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梅雨時期に入り雲行きと天気が怪しい日が続くころ、新学期になって緊張が緩んだり張り切っていた子達の疲れが顕著にあらわれてくる時期になった。
空の青さ見たさに校舎の窓から外を覗いても、機嫌の悪そうな醜い灰色の厚い雲に覆われて一定量の大粒の水粒を地面に落としてアスファルトの色を変えて、雨の日特有の湿った空気と花壇の土の様な匂いがあたりに広がる。
不規則に落ちてくる雨粒が窓に当たる音を聞きながしつつ翠璃は眠い目をこすりながら校舎1階の保健室に向かって優雅にきどって歩いていた。
天候の悪い日は決まって頭痛が酷くなる。
耐えられないほどではないけれど、寝不足気味のからだと退屈な授業という条件がこの天候性の体調不良とあわさり保健室でちょっと休もうという判断にいたったのだ。
授業間の休み時間ということもあり職員室など教職員が在中する教室が並ぶ一階には生徒たちの姿がちらほら見えたが保健室に入っていく生徒は運良くいなかった。
「ごきげんよう…」
保健室のドアを挨拶をしながら開けて、薄く桃色がかった白の壁紙で綺麗に整備されている保健室全体に目をやってすぐ目の前にある養護教諭の机がある方に目を向けた。
しかし机にはいつもなら笑顔で生徒たちの心身ともにケアをしてくれるはずの笑顔が素敵な初老の女性教論の姿は見えなかった。
土足厳禁の保健室の入口で黒のローファーを脱いで3つしか設置されていないベッドを見ると両端は誰かが使っているようで青いカーテンで締め切られていた。
翠璃は保健室に来た生徒用の長机に置かれた来室記録の紙に自分の学年クラス名前をサラッと書くと、今日は誰にも使われていないのであろう真ん中のベットを使わせてもらうことにした。
シャーっとカーテンを閉めると薄い布の壁で個室ができた。
翠璃は深い息をつきながら綺麗にベッドメイクされたベッドに横になって薄い毛布にくるまる。
自宅のベッドよりも硬いマットレスだったが寝不足の翠璃には睡眠を妨げるような要因にはならなかった。
両隣にも生徒が横になっているはずなのに寝息のひとつも聞こえてこず死んでいるのではないかと不安にさえなったが1度目をつぶってしまえばそんなことも気にならなくなるほど緩やかに睡魔に襲われて、体から力が抜けていき意識も遠のいていくようだった。
勝手悪く感じるいつもの様にふたつに結わえた髪を解いて左向きに体を丸めて寝る体勢になる。
意識が夢か現実かをさまよっている辺りで保健室のドアが開けられた音がして、そのまま誰かが翠璃の眠るベッドのカーテンがゆっくり静かに開けられた。
養護教諭が誰が使ってるのか見に来たのだろうと思った翠璃だがもう体には力が入らず起き上がって一言いうのも煩わしく感じてそのまま無視した。
もう一度カーテンを閉める音がしたと思ったら次は被っていた毛布を剥がされる。
せっかく寝落ちしそうだった翠璃もさすがに目を開いて誰に何されているのかを確認する。
「っあ、…紅音さん…?」
「静かになさい。奴が来るの」
勝手に入ってきたのは土足厳禁なのにどうしてだか片手に自分の靴を持ってる紅音だった。
翠璃ははっきりしない頭を十分に働かせることが出来ずただ紅音の動向を見ていることしか出来なかった。
そんな翠璃なんか気にしない様子の紅音はベッドの下に見られたくないものを隠すように靴をしまうと、剥がした布団の中に遠慮なく入っていく。
「あ、紅音さん!?何をなさるんですか」
「いいから静かに。私を匿って」
騒ぎ出す翠璃を黙らせるように口元を手でおおって元々そうだったようにベッドに横にする。
「ちょっと紅音さん…」
「奴が…来る…」
それしか言わない紅音は身を隠すように横になった翠璃の腕の中に体を収めてさらに頭まで毛布をかぶり完璧に姿を隠したが、体のシルエットだけは隠れきれてなく変に毛布が膨らむ。
すっかり目が覚めてしまった翠璃は何度も瞬きをして今の状況を理解しようと試みる。
保健室のベッドで寝てたらいきなり紅音が靴を持って匿ってくれと自分のベッドに入ってきて隠れている。
先程まで完全に1人の空間だったはずのベッドは2つの体が横になっていて密着していないと落ちそうになるほどだった。
「奴ってどなた?」
「…」
眠るのを妨げられた翠璃の二の腕を了承もなく枕にして横になる紅音にため息を交えつつ問いかける。
紅音はすっぽりと隠れていた頭を布団から出して翠璃を見上げたと思ったらカラーマスカラで赤くなったまつ毛の瞳を閉じた。
「私が奴っていうのはあの人しかいないでしょ」
「んん…」
紅音のいうあの人の候補が何人か翠璃の頭に浮かぶ。
同じクラスの真美子と陽菜乃か紅音大好き人間の智瑛莉か。
次の時間が授業であるから必然的に前者の方だろうと翠璃は解釈した。
「だからいい?翠璃、もし誰かが私を探しに来るようだったら匿って欲しいの」
ずっと毛布に顔まで填めているのはしんどいらしく鼻まで外に出している紅音は目をつぶったままそう言うと眠る体勢に入る。
自分も眠るはずだったのにそんなことを引き受けると眠れなくなってしまうと断ろうとするも、それも面倒になりまぁいいかと翠璃も同じように目をつぶって少なくなった残り時間を睡眠に当てようと考えた。
色々あったにもかかわらずまた目を閉じると都合よく睡魔は襲ってくる。
体を丸めて寝ようとする翠璃は無意識に自分の腕の中にいる紅音に手を回し、足を絡めたりと体を多く触れさせる。
必然的に近くなった紅音の髪の毛からは美味しそうな甘いバニラミルクの奥にほのかなシトラスの香りがした。
「紅音さん…いい匂い…美味しそうです」
「こら、近い…」
「だって、紅音さんが匿えっておっしゃったじゃないですか…そうしてるんですぅ…」
紅音の両足の間に翠璃の曲げた右足が入り込む。
直に触れ合う太ももの肌にお互い汗をかき始める。
「変なところに足入れこまないでよ…」
「仕方ないじゃないですか…狭いんですもの」
「暑苦しいわ…」
「こんなことバレたら、私智瑛莉ちゃんに殺されますわね…」
「あら、短い人生ね翠璃」
「もぉ、その時は紅音さんも道連れですからね」
くすくすと笑いながらぬいぐるみでも抱き締めるかのように紅音を抱き寄せる翠璃だが、紅音は自分の顔に押し付けられる様な翠璃の胸元に眉を顰める。
翠璃は無意識なのかもしれないが腕の中で抱きしめる紅音にふくよかな胸元を押し当てるようで複雑な感情がわき起こる。
「…ちょうどいい抱き枕ですわ…」
手を回していた翠璃が腰あたりを撫でながら周りの迷惑にならないようにと小声気味に囁く。
紅音は後輩にそう言われるとイラッとするが大人に振舞おうと華麗に無視する。
「あら、怒りましたか?」
返事の帰ってこない紅音の顔を目だけで見る翠璃が問いかける。
紅音はふんっと寝返りをうとうとしたが足を絡められていたので断念して翠璃を睨みつけるが翠璃は気にしていない様子だった。
「…貴方と2人きりなんて初めてね」
「…え?」
眠る1歩手前だったようで蕩けた声で問いかける。
いつものつり目が幼い子供のようにぽやんとしていて紅音を見つめる。
「…そうですか?私はもっとあったと思いますわ」
「そうだったかしら」
「えぇ、…そうですねぇ…」
そう言って自分と紅音の過去を思い出そうとする翠璃は目を閉じる。
しかし翠璃はそれ以降目を開かず規則的な寝息を立て始めた。
紅音は隠れるだけで寝る予定ではなかったようだが目の前で気持ちよさそうに眠る翠璃の寝顔をみながら寝息を聞いているとそれに誘われるように眠りに落ちた。
ある程度時間が経ったころ、保健室のドアがまた誰かによって開かれる。
その生徒も全て使用中のベッドに目をやりどこにお目当ての生徒が寝ているのかを一つ一つのカーテンをめくって確認する。
まずは1番右、普通に生徒が寝ていて違った。
真ん中のカーテンを開くと本来なら1人しか寝てないはずのベッドに2人分の膨らみがあった。
きっとこれだろうと恐る恐る眠っている生徒の顔を覗き込んだ。
1人は誰かを抱き締めている翠璃でそんなに彼女に抱きしめられている生徒は毛布で顔が隠れていて辛うじて髪の毛だけがシーツに雪崩ていただけで誰だかはわからなかった。
靴もなかったしこの子が紅音だという確信もないまま、実技テストを控えた音楽の授業をめんどくさいと言う理由でサボった紅音をテストに合格して探しに行かされた真美子は毛布を剥がそうと手を伸ばした。
気持ちよさそうに眠る翠璃を起こさないように気を使って毛布を手にする真美子はごめんなさいねーと一応小声で断りを入れてゆっくりと剥がしていこうと引っ張った途端、眠っていたはずの翠璃から手を掴まれて制止される。
悪いことなんてしていないはずなのに真美子は翠璃に止められていたずらがバレた子供のようなばつの悪い表情を浮かべて慌てて布団から手を離した。
「起きていらしたの?」
「会長様ったら、生徒の寝込みを襲うなんて素敵な趣味ですこと」
フッと笑う翠璃は皮肉めいたことを言うと真美子の手を離した。
「まぁ随分ないいようね」
「会長様、申し訳ないですけど今ベッドは満員ですわ」
「そのようね。シングルベッドに2人で眠るほどですものね」
翠璃は自分の腕の中で眠る紅音に目をやって真美子に続ける。
「よっぽど疲れてらっしゃるようですわ。さっきから寝返りひとつされませんの」
翠璃は真美子が紅音を探しに来たことを察して名前は出さないもののその様子を伝える。
真美子はそうなの、と微笑みながらベッドサイドの丸椅子に腰掛ける。
「真美子さんは授業はいいんですか?」
「えぇ。私はいいんですのよ」
真美子は左手に付けている時計を翠璃にも見せつつ時間を確認する。
「翠璃さんはよく眠れました?」
「えぇ…真美子さんもいかがですか?」
「ふふっ、私は平気ですわ」
真美子はクスッと笑い2人の様子を眺め、髪の毛だけ出てるもう1人の頭を毛布の上から撫でる。
するとその毛布に包まれた体がもぞっと動き、翠璃の胸元に寄り添った。
「…私やはり戻りますわね。授業が終わったら彼女を迎えに来ますわ」
せっかく座った丸椅子から立ち上がった真美子は静かに翠璃に言うと、翠璃はコクンとうなづく。
「お休みのチューはしてくださいませんの?」
「もう少し大人になったらしてさしあげますわ」
翠璃と冗談を言い合ってカーテンをめくって出ていく真美子は紅音を見つけきれませんでしたと言いに音楽室に戻って行った。




