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1.反逆者と裏切り者

 秋の夜、冷たい驟雨がむき出しの操縦席で力なく倒れている彼の身に降りかかり、体温が徐々に奪われていく。

 雨はまるでその様子を悼むように彼の命さえも流していた。腹腔を巨大な鉄の塊が痛々しげに突き刺さり、血が流れ続ける。失われ続ける血と体温が冷たい海水のように彼をむしばんでいた。


 俺は失敗したのか、と濁った意識の中、霞む視界に映し出された黒い塔を眺めている。

 全身全霊でもって挑んだ最後の一刀。もはや悪あがきのように放ったそれはただその塔の壁に亀裂を作っただけだ。

 消えゆく意識の中、それだけが悔やまれる。

 だが、もはや死ぬ身である自分には何もできない。

 雨に打たれながら男がだらりと力を抜き、ただ仲間達の身を案じて意識を手放す瞬間。


―――あなたの願いはなに?


 すべてを諦めかけていたとき彼の脳裏に響く何者かの声。それは幼さない少女のような、どこか年老いた老婆のようなそんな曖昧な声だった。

 突如自分の中に入ってきた声に彼は驚くほど疑問にも思わず無意識のうちに思い返していた。

 自分の願いとは何だったのか。

 仲間達には自分の名を歴史に残すため、と語っていたが本当は―――。


―――あなたの願いは大事なものを守ること?


 そうだ。守るのだ。

 たった一人生き残った妹のために、彼女のためにこの国を平和にする。

 彼女が幸せに生きるために。

 それが俺の願いだ。この命をかけても惜しくない願いだ。


―――変なの。あなたの願いは矛盾している。


 なに、と彼はその声に腹を立て、疼くような痛みに声を上げそうになる。


―――ニンゲンは矛盾している。あなたの願いは間違っている。あなたの記憶には―――


 その声が引き金となって彼の心の中のあらゆる記憶が本流となって彼を飲み込んだ。彼自身が体験した記憶、彼が忘れようとした記憶、彼の絶望のすべてが―――


 やめろ! やめてくれ!

 

 夏の暑い日、心地よい風が蝉の声をはこぶ座敷。

 ノイズが走る。古い映画のようにモノクロームの駒落ちのように。


 悲鳴が上がる。彼は子供だった。

 ノイズが走る。カラカラと回るフィルムのように。


 悲鳴が聞こえた。彼は恐怖で隠れた。

 ノイズが走る。壊れた機械のように。


 男達が恐ろしい顔をしていた。彼はそれを押し入れの隙間から見ていた。

 ノイズが走る。狂気にとりつかれたように。


 真っ黒な何かが走った。覗いていた部屋中にそれがまき散らされる。

 ノイズが走る。壊れた人形のように。


 ああ、あれは何だったのだろうか。あれはたしか、俺の―――。

 ノイズが走る。理性が壊れていく。自分という何かが音を立てて壊れてゆく。

 

 自分が壊れる絶望の前に、彼はそれを消した。

 それが彼の記憶。


―――これがあなたの記憶。あなたの願いはなに? 教えて、私の願いのために。私がニンゲンになるために。


 自分を守るために忘れていた記憶を掘り返された彼は呆然と呟く。

 幼い日、彼が自分という存在を消して、強さを追い求めたすべての原因。

 それをもう一度見させられ、壊れた彼の心にはただひとつの言葉しか浮かばなかった。


 力がほしい。何者にも負けない絶対の力がほしい。すべてを終わらせる力がほしい。


―――それがあなたの願い? それがニンゲンの願い?


 ああ、それが俺の願いだ。


―――なら力を与えましょう。そして私はニンゲンを知りたい。

 そうして彼は自分の命を燃やした。



 天壌歴58年、西暦では2003年冬。

 京都御所の常御所、寝殿造りの御所は時期が良ければ戸を外し、素晴らしい日本庭園と気持ちよい風が通り抜ける居住空間になるが、今は戸が閉め切られそれを見ることすらもかなわない。

「うう・・・寒い。朱鷺、エアコンの温度上げて」

「畏まりました」

 それもこの部屋の主が極度の寒がりだからである。

 暁乃は身を震わせながら侍女の朱鷺から返事を聞くと対面に座っていた者に目を向けた。

「で、状況はどうなの? 姫鶴」

 姫鶴と呼ばれた女性、歳は暁乃と同い年ゆえにここでは少女と形容したほうがよい。だが、すっと背筋が伸び、瞳には落ち着いた色が灯る女性を少女と呼ぶにはためらわれた。その身に何を背負っているのか。その少女はあまりにも鋭すぎた。

「姫様、状況はあまりよくありません。ダミーが次々と襲撃され、こちらの本陣を捕まれるのも時間の問題。先の神器奪還作戦からこちらは一方的な劣勢に追い込まれております」

 彼女は言い終わると自らの不甲斐なさを恥じるように唇を噛み、押し黙る。

 その様子を暁乃は見つめながら、自分たちの置かれた状況があまりにも悪いことに忸怩たる思いで、小さくため息をつく。

 なにも、姫鶴だってこのような報告をしたくてしているのではない。自分が責めて状況が変わるのであればいくらでも悪役になろう。むしろ、はっきりと状況が悪い、と言ってくれるだけ彼女の忠義は並々ならぬと理解している。

 それに、と暁乃は思う。目の前で悔しそうにしている姫鶴は小さな頃より一緒に過ごした親友の一人。ここは組織の長としてよりも、親友としての言葉を選ぼうと決めた。

「姫鶴はよくやってくれているわ。先の作戦は私たちの情報不足よ・・・。よりにもよって偽情報に踊らされるなんて・・・私たちも相手の力を甘く見すぎていた。だからここは気分を変えて、状況をよくすることを考えましょう。まだ負けたわけじゃない。次の作戦のためにも目先の脅威は取り除いておくべきよ」

 その言葉に、姫鶴は何かをこらえながら、絞り出すように言葉を継ぐ。

「それはわかっておりますが・・・敵は・・・」

「ええ、あなたの戦友だった人でしょ? 残念だけど寝返った裏切り者なんて絶対に許せない」

「はい。最も信頼していた者。彼がなぜ私たちを裏切るのかわかりませんが、できれば私が討ち取りたい」

 その言葉に暁乃はしばし彼女の顔を見た。

 同性でも美しい、と思ってしまう凜とした顔つきが陰っている。

 それを見つめながら暁乃はやっぱり自分はこういった悪役を担うしかないのかと心苦しく思う。その顔を見せまいと、とりわけ無表情。いや、その目に刃物を突きつけるように意思を込める。

「姫鶴。言っておくけど、説得なんて考えないで。どんな理由があろうとも裏切ったヤツの言い訳なんて聞きたくない。あなたは言葉を交わすよりも前に敵の息の根を止めて頂戴」

 暁乃が揺れる姫鶴の瞳を見つめていると、心の中で覚悟がきまったとばかりに姫鶴は冷たい暁乃の瞳に向き合った。

「わかりました」

 姿勢を正し、頭を下げる親友の様子に、暁乃はふっと顔をほころばせる。

「ありがとう、姫鶴。でも忘れないで。あなたは私の刀。迷わず、ためらわず敵を殺して。そのあらゆる責任は私にあるの。あなたは私が振るうのよ。戦友を殺したとしても、あなたは私を恨めばいい。いえ、むしろ恨んで頂戴。その恨みこそが私の負うべき責任だわ」

 その暁乃の言葉を聞き、姫鶴は悲しげに顔を歪ませた。

 親友のその顔。それは自分とは違う立場、全く別世界で生きようとする少女に向けた別離のような悲しみだった。

 暁乃、いや日本帝国暁乃皇女殿下は、自分に向けられた表情を心くすぐったく思う。

 優しい姫鶴に思われるほど自分はそんないい人間ではない。残された最後の作戦を遂行すれば、きっと戦乱へと日本を陥れるだろう。たくさんの人たちを、自分の民を殺す反逆者。

 だから、優しい姫鶴を言葉で騙しながら彼女は尋ねる。

「姫鶴、あの男がウチの来るのはいつ?」

 姫鶴は親友ではなく、皇女に答えた。




 夜、四条河原町を一人の男が歩いていた。

 京都といえば、河原町通、木屋町通、先斗町、祇園が人が賑わう歓楽街といえよう。その人混みが、その男を見るとかき分けられたように道を空け、さきほどのまでの楽しみが消えたように黙り込む。まるで喜びがすべてその男に食われたようだった。

 その人々の目には怯えが色濃く滲んでいる。

 何せその男は軍服姿に、見事な拵えの日本刀を二本帯刀しているのだ。

 歩くたびに揺れる黒いコートがまるで人々には悪鬼のごとく映っている。

 だが、顔つきは意思の強い色気が漂った瞳に、木訥としたような無造作に切られた短髪、体つきは鍛え込まれているがそれは若獅子のように精気がみなぎる純然たる青年の魅力に溢れている。

 平たい帽子をかぶり、風を肩で切りながら彼はインカムに尋ねる。

「監視班、状況は?」

《こちら正面監視班虎、さきほどと変わりありません。以上》

《こちら裏口監視班鷹、こちらも異常なし。以上》

 答える監視班の隊長の返答を聞き、彼は作戦の決行を告げる。

「ならば、俺が目標にたどり着き次第、作戦を決行する。俺は単独での切り込み。支援部隊は待機、俺の命令で後に続け。ひとりは逃がす。泳がせるから両監視班はそれを追え。」

《了解》《了解》《了解》《了解》

 男は自分の部下達の声を聞きつつ、反芻する。

 京都、天皇家の皇居に制定され、天皇と皇女殿下が住まう町もずいぶんと治安が悪くなったものだと。この地にはご禁制の銃火器や念導式兵器が多すぎる。鹵獲してきたその武器は一昔前の帝国軍装備ではあるものの実質、現役の殺人兵器だ。

 総将軍閣下が自分に京都護衛職を任せたのも無理はない。

 これでは神の血筋を受け継ぐ皇族をお守りするのも危うい。

 男は忠義心を爛々と燃やしていた。

 自らの刀は、皇族とその下に続く民達のために振るわれる。それに仇なす者には鉄鎚を。

 男は灯りを落としたクラブハウス。若者達の盛り場へと到着した。

 四階建ての雑居ビル。問題のクラブハウスはその地下にある。出入り口を含めてビルは監視班が完璧な布陣で監視し、支援部隊は隣のビルで破砕機を片手に侵入の準備を整えている。

 分厚い鉄製の扉の前で、男はすらりと刀を抜く。

 総将軍からの下賜された霊刀が夜闇を切り裂くように光を反射して、麗々と冬の凍てつく寒さを纏った。

 男は朗々と告げた。

「注ぐ。日本帝国軍京都守護憲兵隊総長相馬刀信の名において、いまここより忠義に則り作戦を開始する。総員、戦闘態勢」

《ご武運を》

 その言葉と共に鉄の扉が一刀で切り裂かれた。



「憲兵隊だ!」

 その叫びと共にクラブハウスは騒乱の坩堝と化した。

 集まっていたヤクザともとれぬ者たちは泡を喰らい、慌てて品定めしていた武器を手に取り部屋に散った。

 そのクラブハウスの階段をコツコツと落ち着き払った足取りで軍服の男がただ一人、下りていく。

「憲兵隊、相馬刀信。密告あってこちらを改めさせていた―――」

 刀信の言葉が終わらないうちに爆音が鳴り響き、明滅するマズルフラッシュで辺りは真っ白に染まり、無数の銃弾が展開され刀信に向かって音速で来襲した。それは銃弾の壁だった。マシンガンの唸る音、吐き出される銃弾は毎分数百を超える。一瞬にして撃ち尽くしたマシンガンは銃身は熱され、硝煙が煙を上げた。

 だが、それはただ玉を吐き出しただけにすぎなかった。

 その殺人兵器はいっぺんたりとも刀信の体には突き刺さらず、涼しげに立っている。

「問うまでもないな。銃火器はご禁制だ」

 あろう事か、銃弾は刀信の間合いですべて浮いていた。見えない壁に阻まれたように停止し、それらが宙に浮いている。

「ね、念導使いだ! 刀を使え!」

 リーダー格の男の怒号が響き、刀信の目がするりとそちらに向く。

「無駄な抵抗は止めろ。死にたくなければ―――」

「あああああ!」

 男達の一人が恐怖に引きつった顔で、剣術のイロハもなく刀信に躍りかかった。打たれたばかりの人造霊刀を上段に構え、刀信の脳天からかち割ろうと振り下ろす。

 が、一閃。光が閃く。

 それに乗じて金属が悲鳴を上げ、断ち切られた刀身がくるくると宙を舞う。男の口元からは、かひゅ、と小さな息が漏れた。

 ただ一閃で、男は刀ごと喉を切り裂かれたのだ。首を半ばまで切られた男はだらりと血を滴らせ、崩れ落ちた。首はありえない方向を向いて、光を失った目をリーダーを見つめる。

 もはやそれで男達の戦意が消え去った。

 ただ、重い沈黙の中、刀信が刀を鞘に収める音が涼やかになっただけだ。

「ふむ。今回も空振りか。まあいい」

 警戒を緩めず、刀信はそう嘆息気味に呟き、インカムで命令を下す。

「支援部隊、入り口から侵入しろ。客人は丁重に。後は任せた」

《了解》

 憲兵隊総長刀信は、そう部下の返事を聞くと、きびすを返してクラブハウスを後にする。隊員たちが敬礼をしながら、刀信が後にしたクラブハウスへと雪崩れ込む中、彼はぼんやりと明日のことを考えていた。

―――明日はとうとう登校だな。任務の引き継ぎに時間がかかってしまった。

 それを考えると彼は身が引きしまる思いがする。さきほどのクラブハウスのようなヤクザものと相対するような温い任務ではない。

 なぜなら明日からは。

―――やっと護衛する皇女殿下とお会いできる。我が一命に変えて、皇女殿下をお守りしなければ。

 


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