王子が純真すぎて色々とツライ 第二幕
こちらは前作(http://ncode.syosetu.com/n0607dp/)の続きとなっております。
国を取り戻すべく、北の果てを目指す騎士・マルスと王子・テオ。
ひとまずの目標を国外脱出と定め、追っ手に見つからぬよう深い森を進み続けてきた二人であったが、その前に文字通り大きな関門が立ちはだかった。
隣国・ベッツェ領へと続く街道に設けられた関所。
かつては砦として機能していたそれであるが、国家間の争いが政治や経済に移った今、その目的は関税の徴収や所持品検査が主となっていた。
しかし、目的が変われど、その能力は変わらない。
門を貫くのは山腹に拓かれた一本道であり、その両側には、木々が鬱蒼と生い茂る急斜面。
さすがは国防の要を担っていた場所である。馬はおろか人間ですら、ここを通らずに抜けるのは困難を極めるだろう。
さらに今、そこは昔の姿を取り戻しつつあるように、マルスには見えた。
(想定していたとはいえ、まさかここまでとは……)
森の奥にテオを残し、関所の偵察に赴いていたマルス。木々の間から睨むその瞳は、鋭く険しかった。
明らかに守衛の騎士が増員されている。
しかもその中には、胸元に騎士団の紋章がない者も。おそらくは大臣の私兵たちであろう。
どうしたものか――と、マルスの眉間の皺は深さを増した。
いくら王子を取り逃したとて、大臣たちも無能ではない。自分たちが王国奪還のため、最北の国・ナイワッカに向かうことくらい分かっているはずだ。
そして、それを阻止するための警備と検査の強化だろう。
現に、よほど厳重な検査体制となっているのか、出国する馬車や徒歩の者たちが街道に沿って並び、長い列を作っている。
しかしこの短期間に、これほど増強されるとは想定外だった。慎重に慎重を期して進んできたことが仇となったか。
(だが、過ぎたことばかり考えていても、目の前の問題は解決しない)
マルスはそう頭を切り替え、視線を関所の脇へと移した。
深緑に彩られた急斜面。確かにそこを抜けるのは難しいが、決して不可能なわけではない。
あるいは、関所を強行突破するという手もあるにはある。平時は安穏とした場所だ。不意を衝いて一気に駆け抜ければ、守衛たちの反応も遅れることだろう。
しかし、そのどちらもマルスが一人で行動することが、成功の第一条件だった。とてもテオを連れて行けるような方法ではない。
そして、それでは無意味だ。
自ら立てた誓いを果たすためには、テオと共にここを抜ける必要がある。
(なんにせよ、もう少し内部情報を得る必要があるか)
そう考え、関所に向かって動き出そうとしたマルスの足が、次の瞬間、ぴたりと止まった。
二人分の足音が、こちらに近付いてきたのだ。
「あーあ、何なんだよアイツら。急に中央から出しゃばってきやがって」
「まぁ、仕方ないんじゃない。大臣様直属の騎士らしいし」
「だけどよぉ、あんな偉そうに命令してくることねぇじゃねぇか。こっちは通常の仕事だってしてるんだっつーの」
そう愚痴りながら、一人が近くの岩にどかりと腰掛けた。
二人組の青年騎士だった。身に着けた鎧は共に支給品で、紋章の色は下級。
どちらもマルスに気付いた様子はなく、見回りの途中で立ち止まっただけのようだ。
「第一、自分たちが取り逃がした犯人なんだから、自分たちでなんとかしろよ。まともに仕事できねぇ上に、お願いの仕方も知らねぇのかよアイツら」
「まぁまぁ、犯人が捕まるまでの辛抱だって」
またも声を荒げる青年を、もう一人が再度なだめる。どうやら大臣の私兵たちは態度が相当悪いらしい。
しかしマルスには、それよりも気になることがあった。
――犯人。
彼らの言葉から察するに、私兵たちはそれを捕縛するためにやって来ているようだ。
もちろん、嘘だろう。本来の狙いは、テオ王子の身柄確保に違いない。
だが当然ながら、王家に忠誠を誓う騎士団に、それをそのまま言うことなどできないから、そのような言葉で欺き、都合のいいように利用しているのだろう。
しかし、相手の手の内が分かれば、対策も打てる。
そしてそのためには、もう少し具体的な情報が欲しいところだ。
マルスは自らの胸元――上級騎士の紋章を一度見下ろし、小さく首を縦に振った。
向こうが欺くのならば、こちらも欺くまでだ。彼らには悪いが。
だから音無く森を抜けると、さも今まさに通りがかったかのように、マルスは二人の前に姿を現した。
「陰口とはあまり感心しないな。とはいえ、まあ、気持ちは分かる。私も詳細すら聞かされぬまま、こちらに寄越されたばかりでな。――で、いったい何があったんだ?」
◆ ◆ ◆
大店の御曹司を誘拐した男の国外逃亡を阻止せよ。
それが、大臣直属の騎士が受けた特命らしい。
なるほど考えたものだ、と不覚にも感心してしまった自分を、マルスはすぐさま心の中で非難した。敵の策を褒めるとは何事か、と。
しかし、妙案であることは確かだ。
テオを御曹司に、自分を誘拐犯に仕立て上げ、騎士団に捕縛させる。
いくら自分たちが王子と近衛騎士だと主張しようと、所詮は罪人の戯言。王族や近衛の顔を知る者など、本当に限られている。鎧の紋章は偽物と判断され、御曹司のほうも、そう言うよう脅迫されたのだと憐れまれるだけで相手にされないだろう。
そしてあとは、その身柄を王城に移せば万事終了だ。大臣たちが直々に対応したと言えば、それ以上追究する者もおるまい。
(――だが詰めが甘かったな、大臣たちよ)
幸か不幸か、彼らは自分が女であるということに気付いていない。手配されているのは、男二人。
ならば、その正反対の存在には注意が向かないはず。
故に、情報源とした青年騎士たちを見回りに戻らせたマルスは、その足で街道の行列に向かった。
遅々として進まないことに、ずらりと並ぶ不満顔。それを横目に歩き進めると、ほどなくしてマルスは目的の者を見つけた。
行商、それも織物を主に取り扱う者の馬車だ。見本とばかりに、自身も良質な物を纏っているから分かりやすい。
だからマルスは真っ直ぐ近付くと、御者台の行商にこう声を掛けた。
女物の服を分けてもらえないか、と。怪しまれぬよう、妻と子供への土産と称して。
「ふむ。女子の格好は何というか、こう、脚が心許ないな」
すーすーする、とスカートの裾を弄ぶテオ。
その姿に、マルスは天啓を受けた気がした。
関所から少し離れた森の奥。待っていたテオに計画を伝え、行商から買った服で共に変装を済ませたマルスであったが、その心は目の前の存在に平伏していた。
元より、かなり幼さを残すテオである。身体の線は細く、顔立ちも中性的。
だから女性の格好をすれば、関所の騎士たちも誤魔化せると踏んでいたのだが、その考えは浅はかだったとマルスは悔い改めた。
誤魔化すなど、とんでもない。目の前におられるのは、可憐な少女そのものであった。
心が、奥底から打ち震える。
どこかへ通ずる扉が開く、荘厳な音が聞こえる。
叶うことならば、この奇跡に立ち会えた喜びを、感謝を、天に向かって叫びたい。
ああ、神よ。貴方は、この地に――
「――ルス、どうした? もしかして、僕の格好は変か?」
「と、とんでもないっ! 実にお似合いです、テオ様! 新境地が今にも拓かれそうな勢いです!」
「新境地?」
「いえ、こちらの話です。お気になさらず。とにかく、これならば騎士たちを欺くのも容易いでしょう」
「ふふっ、そうか。良かった」
そう微笑むテオに、マルスは雷神の矛で貫かれたかのような錯覚に陥った。
全身に稲妻が走り、心の臓が強く締め付けられる感覚。呼吸すら苦しい。しかし不思議と嫌な感じはせず、むしろ心地良さすら感じる。
そしてそんな状態のマルスに、第二の矛は放たれるのであった。
「マルスもその格好、よく似合っているぞ」
「――っ!」
物心ついた時から騎士として育てられ、女性の服など袖も通したことがなかったマルス。
故に、うまく変装できているか不安だったが、その心の靄は今はっきりと消え去った。
我が主君から頂いたお褒めの言葉。これを信じずに何とする。
だからすぐに膝を折り、それに応えようとしたマルスだったが、矛は矛――貫いたあとは抜かれるのが宿命であった。
「まるで、本物の女子のようだ」
「……あ、ありがたきお言葉でございます」
ぽっかりと開いた穴を、風が通り抜けていく。
そうだ。そうであった。
不覚にも浮かれてしまっていた。
テオにとって、これは『女装』なのである。
◆ ◆ ◆
剣も鎧も無いというのは、こんなにも不安になるものなのかと、マルスは改めて考えさせられた。
はたから見れば女二人旅である。そんな物騒なものを持っていれば疑われるし、それに何より、鎧には騎士団紋章が入っている。絶対に持っては行けない。
だから剣や鎧、身分を示すようなものは全て森の奥に隠し、マルスたちは関所の検査場を目前にしていた。
一応、腰元には短剣を忍ばせている。これくらいならば、もし見つかったとしても日用品で通せるだろう。
だが、いざという時、これでテオを守り抜けるか。
その不安が頭の中をぐるぐると巡り、マルスの表情を硬くする。
(……いや、こんなことでは駄目だ。私がしっかりしなくてどうする)
不安を振り払うかのように、マルスは首を横に振った。
こんな強張った顔、関所の騎士たちはもちろん、隣のテオにすら見せてはいけない。不安は伝播し、それは疑いを生む。
だから心の中で自然体を唱えつつ、マルスは小さくテオに言った。
「テオ様は極力声を出さないでください。全て私が対応します」
「うむ、分かった」
テオがそう答えたのと、前の大きな馬車が検査を終え、進み出したのはほぼ同時であり、そして――マルスが目を見開いたのもまた、同じ瞬間のことだった。
(――なっ!?)
検査係の騎士が、例の二人組の青年だったのだ。
いや、正確にはその後ろにもう一人。中級の紋章をつけた騎士が、腕組みをしながら二人の仕事を見守っている。おそらく研修中なのだろう。
(だが、今やらなくてもいいだろう!)
そんなマルスの声なき叫びは当然誰にも届かず、無情にも順番はやってくる。
――どうする、引き返すか?
その選択肢がパッと浮上し、すぐに沈んだ。
ここで引き返すのは、疑ってくれと言っているようなものだ。そしてテオを連れている以上、逃げきれはしないだろう。
ならば、もう進む以外に道はない。
「よろしくお願いします」
精一杯の余所行きの声で、マルスは台の上に旅嚢――先ほどの行商から服と一緒に譲ってもらったものだ――を置いた。
早速、一人が中身を取り出し、横に並べていく。なだめていたほうの青年騎士だ。
だから必然的に、愚痴をこぼしていたほうが身体検査担当として、マルスの目の前に立った。
(どうか気付いてくれるなよ……)
青年騎士がマルスの腕や脇腹の辺りを、ぽんぽんと軽く叩いていく。
もちろん、咎められるようなものは何も持っていない。持ち物ではなく、身体そのものが問題なのだから。
故に、特に何を言うわけでもなく、彼がテオのほうに移ろうとした瞬間だった。
ふと目が合ってしまったのは。
(――まずい!)
青年騎士の瞳が、徐々に怪訝なものへと変わっていく。
それもそうだろう。先ほど言葉を交わした上級騎士が今、女の格好で目の前に立っているのだから。
マルスは気取られぬようゆっくりと、腰の短剣に手を伸ばした。
傷付けはしない。ただ、強行突破のための人質となって――
「……へくちっ!」
幽かでありながら絶妙に響いたその音に、場の全員の視線が集まった。
一瞬の静寂。小鳥のさえずりのようなそれが、くしゃみだったと気付くのにそれほどの時間は掛からなかった。
そして突然注目を浴びた音の主が、慌てて声を発する。
愛らしいその顔と手足をめいっぱい使って、動揺を表しながら。
「あ、いや、すまな――じゃなくて、ごめんなさ……へ、へくちっ!」
全員が全員、和んだ。
騎士たちの口元と検査の目は一気に緩み、おかげでマルスたちは無事、関所を通過できた。
普段なら強く注意するところだが、たとえこのような状況でなくとも、まあ、これは仕方ないかなと思うマルスであった。
連作短編というカタチで不定期に書いてこうかと思います。