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「明日洗って返す」
「いいけど、明日学校来るの?」
紅茶もワッフルも食べ終え部員たちがそれぞれに話しながらそろそろ帰る時間だと感じ始めた頃に真っ先に帰ろうとした紅音が借りていたジャージについて陽菜乃に約束するがなかなか信じて貰えずに頬をふくらませた。
「当たり前でしょ。アナタのジャージなんて家にあっても仕方ないんだから」
「はいはい、じゃあ明日ね」
陽菜乃が軽く手を振り見送るので紅音は何も言わずに背を向けて1人で部室から出ていった。
智瑛莉もそれを見ると残っていた先輩達に頭を下げ挨拶をすると急いで紅音を追いかけていった。
「なんだか今日の紅音さんはいつもに増して智瑛莉ちゃんに当たり強かったですね」
「そう?いつもあんなじゃない?」
「智瑛莉ちゃんも、今日はなんだか引かなかったものね」
帰り支度をしながら蒼が部活中の様子を口にすると翠璃がそれに応えさらに橙子が加える。
鞄を手にする2年生にティーセットを片していた3年生は小さく微笑んでいた。
「まぁ、難しい子なのよ」
「ふふ、大丈夫ですよ。皆さんが心配することじゃありませんことよ」
銀トレーにティーセットを載せた真美子が蒼に微笑みかけて給湯室の方に入っていった。
そこまで言うならと蒼もそれ以上は何も言わずに翠璃と橙子と一緒に先輩にスカートを持ち上げ丁寧に挨拶をすると3人で部室から出ていった。
日が沈むのが遅れだしたこの時期ではまだ廊下が明かりなしでも見渡せるほどに明るく思え、さらに窓の外に見える夕暮れも綺麗に混じりあった赤く染まった空に紫色の雲が薄くかかっていた。
「夕焼けが綺麗ね」
「あれが?普通でしょ」
「まぁ、翠璃ったらそんなことも分からないなんて、なんて美的センスをお持ちなのかしら」
「はぁ?どっかのブスと違って私の審美眼は確かよ。綺麗なものは綺麗と思うし、そうじゃないならそうじゃないの」
蒼を挟んで横に並んで歩く橙子がふと窓の外に目をやって髪の毛を軽くかきあげながらそう言うも翠璃に小馬鹿にされるように返された。
挟まれた蒼も外に目をやるとどっちにも加勢せずに微笑んで眺めた。
「…あ、蒼今日歩いて帰るけど2人は?」
中央階段を降りていく頃に蒼が両隣の女の子に問いかける。
翠璃は蒼の下校方法に驚き思わず声を漏らしてダメよと首を横に振った。
「ダメよ、夏といえどこんな時間に歩いて帰るなんて危ないわ」
「それなら私も歩いて帰るー」
蒼と家の方向が同じな橙子は安心しろと言わんばかりにニコッと蒼に微笑んで手を繋ぐ。
蒼はやったーと微笑み繋がれた手を嬉しそうに握るが、1人だけ家の方向が違う翠璃はどうすることも出来ずにその手を見つめた。
「翠璃ちゃんは?お迎え?」
「ええ。私は今日ディナーの約束があるの」
「まぁ、早乙女のご令嬢はお忙しいのね」
翠璃が蒼の問いかけに応えると嫌味にも純粋な感嘆にも取れるような答えを橙子が返してきたが、前者の方に感じ取った翠璃は思わず橙子をキッと睨んだ。
「私くらいになると毎晩大変なのよ。まぁ、ただの銀行頭取の娘には分からないでしょうけど」
「はぁ?私はね自分磨きに毎晩精を出してるの!!」
「まぁ、そんな努力しても誰にも見られないなら虚しいものね」
「なんですってー!!」
高らかに自分を貶す翠璃に橙子も睨みつけまたいつものような危ない雰囲気になるのを察知した蒼がまあまあと2人をなだめた。
「そっかぁ、だから橙子ちゃんは最近可愛いのかぁ」
踊り場で立ち止まった蒼が手を繋いでいる橙子の顔を見上げて納得したように微笑んだ。
そんなこと言われるとも思ってもいなかった橙子は驚くも照れたように髪の毛先を弄って小さく微笑んで嬉しさあり余って蒼に抱きついた。
「えー?やっぱり?ありがとう蒼ぃ」
「あはは、うんうん」
「ほら見なさいよ、日々の努力が認められる日だってあるの」
蒼と腕を組んだ橙子が自分を貶してきた翠璃に自慢げに言うので翠璃はその様子に苛立ち橙子の頬をつねって無理やり黙らせる。
痛いと手を振り払おうとする橙子に翠璃は冷ややかに笑ってまた続ける。
「馬鹿ね、本当に。リップサービスって言葉を知らなくて?」
「はぁ?ぃててて、あのねぇ蒼に褒められないからって僻むのやめて下さる?」
「はぁ?僻み?バカ言ってんじゃないのよ、このブス!!」
手を繋いでいるせいで片手でしか対応できない橙子のつねった頬を離しては何かを言いかけるも直ぐにやめてキッと睨みつけると階段を駆け下りてべーっと舌を出し、じゃあねと強めに言い残しては1人で先に帰っていった。
残された橙子は頬を痛がりながらなんなのよアイツと翠璃の消えた玄関の方を睨みつけて、蒼も玄関の方に目をやり苦笑いを浮かべて呆れたようなため息を漏らして橙子を心配した。
「大丈夫?」
「ったく、何なのよあの女…本当に傲慢よね、すぐに手も出すし…」
「まぁまぁ…そう言わずに…」
頬に手をあてながらも蒼の手を離すことはなくそのまま階段を降りていく。
蒼に諭されるとこれ以上は何言っても仕方ないと蒼に笑顔を向けて玄関に向かった。
生徒用の玄関には生徒はまばらだったが運動部の生徒たちが素敵に汗を拭いながら部員同士で笑い合いながら帰り支度をしていた子達とすれ違い、その度に挨拶を交わして校舎を出た。
「ねぇ、そう言えばさ」
「ん?なあに?」
思い出したように隣の背の低い蒼に目を向けるてにぃっと意味ありげに笑う。
蒼は橙子の笑みにも優しく幼い子供のように微笑んでは首を小さくかしげて続きを待っていた。
「蒼の彼の話っ!!そろそろ聞かせなさいよー」
先程のつねられていたこともなかったようにキラキラと目を輝かせて橙子が笑みを浮かべるので蒼は少し困ったように眉を下げて苦笑いを返した。
それでも橙子は蒼への熱い視線を送ることをやめずに話を待つので蒼は折れて小さく笑った。
「もう、橙子ちゃんたら…そんなに見つめちゃやーよ」
「あ、ご、ごめんなさいね」
「ははは、冗談だよー。でも、ちょっとだけだよ?」
手を繋いだままの蒼は照れたように微笑み、風に揺られた自分の髪の毛を反対の手で耳にかけて橙子を見上げる。
その一瞬の可愛らしい仕草に橙子は不意にドキッとしてうん、と相槌を返しながら慌てて目を逸らした。
「彼はね、蒼が小さい頃習ってたバレエ教室が同じだったの」
「まあ、そうなの?」
「うん。彼のママが有名なプリマでそこの先生もしてたの」
「へー、素敵ね」
「うん。それでね…色々あって…最近ばったり再会したの!!」
「ええっ!!何その小説みたいな話!!」
初めは恥ずかしそうにしていた蒼も橙子の素直な反応に流されて楽しそうな口調に変わっていった。
「ふふ、でしょ?蒼もすっごく嬉しくてね…ふふ」
「もー、何よ、嬉しそうにしちゃってぇ」
「へへへ。だって嬉しいもーん」
嬉しそうに笑う蒼の頬をからかうようにつつくも蒼は未だにニコニコと笑っている。
「それで?彼ってどんな方なの?」
幸せそうな蒼の表情をまじかで見ていた橙子もつられて微笑み会話を続ける。
「んっとねー…かっこよくて、優しくて、少し照れ屋さんでちゃんと蒼のこと可愛がってくれてー」
「ふふっ、蒼ったら幸せすぎー」
嬉嬉として話す蒼に橙子は少し羨ましそうにも純粋に友人の喜びを同調して喜んでいるようにも見える笑みを浮かべて話を聞いていた。
学校の敷地を出て10分ほど歩いて二人は信号待ちで立ち止まる。
「でもね…」
それまでは嬉嬉として話していた蒼だが、横断歩道の前で立ち止まっている間真っ赤に光る歩行者の信号機のライトを見ながら続きを話す声は少し落ち着いていて橙子は思わず黙って耳を傾けた。
「でもね…ちょっと頑張り屋さんで一人で抱え込んじゃうところがあって…だけどひとりぼっちはものすごく嫌いなの。だからね…蒼が隣で支えてなきゃって思って…」
橙子にと言うよりも自分に言い聞かせるかのようにそう言った蒼は目を伏せて、改めて恥ずかしそうに笑った。
「蒼…」
そんな蒼が隣で急に大人びたように見えた橙子が声をかけようとすると信号が変わり、また先程のような幼い笑顔に戻った蒼に手を引かれて横断歩道を渡った。
「はい。蒼のお話はもう終わり!!」
渡りきった横断歩道で蒼は話を切り上げるように手を叩いてニコッと笑った。
橙子はその笑顔に黙らされたようで頷いた。
「じゃあ次は橙子ちゃんの番!!」
「え?わ、私!?」
「そーう。だって、最近ますます可愛いんだから…素敵な人でも?」
まさか自分の話をさせられそうになってるとは思ってもなかったので、それでも聞いてくる無邪気な蒼の笑顔にうろたえる。
やり返されてるように思えた橙子は目線を逸らして誤魔化した。
「そ、そんな方居ないわよー」
「うっそだぁ。でも気になる方くらいいるんじゃないのー?」
「もう。そんなことないわよ…」
と口では言いつつも橙子の頭の片隅には思い当たる人物がいて語尾に行くにつれ小声になっていったのを蒼は見逃さずに未だに笑顔で問い詰めてくる。
その笑顔に見つめられては逃れられないと思った橙子は観念したように頷く。
「ふふっ、やっぱりぃ…橙子ちゃんたら嘘が下手なんだもん」
「もう。蒼には敵わないわ」
「それで?どんな方?」
「どんな…んー…」
橙子は斜め上の空を見上げて彼のことを思い出して、どう伝えようかと考えた。
「本が好きな方でね、確か…今は大学院生で文学の研究をされてる方なの」
「へー、本好きな橙子ちゃんと気が合うね」
「ええ。話しててとっても楽しいわよ。色んなこと教えてくれるし」
「で、その人カッコイイ?」
「え?え、えーと…そ、そう…ね。うん…」
容姿について聞かれるとあの日の1件を思い出して徐々に頬を染める橙子は恥ずかしそうに頷いた。
そっかぁと満足気に笑う蒼は真っ赤になった橙子の頬をにつついてからかった。
「まぁ、橙子ちゃんたら真っ赤」
「もう、からかわないで」
「ふふっ、ごめんごめん」
指を離した蒼は微笑んで謝罪の言葉を口にした。
「お互い頑張ろうね」
「…うん」
手を繋いだままの帰り道で2人はまた小さく笑いあった。
夏真っ只中の夕焼けの柔らかさが心地よかった気もした。




