより、防除のための薬剤まみれというイメージもある。それゆえに栽培種リアラの価格は、よほど品質のいいものでもない限りは安価な果実なのだ。
とまあ、ここまで果樹としてのリアラが病害虫に弱いという話をしてきたわけだ。では、植物の種としてリアラを見たらどうか。
実は、リアラが自然に枯死することはめったにないのである。
害虫に葉を食いつくされても、果実の形成に異常をきたせど、枯死するほどのダメージとはならない。病原菌についても同様で、どれだけ葉がダメになっても案外幹は無事であったりする。
そう、幹が異様に強いのである。
どれだけアシグロレンガワラのような菌類に寄生されようとも、その免疫力ゆえか、魔素利用効率の高さゆえか、根幹までもが侵されるような事態にはならないのだ。
そしてなにより、リアラの『幹』を食害する昆虫は少ないのだ。
少なくともこのグランベルグ島内において、リアラと呼ばれている植物の中でも、リアラ目リアラ科ムカシリアラ属のリアラ種、学名にしてRialea Riale、即ちこの神木の属する種に関しては、幹を食害するキクイムシ類が在来していないことが知られている。
例外的に、グランベルグ島から遠く離れた孤島には、独自的に進化して本種を食害できるようになったキクイムシ類が存在しているようだが。
「つまり、リアラの木が病気に弱いって話は、葉っぱや果物が虫に食われたり、病気でまだら模様になったりするって話なん……だ……、あっ。」
さあ、ルーガードはここまで来て、自身の発言の浅はかな間違いに気が付いたようである。




