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「ほら、練習するわよ」
部員全員がミルクティーのルフナと蒼のシフォンケーキをほとんど食べきった頃、最後にミルクティーを飲み干した翠璃が口元を拭いながら立ち上がり2つ隣に座ってプレーン味のシフォンケーキをもぐもぐしていた橙子を見下ろした。
いきなりの翠璃からの誘いに驚きと困惑で目を見開くと咀嚼していた顔の動きをとめて立ち上がった翠璃を見つめた。
「あら、翠璃ってばものすごいやる気ね」
「そんなに練習しなくたって、合格できるよー。私も全然だったしー」
突然やる気になった翠璃に陽菜乃と蒼が興味ありげに反応する。
橙子は目をぱちくりさせて口の中にあるものを飲み込むと真美子の方をむく。
真美子は大丈夫よと言わんばかりに微笑んだ。
「早くしなさいよ。ホントにトロいんだから」
「いきなり誘っといてなんなのよそれ」
「まぁ、王子様は不機嫌ですことね」
カップをテーブルに戻した真美子はどうしてか不機嫌そうな翠璃にも微笑みかけたが翠璃はふんっと鼻を鳴らした。
「こんな下手くそと組んだばかりに私の評価までさげられてはたまったもんじゃありませんもの」
「はあ?私は下手くそなんかじゃないわよ!!」
「あらご冗談、笑わせないでよ」
翠璃の挑発に苛立った橙子は挑発に乗って立ち上がり腕を組んで自分を見下ろす翠璃の元に行って強引に手を掴む。
手を掴まれた翠璃は自分の挑発に乗った橙子を馬鹿にするような得意げな笑みを浮かべると蓄音機の針をレコード盤に落とした。
「あなたこそ間違えたら承知しないわよ」
「お黙りなさいこのグズ。私を誰だと思ってらして?」
翠璃は橙子の背中に手を回すと流れてきた音楽に合わせてゆっくりと足を動かし始める。
橙子も翠璃の肩に手を添えて目線を足元に落とし先程真美子から教わったとおりに足を動かしていく。
しかし、失敗しないように気をつけすぎてぎこちない動きになり、なめらかに動く翠璃には釣り合わなくなる。
初めは翠璃をギャフンと言わそうと意気込んでいた顔は徐々に余裕のない苦しそうな表情に変わっていった。
その様子を察した翠璃がカバーするようにリードするがそれでも2人の踊りは不格好だった。
「…いい加減にしなさいよ!!」
「んぶっ!?」
抑えていた翠璃もさすがに橙子のぎこちない変な動きに耐えられなくなり音楽が流れているにもかかわらず腕を振りほどいて踊りを止めて、上手く踊れない自己嫌悪から下を向いて泣きそうになっていた橙子の両頬を右手で掴んでこちらを強引に向かせた。
優雅な音楽が流れているにもかかわらず、一触即発の2人の様子を見ると他の部員たちはなにか起きたら止めに入らなくてはと身構える。
橙子は目の前であからさまに怒っている翠璃に何を言われるか怯えていて腰が引けていた。
「な、何よ…」
「あなたってホントにグズね!!下手くそ!!さっきの方がまだマシだったわよ」
「ぐっ…」
痛いところを突かれて言い返せない橙子はうっすら涙をうかべて、それを悟られないようにと目線だけをあちこちに動かす。
不機嫌そうに眉を寄せる翠璃は真っ直ぐに橙子の瞳を見つめて続けた。
「いつもはムカつくくらいにヘラヘラしてるくせにこんな時だけ泣くの?あなた、いつまで子供でいるつもりよ」
「ちょ、翠璃」
さすがに耐えられない雰囲気になりそうなので陽菜乃が止めようとするが真美子は首を横に振り2人に任せましょうと陽菜乃を制止する。
「…う、…何なのよ…!!」
ここまで言われて手をきつく握りしめる橙子は翠璃を珍しく睨みつけるが、翠璃は物怖じしなかった。
「あなたさっき何を教わったのよ」
「…え?」
「真美子さんに何を教わったのか聞いてるのよ。…まさか、それすらも覚えていないほどあなたの頭の中には何も入ってないのかしら?」
翠璃は頬をつかんでいた手を頭の中に何もないということを強調するように頭を揺らすように左右に振りながら問いかける。
橙子はさすがに自分の頬み掴む翠璃の手を振り払った。
「そんなわけないでしょ!!覚えてるにに決まってるじゃない!!」
「じゃあきちんと実践なさいよ!!なんの為に稽古付けてもらったのよ」
「…でも、…そんな簡単に踊れないに決まってるじゃない…」
「出来ない言い訳する時間があるなら、どうやったら出来るようになるのかかんがえなさいよ」
翠璃がまた手を組んで橙子にキツイ口調だが最もなことを言うので部屋の中の誰も何も言えなくなった。
ため息を漏らす翠璃は蓄音機の針を上げて音楽を止めた。
「…何なのよ。あんた…ホントに自分勝手ね!!」
「はぁ?」
「いきなり練習付き合えって言って来たと思ったら、好き放題言ってくれちゃって…」
橙子は今にも泣きそうになっている顔を見られたくなく隠すように両手で覆って翠璃に反論するが声は震えていてくぐもっていた。
翠璃は言い返すこともせずに橙子の言葉に腕を組んで耳を傾けた。
「私だってね、…好きでこんなに下手にしてるわけじゃないのよ!!」
制服の袖で目頭を押えた橙子はすんっと鼻を1度すすると腕を組む翠璃の目の前にもう一度と言わんばかりに手を差し出すが、目を合わせようとはしなかった。
「…わかんないでしょうね…あんたなんかには」
翠璃が橙子の手を握ろうとした時に橙子がボソリとつぶやくと一瞬だけ手を止めたが言葉は何も返さずにギュッと握る。
「そんなに自信がないの?」
「え…?」
「ブスだとは思っていたけど、性格までブスだなんて…救いようがないのね」
握った手を引いて瞳を潤ませて何かを我慢しているように下唇を悔しそうに噛み締める橙子を踊るために抱き寄せる。
またブスと言われた橙子は素直に体は寄せるが目の前の翠璃をキッと睨みつけていた。
翠璃は睨まれているにもかかわらずそれに負けないほどの眼力で橙子を見つめているという異様な空気が流れた。
「な、なによ」
「アンタは左足から動かすクセがあるのよ。だからテンポがズレるの」
「…へ?」
「それにちょっとミスしたらすぐに顔に出るし、それを取り戻そうとして女側なのに張り切るからまた間違える…そんなことアンタは考えなくていいの」
いきなりの発言に戸惑っている橙子に翠璃は目線を橙子の目から外すことなくそこまで言うと頬をつねる。
「だから、アンタはなんにも考えないでいつもみたいにヘラヘラ笑って私に任せてくてればいいの」
橙子の頬を抓ってそこまで言うと翠璃はいまさら恥ずかしくなったようで手を離しバッと顔ごと目線をはずした。
橙子はただ目を丸くして翠璃を見たいた。
「ほ、ほらっ、ここまで教えてあげたんだから、もう何も怖いことなんてないでしょ!!だから、あとはちゃんと改善しなさいよね!!」
「…翠璃…」
先程まで翠璃を恨めしそうに睨んでいた橙子はぽかんと何度か瞬きをして素直にうん、と頷き蓄音機の針に手を伸びしたところで翠璃が口を開き続けた。
「ふ、不本意だけど!!」
思ったより翠璃の声が大きくて橙子はビクッと動きを止めてなによ、と翠璃の方に目をやった。
「不本意だけど…踊ってる時くらい、私がアンタの王子様になってあげるから…その間は…ちゃんとお姫様でいなさいよ…」
目線をそらしたままほんのりと頬を染めた翠璃は恥ずかしそうにボソボソと言って不本意だけどと最後に小声で付け加える。
先程まで自分を貶すだけ貶していた翠璃から突然の発言に目をぱちくりさせる橙子だったがそれが可笑しくてぷっとふいて数十分ぶりに笑顔を見せた。
「私が王子様になってあげるって…おっかしー」
「か、かか勘違いしないでよね!!アンタの下手くそなダンスに振り回されるのは迷惑だから、そのっ!!変な誤解なんてするんじゃないわよ!!」
翠璃の発言にクスクスと笑う橙子は顔を隠すように伏せた顔を片手で覆う。
翠璃は勘違いするなよと頬を染めて笑う橙子の手を思わず力強く握りしめて照れ隠しのように怒る。
痛い痛いと笑いながら橙子は顔を伏せたまま2、3回頷きもたれかかるように翠璃の左肩に額を乗せて制服の袖を目元に持っていった。
普段ならば気持ち悪いブスと振り払う翠璃も、はいはいと受け入れる。
「…ありがとう、翠璃」
橙子は翠璃から離れて顔をパッとあげて笑顔で翠璃に小声気味に感謝を伝えた。
翠璃は橙子の笑顔を見ると安心したように口元に小さく笑みを浮かべるが、照れ隠しなのかすぐに両手を離してぷいっと背を向けた。
「ふ、ふんっ…何よちょっと優しくしたらコレだもの。調子に乗るんじゃないわよ!!」
「はいはい、王子様」
「ちょっ、お、踊ってる間だけって言ったでしょ!!」
「じゃあもう1回踊りましょう。私があなたのお姫様になってあげるから」
「はあ?ブスが調子に乗るんじゃないわよブス!!アンタと私ならヴェルディも驚くほどの身分差でしょうね」
「はぁ?誰が椿姫よ!!それとも、あなたの方が下層階級の方なのかしら?」
「は?仮に私がウィカムでもアンタみたいなブスとなんか駆け落ちしたりしないわよ!!」
先程まで険悪な雰囲気だった2人もいつものようにお互いを睨みつけ合いながら貶しあえるほどの関係に戻り部員一同は安堵の表情を浮かべた。
「Pride and Prejudice…ふふっ、お2人にぴったりの作品ですわね」
「ホントですわね」
ウィカムという人物名を聞いてある作品を思い出した智瑛莉はその話の内容をぼんやりと思い起こしてクスリと笑う。
それを聞いた真美子もクスリと笑い同調した。
「もう、どうだっていいから手貸しなさい。今度のテストでミスしたら承知しないんだからね!!」
「あなただって、あそこまで自分で言ったんだからちゃんと踊らせなさいよね!!」
「はぁ?あなたの目は節穴なの?私を誰だと心得て?」
翠璃はまた橙子の手を掴む。
橙子はふふっと笑みを浮かべて手を握り返して踊る体勢になり、針を落とす。
ワルツが流れ始めたと同時に橙子は翠璃に笑いかける。
「ねぇ、王子様」
「…さっそく何よ」
翠璃が足を動かすと橙子もそれにつられて体を動かす。
変に力が入ってないからか心持ちが変わったからか、橙子の動きは先程のものよりも見違えるほどに成長していた。
さっそく王子様といじってきた橙子に照れも恥ずかしさも苛立ちも何時ながらぶっきらぼうに返事をする。
「私を選んでくれてありがとう」
オレンジ色のリボンを揺らす橙子がそう微笑んだ時に翠璃は初めて左足から間違えてステップを踏み込んでしまった。




