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日が沈み辺りにはただただ暗闇が広がっていてさらに恐怖心を引き立てるように鳴り止まない雨の音が色んな方向から真美子に向かって聞こえてくる。
外気は下着とニットワンピースだけの真美子には肌寒く感じられ思わず最初に雨宿りしていた時のように身を縮こめて体温を逃がさないように自分の体を抱きしめた。
すると目の前の暗闇を切り裂くような真っ白な光が現れ貧しすぎて思わず目を細めた。
その光はゆっくり近づいてきて少し通り過ぎて真美子の目の前で止まった。
黒色の軽自動車が目の前に止まり運転席にはタイチがハンドルを握り座っていて助手席の窓を開けて早く乗れと催促してきた。
「お邪魔します」
真美子は雨で濡れている後部座席のドアを開いて頭を1度下げるとゆっくり右ハンドルの運転席から1番離れた後部座席に乗り込む。
バタンと扉を閉めると狭い密室になって真美子は変に緊張し始め汗をかき始める。
「ちょっと待ってな、携帯で地図見るから」
タイチは運転席で自分のスマホを弄る。
真美子はドアにもたれかかり真っ暗な外を雨粒がぶつかり不規則な音のなる車窓越しに見つめる。
何か声をかけるべきなのか…、そう思って一瞬だけタイチに目をやった。
タイチは地図アプリで行き先が定まったらしくスマホから目を離すと自分の見つめていた視線にしづき真美子と目を合わせる。
「何?」
「あ、いやっ、あのっ、別に…何も」
突然声をかけられ驚きと緊張で変に強ばった声で反応してしまい不自然に見えた。
不思議そうな表情のタイチもそれ以上は踏み込んでくることなく正面を向いた。
真美子は気恥ずかしさから俯いて目をギュッと閉じてなになに耐えるようにきつくニットを握りしめた。
「じゃあ、出すな」
そう言ってアクセルを踏まれて軽自動車が前に動き始めた。
しばらく無言の中タイチは車を運転していき赤信号で止まり、置物のように大人しい真美子をルームミラー越しに様子を見る。
「寒い?」
いきなり声をかけられると驚きビクッと肩を震わせ、え?と声にならない声を漏らして無意識と否定するように首を横に振る。
普通の女子高生らしからぬ真美子の様子に驚きを隠せないようだった。
「俺の上着、使っていいから」
助手席にのせていたジージャンを鷲掴みにして真美子の真横の後部座席に放り投げて青に変わった信号に従って車を再発進させる。
投げられたジージャンに目をやりながらも触れようともせず太ももあたりの裾をきゅっと握りみしめて窓の外にだけを見つめる。
「名前なんて言ったっけ?…シナガワ…マイコ?」
「しっ、しっ…白樺、真美子ですっ!!」
それほど遠くない他人の名前を呼ぶタイチに自分の正しい名前を変に声を裏返しながら名乗ると同じような車のライトが連なる行列の最後尾について足止めを食らう。
「今何年?」
「…こ、高校…3年生…です」
「へー、じゃあ進路とか決まってんの?」
どうしてか会話を続けようとするタイチの問いかけに無意識に震える声で答えるが雨音とエンジン音でその声がタイチの耳に届くのはやっとだった。
「いえ、正確には…」
真美子はまたタイチに首を横に振る。
「そっか。あ、俺は大橋 太一、この辺りのフレンチレストランで料理人してる。さっきのはあの店の料理長の奥さんのクロエ」
「はぁ…」
「なぁ、聞いていい?」
空気のような返事しか出来ない真美子にびっちりと詰まっている列にある前方の車両が少し動いて隙間を作る度に小刻みにアクセルを踏んで距離を詰める太一が頭の後ろで手を組んで問いかける。
さっきからずっと聞いてばかりではないかと、少し思った真美子だったが承諾するように小さく頷く。
「アレ…美味しくなかった?」
少しづつ進んでいた車はまた止まる。
「…ぇ?」
「ポタージュ。一口しか食べてなかったやろ?美味しくなかった?」
再び太一はルームミラー越しに真美子を見つめ真剣な眼差しで問いかける。
その声色と真っ直ぐな視線を拒むようにギュッと無意識に目を閉じた。
「そ、そんなことありませんっ…ただ…」
「ただ?」
思わず否定の言葉の他に接続詞が漏れてしまった真美子はしまったと急いで口元に手を持っていき遮るが太一はそれを見逃さずにさらなる答えを追及する。
真美子は震える指先で唇に触れながら後戻り出来ないと腹を括り目をギュッと閉じたまま続ける。
「ただ…玉ねぎの食感をたたせるのであれば、香り付けの胡椒は粒でない方が良いかと思います…。玉ねぎと一緒に噛んでしまうとせっかくの玉ねぎの味が胡椒で消されてしまいますわ…」
蚊の鳴くような声でそう最後まで言い切るとゆっくりと目を開けて運転席に座る太一の反応を見やる。
太一は正面から顔を動かさずに頭の後ろで手を組んで前が空く度にアクセルを踏んでいた。
不要なことまで言い過ぎてしまったかと口元を抑えてシートに体を預けながら俯いて顔ごと背ける。
「…あ、の…っ」
「あんたの言う通りだ」
「えっ?」
やっと口を開いたと思えば太一はそう言って助手席から小さめのリングノートを取り出して薄暗い車内で何かを殴り書きし始める。
唐突に必死で何かを書き込むその姿に不安と恐怖を感じる。
「ありがとう、参考になるよ」
「あ、いえ、そんな…っ私、知ったような口聞いてしまって…」
「いいんだ、ありがとう。なぁ、来週くるんだろ?」
書き終わったリングノートをまた助手席に放り投げると後部座席に座る真美子を上半身を捻って真っ直ぐに見つめるので、真美子は無意識に身構える。
「じゃあ、次はもっと美味しいやつ作っとくから、また感想聞かせて?」
太一の純粋な少年のように真っ直ぐな瞳で見つめられると真美子は目を泳がせ狼狽えながら早くこの状況から脱したいと雑に頷く。
頷く真美子にやった、と満足そうに笑った太一だったが後ろの車から早く前に進めと言わんばかりのクラクションを鳴らされて急発進させたので大きく車内が揺れた。
いきなりのクラクションの音のせいか太一の笑顔のせいか不思議と心臓が激しく拍を打つ。
激しく動く心臓を抑えるように胸元に手を置いて何度か浅い呼吸をしてなんとか落ち着こうとするが、大した効果はあらわれなかった。
しばらくすると車は渋滞の列から解放されスムーズに走るようになった。
雨粒に邪魔された真っ暗な外を車窓から見ると、見慣れた街灯とその灯りに照らされた見慣れた道が見えてきた。
「言われた通り葉住町に入ったけど、もう近い?」
「えぇ。もう近くです」
問いかける太一に頷きながら答えるとフロントガラスから真美子の自宅の白い外壁塗装の建物が見えてきてアレです、と言うように指を指す。
指の示す方に太一が目をやるとある一角の一面がガラス張りの窓からオレンジ味のあるライトが内側から漏れているどこかのホテルなのかというかほど立派な三階建ての豪勢な建物が存在していた。
見たことない豪邸に驚きを隠せずに何度も瞬きをしては真美子の指示通りにその建物に車を進めると、大型のトラックでも届かないくらい大きな門がとじされていてそれ以上は進めずに車は停止した。
「家の者に話を通しますので…あのチャイムを鳴らして貰えますか?」
場違い感にあたふたしてる太一を不思議に思いながら門の右側にあるチャイムの方を指さす。
太一は言われた通りに運転席側の窓を開けて手を伸ばしてギリギリでチャイムを鳴らすとゴーンと低い音が豪邸側から聞こえてきた。
『はい。どちら様でしょう?』
その後にチャイムから女性の声が聞こえてきた。
「あ、えっと…娘さんをお連れしたんですが…開けて貰えませんか?」
『娘さん…?あなたのお名前は?』
「お、大橋、…大橋太一ですけど…」
『大橋様…』
チャイムの向こうの女性の声からは太一への不信感が明らかに見て取れた。
このままではいけないと、真美子は後部座席から運転席の方に身を乗り出して会話を切られる前に声を発する。
「あのっ、私です、真美子です!」
恐怖の対象である男性の太一と想像以上に距離が近づいたのに気づかないほど真美子は女性に門を開けてもらおうと必死だった。
『ま、真美子様!?』
「えぇ、そうです。門限を過ぎてしまって申し訳ないのですが、門を開けて頂けますか?」
『承知しました』
ブツリと通話を切られると数秒後にガーッと音を立てて門が開かれ高級車が2台止まっている車庫に通づる石畳の通路が表れる。
ホッと安心して小さく息を吐いた太一と真美子は疲れきったように互いのシートに身を沈めた。
そして太一の車は目の前の通路にそって学校の教室より何倍も広い車庫に入っていくと、自宅の方と繋がっているドアから漫画で見るようなメイド服に身を包んで三つ編みお下げの女性が2人とボディーラインがしっかりとしているチェック柄のワンピースを着た上品な女性の3人がものすごく不安そうな顔で表れる。
真美子ならまだしも全てが初めての太一にとっては何が何だか分からずに目の前に現れた種類の違う女性に苦笑いをうかべるしか出来なかった。
「あの、大橋様」
「えっ、ん?」
「…今日は自宅まで送っていただきありがとうございます。お着替えまでお借りしまして、クロエさんにもありがとうとお伝えください」
「え?あ、いや…それくらいなんともないけど…」
車内で急にしみじみと感謝を述べる真美子の言葉を受け入れつつもガラス越しに感じる異様な視線を気にする太一は戸惑いを隠しきれない様子だった。
「真美子さん!!そこにいるんでしょう!?早く降りてらっしゃい!!」
甲高い声でそう叫ぶワンピースの女性は見た目の上品さが嘘のように反乱狂に太一の車に近づいてくる。
「お母様!!落ち着いてください!!私はここにおります!!」
母親の異常な雰囲気を察した真美子は急いで車からおりると母親が太一の車体に触れられないように間に入って暴れそうな母親を抑える。
「まったく真美子さん!!今何時だと思ってるの!?」
「申し訳ありません、お母様。これには事情が…」
「もう!!心配したのよ?あと5分遅ければ警察に捜索願を出すところでした」
「申し訳ありません…」
大袈裟な母親の言動にも頭を下げて謝罪するしかできない真美子を見かねた太一は運転席から降りて真美子と同じように頭を下げる。
隣で頭を下げた太一に驚きを隠せない真美子だったが、母親の行動にさらに驚いた。
「ぃてっ!?」
頭を下げた太一の顔を無理やりに持ち上げると母親の平手打ちが左頬に決まって車庫にパチーンと綺麗な音が響く。
叩かれた本人だけでなく真美子も連れてこられたメイド2人も驚きの声を漏らして、謝罪の時と違う方向を向いた太一の顔に目がいった。
「真美子さんとどういった関係か知らないけどうちの大事な娘を弄ばないで!!」
そう言い放つと真美子の腕を掴んで自分が出てきた自宅の方へ通じるドアの方に連れていく。
叩かれた太一は何が起きたのか理解出来ずに宙を見つめぶたれた頬に手を添えた。
「お母様!?なんて事しますの!!」
真美子は母親の手を振りほどいて母をメイド2人に任せると呆然と突っ立っている太一の元に駆け寄りすぐに頭を下げた。
「申し訳ありません!!うちの母が、申し訳ありません…たまにヒステリーを起こしますの」
「…へ、へぇ…」
「頬、痛みますか?」
心配そうにずっと抑えていた頬に真美子は手を添える。
太一の左頬はほんのり人の手形に赤くなっていて、さらに申し訳なくなった。
そんな2人の後ろでメイド2人に抑えられている母親は不快なほどの甲高い声で汚い言葉を喚くのでその言葉を聞かせないようにとわざわざ謝罪するために外に出てくれた太一を運転席に押し戻す。
「誠に申し訳ありません…。せっかく送っていただいたのに、ホントに…なんとお詫びしたら良いか…」
「まぁ、こんな遅い時間になったのは俺のせいでもあるし、気にすんなよ」
「大橋様…」
左頬を赤くしてへらっと笑う太一だったがその笑顔はどこか引きつっていた。
真美子はその笑顔に申し訳なくなりさらにもう一度頭を下げる。
「申し訳ありませんでした…。 このお詫びはさせてもらいますのでどうかお許しください」
「真美子さん!!何しているの!?早くそれから離れなさい」
もう抑えておくのも限界なのかメイド2人が何かを懇願するように真美子に目線を向ける。
太一もそれを察したようで車庫から出ていこうとハンドルを握るので真美子は太一に最後の言葉を伝える。
「大橋様、また後日改めてお詫びと謝罪と…あのお店に伺いますね」
「わかった、クロエにも伝えとく。だから早く母さんのとこに戻ってやれよ」
「えぇ、では…。あ、最後によろしいですか?」
シートベルトを閉めて窓を半分まで閉めた太一はまだ呼び止める真美子に何?と目だけで反応する。
改めて目が合うと不意に心臓が跳ねる。
「ポタージュ、美味しかったです…ホントに!!」
そう言い切ると頭を下げて母親の元へ駆け寄る。
もう限界だったメイド2人の手から逃れた母親は自分の元に駆け寄る真美子を絞め殺すのでは無いかと言うほどその細い腕からは想像もつかないほどの強い力で抱き寄せる。
少し痛みを感じつつもチラッと車の方を見ると、太一はわざとらしく口を動かして微笑み手を振るとそのまま車庫から出て行き辺りにあったエンジン音はなくなり雨音だけになった。
"またな"太一は最後にそう言いっていたような気がすると真美子はきつく抱きしめられながら思った。




