11.女王様
港町をこれから出航しようという大型船の汽笛が数度響く。その間の抜けた反響に叩き起こされたカズヤは、ベッドの方まで伸びている紐を引いてカーテンを開けた。
醒めたばかりの眼には赤い西日がずいぶんと突き刺さる。気付けば夕暮れ時、マミが去ってからおよそ2時間経ったころである。
「飯時だなぁ。」
胃袋が内側に向かって軽く引っ張られるような空腹を覚えたカズヤは、睡眠を経てやや軽くなった司令塔に上体を起こす指示を出させた。
相変わらず足首は痛むが、杖を使って歩くのにも慣れてきた頃である。先ほどからなんとなく痛む肩口を気にしつつ部屋着から着替えた彼は、下階の部屋に響いていそうな石突の硬質な音を抑えつつ部屋の外に出た。
「ついでに2人も誘ってみるか。」
律儀にも『港町に着いたら飯を食いに行く』という約束を覚えていたカズヤは、以前に町を訪れた際に良い印象を受けたレストランを幾つか脳内にピックアップしつつ、手始めに通路を挟んだ向かいにあるブドウの部屋の戸を叩いた。
「ブドウさん、カズヤです。戻ってますかー? …あれ?」
シエルラの話によると、ブドウは釣りに出かけたはずである。まさかあの怪我具合でこの時間までずっと釣りをしているとは考えにくい所。しかし、かといって部屋の中から反応は無いし、釣り疲れて眠りこけている気配もなさそうである。
国境は越えたが、お尋ね者であることには変わりがないわけである。万が一にも何らかのトラブルに、という可能性も考えられなくはないが…。
「あら、カズヤくん。おはようございます、お加減はいかがですか?」
…とブドウの部屋の前で考え込んでいると、斜め左前の扉がちょうど開いた。ひょっこり顔を出した部屋の主はシエルラである。
「おっとシエルラさん。夕飯、もう食べました?」
「えっ、まだですけど。」
いずれにせよ誘う予定だったので、カズヤは丁度いいとばかりにシエルラに声を掛けた。ついでにブドウの居場所も尋ねてみたのだが、どうやら彼女も把握していないようである。
「ええっと、まだ魚釣りから帰ってきていないんじゃないでしょうか。ブドウちゃん、すごく楽しそうでしたもの。」
「そうか、そんなに釣り好きか…。ちなみにどこで釣ってたんですか? 裏門側の漁港とか?」
「よくわかりましたね。そうなんですよ。」
どうやらブドウは時を忘れるほど釣りに熱中している可能性が高いらしい。時間だけではなく自身の健康状態も忘れられていると困るので、2人は連れ立ってブドウの様子を見に行くことにしたのだった。
さて、多くの屋台が良い香りを漂わせ始めた夕暮れの町並みを歩いていると、シエルラが1つの土産物屋の前で足を止めた。店頭には稼働していないガラス張りの蒸し器が、誰か人を待っているかのように佇んでいる。
「この町のお土産といえば、『銘菓神木蒸し』というお饅頭がいちばん有名なんだそうですよ。カズヤくんはご存じでしたか?」
「神木蒸し…、いや初めて聞きましたけど。なんというか安直ですね。むしろ魚の干物とかの方が有名だと思うんですが。」
聞けば、ブドウと別れてカズヤと合流するまでは普通の観光客のように観光名所を巡っていたのだというシエルラ。日中に色々な場所をブラついて、色々とリサーチを済ませていたらしい。ただ、リサーチ元が製菓店や工芸品店だったりしたせいで、店に勧められた商品がそれぞれ有名処だと信じ込んでいるようだ。
「シエルラさんってほんと……ピュアですね。いつか詐欺に引っかかるんじゃないかと心配になりますよ。」
「余計なお世話ですぅー、カズヤくんの意地悪!! …私、なにを話そうとしたんでしたっけ?」
「僕に聞かれても知りませんよ。」
にべもない返事に対し、シエルラは唇を尖らせた。
そのまま臍を曲げて先にずんずん進んでいってしまった背中に肩を竦めたカズヤは、土産物屋店内から聞こえてきた声にふと目をやった。
「……ちょっと高すぎるだろ、なあ、店主さん。こっちからこっちの棚まで全部買うからさ、ちょっとだけ安くしてくれないか?」
「何ぃ、そんな適当な買いモンしといて高いだぁ? あんちゃん、他の店に行きなよ。ウチは“企業努力を超えた値切り”には応じねえようにしてんだ。」
「“企業努力を超えた値切り”、ねぇ…。ブランチェ、これって本当に適正価格だと思う?」
「そうですにゃ、ちょっと拝見…。ふーむ、鼈甲のようないい色艶です。香りも良い。けどリーダーの言う通り、ウチの相場じゃあちょっとばかし高すぎると思いますにゃ~。」
「猫の嬢ちゃん、そりゃあアンタがこっちの相場を知んねえだけだぜ。なんてったって、それはお隣の王室献上品なんだからよ。」
あまり今は目にしたくない顔が、クランメンバーと思われる女たちを侍らせながら土産物屋の店主にケチをつけていた。勿論例の憎き女傭兵ナーリアも取り巻きに混じっていて、往来へとメンチを切っている。
なんなら今、目が合った。
「やべ。」
睨まれた側は凶暴な肉食魔獣にでも見据えられたような心持ちである。そして、冒険者という界隈において、気の立った魔獣から逃れる際には鉄則がある。
曰く、目線を外さぬままに後ずさりつつ離れるべし。
「どうも、それじゃ。」
…まあ、そうは言うものの相手は人間。
短絡的な人間とはいえ、幾何かの理性がある人間。ゆえに、無礼を働いたら働いたであの時のようにすっ飛んでくるかもしれない。そうなったら今度は捻挫で済めばいいが。
カズヤは何とも言い難い曖昧な作り笑いを浮かべると、ナーリアに軽く会釈をしてその場を去った。
「…。」
彼の姿が見えなくなった後、気まずそうな顔でナーリアが往来に向かって軽く頭を下げたのに気づいたルーガードは、首を傾げた後で王室献上品の干物1棚分を2割引きで購入したのだった。
さて、視点を戻そう。
先に進んでしまったシエルラを追いかけたカズヤは、人込みに肩をぶつけつつもなんだかんだ牛歩で自分を待ちかねている尻尾に辿り着くことが出来た。
「すみません、お待たせしました。」
「ねえカズヤくん、誰ですか今の美人さんは。」
そして、再開するや否や見知らぬ女と何やら視線を交わし合っていたことについて責め立てられてしまった。
実情を知っている者が見れば理不尽な追及、しかし市井にはミミズも分解しないような痴話喧嘩として映る光景である。それゆえに何様のつもりでああだこうだと文句を垂れるシエルラではなく、美人を侍らせておいて他の女に目移りしたカズヤの方が非難の目を浴びているのだから何とも不憫である。
彼女面で垂れ流される文句を聞き流しながら、シエルラとナーリアの間には面識がなかったことをぼんやりと思い出していたカズヤ。彼は、そのついでにふと彼女が先ほど何かを言いかけていたことも思い出した。
「それはまあ私は純人間じゃないですし、足もこんな感じですけれど? それでも上半身のスタイルには自信がありますし、なんならさっきの人よりも『イイ感じ』だって言い切れますもん。カズヤくんはその、じ、直に見たことがあるんですから…、知っているでしょう?」
「さっきは話の腰を折っちゃいましたけど、何か言おうとしてませんでした?」
「ちょっとぉ! 腰を折った話を再開するために話の腰を折らないでください!!」
未だにぶうたれ続けられている文句を微塵も聞いていなかったカズヤは、躊躇なく話の流れを断ち切った。それに関しても文句を言いたげなシエルラだったが、話には応じてくれたので結果的に良かったということにしておこう。
「ええっと、そうそう! 『神木蒸し』っていうお菓子の話なんですけどね、聞いたところによると、この町でいちばん有名なお土産なんだそうですよ。」
「それは聞きました。」
「そうでしたっけ? それでね、私がそのお話を聞いたお菓子屋さんで神木蒸しを買おうとしたら、置いてないって言うんですよ。」
「ほほう。」
「理由を聞いても教えてくれなかったですし、『それなら他所で買おう』と思って他のお店も見に行ったんですけど、どこにも売ってなくて…。『ここ3日はずっと作っていない』って仰るお店もあったんですよ。なんだかおかしいと思いませんか?」
「あー………いや、なるほど。そりゃ確かに変ですね。」
成程、話が読めてきた。
どうやら製菓業者たちは、ともすれば港町の商人達全体が神木に関する商品の販売を自粛しているようである。
というのも、神木は港湾の守護神龍の現身として扱われているのと同時に、商業神としての側面も持ち合わせているのだ。信心深いワンガンポートの商人たちは決して不調の商業神を儲けのネタとして使うことがないだろう。
どこかから事情が漏れたのか、はたまた行政が用意した言い訳が苦しかったためか、港町の商業業界は封鎖の本当の理由に勘付きつつあるのだろう。
なんと言っても行政により用意されている立ち入り禁止の理由は『郊外の路面保全工事』。それでいて、先ほど馬車の窓から見た限りでも馬車道の石畳は張り替えられたばかりかのように真新しかったのだから。
この漏洩をアルブヒトレ支部長が把握していないとは思えないが、少なくともカズヤは把握していなかった事実である。そして、異変解決には役立たなくとも、政治的な面で役立ちそうだということに間違いはない。
「シエルラさん、興味深いことを教えてくださってありがとうございます。」
「え? はい。」
雑談のために仕入れた話題が望外の感謝を産んだことに機嫌を直したシエルラだったが、なんならその雑談が昨晩話した身の上話よりも興味を持たれているように感じられ、直ちに複雑な気持ちになったのだった。
そうこう話しながら歩いているうちに、気付けば2人の脚と尻尾は釣り場の入り口にまで到着していたのだった。
▽ ▽ ▽
「すみませーん、ちょっといいですか? 迷子を捜してるんですけど。」
漁港一帯を歩き回ってブドウが居ないか探し回った2人。しかし、狭い釣り場にもかかわらず、また、彼女の目立つ容姿にも拘わらず、その姿を見出す事はできなかった。
もしや行き違いになったのかと考えたカズヤは、何やら忙し気な漁港職員たちを呼び止め、包帯姿の女が釣りをしていなかったかと尋ねてみた。
「包帯の女の人…。もしかしてあの人のコトじゃあないか?」
「ああ、そうか! あんたら、女王様の知り合いかい! そう言うことなら話が早い、ついてきてくれないか?!」
「え、あの。」
「そっちのキレーなお姉さんも、頼むよ! 大変なことになってんだ!」
「き、キレーな…。カズヤくん、行ってみましょうよ!」
ブドウの外見的特徴を伝えるや否や、急いでいた様子の漁港職員3名は色めき立った。忙しそうにしていることに違いは無いがどこか楽しそうなので、祭りのように色めき立っていると表現するのが正しいだろう。
さて、カズヤとシエルラが半ば強引に連行された先は、謎の人だかりが出来ている漁港事務所の一角、釣果買取所だった。
集っている人々を観察してみると、手に釣竿も釣果も握られていない野次馬が殆どであることが分かる。たまにそこそこの獲物を持った釣り人も混じってはいるが、彼らもただ背伸びしながら人だかりの中央を覗き見ようとしているばかりである。誰も彼も、釣果の清算を求めて並んでいるというわけではなさそうだ。
「おうい、通してくれ! 俺たちゃ職員だ、通してくれい!」
3人の職員はそんな人だかりを力尽くに掻き分け、円の中央へと入っていった。掻き分けられた野次馬たちは苛立ったように振り返ると、先ほどよりも暗さを増した夕闇の中でも白く光り輝くようなシエルラに気付き、口笛を吹きながら道を開けてくれた。
絶世の美女には優しい人込み共だったが、怪我人の男に対してはさほど優しくないようだ。カズヤは何度も杖を他人の脚に引っ掛けそうになりつつ、なんとか職員たちに追い縋って台風の目に入り込んだのだった。
「………どうなさったのですか、その足は。」
山のような魚箱が積まれた精算所に辿り着くや否や、そんな言葉を投げかけてきた者がいる。
「ブドウさんの方こそ。どうなさったんですか、そのお金は。」
どさくさに紛れて財布を掏り取ろうとしてきた少年の手を捻り上げたカズヤは、色とりどりの食用魚の入った魚箱に取り囲まれた椅子へとこじんまりと腰掛けているブドウにそう返した。
彼女の前には魚箱に埋もれて生臭そうな机が置かれており、その上にはこれまた鱗がへばり付いた銭袋が10袋ほど積まれているのである。そして、銭袋へと現在進行形で中身が追加され続けているのである。
「えー、どれどれ。こりゃまた立派なブチアラじゃあないの…。坊やたち、銀貨袋はまだあったかしらねえ。」
抱えきれないほどの真っ赤な体色の高級魚・ブチアラの尻尾をギャフで弾いた中年の女は、カズヤ達を案内した職員たちにそう尋ねた。
「見てきたけどもう無かったよ姐さん。あとは漁師さん達から預かってる船の保険金と大旦那のヘソクリぐらいで。」
「そうかい、そりゃあ困ったねえ。」
職員の返事を聞いて眉を寄せた中年の女“姐さん”は、弄んでいたギャフを横にあった柱に突き立てた。そして、ソワソワとカズヤやシエルラを伺っているブドウの方を向き、深々と頭を下げた。
「女王さん、悪いんだけど、半分は小切手でお勘定させちゃあくれないかいね。こんなに大漁のお客さんが来るのは初めてなもんで、お足が底をついちまったみたいなのよ。これまた、そこいらの漁師が目を回すぐらいなもんで。面倒臭いだろうけど、世界銀行で現金に引き換えられるからさ、手荷物も減って楽だろうし。」
「……どうぞ、ご随意に。………知人の手前、女王というのだけは辞めて頂けませんか。」
「助かるよ! それじゃあ紛らわしいんだけど、お足の袋は返してもらっていいかしらね。小切手に全額まとめさせてもらうから。宛名は“女王様”でいいのかしらね?」
「……ですから。」
顔を僅かに顰めつつ、顰めた顔をほんのり染めつつ“姐さん”に抗議したブドウは、乱暴に溜息を吐いてフルネームを名乗ったのだった。
はてさて、俄かには信じがたいことだが、この漁船の漁獲と見紛うような釣果物たちはその全てがブドウの獲物であるようだということが状況から察せられる。
それこそ漁船にでも乗ったのかと思うような量(もはや数というよりも量と表現する他ないのである)の高級魚たちがズラリと並んでいるのだが、当のブドウが持っている漁具といえば、子どもが持っているようなハガネダケの延べ竿と、先ほど釣り人より授かっていた中古竿ぐらいのものなのである。明らかにその道具だけでは上げられそうもない巨大魚も数有るのだが…。
そのような尋常ではない光景にカズヤとシエルラが呆気に取られていた一方、ブドウはとうとう清算を終えたようだ。彼女は小切手と一部の銭袋、そして釣果の中でも中ぐらいのサイズの地味な魚を受け取り、“姐さん”と契約成立の握手を交わした。
そうして解散していく野次馬たちに一瞥くれた彼女は、カズヤに歩み寄って来るや否や、まあまあ重たそうな銭袋を突き出してきたのだった。
「………。」
「え、なんですか。」
無言の行為に面食らったカズヤが問い質す。散らばりかけていた野次馬たちが再び集合し始める。
「………(滞納していた)生活費、です。」
そんな言葉足らずの言葉が飛び出してきたものだから、興味津々な野次馬たちはざわつき始めるに決まっている。
「誤解を招くからやめろ。」
招かれた誤解は暫く解けず、なんなら、『カズヤは全身重傷の女性を働かせるヒモでありつつ、別の女を侍らせているクズ野郎』であると信じ込んだまま帰って行った者も居た事だろう。
少なくとも、例の“姐さん”はそうであると信じ切っていたようであった。




