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第三話

 次の日、続々と撮影スタッフがやってきたけれど、それどころじゃなかった。

 レンがいなくなった。

 そんな話はすぐに集落中を駆け回り、小さな村は上へ下への大騒動になっていた。

 観光客そっちのけで、観光協会の会長さんだとか、この地区の自治会長さんだとか、もちろん昨日の神楽に参加していた山中さんも、みんなが小さな神社の社務所に集合していた。

 明瀬さんを取り囲むように床板に座り込み、十数名の大人が沈鬱な顔を見合わせる。

 その空気に息がつまりそうだったが、それよりもずっとレンの事が心配でならなかった。

「いなくなったのはコキリコの途中なんですね」

 自治会長の川島さんが明瀬さんに念を押した。

「確かか、ハル」

「はい。一緒に見始めた筈だったんですけど、僕とセイトは夢中になってて、終わって気がついたらもうレンがいなくなってたんです」

「途中までいたのは覚えているんですが、立ち上がったところも出ていったところも見なかったな」

 太鼓を担当していた山中さんが付け加えた。

「事務所の方にも照会しましたが、誘拐犯などからの連絡はないようです。だからと言って、出て行くような理由に心当たりもない」

 明瀬さんはため息をついた。

 本当に分からない。レンがこんな事をするなんて――何か嫌な事でも遭ったのだろうか。彼はあまり感情を表に出さないから。

「とりあえず手を尽くして探してはおりますが、なにぶん狭い集落ですぐそこは山ですから……」

 自治会長の川島さんはそこで言葉を切った。

 夏とはいえ、こんな場所、熊も出るし毒を持った蛇もいる。何より、あんな遅い時間に山に入って迷ってしまえばこの集落に戻ってくるなんて事、不可能なんじゃないか?

 ぞっとした。

 いなくなってから既に丸一晩以上経っている。

 レンは本当にどこへいったんだ――?

「あの時と同じだ」

 と、唐突に山中和彦さんが呟いた。

「10年前の相倉の子の時と同じだ。あの姉弟がいなくなった時と」

「和彦、やめないか」

 自治会長さんが制し、和彦さんははっとして口を噤んだ。

 あの時……?

 明瀬さんがそれ(・・)を逃すはずはない。

「教えて下さいませんか? 何かの手がかりになるかもしれません」

「あ、いえ、気にされることでは」

「教えてください」

 明瀬さんの声が、一オクターブ低くなる。

 当たり前だ。顔に出さないだけで、一番レンを心配しているのは明瀬さんなのだから。

「それは」

「今の状況、少しでも手がかりが欲しいのです」

 自治会長の川島さんは、苦々しい顔をしながらも、明瀬さんの剣幕に押され、しぶしぶながら口を開いた。

「いわゆる『神隠し』ですよ」



「10年前にもこの里で姉の『桔梗キキョウ』と弟の『レン』の二人がそろって行方不明になった事がありました。いなくなったのは夕方、それも今回と同じように、夏祭りのために神社で神楽の練習をしている時でした」

「その二人は何処へ?」

「それは」

 言葉を濁した自治会長さんは、ぽつり、と言った。

「姉弟のうち、弟は一週間ほどで帰ってきました。しかし、姉は……数ヵ月後、山の中で、遺体で発見されたのです」

「……!」

 遺体デ発見サレタ。

 さぁっと、頭の先からつま先まで血の気が引いたのが分かった。

 耳元で心臓の音がする。

 どくん、どくんと加速アッチェルランドのリズムをとって。

「結局、最終的には弟のれんも里子に出され事件は何もかも不明のまま終わったのですが……やはり、誘拐という可能性が一番高いと思われます。今回も同じで、このような小さな村ですから、不審な人物がいればすぐに知らせが入ると思うのですが、昨日から特に報告はありません。油断せずに……」

 自治会長の声が遠くに聞こえる。

 ああ、もうこんな所でぐずぐずしている場合じゃない。

 僕は立ち上がった。隣で蒼白な顔をしていたセイトも、同時に立ちあがる。

「こんな所で問答していても仕方ないと思います。僕らは僕らでレンを探しに行きます!」

「待て、ハル。無茶をするんじゃない。お前達までいなくなったら元も子も――」

「失礼します」

 慌てて止めようとした明瀬さんの静止を振り切り、二人で社務所の沈鬱な大人会議から抜け出した。


 社務所から飛び出した僕らは、境内に集合している撮影スタッフに見つからないよう、神社の敷地から抜け出した。

 朱色の鳥居をくぐって街の方向へ向かう道に出たところで、セイトが待ちかねたように口を開く。

「なあ、ハル。いったいどうするんだ?」

「どうするって言っても、あのままあの場所で額を突き合わせてたってしょうがなかったよ。セイトだってレンを探したいだろう?」

「そ、それはぁ」

「今はセイトの意地っ張りを聞きたいんじゃないよ。10年前の子は遺体で発見されたって……心配じゃないのか? レン、昨日から帰ってこないんだよ? 何にも言わずに居なくなっちゃったんだよ?」

「だから、それはアイツのワガママだって……」

「本当にそう思ってるの?」

 いつまで意地を張る気なんだ。

「誘拐されたかもしれない。もしかすると、何か嫌な事があって山に逃げて行ってしまって、帰って来られないのかもしれない」

 いったいどうしてレンがいなくなったのかは分からない。

「今こうしている間にも、危険な目に遭ってるかもしれないんだよ!」

「いや、その……」

 僕の剣幕に、セイトは逃げ腰だ。

「最後まで一緒にいたのは僕らなんだよ? いなくなる瞬間まで一緒にいたんだよ? そうでなくても、もう2年以上も同じグループでやってきたのに……僕ら、レンに関して何も知らないんだよ? レンがいったいどうして消えちゃったのかすら分かんないんだよ? レンがプロモの撮影嫌になってどっかに行っちゃったのか、それとも誘拐されたのかさえ僕らには分かんないんだよ?」

 本当に、悲しいくらいにレンの事を知らない。

 僕は後悔していた。

 セイトとレンがうまくいっていない事を知っていてもそれを修復しようともしなかった事。レンがいつも何を考えているのか、聞こうとも考えようともしなかった事。

 こんな時になって痛感するなんて……!

「だから少しでもっ」

「レンとセイトならばともかく、お前達が喧嘩とは珍しいな」

 僕らの言い合いを、というか僕の一方的な感情の波及を、楽しげな声が分断した。

「……明瀬さん」

「どうした? 何が原因だ? レンを探しに行くと言って飛び出したはいいが、途方に暮れて腹いせに喧嘩か?」

「いえ、そう言うわけじゃない、です」

 さすがにバツが悪くなって、僕は明瀬さんから目を逸らした。

「いいんだ、お前達くらいの年頃のヤツらは、喧嘩するくらいがちょうどいい。レンも――」

 と、明瀬さんはそこで口を噤んだ。

 沈鬱な雰囲気が僕らの周囲を包み込む。

「それより、お前達にも伝えておくべきかと思ってな」

「何を、ですか?」

「ああ……昨日は特に口にすべき事ではないと思って黙っていたのだが……――――」

 そう前置きして、明瀬さんは驚くような真実を僕らに告げた。

 僕とセイトは、思わず息をとめる。

「それは、本当ですか?」

「ああ、事務所の資料だ。おそらく真実だろう」

 僕は、セイトと顔を見合わせる。

 まだ間に合うかもしれない。

「ありがとう、明瀬さん。僕らやっぱり」

「レンを探しに行ってくるぜ」

 僕とセイトは、視線を合わせて頷き合った。


 明瀬さんは、こう言った――レンは、立志麻たてしまれんは、6歳の時に養子として立志麻の家に引き取られたんだ。それ以前の名字は『相倉あいくら』。私もこれまで知らなかった事だが、この合掌造りの里、おそらくここが本当のレンの故郷――






 アテがあったわけじゃない。

 でも、少しだけ何かが見えた気がした。

 レンが無口になった理由。必要以上に人と関わるのを嫌うように、何かを否定するかのように無表情を決め込む理由。

 幼い頃に姉と二人、山の中で行方不明になり、姉は遺体で……レンもおそらくそれがきっかけで別の家に養子として引き取られて。

 その後も、いったいどんな人生を送ってきたんだろう。

 出会ってから丸2年以上たつというのに、僕らはレンの事を何も知らない。

 このまま別れるわけにはいかない。まだ話したい事がたくさんある。まだ聞きたい事がたくさんある。

 でも、どうしたらいいんだろう……?

 と、その瞬間、僕らの背後から歓声が上がった。

「あれ、『ストライプ』のハルとセイトじゃない?」

「神社の方にも人が集まって撮影してる雰囲気だったもんね」

 しまった、見つかった。

 あまりにのんびりした場所だから忘れていたけれど、僕らはヒトに見つかると面倒な事になるんだった。

「やっぱりそうだ! きゃーっ、ハル! 本物よ!」

「セイトくーん、こっち見てっ!」

 振り向かなくても声で分かる。きっと、大学生くらいの女性3人組。

 携帯で写メを撮る音が響く。

 慣れてはいるから、取り立てて不快というわけではないけれど、さすがに大きな声を聞きつけて、観光に来ていた人が徐々に集まりだしたのは少し困る。背後がにわかに騒がしくなり、僕もセイトも振り向くわけにもいかず、硬直していた。

 どうしよう。ここで騒ぎになったら、レンがいないことも露見してしまう。

 その時、僕らを呼びとめる声があった。

「ハルくん、セイトくん」

「あ、涼子さん。こんにちは」

 山中の奥さん、涼子さんが箒を持って立っていた。

 あまりに日常を象徴する気の抜けた光景に、思わず脱力する。

「有名人も大変なのねえ」

 少し困ったように笑う涼子さんは、まるで近所の子供にでも話しかけるように自然だった。

 世間一般的に『ものすごい有名人』になってしまった僕らに、こんな風に当たり前に声をかけてくれる人は、実はとても貴重である。その点で、僕もセイトも涼子さんに好感を持っていた。

「ハルくん、セイトくん、こっちにいらっしゃい」

 お言葉に甘えて、すぐそこの山中夫妻の家に飛び込んだ。

 優しく笑う涼子さんは、当たり前のように僕らを座敷へ通してくれた。

 昨日泊まった宿と同じ、合掌造りの家屋は、少しだけ懐かしい匂いがした。古いとはいえ隅々まで手入れされた家屋は、きっと涼子さんがいつもきちんと整えているのだろう。

 つるつるの床にきちんと正座していると、涼子さんは冷たい麦茶を持ってきてくれた。

「いいのよ、そんなに畏まらなくて。うちの娘たちも今日は登校日だから夕方まで帰ってこないわ。安心して」

 表の人が多い場所から隠れ、畑しか見えない裏手の縁側に座り込んだ僕らは、遠慮なく麦茶を御馳走になった。

 昨日到着してから息詰まること続きだったけれど、ようやく一息つけた気がする。

「ここも、世界遺産になるまではこんな風じゃなかったのよ。観光客だっていたけれど、これほどまでには……それが、数年前に認定されてから道路も綺麗に整備されて、家の維持費にしても国から補助まで出るようになって」

「涼子さんはずっとここに住んでらっしゃるんですか?」

「いいえ、私は夫の和彦についてここにきたの。生まれは関西なのよ。だから最初は、あまりにも何もなくてびっくりしたわ。何しろ、コンビニどころか、スーパーも、八百屋の一軒もないのよ? いったいどうやって暮らしているのかと思ったものよ」

 ここは、本当に山の奥にぽつんと佇む集落だ。隣の集落まで車でも20分近くかかるらしい。

「不便だと思った事はないんですか?」

「そりゃあ、何度もあるわよ。病院もない、薬屋もない、テレビはほとんど映らない。最近はようやくインターネットがここまでつながるようになったけれど、それまでは世間の情報が入ってくるのも遅いし、まるでここだけ時代に取り残されたみたいだったわ。それに、冬になったら見た事もないくらい雪が積もって、何もかもがほとんど閉ざされてしまうの。この縁側の戸だって、冬には雪に埋まって開けられなくなっちゃうのよ」

「えっ? これが?!」

 セイトは驚きの声を上げる。

 雪に埋まるって、だってこの戸は地面からだと2メートルくらいの高さまである。それが埋まるって……。

「ハルくんもセイトくんも、見たことないでしょうね。『一面の雪景色』なんて甘くて優しいな言葉じゃ足りない、雪に閉ざされる世界なんて」

 涼子さんは本当に楽しそうに笑う。

 不便、と言いながら、そんなこと気にもかけていないように。

「でも、私はこの土地が好きよ。どんなに不便でも、車がなくても、インターネットがなくても、ちゃんと私たちのご先祖様はここで暮らしてきたのよ。この家を守って、この土地を守って。きっと、この山の神様に守られて。とても、素敵な村だと思うわ」

「こんな何にもないところで暮らすなんて、想像もつかねぇや。オレ、三日でギブアップだな」

「ふふ、うちの娘も、こんなところ出て行くんだーって息巻いてるわ」

「だろうなあ」

「セイトっ!」

 躊躇なく同意したセイトをたしなめると、涼子さんはくすくすと笑った。

「そろそろお昼だけれど、ご飯はどうするの? うちで食べていく? もっとも、お蕎麦か素麺くらいしかできないけれど」

「いいのかっ?! じゃあオレ、素麺がいい!」

「ちょっと、セイト!」

「いいのよ。少し待っていて、すぐ用意するわ」

 成り行きで昼食まで御馳走になってしまい、恐縮しながらも自然に世話を焼いてくれる事に戸惑いと驚き、そしてどこか安心を感じていた。

 こんな風に閉ざされた山奥の村だからなのか、当たり前のように相手をもてなしてくれる。とても不思議で、でも先ほどから涼子さんの話を聞いていて納得する。

 きっと、涼子さんは心の底から本当にこの村が好きなのだ。どれだけ不便であろうと、閉ざされていようと。

 だからこの穏やかな空気の中で、人をもてなす事が出来るのだ。

 つるつると素麺を頬張りながら、セイトは何のためらいもなく聞いた。

「なぁ、涼子さん。昔ここに住んでたっていう、相倉あいくられんについて何か知らねえか? どうもさ、やっぱレンってその相倉と同一人物らしいんだけど」

 ずるずると素麺をすすりながら。

 僕が非難めいた視線を送っても、セイトは意に介さず、だ。

 もう少しでいいから伏線をはって、そして脈絡というものを考慮して話をしてほしい。

「相倉の子のことね。私がちょうどこの里に嫁いでからすぐの事だったと思うわ。二人が神隠しに遭ったのは」

「……神隠し」

「そうよ。昔から何度かあったの。ここは神様にお借りした土地で、すぐそこに神様が住んでいらっしゃるから、ふとした拍子に子供が向こうの世界に迷い込んでしまうの」

「向こうの世界って?」

幽世カクリヨ、またはあの世(・・・)とも呼ぶ場所よ」

「あの世っ?!」

「そう、死んだタマシイが廻る世界。神様がいる世界。ほんの少しの拍子に、向こうへと繋がってしまうの」

 昨日、明瀬さんが言った事とまるで同じだった。

「お姉ちゃんの方は桔梗ききょうちゃん、ちょうど今のうちの子くらいの歳の女の子で、はきはきと喋る利発な子だったわ。弟がれんくんって言って、大人しいけれど賢い子で……あの時も、今回と同じように突然、二人がいなくなってしまって。3日目から皆で山狩りをして、それでも見つからなかった。だから、二人は『神隠し』に遭ったって言われたのよ」

「……」

 神隠し。

 そんな非現実的な単語。

 それなのに、どうして心がこんなにも騒ぐのだろう……?

「ごめんなさいね、こんな話。湿っぽくなっちゃうわね」

「いえ、ありがとうございます」

 神隠し。

 向こうの世界。

 幽世カクリヨ

 神楽は神に捧げる供物。

「気を付けて、神様は綺麗な子供を好んで呼ぶというわ。ハルくんやセイトくんは本当に気をつけた方がいいかもしれないわね」

――お前も神様に気に入られそうな顔をしているからな。向こうに、トラわれるなよ? レンのように――

 明瀬さんの言葉が蘇る。

 レンのように?

 明瀬さんは知っていたのか? 何を? どこまで?

「セイト」

「……ハル」

 知らず、相手の名を呼んでいた。

 セイトからいつになく真剣な視線を返されて、なぜか心の内がざわりと沸きたった。

 非現実的な仮説が僕の中で確立しつつあった。



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