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女神の森のラエティティア  作者: 東雲ゆら
1/6

1.出会い



“ティア! ティア!”



 可愛らしい声が聞こえてきて、ラエティティア――長いので縮めて「ティア」と呼んでもらっている――は、そっと作業していた手を止めた。

 ややあって、頭上からバサバサと音が聞こえ、この間設置したばかりの止まり木に瑠璃色の小鳥がふわりと掴まる。


“ティア! 大変だよ! 一大事だ!”

“……一大事?”


 愛らしい小さな友人が、忙しなく羽をばたつかせ、全身で不測の事態が起きたことを訴えてくる。

 ラエティティアは、そんな小鳥を不思議そうに見上げて首を傾げた。


“ピィルル、何が一大事なの?”

“そりゃあもう大事件さ! びっくりするぞ!”

“何が大事件なの?”

“もうとにかく大変なんだよ! ティア! 僕に着いてきて!”


 何が一大事なのか一向に教えてくれないので、いまいち危機感がラエティティアには伝わらない。

 その代わり、疑問は膨らんでいたけれど。


 きょとんとした顔のラエティティアに痺れを切らしたピィルルは、止まり木から羽ばたくと、小さな嘴でラエティティアの頭をつついた。

 手加減してくれているが、地味に痛い。そして鬱陶しい。


“わぁ!?”

“もー! 早くきてってば!”

“わ、わかったから、つつかないでちょうだい!”


 座ったままの姿勢がいけないのだと、慌てて立ち上がった。


“こっちだよ!”

“待って”


 急かすようにピィルルはラエティティアの頭上を旋回し、ぴゅうっと小窓から外へ出てしまった。

 このままぐずぐずしていたら、またつつかれてしまう。

 小窓から外へ出られないラエティティアは、慌てて部屋の扉を開けて追いかけた。


(何が、あったんだろう)


 急いで外へ出たラエティティアは、森の異変に目を丸くした。

 元気に育った森の木々に陽の光が阻まれ、森の中が薄暗いのは相変わらずだが、随分と騒がしい。

 姿は見えないけれど、動物たちが大騒ぎしているようだ。

 いろんな方向から聞こえてくる()に耳を傾けようとして、くんと髪が引っ張られる。


“早く!”

“ごめんってば”


 騒がしいのは、ピィルルも同じだ。

 これ以上つつかれたり、髪を引っ張られたりしないよう、飛んでいったピィルルを追いかけた。


 歩き慣れた道を通り越し、森の中を迷わないように置いた目印をいくつも横切って前へ進む。


“まだ、行くの?”


 息を弾ませながら、ラエティティアは先行するピィルルに問いかける。


“もう少しだよ!”


 遠くから水が流れる音がする。進む方向から川の方へ向かっていることには気づいていた。

 広い川幅のため、深い森の奥で川の周囲は唯一太陽光が降り注ぐ――木々たちの途切れ、開けた視界の先に見えたものは、ラエティティアを驚かせた。


「わ、ぁ」


 先日滝のように降りそそいだ大雨のせいで水嵩の増した川の流れは早く、あやまって落ちてしまえばひとたまりもないだろう。

 しかし、ラエティティアが驚いたのは、川の様子を見たからではない。


“フクフクが見つけたんだ。全然動かないみたい。フクフクと一緒にいたホウロが、すっごい血の匂いがするって言ってたよ”


 川辺に出ると同時に、慌てたようにラエティティアの肩に留まったピィルル。先程まで勇ましく先導してくれていた様子は微塵もない。

 ラエティティアの豊かな長い髪に隠れ、説明をしてくれる声には明らかな怯えが滲んでいた。


(でも、怖いのは私も一緒)


 ラエティティアはゴクリと喉を鳴らした。

 体を小刻みに揺らすピィルルの気持ちはよくわかる。


“ピィルル……――あれは、人間、よね?”

“たぶん。僕も初めて見たから……こんなところまで人間が来ることなんて今までなかったのに”


 ラエティティアの暮らすメウヤアルの森に、人間は近づかない。

 森の入口付近ならともかく、奥深いこの場所までとなると尚更だ。


(ピィルルの言っていた一大事って、このことだったのね)


 森中が騒がしい理由――それは、こんなに奥深くにまで人間が入り込んでいたからだ。


“どうしようティア……”


 弱々しい問いかけに、ラエティティアは困ったように眉を下げる。

 ここまで案内してくれたピィルルは、その先のことを考えていなかったようだ。

 ラエティティアは少しの間黙り込んで、思考を巡らせる。


“ねぇ、ピィルル”

“……何?”

“ホウロが血の匂いがするって言っていたのよね?”

“そうだよ。すっごい匂いだって言ってた”


 川辺に倒れている人間は、先程から全く動いている様子はない。

 隠れているこちらに気づいているのかわからないが、動かない理由は、血の匂いに関係しているはずだ。


“……見に行ってみましょう”

“ええっ!?”


 ラエティティアは気合を入れるようにふんっと鼻を鳴らすと、止めるピィルルの声を無視して歩き出した。


“ちょ、ちょちょちょっ! ティアぁ!!”


 情けない声をあげるピィルルは、翼でラエティティアの頬を叩いた。

 しかし、小さな翼で叩かれただけでは、ラエティティアの歩みは止まらない。


“ティア! だめだって! 危ないよ!”


 そう。ピィルルの言うとおり、危険かもしれない。

 人間は残酷である――森に暮らす友人たちは口々に身を震わせ、幼いラエティティアに教えてくれた。


 弱肉強食。生きていくために弱者が強者に狩られることは日常的に起こりうる。

 ラエティティアだって生きるために生き物の命を頂く。森での営みは楽しく平和なことばかりではない。

 森に住むものはみんな理解している。

 しかし、人間は違う。


“やめようよ! ティア! こ、ころ、殺されちゃうよぅ!”


 いよいよ振動が伝わってくるくらいに、ピィルルが震え始めた。


 生きるためでだけはない。自分の身を、家族を守るためだけではない。

 人間は、楽しむために他者の命を簡単に奪ってしまう。


(怖い、だけど)


 血の匂いがするということは、当人が怪我をしているか、もしくは怪我をさせた相手の血を被っているか。そのどちらかが理由として考えられた。

 もし後者だった場合を考えたら、情けなくも踵を返したくなる。

 しかし、ぐっと堪えた。


(怖いけど、ここまで来たんだもの!)


 ラエティティアは気づいていない――自身を突き動かす、恐怖心の中にほんの少し混じった好奇心に。


“ひゃわわ”


 人間が倒れている場所まで、かなり近づいた。肩のピィルルが、もう意味のわからない声ばかり発している。

 そして、ここまで近づけば……人間の格好がとんでもないことに気づいてしまう。


“ティア?”

“これは、すごいかも”


 動揺したのが伝わったのか、ピィルルが心配そうに名前を呼ぶ。


“――真っ赤だ”

 

 うつ伏せに倒れた人間は、ラエティティアとそう変わらない年頃だろう。

 生きているのが不思議なくらいの傷を負っていた。


“うわ、これは……”


 怯えていたピィルルも思わず身を乗り出してしまう程、人間の状態は悲惨なものだった。

 かなりの出血だ。これだけ近づいてもピクリとも動かない。完全に気を失っているようだ。


“この傷、生きてるのかな…………ティア?”


 人間から一切視線を逸らさないラエティティアを、恐る恐るピィルルが見上げる。

 何かを覚悟したラエティティアの表情を見て、まさかと目を瞬いた。


“ホウロを呼ぼう。私の力じゃ運べないもの”

“ティア!?”


 ピィルルは慌てて肩から飛び立った。


“まさかまさか! この人間を助けるつもり!?”

“そうよ”


 そのまさかだった。

 どうしてと騒ぐピィルルを一瞥することなく、ラエティティアは答える。


“約束だから”

“約束!?”

“そう。だから、ホウロを呼んできてピィルル”

“待ってティア!? そもそも約束って何!?”

“約束は約束なの! それより急がないと手遅れになってしまうわ!”


 ラエティティアは基本のんびりしているが、頑固な一面もある。

 それをよく、よおぉく知っているピィルルは、しばらく説得をしていたが、やがて諦め渋々願いを聞き入れた。

 飛んでいく小さな姿を見送って、ラエティティアは改めて人間へ目を向けた。


 ――……いいかいティティ。森の中で困っていたり、怪我をしているものがいたら助けてあげるんだよ。森で生きるためには助け合いが肝心だ。そこに種族は関係ないからね。


(うん。父様)


 気を失っている人間が何者なのか、何故こんな大怪我を負っているのか、どうやってこの場所まで辿り着いたのかわからない、けれど。

 亡き父との約束を思い出していたラエティティアは、ぎゅっと拳を握った。


(絶対元気にしてみせるわ!)




 ――……これが、女神の森で引き籠っていた(生きる)ラエティティアと、青年レイとの出会いである。




お読みいただきありがとうございます。

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