漁火《いさりび》
去年は暑い夏だった。最高気温が四十度を超えたといって大騒ぎをしたものだった。ところが、一転して大雪にみまわれると、人々の目はすっかりそっちに釘付けになってしまう。そして桜に酔いしれて大雪を忘れ、梅雨になれば鬱陶しがるばかりで、大雨の被害をすっかり忘れ去っている。人とは目先のことにしか意識を向けられない生き物のようだ。
そうして各地に豪雨被害がもたらされた。去年も大きな災害がおこったのだから、少しは意識に留めおくべきなのだが、自分が暮らす土地では災害がおこらないという根拠のない確信をいだいているようだ。災害であれ事故であれ、ましてや病魔に冒されるということをまったく警戒しないのは、少なくとも自分は災厄とは無関係だと信じているからにほかならない。それを証明するように、今年も酷暑が人々を困らせている。町行く人々はおしなべて汗まみれで、息絶えだえに日陰を伝っているのだが……
孟夏はただ単に暑さのみで人々を苦しめるのではなく、手を変え品を変え人々を苦しめた。あるときは大雨を降らし、地崩れをおこし、そして川を氾濫させた。またあるときは次々に台風を発生させて人々の暮らしを邪魔しようとした。かくも過酷な日和が続くと、人々は太陽に憎悪を抱いたりする。お天道様などと、好意的なまなざしを向けてはくれないものだ。
うっかり外を出歩けば熱中症に襲われ、陽を遮っていても熱でやられる。体力的に劣る者などは、エアコンをかけた室内にいてさえ気分を悪くするしまつだ。
とはいえ、人々は日々の暮らしのために活動せねばならない。職場へ狩り出され、夏休みのはずの学生も炎天下の部活に呼び出される。日常の買い物も暑い日中にすまさねばならない。
年を追うごとに過酷の度合いが増すことに対処できず、今日も人々は喘いでいる。
「おひや、いらんかえーー」
去年の夏に突如出現したシラカワメの、少し間延びした呼び声が町内に流れていた。
紺の筒袖に手甲脚絆をつけた小柄な娘がムッと息苦しい町を流している。初めて呼び声を聞いた人は、どうせテレビかなにかの撮影だろうと思うはずだ。そんな物売りは、はるか昔に途絶えてしまった風習だからだ。
「お冷やどうどすーー」
何事だろうと表を見やると、濃茶の手ぬぐいを被った娘が、ピョン、ピョン。
のんびり跳びながら通り過ぎるのが連子格子から透けて見える。物売りだろうか、だけど、あまりに時代がかった格好だ。膝が出そうなほどに裾をたくし上げ、ちょっと派手めの帯は前で結んでいる。紅色の鮮やかな鼻緒の草履を履いて、小さな竹の籠を背負っていた。あれは大原女かと誰もが思う井出達だ。時代祭りの行列ならともかく、どうして祭りと関係がない日にあんな娘がいるのだろう。
多くの人が不思議がり、ニュースにまでなったのは、去年の祇園祭が終わって十日ほどすぎた頃だった。
初めは新手のコスプレだと思われたのだが、それにしては集団で練り歩くことは一切なかった。売り声を聞いた者もいる。とすれば行商なのだろうか。では、何を売り歩いているのだろう。テレビや新聞は、どうやってそういう噂を仕入れるのか知らないが、あるリポーターが運よく一人の娘に接触することができた。
売り声に気付いた事務員が、娘と話をしているのを見つけたのだ。商品のことを訊ねたか、それとも値段の交渉をしていたのかもしれない。が、交渉は不成立だったようで、事務員は手をヒラヒラさせてドアを閉じてしまった。さぞがっかりしたと思いきや、娘はのんびりとした売り声を上げ始めた。どこか楽しそうに片足でピョンと跳ねたのだ。
早速リポーターは娘を呼び止めた。そしてテレビの取材だと断って質問を始めたのだった。
テレビの取材といえば黄門様の印籠、誰もが愛想よく答えてくれるものとリポーターは思い込んでいた。だが、娘は忙しいことを口実にその場を離れようとした。
普段なら、協力的でない人など忘れて、次のターゲットをさがせば良いのだが、今回ばかりは代役がそんざいしない。リポーターは並んで歩きながら取材への協力を頼んだ。しかし娘は耳をかそうとせず、細い裏路地にまで入り込んで行った。
なんとか夕方のニュースに間に合わせようと、彼は必死だ。元気な娘についてゆくのだから、それだけで汗まみれになっている。おまけに空にはギラギラとお日様が熱線を放射していた。
ほんの先にコンビにを見つけた彼は、矢も盾もたまらずとびこみ、アイスクリームを買った。きっと娘も暑いに違いない。アイスでも舐めさせれば話に応じてくれる。それに賭けてみたのだ。
「こんなん貰うたら話に付き合え、そういうことどすやろ? 怖いわぁ」
そう言いながらも、娘はぺロリとアイスを平らげた。
いまどきの高校生なら恥ずかし気もなく薄着をするのが普通だろうに、娘の着ているものはいかにも風通しの悪い厚物だ。いくらたくし上げたところで風など入るまい。おまけに竹籠を背負っているから猶更暑かろう。
リポーターの質問に、娘は自分のことをシラカワメと名乗った。それは、大原女や小原女と並び称される白川女のことかとリポーターが訊ねると、自分たちは和歌山の伊都から来た者だと言った。なんでも、夏休みの自由研究ということらしい。
学校は伊都のかつらぎ町にあり、古くから白川と呼ばれるところに建っているそうだ。それで白川女と名乗っているだけで、洛北の白川女とは違うのだそうだ。私たちということだが、何人かのグループで来ているのかと重ねて訊ねると、十人ほどで京都にやってきて、が市内のあちこちに散っているのだと答えた。
それにしても時代がかった格好をしているし、話してみると高校生くらいの年代だ。大人に話しかけられているのに、たえず片足立ちになって他方の足を蹴るしぐさを止めようとしない。ちょうどその年代の若者にありがちな、落ち着きのないしぐさが印象的だ。
そして竹籠の中には商品なのか、瓢箪ほどの大きさの繭がいくつか収まっている。しかし色といい形といい、とうてい売り物になるとは思えない代物だ。そのことを訊ねるリポーターに、
「またキツイ兄さんやわぁ。そんなこと聞くもんと違います。知りたいのやったら、黙って買うてもらわんと」
いまどきの若者がと驚くほど滑らかな京言葉で答える。そして年恰好に似合わず、まるで年季の入った行商人のような駆け引きの上手さをのぞかせた。
リポーターはそれで質問を終え、路地を曲がる娘を見送ったのだった。もちろん夕方のニュースで紹介はされたのだが、娘の正体も商品のこともなにひとつわからないままだ。
五山の送り火が合図かのように売り声が途絶え、やがて世間から忘れ去られていった。
あれから一年。売り声を聞いたという報せが方々から寄せられ、リポーターは声の主を探して町を巡った。
ようやく紺の着物がピョンピョン跳ねるのを見つけたのは、終戦記念日だった。たしか去年は大文字の翌日から姿をみせなくなったはずだ。今年も同じだとすれば残り時間はほとんどない。そう考えたリポーターは、息を切らしてそれを追った。
路地の突き当たりまで行った娘が帰ってくるのに彼は行き逢った。
テレビ局の者だと名乗ると、娘はすぐにわかってくれたようだ。といっても、去年の娘とは別人らしい。が、彼のことは仲間内で話されていたようで、あまり警戒はしていないようだ。
彼は率直に疑問をぶつけてみた。なんの商売をしているのかと。すると娘は、涼しさを売るのが商売だとあっさり答えた。
涼しさとはいったいどんなことだろう。売ると言ったくせに籠には商品らしきものは入っていない。それを訊ねると、娘は嘘なんか言っていないと胸を張った。籠が空なのは、廃棄物の回収がおもわしくないからだと答えた。
それにしてもどういう方法で涼しくするのだろうかと訊ねると、それは企業秘密だと口を閉ざす。無理に訊ねようとしたら小さくため息をつかれた。
「そないにヤイヤイ言われたかて、どこまで話してええもんやら……。うちらかて使われの身ぃどっさかい、堪忍しとぉくれやす」
そう言って咳払いをひとつした。
京都の夏は半端なく暑い。今日だって三十八度をかるく越えているだろう。ましてここは日陰もない路地だ。そよとも風が吹かないものだから頭がクラクラしてくる。彼はもちろん、娘もびっしりと汗を吹いていた。
「そうですか、残念だなぁ。もう少し教えてくれたらテレビで取り上げられるかもしれないけど、考えなおしていただけないですか」
テレビで取り上げると言えば、ほとんどの人は言いなりになる。それが彼の経験則だった。しかし娘はあまり興味を示さない。
「と、ところで、見るから暑そうだけど、実際のところはどうなの? 案外涼しいのかな」
なんとかして娘をつなぎとめるための一言だった。ほんの少し言葉を交わしただけの相手に用いるには失礼な物言いだったかもしれないが、相手が若者だったことが幸いした。
「いや、これが涼しい見えますか? かなんなぁ」
娘はケラケラと笑って奴さんの真似をし、おまけに手甲や脚絆で厳重に包んだ手足をバタバタさせた。風通しが悪そうな着物もさることながら、肌にぴったりした手甲も脚絆も暑さを増す装束だ。
「お兄さんが着はったら、ええとこ三十分でのびてしまうんと違いますか」
なるほど、それは理屈だ。だったら、どうして娘は平気でいられるのだろう。どうしても合点がゆかず、彼は首をかしげるばかりだった。
「お兄さん、うちの売り声聞かはりましたか?」
「もちろん聞いたよ。お冷やがどうとか」
「いや、聞かはったのどすなぁ。ほな、何を売ってんのかわかりますやろ?」
片足でぴょんと跳ねた娘は、クスクスと笑った。
「だからお冷や……。あっ、なるほど。売り物が何かはわかった。でも、売り物を持っていないじゃないの」
落ち着いて考えれば、娘の商売は想像できたことだ。しかし、肝心の商売物を持っていないことが彼を混乱させるようだ。
「そうやなぁ……。お兄さん、悪い人と違うようやし、少しくらいなら教えたげても。けど、今は困ります。まだ回るとこがぎょうさん残ってますよって。明日やったらお話しさへてもぅても」
かむった手拭いで鼻の頭の汗をふき拭き、黒目を上に向けて娘は考えていたようだ。そして話せる範囲をあれこれ考えたのだろう。
「そう! 明日なら話してくれるのだね? じゃあ、ちょっとだけでいいから今教えてもらえませんか。そうだな……いったい何を売っているのか、それが知りたいのだけど」
意外な展開だ。愛想なく断られるとおもっていたのに、案外素直に応じてくれたではないか。おそらくテレビの取材ということで口が緩んだのだろう。彼はそう思った。
「せやから、うちが売ってるんはお冷やどす。家の隅々まで涼しゅうしてお金を貰うてます。普通の家やったら二千円。小さい事務所は一万円。大きい事務所なら三万円。そういう按配どすわ」
莫迦な。一般家庭でさえ隅々まで冷やすことなど不可能だろうに、大きな事務所にも売り込みをかけているというのか。一方で、涼しさなど長続きしないものだろう。それなのに三万円もの代金は法外ではないか。彼は率直に疑問をぶつけてみた。すると、ちゃんと領収書を書いているので、それは必要経費として計上されるだろうと娘は言った。経費として計上されれば利益からその分が除外される。つまり、税額が抑えられるのだから、決して無茶なことではないと娘は言った。
「実言いますと、税金なんぞチンプンカンプンどす。ただ、料金のことで不満があるようならそう言えて、先生から言われてます」
ペロッと舌を出すあたり、正直な娘だ。高校生が税金のことに詳しいというのが不自然なので、娘の一言は十分に納得できた。
「じゃあ、もっと大きな場所ならどうだろう。涼しくすることができますか?」
「大きいて、どんなとこですの? うちは学生やから、あまり大きな工場なんかは」
彼が咄嗟に考えたのは、テレビに出演させるということだった。奇抜な格好も絵になるだろうし、なにより実演させると話題にしやすい。そのためには娘が希望する明日でなければならない。そして、去年と同じなら、明日を最後に姿を消すはずだから最後のチャンスでもあった。
「そうですねぇ、教室の広さでいったら四つ分くらいでしょうか」
「そんなに広いのどすかぁ……そんなん無理やし」
娘は困惑を隠そうとせず、じっと彼の目を見続けていた。が、やがて肩を落として何人くらいそこにいるのかと訊ねた。
「そうですね……。詳しく数えたことはないけど、百名ほどいるのではないでしょうか」
「へえっ、そんなにいたはるのどすか。百なぁ……。そらぁ暑いやろうなぁ。……百かぁ。うち一人では荷が重いかもしれんけど、そんなん初めてやしなぁ……。えぇわ、やれるだけやってみまひょ」
しきりと咳払いをしながら娘は協力を約束した。
「それで、代金のことですけど、どれくらい用意すれば良いでしょうか」
出張サービスという形態をとれば出演料を出さなくてすむ。かれもぼんやりしているようで計算高い男だ。
「そんなに広いのやったら、十万円ばかり奮発してもらえますか」
大きな事務所の三倍ほどの値段だが、長時間拘束することを考えれば妥当だろうと彼は思った。
明日の約束をして別れるときに、娘が思い出したように咳払いをした。
「せっかくやから、ほんのサァビスどす」
空咳を受けた手を彼にかざすとひんやりした風が流れ、一気に汗が退いてゆく。呆気にとられた彼に会釈をして、娘は次の路地に姿を消した。
翌日、約束の場所、約束の時刻に娘が現れた。昨日とまるで同じ格好だが、こころなし糊が効いているように見えた。
挨拶もそこそこにタクシーに乗せ、局へ向かった。
番組が始まると、娘がやってきたとされる地域の映像が写し出された。しかし古老に訊ねても白川女という行商集団など聞いたことがないと答えるばかりで、いっそう謎が深まる。しかしそれでは話が腰砕けになってしまうからと、洛北の大原女の映像を流して時間稼ぎをした。そしていよいよ実演をすることになった。
「では、どんなことをしているのか、実際にやっていただくことにします」
司会者が娘を促すと、娘はキョロキョロとあちこちを見回しながらどの程度のことを望むかと逆に訊ねてきた。
どういう意味かと質問すると、体験版と普通のやりかたがあると言う。特に丁寧なやりかたもあると答えた。その意味を質問すると、娘はこう答えた。
「体験版どしたら、何日ももたんうちに暑うなります。ふつうのやり方やったら、半月くらいはもちますやろか」
「では、特に丁寧な方法だと?」
「それやったらお彼岸まで涼しいのんが続きます」
当たり前のようにそう答えたのだ。そう言われたら、なるべくインパクトの強いほうを求めるのが業界人の性だ。責任者が許可を与える前に司会者は一番丁寧な方法をリクエストしてしまった。
「特に丁寧にやったらええのどすか?」
娘が念を押したが誰からも異論は出なかった。
「ほな、念入りにさせてもらいます」
まるで朝の挨拶でもするように気軽に応じた娘は、どうせなら手すきの人に集まってもらいたいと言った。それにつられてゾロゾロと皆が集まってくる。
「ほな、始めます」
司会者が頷くのを見届けた娘が、まずはテレビに映っている者に小さく息を吹きかけた。
フッフッと吹くと驚きの声が上がる。まるでスーパーの野菜売り場に立ったような風が周囲を包んだ。
驚いた進行役が冷房を止めるよう合図するとせっかくの涼風は跡形もなく消え、百人ほどいる人々の体温でむせ返る。
そして娘が息を吹き始めると、あっという間に涼しい朝のようになった。
娘はもう一度周囲に息を吹きかけてにっこりと微笑んだ。
「これが体験版どす。どうどすやろ、涼しいなってますやろか?」
これには皆が驚いた。秋の初めのような爽やかさだからだ。司会者もアシスタントも、更には学者や解説者さえもが興奮して意見を言い合っている。
「すんまへん、今日はどないしても外されへん予定がおす。そろそろ先進ませてもぅてよろしいか?」
娘にとっては当たり前のことなのに、偉そうな出演者が勝手な理屈を言い合っているのが我慢できないのだろう。唇をとがらせて司会者を睨んだ。
次の段階に進めていいかと娘が確認し、娘は頬を膨らませた。
ヒューっと鋭く息を吹きつけると、周囲の人々はたまらずに露出した皮膚をさすった。
「ちょっと、洒落にならないよ。ほら、鳥肌が立ってきちゃったよ」
周囲の者は寒いくらいだといって驚いている。だが娘は、スタジオの隅に向けてヒュッと息を吹きかけた。あっちの隅こっちの隅、天井にずらりと並んでいる照明や調整室のガラスにも吹きかけた。するとみるみる温度が下がってくる。
「もうちょっと、あとちょっとどっさかい、辛抱しとぉくれやす」
平然とした顔で皆の様子をうかがった娘は、こんどは金属部分に狙いを定めて息を吹きかけた。
「いやぁ、寒おすか? スタジオゆうところは熱が出るて聞いてますよって、ちょっと念入りにさへてもらいました。これくらいしといたら、まず半月は涼しいはずどす」
そして、上着を着ればちょうどいい温度のはずだと付け加えた。
「も、もう十分にわかりました。これほどすごいとは思いませんでした。もう十分です」
これ以上のことをされたら凍えてしまう。それと、娘がどんな機械で温度を下げているかがわからないままなので、もう止めさせようと責任者は思った。いや、司会者も学者も同じように思っただろう。ところが娘は、特に丁寧にしてくれという注文だったと言って、大きく息を吸った。
ガハーーーー
娘が大きく口を開いて、遠慮なく息を吐いた。吸って、吐いて、吸って、吐いて……。
急激に温度が下がった空気を吸い込み、冷凍庫の風を吐く。危険を感じてドアを開けようとした者がいたが、ドアのロックが凍り付いて動かない。それどころか、ドアノブに手が貼り付いてしまった。
腕をさすり、足踏みをしていた人々は、身を寄せ合うくらいしか考えつかない。少し広い場所にいる者はおしくらまんじゅうを始めていた。しかしそれくらいではおいつかないのか、徐々に勢いを失ってハアハアと荒い息をついていた。やがて、あまり時をおかず体を丸めて蹲ってしまった。
ガラス一枚へだてた調整室では、スタジオ内の異常にざわついていた。
最初のころは、そこまでおおげさに驚くことはないだろうと薄笑いを浮かべていたくらいだ。ところが、出演者が寒そうに肌をさすり始めると、調整室の中にも冷気がしのびこんできた。
「おい……、マジかよ」
中にいる者は顔を見合わせた。
「なんですか、これ。誰かが冷房を一番強くしたとか? そこまでやりますか?」
そう考えて当たり前だろう。演出だなんて後で否定すればすむことだ。それよりも、ショッキングな映像を撮ることのほうが大事なのだ。
司会者が、やめさせようとする声がした。しかし娘は、約束通りにさせてもらいますと言って胸をふくらませた。
娘の口から、キラキラ光る息がほとばしる。どれくらい冷たい息を吐いているのかわからないが、空気中の水蒸気が瞬間に凍ったダイヤモンドダストなのだろう。しかし見るかぎり、怪光線を吐く怪物のようだ。
息にあてられた司会者の服が真っ白になる。頭髪もマイクも真っ白になった。
硬直している司会者の頭を無造作に仰向けた娘が、その顎を大きく開けさせた。そしてキラキラした息を口の中に吹き込む。それまでいくらかでも生気を残していた目玉が真っ白になった。
と、その口に娘が指を抉入れ、フワフワしたものを引っ張り出した。
なんだか繭を大きくしたような形で、濡れた土壁のような色をしている。その色艶を見た娘は、失望したと言いたげにポイと捨てた。
アシスタントから取り出した繭は弾力がありそうだ。でも色が濁っていた。娘はやはりつまらなさそうに捨てた。
そうして次から次に繭をひきずり出している。
その様子は調整室のモニターにも映っていた。
早く助け出してやらなければとスタジオへ通じるドアを開けようとしたのだが、ドアノブはガチガチに凍りついてびくともしないばかりか、手が貼りついてしまっている。
「おいっ、警備員を呼べ!」
責任者はドアノブを握ったまま怒鳴ろうとした。しかし運が悪い。
華やかな業界で少しは我侭を押し通す立場になった。ただそれだけの運だった。
ヤッホーと叫ぶような格好で人に息を吐きかけていた娘が、調整室にも矛先を向けたのだ。とはいってもそこには仕切りのガラスがある。少しは食い止められるだろうと考えた。
が、ガラス窓を突き抜けて冷気が襲ってきた。
廊下への出口でドアを蹴っている若者が、冷気を胸で受けてしまった。
呻き声すら発することなく、若者は崩れ落ちた。
「後藤君」と叫んで若者を揺り起こそうとする若い女性も、露出した肌を紫色にして激しくふるえていた。
責任者は、その一部始終を見ていた。いや、見たいはずはないのだが、目蓋を閉じられなかった。凍りついた涙を透かして、ぼんやりと見えていた。
その一部始終を、操作する者がいなくなったカメラが捉えていた。
とはいっても、ほとんどのカメラは出演者に向けられているので、娘が何をしているのかは映像ではわからない。ましてや映像を切り替える掛も倒れてしまった今、それは防犯カメラの用しかなさなかった。
司会者のテーブルに娘は両手で抱えた繭を並べた。色艶、形、大きさなどで仕分けを始めたようだ。気に入ったものを竹籠にそっと納め、いったん脇へ除けたものも籠に納めた。が、籠にはまだ余裕がある。そこで娘は、首をかしげて除けたものをその上に積んだ。ポロポロとこぼれるまで積んだ。
そうして籠を背負いかけた娘は、目の玉を上に上げて考えていたのだが、懐から帳面を取り出してじっと読んでいる。そして自らの頭をコツンと叩いて次の作業にかかった。どうやら忘れていたようだ。
倒れている者の額に手のひらを当てて回る。ただそれだけのことだったが、冷凍マグロのようになっていた人々の肌に赤味が差してきた。
すべての人の額に手当をした娘は、大きく頷いて籠を背負った。
テーブルに残った汚い繭を床に落とした娘がそれを踏みつける。まるでポイ捨てされた吸殻を踏みつけるように。
テレビ局を出てすぐのところにマイクロバスが停車していた。中ではしゃいでいるのは着物姿の高校生ばかり。どうやら送り火のイベントに向かうアルバイトを乗せているようだ。と、一人の娘が竹籠に山盛りの荷を背負ってバスに乗り込んだ。
バスは日が暮れかかった市内を、南へ向けて走り出した。
今夜は五山の送り火で、市内に入る道は渋滞している。しかし郊外の方向は反って空いていた。
「あんた、なにえ。入れ食いやないの。えぇポイント見つけたんやね」
どの娘も紺の筒袖という井出達だ。その中の一人が、最後に乗り込んだ娘の籠に目を丸くしている。
「ちょちょっと餌撒いたったらな、ぎょうさんの群れが集まりよってん。そこを一網打尽にしただけや」
つい今しがたテレビ局で漁を終えた娘が得意そうに答えた。
「なあなあ、こないにぎょうさん、どないして食べんの?」
「そうやなぁ、お造りもええけど、煮物もええなぁ」
「もったいないことしたら、あかんえ。陰干ししたら保存がきくやんかぁ」
前の席から振り返る者もいる。
「うっとこのお母はんなんか、ヌカに漬けこんだのを細こう刻んで晩酌したはるえ」
揚げ物、蒸し物、酢の物、汁物。家々によって得意料理があるらしい。
「せやけど、牛や豚と違うて、人の魂は脂っぽくなくてえぇなぁ。なんぼ食べたかて肥えんのがええわぁ」
車内は、思わぬ大漁にひとしきり沸いた。
「なぁなぁ、ほんまに死んでへんにゃろなぁ」
大漁で気をよくしていた娘が急におどおどしだした。
「手当てしたんやろ? ほな、もう息吹き返してるはずや。心配あらへん」
前席の娘が手をヒラヒラさせている。それもそのはず、この数日間、全員が同じことをしてきたわけだが、殺人事件になったのは一件もないからだ。
「せやけど、魂抜いてもぅたやんかぁ。死んだんと同じやないの?」
なぐさめてはもらったのだけど、なんだか納得しきれないようだ。
「いやらしい! 何にこだわってるの? 魂が無うなったら素直になるやんかぁ。仕事はきっちりやるし、文句言わへんし。喧嘩もせぇへんやろ。世の中のためでもあるんと違うか?」
そう言われて娘は不承不承頷いたのだった。
「なぁ、次の実習はどこやろ。こないにぎょうさん獲ってしもうたやろ、用心されるんちゃうやろか」
どうやらこの娘は心配性のようだ。ひとつなっとくすると、すぐに別の不安が頭をもたげるらしい。
「心配せんかて、牛や豚よりは頭えぇけど、犬と大差ないやんか。すぐに忘れよるて」
対して、後席から身をのり出した娘は楽天家のようだ。不安がっている娘は、うーんと生返事をして目をそらした。
いつの間にか大文字がはるかに小さくなっている。点々とともる送り火がまるでイカ釣り漁船の漁火のように見えた。
盆の一週間、ユキンボウの学校ではイケスでの漁を体験させている。育ち盛りの娘たちの栄養補給になり、人の御し方を学ぶ格好の機会だ。大文字の送り火は、彼女たちにとっての漁火でもあった。
こうして実習を重ねながら大人の知恵を習得してゆくのが、彼女たちに与えられた課題である。
古からの文化と伝統を脈々とつないでゆくこと。それが彼女たち、真の日本人の努めなのだ。それがため、普段は家畜の群れにまぎれて暮らさねばならない。
真の日本人とは、これはこれで難儀な生き方でもある。
終わり
補足
和歌山県伊都地方では、雪の降り積む夜には一本足の子どもが飛び歩くので、翌朝に円形の足跡が残っているといい、これを「ユキンボウ」と言うが、1本足の童子は山神の使いとされている。(参考 wikipedia)