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「では藤倉君。異世界との交流が始まって以来、我々が浴した恩恵として何が挙げられるか答えてもらおうか」
「……はい。我々が受けた恩恵としてまず挙げられるのは、環境問題の解決です。五年前まで、地球温暖化、大気汚染、エネルギー資源の枯渇など我々は数多くの問題に悩まされてきました。しかし、異界人たちはそれらをあっという間に解決していきました。我々の科学では説明できない技術をもって。他にも、食糧問題の解決や難病の治療法の開発などにも関わっていると言われています」
「では今度は……藤倉君。我々の世界に対する悪影響としては何が考えられるかね、藤倉君」
「悪影響としては……まず考えられるのは当初の混乱でしょうか。いきなり異世界から、しかも人間の上位存在とも言える存在からのコンタクト。世界中で抵抗活動が起こったのは当然の流れです。……それもすぐに鎮圧されましたが。異世界と――各国の連合部隊によって。どんな活動をしようが瞬く間に鎮圧されては、何をやっても無駄だと判断したのでしょう。今日ではそういった活動も下火になっています。派手なテロ活動を行わない、『人類の英知』のような団体以外は生き残っていません」
「では『人類の英知』はどうして生き残れたのだと思うか、藤倉君。答えたまえ」
「先ほども述べたように、テロのような派手かつ一般人に危害を加えるような活動を行わないからだと思います。地味で小規模な活動をしている以上、目につきにくいし、また一般人からの非難の声や世界治安維持機構への通報も避けられます。それに、『異界人からの助けなどなくとも、我々人類の手で多くの問題は解決できたはずだ』という彼らの主張は、多くの人に受け入れられるものでもあるでしょう」
「ふむ。藤倉君はそこまで理解してきたというわけか。成程。……では本当に『人類の英知』が言うように、人類は異世界と接触しなくてもいつかは問題が解決できていたと思うか?」
「それは……」
「じゃあ、今回のレポート課題はそれでいこうか。『人類は「現代社会」の問題を解決できていたか否か』。形式はA4の用紙に五枚で、字数は一ページにつき一二〇〇字。提出は来週のこの時間まで。『異学』がなぜ『異世界学』でも『異界学』でもなく異学であるか。それは『界』に限定しない幅広い視野を求めているからだ。諸君には、そのことをふまえたレポート作成を期待する。特に……」
「――この講義の間中、夢の中の異世界に旅立っていた貝塚君にはね」
「……へっ?」
名前を呼ばれた気がして、未理は突っ伏していた机からはね起きた。そんな未理の視界に入ってきたのは、今まさに扉から出て行った鷹薬の後ろ姿だった。
「……まずいことになったわね、未理」
ため息をつきながら、奏緒が言った。
「え? ……ええ?」
寝ぼけ眼をこすりながら、未理は戸惑ったように聞き返す。全く状況が把握できていないその様子に、奏緒はまたもやため息をついた。
「未理、授業中爆睡してたのばれてたわよ。だからレポート課題を未理だけは特別に綿密に、それこそ重箱の隅をつつくような細かいところまで見て下さるそうよ」
奏緒の言葉に、未理の眠気が吹っ飛んだ。そして、さーっと音を立てるように顔が青ざめていった。
「ど、どうしよう奏緒。だって奏緒、今日は三回も連続で当てられてたわよね。その鷹薬教授の特別って……」
「三回じゃないわ。十五回よ、十五回。未理、一体いつから、っていうかどれだけ眠ってたのよ」
呆れ果てたように言う奏緒に、未理は絶句した。
「う、嘘。だって私今までそんなに寝たことなんか……」
授業中に眠くなったことが皆無だとは言わない。だが、それでもせいぜい五分から十分程度だ。奏緒が授業中に計十五回もの質問に答えていた時間眠っていたことなど、これまで一度もなかった。
「今までなくても、今日眠っていたことは事実よ。事実を受け入れて、レポートに心血を注ぐしかないわ」
「それは、そうだけど……」
理屈ではわかる。だが、あの鷹薬の要求水準を越えるようなレポートなど、どれだけの完成度にしなければならないのか想像もつかない。未理は、奈落の底に突き落とされた心地を味わった。
「そんなに落ち込むなよ、貝塚。授業中に寝ることぐらい、疲れてれば誰だってあるじゃん」
肩を落とした未理の背後から、気遣うような気さくな声がかけられた。
「いっきー……」
声をかけてきたのは、異学部唯一の男子学生である樹翔だった。
「それにレポートだってさ、わからないことがあったらお互いに聞き合おうぜ。よく言うだろ、困った時は助け合いって」
「……そうね。ありがとういっきー、ちょっとほっとしたかも……」
友人としての心遣いが身に染みる。未理は幾分か心が軽くなるのを感じた。
「じゃあ早速だけど、わからないところがあるから教えてくれるかしら?」
奏緒はそそくさと授業プリントを取り出すと、翔に見せようとするが、
「藤倉ならわからないところなんてないだろ。つうか、お前にわからないなら俺にだってわかんねーよ。それにこういうのは人に頼るのは最終手段で、基本的に自分でやらないと意味ないし」
「……わかってるわよ、そんなことくらい。樹くんに言われなくたって」
相手にされず、奏緒は不満気に口を軽くとがらせた。
一方翔もどこか居心地の悪そうな表情を浮かべ、
「くんづけじゃなくて、『いっきー』でいいって言ってるだろ。今までずっと『いっきー』で通してきたから、『樹くん』なんて呼ばれると背中の辺りがむずむずするんだよなあ……」
「嫌よそんなフランクすぎる呼び方。それに、鷹薬教授は全員君づけで呼んでると思うけど?」
「いや教授は別だろ、教授は」
未理は名前に関する奏緒と翔のやり取りをそれとなく聞いていたが、昨日のことが思いだされそうになり、慌てて首を横に振った。
(危ない危ない……)
せっかく奴と離れた大学という場所にいるのだから、せめてその間だけでも意識から締め出しておきたかった。
「未理は今日はもう講義ないわよね」
翔との会話に決着がついたのか、奏緒が未理の方を向いて尋ねた。
「うん。奏緒も確かそうよね」
「ええ。じゃあ帰りましょうか。じゃあね、『かっけるん』?」
「ぐあっ⁉ 何でお前がその呼び方知って……!」
「……かっけるん?」
聞き慣れない呼び名に未理の顔に疑問符が浮かんだが、
「さっさと行きましょう、未理」
奏緒に引きずられるようにして、未理は講義室を後にした。
ダメージを受けた様子の翔を、机の影に残して。




