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「ねぇ、ちょっといいかしら?」
「はい…?何でしょうか?」
いつも通りの放課後、早めに部室に着いて今日は自分の持ってきた抹茶のロールケーキの入った紙製の箱をワゴンの上に置いた橙子に紅音が後ろから声をかけた。
普段なら、ホームルームが終わって部活が始まるまでの時間にクラスメイト達と談笑してから行くのだが今日は気分が乗らずに早めに部室に来たため、静かな部室には橙子とそれよりも先に来ていた紅音の2人だけだった。
自分から話しかける印象のなかった紅音から声をかけられ少々驚くも小さく首を傾げて振り向き応える。
振り返るといつものように心配になるくらい短くなっているスカートの学校指定の制服と赤いリボンの編み上げのチャンキーヒール、小さな膝下までの白のソックスでいつもの太ももまで隠すほどのオーバーニーソックスと違って脚の露出が多くなっていた紅音が腕を組んでこちらを見ていた。
ハッキリとした目が更に気の強そうな赤色のシャドウで飾られた瞳で見つめられるとその圧から何か悪いことでもしてしまっただろうかと橙子は少し焦った。
「あの、…何か?」
「アナタちょっとあそこに座って」
そう紅音が指さしたのは翠璃と蒼が紅茶の時に座ってる3人がけのカウチソファだった。
その頼み事の理由がさっぱり分からない橙子だったが紅音の真っ直ぐな視線と全くズレずにソファを指す指の迷いのなさに自然と橙子は従っていた。
「えっと…紅音さん?立っててはできない話でしょうか?」
不安げに翠璃のよく座るソファの左端に腰掛けて紅音を見つめた。
橙子が座るのを確認すると紅音も同じソファに1人分の隙間を空けて腰掛けたと思えば、その上体をパタッと橙子の太ももに倒した。
すると姿勢よく座っていた橙子の太ももを枕にするように紅音の頭が置かれる。
驚きのあまり思わず声を漏らし、かかとを上げて足を動かすと嫌そうに頭で太ももを叩かれた。
「あ、紅音さん!?な、何を」
「見て分からないかしら?私、今から寝るから黙っといて」
驚き焦る橙子とは対照的に紅音は落ち着き払ってそう言い捨てるとゆっくりと目を閉じて入眠準備に入った。
こんなところ他の人に見られたら、特に智瑛莉に見られてしまったらと考えると起こそうと肩に手を置いてゆすろうとするが上から紅音の顔を見るとそんなことも出来なくなり観念して太ももを差し出した。
まぁ、仕方ないかと納得すると自分も背もたれと肘掛にもたれて同じように眠ろうかなと目を閉じてるが生きた心地さえしないほど何も音がしなくなった部室は気持ち悪く眠りにつくのは橙子にとって難しかった。
「…寝心地どうですか?」
「…アナタ、枕になれる才能あるかもしれないわね」
「もー、なんですかそれー」
「でも、眠る人間に話しかけるのは枕としてはどうかしらね」
「私は枕じゃないからいいんですー!!」
目をつぶったまま無表情で単調に話す紅音に橙子は頬をふくらませて不服そうな表情を浮かべてはその紅音の表情に目を落としてじっと見つめた。
そんなことに気づきもしない紅音は規則的な呼吸を繰り返し、段々と幼い子供のような寝息に変わっていった。
人の太ももを枕替わりにして無防備にくかくかと寝ている紅音をしばらく見つめると、優しく その頭を軽く撫でる。
真っ黒だった元の髪に深く暗い茶色を上塗りしたような毛先まで整っているサラサラな髪の毛は触り心地が良くて思わず指先に毛の束を取り触り心地を堪能する。
クシャッとしたり結び目を作っても直ぐに元の綺麗なものに戻る紅音の髪の毛をしばらくいじった後に、比べるように自分の髪の毛を触ってみるが緩く巻いた毛先が絡まってしまいやめておく。
「…可愛いなぁ…」
髪の毛をいじっても起きる気配のない紅音に、聞こえてないだろうと思い素直な気持ちを口にして指の外側で無防備に晒されている左頬を撫でた。
んんっ、と子猫のようにその指をいやがるように顔を動かして無意識か意図的か自分の左手を口元に置いてまた引き続き寝ている紅音に橙子は苦笑いを浮かべてはもう何もしまいとソファにもたれ掛かり目を閉じた。
閉じられた視界での真っ黒な世界では恐ろしいほど早くかつ、確実に睡魔が歩み寄ってきているのが先程寝ることをも諦めていた橙子でさえも色んなことが頭の中を駆け巡って睡魔に吸い込まれていく。
そう言えばココ最近は満足いく睡眠が取れていないような気がしてきて、不安になるほどの静けさよりも段々と意識の行が遠のいて行った。
気温の高くない今日といえど日中は締め切られている部室は今バルコニーの窓だけしか開いておらず換気という換気も出来てない室内は少々蒸し暑く感じてうっすらと額から汗ばむ。
「ごきげんよう」
こくんこくんと頭が上下に動いていた橙子と完全に眠っている紅音の背後にある重々しいドアが音を立てて開くと紙袋を持った真美子が1人で入ってきた。
反射的に挨拶をするも返事がなかったことを不審に思った真美子が部室内を見渡すとソファーにもたれてる橙子の頭だけが背もたれから見えた。
学生鞄を置いて先に紙製の箱が置かれているワゴンに持っていた紙袋を置き箱の中身を確認するとティーセットやお湯を真美子だけで準備し始める。
静かだった部室にやっと陶器のティーセットが当たるカチャカチャと音を立てて静寂が殺されていくようだった。
「…まぁ、…ふふっ、仲がいいんですのね…」
銀色のトレーにティーセットを準備し終えた真美子が自分の席に戻るとやっと二人が返事しなかった理由がわかり、その平和さに自然と笑みが零れた。
「ん、うう…っ」
待っている間大人しく本でも読んで待っていようと持ってきた文庫本を真美子が開いた時、頭に付いていたオレンジ色のリボンが揺れるのが見えた。
小さな呻き声とともに橙子が指で目をこすってゆっくりとまぶたを上げて数分ぶりの光に眼球を晒して、無意識に首を振って辺りを見回すと先程は存在していなかったはずの人間の存在に少々驚いた。
「うわっ、わ、ま、真美子さん…!?」
「ふふ、おはようございます」
真美子の姿を確認すると驚きすぐに眠そうな目をかっと見開き寝顔を見られた事と紅音に膝枕をしているこの状況が気恥ずかしくなり頬を染めて目を伏せる。
「しー…紅音さん起きてしまいますから」
「あ、うぅ…」
「ふふっ、微笑ましくていいじゃないですか」
「…」
真美子は橙子を安心させるように優しく微笑むとさらに続けた。
「橙子さん、昨日はお菓子ご用意してくださってありがとうございました。とても喜んでいただけて…これも、橙子さんのおかげですわ」
「まぁ、それは良かったです。私もあの羊羹と最中大好きなので気に入って頂けて良かったですわ」
やっと落ち着いてきた橙子はヘラっとそう笑って頭を下げるので真美子も釣られて頭を下げる。
ほほ笑みを浮かべる橙子だったが下ろしていた髪の毛を暑そうに両手でまとめると隠されていた首筋を晒すように左側に流した。
「…橙子さんって意外と髪の毛長いんですのね」
その様子を見ていた真美子は毛先が胸の下まで届いた橙子のゆるく巻かれている髪の毛を見つめてそう言うと、肩にかかる程度の長さの自分の髪の毛をさわった。
そうですかね?と自分の髪の毛の長さを確認する橙子の背後にソファから立ち上がった真美子はその髪を撫でた。
「いいですねロングヘアって」
「真美子さんは伸ばされないんですか?」
「んー…似合いますかね?」
「似合いますよー!!私、見てみたいですもん」
「ふふっ、橙子さんがそうおっしゃるのなら伸ばしてみましょうか」
「わぁ、ぜひ」
橙子の髪の毛を撫でながらそう言う真美子に顔を振り向かせないままで橙子が微笑みながら答える。
「ねぇ、橙子さん。髪の毛いじってもよろしいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ」
「ありがとうございます」
了承を得ると嬉しそうに片方に流された橙子の量のある髪の毛を背中の方に持ってきてふぁっと広げる。
カールして体積の増えた髪の毛はふわふわしていて手ぐしを通してもすぐに元通りにくるんっと戻る。
「橙子さんこそ、髪の毛切りませんの?」
いきなりそう問いかけられると何も準備していなかった橙子は驚きながらも理由を考えるように視界の右上を見つめた。
切らない理由、伸びしてる理由、それらしい理由が1つ見つかり目を伏せてため息混じりに答えた。
「えぇ、私…短いの似合いませんのよ…」
「まぁ、そうなんですか?…でも、今の長さお似合いですものね」
「えー、ありがとうございます」
そうしているといつの間にか髪の毛はひとつにまとめられ頭の上の方に寄せられる。
慣れない手つきだったが真美子の真剣にポニーテールを結ぼうとしている姿に何も言えなくなる橙子だったが、真美子に声をかけられ首を動かして反応する。
「私は髪の毛を結んだりするのは下手っぴなんです」
「はぁ…」
「ふふ、ですが…中学校の時の話なんですけどね、よく紫之宮さんがこんな風に紅音さんの髪の毛をいじってらしたのよ」
「へぇ、そうだったんですね」
「えぇ。紫之宮さんってね、ああ見えて意外と手先が器用なんですのよ。それに、紅音さんの髪の毛って綺麗ですからやりがいがあるんでしょうね」
真美子はふふふとお淑やかな笑い声を漏らしながら昔話をすると橙子がいつも付けているオレンジ色のリボンでポニーテールをキツく結んで完成させた。
ギュッと締められると思わずそれに引っ張られて後頭部が動くがポニーテールが結ばれたことで首筋がすっきりしてちょっぴり涼しく感じた。
「わぁ…真美子さんお上手ですわ」
「いえいえ、そんなことありませんよ。紫之宮さんならもっと早く丁寧に出来ますもの」
「ふふ、でもありがとうございます。お礼にハグでもどうですか?」
久々にポニーテールになった橙子が嬉しそうに微笑んで真美子にお礼を言って顔だけ振り返ってはハグをと言うように両手を広げる。
しかし真美子は微笑んで今は先客がいますからと断った。
「ごきげんよーぅ」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう…」
すると部室のドアが開き陽菜乃と翠璃と蒼が入ってきて騒がしさが増した。
「ごきげんよう、皆さん」
「うん。あれ、誰?」
真美子が入ってきた3人に会釈して挨拶を返すとその陽菜乃がソファーに座るポニーテールの少女が誰であるのか真美子に問いかけた。
真美子は少し驚きながらも陽菜乃から橙子に視線を移して橙子だとつたえる。
陽菜乃だけでなく荷物を置いた蒼と翠璃も普段と雰囲気の違う橙子の後ろ姿を見つめた。
「えー、陽菜乃さんったら、私の事お忘れになりましたの?」
「うわっ、橙子かよ。誰かと思った」
「もー、なんですかそれ!!」
「橙子ちゃんのポニーテールなんて久しぶりに見たかもぉ。すっごく可愛いよ」
陽菜乃に気づいて貰えずむぅっと頬をふくらませていたが、背後から蒼にそう言われて抱きつかれるとすぐに嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「見ないと思ったら…紅音もう来てたのね」
騒いでいると陽菜乃が橙子の膝で眠っている少女に気づいて肩を揺さぶりすぐに起こそうとする。
「ほら、紅音ー起きろー」
それまで赤子のように平和に眠っていた紅音の肩がガサツにガクガクとゆらされれば紅音も何事かと寝ぼけた頭のままバッと目を覚ました。
ぼんやりとした黒目がちな大きな瞳が陽菜乃やその周りの部員達を確認するとはぁっと大きめのため息を漏らした。
「ほんと、…ガサツな女ね。人が気持ちよく眠ってるって言うのに」
「橙子困ってんだろー、ほら早くどいてあげな」
「はぁ…」
紅音は陽菜乃に嫌味の1つでも返そうかと口を開くが、それも面倒くさくなったのか何も言わずにそこから退いてテーブルを挟んだ向こうの自分の席に大人しく座った。
橙子もそれにならうように自分の席にキチンの座ると今来ている部員も自分の席に座るので真美子と陽菜乃は紅茶の準備を始めた。
沸かしていたお湯はもくもくと暖かそうな白い息を吐いていて今日の紅茶も美味しくなるなと真美子はふと思った。




