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今日も1日止まることなく働いた太陽が店が立ち並ぶ街並みから逃れるように沈んでいき、真っ青だった空の色が火照った少女の頬のような朱色と紫がかった薄い雲が入り交じり夕焼けが綺麗に拡がっていた。
そんな中人通りの多くきらびやかな通りから2本ほど外れたところに、民家かと間違える程ひっそりと時代に取り残されているような瓦屋根の小さな茶室の離のような建物が建っていて、窓の代わりに設置された障子からは店内の黄色がかった灯りがぼんやりと見えた。
"商い中"と草書で書かれている札がかけられている引き戸を開けて店内に足を入れた。
品のいい和服姿の女性が口角のあがった顔で挨拶をして店内の一番奥の4人がけの座敷席に案内される。
慣れているらしい橙子はどうもとお礼を言いながら案内された座敷席に向かう。
初めてのお茶処に戸惑う智瑛莉と陽菜乃は顔を見合わせると橙子と同じようにお礼を言って座敷席に移動する。
「ね?いい雰囲気のお店でしょう?」
まだ新しいとわかる程綺麗な銀白色の畳からは奥行きのあるい草の青い匂いが強くなる。
橙子は座敷席にローファーを脱いできちんと揃えて腰掛けた。
陽菜乃もローファーを脱いで揃えて橙子の目の前に座りその横に智瑛莉が同じようにして着席する。
「そうね…何だか…、そうね…」
橙子の問いかけに答えようとあたりを見回してお店の内装に目をやる陽菜乃だったがなんと答えるのが正解なのかわからず苦笑いでごまかす。
「私こんなThe日本みたいなお店に来るのは初めてです。それにお座敷の席なんて何年ぶりでしょう」
智瑛莉は物珍しそうに辺りを見回して戸惑っている陽菜乃とは違って目に見えるもの全てに興味があるようだった。
橙子はその様子を嬉しそうにニコニコ笑みを浮かべ黒い木製の机に立てかけてあったお品書きのプレートを2人に読みやすいように差し出した。
お茶の種類だけでも何種類もあり、付け合せのおやつも軽いものからガッツリしたものもあり普通の食事やここのお店に似つかわしくもない珈琲などが値段とともに書かれていた。
「結構いっぱいあるのね…お茶だけでもこんなに…」
「まぁ、天ぷらなんて置いてますのね。おいしそう…」
「そうでしょー?あ、私のオススメはわらび餅です。お抹茶とのセットだとお得ですわよ」
「わらび餅…」
正座して少し座高の高くなった橙子がお品書き表の商品名を手でさしながら笑みを浮かべて話す。
智瑛莉はどれも口にしたことないらしくどれがいいのか戸惑い、先に陽菜乃が何を頼むか様子を伺う。
「ガッツリいくのもいいけどねー…じゃあ私抹茶とおしるこのセットにしよっかな」
「なら、私も同じものを」
陽菜乃が橙子を見ながらお品書き表の文字を指さして決めると智瑛莉もそれに乗っかる。
橙子は反対向きだったお品書き表を自分に向けて持つと一つ一つの文字を見てどれにしようか迷っている様子だった。
「んー、そうねぇ…よし決めた。私はお抹茶とあんみつのセットとわらび餅にします。お願いしまーす」
そう言って嬉しそうに手を挙げてお店の人を読んで3人分の品を注文した。
和服姿の女性は品よく笑って注文をとるとお辞儀をして帰って行った。
「ここのお店はね、お茶を1つずつ点ててくださるのよ」
「へー、あの茶道でよく見るヤツ?」
「結構なお点前でってヤツですか?」
「ふふっ、ええ。そうですわ。ほら、あちらの亭主様が今陶器にお茶粉を入れましたでしょ?あれからお湯を入れて茶筅で点てて下さるの」
笑みを浮かべる橙子はキッチンカウンターに立っている和服姿の初老の男性の方に目を移すように手で指してそう言うと智瑛莉と陽菜乃は同時に指された方向に目をやりお茶を点てる男性の丁寧な手つきと赤褐色の陶器と茶筅がぶつかりながら液体を混ぜる音だけが音楽の流れていない店内に響いていた。
目を離すことなく見ていたらいつの間にか3人分の濃茶が完成していた。
そして唯一のもう1人の和服姿の女性が円形のお盆に3つ乗せて運んできた。
「こちら、福岡県八女市の茶葉を使用しております。すっきりした味わいと滑らかな口触りが特徴です」
そう説明しながら配膳する女性の話を聴きながら橙子は相槌を打つが智瑛莉と陽菜乃は目配せして同じように相槌をうつ。
女性がお盆を持って会釈をして戻っていくと橙子が目の前に置かれた陶器を両手で持って湯気の出ている緑色の液体に鼻を近づけて香りを楽しんだ後にその液体を冷ますように息をふきかけて口をつけた。
陶器から口を離すと満足そうに微笑む橙子の顔があった。
「まぁ、美味しい。…甘みがそんなになくて飲みやすいこと」
橙子の所作を真似るように陽菜乃が濃茶を口にして手にする器の揺れる水面に目をやった。
「ホントね。…本物の抹茶ってこんな味なんだ」
静かにひとくちする智瑛莉は想像していたものと違うのか驚いたような表情をしていた。
「…甘いものかと思ってましたが…、結構渋みや苦味もあるんですのね…」
そう言ってずずっ…ともう一口口にする智瑛莉に橙子がそうよーと、優しく微笑む。
程なくして橙子の頼んだわらび餅が同じように運ばれてきた。
少女の手のひらほどの大きさの黒い横長の陶器に香りのいいきな粉が振りかけられた半透明なやわらかそうな固形物が盛り付けられていた。
別の小さな小皿に黒蜜があった。
橙子は小指ほどの長さの竹楊枝を2人にも渡してきな粉を零さないように気をつけながらわらび餅をひとつ食べる。
「んぅ…おいひぃ…」
柔らかなわらび餅を口の中で何度も噛みながら頬に竹楊枝を持っていない方の手を添えて幸せそうな笑みを浮かべて味を楽しんでいた。
フィクション作品の誇張した女優の芝居のようなことをする橙子を見ながらも陽菜乃も竹楊枝を1切れのわらび餅に突き刺した。
指先が脈打つ度にその震えが竹楊枝にまで伝わってたっぷりと付いたきな粉がはらはらと自然と落ちた。
「あっ、このきな粉美味しいわ」
「餅…餅って、あの白いヤツではないのですか?」
「ふふっ、チェリーちゃんってば面白いこと言うのね」
「智瑛莉が思ってるのは餅米から作られてるやつで、これは原材料が違うのよ」
唇についたきな粉を舌で舐めとった陽菜乃は智瑛莉に目の前の食べ物について説明する。
へー、とその説明を聞くと関心して頷く。
3人でつついていたわらび餅がお皿からほとんどなくなった頃に智瑛莉と陽菜乃の頼んだおしるこが運ばれてきた。
艶やかな黒漆の器に引きずり込まれそうなほど深い漆黒のこし餡の沼に白く丸い白玉が湯気を立てながらふたつ浮かんでいた。
赤褐色のお箸とお匙が1膳ずつ用意されており陽菜乃はお箸を智瑛莉はお匙を手にしてそれぞれを漆黒の餡に沈めこんだ。
まだ自分の頼んだ餡蜜が来ていない橙子だがニコニコと笑顔をうかべて目の前の2人がおしるこを食べるのをじっと見つめて味の感想を待っていた。
「そんなに見ないでよ食べづらいでしょ?」
「あら、ごめんなさい。でも見てたいんですもの」
「オレンジさんはたまに変ですよね」
「智瑛莉、たまにじゃないわ。いつもよ」
「もぉ、失礼な」
智瑛莉と陽菜乃にからかわれて頬を膨らませて漫画のように怒る。
そうしていると橙子が注文していた餡蜜が運ばれてきて会話が中断された。
和服姿の定員は代金の書いてある注文表を黒の小さな伝票ホルダーに挟んで机の隅に置いて1度頭を下げて挨拶をすると戻って行った。
橙子は目の前に差し出された餡蜜の盛り付けを見つめてすぐに満足そうに微笑む。
智瑛莉は目の前でコロコロ表情の変わる橙子に自然と目がいった。
「なぁに?チェリーちゃん、もしかしてあんみつ食べたいの?」
見つめられているのに気づいた橙子はおしるこの器を両手で持ったまま動きを止めている智瑛莉に声をかけて微笑みかける。
「ち、違いますっ!!オレンジさんの表情があまりにもコロコロ変わるので見てただけですっ」
「ふふっ、いいのよ遠慮しなくても。少しくらいなら分けてあげるわ」
「じゃあ私その抹茶寒天ちょーだい」
「あら、陽菜乃さんも?仕方ないですわね、はいどーぞ」
冗談か本気か陽菜乃にそう言われるとくすんだ赤色のお匙を手に取って器に盛られた抹茶寒天を1切れすくうとどうぞと陽菜乃の目の前に笑顔で差し出す。
自分で言ったものの本当に目の前に抹茶寒天を差し出されると面食らい戸惑いながら橙子の目を見るが、?と言うような顔をしているだけだった。
どうしようか迷った末に智瑛莉の目を気にしながらも照れたように口を開いて寒天を迎えようとするが陽菜乃の唇に触れる前にスっと避けられて、かつん、と陽菜乃の歯が当たった音がした。
「あらやだ。食べさせるなんてなはしたないですわよね」
わざとかそうでないのかどちらとも取れるような笑顔を浮かべる橙子は本来陽菜乃の口の中に入るはずであった抹茶寒天の乗ったお匙を自分の口の中に納めた。
柔らかい寒天を数回咀嚼すると舌の上で味を感じながら飲み込んだ。
「まぁ、美味しい…」
そう言って橙子は別皿の黒蜜をあんみつ全体に円を書くようにかけた。
からかわれた陽菜乃はすこし橙子の行為にイラッとするが自分のおしるこからあんこで濡れた白玉をすくって口に運んだ。
智瑛莉は珍しい橙子の行いに少し驚いていた。
「それで、どうですか?おいしいですか?」
「えぇ、美味しいわよ。あんこも程よい甘さで…このお茶も丁度の渋さでお互いの味を邪魔してない感じで」
「それは良かった。チェリーちゃんは?」
「んー…。私、このようなものを食べたのは初めてですが…美味しいですよ」
聞かれた智瑛莉は何度かおしるこを口にしてそう答える。
また満足そうに微笑んでお茶を1口口にした。
先程からかわれた陽菜乃も目の前にある橙子の笑顔を見るとつられて微笑んで忘れてしまったようだった。




