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「そういえば、新入生で入部希望の方がいらっしゃると耳にしましたわ」
翌日の放課後、いつも通り部員は紅茶部活動室に集まり橙子が持ってきた紅茶のキャンディと陽菜乃が持ってきたショートケーキを口にしていた。
自分の持ってきた紅茶を満足気に飲む橙子が部長にあたる真美子に問いかけた。
いちごをどかしたショートケーキを1口サイズに切り分け口に運ぼうとしていた真美子は橙子に声をかけられ食べるのをやめる。
「えぇ、そうですわ。今朝入部届けを頂きましたの」
「へぇー、こんな高貴な部活に自ら入ろうだなんて余程身の程知らずなのね」
プレートの上にほとんど残っていないショートケーキを子供のように嬉しそうに食べていた翠璃がいつも通り厳しいことを言うがその声色は柔らかかった。
いつも橙子をきつく睨みつける上向きのまつ毛が多めのガラス玉のように大きなつり目もショートケーキの魔法にかけられて線のように細くなっていた。
「でも、人が増えるのは楽しいね」
「そう?」
カップを手にする蒼がニコニコ笑いながらそういうと目の前に座る紅音が首を傾げた。
「それで、その人どんな人なの?」
ショートケーキのイチゴを最後に食べていた陽菜乃も真美子に問いかける。
真美子は手にしていた食器類をテーブルに置いてソファから立ち上がり、部屋の端に置いた自分の学生鞄の中から今朝受け取った1枚の入部届けを取り出して改めて目を落とす。
「高等部からの新入生で、中学はイギリスにある姉妹校で帰国子女のようですわ」
「へぇー、なかなかのエリートね」
「ご実家は関西の有名な総合病院と書いてありますわ。名前は…浅黄智瑛莉さん」
入部届けの項目を読み上げながらもと座っていたところに腰掛けると隣の紅音に入部届けを回した。
それまでポーカーフェイスで紅茶を嗜んでいた紅音は入部希望者の名前を聞いた途端に気まずそうに長いまつ毛に縁取られた綺麗な二重の大きな目を泳がせ入部届けに目もくれずそのまま隣りの陽菜乃に渡した。
「この子いつから来るの?」
「今日お呼びしましたのよ。そろそろ来る頃かしら」
「きょ、今日!?」
いつも涼少しの拒絶の色が見えて真美子は驚く。
手に入部届けを持っていた陽菜乃も軽く目を通して目の前の翠璃に回そうと差し出すが、正面の2年生はただの紙よりも珍しく声を荒げる紅音の方に興味があるようで気づいて貰えず渋々テーブルに置いた。
「紅音さん?どうかしましたの?」
「わっ、わ、私今日はもう帰るっ」
「もー、ダメですわよ紅音さん!!」
まだキャンディの残っているカップを真っ赤なソーサーに戻して席を立って帰ろうとする紅音は頬をふくらませた蒼に抱きつかれ止められる。
橙子もその様子を見て止めるが翠璃はお構い無しにショートケーキに舌鼓をうっていた。
「そうですわよ、部員みんなで入部に相応しいか見なくてはなりませんことよ」
「私はそーいうの興味ないし!!」
帰ると駄々をこねる紅音に陽菜乃は呆れため息を漏らすと席を立って紅音の背後に周り脇の下から胸に手を回す。
「もー、わがまま言わないの!!」
「ちょ、ちょっと!!どこ触ってるの!?」
「あれ?紅音少しおっきくなった?」
「馬っ鹿じゃないの!?」
回された陽菜乃の手は紅音の少女のような胸を鷲掴みにし揉みしだいて動きを押さえつけている。
抵抗するように体を捻る紅音は顔を真っ赤にして楽しそうにニコニコ笑う陽菜乃を涙目で睨みつける。
そうこうしているとドアをノックする音が騒いでいる少女たちの動きを止めた。
「あら、噂の新入生じゃない?」
「み、翠璃っ!!私を隠して!!」
「ええっ!?紅音さん!?」
ノックの音にみんなの意識がドアに集中する。
紅音は出ていくのを諦め渋い顔をしながら陽菜乃から離れてドアの方から隠れるように部員の中で1番背が高く体格のいい翠璃の背後に回った。
「あの、入部希望のもので御座います。入ってもよろしいでしょうか?」
ノックしても返事がなかったので向こうから声をかけてきた。
真美子は返事をしながら慌ててドアを開いて中に招き入れた。
滑らかなキャラメルのような褐色肌で外国人のように彫りの深い少女が丁寧に頭を下げた。
毛先がゆるく巻かれた彼女の黒いロングヘアのてっぺんには真っ赤なリボンがうさぎの耳のようにたっていた。
「初めてお目にかかります。午後の紅茶部部長の3年、白樺真美子と申します」
「お会いできまして嬉しゅう存じます。1年生の浅黄智瑛莉と申します」
真美子は頭を下げて挨拶をすると智瑛莉も丁寧に頭を下げて挨拶を返す。
「立ち話もなんだから、中にどうぞ」
「ありがとう存じます」
帰国子女なのに丁寧でしっかりとしている受け答えに真美子をはじめとする部員は彼女に好感がもてた。
智瑛莉は部屋の中に通されると家具の配置や部員の顔全員を通覧する。
「わぁあ!!お姫様みたいに可愛い子だぁ!!私、姫宮蒼。2年生!!」
自分よりも少し背の高い智瑛莉の目の前に立った蒼はいつも通りぬいぐるみを抱いて目を輝かせながら頭の先からつま先まで見つめ自己紹介を簡単にした。
「新入生の浅黄智瑛莉です。今後ともよろしくお願いします、姫宮様」
「もー、そんな堅苦しい話し方ダメー!蒼でいいの、ねっ?智瑛莉ちゃん」
嬉しそうに微笑む蒼に答えるように智瑛莉も目じりのたれた目を細めて笑う。
「私も2年生の久我山橙子と申しますわ。あそこでま抜けた顔をしているお方も同じ2年生の早乙女翠璃さんよ」
「ちょっと、何勝手に紹介なんてしてんのよブス」
「ブスじゃないわよ!」
「いーえ、ブスよ。今すぐにでも鏡を見に行きなさいブス!」
「あーもー!新入生の前なのよ!!」
橙子がヘラりと笑って翠璃の分まで紹介をするがそれが気に入らなかった翠璃が新入生を前にしてもいつもと変わらぬ口調で言い合いになりだしたので陽菜乃に止められる。
お互いにふんっと、背を向けて2人はソファに腰掛ける。
2人が大人しくなると陽菜乃は安心したように息をついて、ごめんなさいねと苦笑いを浮かべ智瑛莉に謝る。
智瑛莉が気にしておりませんと、微笑み答えると白い歯が覗いた。
「私、一応副部長の紫之宮陽菜乃、3年生。あと、3年生は…」
陽菜乃が残りの3年生の紅音を紹介しようと隠れていた翠璃の背後に目をやるともう既におらずバルコニーの方へ逃げようとヒールの足音も立てずに背中を向けてゆっくりと動いていた。
陽菜乃が待ちなさいと紅音に声をかけて呼び止めるよりも早く智瑛莉が逃げ出そうとしている紅音に飛びついていた。
「紅音お姉様ぁ!!お会いしたかったですわぁ!!」
「ぎゃあああっ!!」
いきなり抱きつかれた紅音はバランスを崩してしまい後ろに倒れ智瑛莉の胸元に収まった。
智瑛莉は満面の笑みで自分の胸元に収まる2つ上の紅音を大切そうに抱きしめて離そうとしない。
「紅音お姉様ぁ!!やっとお会い出来ましたのねっ、私嬉しすぎて今にも泣いてしまいそうですわ!!」
先程までのお淑やかなお姫様のようだった智瑛莉の豹変した姿に紅音をのぞく他の部員一同は呆気に取られ体を寄せ合う2人を見つめていた。
熱気のすごい智瑛莉に完全に気圧されている紅音は助けを求めるように陽菜乃に視線を送る。
「ち、智瑛莉ちゃんは…紅音と知り合いなの?」
視線に気づいた陽菜乃が匂いを嗅ぐように紅音のうなじあたりに顔を埋める智瑛莉に声をかけた。
「知り合いなんてものじゃありませんわ!!私と紅音お姉様は…運命の赤い糸で結ばれた仲ですの!!」
「ちょっと!勝手なこと言わないで!!」
運命の…、と右手の形の綺麗な爪にピーチピンクのジェルネイルが施されている小指を立てて愛おしそうに紅音を見つめる。
紅音は身悶えしてやったとの事で智瑛莉から抜け出すと助けを求めるように陽菜乃の背後に隠れる。
「勝手じゃありませんわ!!お姉様こそ、…どうして私をそんなに避けるのですか!!」
「まぁまぁ、智瑛莉ちゃん落ち着いて。とりあえず座ってお話しましょうよ」
紅音に逃げられあからさまに落胆する智瑛莉は陽菜乃の提案にコクリと頷くと本来は陽菜乃が座っていたソファに腰掛けた。
真美子は来客用のティーカップを智瑛莉の目の前に置いて隣に座るとどうぞと微笑んだ。
「運命の赤い糸…なんて素敵なのかしら。私のように素敵な恋する乙女なら1度は夢見るものよね」
「あら橙子さん、まだ夕方よ?寝言は眠ってから言うものですわよ」
キラキラと目を輝かせてぽわんと宙を眺める橙子に目もくれず翠璃はふたつに結んでいる毛先を指先でいじりながらそう言った。
「なによ翠璃。私眠ってなんかいないわよ」
「でも、紅音さん赤いもの大好きだからホントにありそうよね。運命の赤い糸」
また言い争いが起きそうな空気を察知した蒼も橙子にのっかり赤い糸を夢見るように話し出す。
ねー、と橙子と蒼は微笑みあった。
「それで、お2人はどのようなご関係…?」
楽しそうな2年生をよそに真美子は差し出されたカップに口をつける智瑛莉に問いかける。
智瑛莉はソーサーにカップを戻すと落ち着いた笑みを浮かべ話し始める。
「関係で言うのであれば、留学する前に少しお世話になりました」
「昔ちょっと縁があっただけよ。それだけ」
真美子の問に紅音と智瑛莉の両者が答えるが、智瑛莉だけはそこから少し続けた。
「紅音お姉様と初めてであったのは7年前の九条財務大臣主催のパーティーでした。元々うちの父と九条財務大臣がご学友ということで仲良くさせていただいていまして、その時初めてパーティーに招待されたのですが…あまりにも大規模なパーティーでしたので…小学生だった当時の私には、あまりの空気感に耐えられずその場で体調を崩してしまいました」
恥ずかしそうに目をふせながらも自然と口角を上げて昔の思い出話を語り出した。
自分の身を守る盾のように陽菜乃の体越しに間違いを探すように小さく頷きながら紅音も耳を傾ける。
「そこで私のことを助けてくれたのが九条家のご長女でいらっしゃる紅音お姉様なのです」
智瑛莉は顔を上げて紅音の方を見て幼い少女のようにあどけない笑顔をうかべる。
唐紅色のアイシャドウに囲まれた紅音の瞳は智瑛莉と目が合うと大きく開いてすぐに宙を泳いだ。
「お姉様は出会った時からとても優しくてお美しくて…今ではこんなに小柄で可愛らしいですが、当時はとても魅力的な大人の女性のように見えましたわ」
嬉しそうに紅音との過去について語る智瑛莉を他の部員も自然と柔らかい表情で見つめて話を聞いていた。
陽菜乃は自分の背中に隠れ続ける紅音にも気を使い相槌を打つ。
「それからはお姉様に会いたい一心でお姉様が出席なさるパーティーや発表会などは事前に調べあげ、父に無理を言って全て参加しましたわ。私の家は関西の方にありますのでお姉様に出会えるのは年に数回と少ないものでしたわ…」
「そ、そうだったのね…」
紅音も知らない事実があったようで驚愕の表情を浮かべる。
「中学はお姉様と同じところを考えたいたのですが、イギリスへの留学が決まってしまったのです。私はどうしていいかわからず…お姉様に相談したところ、紅音お姉様は留学するべきだと背中を押してくれましたの」
「まぁ。紅音さんにそんな一面があったなんて。驚きですわ」
「それだけじゃないんですのよ!!私がイギリスに発つ前日でしたわ…お姉様がわざわざ関西の拙宅まで私に会いに来てくださいましたの。…その時にこのリボンをもらいましたの」
智瑛莉は頭に乗っている真っ赤なリボンを両手で触る。
ところどころ使用感がありくすんでいるところもあったが、一目で丁寧に使っているのだと分かるほど大切にしているようだ。
「それだけならず、お姉様はその夜うちにお泊まりしましたの。…あの夜は今でも忘れられない素敵な…熱い夜でしたわ…」
「へ、変な風に言わないでよ!!」
両頬に手を添えてうっとりと恍惚の表情を浮かべる智瑛莉はその夜の事を思い出しているのか幸せそうだったが紅音は恥ずかしそうに頬を染めて突っ込むが否定はしなかった。
「イギリスにいた3年間、1日たりともお姉様の事を忘れた日はありませんわ…。そして3年経ち、この高校に入学すると紅音お姉様にまた出会うことが出来た…。お姉様のくれたこのリボンは私とお姉様を結ぶ運命の赤い糸ほかなりませんわ!!」
智瑛莉は興奮気味に胸元で小さなガッツポーズを両手ですると空気が震えたのかカップに残っていた水面が揺れた。
「まぁ、素敵な出会いですのね」
「ええ、ラブロマンス映画のようですこと」
「とても憧れますわ」
2年生3人は楽しそうにキャッキャと笑い智瑛莉の話に満足しているようだった。
「あなたもイキなことするのね」
「うるさいわねっ」
にっと片方の口角を上げて笑う陽菜乃にいじられた紅音は少し不機嫌そうに顔を背ける。
「では、智瑛莉さん…最後の質問です」
「はい、…なんでしょうか?」
興奮気味の智瑛莉はふぅっと軽く息を整えると座る姿勢を直して真美子に向き合い真っ直ぐに目を見る。
「智瑛莉さん…お紅茶はお好き?」
真美子は微笑んで首を傾げ問いかける。
智瑛莉は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするも涙ボクロのあるフランス人形のようにハッキリとしている目を細めて笑う。
「ええ、好きです。イギリスにいた時も毎日お友達と飲んでいました」
「そう。なら、今日から浅黄智瑛莉さん…あなたを午後の紅茶部の部員として歓迎いたします」
真美子がそういうと部員たちは賛同するように拍手を送る。
複雑な顔を浮かべる紅音も音の小さな拍手を送る。
「わぁ、ありがとう存じます!!私とても嬉しいです…また、お姉様と一緒にいられるのですね」
「紅音さんだけでなく、蒼たちの事も忘れないでよね?これからよろしく智瑛莉ちゃん」
「はいっ、蒼さん!!」
嬉しそうに笑う智瑛莉を部員たちは温かく歓迎する。
新しい部員のティーセットを揃えなくてはと真美子は思った。