日常の中の非日常 後編
近くにいた海ちゃんと雨香くんがザッと私の前に立つ。
「仁科先生、申し訳ありませんがそうはさせません。」
「綾子は、渡さない。」
海ちゃんが丁寧な口調で、しかし瞳は鋭く先生を射抜きながら言う。
雨香くんはいつもと変わらない淡々とした口調だが、その声音には怒りが含まれていた。
「…円香と真斗を逃がして。」
私は後ろにそう伝える。
「綾ちゃんも一緒にっ!!」
「いいから、早くして!」
円香の主張に私は声を荒げる。
2人は自身を守る術がない、もしかしたらもたもたしていると2人に標的が変わってしまうかもしれない…それなら今のうちに逃がした方が良いという私の考えだ。
私がキッと先生を見ると、ふっと僅かに笑った。
「いいぞ、見逃してやる、俺はいまお前以外眼中にないからな。」
ペロリ、と先生はゆっくりと自身の上唇を舐めた。私はあくまでも餌…いや、自身の腹を満たす食物ということか。
チラリと後ろを見ると、円香と真斗が梓さんに連れられ走り出していた。
私を見捨てる酷い友達、なんて思わないで欲しい。
これは確実に正解の行動だ。
第一、なにも力を持たない2人がいれば足手まといにしかならない…なんて考えている私の方が、よっぽど酷い友達なのかしら。
「さて、そこをどいてもらうぞ!」
仁科先生は、両手を前にかざして衝撃波のようなものを放つ。私と雨香くんと海ちゃんはそれぞれ違う方向に避ける。
すると先生は一直線に私の方へ向かって来た。あと数センチで私に触れる…というところで横から飛び蹴りが入る。
仁科先生はザッとそれを避けた。
「だから、綾子は渡さないって。」
ギンっと雨香くんは先生を睨みつける。
「ああもう、邪魔だなぁ。」
仁科先生はそう言って手に水を纏わせる。
『水剣』という魔法だろう。その手に纏っているものは鋭く、剣のように切り裂く。
バッと雨香くんに近寄り、手をブンッと振るう。雨香くんはそれを避けるが身体強化で底上げしているために仁科先生のスピードは異常だった。
しまいにはついていけず、頬にザッと傷がつく。
仁科先生はとどめのように回し蹴りを食らわせて、ブンッと雨香くんを吹き飛ばした。
身体強化で底上げされてるのはスピードだけで無く攻撃力も。雨香くんはズザッと地面に倒れ込んだ。
「雨香っ!!」
雫が雨香くんに近づこうと走り出す。
「他人を気にしてる暇なんかあんのかよっ!?」
仁科先生は続いて雫へと近寄り攻撃を繰り出す。雫は苦しげな表情でそれを防ぐ。
私は雫を助けるためにザッと剣を持ち走り出す。視界の端に捉えたのだろうか、仁科先生は片方の手で雫の首をグッと掴むともう片方の手を私に向ける。
「あんたは間違って殺したくないから、大人しくしててよ。」
足がズンっと重くなる。
「ゔぁぁ、ぁああぁ!」
グサリ、と水の刃が太もも貫通していた。
痛い、痛いイタイいたい。
歩むことも出来ず、私はその場に崩れる。
それと同時にイルマくんが先生へ向かって行った。
が、脇腹に私と同様に刃を放たれて、ごぷりと血を吐き倒れこむ。
「ぐ…ぅゔ…。」
首を絞められ、苦しそうに雫は呻き声をあげている。
仁科先生はそれをブンッと投げ捨てた。
雫もズザッと倒れ込んでしまう。
「し、ずく!イルマ、くんっ!」
私は太ももの痛みに顔を歪めながら、2人の名を呼ぶが応答が無い。
「君ら2人は別格、かな?」
海ちゃんと弥助は、同時に奥義を使い突っ込んで行く。
「やめてっ!お願い、逃げて!」
仁科先生には叶わない、このままだと2人ともやられてしまう。
「でもっ、ちょーっと眠っててよ、ねっ!」
ニ方向から来る2人に向って先生は片手ずつかざし、闇属性の魔法「黒深淵」を放った。
「ぐっ、なんだ!」
「出れへん、くっそ!」
黒い球体の檻に閉じ込められた2人はどんっと身体で体当たりしたりするが、それも虚しく外には出れない。
「少しうるさいけど、邪魔者は消えた。」
仁科先生は、コツコツと近づいてきてぐいっと私の方を掴み顔を無理やり上げる。
「これで、ゆっくり喰える。」
首筋に顔を埋められ、ベロリと舐められる。
気持ちが悪くて鳥肌が経ち、背筋もぞくりとした。
「こっちですっ!」
遠くから円香の声が聞こえた。
なんだ、戻って来たの、ホント馬鹿な子。
「あー、めんどくさいな。」
そう言って、仁科先生は私を抱えてザッと飛んで屋根に飛び乗り、そしてその場から逃げる。
い、一階から四階までジャンプするなんて、身体強化にも程がある!!!
人間でないから、それも当たり前か。
私は抵抗するが、足が動かない上に痛みで力が全く出ないため何の意味も成さなかった。
「こっちです!」
円香たちは、逃げた後真っ先に『虧月楼』の人たちがいる場所へ向かい助けを呼んだ。
その途中に綾子の執事である緋堂に出会い、彼も同行している。
戻った先には、倒れる雨香、雫、イルマに加えて『黒深淵』により閉じ込められる海里と弥助の姿があった。
「これは…。」
八花は顔をグッと顰めた。
内心ではあの時この子達の話を聞いていれば、と悔やんでいた。
仲間の死に気を引かれ、遂行すべき任務を放棄してしまった結果かもしれない。
しかし、実力はあれど未だ16歳である彼女には荷の思い話であることに間違いはなかった。
虧月楼の1人は弥助と海里の結界を解き、あとの2人は他の3人の治療にかかった。
「なにがあった?」
八花が2人に尋ねる。
2人は悔しそうに顔を歪ませた。
「犯人は、第3の被害者である仁科先生やった。そんで、彼はシュギュ族や。」
八花はシュギュ族と聞いて、頭を抑える。
なぜ、その可能性を視野に入れなかったのか。
いや、シュギュ族は西洋の魔物で日本での発見は過去に事例がない…いつから、シュギュ族は日本に紛れ込んだ?
緋堂は、グイッと海里の肩を掴んだ?
「お嬢様は!?綾子お嬢様はどこにいるっ!!!」
「仁科先生は、自身のことを暴いた綾ちゃんに狙いを定め、たった今…連れて行かれました。」
緋堂は、顔を歪ませて走り出す。
綾子を危険な目に合わせることは許されない。
それは三ヶ森の執事である前に、自身の心の底からの気持ちだった。
「お、おい!」
八花の声に耳も傾けず、緋堂は我を忘れて何も抑えずに行動する。
その結果、人並み外れた動きで綾子を追ったために当然、誰もそれに追いつくことは出来なかった。
ストンっと仁科先生は地面に降りる。
先ほどの場所とは相当かけ離れた場所に降りたが、未だそこは学校の敷地内であった。
下手に外へ出るより、学校内の方が目立たない場所が多いのは確かだった。
「お前の魂は、少々変わっているな。身体の割りに魂が成熟している。」
シュギュ族は魂をも覗けるのか。
そりゃ前世の記憶があるまま転生しているのだ、魂も成熟していて当然といえる。
「勝手に覗かないで。」
なぜだか、恐怖は無かった。
だから命の危機のくせにこうして反抗しているのだ。
「威勢の良い雌だな、どれ、喰う前に味見してやろうか。」
仁科先生は、私をバッと押し倒してくる。
私の両手を片手で押さえつけて、肩のあたりの服をビリッと破く。
そうして、カブリと私の肩に噛みついた。
「い"ッ!だい!!ぐぁあッ!」
肉が噛みちぎられて肩から血が流れ出すのがわかる。
「肉も美味いなぁ…魂は余程美味く、そして俺をより強くさせてくれるのだろうなぁ…。」
仁科先生が恍惚の表情を浮かべる。
食いちぎられた肩が痛い、何も出来ないまま喰われるのか。そんなのごめんだ。
だけど、何も出来ない。
「俺のお嬢様に手を出すなんて1億年早ぇんだよ、このクソロリコンが。」
ドスの効いた声がして、誰かの蹴りが繰り出される私の上に覆いかぶさっていた先生は横に吹っ飛ぶ。
声の方を見るとそこには緋堂が立っていた。
「ひ、緋堂、どうしてここに…。」
「お嬢様の帰りが遅いので、探しに来たんですよ…立てますか?」
緋堂に起こされて手を掴み立とうとするが、やはり足が痛んで立てない。
「っ痛…ごめんなさい。」
「お嬢様の足も肩もこんなにしたのは、あのロリコン野郎ですね。」
緋堂は私を抱き上げて隅に移動して降ろす。
「緋堂…?」
「申し訳ございませんお嬢様、暫しここでお待ちください。」
そう言って、緋堂はコツコツと仁科先生に向かって歩いていく?
「何だ、てめぇは。」
「綾子お嬢様の執事ですが、それがなにか?」
緋堂はギロリと仁科先生を見つめる。
それから緋堂はパチンと指を鳴らす、すると緋堂の周りに黒い球が浮かんだ。
「暗黒星雲…どうして緋堂があんなの…。」
「暗黒星雲」は闇魔法の中でも高位魔法に値するもの、それを無詠唱だなんて…。
黒い球はビュンッと仁科先生に向かっていく。仁科先生は手をかざして『水藻球』を繰り出す。これも水魔法の高位の攻撃魔法だ。
二つの魔法がぶつかりあうが、緋堂の『暗黒星雲』の方が強く『水藻球』を破壊して仁科先生に向かっていく。
「な、なぜだ!?執事如きに私の魔法がっ!?」
『暗黒星雲』を仁科先生は防ぐことが出来ず、無残に彼を攻撃する。
「ぐあ、あああ!!」
それは簡単に先生を傷つけボロボロにしていく。緋堂はギュンっと先生に近づき、手に闇を纏って先生を斬りつけていく。
血が流れ出て、ドサリと先生は倒れこむ。
そんな緋堂が私は怖くなった。
こんなに呆気なく全てが終わり、近づいてくる緋堂にビクリとして私は身体を丸める。
仁科先生に対しては何故か生まれなかった恐怖を緋堂に対しては生み出しているのだ。
「綾子お嬢様…。」
緋堂が私の側に来て手を伸ばしてくる。
「触らないでっ!」
私が叫ぶと、緋堂は動きを止めて悲しい顔をする。
「申し訳ありません。」
そう言って、手を降ろして下を向く。
ただ、私を放っては置けないためどこにも行かなかった。恐怖に震える私を見て、傷ついた表情を浮かべた。
緋堂が怖かった。
だって、今までに見たことも無かったから。
緋堂が緋堂じゃない気がして怖かった。
「お嬢様が怖がるのは、当然です。私は…お嬢様の側にいるべき人間ではないのに。」
「そんなことないっ!!」
緋堂が怖かったはずの私は、緋堂の言葉に声をあげて抗議した。
だって、緋堂はいつでも私を助けてくれて、私の側にいて、いつでも安心させてくれる。
というのに、私は何を怖がっているの?
「私の方こそ、ごめんなさい。」
私は緋堂の手を両手で包み込み、顔を見て笑顔を浮かべる。
「助けてくれて、ありがとう。」
そう言うと、緋堂は私をぎゅっと抱きしめた。
「生きていて、良かった!」
「いたた、肩が痛いよ。」
緋堂は「すみません。」と離れて、それから私の頭をぽんぽんと撫でた。
安心から、涙が零れる。
「肩と足を処置しなくては…。」
「私は大丈夫よ、緋堂。」
ニコリと笑いかけると、緋堂は深くため息をつく。
「トラウマにならなければいいのですが。」
緋堂はそう呟きながら足と肩を水の魔法で洗い流し、ハンカチで血を拭った。
自身の肉を食いちぎられるなんて確かにトラウマになりそうだ。でも、きっと大丈夫。
緋堂がこうして助けに来てくれたから。
「あんたたち、大丈夫!?」
向こうから八花さんの声が聞こえた。
タッタッタと虧月楼の人たちと共にこちらへ来る。
「ええ、大丈夫です、緋堂が助けてくれたので。」
私が答えると、八花さんは安心したようにほうっと吐息をついた。
「それで、仁科は!?」
「仁科先生はあそこに…あれ?」
仁科先生が倒れていたはずの場所には、致死量を超える大量の血痕だけが残され、先生の遺体は消えていた。
「はぁ…はぁ…。」
仁科 実里はヨロヨロとしながら歩いていた。
もう既に致死量を超える血液を流しているため瀕死状態に違いなかった。
何か、何か喰わなければ。
誰でも良い、不味くても良い、喰い物が欲しい。
「酷いざまね。」
仁科の背後から女の声が聞こえた。
それは同じシュギュ族の女だった。
「元はと言えば、お前が勝手にあの生徒を喰い散らかすから!」
「あら、それに便乗して盛大に喰ったのは誰だったかしらね?しかも、学が足りなかったんだもの、仕方ないでしょう。」
女はクスクスと笑った。
仁科は今まで痕を残さないように様々なことを計算して慎重に喰ってきた。
それをこの女は、自身の学が無いという理由で秀才を喰い散らかし自身の知識をあげたのだ。
ただ、仁科もそれが事件になるとわかった上で日頃疎ましいと思っていた者を喰ったのだが。
久しぶりにあんなに喰えたのは良かった、数年ぶりに腹いっぱいになった、というのが正直な感想だった。
「俺はここを離れる、お前もどこかへ行け。」
「あら、誰が貴方を逃がすなんて言ったかしら?」
「は?」
仁科がクルリと振り向くと、女は心臓めがけて一直線に手を突いてきた。
「ぐはっ!」
仁科はドバッと血を吐き出す。
女は心臓を握りそれをグッと引き抜いた。
仁科はバタリと倒れる。
「お、まえ…な、んで…。」
仁科はそこで息絶えた。
「だって、貴方を喰えば強くなれるもの。」
女は、ガツガツと仁科の心臓を喰った。
シュギュ族が魂を喰うというのはつまり、心臓を喰うということ。同族だって強くなれるのならば喰ってしまう。
それは禁忌ではあるけれど。
シュギュ族の中で同族を喰うことは暗黙の了解として禁止されているのだ。
しかし、女にとってそんなことどうでも良かった。
「はあ、まっず。」
女は口の血を手で拭い、呟いた。
ただ、女には仁科の魂を喰うことで今までの仁科の力が全て引き継がれた。
女は手にボッと炎を灯してから仁科を一瞥し、その炎を発射する。
女は仁科が燃えるのを見届けてから他のものに移る前に水で消火し、片方の口の端をニタッと吊り上げてその場を後にした。




