20
旧暦では夏に入ったある日の空は曇り気味でどこかどんよりとした雰囲気を出していた。
一日の最後の授業が終わり、放課後になって数十分が経つと三十人ほどの少女が居たはずの教室には誰もいなくなり廊下から少しばかりの会話声とたまに上品な笑い声が聞こえてくるだけだった。
晴天の日とは違ってスッキリしない天気は生暖かい緩やかな風を発生させてカーテンを揺らしていた。
大して気持ちよくもない風を遮るように窓を閉めてカーテンもしめる。
教室の空いている全ての窓に同じ事をすると、教室の中がさっきよりもほんの気持ちばかり暗くなったように感じた。
左手につけている腕時計に目をやると秒針は刻々と進み今を過去にしていく。
その度に愛する人と会える時間を削られている事実に少々苛立ってきた。
掃除も終わった教室で椅子に座るわけでもなくウロウロ歩き回るわけでもなく大人しく壁にもたれて自分を呼び出した見ず知らずの人を待っていた。
『本日の放課後 教室でお話があります』
今朝登校してきた時、自分の机の中に入れられていた手のひらに収まるほどの小さな桜柄のメッセージカードを改めて見つめた。
入学して1ヶ月と少ししか経っていないのにも関わらず、このような事がもう既に3回ほどあり今回で4回目になる。
宛名もなければ差出人の名前も書いていないのに綺麗な文字で書かれたメッセージカードを折りたたむとずっと1人だった教室のドアがガラッと開けられて女子生徒が1人入ってきた。
黒髪のショートカットで気の弱そうな少女は水色のスカーフをしていたので容易に1つ上の先輩であることがわかった。
壁にもたれていた智瑛莉は少女が自分の方に歩み寄ってきているのを見ると薄い頬笑みを浮かべてごきげんよう、と軽く挨拶をする。
「あの、私…今朝メッセージカード渡した者なんですが…」
微笑む智瑛莉が直視出来ないらしい少女は左下と智瑛莉の顔を交互に見て話しかける。
智瑛莉は微笑みを浮かべたまま対応するが、この少女が誰で以前にどこで会ったのかが全くと言っていいほど思い出せなかった。
「そうなんですね。…あの、失礼ですが以前にお会いしたことございますか?」
「あ、い、いえ…きちんとはあったことはありませんの…」
智瑛莉が言葉を返すと少女はさらに緊張した面持ちで答える。
記憶通りあった事がなかったことに智瑛莉はほっとした。
「そうだしたか。私、1年B組の浅黄智瑛莉と申します。以後お見知りおきを」
智瑛莉は笑顔のままスカートを持ち上げて必要も無いのに自己紹介をする。
少女も頭を下げて名乗ったのだが、地味な名前であったという事だけが頭に記憶された。
「それで、お話と言うのはなんでございましょう?」
智瑛莉は笑顔を浮かべてはいるが、とにかく早くこの不毛な時間を終わらせて一刻も早く愛してやまない紅音の元に行きたいとう事しか考えておらずアイドリングトークもなく本題に入らせる。
少女は智瑛莉の微笑みにぽぅっと見とれていたがすぐに我に返りほんのりと頬を染めてゆっくりと口を開くがなかなか言い出せずに自分の指先をいじっている。
「あの、その…私ね…」
「ええ」
少女はなぜだか今にも泣きそうな目で初めて真っ直ぐ智瑛莉を見つめると、声をふるわせてやっと思いを告白する。
「…私、浅黄さんのこと好きになったの、付き合ってもらえませんか?」
女である自分に対しての少女の告白に智瑛莉は特に驚きはしなかった。
女子が必ずしも男子を好きになりお互いを愛し合って体を重ることで幸せになるわけではないという事に理解はある。
特にこの女子校という男性の存在が排除された空間において恋に恋するあまり身近に存在する少女に向けた友情以上の感情を恋愛感情だと勘違いした少女達がこうやって愛を伝えることも珍しくはない。
そうやって穢れを知らない少女達が互いの感情の歪みを素直に受け取りまた違うものに作り替えていくのが、少女達が一時的欲する愛なのだ。
顔を真っ赤にした少女は智瑛莉の返答を待っていた。
「…ありがとうございます。お気持ちだけありがたくいただきます」
智瑛莉がそう微笑むと頭を下げると少女は泣きそうになり口元を両手で隠して俯く。
「…あ、その…」
「私には何よりも大切な方がおりますので、先輩のお気持ちにお答えすることは出来ません」
なにも棘を残さずにできるだけ丁寧な口調と姿勢でお断りすると、泣き崩れそうな少女の脇を通り過ぎて自分の荷物を手に取り1人だけで教室から出ていった。
何度経験しても、どうしてだかこういう時は罪悪感をものすごく感じてしまう。
自分には気持ちがないのに相手は自分勝手に気持ちを押し付けてきて、それを跳ねのけると被害者になるのはいつも向こうなのだ。
1年生の教室のある1階から中央階段を上り2階の紅茶部部室にそんなことを悶々と考えながら向かっていた。
一方的な気持ちの押しつけ、もしかしたら自分は同じ事を愛する紅音にしているのだろうか。
そう考えつくと智瑛莉は自分の今までの紅音に対しての行為を思い出して頭を抱えた。
「…ごきげんよう」
「あら、ごきげんようチェリーちゃん」
「もお、その呼び方やめてください!!」
少し時間をすぎた部室にゆっくりと戸を開けて入ると真っ先に最近自分をチェリーを呼び出した橙子が挨拶を返す。
不本意なあだ名に不満を表しながら既に準備された紅茶を飲んでいた愛してやまない紅音の隣に腰掛けた。
「…お姉様、ごきげんよう」
「ええ」
紅音は普段通りのポーカーフェイスを崩すことなく右手で持ったカップを斜めに傾けて体に流し込んでいる。
陽菜乃は遅れてきた智瑛莉に紅茶と今日のお菓子を専用のティーセットに盛り付けて目の前に置いた。
「智瑛莉さんが遅刻なんて珍しいですわね」
「申し訳ありません、先輩に呼び出されまして」
「へぇ、委員会か何か?」
「いいえ、大したものではありませんわ」
智瑛莉は用意してくれた陽菜乃に頭を下げていただきますとカップにくちをつけ紅茶を飲んだ。
今日のお菓子であるシュークリームを頬張る翠璃は親指についたクリーム舐めとると指を自分のハンカチで拭った。
「時にお姉様方、お聞きしたいことが」
「あら、なぁに?」
「難しい質問はパスよチェリーちゃん」
「私達に答えられるものでしょうか?」
智瑛莉は紅音を始めとした他の部員の顔を見回して問いかけると、普段なら言い出さない質問に部員たちは興味を示す。
「お姉様方は生徒達から告白されたことはおありですか?」
智瑛莉の思わぬ質問に真美子は口にしていた紅茶を吹き出しそうになり、その他の部員たちもぽかんと首を傾げる。
隣に座っている紅音は真っ赤なソーサーにカップを戻すと話を聞きたくないと意思表示するように首にしていたヘッドホンを耳につけようとするが智瑛莉に止ら嫌な顔をする。
「まぁ、どうしてそんな事を?」
「興味本位ですわ」
「陽菜乃さんはとても多いわよ」
蒼は順を抱きしめたまま陽菜乃に視線を向けて智瑛莉に答えるが陽菜乃は恥ずかしそうに照れ笑いをする。
「それを言うなら蒼だって先輩からすごい可愛がられるじゃない」
「えへへー、それほどでもー」
「1年の時は月に3人くらいはいたわよね、妹にしたいとか言われてさ」
自分のことを言われた陽菜乃が蒼に言い返すと橙子とそれに便乗して付け加える。
蒼は満更でもない笑顔を浮かべてはジュンを抱きしめる。
「でも、誰かのものになる気はないしねー」
「蒼ったらホントに小悪魔よね」
「もー、人聞き悪いなー。そう言う翠璃ちゃんこそ、結構お手紙貰うこと多いよね。ラブレターって言うの?」
口をつけていたカップを緑色のソーサーに戻しながら翠璃は蒼の言うことにどことなく嬉しそうに笑みを浮かべる。
「まぁ、私だからね。そりゃあ私に惚れるのは男の人ばかりじゃないわよね」
「とか言って、ほとんどただのファンレターだったじゃない」
自慢げに話す翠璃に横槍を入れた橙子はギロりと大きなつり目に睨まれて顔を逸らす。
翠璃は橙子を見ながら冷笑すると自分の足を組んだ膝に頬杖をついて続けた。
「まぁ、女子からも魅力的に思われなかった橙子さんにはこの気持ち分からないんでしょうけど」
「はぁ?ちょっと、翠璃!!私の何がわかるって言うのよ!!」
「あら、冗談で言ったのに…図星なのかしら?」
明らかにわざと言ってニヤニヤと笑う翠璃に橙子は苛立った様子でまた互いに睨み合っていた。
「でも、橙子ちゃんはいつも誰かに囲まれてるよね。常に誰かは笑顔だし」
蒼が2人が睨み合ってる間に入って橙子に言うと、私みたいにねーとニコッと笑う。
それを聞いた橙子は嬉しそうに微笑み蒼に抱きついてグリグリと頭を蒼の肩の辺りに押し付けて喜びを表現した。
「紅音も凄かったよね、上から下からひっきりなしにくるんだもん」
「あなたほどでは無いけどね」
「そうでしたわね。高等部に入ったばかりの時は可愛らしかったですものね」
「何よ真美子まで、今の私が可愛げ無いみたいじゃない」
口元に手を添えていた真美子の発言に不満そうな声で反論する紅音に真美子は違うのよ、と手を振って弁明する。
「可愛げなんてないじゃない。毎回呼び出されるのめんどくさいからって、途中から行かなくなって泣かされた女の子が私の所に何回来たことか…」
「それくらいで泣くような根性無しなら私には釣り合わないってことよ」
迷惑そうにそう言う陽菜乃にいつも通りの無表情で返すと智瑛莉に抱きつかれる。
「では、誰かとお付き合いはされたということはないんですの?」
「当たり前よ。女の子に惚れられたって仕方ないじゃない」
自分のことを大好きな智瑛莉に忖度なくキッパリとそう言う紅音に智瑛莉はこの世の終わりのような絶望した表情を浮かべる。
その智瑛莉の表情に5人は紅音にフォローの言葉をあげるように顔で伝えたが、紅音は全く気にしなかった。
「…お、お姉様…、それは本心ですか?…ご冗談ですよね?」
「さあ、どうでしょうね」
紅音は絶望しきった智瑛莉の表情をクスッと笑ったので6人は冗談なのか本気なのかが分からなくなった。
「ところで会長様はどうなの?最近お話聞かないけど何もないの?」
話題の中心だった紅音が大人しく周りの雰囲気を見ていた真美子に目線を向けてわざとらしく問いかける。
真美子が一瞬驚き目を見開くとそういえば知らないねと2年生は興味津々で陽菜乃は苦笑いをうかべる。
智瑛莉は放心状態で紅音の手を握っていた。
「え、えぇ?私?」
「真美子さんはとても人気ですわよね、5人に1人は真美子さんファンっていますもの」
「えぇ?私のファンなんて人がいらっしゃるの?」
「そりゃあいますよー、真美子さんと陽菜乃さんは後輩たちからの憧れですわ」
「それで、どうなんですか?」
こういう時にだけ団結力を発揮させる2年生は興味津々に真美子になにかを期待するような目を向けて返答を待つ。
そんな視線に真美子は苦笑いを浮かべてそんなことがあっかしらと記憶を遡る。
「んー、どうでしょう。忘れてしまいましたわ」
「えー、そんなー」
「真美子さんは高嶺の花すぎて誰も手が出せないんでしょうね」
蒼と橙子はそう納得していたが翠璃がなにかを思い出したようにあっと声を出す。
「そういえばクラスの子が言ってましたわ。陽菜乃さんには敵わないって」
「え?なんで私なの?」
「あ、そういう事か!」
翠璃の発言に蒼はなにか納得したようであー、と頷きながら真美子に微笑みを送る。
「真美子さんにはもう陽菜乃さんという存在がいるから告白するだけ無駄だったってこと…?」
橙子が前の発言をなぞりながら蒼に問い掛けるとそうだよー、と蒼が頷く。
自分の知らない所で出来ていた噂に驚く真美子と陽菜乃はどうするのがいいのか分からずにひたすら苦笑いをうかべる。
「あら、否定をしないって言うことはそういことでいいの?」
苦笑いを浮かべる陽菜乃をニヤニヤしながら見つめてさらに追求する。
「やですわ、紅音さんたら。そんなの噂ですわよ?」
「そうよ、私と真美子は友達よ?そりゃクラスも同じだし生徒会も一緒だから一緒にいる時間は長いけど…、それだけよね?」
陽菜乃が真美子にそうよね?と目で訴えるので微笑み頷く。
自分でおかわりを注いでいた橙子にひとつの疑問が芽生えて手を止める。
「あれ、それならばどうして陽菜乃さんには告白する女子生徒が多くいるのかしら?」
「確かに、その噂があるのだから陽菜乃さんにも真美子さんがいると解釈できますものね」
「真美子さんよりも自分が選ばれると自惚れていた身の程知らずってことね」
翠璃がいつもの通りきつい口調で言い切ると2年生は納得する。
変に解釈をされた陽菜乃は苦笑いしかしていなかった。




