13.果実の解剖
日は既に3分所まで昇り、周囲の空気を温め始めている。屋内からその様子は伺い知れないが、刻一刻と窓から差し込む暖かな光の角度が変化していくため、時間の経過の様子だけは伝わってくる。
とはいえ、海上の空気はまだ冷たいのだろう。青々と輝く空と遠海の境界は朝靄によって失われているのだ。
気温が低いというのは、実は彼らの調査にとっては有難いことである。というのも、冷気が果実の劣化速度を遅らせてくれるため、状態の変化にそれほど気を配らずともよくなるのだ。
「じゃあ、取り出しますか。可能な範囲で原型を残そうとは思いますが……。僕はその手のプロってわけじゃあないので失敗するかもしれません。」
冷え切った死肉のようにぬらぬらと赤く輝く神木の果実は、落下した地面から移動されている。今は、全身麻酔を掛けられた手術患者、否、解剖を待つ変死体が如く仮設手術台の上に横たえられ、執刀医が如く白衣を纏った研究者たちに囲まれている。
仮説手術台は外的影響を取り除くために教会の中に建てられているのだが、この時間はちょうど天窓のステンドグラスを通った斜めの日光が差し入ってくる。守護龍の姿を象った青や黄、赤の光がナイフを持つカズヤの手元を却って見えにくくしていた。
ちなみに、解剖云々は比喩でも何でもない。
皮肉なことではあるが、果実が無事な間に調査を終わらせられなかったことにより、これまでと比べてさらに多様かつ大胆なアプローチを試せるようになったのである。
そもそも、このサイズ・重量の物体が樹上にぶら下がっているという状況は、言うまでもなく植物への負担となる。カズヤが合流する前の調査チームは当初、それを考慮して果実を神木から降ろしてから調査を行う計画を立てていたのであった。しかし、実際はそうならなかったのである。
理由は単純だ。調査チームの上に居た者達、すなわち町の議会がその方針に反対したのだ。
傍から見れば、この木はあくまでも『数多いリアラの木のうちの1本』でしかない。樹齢を重ねており、目を見張るほどのサイズになってはいるが、あくまでも『植物界被子植物門双子葉植物綱リアラ目リアラ科ムカシリアラ属のRialea Riale』という、種の一個体でしかないのだ。
しかしその個体は、ことこの港町において『神木』であり、『観光資源』でもあるのだ。神木に果実が実ったという話は傍から聞けば目出度い事であるし、それが経済効果を発生させる可能性もある……このような考えの商人が議会の席を約半数占めていたのだ。
その一方、果実の経済効果には賛成するものの、果実の持つ特異性に目を付けた議員も半数いた。彼らは果実そのもので金を獲るというよりも、果実から得られる研究データを以て、もともとこの地域で盛んだったリアラ研究をさらに押し上げようと考えたのだ。
この2つの派閥がぶつかり合い、神木の果実の取扱いに関する決定が遅れたことによって、調査チームたちは果実に対して消極的な取り組みしか行うことが出来なかったのである。
なにより、議会の流れを見てから最終決定を下そうと考えていた城主も、まさかここまで調査が長引くとは思っていなかった。いつまでも、どちらにも、転ばなかったのである。結果として果実の過熟は進み、あろうことか考えうる最悪の結末を辿ったのであった。
先ほどの『城主の話』というのは、まさしくそれに関するものだった。つまり、議会は果実がダメになった今になってようやく、『潰れてしまった以上は放置していても仕方がないので、回収してさっさと調査を終わらせるように』という結論を出したのであった。
どうも投げやりな上部の指令に、現地の研究者たちは苛ついた。だが、ようやく本来やりたかった事への許可が下りたのである。早速、果実の内部構造を調べることに決まったのだった。手始めに種子を取り出し、その形状などを確認する手はずとなっている。
別にカズヤが執刀せねばならない理由もなかったのだが、他の者が尻込みをしたこともあり、また、唯一名乗りを上げた人物がルーガードであったこともあり、なし崩し的に役目が回されてきたのだった。
「ふうむ、それにしても、物凄い匂いだ……。本当に、堂内に匂いは染み付かぬということで良いのだな?」
作業は教会の内部に匂いを漏らさないようにするため、神木を覆っていたのと同じ魔術防御布で作られた小部屋で行われている。当然ながら、鉄臭くも芳烈な臭いはその覆いの中に籠ることになる。
解剖に立ち会うことを決めた城主は、口髭を弄りながら、白い織布を頼りなさそうな目で眺めた。ついぞ先刻、これが破られたことが発端となったのだ。彼の気持ちも分からなくはない。
「ご安心くださいまし、城主様。代々、お家に仕えさせていただいてきた、我が一族秘伝の保護魔法が何重にも張り巡らされておりますもの。それに、御神木を祀る祭壇に、御神木の果実の匂いが付くというのであれば、それはそれでよろしいのではないかしら。」
「う、うーむ……。」
雑な発言で城主を唸らせたのは、派手な縦ロールの金髪が目立つ令嬢であった。人は見た目に寄らぬとは言うが、この如何にも学者貴族といった見た目の少女が、手に職を付けた技師だというのだから驚きである。
城主、そしてその付き添いのネイ秘書に加え、令嬢技師、仏頂面で黙っているルーガードとそれを気遣うナーリア、その他補助役や書記が5名、それにカズヤを含めた計11名が果実の分解に参加した人員である。
「えーと、始めてもいいんですよね? 書記の方、準備は大丈夫ですか?」
「は、はい。お願いします。」
視界に入って邪魔をしてくる前髪を左に流したカズヤは、眼鏡を掛けた小柄なエルフがオドオドしながらバインダーとペンを構えたのを確認すると、手始めに果実に空いた穿孔痕を起点とするように刃先の小さい解剖用ナイフを刺し入れた。最終的にはパーツごとにばらす為、一先ずは表皮から剥がしていく算段なのだろう。
それにしても、たかが巨大な果物を切るのに随分と大仰である。そんなに形を崩したくないのであれば、本職の果物屋でも呼んでくるがよろしかろう。
熟れて薄くなった果皮は、皮膚を裂くよりもよっぽど容易くメスを受け入れた。
その下に血管が通っているわけでもなく、液体が巡っているわけでもないので、裂けた果肉から赤黒い果汁が噴き出してくるようなことはない。少し繊維質で筋のあるその肉の質感は、やはり異様ではあるものの、近くで見ると当然ながら植物のそれでしかないのである。
「引っ張ったら剥がせそうだな。いや、破れるからやめといたほうがいいか……?」
加熟もあり、表皮と果肉の接着が想像以上に緩く、軽く引っ張ればペリペリと剥がしていけそうである。だが、表皮そのものも非常に脆くなっているため、カズヤは魔獣の皮を剥ぐ要領で表皮と果肉の間にナイフを滑らせたのであった。
特に果皮に穴を開けることもなく、果肉を削りすぎることもなく剥ぎ終えることに成功すると、周囲からは感嘆の声が聞こえてきた。何だか、この地域でよく行われている巨大魚の解体ショーのようである。
果皮を除去した果実は、乾燥を防ぐために等張液の中へと浮かべておくことになった。表面の組織が液体の中で解れ、果汁の染みついた赤黒い筋がふよふよと浮かび始めた。こう見るとそれがまるで血管のようであり、やはり動物の組織じみて見えるのである。
「ここからはどうしていきましょうか。穿孔痕を縦切りにする感じで大丈夫ですかね。」
「はい、その感じでお願いします。」
果実は、子どものアリの巣観察キットのように、穿孔痕の断面図を見ることができるような方向で縦割りされることとなった。穴の形が想像以上に曲がりくねっており、特徴的であることが判明したためである。
果肉の強度が当初想定されていた以上に脆く、作業は困難の限りを極めると思われていた。しかし、ここで思わぬ活躍を見せた者が居た。防御布技師の女性である。
「専門ではありませんが、防壁魔法が使えるのではありませんこと? 予定割面に沿って防壁を張れば、真っ直ぐな面が出来ると思うのですけれど。」
「なるほど。防壁に沿って切れば、断面の保護にもなりますね。」
ということで、赤黒い果肉を必要以上にほじくり返したり切り刻んだりするまでもなく、栗色をした種皮はあっさりとその姿を見せたのであった。カズヤは細心の注意を払いつつ種皮と繋がった果肉を剝がしていき、開始から1時間もかけずに種子を取り出した。
果実の基本構造が栽培品種のリアラの果実と同じであったため、その巨大な果実の種子もまた、比率から察せられるように巨大であったはずである。
そう、巨大であったはずなのである。
「そうか、狙いは胚だったか……。」
厚さが5㎝近くある種皮に空いた大穴を覗き込んだカズヤは、そこに広がる真っ暗な空洞に魔石灯を向けながら呟いた。
種子を取り出す時点で嫌な予感は感じていた。いや、なんなら種子を取り出そうとして果肉を剥がしている時点で既に気付いていた。
巨大な体積のわりに、その種子は異様に軽かったのだ。本来、その中に詰まっていたはずの胚乳と胚はほとんど残っておらず、ただクルミの表皮の如くゴツゴツとした内壁が広がっているばかりだったのである。
果肉に空いた穿孔痕と種皮に空いた穴、それぞれの形状や直径が完全に一致することから、果実の襲撃者は果肉ではなく種子の中身を狙っていたのだろうと推測される。
リアラの種子には、立体構造がアミダグリンに類似した毒素が含まれている。しかし、それさえ解毒されれば強壮剤として利用されるほど栄養価が高いのだ。栽培品種のリアラにおいても、果実が若くて果肉が薄い間に栄養価の高い種子へと産卵する昆虫やスライムによる害が問題になっている。
今回もそういった寄生性の魔物たちの仕業であるという可能性は、今の所、否定できない。ただ、それらの魔物が原因であれば、必ず果皮表面に何らかの痕跡が残るはずである。
「覆いを張る直前の時点では、産卵痕みたいなのは見当たらなかったんですよね? 産卵痕ほどあからさまなものじゃなかったとしても、何か違和感とか……。」
その当時は調査に参加していなかったカズヤが問いかけた。書面ではその事に関しても事細かに触れられていたのだが、実際に果実の変化していく過程を見ていた者達には、書面から漏れている所感があるかもしれないと考えたのである。
彼以外の調査員たちは顔を見合わせると、書記役のエルフへと一斉に視線を向けた。しかし、当の彼女は暫くの間、種子の様子を熱心にデッサンしていた。そして、ふと顔を挙げて自身に注がれている視線に気が付くと、体を強張らせながら慌てて口を開いた。
「アッ、そ、そうです! みんなで入念に確認したので、おそらく間違いありません!」
別に話を聞いていなかったわけではないらしい。
力強く言い切った彼女に周囲の者達も賛同した。
「何なら“このオレ”が、“この目”で“診た”からな。知ってるとは思うけど、“博物博士”は視認できるサイズの生物であれば、死体だろうが何だろうが、その対象に名前が付いてる限りは『情報を閲覧する』ことが出来るんだぜ。それこそ、寄生虫とかだってな。」
そして、久方ぶりに口を開いたのはルーガードだった。そもそも、彼のスキルはこの異様な果実については何も提示しなかったわけで、この話もアテにできるものかどうか。
ただ、少なくともスキルの特性上、逆説的に『現状で知られている寄生虫や菌類がこの異常を引き起こしたわけではない』ことは証明されたことになる。すなわち、寄生虫や微生物による症状であった場合、100%新種であるということになるだろう。
まあ、そうはいっても原因が不明であるという点だけが補強され続けているのが現状である。わからないということがわかるばかりだ。
「なるほど、参考になります。ところでルーガードさん、この種皮について何かわかることは? 例えば、どんな菌が付着している、とかでもいいんです。微生物の割合から犯人を割り出せるかも……」
「話聞いてたか? バイ菌は視認できないだろ……。」
「それもそうですね。」
せめて進展がないものかとヤケクソ気味に種子の乗ったトレーを手渡したカズヤは、ルーガードにすら正論を吐かれる始末である。
ちなみに、ルーガードの言い分は2つほど訂正の余地を残している。まず1つに、黴菌とは人体に有害な微生物を意味する言葉であり、カズヤの言う『菌』は必ずしも有害なものには限らないという点である。第2に、肉眼では見ることの出来ない微生物であっても、顕微鏡を介せば視認することが出来る。そして、顕微鏡を介してでも視認することさえできれば、『博物博士』の効果は発揮することができるのだ。
ということで、マクロ的な観察が終わったら、襲撃者が触れたであろう種子や果肉の穿孔痕の組織を採取し、顕微鏡で観察する手はずとなった。
「……ああっ!! あ、あの、すみません!!」
「ひっ!? あっ……。」
といったところで、デッサンに戻っていたエルフが突然大声をあげた。すぐ傍でサンプルの保存容器に何らかの調整をしていた防御布技師がビクリと驚き、その拍子に予備のフラスコが1つ地面に落ちてしまった。
「アェッ!? ご、ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
「……聖堂の床に、傷が付いたのではないか?」
全方向に向けてペコペコと頭を下げるエルフに、城主は冷ややかな目を向けながら言った。




