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「ふうん。公遙は、わざわざ私を迎えに来てくれたんだ。……頼んでもいないのに」
未理の口調はあからさまな棘を含んでいたが、公遙はそれを甘んじて受けた。未理をなだめようとした工程をもう一度繰り返すことを思えば安いものだ。
「いや、下校途中に未理がまた大変な目に遭ってるんじゃないかって心配でね」
公遙はそう言って曖昧に笑うが、
「杞憂ね」
未理は短く切り捨てる。
「へえ、そうかい? 今日の朝、いつもとは違う道を通ってたみたいだったけど」
何気ない公遙の言葉に、未理の呼吸が止まった。
「――⁉ 何でそれを知って!」
「あれ。適当に言ったら当たっちゃったみたいだね」
平然とそう言ってのける公遙に、未理はまたしても自分が手玉にとられたことを知った。
「……っ、私で遊ぶのが目的なら、さっさと済ませてさっさと帰って。私これから買い物しなきゃいけないし、それに鬼のような課題もあるの。公遙に付き合っていられるほど、私は暇じゃない」
冷淡に言い放ったのは、これが公遙に最も堪えると判断したからだ。公遙のような手合いは、きっとこっちが何か反応すればするほど喜ぶはずだ。何を言われても、冷静かつ淡白に。先ほどは不意打ちを食らってしまったが、今度からはそうはいかない。
だが、実際には未理はまだそこまでの境地に至れてはいなかった。
「遊ぶとか付き合うとか……まるで恋人みたいなことを言うね」
「なっ! な、な、なぬあ⁉ な、何を言い出す……」
完全に想像の斜め上を行く返答に、未理は過去最大級に狼狽した。
「うん、いい動揺っぷり。楽しいなあ」
傍目には朗らかに見える笑みを浮かべ、公遙は未理に先立って歩き出す。そして振り返り、
「行かないのかい? この辺で買い物って言ったらあそこのスーパーしかないだろう? きっと荷物になるだろうから、手伝うよ。さっさと買い物して、さっさと……日が暮れないうちに帰らないとね。今までとは違って遠回りしてさ」
言外の意味に、未理は自分の意志とは関係なく身が固くなるのを感じたが、今ここで思い出しては駄目だと自分に言い聞かせる。そして、何とかして緊張を解こうと、深く息をついた。
待つこと数秒。少しは、和らいだか。
「……何か、どっと疲れた。朝は危うく寝過ごしそうになるし、さっきは講義中に爆睡しちゃうし。本当、ついてない……」
「言っただろう、君は僕の糧だって」
思わずもらした独り言に、何の気負いもなく言われた物騒な返答があった。
「どうして、ここでそんなこと……」
「未理は僕と契約して、僕にその精気――つまり精神と気力を捧げている。そりゃあ普段より疲れるし、眠たくもなるさ」
「何もかも公遙が元凶なんじゃない‼」
思わず全力で突っ込みをかましてしまったが、
「死ぬのと授業中に寝るのだったら、どっちが嫌?」
薄笑いで返される。そんなこと、答えるまでもなかった。
「さーて、今日の夕食は何かな。羊の丸焼きかな、それともカエルの唐揚げかな」
公遙の言葉を聞きながら、ここは流すべきか、それとも勢いに任せて何かを言うべきかと未理は思案するのだった。
「あれ、君確か――」
奏緒の背に声を掛けてきたのは、
「……あなた、確か……蔭枝くん、だったかしら」
「あ、覚えてくれてた。藤倉さん」
そう言って笑うのは、未理と奏緒が先週の金曜日にパフェをごちそうになった冬治だった。
「……何の用? あなたとはこの前で綺麗さっぱり縁が切れたはずだけど」
言葉自体は刺々しいが、奏緒は不自然に早口だった。まるで、慌てているかのように。
「ははっ、相変わらず手厳しいなあ。用っていうか、たまたま知り合いを見かけたから声をかけてみただけだけど。いけない?」
奏緒の言葉に臆することなく、冬治はそう言って人懐っこい笑みを浮かべた。
「…………いけなくは、ないけれど。……って、そうじゃない。私にはもう関わらないで」
「え……何で?」
訝しげな冬治の顔には、奏緒の言っている意味がわからないと書いてあった。
「…………私が異学部だからよ」
ぽつりと、奏緒は呟いた。短いその言葉の中には、はっきりとした拒絶が含まれていた。
冬治はその意図を感じ取ったのだろう。そうなんだ、と呟くと、奏緒の元から立ち去ろうと歩き出した。
(――……これでいいわ)
冬治は、自分とは違う世界の人間だから。
異学部には、異界人と裏取引をしている、異界人を大学内に呼び込もうとしている、などの根も葉もない噂が色々とあった。おそらく、その殆どは異学部というよりは異界人に対する恐怖の裏返しから来ているのだろう。
なんて、くだらない。
吐き捨てたくなる程に、そう思う。しかし、それが現実なのだ。食堂で未理が言っていたように、人間は異界人を畏怖し、恐怖する。そして、それだけでは飽き足らず異界人に関わる全てに対して。
翔の様に、異学部に対する偏見を打ち破るような行動がとれれば、自分は冬治ともう少し話をしていても良かったのかもしれない。けれども、奏緒はそうできるだけの力が自分にないことを嫌というほどわかっていた。お節介な奴といつも思っていたが、今だけは純粋に翔のことが羨ましかった。
「…………藤倉さんは、それで、俺に去って欲しいのかもしれないけど…………でも、やっぱり、そんな理由で………………」
「…………え?」
もう既にどこかへ行ってしまったと思っていた冬治の声がすぐ傍から聞こえて、奏緒は顔を上げた。
「…………納得できるわけない!」
どこか怒ったような顔をした冬治と目があったその瞬間、奏緒は冬治に腕を掴まれていた。
「な、何をするのよ⁉ 放して!」
「異学部とか何だとか関係ない! そんなの、ただの専攻する学問の違いでしかないじゃないか! そんな、そんなことで俺は……、俺は、君ともっと話がしたいのに‼」
冬治は奏緒の言葉など耳に入っていないかのように声を張り上げた。
奏緒は呆然とそんな冬治を見ていた。
そしてややあってから、腕を強く掴んでいたことに気づいた冬治に慌てて手を放されるのを感じて、意識が引き戻された。
「ご、ごめん! ……痛かったよね」
「……別に」
本当は少し痛かったが、奏緒はあえて嘘をついた。冬治は知る由もないが、どんなことでも率直にいう癖のある奏緒がそうするのはとても珍しいことだった。
「……ごめん」
「別に、何ともないって言ってるでしょう。何で謝るのよ」
言った後で、怒ったような言い方をしたせいで冬治に二度謝らせることになったのではないかという不安に襲われた。今まで自分の言い方についてそこまで考えたことはなかった奏緒にとって、それは初めてのことだった。
「そ、それより」
戸惑っている内心を気取られないようにと、慌てて奏緒は話題を変える。
「私と、話がしたいんでしょう?いいわ、どうせ暇だから……その、付き合ってあげるわ」
言いながら、まただと奏緒は思った。レポート課題があって決して暇とは言えないのに、またこうして嘘をついている。
けれど、その嘘を取り消そうという気には不思議とならなかった。




