5
「橙子ちゃんおはよう」
久我山橙子が朝のホームルームが始まる15分ほど前に自分の教室に入ろうとすると扉の前で、今教室に着いたらしい笑顔の姫宮蒼に声をかけられた。
小学生のような小柄な体には聖白百合女学院高等部の白いセーラーワンピースの制服が着せられその姿はさらに蒼を幼く見せる。
学年で色の違うスカイブルーのスカーフは蒼によく似合っていた。
「おはよう、蒼」
橙子はいつも通りの笑顔で挨拶を返すと髪につけているオレンジ色のリボンが揺れた。
微笑んで綺麗に端の上がった唇の左下にある艶ぼくろが橙子の幼い笑顔に色気を足して京美人のような大人っぽさを演出している。
橙子が蒼と教室に入ろうと扉を開ける。
「あぁ、橙子様おはようございます」
「蒼様,おはようございます…今日もお可愛いですわぁ」
机も椅子も床も壁紙も白い清潔感があり、尚且つ高級感のある教室には30人近くの生徒分の勉強机が寸分の狂いもなく綺麗に列に並べられており、半分ほど既に登校している生徒たちで埋まっていた。
教室の奥、窓際の後の席でアレンジしてフリルのついたスカートから出た学校指定の黒いハイソックスを履いた足を組んで頬杖を付いて外を眺める早乙女翠璃もその1人であった。
「翠璃ちゃん、おはよう!」
「おはよう蒼」
蒼に声をかけられ品のいい笑顔を浮かべる翠璃は蒼にだけ挨拶を返し隣にいた橙子にはチラリと目をやるだけだった。
「おはよう、翠璃」
自分には挨拶を返さない翠璃の隣の席に座る橙子は苛立ち下唇を軽く噛み締めるが悟られないように笑顔を浮かべていた。
「おはようブス」
そんなこともお構い無しの翠璃はいつも通りの口調で挨拶を返す。
「貴方ねぇ…」
「翠璃様っ、おはようございます!!雑誌拝見致しました…今回もとてもお美しいですわ!!」
橙子が翠璃に言い返そうとしたところで他のクラスメイト数人が二人の間に入って手にしていた雑誌の特定のページを開いた。
10代後半から20代前半の女性をターゲットにしフェミニンを取り扱ってるファッション雑誌の開かれたページにはいつもの2つ結びではなく細かく巻かれたサイドの髪をねじりローポニー風ハーフアップで大人びたワンピースドレスを着て白い歯をのぞかせて笑っている翠璃が専属モデルの緑川萌乃として写っていた。
翠璃の前の席に座っていた蒼も初めてその雑誌を見たらしく、すごい綺麗といいながらそれを手にして目を通した。
どこかのパーティー会場のような場所で、わざとらしく髪を耳にかける仕草で大振りなパールのイアリングを強調する姿や、首元の細くシンプルなゴールドのペンダントネックレスを見せるために同じパーティー参加者らしき男性と会話をしているバストアップで微笑む姿などがページいっぱいに写っていて、誰も彼女をあどけなさの残る16歳の少女だとは思えないほどだった。
「ありがとう。そう言って貰えるとこの仕事してる甲斐があるわ」
雑誌に載っているモデルの緑川萌乃ではく女子高校生の翠璃は純粋に褒められて嬉しそうに微笑む。
雑誌を持ってきた女子生徒は微笑まれるとさらに嬉しそうに頬を赤らめる。
「いつもお美しい翠璃様ですが今回のジュエリー特集は特に気品のある翠璃様がさらに素敵に見えます」
「さすがは世界に誇るハイジュエリーブランド Le baiser d'Eve のご令嬢、どんなジュエリーでもお似合いですわ」
「そんなに褒めたって、私に出来るのはこうやって皆にファッションを伝えることしか出来ないわ」
褒められて嬉しくてしょうがない翠璃は目を細めて笑いいつもよりも優しい声色で女子生徒に優しく接する。
そんな様子を見る橙子はどうしてだか少しムッとしてしまった自分自身に疑問を持った。
「わぁ、この翠璃ちゃんも綺麗…ねっ、橙子ちゃん」
蒼が会話に入って来なかった橙子に雑誌を見せた。
少し驚きながらも見せられるページに目を落とすと、薬指に指輪をはめた右手を口元に添えて緑川萌乃が着せられている大人っぽい紺色のワンピースに似つかわしくないほど幼く無邪気な笑みを浮かべていた。
雑誌の内容としては今回のメイクやジュエリーについてが事細かに書かれていた。
「まぁ、本当。素敵な笑顔ね」
橙子は微笑み素直な感想を口にする。
そうですよねー、と間延びした声で翠璃の取り巻き女子生徒が賛同する。
「あら。貴方みたいな方がこのファッションのことお分かりになるの?」
素直に喜べばいいものを橙子に褒められた翠璃はあいも変わらず皮肉な口調で鼻で笑う。
「はぁあ?何よ、私だって若く麗しい女子高生よ?当たり前じゃない」
橙子は翠璃に負けじと声をあげると雑誌にうつる翠璃のスラリと伸びた右手の指に付けられていたオレンジトルマリンの指輪を指し示す。
「この指輪なんて、大人フェミニンばかりの清楚系な緑川萌乃よりもお淑やかさのある私の方が似合うに決まってるわ」
ふふん、と自慢げに翠璃や周りの少女達に言うと蒼は似合いそうだねーと言ってくれたが翠璃はおかしそうに笑いだす。
「まぁ、面白いご冗談。所作にしか華のなくて天真爛漫な笑顔だけが取り柄の貴方がこんなもの着飾ったりしたら七五三のようね」
隣の席同士の翠璃と橙子がお互いをきつく睨みつける様子を見ていた取り巻きの女子生徒は逃げるように雑誌を下げ自分達の席に戻っていった。
蒼は喧嘩が起きそうなそんな2人を両手で頬杖を付いてニコニコと眺めたいた。
「2人ともお互いを貶してるつもり?褒めてるの?」
「褒めてるわけないでしょ、こんな小娘なんか」
「私だって褒めてなんかいないわよ、こんな女」
「そんなこと言ってー、2人ともお互いのことよく知ってるよね」
「「そんなことないっ!」」
発言が被ると橙子も翠璃もさらに互いを睨み合いふんっと背中を向けて席に着いた。
そんな2人を見ると素直じゃないなぁと眉を下げて笑う蒼はすぐに何かを思い出したようにあっ、と声を出す。
「今日の小テストのお勉強するの忘れちゃった」
「え?そんなものあった?」
「今日の3限目の数学?」
「そう。蒼あんまり数学得意じゃないから…困ったなぁ…」
蒼が小テストの話をすると橙子も忘れていたようで驚いたように蒼を見つめる。
そんな中で翠璃は特に焦った様子もなく淡々としていた。
鞄から青色の数学の教科書を取り出す蒼は後ろの席の翠璃の机に小テストの範囲である教科書のページを開いた。
橙子も蒼と同じように鞄から教科書を出して椅子ごと翠璃の机に近づいて3人がギュッと集まったようになりそれぞれの取り巻きの女子生徒達がざわざわしだす。
「ちょっと、何よ。私が数学出来ると思ってんの?」
「何よ、翠璃。数学出来ないの?」
「少なくともあんたよりは出来るわよ」
「じゃあ、教えてちょうだいよ。私もこの辺イマイチなのよね」
「蒼もー、学年があがった途端難しくなったよねー。やんなっちゃうよ」
青色のペンケースから派手なアニマル柄のシャーペンを手にした蒼は教科書と睨めっこを始める。
勝手に数学を教えることになってしまった翠璃はため息を漏らし橙子の教科書を覗くと、日本語よりも英字や数字の方が多く羅列してるページを見るだけで頭が痛くなりそうだった。
「ねぇ、翠璃ちゃん。蒼ここまでは分かるんだけどここからの計算式が分からない」
「んーっと、ここまでは普通の計算式なんだけど、これは前習った公式に当てはめるのよ…そしたらこの数字が消えて、ここだけが残るの」
「あー、そういうことなんだぁ、さすが翠璃ちゃんだね!!」
「じゃあこっちの問題も同じ?」
「そうだけど、そっちは教科書が複雑に解いてるからあてにしない方がマシね」
翠璃は橙子の質問に答えると机の中にしまっていた数学とだけ書かれた緑色のノートを取り出し開いて中身を見せる。
3色ほどしか使われてなく綺麗にまとめられているノートに目を落とす橙子は教科書と見比べた。
「あなた意外とノートとかしっかりしてるのね」
「授業中アホ面で寝てるブスとは違うの」
「アホ面って何よ!」
片方の口角を上げて冷笑を浮べる翠璃は頬をふくらませて怒る橙子に見せていたノートを閉じると次は蒼に差し出した。
蒼はノートを受け取りパラパラと中身を眺めていた。
「アホ面はアホ面よ。文字の通りの意味」
「あなたの目は節穴なの?この私のどこがアホ面よ」
「あら、自覚がないの?」
冷ややかに笑う翠璃は両手で怒りで膨らんでいる橙子の両頬をつまんで引っ張った。
ふよふよして触り心地のいい橙子の頬は引っ張られると横にみょーんと伸びて怒っている表情が崩れいきなりのことで驚き目を丸くする。
「ひょっと、ひゃにすんのよ!!」
「ほんとアホ面のブスね。褒められるところがあるのならこのほっぺの触り心地がいい事くらいね」
嫌がる橙子を無視して翠璃はいたずらっぽい笑顔を浮かべ両手で触り心地を確かめるように橙子の頬をぐっちゃぐちゃに揉む。
すると蒼も面白そうと橙子の頬に触れる。
「わぁ、ホントに気持ちい橙子ちゃんのほっぺー、ぷにぷに」
「ちょっと、蒼まで…やめてよぉ」
2人に頬を触られる橙子はやめてと言うが満更でもないように微笑むその頬は抓られてか高揚からか徐々に色付き始める。
「なに嬉しそうにしてるのよ?頬がぷにぷにって事はふくよかでいらっしゃるわねって言ってるのよ?」
「えっ、そうなの蒼!?」
嬉しそうな顔から一変し驚きの表情で蒼の方を向くと蒼は肯定も否定せずにどっちの意味でも取れるような笑みを浮かべて橙子に微笑んだ。
橙子はその蒼の顔にさらにショックを受けたようでガクッと肩を下げる。
「でも蒼は橙子ちゃんの体好きだよー?」
「蒼、言い方に気をつけなさいね?」
蒼は自分の席から立ち上がって椅子に座ったまま落胆する橙子をギュッと抱きしめる。
小さな蒼に抱きしめられる橙子の顔は蒼の下乳の辺りにうずまる。
「蒼ね橙子ちゃんを抱きしめるのすっごく好き。柔らかくて暖かくて…すっごく好き」
「あ、蒼…っ」
橙子は嬉しそうに微笑むと蒼の腰に腕を回して顔を体に埋めるように抱きしめ返すとへへっと蒼が笑って橙子の頭を優しく撫でた。
微笑み見つめあう蒼と橙子を頬杖をついて見ていた翠璃の視線に気づいた蒼は翠璃にも微笑みかける。
「ふふ、大丈夫。翠璃ちゃんもちゃんと好きだよー」
「な、何よいきなり…」
蒼の大胆な発言に困惑する翠璃を橙子の次に後ろから抱きしめる。
椅子越しに背後から抱きしめられる翠璃は複雑な顔をして受け入れる。
「翠璃ちゃんはねー、とってもいい匂いするの。肌もスベスベで好きぃ」
すんすんと音を立てながら項に顔を埋める蒼に翠璃はくすぐったそうに体をくねらせる。
「ずるーい、私も」
「や、やめなさいってば!!」
体を捻らせて蒼のように抱きついてくる橙子にだけはキツイ口調で引き剥がそうとする翠璃はうっすらと頬を染める。
橙子は引きはぎされそうになるもいーやー、と離れようとせずくっついている。
「ブスも蒼も時間と場所を考えなさいよ。ここは教室でもうすぐホームルーム始まるのよ?」
そう言って翠璃が黒板の真上に設置されてる白のシンプルな壁掛け時計を指さすと同時にホームルーム開始のチャイムがなった。
いきなり鳴ったチャイムに蒼と橙子は翠璃から離れて自分の席について担任の教師が教室に来るのを待った。
その間、翠璃は変に早く脈打つ自分の鼓動に苛立っていたのであった。