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「失礼する」
次の日、お昼時が過ぎ去りお客さんの数が落ち着いてきた頃に彼はやってきた。
きっと来ると思ってた。初めての日も昨日もこの時間にやってきたし、何より昨日の言葉があったから。
基本的にオーダーをとるのは店の看板娘のキャメロンなのだが、彼が来た事を知った彼女はさっと厨房に引っ込んでしまった。話をつけろ、という事らしい。
「いいいらっしゃいませぇ」
いつもの営業スマイルのつもりだったのだが、きっとスマイルとは言い難い顔をしているのだろう。声も裏返った。
だが目の前の彼は気にした様子は無く、そして昨日までとは違いごく普通な表情を向けてきた彼は厨房に近い席に座ってメニューを開き、肉料理を注文した。もしかして昨日のあれは私の妄想だったのかもしれないと思わせるその様子に、逆に動揺する。
「かしこまりました」
厨房に入れば、壁に背を貼り付け待ちかまえているキャメロンに腕をとられ、しゃがまされた。これなら店内からは見えない。
「で、どうだった?」
「なんか、普通。あの花束って、本当に交際の申し込みなの?」
「そうだと思うんだけど……」
少し自信なさげな表情になるキャメロンに、やはり昨日のはただの花束だったのだと納得する。なぜいきなり花束だったのかとは思うが、突然花を贈る事もあるんだろう、騎士様だし。
残念という気持ちももちろんあるが、弁明をする必要が無くなった事にほっと胸をなで下ろした。
さっと立ち上がり、オーダー表をカウンターに置きその内容を確認する。
「料理しよう」
今まさに自分を熱を込めた目で見つめる彼に気づくことは無く、アイリスはフライパンを手に取った。
彼のその様子に気づいたのは、納得のいっていなかったキャメロンだけ。やっぱりそうだった、とにんまり笑いアイリスの横っ腹をつつく。
「何よ、キャメロン」
いたずらげに笑うキャメロンがそっと指さしたのは、店内にいるイライアス。
その指をたどりそっと彼の方を見れば、こちらを見つめるイライアスと目が合った。彼は甘くしまりのない顔をしていたが、アイリスと目が合うと慌てたように視線をさまよわせ、そして顔を真っ赤にして視線を手元の飲み物に落としてしまった。
アイリスはぐるんと視線をフライパンに戻し、肉をフライパンに乗せる。
「ね?」
やっぱりそうなのか、と顔が熱を持つのと同時に、ならばやっぱり誤解を解かなければいけないのだと思うとすっと寒くなる。
あんなに格好いい人が自分を好きになってくれたのは本当に嬉しいが、やはり城勤めの騎士様と庶民とでは身分が違いすぎた。
物語の中では騎士どころか、王子様と庶民の恋なんていうものもごまんとあったが、ここは現実世界だ。王子様との恋も騎士様との恋もあるはずがない。飛び抜けて容姿が優れているとか性格が優しいとかならあり得なくもないかもしれないが、あいにく私は両方普通以下なのだから。
「キャメロン、料理運んでくれる?」
「お姉ちゃんがやった方がいいんじゃない?」
「心の準備が」
優しい妹はじっとりとした目を向けてきながらも、料理を彼の元に運んでくれた。
彼は食事をとりながらも時たまこちらの様子をうかがっていたようだが、厨房の物陰に隠れているアイリスの姿をとらえる事は出来なかった。
だが、話はつけなければいけない。
彼の食事が終わった頃を見計らって出て行こうとするが、やはり決心がつかず物陰から出られないでいた。
そうしているうちにどんどん時間は過ぎていき、焦りが生まれてきた頃に、店内の仕事をしていたキャメロンがひょいと顔をのぞかせた。
「お姉ちゃん、騎士様帰るって。お話しなくていいの?」
いいわけがない、分かっている。
意を決して厨房から出て行けば、彼は会計待ちをしていた。
顔に営業スマイルを貼り付け「お会計ですね」と声を掛ければ、彼はほっとしたような表情を浮かべる。
「今日の料理も本当に美味しかった」
「本当ですか、ありがとうございます」
言え、言うんだアイリス。
「あの、……ローレン様、」
「そんな他人行儀に呼ばないでくれ。イライアスと」
他人なんですけどね!?だなんて言えるはずもなく。
じっと期待を込めた目で見つめられ、そろりと視線を外す。
だけど今は一応恋人同士なのだし、名前で呼んでも大丈夫だなはず、なんて自分に言い訳をしながら、ひくつく頬を無理矢理上げた。
「……じゃあ、イライアス様とお呼びしますね。その、少しお話が」
そう言いながらちらりと視線をあげれば、真っ赤にした顔を右手で覆っているイライアスがいた。
まるで昔に見た少女漫画に出てくる、恋する男のようなその仕草に、思わず固まってしまう。
「すまない。名前を呼んでもらえたのが、その、嬉しくて」
何だ、この可愛い男は。
大男のくせに可愛いなんて。何だ、なんかざわざわする。
「それで、何だったか」
「あ、えっと………少し、お話をしたくて」
「あぁ、勿論だ!アイリス嬢は、明後日は暇か?」
「明後日ですか?はい、お店が定休日なので」
「ではその日、俺に君をエスコートさせてくれ」
「え?」
その日に話をしよう、という事らしい。でも、彼は騎士だ。そう簡単に休みを取れるものなのだろうか。
「でも、イライアス様もお仕事がありますよね」
「大丈夫だ、その日は丁度、休暇日だから」
疑いの目を向けてしまうのは仕方の無い事だと思う。だってそんなに都合良くお休みの日が重なる?騎士の休暇のローテーションの事は分からないけれど、それでも不自然だと感じてしまう。彼は仕事を休む気なのだろうか。
疑惑を向けてくるアイリスの目を見て、彼は慌てて胸の前で手のひらを見せた。
「本当だ!何なら団長に確認をしてもいい、明後日はちゃんと休暇届を出していて……じゃない、休みなんだ!本当に!」
顔を真っ赤にした彼は一層ぶんぶんと大きく手を振った。
休暇届けを出している?なら問題は無いが、何故。と思ったところで、もしかしてと彼を見上げる。
顔を真っ赤にして視線をさまよわせる彼は、この店の定休日に合わせて休暇を取っていたのだろうか。
トラウマはある、あるにはあるが、聞いてみたい。
「…定休日だから?」
ぼそりと小さな声でつぶやけば、彼の汗は目に見えて増えていった。それが肯定の証だ。
ならばもしこちらが暇では無いと言ったらどうするつもりだったのだろう。きっと彼は暇休暇の事など口にせずすぐに引き下がるのだろうが、そんなところがいじらしく感じてしまう。
「ち、ちがう、元々休暇だったんだ、本当だ」
一切目を合わせない。それでいてそわそわと手が動いている。彼は嘘が下手な人間らしい。
(なんか、可愛い人だ)
顔を真っ赤にしながら視線をそらすイライアスを見つめ、そしてはっとする。男に可愛いってどうなんだ。というか、そもそも花束を受け取ったのは間違いでしたとはっきり言わなければいけない。
「だめか?」
「だめじゃないです、でも」
「良かった!ならその日、朝に迎えに来るから」
笑った顔は穏やかで、優しげだった。思わず見とれていると、彼はまた恥ずかしそうに目を伏せた。
「あまり見ないでくれ、きっと情けない顔をしている」
「そんな事ありません、とてもかわいらし……ごほん、凛々しいお顔をなさっています」
ほとんど可愛らしいと言ってしまったのだが、彼にはそれは聞こえなかったらしい。りりしい、と繰り返した彼はそちらの嬉しさが勝ったようで、恥ずかしそうに、だけれど蕩けた顔で笑った。
あーーー可愛いなぁこの人!
「そろそろ仕事に戻る時間だから、また。明後日、楽しみにしている」
片手をあげて店を出た彼を見送って、その場に崩れ落ちた。
「何なのあの人、可愛い」
「じゃあ本当につきあっちゃえば?」
「でもやっぱり罪悪感が」
「いいじゃない、あっちからしたらラッキーだもの。ローレン様かっこいいし真面目そうだし、絶対お姉ちゃんの事大切にしてくれるよ」
アイリスが嫌がっているのなら何が何でも誤解を解かなければいけないが、彼女が満更でも無いのなら特に別れる必要は無いと言うのがキャメロンの意見だ。
地面に座り込み伏せるなど、外でやったら異様なものを見る目で見られるのだろうが、今この店にはアイリスとキャメロンしかいないので何も問題は無い。キャメロンは彼女の心情を察してか、そのことに関しては何も言わずに食器を片付け始めていた。
「………何で私なんだろう」
「ローレン様の好みだったんでしょう」
「地味でブスなのに」
「そんなことないわ。お姉ちゃんの綺麗な栗色の髪も涼しい顔立ちも、私とっても好きよ」
「しょうゆ顔って事か、ソース顔~!好き!」
「またよく分からない事言ってる。ありがとう」
この辺の言葉はこの世界ではなじみの無いらしく、通じない。
小さい頃から前世での知識や言葉を使ってしまっていたアイリスの『よく分からない』言葉を、家族は「はいはい」と受け流すのだ。もちろん説明をすれば聞いてはくれるのだが、知っている言葉を共有出来ない時のなんとも言えない寂しさは、未だに慣れなかった。
「で、どうするの?」
キャメロンの言葉に、地面に伏せたまま唸る。
彼の事は嫌いじゃない、むしろ好みであるらしい。だけど前世も合わせて男性と付き合った事の無いアイリスにとって、イライアスという騎士はハードルが天より高かった。そう、相手は騎士様なのだ。庶民が、ましてや自分が好きになっていい相手では無い。それは分かる、分かるのだが。
真っ赤にした顔を嬉しそうに綻ばせる彼の顔を思い浮かべ、口を尖らせた。
「…付き合ってみようかな」
「それがいいわ」
呟いた言葉に対し、楽しそうに声を上げるキャメロンに視線を向ける。きっとこんな風に可愛ければ、庶民だなんだと言い訳をつけて逃げる必要もないのに、だなんて、それが自分が努力をしないせいだということはよく分かっているので口には出さない。
「よし、付き合う。私だって乙女だもの!」
あんな可愛い、じゃなかったかっこいい人に好きになってもらえるなんて、この先一生無いかもしれないのだから。身分違いなんてなんのその、どうせ飽きられるかもしれないのだからそれまでの経験とさせていただこう。
そう、私は最低なのだ。昔から最低の人間だったのだ。だから罪悪感、引っ込んでくれ。頼む。
「お姉ちゃん、ぶつぶつ怖いよ」
「だって罪悪感が」
「だから、大丈夫だって」
最初から告白受けてた事にすればいいでしょ、ね!とキャメロンに強引に慰められ、厨房に押し込められたのだった。
厨房には、まだまだやることが残っているのだから。