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第一話


――8月9日、横浜アリーナ


 真っ暗なステージで、僕はマイクを握る。

 右隣に熱いセイトの気配、左斜め後ろに静かなレンの気配。

 暗闇には、僕とセイトとレンの名前を呼ぶ女の子の声が方々に響き渡っていた。壁に、床に、高い天井に反射して、不思議な音の重なりを作り出す。

 本番直前の会場全体を包み込む独特の空気が、僕はとても好きだ。まるでここだけ日常から切り取った空間になってしまったかのような錯覚にとらわれる。

 ライブが始まったわけでもないのに、背中に汗をかくほどの熱気が押し寄せ、スタンバイしたバンドから漏れ出る張りつめた空気が伝わってくる。

 僕は、不思議なほど緊張していなかった。

 胸を開いて、大きく息を吸い込んだ。

 客席から僕らを呼ぶ声が重なり合って目に見えぬサザナミのように押し寄せる。

 その歓声の隙間、一瞬をついて、僕は、マイクに向かって――



「お疲れっ、ハル!」

 セイトは、僕の名を呼びながら、ペットボトルのサイダーを満面の笑みと共に投げ寄こした。

「ありがとー、セイト」

 ライブが終了した舞台裏、コードが散乱する床で引っ掛かって転ばないよう気をつけながら、僕はそれを何とか落とさずキャッチし、そのままキャップをあけて喉の奥へと流し込んだ。

 水分を体に吸収するのが感じ取れるようだ。熱い会場と発声による喉の渇きがどんどんと癒されていった――本当なら、歌い終わってすぐこんな糖度の高い冷たい炭酸飲料を流し込むのは喉によくないんだけど、そこはこの解放感のために目をつぶって欲しい。

 薄暗い舞台袖、喧騒が少しだけ遠のいた空間で、僕らは心行くまでその清涼感を堪能していた。

 と、少し遅れて最後のメンバー、レンが舞台袖に戻ってきた。

 街を歩けばすれ違った人全員が振り返るに違いない美少年。同性・同年代の僕から見ても整った顔をしたレンは、舞台の上で見せていた作り笑顔を引っ込めて、すっと僕らの前を通り過ぎた。

 まるで仮面のような無表情。その瞳に、僕らは全く映っていないようだ。

 レンの後ろ姿が控室に向かう廊下へ消えたのを確認して、セイトはむっと唇を尖らせる。

「アイツ、レンってさ、いったい何考えてるんだ? ステージじゃあんなにニコニコ笑ってるってのに、一緒にやってるオレたちには挨拶もなしだぜ? オレたちのこと、嫌いなら嫌いだって言えばいいじゃねーか」

「レンはもともと無口なだけだよ。きっと嫌ってるわけじゃない……と、思うけど」

「にしてもさぁ、あの態度はなくね?」

「気にしない方がいいんじゃない?」

 いつも元気全開で、単純明快な性格と裏表のない明るい笑顔がウリのセイトからすれば、レンが無口で愛想笑いしかしないのが癪に障るんだろう。

 それは仕方のない事だ。単純な性格の不一致。周囲がどうこうする事じゃない。

 もっとも、『何考えてるのか分からない』っていうのは、僕も多少同意する。あの冷徹とも思えるほど無表情の裏側に、いったいどんな感情を隠しているのか。僕には想像もつかなかった。

 とはいえ、わざわざ隠しているモノを無理に知らなくてもいいかな、と思う。適度な距離が大切。

 セイトも、ま、いいかと軽く息をつき、再び太陽のような笑顔を見せた。

「それにしてもハル、今回のライブはずいぶん調子良かったな!」

「うん、そうだね。今までで一番広い会場だったから、緊張するかなと思ってたけど、全然しなかったし」

「高校卒業したらさ、夏に全国ツアーやろうぜ! 北海道から沖縄まで!」

「卒業って、僕らこの間入学したばっかりじゃない。それに、夏は暑いから、沖縄に行くなら僕はできれば冬がいいなぁ」

「いいじゃねぇか、夏の沖縄。海の上でライブなんて、考えただけでもわくわくする! ぜってぇ楽しいって!」

「そんな事したら、僕もレンも日焼けしちゃうよ。赤くなってヒリヒリして、大変なんだから」

 レンの名前を出したせいだろうか、一瞬ムッとした顔を見せたセイトだったが、すぐに首を傾げた。

「あれ? なんかその言い方、まるでオレだけは日焼けしてもダイジョーブみたいに聞こえるんだが?」

「セイトは日焼けすると黒くなる体質だもん。ちょっとくらい焼けたって平気でしょ?」

 そう言うと、セイトは不機嫌そうに唇を尖らせた。

「……ったくよー。オレを何だと思ってやがるっ」

「ほらそれに、セイトは日焼けした方が健康的ですごく似合うと思うよ」

「そうか? ま、そーだよなっ! 日焼けした方がいいってのはオレも同感っ!」

 セイトはほんとに単純、同い年とは思えないほどに素直で真っ直ぐで。そんなところも人気の秘密なのだけれど。

「ね、セイト、それよりもせっかくだから、プロモの撮影が終わったらどこか遊びに行こうよ」

 そう言うと、セイトは僕の背中を叩きながらにんまりと笑った。

「オレ、ハルのその宿題を簡単に忘れるところ、好きだぜ?」

「僕は忘れてるわけじゃなくてちゃんとやってるだけなの。レンもそうだよ? ちゃんと宿題やらないと、またセイトだけ怒られても知らないから」

「わかってるって!」



 僕『ハル』と、少々口の悪い『セイト』、そして無口な『レン』――高校1年生にして5ケタの観客を動員するライブを行う3人組ダンスユニット『ストライプ』。

 何の因果か、わけのわからぬうちに組んでしまったのだが、気がつけばたったの2年で、10代の男女なら知らぬ者はいないであろうグループへと成長を遂げていた。

 つい先日横浜で行われたライブにも、ステージから数えるのは不可能だったけれど、おそらく万単位のファンが詰めかけていたはずだ。

 そして今も、ライブが終了した時点で僕らの夏休みは残り半分以下にまで減っていたというのに、興奮冷めやらぬうち、新曲プロモーションビデオ撮影のために、僕らは辺境の地へと向かわねばならなかった。

 夏休みなんて、ないに等しい。

 でも、運動部で夢中になっている同級生の事を考えてみれば、インターハイや甲子園を目指して練習に没頭するわけじゃなく、たまたま没頭する対象がライブだったというだけだろう。

 だから、僕らは普通の高校生だった。

 宿題が終わるか終らないかで戦々恐々しながら遊びに行く約束をする、普通の高校生だった。

 例えば、あのひと夏の体験が、あの一瞬しかないはずなのに永遠だった不思議な体験が、きっと誰にでも起こり得ることだったように。

 別世界への扉が、何処にでも開いているように。

 僕らは、呼び込まれた。いや、もしかすると僕らは進んで足を踏み入れたのかもしれない。

 望んでいたレンを媒体に、『境界』を越えて。『世』を跨いで――









「なあ、現場って、まだ遠いのかー?」

「あと2時間程度だ。セイト、お前はほんの何時間かしかない移動時間さえ我慢できないのか?」

 リアシートで文句を言ったセイトに、運転席の明瀬あかせさんが冷たく返した。

 明瀬あかせ沙都美さとみさんは、僕らの専属マネージャー。また、クリエイターでもある彼女は僕らの曲の作詞・作曲・編曲まで手掛けている。スケジュールその他を管理するもう一人のマネージャー山崎さんと並んで、僕らにとってなくてはならない存在である。

 ストレートの黒髪を高い位置で括り、切れ長の目の年齢不詳、しかしながら非常に有能なマネージャー。さっぱりとした口調といい、きっと和服が似合うと思うのだが、身に纏うのは何故か派手なアロハシャツ。夏の間はずっとそう。しかし、これは彼女なりの夏の正装らしい。別に沖縄出身というわけではないようだが。

 運転席にマネージャーの明瀬さん、助手席にレン、そして後ろに僕とセイト。4人を乗せた車は、見た事も通った事もない高速道路を、北へ北へと向かっている。

 さっき看板に『美濃』って文字を見たから、きっと岐阜あたりだろう。大丈夫、僕は地理だけ自信があるんだ。

 でも、岐阜の北って……どこだっけ?

 明瀬さんは、助手席に大人しく座って本を読むレンに視線を遣ってから、ルームミラー越しにセイトを睨みつけた。

「レンを見ろ。文句ひとつ言わずに今から行く場所の資料まで読んでいるじゃないか」

「そいつと一緒にすんじゃねぇ! しかもレン、お前さぁ、車の中で本なんか見てて、気持ち悪くならねえのかよ」

「なりませんよ」

「ふーん」

 味もそっけもないレンの返答に、セイトはぼん、とリアシートの背もたれに戻ってきた。

 不機嫌そうな表情で。

 いつものことなのだが、レンはいつもそっけない。特に僕らや明瀬さんと一緒にいる時は。聞けば答える、でもそれが終われば次にレンの気が向くまで会話は成立しない。

 その無愛想さと無口さは、あけっぴろげなセイトとの衝突を招く――といっても、いつもセイトが一方的につっかかるだけなのだが。

 さすがに僕もセイトもうつらうつらしながら残り2時間、鬱蒼ウッソウと木々が生い茂る山を細く切り開いた道をひた走っていた。

 とある漫画の最終回で、師匠が主人公たちに見渡す限りの山を、それも妖怪の住む土地を継承させたけれど、そのラストシーンを彷彿とさせるような光景だ。

 これほど人の手が入っていない景色が実際日本にあるなんて、思いもしなかった。

 いや、高速道路がここを貫いている時点で人の手は入っているのだけれど。

 僕は、自然保護とかに特別関心があるわけじゃないし、特別山の神に信仰があるわけでも、小さい頃から祖父母に祟りを仄めかされて育ったわけでもない。東京都内に生まれ育った、ごくごく一般的な宗教観を持つ日本の高校生だ。

 それでも、この山に住む何者ナニモノかの領土を貫くように走るこの道をくのが、何故かほんのりと恐ろしかった。

「待たせたな、セイト。ようやく到着したぞ」

 明瀬あかせさんの声ではっとみると、緑に白抜きの文字で『五箇山ごかやま』と記した看板が左手に見えていた。


 その場所は、まさに『秘境』と呼ぶに相応しかった。

 僕が想像できる田舎なんて、せいぜい広い土地に田んぼが目いっぱい敷き詰められている風景で精いっぱいだが、ここはそんなレベルの場所じゃない。

 山間を流れる川に沿って細長く伸びた、本当に小さくヒソやかな集落だ。昔話で語られる村って言うのは、もしかしたらこんな場所かもしれない。右手に山、左手に山、その間に川と申し訳程度の住居群があるだけ。住居の隙間を埋めるようにして小さな田畑が折り重なっている。

 その住居というのも屋根に瓦じゃなく、草を束ねたモノが乗っているだけのように見える。まるで歴史の教科書にでも出てきそうな景色だ。

 しかも、こんな山奥だというのに、思ったより多くの観光客が多く見られた。カメラを構えていたり、看板に書かれた解説を読んでいたり。

 聞けば、実はこの場所、ひっそりと世界遺産に認定されているらしい。

 とにもかくにも、簡単にコンクリートで舗装された道を、ぺたぺたとサンダルの音を立てながらのんびりと歩いていく明瀬さんに先導され、僕らはいつしか集落全体を見渡せる高台に到着していた。

「ここが世界遺産、合掌造り集落の『五箇山』だ」

 さぁっと風が通り抜けた。

 鮮やかな緑の合間、身を寄せ合うように住居が並んでいる。

「ここは、もともと、平家の落ち武者の隠れ里だったんだ。今は市町村合併で市になってしまったが、以前は『たいら村』と呼ばれていた。おそらく、平家の名を遺したんだろうな」

 平家? 平家って、あの有名な?

「明瀬さん、『平家』って、あの歴史の教科書に出てくる源氏と平氏、平氏のことですか?」

「そうだ、学校で習っただろう? まあ、諸説あるのだが、この川を下った場所にある倶利伽羅峠くりからとうげという場所で今から800年以上前に合戦があった。そこで平家が敗北し、その残党がこの場所に逃げ隠れたのがこの里の始まりだと言われている」

 倶利伽羅峠の合戦――なんだか、聞いた事があるような気がする。大方、学校の社会の授業か何かで習ったのだろう。

 僕はもはや記憶の彼方だが、記憶力のいいレンならば覚えているかもしれない。

「へーっ。じゃあ、ここに住んでるヤツはみんな落ち武者の子孫ってわけかっ」

「セイト、その言い方は……」

「別に、事実だろ?」

 うーん、この分かりやすい性格はいいんだけど、セイトはもう少し気を使うということを覚えた方がいい気がする――砂利道で楽しそうにステップを踏むセイトを見て、僕はこっそりそんな事を考えていた。

 深い深い山の奥、冬には雪に閉ざされるこの地で、いったい何を思いながら暮らしているのだろう。何を祈り、何を願い、どんな思いでこの地に根ざしたのだろう。

「それより明瀬さん、『がっしょーづくり』って、何なんだっ?」

「勉強嫌いの横嶋よこじま星斗せいとくん、君は本気でレンを見習ってパンフレットでも読んだ方がいいようだな」

 ぴしゃりと分厚いパンフレットを叩きつけられたセイトがさすがに可哀そうに見えたのか、眼鏡をかけた上にパーカーのフードを被ったレンがぼそぼそと答えた。

「合掌造りは、日本の住宅建築様式の一つです。瓦ではなくススキなどの草本類を用いて急傾斜の萱葺かやぶき屋根が特徴で、その屋根の形が、合掌した時の手の形に見える事から名付けられたそうですよ」

 無表情に淡々と、パンフレットを読むかのように答えたレン。

 メガネとフード、ぼそぼそと喋るこの姿を見ていたら、誰もが振り返る美少年、『ストライプ』のレンだとは思うまい。

「もともと日本各地で見られたものですが、近年では減ってしまいました。ここは、現存しているだけでなく、未だ住居としている家人がいるという点が評価され、世界遺産に選ばれたようです」

「え、じゃあ、この『マンガ日本昔話』みたいな家に、ヒトが住んでるのか?! すっげー!」

「ええ、そうです」

 ふっと空を見あげ、その狭さに驚く。両側から迫ってくる山の圧力で押しつぶされそうになった。夏を主張する濃い緑と強い日差しさえ、僕を責め立てているかのように感じられる。

 隣のレンも、眼鏡の奥の目を細めて集落を見つめていた。視線の先に、山の裾野に朱色の鳥居が一つだけぽつんとあった。緑の中に不自然なほどの朱色は、里で唯一の神社だろう。

「さて、ここにいても仕方がない、宿に行く事にしよう」

 明瀬さんは、そう言うとセイトに向かってにこりと笑った。

「滞在する5日間宿泊するのも『マンガ日本昔話』の家とやらだ、お前も仲間入りできるな」

「やっべー、それ、超楽しそうじゃん!」

 セイトは大きくガッツポーズをとった。

「キャンプみてーだ! あ、今日の夜、肝試ししねえ?」

 一瞬にしてテンションアップしたセイトがその辺を駆け回る。

「セイト! そこ畑だよ! 踏み荒らしちゃ駄目! あーもう、そんなとこでバク転しないで! 観光客も多いんだから、目立っちゃダメ!」

 まるで放たれた犬のように走りまわるセイトを止めるため、僕は後を追って駆け出した。

 だから、レンがとても懐かしそうに集落を見下ろしている事に、強い風に目を細め悲しそうな表情をしている事に、気付きもしていなかった。

 気づいていたら、本当は何か変わっていたのかもしれないけれど。

 何しろ僕らはこの時、レンについて何も知らなかったんだから。

「さあ、行くぞ。あの神社で、この里の神楽を見せていただく約束をしてある」

「カグラ? カグラって何だ?」

 再びセイトが疑問をそのまま口にして、明瀬さんは呆れたようにその額をぴしゃりとはたいた。

 少しは学習しなよ、セイト。


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