6.水面下
刀信と慈乃が教室でお昼をとっていたころ、暁乃たちは茶道部に集まっていた。
天壌西高校の茶道部、暁乃皇女殿下が入学する前には存在しなかった部活。それを皇室たっての願いで、異様に改造された茶道室ができていた。畳、茶器、釜、着物あらゆる道具が最高品質のものを取りそろえるが、それは表向き。裏では完全な防音素材と監視装置を徹底的に排した作りとなっている。いわばこの部屋は暁乃たちが密談に使う一室でもある。
暁乃以外の者は、重く沈痛な表情だ。朝の一件から口を閉ざした暁乃の心の内を計るように彼女を見ている。
綺麗な仕草で茶を飲んでいた暁乃がすっと目を細めて姫鶴に向ける。
「姫鶴、状況は聞いたとおりです。敵に先手を取られた上、こちらが動かぬように私は完全な監視下におかれます。もはや一刻の猶予もありません」
暁乃が正座し、決意の表情をみた姫鶴は凜とした顔を苦悶に歪ませた。
姫鶴は暁乃がいわんとしていることがわかっている。だが、それは暁乃自身をかけた作戦。袋小路に追い込まれたネズミが牙を向ける最後の悪あがき。
その重さに耐えかねて、姫鶴は反対の意を露わにする。
「姫様、それはなりません! あれを解放しては姫様の身が!」
「いえ、いいのです。姫鶴。先の奪還作戦が失敗したとき我らに残された道はただ二つ。座して頭を垂れるか、我らの牙をこの世界の敵に向けるか。私は後者をとります。我が母上の無念、民の苦しみ、世界の嘆き。それらをこの命で晴らすことにためらいはありません」
暁乃は異常なほど冷静だった。淡々と言葉を継ぎながらその体も精神、魂までも氷に閉ざしたように極度の堅牢さと冷たさで覆っている。
姫鶴はそんな暁乃を見て、言葉が出ない。彼女もまたその顔をした者を幾度となく見てきた。
軽口を叩き、戦場に赴く。ただ無言のまま前を見て歩く。自らの内に溢れる恐怖を徹底した理想と理知で押さえ込み、光を灯した瞳で突き進む仲間達。
彼らにどのような言葉を告げても自分では止められない。いや、それを扇動した者としてその命の重さを扱わなければならない立場。自分は生き、仲間が死に赴くという歯がゆいまでの焦燥。
姫鶴の中で、焦燥は渇きへと変わる。
自らの主と思う暁乃の死など見たくない。それならいっそ自分が先に死にたい。
主が地獄へと赴くなら、その刀たる自分は先駆け。地獄の悪鬼共をこの身に変えて露払いをしよう。
ひりつくような焦燥と渇きの中で、姫鶴は自らの願いを口にする。
「姫様、ならばわた―――」
「姫鶴。あなたに役目を果たして貰います」
姫鶴が言葉を口にしたのを暁乃は遮った。暁乃は姫鶴の顔を見て、何を口にしようとしたのか看破したのだ。
だから、その言葉を彼女自身から言わせない。なぜならその責任を負うべきは自分にある。
家臣自ら命を捨てたいなど言わせれば主の恥だ。主はただ自らのために家臣に命を捨てろ、と命ずるだけ。その恨みも恐怖も、自分のわがままも、己の呪いとして身に刻む。
冷徹な瞳で暁乃は姫鶴に命ずる。
「その役割、あなたには相馬刀信の排除をお願いします。ただし私の《句句廼馳》が到着するまでの間の陽動。私の準備が整えば、将軍の一人ぐらいは問題ないでしょう」
「かしこまりました」
言葉だけを聞くと陽動に過ぎないが、その意味は姫鶴一人で相馬刀信の相手をしろといっているようなものだ。姫鶴も決して弱くはないが、将軍格を一人で相手するのは荷が重い。将軍は万軍と相対する戦力を持った化け物。それを暁乃の準備が整うのを死守しろといっているのだ。
暁乃はさらに陸と朱音に目を向けた。
「二人にはレジスタンスの隊長とともに憲兵隊の陽動をお任せします」
「わ、わかりましたっ」
「了解っす。でも私たちの《級長津彦》じゃ作戦内容に合わないから汎用型を一機お願いします」
「ええ、それぐらいならお安いご用です。あなたたちと隊長たちが暴れてくれれば憲兵隊は混乱させることができますが、問題はあの男ですね。姫鶴、間諜から何か聞いてませんか?」
暁乃たちには協力者が数多くいる。それこそ憲兵隊や研究員、軍部の奥深くまで入り込んだ彼女たちの目と耳が様々な状況をもたらして、状況を分析することができる。
が、姫鶴の顔色は悪かった。
「いえ、それが・・・相馬刀信の機体を整備する研究所は完全な機密統制がしかれており、研究員の数もただ一人だけ。第六研究所、次世代型念導兵装研究という部署という名前しか情報がない状況です」
「そうですか。敵もやすやすと情報を提供してくれませんか。でも、元レジスタンスの彼の機体、暁弐式《迦具土》は元々こちらの機体ですよね?」
「ええ。敵地強襲用高機動型暁弐式《迦具土》。戦闘能力はずば抜けて高いですが、念導力の消費が激しく機体の制御にも念術を使用しています。鹵獲前の機体は相馬刀信単体といえども保って一時間。復座式で巫女の搭乗も可能ですが、彼に適合する巫女は条件が厳しく誰もおりませんでしたが・・・」
姫鶴は暁乃の横にある計画書を見て続ける。
「今回の計画書では将軍機の護衛で相馬刀信本人ともうひとり、巫女の搭乗が明記されています。おそらく軍の巫女かと」
軍の巫女と聞いて、陸と朱音の表情が強ばった。
軍に属する巫女とは、念術士の力を高める増幅器。念術士よりもさらに希少価値の高い巫女はすべからく軍に召し上げられて、そして改造される。誰とでも共感できるように自我を薬漬けで破壊され、ひどいものになると自分で立って歩くこともできない。軍にとって巫女とは人間ではない。それは兵器の機械の一部だ。
遠州朱音という少女は、軍から強制徴用されるはずの巫女。それを暁乃の組織が匿い、自分たちの仲間に引き入れた。そして風間陸は遠州朱音の幼なじみ、陸は破壊される運命にあった朱音を守るために組織の兵隊として戦場に立っている。
だから、二人の目的とは巫女の解放。軍から彼女たちを保護して、平和な日常をおくれるようにするためにこの場にいた。
「許せねぇ・・・アイツ、そこまで墜ちたのかよ」
陸は歯を剥いて低い声を唸らせる。
巫女は全員女性だ。それも十代から三十代までの間に全盛期が訪れ、それから力は減衰し用済みとなる。うら若き女性達が軍の男達の奴隷として働く。そこで何が起きているのか、この場にいる全員が理解していた。
「そんな・・・嘘です・・・相馬さんがそんなこと・・・」
刀信がレジスタンス時代、彼のことに憧れていた朱音は顔を蒼白にさせていた。たとえ、刀信がそのようなことをせずとも、自我が壊れた人形のような女性を横に置くはずがないと朱音は信じたかった。
二人の様子を見て朱音は冷徹に告げる。
「裏切り者は裏切り者です。以前のような人格があると思ってはいけません。姫鶴、その巫女も作戦が終わり次第保護します」
「わかりました」
「では細かい打ち合わせに入りましょう。国連に要請していた《句句廼馳》の改造が完成し、連絡すれば欧羅巴、米国、ソ連から原子潜水艦で輸送をお願いできます。そこからの―――」
暁乃は自分に残された限られた時間を使い、作戦プランを綿密に組み上げていく。
監視された後では自分は動けない。ならばいまの時間を最大限有効活用しなければ。
暁乃は爪を囓りながら、焼き切れそうな焦燥とともに言葉を紡いでいった。
◆
そこは形容するなら夜の王座とも言える場所だった。
建築様式は西洋を模しており、そのすべてが黒い建築資材で完成されている。扉から王座まで続く床には血で染め上げたような深紅の絨毯がしかれ、その端々には赤い炎の揺らめきがその場所を唯一照らしていた。それでも夜の四方はそこかしこから滲み出し、恐怖という名の力がそこを支配している。
王座には黒い巨人の影が炎に照らされて踊った。
「八咫烏」
と、王座で肘をつき、夜の静寂のように微睡んでいた男が目細めて、謁見してた者に声をかけた。
「お目覚めでしたか、少佐殿」
その呟きに僅かに虚をつかれた八咫烏は黒い軍服の外套をざああと揺らめかせて返した。
自らの主が言葉を告げることに八咫烏は内心、狂乱していた。すでに三十年、微睡むように意識をたゆたせていた主がこの数ヶ月の間に何度となく自分に声をかける。それは主の覚醒のときが近いことを意味していた。
度重なる戦、幾万の敵を蹴散らし、戦いの高揚を失って半世紀。世界の敵は、敵対するものがいないが故に自らを殺し始めた。破壊して、破壊し尽くしこの世界を壊すために自らの世界を征服し続ける。
黄昏の夢、八咫烏が何よりも望むのは主の喜ぶ姿。
児戯のように人を、都市を、国を、殺し、戦いの喜びに暮れたあの黄昏の夢を八咫烏は狂気で渇望する。
そんな胸の内を漏らさず八咫烏は慇懃に伏している。
いまはその時を待つばかり。自らが喜ぶのは、もう一度主がこの城より世界をひれ伏すときにある。
そのときは近い。
「八咫烏、英雄の条件とは何か、知っているか」
だから今は主の微睡みの意識の中、禅問答のような会話を八咫烏は楽しむ。
「力でしょうか?」
「ふむ・・・力も然り。だが、力があるだけでは英雄にはなれん。力はそれこそ鉛玉ひとつも力になる。ただの武器が英雄にはならんだろう。八咫烏、英雄の条件とは―――渇きだ」
「渇き・・・で、ございますか」
「ああそうだ。渇きこそが力の根源であり英雄の条件だ。人は何かを奪われそうになる、あるいは奪われた後にこそ真価が問われ、そして渇きを覚える。八咫烏、卿の渇きとはなんだ?」
闇を切り取った瞳が下にひざまずく八咫烏に注がれ、伏している八咫烏はそれを喜びでもって感じる。全身の皮膚が泡立ち、歓喜に濡れそうになる。
「私の渇きは、少佐殿が立つ戦場にあります。我らの戦陣として世界に立つお姿こそ、私が求めて止まない潤いでございます」
少佐、と呼ばれた闇のような男は小さく笑った。
「なるほど、欲のない男だ。得てして、欲のない男ほど始末に負えんが、卿もその内の一人であるな。卿はどうやら英雄にはなれんようだ」
「お戯れを。我が身は少佐殿の影なれば、英雄の器にはございません。真の英雄こそ世界に挑む少佐殿のみに与えられる称号。それゆえ、そのようなことは考えたことがございません」
「変わらんな。卿の頑迷さは世界が滅んだ後でさえもわからんと見える。まあよかろう。卿と相まみえることも黄昏の夢で見たが、存外に味気ないものであった」
「少佐殿と比べられては私など空気のようなもの。空気をいくら喰らったところで腹の足しにはなりませぬ。喰らうべきは世界でございます」
八咫烏の答えに、なるほどと男が呟く。
「そうであるな。だが、私の渇きと餓えを癒やす世界は明けてはいない。いまはその喰らうべき相手をもうしばし待とう。八咫烏、あの話はどこまで進んでいる?」
「現状、順調に推移しております。場が整うまでは一年とかからないかと」
その報告に男の微睡んだ意識が僅かに浮上する。
それだけで八咫烏の体が重力に押し潰されるかのような重圧がかかった。
男の目には小さく光りが灯っている。それは狂気に濡れた灯り。
薄く男が笑い、銃弾を込めるようにゆっくりと言祝ぐ。
「そうか、そうか。なれば私は喜びをもって、黄昏の夢を見続けよう。あのとき垣間見た我が同胞の渇きは実に見事であった。そして、あの私生児の渇きも底が知れない。元来、母に愛されない、父を知らぬ私生児とは甘美な渇きを覚えるものだ。この世で最も光をもたらすものは愛であり、この世界を殺す猛毒となるのも愛。ああ、そういえば―――」
と、男は玉座からまた八咫烏を見下ろした。
「卿も私生児であったな、八咫烏」
男は愛しそうに笑い、この世の理をあざ笑った。
「私に父も母もございません。そのような輩は物心が付く前にくびり殺しました」
「それもまた愛故。実に我々の世界は甘美な夢でできている。私が見る夢よりもさらに官能的であるな」
男は、破壊するだけの夢よりも、この世界の方が狂っていると満足そうに笑いまた微睡むように目を細める。
「では、八咫烏、私はまた眠ろう。後のことは任せた」
「御意に」
そうして夜の王座はまた静寂に包まれる。
王座に座る主の夢を遮らぬようにと。