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「みんな、お疲れ様でした」
とても澄んだ綺麗な声が響いた。
目を向ければ、そこにいたのは美しい銀色の長い髪をした、とても綺麗な女性だった。
騎士達が礼を取るので、アイリスも慌ててドレスの裾をつまむ。
「あの方がリーリア姫だ」
イライアスにそっと耳打ちをされ、裾をつまんだまま深く頭を下げた。
本物のお姫様だ。すごい。
彼らが礼を解くのに合わせてアイリスも頭を上げれば、この世のものでは無いような美しい容貌をした彼女はこちらに向かって歩いていた。
「イライアスはいるかしら」
「はい、ここに」
「街に出たいの。護衛を頼める?」
その言葉に少し違和感を覚えた。
彼女ならきっと、護衛の人間などわざわざ自分で騎士の演習場まで来ずとも、近くにたくさん人がいるはずだ。
だけれどこうして演習終わりのイライアス個人に声を掛けたと言うことは、と少しばかり考えてしまう。
「いや、その……今日は、」
「姫様、今日はイライアスには客人が来てるんです。代わりに俺が護衛を務めましょう」
「客人?」
ルーカスの言葉に、訝しげに眉を寄せた彼女は、大きな騎士の中に少女が混じっているのに気付いた。
「もしかして、その子の事?」
ドキッと心臓が跳ねる。慌ててドレスの裾をつまみ、軽く頭を下げた。
「アイリスと申します。お目にかかれて光栄です、リーリア姫様」
「リーリアよ、よろしくね。ところで貴女、イライアスの知り合いなの?」
やはりそうだ、これは誰が見ても分かる。
表向きは知り合いなのかと聞いてはいるが、正確にはお前は彼の何なのだと言いたいのだろう疑った目を向けてくる彼女は、きっとイライアスに恋をしているのだ。
「イライアス、どうなの」
「いや、その」
ずいっと綺麗な顔を近づけたリーリアに、彼は動揺してしまっている。
かあっと頬を赤く染める彼に、心の中にストンと何かが落ちた気がした。
ほんの少しだけ視線を下げ、すぐに営業スマイルを顔に貼り付けた。
「リーリア姫様、私は街のレストランの娘です」
「その娘がどうしてここに?」
「どうしても騎士様の公開演習を見てみたくて、私が彼に頼み込んだのです」
出来るだけ敵意のないように、無邪気に見えるように、照れた表情を見せて笑った。
女の、ましてやこの国のお姫様とそんなバトルはしたくはない。
過去に培った『大人』としての対応を思い起こし、営業スマイルをこれでもかというほど浮かべた。
ここで国の重要人物に敵対するなど、馬鹿のやることなのだから。
「レストランの手伝いがあるので、そろそろお暇させていただこうと思っていたのです」
「あら、そうだったの。ごめんなさいね、私ったら」
そういった彼女はほっとしたように、優しい笑みを向けてくれた。
嘘じゃない、嘘はついていない。ただ彼女の聞きたかった事にはふれなかっただけで。
「もう帰るのか、アイリス嬢」
「はい、今日は本当にありがとうございました。またお話しましょうね、騎士様」
彼を名前で呼んだりなんかしたら、どうなるか分かったものではない。だからといって名字で呼ぶなどしたくはなかった。言葉の端にまた会うということを匂わせたのも、せめてもの虚勢だった。
今この瞬間、彼は私の恋人なのだから。今だけは見栄を張っていたい。
にこにこと笑った顔を疑う人間なんていやしない。本心を隠すための愛想笑いは、昔から得意だったのだから。
アイリスの言葉に目を見開いたイライアスにも、にっこりと笑ってみせる。今度は顔を隠される事は無かった。
「それでは皆さん、さようなら」
まるで学級会の終わりのような言葉を吐き、裾を持ち上げて礼を取って足早に出口へ向かった。
リーリア様にご挨拶をするのを忘れた事に気がついたが、それを気にしている余裕など無かった。
あの綺麗なお姫様を出し抜いて、騎士様の心を射抜ける気がしない。物語の主人公は、いつだってああいう美しいお姫様なのだから。
「どこだここ」
まずい、最悪だ。出口はこっちじゃなかったらしい。煌びやかなお城の中を彷徨く怪しい奴が一人、なんて冗談じゃない。
この状態では見つかっても見つからなくてもまずい、とりあえず出口を探そうと壁伝いにこっそりと歩みを進めているが、いっこうに出られる気がしなかった。
「何をしている」
「うわっ!!」
女性らしくない、可愛くない声をあげてしまった。
町娘とはいえ淑女としてこれはまずい、というか見つかったことがそもそもまずい。
なんて言い訳すれば、と思いながらも振り返り、驚きに目が見開いた。
後ろに立っていたのは、黒髪の、線の細い少年だった。
15才ほどだろうか。長い前髪からのぞく目は澄んだ灰色をしていて、見惚れるほどに美しい。
懐かしい色にじっと魅入ってると、彼は眉を寄せて視線をそらした。
「ここは一般の人間が入っていい場所じゃない」
「す、すみません!騎士様の公開演習に来ていたのですが、出口が分からなくなってしまって」
「騎士の?帰り道を送ってはくれなかったのか」
怪訝そうな顔をする彼に、冷や汗がだらだらと流れる。
「私が急いで出て来てしまって」
「……出口はこっちだ」
案内してくれるらしい。
歩き出した彼の数歩後を歩き出す。
ラフな格好をしているが気品を感じさせる仕草に、きっと彼も身分の高い人間なのだろうと予想された。
彼の後をついていき、頭を下げたメイドの前を通った後に聞こえてしまった「本当に、気味の悪い黒髪ね」というつぶやきに耳を疑った。
ぱっと振り返れば、メイドはすぐに自分の仕事に戻ってしまう。
確かに黒色はこの色では好かれないのかもしれないが、あんな言い方をする事はないだろう。目の前を歩く少年がどう思うのかと考える事もしないのか。
「ここを行けば外に出られる」
「すみません、ありがとうございました」
「悪かったな、黒髪と一緒に歩かせて」
え、と顔を上げると、彼はすでに背中を向けていた。
聞き捨てならない!と後を追ってその細い腕を掴めば、少年は端正な顔に驚きの感情を乗せた。
「黒色ってとても素敵で、魅力的な色だと思うんです」
「………何を言っているんだ、あなたは」
心底怪訝そうな顔をする少年に焦る。
だが、この少年がこの黒色のせいで邪険にされているのがアイリスは心底気にくわなかった。
それはこの少年の為とかではなく、黒髪を蔑まれる事が自分の前世を蔑まれた気がして、故郷を馬鹿にされたような気持ちになったからだ。
「からかっているのか?」
「まさか!」
「なら馬鹿にしているのか、黒髪だから」
何故そう取るんだ!
とは思うが、きっと今まで散々そう言われてきたのだろうから何も言えない。
だがそれは分かるが、綺麗な黒髪を持つこの少年にもそうは思って貰いたくなかった。自分の髪は綺麗な色なんだと知って貰いたい。
「黒髪が縁起が悪いって、誰が決めたんですか」
「誰も何も昔から、」
「黒髪黒目の何が悪いんですか!」
「さすがに黒目ではない」
この国で黒色の目を見たことは無い。
というか、何を興奮しているんだろう。初対面の少年相手に。変態か。
すっと冷静になったアイリスは、掴んでいる手をそっと離した。
両方無言になって見つめ合うので、静寂が二人の間に落ちる。
「黒は黒にしかなれない色です」
「……知っている、そんな事」
「だから一番格好いい色なんです」
「何故そうなる」
いきなり訳の分からない事を言い出した見知らぬ女の話に付き合ってくれるこの少年は、きっととても優しい子なのだろう。
「黒にしかならないんですよ。周りに左右されない、素晴らしい色です。私の一番好きな色」
「………黒が好きなのか?」
彼が今までより少し高い声で問いかけた所で、かつかつと廊下を歩く音がした。
誰か来た様だ。
「アイリス嬢!と、これは、イヴァン殿下」
騎士としての礼を取った彼は、何故二人が一緒にいるのかと二人を見比べた。
え、殿下?
「イライアス・ローレンか」
彼の連れだったんだな、と少年は呟く。
そしてアイリスを見つめ、口を開いた。
「……アイリス、とやら」
「は、はい」
「本当に、黒が好きか…?」
視線を下に向かせ、控え気味に聞いてくる彼に母性をくすぐられた。殿下なのに。
「はい、好きです」
「金色よりも?緑よりも?」
「そうですね、黒が圧倒的に魅力的な色だと思います」
そうか、と呟いた彼は嬉しそうだった。
「皆、この黒髪を見ると気味悪がるから、そんな風に言われたのは初めてだ」
端正な顔は冷たい印象を与えたが、笑うと年相応の少年の可愛らしい顔だった。
「迎えが来たのならもう大丈夫だろう」
「あ、ありがとうございました、イヴァン殿下!」
礼を取ったアイリスに笑った彼は、背を向けて歩き出した。
心なしか背筋が伸びている気がする。
それにしても、
「美少年だわ……」
「アイリス嬢」
「はい」
はあ~とその後ろ姿を見送っていると、黙ってやりとりを見ていたイライアスが口を開いた。
じっと無表情のまま見下ろしてくる彼にたらりと冷や汗が流れる。
「すみません、殿下にご迷惑をかけてしまいました。イライアス様にも本当にご迷惑を」
「いや、殿下はきっとアイリス嬢と話せて良かったと思う。殿下のあんな風に笑った顔を見たのは初めてだから」
髪の色のせいで、彼はいつも暗い顔をしていた。
線の細い体も相まって、王族の間でもまるで幽霊のようだと陰口をたたかれているのも知っている。
だけれど、その色を面と向かって好きだと言ってくれる人間がいることに彼は気付いたはずだ。
良いことだとは思うが、なんとなくもやもやはする。が、それは気のせいだと自分の中に押し込めてアイリスを見た。
「先ほどの事なのだが」
神妙な表情に、背筋が伸びる。
「何故、『騎士様』と呼んだんだ」
こちらの様子を伺うように彼は言った。
正直黒髪の彼の出現で感情が上下して忘れていたが、そういえば先ほどそんな事があったんだと思い出す。
「何故って、特に意味は」
「君は聡明な判断をしたと団長は言うが、俺はあの笑顔に肝が冷えた」
アイリスがリーリアとの衝突を避けた事を言っているのだろう。
聡明ではない、ただ単に自分の為にもめ事を避けたかっただけだ。
というか、笑顔で肝が冷えるって。渾身の笑顔だったのに。
「愛想をつかされてしまったのかと思った」
愛想、それは、こちらの台詞だ。
だが気付かれてはいけない。自分の汚い内側を読ませないように、ただ落ちそうになる心を隠す。
「だから、その」
言いづらそうに、彼は口ごもった。
「君を家まで送る許可を、俺にほしい」
「……送っていただけるのなら、ぜひお願いしたいです」
「そうか」
何故送る送らないの話になるのかいまいち分からないが、彼はほっとしたような顔をしたので、イライアスの中の心配事は今の返事で解決したのだろう。
家まで送ってくれたイライアスはまたじっとアイリスの様子を伺うように見つめてきた。
「今日はありがとうございました。また連れて行ってくださいね」
「う、……分かった」
あまり連れて行きたくなさそうですね。
どうしてですか、だなんて、もう聞くことはしなかった。