終章
――Lost Girl Online_system――
――クリスマスイベント開催中!――
――特別ミッションをクリアして限定武器をゲットしよう!――
シルフィン〈いやー、しかし〉
シルフィン〈皆、そろいもそろって寂しいねえ〉
シルフィン〈12月24日のクリスマスイヴですら、ネットの世界でゲーム三昧とは〉
シルフィン〈一緒に過ごす恋人、友人はいないのかね?〉
イースレイン〈その言葉、そっくりそのまま返しますよ〉
ラージヒル〈同意っす。あんただけには言われたくない〉
シルフィン〈おっ、言ったなコラ。このぼっち非リア学生共と一緒に過ごしてやろうというお姉さんの心遣いが分からんか〉
イースレイン〈相手の実際の性別なんか分からないですよ、ネットの中じゃ〉
ラージヒル〈そうそう。いかにもな姉御風吹かせてるシルフィンさんとかマジで怪しいっす。俺の中じゃ、ネカマ疑惑ナンバーワンだったり……〉
シルフィン〈私は女だー! 勝手に気持ち悪いレッテル貼るんじゃねー!〉
アヤカ〈こっちとしても、ぼっち扱いは心外ね。ちゃんと近くに人いるし〉
リッパーT〈その内2人が同じゲームやっとるけどな〉
ベル〈でも、ボクとしては、こうやって、皆と、遊んでた方が、楽しい、な〉
シルフィン〈ベルさーん! 優しい! 大好きー!〉
イポティス〈どんな過ごし方でも楽しけりゃ良いんですよ〉
イポティス〈こっちは明日、知り合いと遊びに行きますし〉
イースレイン〈お、奇遇ですね。俺も明日知り合い達と飲みにいくんですよ〉
イースレイン〈クリスマスパーティーと忘年会兼ねた感じで〉
ラージヒル〈俺もっすね。小学校からの腐れ縁達とイルミネーション観に行くっす〉
アヤカ〈私達も明日出かけるもんねー〉
リッパーT〈個人的には家でゆっくりしときたいんやけどな……外寒いし〉
シルフィン〈え? ちょっと待って? 何これ? 何これ?〉
シルフィン〈もしかして私だけ? 私だけ何の用事も予定もないって事?〉
イポティス〈真のぼっちはシルフィンだったみたいね……〉
シルフィン〈認めない! 絶対認めない!〉
シルフィン〈私だけ仲間外れだなんて、何が何でも認めんぞー!〉
イースレイン〈……仲間外れも何も、皆、LGOと関係ないリア友と遊びに行くだけですよー……〉
ラージヒル〈例外も3人いるっすけど〉
アヤカ〈いえーい〉
シルフィン〈だー! どいつもこいつも文字だけで幸せオーラ撒き散らしやがって!〉
シルフィン〈ちょっと待っとけ! 私もすぐにあんた達のあとを追うー!〉
――Lost Girl Online_system――
――シルフィンさんがログアウトしました。――
ベル〈出て、行っちゃった、ね?〉
リッパーT〈やな〉
ラージヒル〈しっかし……ブルーメさんはどこ行っちまったんすかねえ? しばらく音沙汰ないと思ったら、何も言わずにアカウントまで消しちまってて……〉
イースレイン〈まあ、結局はゲームですしね。単に飽きただけじゃないですか?〉
アヤカ〈別に互いにリアルの連絡先知ってる訳でもないしね。アカ消したら、それで終わり。来る者拒まず、去る者追わず。それが私達のチームの理念だし〉
リッパーT〈それに気が向きゃあ、また戻ってくるやろ。俺らはそん時気にせず迎え入れてやったらええ。それだけや〉
ラージヒル〈それもそうっすね。今気にしてても仕方ないっすね〉
イースレイン〈ですね〉
イポティス〈私も右に同じ〉
アヤカ〈ま、とにかくそんな感じ。……で、どうするー? 日付変わるまで、まだ時間あるけど。もう一回くらいミッション行っとく?〉
イポティス〈行きましょ行きましょ。私だけまだ限定武器ドロップしてないし〉
***
「ニュースではああ言ってたけど、実質的に『自然回帰』は壊滅したも同然だね。『わざと住民に見つかるように仕向けた』おかげで代表の死は世間に知れ渡ったけど、報道されないところで幹部が何人も死んでる。頭脳のほとんどはいなくなったから、誰かさんが撒き散らした『悪事の数々』を隠蔽する力も残っていない」
口から白い息を吐き出しつつ、麓洞梗弥は流暢な口調で告げる。
「それで……結局、あれから、どれだけ残党狩れたんだい? ここ最近はずっと出ずっぱりだったじゃないか」
「梗弥……テメエ、いけしゃあしゃあと……」梗弥の隣にいた霧崎鷹は、不機嫌そのものといった様子で、「お前が今言った通りや」と吐き捨てた。「ゼロや。一人も殺せてへん。情報が手に入った時には、もう全員死んどった。『どこかの誰かさん』が独り占めや。腹立つけど、かなり優秀な殺し屋や。おそらくは、今回の件で一番活躍しとったのがそいつやろな」
思えば、今回の事件は不可解な点がいくつもあった。
最初に『自然回帰』の拠点の一つを襲撃した際も、報酬の高い標的はほとんどが殺されていた。結局、その優秀な殺し屋とは出会う事はなかったが、競争相手として見た時、霧崎が完膚なきまでに負けた事は認めるしかない。
組織に雇われていた用心棒達に関しては、未だに情報すら出てこない。あの一件から完全に姿を晦ませており、足掛かりすら掴めていない。連中の中には優秀なハッカーもいるとの事なので、そいつが全力で足跡を残さないように努めているのだろう。
大きな組織に属し、積極的に敵対勢力を潰していた間は防御面も多少脆かったが、少人数に戻り、自分達の安全のみに気を遣う事ができるようになれば話は変わってくる。
――奴らがまた仕事を始めない限り、足取り掴むんは無理そうやな……。
――特に、あの日本刀使いとトラップ使い……。
――俺が直接引導を渡してやらな気が済まん……! 次会う事があれば必ず……!
「二人共。せっかくのクリスマスなのに、血生臭い話しないで」
ぼすっ、と野郎二人の腹をど突く音がした。
壁に背を預けていた霧崎と梗弥の間に、むすっと頬を膨らませた桔奈の姿があった。
「おっと、ごめんごめん。もうしないよ。だからそんな顔をしないでくれ。可愛いから」
桔奈の目線に合わせるように中腰になり、彼女の頭を撫でる梗弥。
霧崎は汚いものを見るように、二人に対して侮蔑的な視線を向けた。
「このバカップル共が……――ん?」ふと頬を叩いた何かに霧崎は眉をひそめ、空を見上げる。「げえ……マジか」と苦笑いを浮かべた。「まーた雨かい……」
先ほどまでは晴れていたはずの空が、知らぬ間に鉛色の雲に覆われ、そこから次々と滴が落ちてくる。一〇秒もしない内に、周囲の景色全てが雨一色に塗り潰される。
すぐに近くのコンビニの中に逃げたが、時すでに遅し。
いつもとは違い、フード付きのモッズコートを着ていた霧崎は、すぐにフードを被ったおかげでほとんど被害はなかったが、梗弥と桔奈の両名はそうもいかなかった。
梗弥についてはセットしていた髪型が完全に崩れ、中途半端に流された整髪料のせいで不自然に頭がテカっていた。桔奈についても、サラサラの髪は水に浸され頬やこめかみに張り付いてしまっている。ニット製のモコモコとしたコートも、水を吸って酷い有様だった。
そして、その様を見た梗弥が再び、「濡れた桔奈も艶めかしい! これはこれでアリだ!」と惚気ながら少女を撮影し始めたので、無言で背中を蹴り飛ばす。
店内のガラス越しに見える景色を眺めつつ、霧崎は溜息を吐いた。
結局、一生遊んで暮らせるだけの金は手に入らず、残党狩りすらままならない。
「……もうしばらくは、この馬鹿共と仕事仲間でいなきゃならん訳か。ははっ……全く嫌になるで……!」
しかし、そう言った霧崎の表情に不思議と陰鬱な色はなかった。
これからも、これまで通りの生活が変わりなく続いていく。
その事実を内心喜んでいる自分の存在に、彼が気づくのはいつの日か。
それは誰にも分からない。
***
「君は確か『遊びに行く』と言ったはずなんだけどな……? これは一体どういう事なのか説明をお願いしても良いかな……!?」
口の端をぴくつかせ、困惑を隠し切れない様子の文谷良助に対し、雑誌記者アルバイトの女子高生、戸賀望実はニヤニヤと意地悪く笑いながらこう言った。
「だから言った通りじゃないのよ。ここが私の『遊び場』。ノイギーアの編集部。ここが職場だなんて言ったら、本気で労働に取り組んでる『まともな人間』からしたら失礼極まりないわ」
雑居ビル群の一角に呼び出され、望実に連れられて入ったところは、まさにアウトサイダー達の吹き溜まりと言うに等しかった。
オフィスで堂々と煙草を吸っている者がほぼ全員。
パソコンのスピーカーからは絶え間なくアダルトビデオの嬌声が垂れ流され。
オフィスの一角では、およそ社会人とは思えないような恰好をした中年四人が麻雀に興じており、さらに別の場所では競馬の番組を見ながら、何か奇声を発している一団が。
「……確かに、職場というにはその……何だろう。確かにふさわしいとは言えなくもないような気がするけど……ええと、その……」
「はっきり言っても良いわよ。ここの連中も自覚はあるから」
「あ、そう……」
ならはっきり言ってしまおう。
「まじめに働いて精神病んだ自分が馬鹿らしく思えてくるくらいカオスだね、ここ」
「でしょ?」望実は小悪魔的に微笑み、来客用と思われるソファに腰かけた。「ねえ、文谷さん? 私と一緒に取材した数日間、どうだった?」
「どうだったって……」良助はほんの少したじろいだが、「……楽しかったよ」と一言口にした。「この世のものとは思えない連中や現象をたくさん見て……危うく命も落としかけたけど……少なくとも心を削りながら働いてきた会社勤めのころとは全然違った。知らない事を見て、そして知って……まるで何もかもが新鮮だった子供のころに戻ったみたいだったよ」
「それは何より。じゃあ、最後にもう一つ訊いて良い? まだ『死にたい』って気持ち、ある?」
「ないよ」今度は迷いなく断言した。「この世界には……いや、そんな大きなくくりじゃなくても良い。僕の目に見えてるだけの場所にも、まだまだ楽しい事は転がってるって『知れた』んだ。もっともっと、そんな事を知りたい。だから、もう少しだけ生きてみるよ」
「それが文谷さんの答え?」
「ああ。君に助けてもらったのはただの偶然かもしれない。本当は、あの役割は僕じゃなくても良かったのかもしれない。でも、その偶然のおかげで僕は少し変われた。色んなしがらみはあるかもしれないけど、僕は自分自身の人生を生きてみせる。……それが君への恩返しになるかもしれないって思ったんだ」
「でも、職がない事には自分自身の人生もクソもないと思わない?」
「う……痛いところ突くね……」
確かに望実の言う通り、どれだけ取り繕っても、現在、文谷良助は絶賛無職である。
社会への貢献度で考えれば、ここにいるアウトロー達の方が数百倍マシなレベルでだ。
「仕事はまた探すよ。アルバイトでも何でもして、ギリギリで毎日を繋いでいくよ」
「おっ、じゃあ、まだ働く気はあるって事でオーケー?」
望実は相変わらずの小悪魔的なニヤニヤ笑いで良助に詰め寄ってくる。彼女がこの仕草を見せる時は、決まって何かを企んでいる時だ。短い付き合いながらも、良助は理解していた。
「一応訊くけど……次は何を考えているのかな?」
「職業斡旋」
望実が財布から抜き取った何かを手渡してくる。長方形の紙製のカードだ。そこに記載された文字に目を通す。ノイギーアの名称と、誰かの名前、固定電話と携帯電話の番号が載っていた。
「……名刺?」
「いえす。ウチの編集長のね」
「まさか……」
「そう、そのまさか」
望実はソファから立ち上がると、両手をいっぱいに広げて微笑んだ。
「クソ野郎共の掃き溜めへようこそ、文谷さん。私達、ノイギーア編集部一同は文谷さんを歓迎するわ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 僕はあくまで君を手伝っていただけであって、ここに入るなんて一言も……!」
「まあ、諦めな兄ちゃん……。望実に気に入られた時点で逃げるなんて選択肢はねえんだからよ……」
「うわあッ!」
いつの間にか編集部にいた中年達が集まってきている。先ほどまでAV鑑賞にふけっていたオッサンが良助の肩に手を置き、憐みの視線を投げかけている。
「望実の無茶に付き合える奴なんて、たぶん兄ちゃんくれえしかいないからよ……この子の事、よろしく頼んだぜ。ま、普段はほどほどに頑張ろうや」
「いや、だから僕は……」
「ちなみに編集長、今から来るから」あっけらかんとした調子で望実が爆弾投下を宣言する。「編集長帰ってきたらすぐ面接ね。たぶん、どんな態度で臨んだとしても採用されるだろうけど。文谷さんの事話したら、凄く気に入ってたし」
「僕のプライバシーは!?」
「ここは治外法権。以上、終わり」
「適当に済まそうとしないでくれえええええええ!」
良助の魂の叫びは、あっけなくAVの嬌声に掻き消されていった。
***
気まずい顔で向き合う二人。
少し背の高い植え込みの縁に座った絹花は苦虫を噛み潰したような顔で、「……ほんの数日前の約束も守れなかった事について何か一言」と意地の悪いインタビュアーみたいに尋ねた。
「……偶然だ。本当に申し訳ないと思っている……」
顔に手を当てて項垂れる筋肉質な男。ワインレッドのジャケットの右袖は、肘関節よりも先がペラペラと風に揺れており、その中に本来あるべき腕が存在しない事を示している。
そう。
先日、絹花および四十沢と殺し合った男だ。
「いやまあ……さすがに責める気はないけどさ……私達、どんだけ神様に嫌われてんのよ……」しばらく不満そうにブツブツと呟いていた絹花だったが、「でも、良いか」と気分を無理矢理切り替えた。「訊いてみたい事もあったし」
「……? 訊いてみたい事?」
「とりあえず、こっち座りなよ。ずっと立ってたら、しんどいでしょ?」
「……なら、お言葉に甘えさせてもらおう」
絹花が促すと、男は彼女の隣に腰を下ろす。
「腕……悪い事したね」
「また直せば良いだけだ。とはいえ、向こう一週間はこのままだろうが。それより、君達は大丈夫だったか? あの四十沢という男は……」
「四十沢さんなら心配ないよ。意識もはっきりしてるし。本調子には程遠いけど、一週間あれば退院できるってさ」
「そうか。それは何よりだ」
「……ねえ」
「何だ」
唐突に声が低くなった絹花に、男は短く尋ね返す。
「あんたはどこまで知ってるの、私達の事……。『あいつ』の事も知ってるんでしょ?」
「……ああ、知っている」男は即答した。「実験体として隔離されていた君達の精神的支柱であり……そして、反乱の首謀者だ」
男の返答は簡潔なものであったが、絹花にとっては、それだけで十分だった。
この男は全てを知っている。おそらくは、絹花でさえも知りえない事だって――。
「『あいつ』は……今どうしてる?」
やはり答えはすぐに返ってきた。「死んだ。俺が殺した」
「そう、やっぱりね。どうりで私が敵わなかった訳だ。『あいつ』を殺した奴に、私程度の実験体が勝てるはずないっての」
「その過程で体の一部を失う事になったがな」男は自嘲気味に笑い、「しかし……驚かないのだな」と呟いた。
「予想はしてたから。たぶん、ロクな最後は迎えないだろうって」絹花は遠い目で曇天を見上げる。「『あいつ』は生きている限り、世界に牙を剥き続けたと思う。だから……これで良かったんだ、きっと。ありがとう、おっさん」
「ふっ……そうやって誰かに感謝してもらえるのなら、皆、死んだ甲斐もあったというものだ。葛城も……刈谷も……」
「……おっさんの友達だった人?」
「ああ」男の表情はとても穏やかだった。「俺だけが生き残ってしまった。だから、俺は生きねばならない。そして使命を果たさなければならない。同じ悲劇を繰り返さないためにも、『君達』と話をしていかねばならない」
「それで、私はおっさんのお眼鏡に適ったって訳ね」
「上から目線のようで申し訳ないがな」男はまた自嘲気味に笑った。「だが、君なら大丈夫だろう。あの青年のような末路は辿らない。それだけは……断言できる」
最後の言葉だけは、やけに確信に満ち溢れているように感じた。
しかし、絹花はあえて深入りするのをやめた。
代わりに別の質問を投げかける。「ねえ……おっさんってさ、今も一人なの?」
「どういう事だ」
「いや……『あいつ』と対峙したのが、それなりに前だったんなら、また新しい人間関係作れてるんじゃないのかなって……」
「一人さ、これからもずっとな。俺自身、いつ死んでもおかしくない。『君達』と相対し続けるとは……つまりはそういう事だ。もう無駄に誰かを悲しませる必要はない」
「それって……何か違くない?」
「何……?」男が訝しむように絹花を見る。
絹花は身を乗り出すようにして、男との距離を詰めると、そのまま真っすぐと彼を見つめる。「『いつ死んでもおかしくない』なんて……そんなの、おっさんだけに限った話じゃない! 私も、四十沢さんも皆も……! その辺を歩いている普通の人だって……! 皆、そうやって生きてる。そんな中で色んな形で繋がってる。たとえ、急に自分がいなくなる事になったとしても、友達や家族が自分の事を覚えててくれてる。だから、その存在が完全に消えてなくなったりはしない。おっさんが、死んでしまった友達の事を覚えてるように……! おっさんが、殺した『あいつ』の事を覚えていたように……! 親しい人が死んだら、そりゃあ悲しいけどさ……。きっと、それは無駄なんかじゃない。誰かが忘れずに思い出してくれるって事に……価値があるんじゃないのかな……?」
「…………」
「まだまだ薄っぺらい価値観かもしれないけど、実験施設から逃げ出して……命懸けで数年間を生き抜いて……ようやく手に入れた答えなんだ。それに従って生きてみたら、あの時より何倍も幸せになれた。『生きてる』って感じれるようになれたんだ」
乗り出していた体を引っ込め、改めて男の方を見やる。先ほどと表情は変わっていなかったが、心なしか口許が僅かに綻んだように見えた。
「……君の言う通りだな」
どうやら絹花の勘違いではなかったようだ。
男の声色は憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。
「俺は自己満足の使命に駆られて、大事なものを忘れていたのかもしれない。君が、それに気づかせてくれた。感謝する」
「ふふ、どういたしまして」絹花も微笑んだ。「……ねえ、おっさんさ、名前何ていうの? 教えてよ。その場のノリだったけど、私のは教えたでしょ? そっちも名乗らなきゃ不公平じゃん」
「名前? それを聞いて何になる?」
「良いから! 教えて!」
絹花の勢いに押されたのか、男は観念したかのように息を吐き出す。
「……久郷だ。この界隈では、この名で通っている」
「ふーん……久郷さんね……」
絹花は上機嫌で男の名を反芻する。彼女が何を考えているのか、皆目見当もついていないらしい久郷は所在なさげに頭を掻いている。
そして再び身を乗り出す絹花。今度は先ほどよりも、さらに距離が近い。久郷の方も驚いて若干上体を反らしていた。
「ねえ、久郷さん。私があんたの新しい友達第一号になってあげる!」
躊躇なく高らかに宣言する。
久郷の方は相変わらず事態を処理しきれていないようで、凄腕の殺し屋らしからぬ呆けた顔のまま表情が固定されていた。
絹花はジーンズの尻ポケットから小さなスケジュール帳を取り出すと、メモ欄に何かを書き込み、そのページを破って久郷に手渡した。
「腕直ったら、このアドレスに連絡してきて。私の『友達』、いっぱい紹介するからさ!」
「…………」久郷は少しの間メモ用紙を見つめていたが、「良いのか? 俺は、君を殺しかけた人間だぞ」と念を押すように言った。
「そんなの、関係ないんじゃない? 私も同じだったから。私が本気で力を振るってしまった人達は、今、私の大切な家族になってるよ」
「……敵わないな」久郷は苦笑すると、メモをジャケットの内ポケットにしまった。
「連絡、待ってるからね」
「ああ、大丈夫だ。もう逃げない。必ず……連絡する」久郷は植え込みの縁から立ち上がると、「それではな」と言い残して立ち去っていった。
人混みの中に消えていく久郷を見送りながら、「またね」と絹花は声をかけた。それが聞こえていたのかどうかは定かでないが、呼応するように久郷が左腕を上げた。
大柄な男性の姿が完全に見えなくなったところで、絹花の方も腰を上げた。
「さて……私もそろそろ行こうかな。遠藤さん達が来るころだし」
この世ならざる力を持った彼女は、今日も街を行く。
かつては自分を受け入れなかった世界。
しかし今やそこは、かけがえのない友人や家族で満ち溢れている。
だから――
「きっと、今日も楽しい一日になるだろうねー!」
***
「笹井さんはどんな感じだった?」
「復帰まではもう少しかかりそうだって。あなたに撃たれた両手のリハビリがあるみたいだから」
「切羽詰まってたとはいえ、やっぱ悪い事しちまったな……。俺も早めに見舞いに行っておかないとな……」
かつて能力者の少女の本音を聞いた場所。公園のドーム型コンクリート遊具の中で、東雲晴雨と鋼岬彩美は雨を凌いでいた。
鮫島や武田香織、五十嵐御守達、消耗品部隊の面々との待ち合わせの時間までは、もう少しある。数十分前まで家にいた東雲は、それまでダラダラしていようと思っていたのだが、突如として彩美から連絡が入った。メールの内容は、この公園に来てほしいとの事だった。
「それで、何の用なんだ?」東雲は話を切り出す。「笹井さんの現状報告だけじゃないだろ。言いたい事は」
「うん……」
彩美は力なく微笑みながら――
「ちゃんと、お礼……言っておきたくて……」
「やめてくれ」と東雲は申し訳なさそうに頬を掻く。「……俺は何もできなかった。無駄に首を突っ込んで迷惑をかけただけだ。俺が横槍を入れなければ、鋼岬は今ごろ、平和な日常に戻れてたんだ。だから……礼を言われる筋合いなんて……」
「あるよ」彩美はきっぱりと断じた。「東雲、あなたがいたから、全員生きて今日を迎える事ができたの。あなたがいなかったら……私は今ごろ、逃がされた事を一人で後悔して命を絶ってたと思う。だから、ありがとう。私を含めた皆の命を救ってくれて」
彩美の言う事が本音なのかどうかは分からない。東雲を慰めるために、そう言ってくれているだけかもしれない。本当は助かるチャンスを奪った東雲を恨んでいるかもしれない。
でも。
何となく、彩美の言葉に嘘偽りはないように感じられた。
それは、この場所が、かつて彼女が自らの本音を曝け出したところだからなのか、それとも何か別の理由があるのか――そこまでは分からなかったが、とにかく今は彼女を信じたいと思った。
「こちらこそ、言わせてくれ。ありがとう」東雲は静かに笑った。
別に状況が好転した訳ではない。未だ東雲達の体には発信機が仕込まれているし、これからも命懸けの戦場に幾度となく送り込まれる事だろう。たった一年後でさえ、全員が生きている保障はない。上層部に処刑されていた方が幸せだったと思うくらいの地獄が待ち受けているかもしれない。
――けど……その時その時の選択の正しさなんて……すぐには分からない。
そう。
先ほど全員で生き残った事を後悔するかもしれないと言ったが、当然、逆もしかりだ。
いつか、この選択に感謝する日が来る可能性ももちろんある。
後悔も感謝も……あらゆる感情は『今』に置いていけば良い。
きっと、しかるべき時にしかるべき感情がついてきてくれるはずだから――。
***
「うーん……やっぱり、いきなり上手くはいかないよな……」
売れない芸術家のアトリエと化したような部屋の中で、砂木真人は唸っていた。
そこかしこに散乱したキャンバスや画用紙には、小学生が描いたような出来損ないの絵画がへばりついていた。絵具のチューブもブルーシートを敷いた床に放り投げられており、独特の匂いが密室に充満している。
左手に持った筆は、ぎこちなく震えていて、傍から見ればセンスなしのド素人が粋がっているようにも見えるかもしれない。
だが、そんな事を気にする必要などない。
言いたい奴には言わせておけば良い。
そいつらが自分の人生に及ぼす影響など微々たるもの――いや、全くないのだから。
「でも、土倉に言われちまったら流石にヘコむかなー……?」
いなくなってしまった後輩の顔を思い浮かべつつも、作業の手は止めない。二年以上のブランクを可能な限り早く埋めなければいけないのだ。休んでいる暇などない。
「…………」
結局、あの晩、砂木が目覚めた時には梢の姿はなかった。代わりに自分の周りにいたのは、梗弥から聞かされていた協力者の男女が二人だけ。彼らに尋ねてみても、やはり梢の行方は分からなかった。
そのまま彼らに病院に連れていかれ、治療を受けたあと、すぐに解放された。嘉島荘に戻ってきた時には自分の目を疑った。誰の手によるものかは分からなかったが、襲撃者のチンピラ共に破壊された扉などは綺麗さっぱり修繕されていた。元々持っていた鍵も使用できた。西條勉という瘦せ型の男は、「こういう事を専門にやってる連中がおるんや」と言っていた。
先日の出来事は全くと言って良いほど報道されてはいなかったが、あれが夢などではなかった事は、朝丘や、再会した梗弥と桔奈の存在によって思い知らされている。梢を逃がしきれなかった事について、彼らは何度も砂木に謝っていた。
朝丘いわく、彼らの共通の趣味であったオンラインゲーム内で梢の事を探そうともしたようだが、すでに彼女のアカウントは削除済みで、完全に手詰まりらしい。
砂木はまとめ買いしていたペットボトルの水を口に含むと、傍らにある大量の風景写真を見やる。無論、全て朝丘大司に撮影してきてもらったものだ。砂木が絵から離れても、変わらず写真を撮り続けた朝丘の腕は、遥かに上達していた。彼の写真を見た時、何かと理由を付けて現実から逃げていた自分が恥ずかしくなった。
「俺も……すぐにそっちに行きますよ。こいつを描き起こすのにふさわしい描き手になれるように……! そんで、いつか土倉が帰ってきた時、胸を張れるように……!」
現実以上のリアリティ。
かつて目指し続けていたそれを再び自分の手に収める。
そうすれば、きっと――
「俺は……もう一度俺になれるんだ……! 土倉が好きになってくれた俺に……俺自身が大好きだった自分自身に!」
無限の可能性を秘めたキャンバスの上。そこに自らの思い浮かべる全てを投影する。一枚の写真から得た情報を、その想像力をもってどこまでも拡張し、決して現実には存在しない『現実感』を創り出す。右手が使えた過去ですら到達できなかった高みに、絶望的なハンデを背負いながらも到達する。
再開した砂木の人生は、まだまだ先がある。
そして、その先には、それを切り拓いてくれた人が必ずいるはずだから――。
――Lost Girl Online_system――
――新年特別経験値ブースト発生中!――
シルフィン〈そんな訳で、新年あけましておめでとうございまーす!〉
イースレイン〈おめでとうございます〉
ラージヒル〈おめでとう!〉
リッパーT〈おめでとさん〉
アヤカ〈おめでとー!〉
ベル〈……おめでとう〉
イポティス〈……元旦にチーム全員揃ってんのもどうかと思うけど、言わない方が良い感じ……?〉
シルフィン〈はいそこ! 余計な事言わない!〉
イポティス〈へーい……〉
リッパーT〈それにしても、このチーム結成されてから、もう二年になるんか〉
リッパーT〈時間過ぎるのは速いで、ほんま〉
イースレイン〈そういえば今のメンバーが集まったの、ちょうど一昨年の元旦でしたね〉
アヤカ〈そうそう。シルフィンが『新年に暇な奴ら募集!』とかメッセージ出してて、そこに見事に暇人が集まってできたんだよね、このチーム〉
ラージヒル〈今も定期的に集まれてるあたり、やっぱ世間から見れば暇人なんすかね、俺ら〉
シルフィン〈暇で何が悪い! 大晦日から元旦にかけて暇でいられる!〉
シルフィン〈これこそ日本人のあるべき姿! そうは思わんかね!?〉
イポティス〈まあ……一理あるような、ないような……〉
シルフィン〈そこは無理にでもあるって言えー!〉
ベル〈それで、用って、何? シルフィン。元旦に、全員、集合ってメール、あったから、こうやって、集まったんだけど〉
シルフィン〈良い事訊いてくれた! ベルさん!〉
シルフィン〈そう! 皆に集まってもらったのは他でもない!〉
シルフィン〈超! 重大発表があるからよ!〉
イースレイン〈重大発表……?〉
シルフィン〈ノーノーノー! 重大発表じゃない、超重大発表よ! そこんとこ間違えないように!〉
イースレイン〈うわ何かいつにも増してめんどくせえ、この人〉
シルフィン〈それではカモーン!〉
――Lost Girl Online_system――
――クーゴさんがチームルームに入室しました。――
クーゴ〈……そこまで煽る必要があったのか?〉
クーゴ〈たった一人入隊するだけなのだろう……?〉
シルフィン〈いーのいーの! こういうのは最初が肝心なのよ! ただでさえ二年間も一緒にいる連中なんだから。これくらいインパクトがないと!〉
クーゴ〈そういう、ものなのか〉
アヤカ〈いやいやいや、真に受けないで〉
アヤカ〈このリーダーがちょっと頭イカレてるだけだから〉
ベル〈もしかして、重大発表って……〉
シルフィン〈超! 重大発表ね! という訳で、今日から新入隊のクーゴさんでーす!〉
シルフィン〈ちなみに私のリア友! 皆良くしてあげてねー!〉
クーゴ〈紹介に預かったクーゴだ。このようなゲームをやるのは初めてなため、迷惑をかけてしまう事もあるかもしれないが、よろしく頼む〉
イースレイン〈こちらこそ、よろしくお願いします〉
ラージヒル〈しっかし……ずいぶんと常識人な方が出てきたっすね……〉
ラージヒル〈本当にシルフィンさんの知り合いなんすか? こんな常識的な方がシルフィンさんなんかと付き合いがあるとは到底思えないんすけど〉
シルフィン〈そこ、うっさい!〉
シルフィン〈ていうか何で私変人扱いされてんの!?〉
シルフィン〈不公平だ不公平ー!〉
リッパーT〈諦めえ。日頃の行いのせいや〉
イポティス〈実際、変人で間違いないし〉
シルフィン〈ちょっとー!〉
――Lost Girl Online_system――
――アストさんが入隊を申請しました。――
シルフィン〈およ?〉
クーゴ〈どうした?〉
シルフィン〈まさかの入隊希望来た〉
アヤカ〈うそ! 本当に!?〉
イースレイン〈どうするんですか?〉
シルフィン〈もちろん決まってるでしょ!〉
シルフィン〈来る者拒まず、去る者追わず。それがウチらのモットーよ!〉
――Lost Girl Online_system――
――アストさんがチームルームに入室しました。――
アスト〈申請承諾ありがとうございます! アストと言います!〉
アスト〈よろしくお願いします!〉
シルフィン〈いらっしゃーい。こっちこそ申請ありがとうねー!〉
リッパーT〈しかし、こう言っちゃ何やが物好きやな〉
リッパーT〈シルフィン、お前二年前から募集メッセージ変更してないやろ〉
リッパーT〈それでよう来たな〉
アスト〈そんな事ないですよ! メッセージだけで楽しそうな感じがしましたし!〉
アスト〈……それに、本当に暇でしたし……〉
シルフィン〈暇で上等! それだけで募集要件100パーセント満たせてるわ!〉
イースレイン〈それにしても、一気に賑やかになりましたね〉
イースレイン〈ブルーメさんいなくなって、結構寂しくなってましたからね……〉
シルフィン〈新たな仲間を迎えて、新生シルフィン小隊結成ね!〉
シルフィン〈交流も兼ねて、さっそくミッション行きましょ!〉
アヤカ〈賛成ー〉
ベル〈そうだね、行こっか〉
クーゴ〈レベルを見るに、初心者は自分だけのようだな〉
クーゴ〈足を引っ張らぬよう善処する〉
イポティス〈いーっていーって、気にしなくて〉
イポティス〈ガチ勢共と違って、私らは楽しむのが目的だから〉
ラージヒル〈そうそう、気楽に行ったら良いっすよ〉
イースレイン〈それじゃあ行きましょうか〉
イースレイン〈シルフィンさん、部屋建てお願いします〉
シルフィン〈りょーかい! 任せといて!〉
シルフィン〈じゃあ、れっつごー!〉
***
「……言われた通り偶然装ってみたけど、これで本当に良かったの? 別にゲームの中でくらい、前の自分でいても良かったんじゃない?」新品のモニターから目を離す事なく、絹花は傍らでノートPCに向かっている少女へ尋ねた。
「はい、良いんです、これで」
少女は満足した様子で言った。
「このまま隠し通す事になったとしても、いつか正体を明かす事になったとしても……今はこれで良いんです……!」
「そ。なら、これ以上は何も言わんよ」絹花はあっけらかんとした調子で、その話題を切り上げる。「よし、遊ぶか」
「はい! よろしくお願いしますね、シルフィンさん!」
「だーかーらー! 現実では絹花って言ってんでしょ! 梢!」