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「……それで、私と何を話したいのかしら」


 屋外のベンチに隣合わせに腰掛け、白い雲のたなびく様子を眺めながら奏緒は冬治に尋ねた。

 本来なら対面するように座して顔を見て話すべきだろうが、先ほどの出来事に心をかき乱されたせいか、どうにも冬治の顔を見ると落ち着かない。


「改まるような、大した話がしたいっていうわけじゃないんだけど。何て言うか、異学部の様子とか、藤倉さんが普段どう過ごしてるのかっていうのにちょっと興味があって」


 ちょっとと言う割には先刻の叫びは熱が入り過ぎていたと奏緒は思ったが、それは口には出さず冬治の要求に応える。


「別に、変わったことはしていないわ。未理と話したり、鬼畜な教授に課題を出されたり。どこの学部でも、大体こんな感じなんじゃないの」

「他の学部には、鬼畜とまで言われる教授はそんなにいないと思うけどなあ……」

「じゃあ、蔭枝くんのところはそうなのね。羨ましい限りだわ」

「いや、それは……」


 ため息をつきながら奏緒が言うと、なぜか冬治は口籠った。

 悪いことを聞いてしまっただろうか。それとも、皮肉を言っているように聞こえてしまったのだろうか。


(……これもまただわ)


 冬治といると、自分の一挙一動をやたらと気にしてしまう。未理や翔といる時には思いもしなかったはずなのに、どうして。


「……言いにくいことなら、無理して答えなくていいわ。ごめんなさい、私の聞き方が悪かったわね」

「それは違うよ! 藤倉さんは悪くない。俺が答えられなかったのは、ちょっと教授がどうだったかを思い出そうとしてただけで。ほら俺まだ一年だから、そんなに専門の授業がなくて教授と会うことがあんまりないから」


 奏緒の非を強く否定する冬治に、奏緒は目をぱちくりとさせた。


(……ほとんどの人はこういう場合、曖昧に言葉を濁したりすると思っていたのに、ここまで言い切るようなタイプの人がいたなんてね……)


それは奏緒にとって、新鮮であるとともにどこか喜ばしい発見だった。


「……ありがとう」

「え、何が?」


 思わず滑り出た感謝の言葉に冬治が反応したが、奏緒は慌てて「何でもない」と首を振った。


「そっ、それより。蔭枝くんの方はどうなのよ。学部とか、サークルとか、……楽しい?」

 何が「それより」なのかはよくわからないが、奏緒はとっさの思いつきで冬治に話題を振った。

「えっ、俺? 楽しいかどうか? ……うーん、そう訊かれると……まあ、楽しい、かな。学部はまだ慣れた気がしないけど、授業自体は面白いし、サークルも入ったばっかだけど、音楽は好きだから楽しめてるかな」

「そう。いいことじゃないの」


 奏緒は軽く口元に笑みを浮かべた。大学生活が楽しいと言うことができる。大いに結構なことじゃないか。


「……あのさ。また俺から訊いてみてもいい?」

「? 別にわざわざ断らなくても、訊いてくれて構わないわよ」


 少し切り出しにくそうな冬治の様子に首をかしげながら、奏緒は先を促した。


「……藤倉さんは、どうして異学部に入ろうって思ったの?」

「え?」

「いや、異学部ってさ、入試はめちゃくちゃ厳しいし、新設されたばかりだからさ、何て言うかその、勝手もわかりづらそうじゃん?なのにあえて選んだのはどうしてかなって」

「…………」

「あ、ごめん。言いたくないなら言わなくていいんだけど、もちろん。ただ単純な興味っていうか」


 先ほどの奏緒と同じようなことを言いながら、冬治が手を横に振っている。その様子を目にして、慌てて奏緒は否定する。


「どこから話したらいいか考えてただけで、話したくないとかそういうんじゃないわ。……でも、聞いても別に面白い話じゃないと思うわよ」

「藤倉さんの話なら、どんな話でもきっと面白いよ」


 無邪気にそう言う冬治に、奏緒はその言葉はどこまで本気かと呆れて問い返したい気持ちになった。だが根拠のないお世辞だとしても、なぜだか嫌な感じはしなかった。


「…………」


 奏緒はしばらくの間沈黙していたが、意を決したように訥々と話し始めた。


「…………私、大学に入るまで、友達っていたことがなかったのよね」

「………………」


 冬治は何も言わない。話し始めがいきなり重すぎただろうかと奏緒は焦ったが、今さら取り返しはつかない。それに偽らざる事実であることは確かだし、なぜ異学部に入ったのかという動機にもつながる。ここで中断しては話が続かない。


(面白くないって言ったのに、聞きたいなんて言うから……)


 冬治に責任転嫁するような考えが浮かんだが、心は鉛を流し込まれたかのように重く、冷たい。思考と本心が一致していない証拠だった。


「……幼稚園のときも、小学校のときも、中学も高校もずっと。私は一人だった」


 きりきりと軋む心を無視して、奏緒は話を続ける。聞きたいと言ったのは冬治なのだから、と言い訳する声に従って。


「どうして、一人に?」


 冬治の声に、思わず横を向く。するとそこには、ただ奏緒を気遣うような冬治の顔があった。しかし、表情とは裏腹に、冬治の言葉は奏緒に話の先を促すようなものだった。


(……そんな苦しそうな顔して。どうして、さっきみたいに「無理しないで」とか言わないの?)


 思い、そして気付く。

 冬治自身が聞きたいと言ったから。

 奏緒が話してもいいと言ったから。

 それに、


(私が今、話したいと思っているから…………)


 だから、冬治はたとえ慰めや制止の言葉を言いたいと思っていても言わないのだ。自分の言葉に責任を持つために。そして何よりも、話し手である奏緒のために。

 だったら、今奏緒にすべきことは、そんな冬治の思いを尊重することしかない。


「……理由なんて、きっとないんじゃないかしら。あるいは、ほんの些細なことがきっかけで、とかかもしれないわね。たとえば、他の子が楽しいと思うようなことを楽しめなかったり、他の子が笑ったところで笑えなかったり。そんな本当に小さな、……でも、当の本人たちにとっては、きっとそれが重要なことだったんでしょうね。それができる子は仲間に入れていい子で、それができない子は仲間に入れてはいけない子。小さな子は小さな子なりに、弱い自分を守るために、自分と同類を集めて身の周りを固める方法を見つけ出したんだわ」


 それが、「仲間に入れてはいけない子」をどれだけ傷つけたとしても。


「多分、そんな理由で私は幼い頃にはじき出されて、それからずっと一人きりだった。小学校高学年くらいにはもう、誰ともつるまず無愛想で、かわいくない子供の出来上がり。仲良さそうに笑ってる子たちの横を、不機嫌な顔して通りすぎるような、そんな子供の。それで、私が通り過ぎた後にその子たちがひそひそ話をしてたりしたら、私はこう思うのよ。『あなたたちみたいに、人のことを陰で言ったりしないだけ、私の方がマシよ』なんてね」


 その当時は本気でそう思っていた。思いこもうとしていた。


「でも、それはただの強がりでしかなかったのよね。自分と誰かを比べて自分の方が上だとか、それはそうしなければ自分のことを守れないとわかっているからやってしまうのよ。……そう考えてみたら、結局は誰も彼も自分を守りたいという点では同じなのね。私に他人のことをとやかく言う資格なんて、もともとなかったんだわ」


 今の自分ならそう言える。だが当時はそれを受け入れられるほど大人でもなく、そして心の余裕もなかった。


「愚かな私は、自分は他人とは違うって内心で思っていたわ。私はつまらない他人とは違う。だから、あんな人たちと一緒にいなくても平気だって。……でも、そう信じているつもりだったのに、私は他人をいつも気にしていたわ。あそこで何を話しているんだろう。それは面白いことなの?私とじゃ話せないようなことなの?どうして私はあの輪の中にいないの?……本当は、心の奥底でずっとそう感じてた。ずっと、寂しかった。でもそれを認めたら、負けたような気になってしまうから。だから、私は嫌な私を止められなかった。……そんなある日のことだった」


 思いを馳せるのは、奏緒にとっての運命の日。


「あの日、いつもと同じように私は休憩時間だっていうのに一人ぼっちで席に座ったまま、ぼーっとしていたわ。そのとき、ふと耳に入った話があったの」


 それは本当に偶然だった。ぼんやりと夢現を彷徨っていた意識が教室へと戻ってきたとき、たまたまクラスメイトの話が耳に入ってきたのだ。


「――『二〇一二年の今年、地球が滅びる』っていう話」


 聞いたそのときは、何の話をしているのかとわからなかった。てっきり漫画か何かの話をしているのだとも思った。


「常識で考えたら、何を馬鹿な、と思うような話よね。実際、当時の私はそれを現実の話だとは思わなかったわ。でも、なぜか気になって。それで、家に帰ってからネットで調べてみたの」


 今思えば、それは未練だったのかもしれない。他の人も知らないような話を自分が知っていれば、皆が自分のことを見てくれるようになるかもしれないと。

 自分に調べられるようなことが他人に調べられないはずがないことくらい、少し考えればわかったはずなのに。


「そうしたら色々出てきたわ。マヤの予言だのアセンションだの黙示録だの、もう細かい内容なんて覚えてないけれど、とにかく地球が滅亡するって話がたくさん。もちろん、信じられるはずはなかった。試しに親に聞いてみたら、何でも過去にも似たような話があったって言うのよ。ますますもってうさんくさいと思ったわ。それで、『二〇一二年地球滅亡』を私は忘れたはずだった」


 けれど、それから何カ月後かたったあの日に。

 世界は一変した。


「二〇一二年十月一日。あの時、わたしは学校で一時間目の授業を受けていたわ。先生の話が右の耳から左の耳に抜けて行くような、いつも通りの授業を。その最中に、あの異界王の『宣告』を聞いたの」


 今でも目に浮かぶ。顔面蒼白となった教師や、混乱したり、騒いだり、これは夢だと思いこもうとしたりするクラスメイトたち。

 もちろん奏緒も前代未聞の状況に対する不安は感じた。恐怖も。

 けれど。


「耳の奥で早鐘のように打つ心臓の音を聞きながらも、私は思ったの」


 こんなに鼓動が乱れたのは、恐怖と不安のせいだけではなく。


「これは、『チャンスだ』って」


 胸の奥深く、泡沫のように浮かび上がってきた感情。それは紛れもない歓喜だった。周囲を冷めた目で見渡しながらも、緩みそうな頬の筋肉をとどめたのを奏緒は確かに記憶している。


「チャンスって、……え? だって、いきなり非現実的なことが起きて、世界中が大混乱だったはずじゃ……」


 今まで無言で相槌を打っていた冬治が、信じられないという顔をして口を挟んだ。それは奏緒の話を聞いていたのが冬治でなかったとしてもそうしたような、ごく自然な反応だろう。


「過去の非現実的なことは、今の現実的なことなのよ。異世界や異界人の存在なんて、私たちの世界ではお伽話でしかなかったのに、今となってはそれこそが現実だもの。だから、『非現実的なこと』ではなく、『非現実的だとみなされていたこと』と言うのが正しいわ。……って、聞きたいのはそこじゃないわよね」


 異学部に籍を置く者として思わず訂正してしまったが、そちらの方面に話が逸れてしまってはどうしようもなくなる。軌道修正を図ろうと、奏緒は一度かぶりを振ってから話を再開した。


「あのとき異界王は言ったわ。私たちと『友人』になりたいって。それを聞いて私、すごく…………悔しかった。私がずっと思ってきてたけど、意地が邪魔をして口にできなかったことをいとも簡単に言えてしまうなんて、なんてずるいんだろうって。もちろん、あの言葉は外交上の決まり文句みたいなもので、そんなに深い意味があってじゃないことくらいわかっていたわ。それでも、悔しいものは悔しかったのよ。だけど、同時にチャンスだとも思ったの。だって――」


 そこで、奏緒の話が途切れた。

 そして今になってようやく気付いたというように、目を見開く。


(私、ここまで話して、いいえ、ここまで来てしまったの…………⁉)


 こんなつもりなどなかったのに。こんな、自分の心を丸裸にしてさらけだすような真似など。

 友人がいなくて孤独で。それで、たまたま心の隙間を埋めるように興味を持ったのが異学だったとか。そんな、嘘ではないにしろ真実でもない話をしてしまえばよかったし、話し始めたときにはそうしようと思っていた。

 なのに、気づいたときには取り返しがつかないほど歯車は狂っていた。

 自分の過去、自分の弱さ、自分の甘え。何もかもを話してしまっていた。冬治が真剣に話を聞いてくれようとしたから? それはあるだろう。自分が誰かに話してしまいたかったから? それももちろんだ。

 けれど、今の奏緒は立ち止まっていた。本人以外誰にも触れられない場所にある、幾重もの鎖と錠前に閉ざされた扉の前で。

 ここまで話してしまったのを恥じる気持ちはあるし、後悔する気持ちもある。だが、まだここまでは話してもいいと思える範囲ではあるのだ。未理とこういった話をする機会があるのなら、多分話してしまえるだろう。短い付き合いであっても信頼に足ると判断した相手になら、言ってしまっても構わないといえば構わないのだ。話した後で帰宅して一人になったときに、穴を掘って隠れたい衝動にかられるかもしれないけれど。


 だけどこの先は、扉の向こうは。

 話せない。

 話したくない。

 だって、これは過去のものじゃないから。

 そう、今も自分は――


「…………え…………⁉」


 温かな手に自分の手が包まれた気がして、奏緒は顔を上げて左横を見た。

 そこには奏緒の左手を両手で握り、じっと耐えるような冬治がいた。


「蔭枝くん、何して……」


 奏緒の問いかけに冬治は答えない。ただ目を伏せ、何も言わず奏緒の手だけを握っている。

 冬治の体温が、ほのかに伝わってくる。

 そして、冬治の思いも。


(…………これは、待ってくれてるっていうことなの…………?)


 人が、他人の思いを理解することなどできはしないというのが奏緒の持論だ。

 自分というものがある以上、他人の思いを理解しようとすればそこには必ず自分の考えが入り込む。一人でいる子は一人でいるのが好きだというように。あるいはその逆に、一人でいる子はきっと心の中では寂しいはずだというように。どちらにせよ、他人の思いを推し量れば、それは自分の都合のよい方向に歪む。

 それに、人の思いはそう単純に言い表せるものではない。思考と感情が一致しないように。相反する二つの感情が同時に湧きあがるように。たとえ、人の心を読み取れる異界人がいたとしても、そこに付随する細かな感情の機微までも正確に把握できるとは考えづらい。もしそこまでの能力を持った異界人がいたのなら、とっくにこの世界は異界人の思い通りになっているはずだ。

 しかしそこまで理屈を並びたててみても、奏緒は冬治が自分を待っていてくれているという思いを否定できなかった。

 なぜなら、気がついたからだ。

 気付かぬうちに自分の手が震えていて、冬治に握られて少ししてから震えが止まったことに。

 自分の手は震えていた。冬治が震えるその手を握った。それは、冬治が震えを抑えようとしたからだ。

 震えは止まった。けれど、まだ冬治は握りしめたその手を放さない。それは、手を放したらまた震えが始まると冬治が思っているからだ。つまり、手がもう震える恐れがなくなったと冬治が思ったら、彼は手を放す。

 まとめると、冬治が手を握っているのは、自分の手が震えなくなるのを待っているからだ。

 奏緒はそう結論づけた。主観をできる限り排し、客観的証拠に基づいて。

 そこに入り込んだ自分の希望というノイズは、意図的に無視した。


(……待っていてくれてるのなら、私は何とかしないといけないわね……)


 震えを止める方法は、二つに一つだ。

 ここで話を打ち切るか、それとも話し切ってしまうか。

 心の奥に目を向ける。そこに立ちふさがる扉は重く、そしてあまりに冷たい。

 縛鎖を断ち切る工具も、錠前を開く鍵もない。


(――でも)


 この温もりが、扉を開く鍵になると信じて。


「……………………だって」


 がちがちに閉ざされた扉をこじ開ける。重みが身を軋ませる。冷たさが身を焼く。


「だって――……」


 痛みを伴いながら、扉の隙間に呼びかけた。

 出てきて。

 弱くても、浅ましくても。

 それでも。


「…………だって、大多数の人から嫌われるような異界人なら、私の友人になってくれるかもしれない。だって、だって私くらいしか、受け入れてくれる人なんていないでしょう⁉」


 今の自分に続く、自分の一部なのだから。

 震えとともに、奏緒は心を引きずり出した。


「それに、嫌われ者は嫌われ者同士固まればいい。自分たちのことを見てくれない人なんて知らない。そんな人たちなんていなくても生きていける。……ううん、違うわ。そうじゃない。それだけじゃない。私が他の人たちが恐れるような異界人と仲良くできるってことを示してやりたい。あなたたちとは違う。私は、他の誰も排除したりなんかしない! 他の誰も見捨てたりなんかしない‼」


 痛みに耐えるために声を荒げながら、奏緒は身にまとう黒いリボンとレースに飾られたゴシック・アンド・ロリィタの服を瞳に映す。そういえば、ゴシック・アンド・ロリィタに袖を通し始めたのも、ちょうどあの頃だった。ゴシックとロリィタという異なる二つの要素を組み合わせた独自のファッションに、奏緒は自分の希望を重ねたのだ。

 異なるものとの融和という希望を。


「でも、でも、でもっ……」


 希望を抱いたはずだった。夢を見たはずだった。

 それなのに。


「私は、『受け入れられない人』を受け入れられないでいるのよ……‼」


 食堂でのときも、冬治と最初に会ったときも。異学部というだけで避けようとしたりするような素振りを見せそうだと判断した相手には、どこまでも冷淡で攻撃的な態度をとってしまう。

 それでは、奏緒の嫌悪するタイプの人間と同じではないか。

 わかっている。

 それが理解できないほど奏緒は鈍感ではない。

 わかっているのに。


「私は、異界人とか、異学部とか、っ、そんな、上辺だけで、中身を見ようともしない、そんな人たちが大嫌いよ……っ、でも、本当は、もっと嫌いなのは、私自身で、っ、どうしようもない私で! 受け入れたいだの、っ、偉そうに、思ったり、……考えたりしてるくせに、何もしない、それどころか,全く正反対な行動とったりして……! こんな私なんて、私なんて、私なんて私なんて!」


 嗚咽混じりに奏緒は心情を吐露した。意識の底に沈んでいた泥土に手を突っ込み、探り当てた欠片をやけくそに次から次へと表へと出すように。

 目が痛い。鼻の奥がツンとする。それでも、滲みかけた雫はこぼさない。こぼしたら負けだ。何に負けるかって? もちろん自分の弱さにだ。

 だから、そんな弱さに負けそうな自分なんて。


「私なんて、っ、……いなくなっ――」

「藤倉さんっ‼」


 奏緒の名を呼び、冬治は握っていた手にさらに力を込めた。奏緒が手の届かないところへ行かないようにと、必死な思いで。


「その先は、その先だけはだめだ‼」


 しかし奏緒は冬治の手を振り払おうとする。


「……やめてよ! っ、私が、嫌な人間だって……、私が、一番よく知ってる‼ 私はっ、蔭枝くんに、っ、………慰めて欲しくて言ってるわけじゃない‼ ただ私のずるさを、……吐き出してしまいたいだけなのよ! ……何だ、やっぱりずるいわ、私……。自分の、っ、都合に蔭枝くん巻き込んで……」

「…………確かに藤倉さんはずるいかもしれない」


 冬治は奏緒の言葉を曖昧な表現ながらも肯定した。会話の流れから否定すると思っていた奏緒は、意表を突かれたように目を見開く。


「……自分の寂しさを埋めるために、異界人を利用できるかもしれない、って思ったから……?」


 確認の意味を込めて奏緒は問いかけた。

 しかし冬治は今度は首を横に振る。


「ううん、それは藤倉さんにとってのずるさであって、俺にとってのずるさじゃない。俺がずるいって思うのは……」


 冬治は手に込めていた力を緩め、奏緒の手を放す。

 そして、奏緒の両肩を掴み、


「軽い気持ちだったのに……放っておけなくなったってことなんだ‼」


 奏緒を引き留めようとしたときにも見せた冬治の灼熱。奏緒はそれに目を奪われる。息が止まってしまったかのように。


「不器用で、弱くて、それでも自分を通そうとして、できなくて、苦しんで! ごまかしばかりな人間だらけの世の中なのに! なのに、立ち向かおうとして! そんな君をほっときたくない! なのに……なんでだよ、なんでだよっ、なんで、なんだよ……っ! 俺は…………」

「……蔭枝、くん……?」


 身を焦がす熱に浮かされて、冬治は慟哭するように絞り出す。


「……それでも、俺が君を放っておきたくないっていうのは本心なんだ…………」


 奏緒は、何も言えず半ば呆然として冬治の声を聞いていた。

 冬治に反論しようという気はもはやない。だが、それは冬治の言葉に納得したせいではなかった。


(……蔭枝くんがそう言ってくれても、私はそうは思えないのよ…………)


 もうすぐ十九年になる人生、他人を信じられずに生きてきた。大学に入ってから出会った、初めての友人たちのことは信じたいと思っている。けれど、身に染みついた不信の影を払うことは容易ではない。

 冬治は俯いたまま、奏緒の肩を掴んでいる。

 奏緒は冬治に何か言わなければならないと思った。

 だが、言わなければと思うのに言葉が出てこない。


(…………私は、どうしたら)


 私、は?

 奏緒ははっとしたように顔を上げた。

 今、気がついた。


(私、私って……自分のことばかりじゃない)


 冬治は自身のことだけでなく、奏緒のことを考えていた。

 それなのに、奏緒は自分のことしか言っていない。考えていない。

 思わず情けなさに歯噛みしたい衝動に駆られたが、それでは結局自己満足の行動の域から出ていない。


「蔭枝くん………ごめんなさい」

「……何で藤倉さんが謝るんだよ」


 謝るようなことは何もしていないと言いたげな冬治に、奏緒は首を横に振る。


「謝らなければいけないの。蔭枝くんが聞きたいって言ってくれたことに、甘えすぎたから。それと……ありがとう」

「……俺は甘えられて嫌だとか思ってないし、それに、感謝されるようなこともしてないよ」

「いいえ、蔭枝くんがそう思ったとしても、言わなければいけないと思うのよ。蔭枝くんに気遣わせてばかりでごめんなさいっていうのと、それと手を握ってくれたりしてありがとうって」

「っ! ご、ごめん!」


 奏緒の言葉を聞いて気づいたのか、冬治は慌てて彼女の肩を掴んでいた手を放す。


「? 別に謝るようなことでもないでしょう。……って、さっきからこんな会話ばかりしてる気がするわね、私たち」

「ああ、そう言えば……」


 そしてどちらからともなく笑いが漏れる。

 緩やかに空気が和らいでいくのを感じながら、奏緒は先ほどの冬治の言葉を思い返していた。

 不器用で、弱くて、それでも自分を通そうとして、できなくて、苦しんで。

 冬治は奏緒をそう評した。その言葉を素直に受け取ることはできないけれど、全く嬉しくないと言ったら嘘になると奏緒は思う。

 今感じているほっこりするような、それでいてきりきりするようなこの気持ちが、嬉しさや喜びと言えるものなのか、それとも別の名前があるものかはわからないけれど。

 そして、奏緒を放っておきたくないとも言った。


(それって……どういう意味なのかしら。私が頼りないっていうこと?)


 確かに、感情を制御できない様子を見せてしまった後ではそう思われても仕方ないだろう。しかし、冬治の意図するところはそうではない気がする。奏緒は意味を考えようとしてみたが、どうしたことか落ち着いて考えられない。心拍数が乱れて、頬が紅潮するようで。まだ先ほどの感情の揺れが治まっていないためだろうと判断し、それ以上考えるのをやめた。


(蔭枝くんが他に言ってたのって……)


『――なのに……なんでだよ、なんでだよっ、なんで、なんだよ……っ!俺は…………』


 思い返す方に考えを巡らすと、冬治の声が甦った。だがその前の言葉とは違い、どこかちぐはぐな感じがした。


(『俺は』……?)


 その後に冬治が何を言おうとしていたのかはわからない。けれど、そう叫んでいたのは、冬治の言葉の中に奏緒のことだけを見て言っていたのではない、うかがい知れないものがあったからではないのか。

 そっと冬治に目を遣る。そこで笑う冬治には、少し前に見せた必死さの片鱗はない。だが、叫んだ声は奏緒の中で反響していた。

 冬治の照れたような、苦笑するような笑みを瞳に映しながら、奏緒は思う。


(――いつか)


 いつか冬治が、それを自分から話してくれる日が来たらいいのに、と。



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