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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第五話 別離編
93/110

その二十一 雷横、一工夫するのこと

 わかりきっていたことではあったが、いくら秦明(しんめい)の気功である程度の炎はそれてくれると言っても、やはり炎上した森を突っ切るのは相当無理があった。しかも、そこを突破するのが訓練された屈強な兵士等と言うならまだしも、一行の内訳はといえば足元がおぼつかない宋江(そうこう)に、もともと体力の回復しきっていない朱仝(しゅどう)雷横(らいおう)、完全に気絶した公孫勝(こうそんしょう)と、秦明を除けば、本来であれば大人しく寝床に入っているべき連中である。


 ちなみに公孫勝はこの期に及んでも全く反応を見せず、秦明に赤子のように背中でくくりつけられている。宋江はその彼女の後ろにぴったりとついて歩き続けていた。


「宋江、足元気をつけて」


「宋江くん、このくらいの速さで平気?」


左右から猛り狂った炎熱が吹き寄せ、前と後ろにわずかながら、秦明の気功でつくった炎がどかされたつたない道が続く中を宋江は雷横や秦明にときおり声をかけられながらよろよろと歩き続けた。最も彼自身は呼吸を整えるのに精一杯で返事することすらままならず、黙って頷く程度にしか反応できなかったが。


 幸いだったのは、秦明と合流してからしばらくしたところで、勾配が緩くなり始めたことだった。麓がそろそろ近くなってきたようだった。


 歩き始めてしばらく経った、ところで不意に先頭を歩く秦明がぴたりと足を止めた。


「?」


どうしたのかと宋江が疑問を頭上に浮かべるのとほぼ、同時。


(じょう)!!」

と唐突に凛とした声が上がったかと思うと、秦明の数歩先の横断するように森が瞬時に凍らされていく。


「あ……」


と、声を上げたのは自分か、他の誰かはわからなかったが、


楊志(ようし)さん、こっち!」


秦明はその目の前の現象の原因にすぐに思い当たったようでその名を叫ぶと、その凍った道筋へと足を踏み入れた。


「秦明か! 他は!?」


「全員、無事!」


続いて響いてくる林冲(りんちゅう)の声に秦明が応じると、ドドドッと微かな地響きとともに馬に乗った楊志と林冲が現れた。


「すまない。少し遅くなった」


「皆、大丈夫……って宋江怪我してるじゃない、どうしたの!?」


頭という目立つ場所に巻かれた包帯に楊志がすぐさま反応してくる。


「あ、こ、これは……げほっ!」


大したことない、と楊志に説明しようとしが、息も絶え絶えな上に炎の中を歩いてきたせいで喉がからからになってうまくしゃべれず、宋江は咳き込む羽目になった。


「そ、宋江? 宋江!?」


と楊志はよほど焦ったのか、慌てて下馬するとこちらに突撃するように近づいてくる。


「ちょ、ちょっと宋江、どうしたの」


「宋江くん!」


と先ほどまで一緒にいたはずの雷横や秦明まで寄ってくる。喉がはりついて何もしゃべれない宋江はとりあえず片手をあげて大丈夫、というように全員を制した。


「皆、落ち着け。ほら宋江、水だ、飲めるか? 少しずつだぞ」


と楊志を半ば押しのけるように林冲が竹の水筒を渡してくる。それを言われたとおり少しだけ口に含んで、はあ、はあと息を整えた。


「ご、ごめんなさい。だ、大丈夫です。怪我も大したことはないですし、ちょっと喉にひっかかちゃって……」


と言ってようやく楊志や秦明がほっとした顔つきになる。


「といったところでそろそろ皆さんもこちらに来られては? 涼しいですよ?」

と声をかけられて宋江が顔をあげると面白がるように朱仝が笑っている。その横にはいつの間に現れたのか、いつもどおり無表情な花栄(かえい)と呆れ果てた顔をした阮小五(げんしょうご)もいた。より正確には阮小五は林冲と同じ馬に乗っていたのでようやく、宋江が気づいた、という方が正しいのかもしれないが。


「……確かにな。宋江、動けるか?」


「え、ええ……」


林冲に言われ、宋江はそう言ってよろよろと数歩進み、花栄や秦明と同じく、その凍った木々の間へと自らの肉体を移動させる。


「わ……」


と思わず声を上げる。幅3メートルほどのその通路は宋江が考えていた以上に涼しい場所だった。気温としてはまだまだ熱い部類になるのだろうが、今までの地獄のような炎熱からの落差が快適さを感じさえ手いた。もっとも周りからしゅうしゅうと白煙とも水蒸気ともつかない煙ががあがっているところからみてもこの涼しさがそう長くは続かないことは明らかだったが。そして、その風景を見ながらまた歩き始めようとして、彼はその場で足をもつれさせて転んだ。


「そ、宋江?」


「だ、大丈夫です。すぐ……立ち上がって……あれ?」


が、宋江は立ち上がれなかった。体全体が鉛のように重く、立ち上がろうとしても腕も足もガクガクと震えて使い物にならなかった。


 実を言えば、宋江の体力はとっくに使い切られていた。前日から獣道を通って山を登り、そしてまた炎や煙の中をかいくぐりながら山を降り、そしてなれない気功を使った彼の体はもう立っているのが不思議な程だったのである。元より最近多少ましになったとはいえ、居並ぶ面々と比べてしまえば彼がさほど肉体的に優れていない。

 

 それでも宋江が今までなんとかにしろ歩いて来れたのは単純に足を止めてしまえば、その途端に炎に巻かれてしまう事を体がわかっていたからだろう。だが、その脅威が一時的にとはいえ、無くなった今、体はもはや宋江の言うことを聞こうとはしなかった。


「おい、宋江……?」


「ご、ごめんなさい。ちょっともう無理……で……」


顔を覗き込む林冲にそう返しながら、宋江は自分の顔が泥まみれになっていることに気づいた。だが、それですら体に溜まった熱を冷ましてくれるのが心地よく感じる。


「……休憩にしよう」


宋江を起き上がらせて近くの倒木に座らせながら林冲は静かに言い切った。


「い……いえ……そんな……こんな場所で、ぼくのせいで、休憩だなんて……」


息も絶え絶えになりながら、宋江は林冲に反論する。前述したとおり、この場所が涼しい状態にあるのはそれほど長い時間ではない。本来ならば、さっさとこの山を降りてしまった方が良いのだ。


「いや、気にするな。元々君らを見つけたらそのつもりだったのだ。馬もそろそろ休ませてやらねばいかんし、全員の無事を確認できた以上、ここから先は急ぐ理由もない」


「で、でも魯智深さんや黄信さんは……」


「ああ、そのあたりの事も話しておいた方が良いな。そう言う意味でも少し時間が必要なんだ。私からみれば初対面の人間も何人か要ることだし……楊志?」


「ええ、任せて」


と、楊志は目を閉じ、集中するように息を整える。そして一気に息を吸い、


(かい)


そう静かに呟くとぶわっと彼女の足元から冷風が生まれる。それはまるで竜巻のように辺り一帯に回転しながら広がっていく。あっという間に楊志を中心として直径二十メートル程の空間は炎が綺麗に取り払われ、そこだけが別世界のように涼しくなった。


「ふう……っと、これなら落ち着いて休めるし、話もできるでしょ」


どこか得意げな顔を見せる楊志が笑う。だが、それに対して宋江が何か答えるよりも早く、くう……と楊志の体の中心部から可愛らしい音が聞こえた。


「ははっ、そうだな。ついでに昼食を食べる時間もありそうだな」


顔を真赤にした楊志を前に林冲は珍しく破顔した。









「……とまあ、こちらで起こった事は概ねそんなところだ」


林冲はそう話を終えて手元の干し肉をちぎると口の中に放り込んだ。


黄信(こうしん)さんと、魯智深(ろちしん)さんが……?」


「二人共、命に別状はない。特に魯智深については心配するだけ無駄だぞ」


友人が傷ついたというのに、林冲の言葉は酷薄ですらある。おそらくこちらを気遣わせないための言葉なのだろうが。


「そう……とりあえずは安心したわ」


と宋江のすぐ横にいる秦明も落ち着いた声を見せている。が、宋江はその秦明の声の中にわずかな揺らぎのようなものを感じた。


「秦明さん、その……大丈夫ですか?」


「え? う、うん。ちょっと頑丈なあの子が怪我するなんて予想外だったから……」


宋江が呼びかけると秦明は誤魔化すように笑いかけてくる。どうやら黄信の事で少しばかりショックを受けているようだった。よくよく見れば彼女の膝に置かれた手は軽く震えている。宋江が軽くその手をにぎると秦明が驚いたようにこちらを見た。


「ん……ありがとう……」


きゅっと指を絡ませて秦明が握り直してくる。そのなめらかで優しい触感に少しどきりとする。


「……話を続けていいか?」


「あっ、はいっ!!」


冷静な林冲の声で慌てて意識を指から目の前の光景へと戻す。とはいえ、秦明は離してくれないので手はそのままだったが。


「えっと、それで後は……」


今まで初対面同士の自己紹介、宋江達の話、そして麓であったこと。それが今まで、乾飯と干し肉と水にみという簡素な昼食を食べながら順に話したことである。


「次はこれからのことだな」


言って、林冲は最後に残っていた干し肉も口の中にいれると、地面に棒で線を書きながら説明し始めた。


「今から我々は森を出た後に敵陣を突破して魯智深達のいる船へと向かう。推測も混ざるが……おそらく敵は三つの部隊に別れている。一つは魯智深達の船の近くで船の消火活動をしている一隊。もう一つがこの森の出口にいて私達を待ち受けている部隊。それから最後に河清(かせい)を中心とした一団」


「その河清がどこにいるかはわからないの?」


秦明の質問に林冲はちらりと彼女を見ながら答えた。


「わからん。ちらりとここに来る途中に見かけた時は陣のほぼ中心部にいたが、馬鹿正直にそこにとどまってはいるまい。おそらく部隊を再編成して今頃は既に布陣を終えていると思っていいだろう」


「でもこの中で問題になりそうなのは河清の部隊だけよ。他の二つの部隊はほとんど突っ立ってるだけだったわ。ここに来るときも妨害らしい妨害は一切受けなかったし」


林冲の言葉にそう付け加えたのは楊志である。彼女は自分を挟んで秦明の反対側に陣取っており、気になるのか自分の手元をちらちらと見ていた。それに気づいて彼女の手を握ると、楊志は真っ赤になってうつむいてしまった。だが指にはぎゅっと力が入る。


「どうしたものかしらね」


「河清を討てばほぼ烏合の衆となる。当初、私が担当だったこともあるのだし、ここでまた私は単独行動に戻ろうと思うが……」


「討てるの?」


「わからん。だが、私が追えばあいつは逃げに徹せざるを得ない。その間、確実に組織だった行動は不可能になるはずだ」


「なるほど……」


とそんな自分たちに気づかず、あるいは無視して林冲と秦明は言葉を続ける。


「あのさ、ちょっといい」


とこういう場で発言するのは珍しい花栄が声を上げる。


「林冲が単独行動するならそれはそれでいいけどさ、その前に馬だけ調達してくれない」


「馬?」


「足りないでしょ」


と宋江の言葉に花栄は短い返答を返してくる。彼女の後ろには馬が三頭、熱い体を必死に冷やすように寝そべっていた。


 次に宋江はくるりと首を回して現在車座になっている一行を数えた。左から時計回りに秦明、林冲、花栄、阮小五、朱仝、雷横、楊志、自分、そして自分の後ろにいる公孫勝で全部で九人。確かに一頭の馬に三人も乗るのはさすがに無理がある。


「麓の部隊に何頭かいたな。わかった」


と林冲はあっさりと頷く。


「ねえ、それならいっそのこと、最後までついてきてくれない?」


「うん? どういう意味だ?」


秦明の言葉に林冲は首を傾げる。


「林冲から馬を受け取るって事はその時点で私たちは麓に降りてるってことでしょ。まさかここまで戻るわけでも無いでしょうに。で、麓に降りちゃったならもう敵からは丸見えなんだから、ぼんやり待っていないでさっさと突撃したほうがいいじゃない」


「それはそうだが……?」


「つまり、林冲が河清を追いかけるのを待たずに行くということになるわ。なら、そこから林冲が河清を探すためにうろうろするんじゃなくて一緒に動いたほうがいいわ。河清は最終的には討つけど、それは宋江くん達を船まで届けた後でもいいはずよ。どの道、河清からしたら大事なのは林冲じゃなくてむしろ雷横さんや朱仝さんなんだから、絶対にそっちを狙ってくると思うし」


「なるほど……それもそうだな」


と林冲は納得したが、今度は楊志が反対の声を上げる。


「ねえ、秦明。それってつまり、全員で一塊になって突っ込むってこと? いくらなんでも単純すぎない?」


「それはそうかもしれないけど……正直言って色々話を聞く限り、河清と騙し合いをしたところで勝つのは難しいと思うわよ」


秦明の指摘にむ、と楊志が黙りこむ。


「相手の得意な騙し合いより私達の得意な殴り合いでやり合いましょ。下手にここで妙なことを考えても逆手にとられそうだし」


「それは、そうかもしれないけど……」


と、楊志は困ったように返す。秦明の言うことは暴論といえば暴論かもしれないが、それより良い案が思いつく人物はここにはいないらしく、秦明に反論するものはいない。おそらく、疲労であまり複雑な事を考える余裕がないのもあるだろうが。


「わかった。……宋江も秦明の案でいいか」


「え? は、はい……」


元より異議があるわけもない。それにはっきりした根拠が無いので言いづらかったが、宋江はここで林冲が単独行動をとるのは少し不安だった。折角こうして集まれたのだから、このまま最後まで一緒に行動したいと思う。


「では決まりだ……では早速だが私は、馬を鹵獲しに行こう。そうだな……花栄、阮小五、ついてきてくれるか」


「おう、もちろん」


「人使いが荒くない?」


林冲の言葉に阮小五が待ってましたとばかりに、そして花栄はいつもどおり気だるげに立ち上がる。


「君らはもう少し……そうだな二刻(一時間)ほど休んでから来るといい。馬もここに置いておく。その頃に出発して追いついてくれれば、馬は問題なく手に入れられてるはずだ」


「う……す、すいません。おまたせしてしまって」


宋江が縮こまって謝ると林冲は少し相好を崩して話しかけた


「気にするな。さっき言ったとおり、休息を必要としているのは君だけではない」


言って林冲はこちらを安心させるようにポンと宋江の頭に手を乗せた。


「それに、元々ここにいる連中の大半は君のためにここまでやってきたんだ。君のためなら大概の事はするさ」


林冲はそれだけ言うと、宋江にくるりと背を向けて歩き出した。広場の端にある細い通路から(どうやら林冲達はそこからやってきたらしい)歩いて行く、炎に巻かれた木に紛れて、三人の姿はすぐに見えなくなった。


「あれ? 宋江くん、ご飯食べてないの?」


と目ざとく秦明が宋江の手元に視線を落として尋ねる。両手を秦明と楊志に塞がれていたから……ではなく、本当に純粋に食べる気にならなかったからだ。


「え、ええ、ちょっと、食欲が無くって……あ、そうだ」


と宋江はくるりと首を反対側に向けて言う。


「楊志さん、よかったら食べます?」


「食べません!!」


ものすごい勢いで顔を真赤にして怒られる。どうやら先程、腹の音を全員に聞かれた事を未だに気にしているらしい。もっとも、宋江もその事を憶えていたから楊志に振ったのだが。


「良いんですか? お腹減ってるんじゃ……」


「人のものまで食い尽くす程、飢えてはいないわよ!」


お腹がすいているのは事実らしい。


「大体、宋江なんで食欲ないのよ。あなただって私と一緒で夜明け前に軽く食べてからほとんど水しか口に入れてないんでしょう?」


「な、なんでと言われても……」


「そうよ、宋江くん、食べるもの食べなきゃ、体調崩しちゃうわよ」


「あのさ……」


と秦明と楊志に詰め寄られる宋江に雷横が声をかけてくる。


「その……もし良かったらちょっとそれ、貸してもらっていいかな?」


「?」


と宋江は意味がわからなかったが、(さすがに手を自由にしてもらってから)雷横の求めに応じて食材を差し出す。


「朱仝、お願いがあるんだけど」


「はいはい、そうね、その肩の部分さえあれば十分だと思うわよ」


「ん」


とよくわからないやりとりが雷横と朱仝の間でなされると雷横は自分の鎧をつなぐ紐を小刀で切ると左肩の小さな部分を朱仝に差し出した。


(けい)


と朱仝が一言唱えるとその雷横の鎧の一部だった金属片はぐにゃりと変形し、小さな片手鍋のような形になるとひとりでにすいっと雷横の手元へと飛んで行く。


「金外功?」


「拙いものではありますが」


と、秦明の言葉に朱仝が謙遜して答える。


「はあ、気功ってこんな事もできるんですね……けど、これでどうしようと?」


「食欲が無いなら食べやすい方がいいでしょ、まあ、ちょっと見ててってば」


雷横はその鍋の中に残った干し肉と乾飯を全部とそれから水をいれると、とてとてと麓の方角、つまり炎の燃えている方向へと歩いて行く。そして皆の注目の前で雷横は落ちていた棒で器用に火の着いた枝を集めるとその上に鍋を慎重に置いた。


「楊志さん、この水筒、ダメにしちゃっても良い?」


「え、うん。良いけど……」


それからこちらに戻ってきて、宋江が持っていた水筒の中身を別に移し替えると、楊志の承諾を得手、雷横は匕首をぐいっと竹に挟みこむようにいれると真っ二つに割ってしまう。そして一方はささくれを丁寧にとり、もう片方は弧の三十度のあたりでさらに二つにし、小さい方の形を整える。


「ちょっと不格好だけど……こんな感じかな」


即席の椀と匙のできあがりだった。


「わあ、すごい……」


「そ、そう……そんなほめられるようなことじゃないけど……」


宋江が素直に感嘆の声をあげると、雷横はうろたえながら顔を背けた。


「ま、まあ、その……軍隊にいると、どんな場所でも美味しいご飯を食べられるようにしておくって大事だから自然に……ね」


「へえ……あれ?」


と思わず声に出して宋江は真横にいる楊志と秦明を見た。宋江の知る限り、二人も軍隊にいたのだが、あまりこういった事が得手だという印象はない。特に秦明は人並み以上に不器用なのはよく知っている。さすがにその疑問を口に出すのは止めたが、視線で意図はばっちりと伝わってしまったようで、二人は気まずそうに目を逸らした。


「ふふ、宋江さん。雷横の言う軍隊生活というのは一兵卒としての話ですから。元から指揮官として軍隊に入った秦明さんや楊志さんにはあまり縁のない世界なんですよ」


と朱仝が笑って宋江の疑問に答える。


 言ってみれば楊志や秦明がエリートの幹部候補生となのに対し、雷横や朱仝はおそらく現場からの叩き上げとも言うべき人物なのだろう。彼女らがほとんど自分や楊志と変わらない年齢であることを考えると、その表現が適切ではないかもしれないが。


「雷横はああ見えて……意外にも、こういう細やかな事は得意なんですよ」


「は、はあ……」


「ちょっと朱仝、変なこと言わないでよ!!」


単純に雷横を褒めている……にしては何か色々と含みをもたせたような笑みを向ける朱仝に宋江が曖昧に頷くと、雷横の怒鳴り声が飛んで来る。


「もう雷横ったら、そんな怖い顔してたら折角の綺麗な顔が台無しよ」


「怒らせてるのは誰だと思ってるのさ!!」


「怒ってるのではなく照れてるだけでしょうに」


「う、うっさい!」


ぷいっと本格的に雷横は拗ねて匙を持って置いた鍋の方へと歩いて行ってしまう。


「ねえ、ちょっと、宋江くん……?」


「あ、はい。なんでしょう」


と、雷横が元の場所に戻ると、ぼそぼそと秦明が耳元で囁いてくる。


「……さっき、あの治療した場所から私がいない間、雷横さんと、その……何か、あったの?」


「え? えっと、いえ、特には何も……」


「そう……?」


秦明の質問の意図がわからず、宋江は曖昧に答えるが、秦明は何やら難しげなことでも考えているのか眉根を寄せている。どうしたんでしょう、と宋江は視線で隣の楊志に尋ねてみるが、彼女も何がなんだかわからないのか、首を傾げるのみだった。


「……ほら、できたよ。ちょっと水っぽいかもしれないけど……」


とそんな事をしていると宋江の眼前にずいっと竹の器に盛られたおかゆが差し出されてきた。雷横の言うとおり、少し水っぽいというよりも、これは米に対して水が多いのだろう。おかゆというよりはどちらかと言うと米の入ったスープ、という印象である。


「わ、あ、ありがとうございます」


「べ、別に。、大したことしたわけじゃないから……」


礼を述べると、もごもごと小声で雷横が応じる。


「あ、でもいいんでしょうか。僕だけこんな、あったかいご飯食べちゃって……」


器を受け取ってから、宋江はふと言って周りを見渡す。


「……いいんじゃない? 作ろうにも私たちは全員もう食べちゃったし……」


「まあ、正直言って全員分作るのは多分時間や食器の用意を考えると無理だったしね」


と楊志と雷横に言われ、さらに朱仝も召し上がれと手振りで示される。


「じゃあ、い、頂きます」


と宋江は言ってその竹で作られた匙でそっとそのおかゆをすすった。


(ん……)


極言すればそれは米と肉の入った塩スープである。ただ、ぬるい水と塩味のきつい干し肉と硬い乾飯だったのが、水は暖かく、干し肉と乾飯は柔らかくなり、干し肉からでてきた塩とかすかな旨味が、水と米に味を与えていて、格段に食べやすくなっている。何より温かい水分はスープのほどよい塩分とあいまって、じんわりと体を温め、疲れを癒やしてくれる。


「ど、どう……?」


目の前で少し緊張した雷横がじっと探るような目つきでこちらを見上げている。今まで受けていた活発で元気そうな印象とはまるで異なる彼女の不安げな表情はあまり見たことないものだった。雷横がそんな表情を見せることに少し驚きつつも、宋江は素直に礼を述べた。


「ええ、美味しいです、とっても。それにすごく食べやすくなったし、ありがとうございます、雷横さん」


宋江の答えに、雷横の顔から緊張が溶けてほっと安堵の表情を見せた。と緩んだ表情がそのままぱっと快活な笑みを形作る。


「た、ただ単に具材を放り込んで煮ただけだけどね。こんなんで良ければいつでも作ってあげるよっ!」


と、雷横は言うが、本当にそれだけでは無いだろう。極端な話、入れた水の量が二倍になっていたり、湯で時間が半分だったりしたら、味や触感は全く違ったものになっていたはずだ。彼女が鍋に持っていた水の全部を入れてなかったことから推察すれば、これは偶然の産物ではないのだろう。


 と、雷横を見ていると、彼女がはっと何かに気づいたような顔になってぱんぱんと自分の頬を叩く。


「あ、あたし、片付けてくるから!」


とそれだけ言って雷横はばたばたと先程まで鍋と暖めていた場所に走っていく。片付けると言ってもそこにあるのはまとまった燃料と空になった鍋くらいだろう。不思議に思う宋江が黙ってい見ていると、そこに朱仝が近づいていく。そして彼女が何事か呟くと、雷横の拳がぶんと朱仝に向かって振られ、空を切った。


「雷横さんどうしたんでしょう」


「さあ……?」


楊志に聞いても彼女は首をかしげるばかりだった。









「河清様、麓の部隊につけていた物見から報告が参りました」


と河清は一旦兵士達に細かく指示をしていた手を止めて、その報告を伝えてきた部下に目を向けた。禁軍から河清に同行している数少ない信頼できる部下である。


「ああ、聞こう」


 今現在、河清は気功を使っていなかった。その気になれば彼はこの場にいながらにして宋江たちの会話すら聞くことすら可能であったろう。だが彼はそうしなかった。今はそれよりも部隊を再編成し、戦線を放棄していた別の州の部隊の人間をなだめすかし、これからの作戦を信頼できる部下のみに伝え……とやることが目白押しだったからである。


 それに何より、わざわざ盗み聞きをするまでもなく、河清には相手のこれからの行動についてはおおよその予測がついていた。だから、これは報告の受け取りというよりも彼にとっては答え合わせの確認作業に近い。それは部下もわかっているのか、落ち着いた様子で淡々と報告する。


「先程麓の部隊に黒髪の女が現われ、馬を奪っていったとの報告がありました。奪われた馬は全部で三頭。部隊を率いていた濮州(ぼくしゅう)の総兵管と副官は戦死。部隊はほぼ崩壊状態でこちらに逃げてきております」


「馬は奪われ、将は討たれ、部隊は崩壊……か、なるほどなるほど……」


報告をそうまとめて、河清はこらえきれず、にやりと笑った。


「つまり、全部こっちの思った通りに進んでるってことだな」

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