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第四話

 太陽は西に傾き、もう少しで夕暮れという時間帯。

 僕とセイトは再び神社を訪れていた。

 不穏な風が僕らの周囲を走り抜けていった。

「本当にやるのかよ、ハル」

「なんだかんだ言いながら、セイトもここまで来ちゃってるじゃん」

 少し遠くで、撮影スタッフや村の人がレンを探している声がする。

 セイトは、涼子さんに借りてきた短い竹の棒、コキリコを手にしていた。

 僕らの顔を赤く照らしていた太陽が、山の向こうに消えていく。少しずつ薄暗くなっていく周囲の中、セイトの顔が判別しづらくなる。

 黄昏時。

 不思議な空気が全身を包んで、何かが僕らを呼んでいた。

 迎えに来てあげて、って。

「行ってみよう」

 今なら、僕らでも足を踏み入れられる気がした。

 あー、と少し発声練習。

 そして、夕刻のひんやりした空気を大きく息を吸い込んだ。

 新曲は、この土地の里神楽をモチーフに創ったという。だから、きっと神様への捧げものになるはずだと、心のどこかで確信していた。

「…… 月夜に歩み往く途は 貴方へと続く果てなき旅路 ……」

 最初は分からなかった歌の意味が、今なら分かる。この旋律も歌詞も、すべて幽世カクリヨの神に捧げるものだという事を体で理解していた。

 先ほど涼子さんから受け取ったコキリコを、セイトが隣でかぁん、と打ち鳴らした。

 黄昏時。神の世と人の世が混ざり合うこの狭間なら、レンの迷い込んだ世界へといけるのかもしれない。

 普通に考えればそんな非科学的な事、信じられないはずなのに、なぜだか僕らは確信していた。

 すごく非科学的とか、非現実的とか言われるだろう。

 でも、僕らには確信があった――レンはきっとこの先にいる。

 だから、連れ戻しに行かなくちゃ。

「…… 昏き世のコトワリを知れ 哀しき秘奥の深淵よ ……」

 お願いだから、レンの元へと導いて。

 僕の唄が届くなら。

 昨日の夕刻と同じ、コエが反射して、響き渡って、不思議な空間を作り出す。

 朱色の鳥居の向こうへ灰色の石畳が永久とも思える曖昧に薄暗い闇の中へと続いていた。

 二人同時に、一歩踏み出す。

 かぁん、とコキリコが打ち鳴らされる。

 とんとん、とセイトがステップを踏む。

 僕のコエが山の向こうまで響き渡る。

「…… 紅き世のマコトを知れ 哀しき秘奥の深淵よ ……」

 昨日の夕刻は明瀬さんの打ち手でハラわれ、途中で終わらされた儀式が、今、完結しようとしている。

 扉が開く。

 こちらの世界と向こうの世界が重なる時間、黄昏時。そして、捧げる供物。

 レン、今、迎えに行くから。

 これまで知ろうとしなかった、レンの事を知りたい。

 だから、もう一度帰ってきて――


 ひたすらに旋律を奏でながら、灰色の石畳を一歩一歩進んでいた。

 黄昏時を過ぎ、周囲はどんどんと暗くなっていく。

 足元の感覚がおぼつかず、どこか雲の中をふわふわと漂っているようだ。先ほどまで聞こえていたコキリコを打ち鳴らす音が、ガラス板を隔てた向こう側で鳴らされているかのように遠い。

 肌の感覚が曖昧になり、音は遠く、周囲は真っ暗で何も見えない。

 先ほどまで感じていた木々のざわめきも風の音も、何もかもが消えてしまった。

 まるで全部の感覚をどこかに置き忘れて来てしまったようだ。

 自分が唄っている声も聞こえない。確かに声を出しているつもりなのに、喉を震わせている感覚がない。確かに脳から足を前に出し、声を出すという命令を出しているはずなのに、前に進んでいる感覚がない。

 ここはどこだろう。

 僕はいったいどこへむかっているんだろう。

 いったい何をしに――

「止まって」

 ふいに聞こえた声に、はっとした。

 幼い少女の声。

 その瞬間、無意識に旋律を追っていた僕の声が途切れた。

 刹那、全身の感覚が一気に舞い戻っていた。

 まるで耳鳴りのような音の洪水。暑さとも寒さともつかぬねっとりと絡みつく空気。目を凝らしても何も見えない暗闇。

「……っ!」

 思わず耳を塞いでしゃがみ込みそうになった僕の腕を、誰かが掴んだ。

「惑わないで!」

 一喝。

 その瞬間、耳鳴りがすべて霧散し、絡みつくような空気も消え去った。

「……ぁ」

 きょろきょろ、と見渡すと、目の前に一人の女の子が立っている。歳は小学生くらいだろうか、利発そうな顔をした愛らしい女の子だった。薄汚れたカスリ模様の着物姿はそれこそまるで日本昔話にでも出てきそうな雰囲気だ。

 そのせいなのか、目の前にヒトがいるというのに全く気配がしなかった。呼吸の音も、衣ずれも、もしかすると心臓の音さえ。

「だいじょうぶ?」

「あ、うん、大丈夫だよ。ありがとう」

 いつの間にか額にびっしょりとかいていた汗をぬぐい、硬直していた肩の力を抜いた。

 周囲は見渡す限りの暗闇で灯りなんてどこにも見えないというのに、なぜか女の子の輪郭だけははっきりと見えた。

 自分の声が少し遠ざかって聞こえる。この空間中に、音が木霊しているような。

 不思議な空間だった。

「よかった、もう少しで完全に連れて行かれちゃうところだったわ」

 にこにこと笑った女の子は、すっと闇の向こうを指した。

「あっち、よ。見失わないで。見つけて。一緒にいて。きっと、サトミが迎えに来てくれる」

 幼い女の子は意味不明の事を口走り、僕の手をぎゅっと握った。

 その手は、冷たくも熱くもなく、柔らかくも固くもない。なにもない場所に触れたかのように感触が曖昧だった。

「お願い」

 真っ直ぐに僕を見つめる瞳は真剣だった。

「君は? 一緒に行かないの?」

「行けない。私はもう、いない(・・・)から。この狭間の場所なら、少しだけいられるけど。」

「狭間の場所?」

「神様とヒトの間。誰もいない場所。ただ、通り抜ける場所。ここに挟まったら、二度と出られないから気を付けて。それに、何より私が会ったら(・・・・)今度こそ一緒に向こうへ連れて行ってしまう」

 意味の分からない事を口走った少女は、僕の手をぱっと放した。

「あ、君は……」

 と、思った時にはもうその女の子の姿はなかった。

 ただ、空を切ると思った僕の手は、代わりに健康的に日焼けした腕を捕まえた。

「あ、ハル。ここにいたのか」

「セイト?!」

 今まで目の前にはいなかった筈のセイトの腕を掴んでしまった僕は、驚いて辺りを見渡した。

 が、やはり周囲は闇ばかりで何も見えない。

 女の子の姿もない。

 そして、セイトも少女と同じように闇の中、不自然なほど浮かび上がって見えた。

「暗いよなー。まあ、山の中に入ってきたんだから当たり前っちゃ当たり前だけどさ」

 隣のセイトは、周囲を見渡して困ったように頭をかいている。

 おかしい。

 今この瞬間までいなかったセイトが目の前にいる。さっきまでいた少女は消えてしまった。しかも、真っ暗なのにセイトの姿ははっきり見える。

 まるで自分の周囲の空間自体が歪んでしまっているような、ひどく不思議な感覚だった。

 ここはきっと、もう――

「……帰れんのかな、オレたち」

 どこに、とは言わなかった。

 ここが本当の山の中にせよ、さっきまでいたところとは別の世界であるにせよ。

「困ったなー。レンを探しに来てオレたちまで消えるって、明瀬さんが言った通りじゃねえか」

「大丈夫だよ。きっと」

 だって、ここに入る時、僕らは歓迎されていた。

 だからきっと、大丈夫。

 神様は、僕らにレンを迎えに来いって言ってたんだ。きっと、さっきの女の子も。

「そうか? んじゃあ、とりあえずレンの野郎を探すか」

 なんて切り替えが早いんだ。

 はあ、とため息をついてから、僕は女の子が教えてくれた方向を指さした。

「きっと、あっちだよ。さっき女の子がいて、教えてくれた」

 ひょっとすると彼女は、妖怪とか幽霊とか、そんなモノかもしれないけれど。だって人間らしい感じがしなかったし。

 怖さは全くなかったから、きっとウソはついていない。

「女の子……? あっ、見ろよ、ハル! あっち、あの向こう、何か光ってねえか?」

 唐突にセイトが指さした先には、確かにぼんやりと光る何かがある。

「行ってみようぜ!」

「あ、待ってよ!」

 止める暇もなくセイトは駆けだしていた。

 不思議な事に、山の中を歩いていたはずなのに、木々も、草も、虫の声も、空の星も、何もなかった。風もない、走っているのに全くそんな感覚がなかった。

 まるでずっとふわふわとどこかを漂っているような。

 本当に信じられない事だけれど、もしかすると、ここは本当にカミサマの国なのかもしれない、なんて――



 光の元に辿り着いた僕らの目の前には、きらきらと輝く湖が迫っていた。

 いや、正確に言うと、光っているのは湖の水そのものじゃなくて、岸と水底に広がったきらきらと輝く砂だった。手に取ってみると、まるで一つ一つが小さな電球のように発光していた。それも、個々が違う色をしていて、全部が合わさって白い光に見えている。よくよく見れば、それは星のような形をしていた。

 東京生まれ東京育ちの僕はまだ見たことなんてないんだけど、きっと天の川っていうのはこんな場所の事を言うんだろう。

 空を見上げれば、細い三日月が3つと満月が2つあった。それはひどく不思議な光景だったんだけれども、夢を見るように曖昧なこの場所では、それが当たり前に思えた。

 静かだった。

 川の表面には流れているような波跡があるというのに、水の音がしない。

 水面に手を浸しても、冷たくもなく温かくもない感触で、さらさらと掌の端から零れおちていった。

 全く生き物の気配が感じられない。

「……ヘンな場所」

 セイトがぽつりと呟いた。

 僕も同じ感想だった。

 しかし、砂浜で足を踏み出すと、砂がこすれてきゅ、きゅと軽い音を立てた。

 それが楽しくて、僕らは砂地に足跡を付け回って歩いた。

 きゅ、きゅ、きゅ、とステップを踏んで、リズムをとって。誰もいないこの場所で、転げまわるようにして楽しんだ。

 ひとしきり遊んだ後、またも唐突にセイトが砂浜の遥か向こうを指差した。

 セイトって、こんな時、本当に目がいいんだ。

「あれさ、人間じゃねえか?」

 セイトの指さす先、きらきらと光る砂浜の一角に、幼い少年が膝を抱えて座り込んでいた。

 生き物の気配がないこの場所において、人の形をしたモノがいても、本当にそれが人間なのかを疑ってしまう。先ほどの女の子と同じように。

「おーい、そこのがきんちょ」

 セイトは全く気にする事無く子供に向かって声をかけた。

 しかし、子供は全く反応しなかった。

 きゅっきゅ、と砂を踏む音を鳴らしながら、僕らはその子供に近寄って行った。

「……こんにちは」

 僕がおそるおそるその子供に声をかけると、うずくまっていた子供は僕の声でぴくりと肩を震わせ、そしてゆっくりと振り向いた。

 先ほどの女の子と同じ、カスリ模様の浴衣を着て。

「……おにぃちゃん、だぁれ……?」

 驚いた顔の少年。その目は泣き腫らしていて、まだしゃくりをあげていた。

 が、驚いたのは僕も同じだった。

 何しろ、その少年は……

「レン?!」

 10歳にも満たない小さな子供だったけれど、その面影は確かに、レンの整った顔そのものだったから――




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