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「この花、橙子がいけたの?素敵ね」
ある程度時間が過ぎてアフタヌーンティーが終わり隣接している給湯室で使い終わった食器類を洗い、雫を布巾で拭き取り棚に丁寧にしまった真美子は声のするテーブルの方を振り向く。
陽菜乃が小ぶりな白い陶器の花瓶にいけてある紫、赤、白のアネモネを愛でていた。
「まぁ、陽菜乃さんは見る目がありますのね。綺麗でしょう?このお花、私がいけたんですのよ」
「お花は素敵ね」
「何よ!!お花はって、お花もの間違いでしょう?」
陽菜乃の褒められ純粋に喜ぶ橙子を先程のことがあったのに翠璃は懲りずにまたつっかかる。
橙子も煽りに乗っかり言い返すが、それに翠璃はさらに言い返す。
「あぁら、ごめんあそばせ。橙子さんも素敵ですわ。お花の引き立て役にピッタリですもの」
翠璃は優雅な口調に似合わない、にぃっと冷ややかな意地の悪い笑みを口元にうかべ橙子を見つめた。
隣に腰掛けていた蒼は20cmほどの茶色いうさぎのぬいぐるみを手に抱え喧嘩が始まりそうな2人の顔をヒヤヒヤしながら交互に見つめていた。
「はぁ?引き立て役ぅ?この私が?…ほんとに、翠璃は私に嫉妬が尽きないのねぇ…可哀想に。私のこの美しさ分けてあげたいくらいだわ」
「はぁ?鏡でも見てきなさいよこのブス!!貴方なんて私の比じゃないわよ!!」
「あーもう、やめなさい!!」
このまま掴み合いの喧嘩になりかねない2人の間に陽菜乃が割って入り2人を止める。
止められた2人はふんっとお互いに顔を背けて蒼を挟んでソファに腰掛ける。
挟まれた蒼は疲れきった様子で青色のレースリボンを耳にしているうさぎのぬいぐるみを抱きしめたままため息をついた。
「あんた達はどうしてそんなに喧嘩ができるのよ。ここまで来ると才能ね」
呆れ気味の陽菜乃も蒼につられて頭を抱えて深くため息を吐くと、喧嘩の絶えない2人を交互に見つめる。
「ブスが私に突っかかってくるからいけないのよ」
「翠璃が私を僻むからでしょ!!」
「僻んでなんかないわよ!!」
「だから、やめなさいって!!」
すぐに喧嘩を始める2人をまた止める陽菜乃はもう呆れている様子だった。
先程2人を大人しくさせた蒼もさすがに苦笑いを浮かべている。
「翠璃さんはよっぽど橙子さんがお好きなようね」
真美子は口元に手を置いてクスリと小さく微笑む。
橙子と翠璃は双子のように同じタイミングで真美子の方に顔を向けて、否定の言葉を投げ返す。
「「好きじゃないわよこんな女っ!!って、同じこと言わないでよっ!!」」
全く同じ文言を寸分の狂いもなく同じタイミングに発する。
2人はまたそれが気に入らないらしくお互いに激しく睨み合って、今にも掴みあいの喧嘩が起こりそうだ。
「喧嘩するほど仲がいいっていうでしょ?」
「あっ、紅音さんよく分かってらっしゃる!!」
睨み合ってる2人を見ていたポーカーフェイスの紅音がボソリと口にすると、蒼が満面の笑みで同意する。
陽菜乃はただの不仲では?と納得いかないのかんーと2人を眺め唸っていた。
「えぇ、紅音さんの言う通りですわ。橙子さんも翠璃さんもお互いのことが気になるから喧嘩してしまうのよ」
「なら、この際お互いの好きなところ言っちゃいなよ」
真美子がクスリと微笑み2人にそういうと蒼が天然かわざとか持っているうさぎのように可愛らしい笑みを浮かべ両隣に座る橙子と翠璃を交互に見た。
「蒼ならず真美子さんまで、なんのご冗談を。この麗しい私がただの銀行頭取の娘に興味があるわけないでしょう?」
「なによ、お父様を侮辱する気っ!?私だって宝石商の娘には微塵も興味ありませんわ!!」
「もー、違うでしょ!!好きなところを言うの!」
頬をふくらませた蒼は立ち上がると隣りの1人がけソファに座る橙子の手を引いて無理やりに翠璃の隣に座らせた。
2人は蒼には強く言えないらしく渋々隣に座るが全く目を合わせようとはしない。
そんな事は気にもとめず蒼は幼い笑顔でお前の番だと言うように翠璃の肩に手を乗せた。
「はい、翠璃ちゃん。橙子ちゃんの好きなところは?」
インタビュアーがマイクを傾けるように蒼がうさぎのぬいぐるみの手を握り翠璃の口元に向けるように傾けた。
本気なの?と翠璃は目だけで蒼に言うが笑顔を浮かべる蒼の本気具合に気圧され、橙子に目線を向けてなにかを言おうと口をパクパクさせるだけで言葉は出ない。
耳を傾ける橙子は少し恥ずかしそうに翠璃の言葉を待つ。
悔しそうな翠璃は歯を食いしばり意を決していきなり立ち上がると顔を朱色に染めて橙子に指をさして大声でやっと言葉を発した。
「…っあ、アナタのそのヘラヘラと笑う顔ホントにムカつくのよっ!!お、思わず…か、かっ可愛がりたくなるでしょ!!それにね、アナタのまとまりのないその髪の毛!!…年頃な女子生徒の分際で汚らしいのよ!ふわふわしてて柔らかそうで…いっつも触り心地良さそうだなって考えちゃうじゃない!!しかも、そのセンスの全く無いオレンジ色のリボンだってねっ、あ、アナタじゃなかった似合うのはせいぜい小学校低学年までよ!このっ…万年ヘラヘラ女!!」
屈辱感からか悔しそうに顔を真っ赤に染める翠璃は花瓶にいけていた白いアネモネを雑に掴んで引き抜くとポカンと口を開ける橙子に向かって乱暴に投げつけた。
「…華道の家元の娘なら、花言葉の教養くらいおありでしょっ!?」
投げつけられた白いアネモネを手にする橙子は顔を真っ赤にする翠璃を真っ直ぐに見つめていた。
見つめられた翠璃は悔しそうに腕を組んで橙子に背を向けてソファにポスンと座った。
「この私に、ここまで言わせたのよ?さぞ私の事を愛でてくださるんでしょうね」
「半分悪口なのでは…?」
恥ずかしさを払うように足を組み大きなつり目でキッと橙子を睨みつける翠璃は余程恥ずかしかったようで耳まで桃色に染まっている。
陽菜乃は翠璃の発言にすかさずツッコミを入れた。
蒼も満足そうに笑顔を浮かべると次は橙子ちゃんね、と肩を叩いた。
橙子は投げられたアネモネを手にして嬉しそうにヘラりと笑った。
その笑顔を見た翠璃は驚く。
「翠璃ったら、ほんとに素直じゃないのね。そんなに私の事が好きだったの?だったらそう言いなさいよ」
満面の笑みの橙子も同じように花瓶からアネモネを引き抜いて、翠璃に差し出した。
「今のあなた、このアネモネと同じくらい赤く色付いてとても愛らしい顔をしているわよ。私には負けるけど貴方の笑顔だってとても素敵なんだから」
橙子は翠璃ににこやかな顔で赤いアネモネを握らせた。
そんな様子を見ていた蒼は満足そうに笑みを浮かべ拍手をして喜んだ。
陽菜乃も安心したように微笑み2人に蒼につられて拍手を送った。
「これで2人とも仲良しね!蒼嬉しい」
蒼は細い腕をめいっぱい広げて橙子と翠璃に抱きついた。
橙子はえびす顔で飛び込んできた蒼と背を向ける翠璃を抱きしめる。
翠璃はやめなさいよと、照れながら口ではいうもあからさまな拒否はしなかった。
「まぁ、一件落着ね。仲良くなってよかった」
陽菜乃が空気を切り替えるようにパチンと1回手を鳴らす。
紅音はその音に驚きビクリと肩を震わせた。
「ほら、もうみんな帰る時間よ」
陽菜乃は立ち上がり全部員にそう言ったところで壁にかけられたアンティークの振り子時計が午後6時を指し、低い音で時報の鐘を鳴らした。
「まぁ、もうこんな時間…。蒼、今日はバレエのお稽古ですの」
「あっ、私もお母様と出かけるんでしたわ」
鐘が鳴り終わる頃には皆は各々学生鞄や荷物を手に取りお迎えを呼ぶのか携帯で連絡を取り出す。
陽菜乃はバルコニーに出る窓の鍵を閉めて重そうな赤地に金刺繍が施されてるカーテンをビッと引く。
真美子も暖炉の隣にあるアーチ状のはめ殺しのガラス窓にカーテンを引いた。
「ほらほら、お迎え呼んだ?もう出るよー」
「はーい」
真美子も本革の学生鞄を手に取り中から携帯を取り出そうとしたが整頓されてる鞄の中をどれほど探しても自分の携帯電話が見当たらなかった。
どこに置いたっけ…と今日の記憶を遡っていくとお昼休みに諸事情で携帯を使ってそのまま生徒会室に置きっぱなしにしていたことを思い出した。
「紅音はまっすぐ帰る?」
「よるとこあるから、今日はダメ」
家が同じ方向にある陽菜乃は一緒に帰るかどうか紅音に聞くが真っ赤なヘッドホンを耳に当てた紅音はそう言うと手をヒラヒラと振って誰よりも早く部屋から出ていった。
「では、皆さんご機嫌麗しゅう」
「蒼も、ご機嫌麗しゅう」
「ご機嫌麗しゅう」
橙子、翠璃、蒼の2年生3人はスカートの裾を少し持ち上げて上品な笑みを浮かべて別れの挨拶をすると仲良く出ていった。
部屋に残った陽菜乃は出ていこうとしない真美子に目をやり声をかける。
「真美子はお迎えもう呼んだ?」
「私、携帯を生徒会室に忘れてしまったみたいですわ…。取りに行くついでに書類整理でもしようかと思ってますの」
「ふーん、書類整理なら私も手伝うよ。同じ生徒会だしね」
「それでは、紫之宮さんの帰りが遅くなってしまいますわ。書類整理くらい私一人で十分ですわ」
陽菜乃はそこまで言うならと自分の学生鞄を手にして携帯で連絡を取り始めた。
「でわ、私生徒会室に行きますわね。鍵閉めよろしくお願いします」
「はいはい、了解」
真美子は陽菜乃を置いて金色のドアノブを引いて部屋から出ると、来た時通った廊下を真っ直ぐ歩き生徒会室のある3階へ続く階段のある校内中央部に向かって歩いた。
「あっ、真美子まって!!」
ある程度歩いていった頃に背後から陽菜乃の声が聞こえ真美子は思わず立ちどまり振り返る。
企み顔の陽菜乃は小走りで真美子の元に駆け寄ってきた。
「紫之宮さん…?どうかしまし─」
真美子がいきなり目の前に現れた陽菜乃に疑問を持って声をかけるといきなり下顎を掴まれる。
目を丸くして驚く真美子をよそに陽菜乃は掴んだ下顎を軽く右にずらして真美子の顔を右向きにさせると反対の左側の髪の毛に手にしていた茎を短くした紫色のアネモネを刺した。
毛先が内側に曲がっている真美子のミディアムボブの艶やかな黒髪の大地に紫色のアネモネが1輪咲いた。
いきなりのことで驚きを隠せない真美子は反対に満足そうに微笑む陽菜乃をぽかんと見つめていた。
「紫之宮さん?…これは、花?」
髪の毛に刺された花を手で触り確かめながらもせっかく指してもらったのを崩さないようにする。
「うん、橙子が今日いけてたやつ見ててさ、見た時からずっと思ってたんだけど、この花真美子に似合うと思って。…うん、やっぱり似合う」
したり顔の陽菜乃を見ると思わず真美子もふふふと笑う。
「…ん?どうかした?」
「このためにわざわざ走っていらしたの?…ふふ、紫之宮さんったら案外可愛いところがおありなのね」
照れながらも嬉しそうにする真美子は、ありがとうと微笑む。
「だって私は真美子の旦那なんでしょ?なら、素敵なお嫁さんに花をプレゼントすることは普通じゃん」
陽菜乃も嬉しそうに微笑むと八重歯がのぞく。
「あら、それはプロポーズと受け取っていいのかしら?」
「ははっ、冗談」
真美子と陽菜乃はお互いに冗談を言いあい笑い合う。
「じゃあ、私車待たせてるからもう行くね。一人で仕事もいいけどあんまし無理しないでね」
腕時計に目をやる陽菜乃は口早にそう言って生徒用玄関に向かって走っていった。
真美子はそんな陽菜乃の背中が見えなくなるまで手を振り見送ると刺された花を外すことなく無意識に嬉しそうな笑みを浮かべ生徒会室に向かった。