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2.転入生

 これが学校か、と刀信は平凡なリノリウムの廊下を興味深げに見ていた。その目は何かを探すように辺りを見渡し、そして嘆息した。

―――ダメだいっこうに思い出せん。

 たしか、自分はこういった高校に通っていたことがあると、記録には残っている。都内の平凡な高校。いちどそこにも足を運び遠目からその場所を見たことはあるが、記憶を思い出す手がかりにはならなかった。では、似たような高校というところで学生服を着れば思い出すかもしれないと僅かにでも期待していたが、どうやら当てが外れたということだ。

 相馬刀信、本日よりこの帝立天壌西高等学校へ在籍する記憶喪失の高校二年生。中でも特別な学級にあたり、刀信は教室へ行く前に校長室に呼ばれていた。

 気を取り直して、完璧に暗記した高校の地図を広げて校長室へと足を向ける。

 記憶の手がかりを失ったとはいえ、刀信は騒がしくも明るい校内を歩きながら、気持ちを取り直していた。

―――よい学び舎だ。

 活気がある。それに生徒達の表情も明るい。

 軍部に在籍している刀信は、こういった騒がしい場所は馴染みあるものの、軍部には年上しかおらず、若い自分が歩くと注目の的になる。

 だが、ここでは少年少女に混じって窮屈な思いをする必要はなかった。

 コツコツと歩きながら学生達が極端に少なくなる一角へ出る。職員室を通り越えて校長室につながる廊下を歩いていると、校長室の前に一人の女子生徒がこちらを見ていた。

 不躾に投げかけられる視線を感じ、刀信は校長室へ入る前にその女生徒に声をかける。

「失礼。もしかして俺のことを何かご存じだろうか?」

 刀信が固い言葉で、すこしずれた問いをする。

 何か用があるのか、ではなく自分のことを何か知っているのかと。

 それが刀信の癖だった。記憶喪失の彼は、自分の記憶を思い出す手がかりになりそうなものに声をかけずにはいられない。こちらを見ていた女生徒が自分のことを知っているなら聞かせて貰いたい、そんな希望が変わった質問の正体。

「変な質問ね。ええ、あなたのことは知っているわ、憲兵隊総長相馬刀信さん、いえ第八将軍様とお呼びすればいいかしら」

 明るい髪、いや刀信はそのとき初めて彼女の顔立ちを見たが、純粋な日本人ではなかった。自然なブロンド、そして日本人よりも鼻梁が高く、西洋人形を思わせる顔立ち。その中に日本人の色もむくまれており、ハーフ。彼女は髪をウェーブにした長い髪を胸元まで伸ばし、日本人らしくない胸の前で腕を組んでいる。

 そして、その目は挑戦的に彼を見つめていた。

 彼女の答え方、それで刀信は彼女が自分のことを何も知らないと確信する。彼が聞きたいのは役職の相馬刀信ではない。ただの相馬刀信のことを知りたいのだ。

 だから、彼は興味が失せたように返した。

「第八将軍は恐れ多い。俺のことは学徒の一人として、相馬と呼んでいただければいい。で、あなたは何者だ?」

 刀信がそう名を尋ねると、彼女は一呼吸の間をおき、美しい顔立ちに官能の微笑みで答える。

「私の名前は慈乃(しの)・ヒトラー。日本帝国にお世話になっているドイツ人の子孫よ」

「なるほど・・・。あなたがあのヒトラーの孫か」

「ええ、そうよ。ヒトラーの孫娘として、ドイツの再興をお願いしている身。新しく配属された第八将軍様のご挨拶にお目通りがかなわなくてね。ここまで足を運んだというわけ」

 妖艶な色気が漂う微笑みを貼り付けたまま、言葉にはトゲがあり執拗に刀信をさいなむようだった。

 刀信はその言葉で自分が無礼なことをしていたことに初めて気がついた。

 幾度となく、ヒトラーの孫娘から挨拶に伺いたいという手紙が来ていたが、彼はすべて無視したのだ。無視というよりも転属による忙しさで完全に失念していたといっていい。

「・・・・・・それは申し訳ない。手紙を受けていたことは知っていたのだが、引き継ぎで完全に遅れていた」

 刀信は素直に頭を下げた。

 その刀信の謝る様子を見て、慈乃はなんとも言いがたい顔をする。

「ずいぶんと素直なのね」

「こちらに非がある。謝って当然の行いだと思うが・・・俺は何か間違っているだろうか?」

「いえ・・・ちょっと驚いただけ。もっと傲慢なヤツかと思ってたから」

 慈乃はほぼ喧嘩越しで刀信を待っていたが、喧嘩相手があまりにも簡単に非を認めたのでどこに自分の気持ちを持って行けばいいのかわからないといった顔をしている。

 その顔を眺め刀信は考えている内容をぶちまけるように素直にしゃべった。

「俺はあまり人付き合いの記憶がない。傲慢というのがいまいちピンとこないが、汚名を返上するにはどうすればいいだろうか? ものの本には、こういった場合食事をすればいいと読んだことがある。ヒトラー殿を食事に誘いたくても、屯所の食堂しか生憎と知らない・・・よければ解決策を教授願いたい」

 刀信の言葉に慈乃は完全に驚いていた。

「なんか調子狂っちゃうわ。あなた本当に変わっているわね。なんだか人間と話している気がしない。・・・まあ、その気があるなら別にこっちもとやかく言う必要はないんだけど・・・そうね。今日のお昼、一緒に食べてくれるなら許してあげる。あと、慈乃でいいわ。言いにくかったらさん付けでも。私はあなたのことを相馬さんって呼ぶけどいいわよね?」

「ああ、問題ない。了解した、慈乃さん。それにしても昼か・・・」

 考え込む刀信を見て、慈乃が眉をひそめる。

「なに? 解決策を聞いておきながら嫌だっていうの?」

「いや、ふむ・・・。申し訳ないが、昼食は俺の教室でもいいだろうか? あまり動き回りたくない」

「まあ・・・それぐらいならいいけど。あなたの教室はやっぱり特別教室なのよね?」

「ああ、そうだ。何度もご足労願ってかたじけない」

 ほんとうに申し訳ないといった顔で生真面目に謝る刀信を見て、慈乃は吹き出した。

「アハハハ。相馬は面白いわね。あなたが憲兵でも将軍でもなかったら・・・いい友達になれたかもしれないわね」

 ふっと慈乃はそれまでの顔を一変させて、ほころんだ花のように笑った。

「ふむ。その肩書きは不相応だと思っている。それに俺は腹の探り合いには疎いからな。できれば学徒として付き合っていただければ嬉しい限りだ」

「本当に残念。それは無理な話ね。立場が違うんですもの。でも、今日のお昼ぐらいは楽しく食べましょう。じゃあ、後で伺うわ」

「ああ、では後ほど」

 そういって慈乃が廊下を歩いて教室に戻っていく姿を刀信は見送り、そういえば、妹以外の人とまともにしゃべるのは何日ぶりだろうと回想する。

 実に二週間は事務的な会話しかしていなかった。

―――なるほど。学校というのも存外、楽しいところだな。

 そう微笑んで、彼は校長室をノックした。

 

 

 帝立天壌西高校二年零組、いわゆる特別学級とよばれる教室は騒然としていた。

 口々に今日転校してくる人物の話題で持ちきりになっている。転校特有のあの陽気さとは無縁の、会話で不安を消し去ろうとする特有の話し方だ。小声で、噂話をするかのような。


「とうとう憲兵の人が来るよ」

「ああ、聞いたぜ。変なことしたら殺される」

「第八将軍って・・・あの将軍達は化け物らしいぜ。どれだけの念術士なのか想像も付かないぞ」

「最近、憲兵の検挙率高いのも今日の転校生のせいらしいよ」


 その様子を聞きながら席に座っていた暁乃は窓際に立っている姫鶴に顔を向ける。

「姫鶴、ここでは問題を起こさないように。朱鷺もいいですね」

「はい。承知しております」

「はい、姫様」

 と、暁乃達が会話する横でかしましく小柄な少女が声をあげる。

「姫ちゃん! どうしよどうしよ! 相馬さんが来るよ!」

「だぁー! 朱音! あいつはもう私たちが知っているアイツじゃないんだ。いいから大人しくしててよっ」

「でもでもっ。陸ちゃんも知ってるよね・・・あのときのアレがなかったら・・・」

「だから知ってるけどさ。あの後は混乱してたけど、アイツはもう余所の人間だ。頼むから下手なこと言わないでよ」

「うーー」

 不満げな朱音に陸が困った顔で彼女をなだめる。

「朱音と陸も。問題は起こさないでください。彼と話をするときは私を通して」

「は、はい・・・」

「了解っす」

 しゅんとする朱音と皇女殿下にも軽い調子で答える陸。彼女たちは暁乃の組織に属する者だ。故に、暁乃の命令には逆らわない。

「とりあえず、相手の出方を見ましょう。噂ではかなり・・・優秀な方ですから」

 勝負に挑むような目を光らせて暁乃がそう言うと、チャイムが鳴り響き、姫鶴たちは自分の席へと散っていった。

 クラスメート達も座席に座り、緊張が重く彼らの肩に乗る。

 暁乃はその中でじっと待つ。見定めよう。それが彼女がここでできるただひとつの手段。自分は戦えない、ならば相手を見定めてよりその上を行く。そう決めていた。

 教室の廊下側の窓から担任教師に連れられた転校生の影が映り、じらすようにゆっくりと動いていく。影がひとつ廊下に立ち、教師が先に教室に入った。

 がらがら、と扉を開けた担任教師はどこか緊張気味だった。ひとつ咳払いしてから。

「あー、今日から、帝国陸軍直属の憲兵隊の転入生さまが我が教室の一員となる。えーご紹介するので、みんな、頼むから粗相のないように」

 中年にさしかかった担任教師、だが彼も軍部に所属していた軍人だ。それも念術士という奇跡の力を宿した。

 帝立天壌西高等学校は、西日本から集められた念術士のなかでも特に優秀なものたちを教育する専門学校。零組と呼ばれる念術士たちはエリート中のエリートになる。

 それらを教える教員がここまで緊張しているのを、クラスメートの誰もが初めてみる顔だった。

「では、相馬刀信殿、こちらで自己紹介をお願いします」

 名を呼ばれてガラガラと戸を開けるのを誰もが沈黙をもって、注目する。

 自分たちと同じ制服、鴉のような黒い髪、体つきは鍛えられ、歩き方も武人のそれであった。鋭い瞳をさっと教室に走らせて、とある人物に定められる。

―――なんだか思っていたのは違う。

 暁乃が彼を見た感想だった。テレビや新聞でその顔を見ていたが、黙り込みカメラをじっと鋭く見つめる瞳はどこか氷のような印象を抱く。

 しかし、目の前に、教壇に立って自分を見つめる彼はどうであろうか。

 若い、が暁乃の抱いた彼の印象。熾火で自分たちをじわじわと焼き殺すような執拗な人海戦術でこちらの武器の流通を潰していく狡猾な策士、という思いが裏切られたような感じだ。

 刀信は注目する同級生達を見つめ返し、自己紹介を始める。

「ご紹介にあずかった相馬刀信です。自分は未熟ながら京都警護の人にあたる憲兵ですが、この学び舎では皆様と同じように扱っていただきたい。それと―――」

 と、彼は動いた。

 黙り込んだ同級生達を尻目に、コツコツと床を鳴らして、暁乃の目の前までくると突然膝を折る。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、皇女殿下。私の任務は、殿下を賊からお守りすること。我が刀と命に誓って殿下のお命は私が守り通します」

 頭を下げて、忠誠を誓う刀信を見て、暁乃は驚いた。

―――この人、ワザとしているの? 皮肉なら見事すぎて言葉を失う。あなたが昨日殺した人は末端とは言え私の部下なのだから。

 暁乃は増悪に燃える心の内を隠し、表情に皇女の微笑みを浮かべ、

「相馬殿、あなたの働きに期待しています」

―――ああやってやろうじゃないの。腹の探り合いなら得意中の得意よ。

「お言葉、光栄の至り」

 

 そうして、裏切り者と反逆者の奇妙な主従関係が幕を開く。 

 

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