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午後の紅茶にくちづけを  作者: ちょこみんと
ディンブラ・ティー
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陽も随分傾いて一日中遊びまわっわた人々や休日出勤を終えた人々はそれぞれの帰路につき、夕食を食べに寄り道する人や疲労や待っている家族のために真っ直ぐ家に向かう人さまざまな種類の人間がいて一日中遊んでいた友人と別れた数分前の蒼もその中の一人だったが、今の蒼はそれのどれにも当てはまらなくなった。


「…た、か…くん…」


歩いて一人帰っている途中、小腹がすいた蒼は焼きたての香ばしくいい匂いにつられて少し大通りを外れひっそりと建っている小さなパン屋さんに吸い込まれるように入った。

店内は外見よりも広くイートインスペースが4人分窓ぎわにあり、十数種類ほどしかないパンは自分で選んでお会計をする方式のパン屋さんで蒼は取り分ける様のお盆とトングを取ると何にしようかなーと見回す。

あまりに美味しそうに見えるパンと匂いに空腹感が更にまして気づけば頬が緩んでいた。

その中からたまごサンドとチョコドーナツを選んで直ぐにお会計を済ませるとイートインスペースで食べて帰ろうと誰も使っていない席に座って窓の向こうの景色でも見ながらたまごサンドから食べ始めた。

やはり大通りから外れていてこの時間帯だと目の前の通路を通る人はおらず蒼がたまごサンドを食べ終わるまで人は見かけなかった。

暗くなる前に帰ろうと白の包み紙に入ったチョコドーナツを手にすると、それまで誰もいなかった目の前のとおりに人の影が見えて反射的に目を向けた。

灰色の大きめな半袖シャツとジーンズのラフな格好をして手にはコンビニの復路を持っていた若い男だった。

そんなどこにでも居そうな風貌の男だったが、顔を見ると数年前に突然消えた想い人の#大西貴久__おおにしたかひさ__#の面影のあがあり、無意識にその名前を口にすると気づけば手にしていたチョコドーナツをそのままに呼び止められる声も無視して店の外に出てその男の手を掴んで引き止めた。


「…貴くん!!」

「うわっ!?」


人通りの少ないこの道で引き止められたことへの驚きが隠しきれずに辺りに響くほどの大声で驚くその男は怯えながらも引き止めた蒼を振り向く。

いきなりのことで呆気に取られるその男は数秒間目の前で自分を引き止める蒼の顔を見つめた。


「…ねぇ、貴くんでしょ?蒼…蒼だよ?」

「あ、蒼…?」


思っていたような反応が帰ってこなかった蒼が少し雰囲気の変わった想い人に名を名乗ると、男はやっと蒼が誰なのか分かったようだったが触れられたくない傷に触れたようでその顔は血の気が引いて白くなったように思えた。


「あ、おい…?」

「うん、蒼…姫宮蒼だよ?」

「蒼…」


なんだか蒼の存在を信じたくないように思える男の表情に蒼は掴んでいた男の手をゆっくりと離して、今日着ていたトップスの襟元を広げていつも肌身離さずにつけているネックレスを見せるために首筋を見せつける。


「ほら、これ覚えてる?…貴くんが蒼の誕生日にくれたやつだよ?」


そのネックレスを見ると男は目を逸らして答える。


「そんなの…まだつけてたのか」

「うん…。あの日からずっと…肌身離さずにつけてるよ…」


蒼はそう言いながら服を正すと想い人である貴久との数年ぶりの再開に感極まって思わず数時間ぶりに目を潤ませる。

貴久が泣き出しそうになる蒼を目の前にして誰にも見られてないか不安げに辺りを見回すと蒼はその灰色のシャツに抱きついた。

久々に会った昔の知人に抱きつかれた貴久はどうしていいのか分からず戸惑いながら背中を摩ってやろうと手を回すが、その手は寸前で止まり蒼の背中に触れることは出来ず申し訳なく握りしめて手を引っ込めた。

しかしそんなことも知らない蒼は存在を確認するように貴久の細く締まった体にすがりつき何度も名前を呼びながら胸元で頬を濡らす。

困ったように眉を下げる貴久は蒼の肩を押して自分から引き離す。

肩を押された蒼は抵抗することなく離れるが不安げに潤んだ瞳で貴久の顔を見上げる。


「ごめん…蒼」


貴久は蒼のぬくもりの残る自分のシャツを強く握りしめて謝罪の言葉を口にする。

蒼はいきなりどうして謝るのかわからずさらに不安がった。


「…なんで謝るの?」

「…いや、ごめん蒼…俺…」


シャツを握りしめたままの貴久は唇を震わせて何かを言いかけてやめてを何回か繰り返して結局口を結ぶ。

その表情は蒼の記憶にある爽やかな笑顔をうかべる大西貴久からは考えられないほど苦しそうで蒼は心を締め付けられた。


「…貴く─」

「あのー、もう閉店近いので荷物どうにかしてくださーい」


蒼が貴久に声をかけようとするとパン屋の店員が荷物とドーナツを置いたままにしていた蒼にドアを開けて声をかけ2人だけの空間は壊された。

思わず2人して店員の方に目をやり蒼はごめんなさい、と謝罪をして店内に戻ろうとするがその前に貴久に目をやると貴久は早くその場から逃げたすかのように背を向けるので思わず引き止めた。

ここで彼を引き止めなければもう一生会えないと本能的に思ったのだ。


「お願い…、行かないで…っ」


少し赤くなった目で逃げようとする貴久に訴える蒼は引き止めた手をゆっくりと離すと一旦店内に戻ってショルダーバッグとドーナツを包み紙に包み直して店員にお騒がせして申し訳ありませんと頭を下げた。

店員もそこまでされると何も言わずにありがとうございましたと、形式的な営業の挨拶を蒼に返した。

また蒼が荷物を持って外に出ると先程逃げ出そうとしていた貴久は呪いでもかけられたのかと言うほどその場から微動だにしていなかった。


「ねぇ、貴くん…」


蒼は微動だにしない貴久の目の前で目を伏せて声をかける。

しかし貴久からはなに?とも返事はなかった。


「…今からちょっと話したいの…2人っきりで…」


蒼は伏せていた目を覚悟を決めたようにパッとあげて貴久を真っ直ぐに見つめそう提案する。

貴久は思わずえっと声を漏らすが真剣な蒼の目に戸惑い逃れるように目を泳がす。

拒否も賛成もしない貴久のシャツの裾をギュッと握りしめて、ほんの少しの時間でいいから…、と付け加えた。






「おじゃましまーす…」


貴久に連れてこられたのは築数十年ほどで外壁の黄ばみが目立つ三階建てのアパートだった。

その二階の一室に案内されると蒼は履いていた白いミュールを玄関先で脱いで手で揃えた。

汚い部屋だけど、と言いながら貴久は手にしていたコンビニの袋をテーブルに置いて、床に落ちているものを部屋の隅の方に足で蹴飛ばして人を通す空間を作る。

安物のベッドと1人用のテーブル、両手で数えられるほどしか洋服のかかっていないハンガーラック、悲しいほどに殺風景な空間を目の当たりにした蒼ははるか昔に自分と同じように裕福な暮らしをしていた貴久が今どのように生きているのかが痛いほどにわかった。


「お茶とか…出せなくてごめんな」

「う、ううん。いいの。…蒼こそ、いきなりワガママ言って…」


目を伏せたままの貴久に蒼は首を振って弁解する。

貴久は部屋の壁に隣接するベッドから自分が普段寝ている時に使っていると思われるブランケットを拾い上げて何回か折って床に敷きどうぞと蒼に座るように手で示す。


「ありがとう…」


蒼は示された通りに畳まれて厚みをましているブランケットに腰掛け、床にショルダーバッグを置いた。

貴久はその正面の床に座りお互いに向き合う体勢になった。

蒼は殺風景な部屋を見回した後に正面にいる貴久の顔をもう一度じっくりと見つめた。

最後に会ったのは小学校のときで7年前、その時はまだお互いに子供で心身ともに幼かった。

無邪気で優しく微笑むあの笑顔、純粋無垢に輝いていた瞳、優しく心にしみ入るような声、蒼の髪の毛を愛おしく撫でてくれた柔らかな手、それら全ては今の貴久からは微塵も感じられなかった。

不安げな表情ばかりの顔と、光がなく闇ばかりを見つめてるのかと思うほど暗い瞳、心細そうな不安定な声、手だけでなく全身が当時よりも不健康にやつれて細くなっていた。

あの時偶然に出逢ったこの男を数年前に突然自分の前から消えた初恋の男と同一人物であると気づけたのは奇跡に近いと改めて感じた。


「そんなに見んなよ」

「どうして?」

「見られたくないんだよ」


そう言って貴久は強引に蒼の目に手をかぶせて視界を遮る。

爪が少し伸びている冷たい手が顔に触れるとその冷たさに思わず驚く。


「…貴くん」

「その呼び方はやめろよ。もう子供じゃないんだし。…それに、もう他人なんだ」


蒼が何度も口にした名前を呼ぶとまた目を伏せて沈んだ声で答える。

他人、その言葉が蒼の心に悲しさを伴って突き刺さった。


「…他人…?」

「そうだよ…。だって…いや、なんでもない」


淡々と話す貴久の言葉に泣きそうな顔をする蒼を見て話すのを止める。

蒼の大きな瞳は薄く潤んだがまだ流れ出しはしなかった。


「なんでそんな事言うの…?せっかく会えたのに…蒼…、貴くんに会えてこんなに嬉しいのに…貴くんは…、嬉しくないの?」


蒼は悲しげに貴久を見つめ、泣くのを我慢するようにギュッとスカートを握りしめてさらに問いかける。


「…正直もう会えないと思ってた。…それに、会えなくていいとも思ってた」


貴久はまた目を伏せて蒼の悲しそうに震えた声を跳ね除けるように冷たく言い返す。

それでも蒼は唇を噛んで耐える。


「話はそれだけ?なら、もう帰った方がいい。近くまでなら送っていくから」

「いやっ!!帰らない!!…蒼、貴くんがどうしてあの時急にいなくなったのか本当のことが知りたいの!!」


思わず掴みかかりそうになる蒼の圧の強さに押される貴久だったがばつ悪そうに顔を逸らした。

品なく大声を出してしまった蒼は口元を手で覆ってごめんなさいと頭を下げるが、ゆっくりと口を開けて続ける。


「…蒼、知りたいの…。貴くんの事、ずっと好きだったから…ううん、今でもずっと大好きだからっ…どうしていきなり…蒼の前から何も言わずにいなくなったのか…」


蒼は小さな手の甲にも爪を立てて泣くのを堪えるが、目に溜まってしまった雫は重力に逆らえないほどの量になり耐えられなくなると蒼の上向きのまつ毛を濡らして頬に流れた。

蒼はその滴を拭うこともせずにまだ震える声で続ける。


「…それでも、蒼は貴くんとは他人なの…?」


自分の目の前でボロボロ涙を水色のスカートに零す蒼にあっけに取られる貴久だったが駄々をこねる子供の相手に手を焼いている親のように困ったとため息を漏らすが、その蒼は貴久の忌諱に触れたようで何かを抑え込むように手を握りしめる。


「…そうやって泣くのやめろよ。…女っていつもそうだよな。…自分が気に食わないと泣いて相手を従わせようとするんだろ?ホント…そういうの迷惑だ…」


貴久は握りしめた手を離して立ち上がり泣き崩れている蒼の腕を掴んで強引に立ち上がらせると自宅から出ていかせようとする。

見たことの無い彼の乱暴な一面に恐怖を覚え足が震えて上手に歩けず引き連れられるように連れられた玄関前でへなへなと座り込む。


「やだっ…貴くん、怖いよっ…!!」

「もう、帰ってくれよっ…!!」


聞いたことの無いほど声を荒らげる貴久は無意識に蒼の細く華奢な手を強く握りしめていた。

おられそうなほど強く握られるので蒼はまた違う意味で涙をうかべる。


「貴くんっ…」

「…もう、居ないんだ」

「え…?」


貴久は蒼を玄関先まで連れてきたが立ち上がれない蒼には目もくれず玄関のドアに向かって不安そうな今にも消えそうな声でそう呟く。

蒼は震える足でゆっくりと立ち上がるとこちらを見ようともしない貴久の手が小さく震えるのを感じながら次の言葉を待った。


「…もう、蒼の知ってる"貴くん"は死んだんだよ…7年前に」


苦しそうに辛うじて蒼だけには届くほどの声でそう言うと、この短時間の気持ちの整理が出来ずどうしていいのかわからなくなって自分の目の前にあるドアを蒼の手を掴んでない方の手で拳を作り思いっきり殴ってあたる。

ドゴンッと意外と大きい音がすると蒼は驚きの声をあげる。


「な、7年…前…?」

「そうだよ…もう、なんなんだよ…今更…、もう、俺の人生めちゃくちゃにしないでくれよ!!」


そう言った貴久はそれまで保っていた理性な無くなったのか先程殴ったドアをあと数回強く殴った。

貴久の拳がぶつかる度に大きな鈍い音がして、ふらつく足で何とか立ち上がった蒼は彼を止めるようにドアから引き離そうと羽交い締めにするように手を回すが力では敵わずすぐに跳ね除けられた。


「た、貴くん…やめてっ…やめてよ…!!」


蒼は何度もドアを殴る貴久を背後から抱きしめてやめるように涙ながらに乞う。

蒼に止められると貴久はハッと我に返り冷静になる。

自分の背中に泣きつく蒼を振り向くと何かに責められたように思え、心苦しくなり自分も泣きそうになりながらその場にしゃがみこんだ。


「…貴くん?」

「ごめん蒼…許してくれ…。もう、俺には関わらない方がいい…」


貴久はドアに体重をかけながら震える背中越に切実な願いを蒼にそう伝えた。

蒼は頷き賛同することも首を振って拒否する事も出来ずに彼の背中に寄り添うことしか出来なかった。


「だから、蒼…もう帰ってくれないか…」


もう一度そう言う貴久は何度もドアを殴った手で蒼の手を握りしめ立ち上がりドアノブに手をかけた。

蒼も覚悟を決めて立ち上がると貴久のシャツの背中を握りしめた。


「じゃあ教えて?…7年前、何で貴くんは蒼の前からいなくなったのか…?」


蒼はこれで最後と決めて貴久に優しく声をかけてずっとドアにぶつけて痛めた手を優しく包んだ。

貴久はジンジンと痛みだした自分の手を蒼の小さく華奢な手でつつまれると数分ぶりに蒼の目を見つめた。

真っ直ぐに見つめられるともうこれ以上は逃げられないと悟った貴久は玄関から離れて蒼の脇を通り抜けて部屋の中に戻って行った。

手を繋いでいた蒼もつられて部屋の中に戻り、貴久に床のブランケットではなくベッドに座らされた。

無防備な蒼の隣に腰掛けた貴久は体育座りで顔を自分の膝に填めた。

蒼はしばらく貴久から何か言葉が発せられるのかと思い静かに待っていたが何も話してくれない彼に蒼は自分から声をかけた。


「…あのね、蒼まだバレエ続けてるの…」


そこまで言ってもなお貴久は何も言わない。


「…さすがにナオコさんのところじゃなくなったけど…」


ナオコと言う女性の名前を出すとその名を聞きたくないというように貴久は首を振る。

ナオコとは数年前まで日本を代表するほど各国の劇団でプリンシパルをしていたが、ある時日本人の資産家と授かり婚をして現役を引退したバレリーナだ。

その後、夫となった男の好意と資金で自分の名前を掲げたバレエ教室を開き講師として活動していたナオコは蒼と貴久のバレエの先生であり、貴久の母親でもあった。

しかし丁度7年前にいきなりそのバレエ教室が閉じてナオコは貴久と共に消息をたった。


「…やっぱり、貴くんと7年前の事は関係あるの…?」


蒼は蹲る貴久の背中に擦り寄って優しく問いかける。

貴久は自分のシャツの袖を強く握りしめてゆっくりと頷くと、少し伸びた黒髪がサラッと揺れた。

その様子を見た蒼がさらに何かを言おうとする前にやっと貴久が口を開いた。


「なぁ、蒼…」

「なぁに?」

「…7年前の事…本当に知りたいか…?」


表情は見えないが彼の手が小さく震えて心細い声その声を聞くと貴久は相当な覚悟を決めたんだろうと容易に想像できた。

蒼もそんな彼の手に自分の手を重ねて頷いた。


「うん、知りたい…教えて…」


貴久は暫くの沈黙の後にゆっくりと口を開いた。





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