戯れ
「…」
満天の青の下、活発な鳥たちの合唱が鼓膜を震わせる。
カーテンの隙間から強力な陽光が照射され、閉じた目蓋をこじ開けようとする。あいにくだが、眩しすぎてかえって目を開くことができない。
しかし、目を開けずとも光は既に薄い目蓋など簡単に貫通し、視界を白色に染める。
煩くなったので布団で顔を覆い光を遮り、再び夢に落ちようとする。しかし、脳が既に光に刺激されてしまっており、そう安々と意識を失うことはできない。
「良くない目覚めだなぁ…」
思わず溜息を漏らす。頭まで覆った布団を足部へと跳ね除け、重い体を起こす。壁に掛けられた時計は、短針が七を、長針が四を指していた。
右側にあるカーテンに手をかけ、目をぐっと閉じて一気に開放する。遮るものの消失を肌への温もりで感じ、徐々に目を開ける。瞳孔が光に適応してから窓の外に目を向ける。思った通り、外は爽快な紺碧だった。鳥は歌い、草花は風に踊っている。実に快活な景色だ。足をフローリングに置き、そのまま体をベッドから脱出させる。大きなあくびをかきながら、六帖一間の中を動き回り、クローゼットと姿見を数回往復して軽く髪や服を整える。
時刻は長針が六に差し掛かろうとしていた。すると突然、ノックもなしに扉がけたたましく開いた。半覚醒状態の脳はその音に驚嘆する。
「起きろー! …起きてるか」
「おかげで完全に目が覚めたよ…おかげさまでな」
突然の来訪者は、この家の長、獅牙秀太だ。
俺とさして差はない程度の身長をしているが、いつも背筋がぴんと伸びているため、対面すると目線は少し高くなる。白のTシャツにカーキのカーゴパンツというラフな格好をしているが、それらにはほとんどシワが無い。眉や耳を一切覆わない濃褐色の短髪には清潔感がある。その内外面からは、二十四回の誕生日を経た彼には見合わない双葉のような若さや、雄大に葉を散らす老いた大木のような印象も受ける。
彼の要件は既知である。
この家には七時半に居間に集合するという規則がある。二十五分になっても俺が一度も部屋を出ていないことを不審に思い、叩き起こす目的で来たのだろう。起きていたとは言え、意識はほとんどおぼろげだったので、彼の行動は少しの苛立ちと完全なる覚醒を俺に与えた。
「起きてるんならまあいいや。もう準備できてそうだし、言うことないから待っとくわ」
「…俺が丁度部屋を出ようとしてたら大変なことになってたかもしれないんだぞ」
「章なら肘かなんかでブロックできただろ? お前の反射神経バケモンだし」
そういう問題じゃないだろという指摘はせず、無駄に引き止めること無く秀太を帰らせた。開かれた時の音とは天と地ほどの差の静かさで扉は閉ざされた。静寂を取り戻した部屋の中で、跳ね飛ばした布団を畳み、窓を開放する。お気に入りの紺のジャケットを羽織って部屋を出る。扉を抜けると視界の右斜前には三つの人間の影があった。
「あれ、憎悪を含んだ眠そうな顔で来るかと思ったら爽やかな顔してんじゃん」
目を丸くして俺に話しかけてきたのは、俺と同齢の女戦士、鬨悠河だ。琥珀のショートボブに紺碧のかんざしがアクセントで、ヒーターシールドを模したネックレスをいつも身に着けている。細く靭やかな四肢に、凛と整った顔立ち。だが内面はそれにそぐわず頑強で、女性だからという理由で優遇されたり冷遇されたりするのを特に嫌う性分らしい。
「もう起きてたからな。あれで目覚めたなら今ごろ鬼だったさ」
「はは、冗談を。まあとりあえず朝メシの時間だぜ」
冗談?ああ、人一倍目覚めが早いこの男は、眠りを妨害されるストレスを知らないんだな。
どうでもいい会話を交わしながら、秀太は着々と朝食の準備を…。
「「…おい」」
思わず悠河と同調する。なんだこれは。
大きな長方形のテーブルに、全く相応しくない牛乳瓶が三人の前に一本ずつ置かれている。
「近頃平和だからな。ここの主としてしっかり節約させてもらうぞ」
実は俺たちはそこそこ大規模な軍事組織に属している兵士。団員は五百を超える。強襲・偵察・支援の三つの班に分けられていて、更に第一強襲(偵察・支援)班、第二強襲(偵察・支援)班…といった感じで第五班まで展開されている。
第一班が最も優秀で、第五班は新入りとか成績が優れない者が集まっている。こんなこと言ったあとでなんだが、俺たちは第一強襲班だ。凄いと思われるかもしれない。
まあ確かにこの第一強襲班ってのは凄い。だがこの泰平の世の中では需要が少なく、大抵のことは第二班より下の班が動くだけで速やかに収束する。第一班はいくら暇でも"もしもの事態"にすぐさま動けるように待機させられる。だから俺たちは仕事がない。
そして拍車をかけるように、この組織のシステムも俺たちの首を絞める。完全歩合制で、任務を受けて、それを完遂して初めて報酬を受け取るという仕組み。そもそも仕事がない俺たちにはびた一文さえ入らないのだ。
平和というのは良いことなのかもしれないが、何分退屈だし、仕事が無いから貧乏生活を強いられる。かといって不謹慎なことも言えない。誰にも罪などないのだが…。
いや…それにしてもいきなり牛乳一瓶はないだろう。節約だの言い始めるやつはどうしていつもこう突発的で極端なんだ。もっと段階的にだな…。
乱れる気のままに乱暴に蓋を空け、一気に飲み干して机に叩きつける。俺の行動を見て悠河もそれを真似てみせる。
俺も悠河も、この獅牙秀太という男の芯の強さを熟知している。初志貫徹・徹頭徹尾を座右の銘とし、一度決めたことは変わることがないということはよくわかっている。それを踏まえた上でのレジスタンスの些細な抵抗だ。
さて、反応は…?少しだけでも罪悪感を表情に浮かび上がらせてくれたら御の字だ。
「お前ら早いなー。よし、食ったらパトロールだ」
「何にも食ってねえよバカ」
さすがに何の言及もしないことにはツッコまざるを得ない。
「おっ、さすがに牛乳一瓶は何だかんだ心配だったんだがなー…まあそんだけ逆らえる元気があるなら大丈夫そうだな!」
振り上げようとした頭に踵落としをかけられた感覚だ。何なんだこの敗北感は…。
この獅牙秀太という男は、本当に人の上に立ち、人を操作することが得意だ。まるで対面した相手全てに首輪でもかけているかのように。自分の描いたシナリオをその通りに演出する匠だ。
抵抗する意思も失せ、負の感情を蒸発させて俺たちは宿舎を後にした。