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店の前の掃除をしていると、隣に女性を伴ったイライアスが遠くの方に見えた。こんな人混みの中でも彼を見つけてしまう自分になんとも言えない気持ちになりながら、そっと店の壁に張り付く。
張り付いたところで隠れられる訳では無いのだけれども。
隣にいるのは、束ねてはいるがあの綺麗な銀色の髪色から言って、おそらくリーリア姫だろう。
お忍びでの買い物だからか、私服で彼女の隣にいるイライアスにもやもやとした気持ちを隠しきれない。
だって、あれは完全にデートじゃないか。イライアスはそのつもりはなくても、リーリア姫はおそらくそうじゃないはずなのだから。
ため息を吐き箒を持って店に戻れば、その数分後に彼らが店内に入ってきた。
他のお客さんがいないこの時間を狙ったのだろう、少し疲れた様子を見せるイライアスに視線を送られたのでにっこりと笑っておいた。
すぐに視線をそらしてしまったので、堅い表情で固まったイライアスの様子をアイリスが知る事は無かった。
「こんにちは、アイリス」
「ご無沙汰しております、リーリア姫様」
「今日はお忍びだから、そんなに堅くならないで。貴女のレストランに来てみたかったの」
そういった彼女の目の奥には、やはりライバル心とやらが見える。
彼女が出て行った後、他の騎士によって彼女を追う様に言われたイライアスの様子を見てリーリアは察してしまったのだ。
この世の終わりとでも言いたげな彼の顔は、見た事が無い。
だからと言ってずっと彼を想っていたのだから諦められるはずもなく、こうしてイライアスと仲の良い姿を見せつけに来たのだった。
「ご注文がおきまりになりましたらお呼びください」
「分かったわ。イライアス、どれが美味しいの?」
彼らの声を背に、そそくさと厨房に戻った。
そこで待ちかまえていたのは、お盆を抱えたキャメロンだった。
さっとしゃがみ込み、こそこそと顔を寄せる。
「ちょっとお姉ちゃん、あれどういう事!?」
「リーリア姫様だよ、お城のお姫様」
「本気?」
「公開演習で挨拶したの」
こそっと顔をのぞかせたキャメロンは、またこそこそとしゃべり出す。
「でも、あれはくっつきすぎよ!ローレン様はお姉ちゃんの恋人なのに!」
そこで、キャメロンの感は働いた。
おおよそ間違っていないであろうその予想に、キャメロンはきーっと怒り出す。
「言いに行こう、お姉ちゃん!」
「何言ってるの、相手はお姫様だよ」
「関係ないよそんなこと、そもそも人の男に手を出す方が問題じゃない!」
どうどうと彼女をなだめる。
「いいの、キャメロン」
「でも、」
「いいのよ、ありがとう」
自分に自信の無い彼女がこうなったときにどうするかは分かるのだが、それでもキャメロンは納得がいかなかった。
だが、アイリスがこう言うのなら、キャメロンから何かを言うことは出来ない。
「すまない、オーダーをいいか?」
ひょいと厨房に顔を出したイライアスは、どこかこちらを伺う様子を見せている。
「すみません、今行きます」
「いや。アイリス嬢、」
「今行きますから」
席に戻っていろと暗に言えば、彼は言葉に詰まった後、席に戻っていった。
その様子を見て、キャメロンは片方の眉を上げた。
どうやらローレンの方は、リーリア姫に乗り換えるつもりは無いらしい。
営業スマイルをたたえた彼女は、リーリアの為のオーダーをイライアスから受けた。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」
「あ、イライアスにはこれね」
「姫様、俺は」
「イライアス、これ好きでしょう?」
肉料理を頼む彼女だったが、残念だがイライアスがいつも頼むのはその二個下の料理だ。
アイリスは仲を見せつけたいオーラ前回の彼女に意地でも笑顔を向ける。
「ではリーリア姫様がこちらで、騎士様がこちらですね」
「えぇ、お願いね」
「かしこまりました」
小さく声を上げたイライアスの方には向かず、すぐに厨房に引っ込んだ。
イライアスはリーリアが楽しげに食事をする相手をしつつもアイリスを目で追い、会計を済ませる際も視線を向けていたが、彼女は一瞥たりとも彼を見る事は無かった。
「………アイリス嬢、次の休みにどこかへ行かないか?」
「次のお休みはキャメロンと出かけますので」
「では、またその次に」
「その次も同じく」
「…………アイリス嬢、」
まるで捨て犬のような目で見てくる。
だがこのいらいらもやもやとした気持ちを押さえる事が出来ない。
「どうかしたの、イライアス」
ひょいと顔をのぞかせたリーリアは、自然にイライアスの腕に手を添えた。
綺麗な銀色が揺れた。
こちらを見た瞳は、綺麗な紫色をしている。
これじゃあ、勝てるはずもない。思わず笑いがこぼれた。
「……アイリス?どうしたの?」
「いえ、何も。料理はどうでした?」
「とっても美味しかったわ!あなた、本当に料理が上手なのね」
「レストランの娘ですからね」
本気で言っているのであろうリーリアの言葉に笑ったアイリスの顔は、何かが抜け落ちている気がした。
「またいらしてくださいね」
笑った顔が可愛らしいと、彼女は思った。
次の日のお昼時を過ぎた時、彼はやってきた。
「いらっしゃいませ」
「アイリス嬢、これを」
すっと差し出されたのは、赤色の薔薇の花束だった。
これが何を意味するのかは分からないが、受け取ってはいけない事だけは分かる。
「今、花瓶が無くて。すみません」
「なら買ってくる」
「いえ、大丈夫です。置く所も無いので」
そういえば、彼はぎゅっと花束を握りしめた。
赤い花束の意味は『愛しています』。受け取ってもらえないと言うことは、その想いも受け取ってはもらえなかったということだ。
「お姉ちゃん、部屋で話したら?」
「部屋はだめ」
「どうして?」
「男の人は入れないの」
「恋人でしょう」
キャメロンの言葉に、少し考え込む。
そしてイライアスを見上げ、店の奥に招いた。
二階に上がればそこはいくつかの扉があって、そのうちの一つが彼女の部屋らしい。
入った瞬間に包まれる彼女の優しい匂いに、目眩がした。
「あまり綺麗じゃなくて申し訳ないのですが」
「いや、そんな事はない」
そういった彼は、きっと女性の部屋に入るのは初めてなのだろう。
がちがちに緊張した様子で、差し出された椅子に座った。
ここは西洋文化なので、座れる所は机の椅子かベッドしか無いのだ。
まさか彼をベッドに座らせる訳にはいかないので、当然アイリスがベッドに座った。
そして、気を取り直した様子のイライアスがじっと見つめてくる。
「花束はもう、受け取ってもらえないか」
「そのことなんですけど」
呟くように言った彼女は、言いづらそうにうつむいた。
次の言葉を待てば、彼女は決心したよう顔を上げる。だが、その目は泳いでいた。
「実は私、花束の慣習っていうのがよく分からなくて」
「赤の花束の事か」
「いえ、全部の」
全部?では、自分がピンクの花束で告白をしたときは?
「知らなかったんです、ピンクの意味も。後でキャメロンに教えて貰って知りました」
その言葉に黙り込んでしまった彼はうつむいてしまい、表情を伺う事は出来なかった。
「言い出せなくて。ごめんなさい」
「それは、どういう意味で」
「ごめんなさい」
堅い声で問われ、だんだんとうつむいてしまう。
すると、ふと目の前に陰がかかった。
びっくりして顔を上げれば、そこには表情を無くしたイライアスがいた。
後ずさろうとすると、上から覆い被さるように後ろについている手にそれを重ねられる。
動けなくなったアイリスの顔をじっと見つめた。
「それは、今、俺は別れを切り出されているいうことか」
「別れ、というか…」
「別れ話をされているんだろう」
淡々とした声が恐怖心を煽る。自分が悪いのは分かっているのだが。
視線を彷徨わせていると手は離れ、代わりに肩を押された。
どさり、と背中からベッドに倒れる。
なんだかまずい、と思った時にはもう遅く、彼の両腕が顔の横についていた。
そろりと視線を彼に向け、目を見開く。彼は怒った、だけれど泣きそうな顔をしていた。
「勘違いから了承しようが、今、貴女が俺の恋人だという事は事実」
「そ、うですけど、でも、」
「貴女は了承をした。俺の事を好きでなくても、貴女は今、俺のものなんだ」
必死で、すがりつくような表情に魅入ってしまった。
こちらとしても別れたい訳ではないのだが、でもあの美しいお姫様を見て思うのだ。
「……イライアス様、騎士様は庶民といるよりお姫様と一緒にいた方がいいんじゃないかって、そう思うんです」
「何だそれは」
「だっておとぎ話ってそういうものでしょう?お姫様がいて、王子様がいて、騎士様がいて。庶民は脇役でしかない」
顔を上げた彼の表情を見て、言葉をやめた。
真剣で、一目見て怒っているのだと分かる表情だ。
「ここはお伽話の世界じゃない」
びっくりしたように目を見開いたアイリスを見て、はあ、と彼はため息を吐き彼女を見下ろした。
「ならばアイリス嬢、どうしたら『俺』を見てくれる?」
「え?」
「『騎士』ではなく、『イライアス・ローレン』として見てほしい」
何を言っているのだろう、と思った。
つんと鼻の奥が痛くなる。
「……見ていますよ」
「なら、」
「見ているから、貴方の言葉を受け入れたくないんです」
顔を上げれば、そこには、ぎゅっと眉を寄せ泣くのを我慢している少女の姿があった。
「だってそうでしょう?あんな綺麗なお姫様に対抗意識燃やされて、私なんかが敵うと思いますか?」
「アイリス嬢、」
「イライアス様だってお姫様に顔赤くしてたじゃないですか。綺麗なお姫様に照れてたじゃないですか」
何の事を言っているのか、と思考を巡らせ、イライアスははっとした。
「違う、あれは姫にでは無くアイリス嬢の事を聞かれたから、」
じとっととがめるような視線は、焼きもちを焼かれているのだろうか。
そう思うと、別れ話のどん底から一気に気分が浮上した。舞い上がってしまうほどに嬉しい。
「君を恋人だと紹介出来るのが嬉しくて、」
か、とまた顔が熱くなり出した。
この状況で情けないとは思うが、自分ではコントロール出来ないのだから仕方がない。
なだめるように、彼女の頬をなでた。
「君は随分と自分を卑下しているようだが、それは俺には理解が出来ない」
「そりゃそうでしょう、イライアス様はそんなに格好いいんだから」
格好いい、と言われたことにまた喜んでしまう。
「そうではなく、君は君が思っている以上に可愛らしいんだと言うことだ」
「何言ってるの」
「貴女の笑った顔が好きだ。愛想笑いじゃない、気を許した時の顔。目元が緩んで、本当に可愛い」
「!」
「デザートを食べている君は、頬を染め、嬉しそうに食べる。本当に愛らしい」
何を言い出すんだこの人は。
か、と頬が熱を持つ。
「こういう事を言うと、恥ずかしそうに頬を染める。困ったように眉が下げ、視線を泳がせて、そして笑うんだ」
「や、やめてよ……」
「やめたら君はそんな事を言わなくなる?」
彼はじっと見下ろしてくる彼の表情は、必死だった。
「いくらでも言う、俺は君が好きだ。君を手放したくない」
「イライアス様、」
「君が俺を好きでは無いのなら好きになってもらえるように努力する。毎日花束を持ってくる。毎日愛を囁く。だから、君が少しでも俺の事を好ましいと思ってくれているのなら、どうか俺から離れていかないでくれ」
すがるように、彼は頬をすりつけてきた。
「好きだ、君が好きだ。君を離したくない、お願いだ」
こんな風に好きな男に縋られ、それを突っぱねられる女などいるのだろうか。
少なくとも私には無理だ。
「………後悔しても知りませんからね」
ぼそりと呟く様に言えば彼はばっと顔を上げ、泣きそうな、それでいて喜びと安堵の入り混じった顔を本能のまま彼女に近づけた。