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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第一話 邂逅編
9/110

その八 晁蓋、山賊を討伐するのこと

 最初に感じたのはいつもより暖かくてやわらかい布団だった。次に空腹。そういえば昨日の夜はばたばたしていて何も食べていなかったのを郭清(かくせい)は思い出した。そこまで感じてゆっくりと目を開ける。いつもとは違う風景があった。こぎれいに整頓された荷物が端に並び、部屋の反対側の寝台に男が背を向けて寝ている。


「あれ?」


いつもの汚れた食器や酒のにおいがする台所と違う、そこまで頭の中で言葉にして、自分が客間に寝ていることに気づいた。


 いけないここで寝てたのがばれたら怒られる、と思ってがばりと飛び上がると、向こう側の寝台にいた男がこちらを振り返った。


「あ、おはよう。郭清」


宋江(そうこう)……様?」


こちらがきょとんとして呼びかけると向こうも起き上がった。


「ああ、郭清が寝ちゃったから晁蓋(ちょうがい)がこの部屋を使えって言ってね。僕は他に適当な場所が無かったら悪いとは思ったんだけど、ここで寝させてもらったんだ。ごめんね」


「いえ、それは別にいいんですけど……あっ」


と言ってそこでようやく、昨日あったことを思い出した。自分が意識を失う直前のことも含めて思い出し、顔から火が出そうになる。


「す、すいません。昨日は、服を汚してしまって」


「いいよ、気にしないで。もともとそんな上等な服じゃないし」


寝台に座って宋江が謝罪を止めるように手を降ってくる。


「そ、そうですか。あ、私、朝食を作ってきますね」


気恥ずかしさと居づらさのためにわずかに顔を赤くしながら郭清は言い訳するようにそう言うとぱたぱたと部屋を出て行った。








 宋江は郭清が出て行くのを見届けるとそのまま、また寝台にごろりと横になった。元々ある足の痛みに加えて昨日殴られた傷のために正直、まだ寝たりない。


 十分ほどすると足音が聞こえてきた。正体は簡単にわかる。この家には今、自分のほかは郭清と晁蓋しかおらず、その二人は体格の差もあって足音がはっきり違うからだ。予想通り、部屋の入口に腕に肉の塊を抱えてた晁蓋が現れた。


「おう、宋江、起きてるか」


「あ、おはよう、晁蓋。……またどっから持ってきたのさ。そんな料理」


「昨日、俺の歓迎の宴会に出された料理だ。俺が食って何が悪い」


そう言って晁蓋はもっていたナイフで肉を切ると自分の口に運ぶ。


「あと四刻(二時間)ぐらいしたら例の山賊との待ち合わせ場所に出発する時間らしい。準備しとけよ」


「え? 待ち合わせ場所に行くの?」


「向こうが来てくれるっつーんだから利用しない手は無いだろ。捕まったふりして近づいたら一気にやる。それが終わったらこの村には戻らずにそのまま東渓村(とうけいそん)に帰るからな」


「ずいぶんばたばたするね」


「けっ、これ以上、ここの村の連中の顔なんざ見たくねえしな」


気持ちはわからなくもない。宋江は苦笑してそう思った。


「ああ、でもまた歩かなきゃいけないんだね」


ここまで来るまでの苦労を思い出して宋江は憂鬱な思いになった。


「そう嫌な顔すんな。帰りは馬があるから多少楽なはずだぞ」


「あ、そう言えばそうだね」


「ああ、でもお前だけは歩いていくか?」


「止めてよ。死んじゃうよ」


冗談だよ、といって晁蓋はからからと笑った。宋江は少しほっとした。どうやら彼の機嫌はだいぶ良くなっているようだ。


「郭清にも準備するように言っておけよ」


またも肉をまた口に放り込みながら晁蓋は言った。


「え? 準備って?」


「あんだけのことして、この村で生活し続けられるわけないだろ」


「そうなの? だって結局みんなのことを助けたのは彼女じゃない」


「それでも村の裏切り者だっていう事実は変わりねえよ。そりゃ、俺がこれからちゃんと山賊をぶちのめせば確かにあいつが全員救ったってことになるが、それとこれとは別の話だ。ましてや人質に傷でもつけば一層立場は悪くなる」


「でも、晁蓋ならしくじらないでしょ」


「昨日言った通り、俺は人質には関知しねえ。それに戦いに絶対はねえよ」


そこが面白いんだけどな、と晁蓋は付け加えた。


 でも、多分捕まった振りをするのはその辺りを考慮しての事なんだろう、と宋江は思った。ただ単にで暴れたいなら正面から乗り込めばいいに決まってる。そのほうが晁蓋にとっては『面白い』はずだし、それを恐れるような人間でも無いのだから。


 だが、本人に聞いても絶対に否定されるだろうから宋江は黙っていた。代わりに別のことを聞く。


「でも、あの子、この村を出てその後はどうするの?」


「とりあえず、俺達の村にくるしかねえだろ、じゃ、そういうことだから、ちゃんと伝えておけよ」


それだけ言うとまたふらりと部屋から出て行こうとする。そして入れ違いのようにそこに郭清が膳を持って戻ってきた。


「あ、晁蓋様」


「おう、なんだ朝飯作ってたのか」


「も、申し訳ありません。晁蓋様がいらっしゃると思わなかったので一人分しか……」


「ああ、いい、いい。俺はこの肉もらったからそれでいいよ。宋江についておけ」


そんなやりとりをした後、晁蓋にぽんと背中を押されて郭清が部屋の中に入ってくる。郭清は少し、晁蓋がいた方を気にした後、寝台の脇に小さな卓を置くとてきぱきと料理の入った皿をおいていく。


「はい、宋江様、どうぞ」


「う、うん」


 ちょっとボリュームが多い気がしたが、ありがたく頂こうと箸を取ろうとして食器が一人分しか無いことに気づく。


「あれ? 郭清はどうするの?」


「え? 私ですか? 私は宋江様が頂いた後に頂きます」


さも当然のような顔をして郭清はそう言うが自分がもそもそと食べてる横でまだ食事を口にしていない子がいる、というのはひどく落ち着かないものがある。


「一緒に食べない?」


「え? そんな、私は給仕ですし……」


「いいじゃない。今はあの村長のお手伝いさんでもなんでもないし、もちろん僕のお手伝いさんでもないんだから」


「そ、そうでしょうか」


「うん、だから一緒に食べようよ。僕だって一人だとやっぱさみしいし」


ちなみに東渓村では晁蓋と通いのおばあさんと一緒に御飯を食べる、のが基本で、日によって丁礼(ていれい)達が現れたり、呉用(ごよう)が現れたりで、常に忙しい食卓である。


「わ、わかりました。じゃあ、ちょっと食器とか取ってきてきますね」


微笑して郭清は立ち上がり、数分して郭清は自分の分と思しき食器をはこんできた。


「頂きます」


ちなみに、ここでは食事前に挨拶する習慣は無いようだった。初めてやった時には晁蓋に珍獣でも見るような目つきで見られたものである。


「なんですか、それ?」


「僕がいた場所での風習かな。気にしなくていいよ」


郭清にあいまいに説明しておくと二人は食事を始めた。


「これ、全部郭清がつくってくれたの? 大変だったんじゃない?」


「えっと漬物は作りおきですし、ほとんど昨日の宴会の残りですからそれほどでは」


「ああ、そうなんだ」


「すみません。ちゃんとしたもの作ってなくて」


「気にしなくていいよ、そんなこと」


そんなとりとめの無いことを話しながら食事は進んでいく。


「あ、そういえば、晁蓋が郭清にも荷物まとめとけって言ってたよ」


なるべくさりげなく言ったつもりだったが衝撃は完全にはぬぐえないだろう。


「え?」


予想通り、郭清はきょとんとした顔をした。


「もう、この村で生活するのは難しいだろうから晁蓋の村に来いって。ああ、晁蓋も一応だけど地主だから、郭清一人くらいなら来ても大丈夫だよ、きっと」


「そうですか、そう……ですよね」


しまった、食事の最中に話すのは失敗だったろうか、とその段階でようやく、宋江は自分のうかつさに気づいた。


「晁蓋はああ見えて、意外と面倒見いいから、心配しないでも大丈夫だよ」


そういうことを聞きたいのではないのだろう。そうは思いつつもそれ以外に思いつく言葉もなく。言ってはみたものの、結局、沈黙が降りてくるだけだった。


「やっぱりこの村を離れるのはつらい?」


「かもしれません……それに少し不安です」


自信なさげに郭清は答えた。


「その……寂しさの方はちょっと僕にはどうにもできないけど、不安は取り除いてあげられると思う。僕も、いわゆるよそものだけど、良くして貰っているし」


「そうなんですか? それで晁蓋様のうちで働いているんですね」


「や、実は居候で……」


ははは、と力なく笑う。最初に変につくろわなきゃよかったと今更ながらに宋江は後悔した。


「僕も郭清を見習わなきゃね」


「ええ? そんな……」


「とにかく何かあったら力になるよ、僕は晁蓋と違ってまだ君に恩を返していないしね」


「あ、あの、昨日のあれは気にしないでください。自分でもかなり強引だと思ってたので……」


あせったように郭清は言ってくる。


「まあ、とにかく」


宋江はとんと自分の胸をたたいた。


「君は僕の命の恩人で僕は君の味方だよ、その……ちょっと頼りないだろうけど、できる限りのことはするさ」


「ううん、頼りないなんてそんなことないです。ありがとうございます」


そう言って郭清は微笑んだ。


「あの、それじゃ早速お願いしたいことがあるんですけど」


「うん」


「その、村のみんなに別れの挨拶をしたいんですけど、一人では心細くて……」


「お安いご用さ。一緒に行こう」


 朝食を食べ終えてから、宋江は郭清と連だって村の中を歩いた。別れを告げても村人はほとんどの場合、ほぼ無言でいた。どう反応していいかわからなかったのだろう。郭清は村の裏切り者だけれども、自分達がしたことが決して褒められたものでは無いことも彼らにはわかっていたのだ。


 結果として挨拶は宋江からの説明と郭清からの一言で終わる、という一方通行なものになってしまった。


「ここが最後の一軒だね」


「はい」


とんとんと扉を叩くと昨日晁蓋の見張りをしていた男が出てきた。


「何の用だい」


どこか、刺々しい、と感じるのは考え過ぎだろうか、と思いながら宋江は今まで繰り返したせりふを言った。


「郭清さんは、僕達の村に連れていきます。本人が挨拶したいというので村を回っているところです」


「呂さん、お世話になりました」


「あ、ああ」


彼も他の村人達と同じ様に当惑しているようだった。話は終わりとばかりに顔を上げた宋江はその奥にいる村長夫妻と目があった。今までいた家で会えなかったのだから意外性は無い。郭清も少し遅れて気づいたようだった。


 宋江は怯えたような顔付きをした郭清を隠すように前に出た。


「村長さん、今言った通りです。郭清はぼくらの村に連れていきます」


まさかこの期に及んで許さない等とは言いませんよね、とにらみを効かせたつもりで断言するように宋江は言い放った。


「そうですか、よろしくお願いします」


だが、それは彼の杞憂だった。村長は深々と頭を下げた。


「こんなことを言えた立場ではございませんが、郭清は良い娘です。幸せになってくれたらと思います……」


私達には無理でした。言外にそんな韜晦をにじませていた。


「あ、え、ええ、もちろんです」


毒気を抜かれたようになって宋江はそう答えた。村長はまだ頭を下げている。


「村長さん、あの……」


郭清が声をあげた。その表情を見て宋江は自分が勘違いしていたことに気付かされた。彼女は、怯えていたのではない、ただ眼前に迫った別れに泣きそうになっていただけなのだ。


「お世話になりました。それと……色々とすみませんでした」


「お前が謝らなければいけないことは何もない。我々が愚かだったのだ」


昨日、憎々しげに郭清を睨んでいた人間とは思えなかった。憑き物が落ちたとでも言えばいいのか……村長は素直に自分の非を認めた。


「ごめんなさい、郭清」


村長の妻も村長に倣うようにして頭を下げた。


「謝って許される事ではないけど、あの子が居なくなって、それでもその子を殺した相手に従わなくてはいけなくて、そのつらさをお前にぶつけてしまった」


「………」


「ごめんね、本当にごめんね」


懺悔するその女性の肩は微かに震えていた。その肩に村長がそっと手をかける。


「宋江様。娘を……いえ、私にそんな言葉を使う資格は、ありませんな。郭清をよろしくお願いします」


「はい、わかりました」


そう言って宋江は同じように震えている郭清の肩を掴んだ。


 すすりなく声が二つ、宋江の耳から離れなかった。







「やいやい、てめぇら、どういうつもりだ、これは!」


「う、うるせぇ、黙って歩け!」


言い合っているのは晁蓋と昨日いた村人の一人である。縄につながれつつも抵抗を試みている晁蓋をなんとか村人たちが引っ張りたてている、という設定らしい。


 朝に晁蓋が話したとおり、晁蓋が無事に捕まったということにして近づく作戦の真っ最中である。だが晁蓋を無事捕まえたはずの村人たちの腰が引きまくっているので演技として成立しているかどうかは微妙なところだった。おまけに相手が視界の端に見えた途端に言い争いをはじめると言うのはいかにも嘘臭い気がした。が、幸いにも山賊たちは今のところ、気づく様子はない。


 今いるのは村から五キロほど離れた草地である。少し離れた場所に山の入り口を示していたと思われる山門が恨めしげに横たわっていた。ここが取り引きの待ち合わせ場所らしい。


 村人達は全員で十五人ほどの人間がきている。郭清以外は全て男性だ。先頭が縄でくくられた晁蓋で、その後ろに村人たち。宋江と郭清はその後ろ、さらにその後ろに二頭の馬がいる。これは晁蓋の要求した品物で背に酒の入った樽を背負わされていた。一応、聞かれれば酒は山賊への貢物という返答をすることになっている。そんな暇があるのかどうかはさておき。


 遠くにいた山賊たちがようやく個人個人を識別出来る距離まで近づいてきた。三十人ほどの集団で先頭にいる五人が馬に乗っている。


「よう、晁蓋。いいざまだな」


先頭の男が馬上からあざけるように見下ろした。あれが話に聞いていた陳安(ちんあん)とかいう奴だろう、と宋江は推測した。


「ん、誰だ、お前」


だが晁蓋の方は、おそらくこれは演技ではなく、全く心当たりが無いようだった。


「誰、だとう。てめぇ、あれだけのことしてくれた俺の顔を覚えていねぇとはいい度胸してやがる」


ぎりぃっと歯を食いしばるように憎悪の眼で晁蓋をにらみつけているが晁蓋はどこ吹く風といった様子だ。


「いや、本当にわからん。お前、誰だ?」


「ちっ、忘れていやがるとはふざけた野郎だ。それなら思い出させてやる、泣く子も黙る天眼青王(てんがんせいおう)の陳安様とは俺の事よ!」


(恥ずかしくないのか……)


いちいちポーズまでとって名乗って見せる陳安に宋江はそう思いながら隣にいる郭清に聞く。


「いつもあんな風に名乗ってるの」


「……はい」


ちょっと顔を伏し気味にして答えてくる。見てる方が恥ずかしいと言う思いはどうも郭清も一緒のようだ。


「ああ、思い出した! お前、あの豚泥棒か」


一方、晁蓋はその名乗りで思い出したのか、感心したように言った。


「お前、生きてたんだな」


「ふっ、遺体を確認しなかったのが貴様の油断よ。この通り九死に一生を得て、部下も前とは比べ物にならんほど集まった」


「前、五人くらいしかいなかったもんな」


「だまらっしゃい!」


おおむね、今の会話で推測するに、以前に晁蓋にとっちめられたことがある泥棒らしかった。豚を盗んだ泥棒なのか、豚みたいな泥棒なのか、どっちの意味で晁蓋がそう呼んだのか後で聞いてみようと思わせる風貌をしている。晁蓋を捕まえようとしてたのもその辺りのいざこざの恨みを晴らそうとでもしたのだろう。


「いまこそ三年前の恨みを晴らすとき! 余裕面しているのも今のうちよ、俺はこの三年で気功の修行を行い、今では岩を拳で砕く程の力を得たのだ!」


「へえ」


「ふははははは! 嘘だと思うなら丁度貴様で試してやろう。この俺の竜王拳をくらええええ!」


下馬した陳安はそう言うと右腕に力を込めて晁蓋に向かって駆けた。わっと晁蓋の近くにいた村人たちが離れる。陳安はそれを気にすること無く、ひざまづいたままの晁蓋に向かって近づいていく。


「ちょ、晁蓋!?」


計画ではこの時点で晁蓋が自ら縄を解くはずだったが晁蓋はそうしなかったので少し慌てた声を宋江はあげた。晁蓋はにやりと笑うと、少しだけ頭を後ろにそらし、


「フン!」


陳安の拳に自分の頭を打ち付けた。


「ぐ、ぐあああああ! き、貴様!」


苦悶の声を上げたのは陳安だった。拳をおさえるようにして晁蓋から後ずさっている。


「頭突きだけであの拳を防いだの?」


信じられない思いでぽつりと宋江が言ったと同時、晁蓋は縄をとくと立ち上がった。そして、そのまま呆然としている陳安の顔をわしづかみにする。


「ぐ、ぐがあ」


「気功の使い手っていうからちょっと期待したのによー、お前、十歳ぐらいの俺の時のほうがましってぐらいじゃねーか」


「あ、あああああ……」

陳安の足が地面から離れ、何かをもとめるようにばたばたとあがく。晁蓋は彼の体を持ち上げたまま、山賊たちを舐め回すように眺めた。


「さーて悪いけど、昨日から鬱憤が色々たまってんだわ」


山賊たちは皆、足に根が生えたかのように動かない。いや実際に動けないのかもしれなかった。晁蓋の周りで村人たちが思い思いに武器を取る。


 だらん、と陳安の手足が力なくたれたる。晁蓋はそうなった陳安を片手で無造作に投げ捨てると、閻魔のように言い渡した。


「精々、頑張って殺されるこった」








 そこから先は暴力の嵐だった。晁蓋が瞬く間に馬に乗っていた残りの四人を蹴飛ばして馬から弾き飛ばすと同時に、村人たちが突撃した。ここにきて、宋江は昨日見せていた晁蓋の凶暴さはほんの欠片でしか無いことに気付かされた。晁蓋が振るった手刀はたやすく骨を折り、けりをぶちかませば数十メートルの高さまで吹き飛ぶ。一応、こっちの方に敵を近づけないように動いているのか、自分と郭清は蚊帳の外で眺めているだけだった。


 さすがに今回は宋江も止めるつもりは無かったがそれでも、目の前の地獄絵図は想像以上で何度か、晁蓋を止めようかと、声を出しかけたこともあった。何せ、途中で晁蓋が刃物を奪ってからは、山賊の臓物まで飛び交っている始末である。郭清はさすがに見てられないのか、ずっと視線をそらしっぱなしだった。


 だが宋江にとってそれ以上に恐怖を感じたのは村人たちだった。昨日怯えた顔をして並んでいた人たちと同一人物とはおもえないほど、嬉々として暴虐を尽くしている。晁蓋が仕留め損ねた、あるいはもう戦意を失っている山賊たちに次々と五、六人で襲い掛かり、手に持った棒やら鎌で執拗なほど、攻撃を加えていた。助けてくれと懇願する山賊たちの言葉にも逆に襲いかかってくる山賊にも止まること無く、突撃していく。残虐性という意味では晁蓋とは比べ物にならなかった。


 宋江は村人たちと山賊との間になにがあったのか知らない。だが憎悪とは、いや優勢になるということはここまで人を変えるのかと薄ら寒くなった。晁蓋はそんな村人に一瞥もくれず、ただ前進していき、まさにちぎっては投げるという表現そのままの様子で爆進していく。山賊たちはそんな晁蓋に追われるか、村人に襲いかかり中途半端に手傷を与えて駆逐されるかのどちらかだった。


 そうしていると十分もしないうちに山賊たちは全滅していた。いや、頭目の陳安だけはどうにか生きていた。


「そ、そんな……俺様の軍団がこうもたやすく……」


「おい、豚泥棒」


呆然としてつぶやく陳安の前にひょいっと晁蓋が現れる。


「ひっ」


とっさに逃げようとした陳安をまた晁蓋がもちあげる。


「きりきり、お前の砦まで案内してもらおうか」


「こ、ここ、殺さないでくれ。故郷には年老いた母がいるんだぁ!」


「そいつはお前の態度しだいだな。で、案内するのか、しないのか。さっさと決めろ」


「わ、わかったよ。案内する。案内するよ! だから許してくれ!」


「よーし、とっとと歩け」


「ゆ、許してくれるんだよな」


「そいつは砦についてからゆっくり考えようか。おい、宋江。馬ちゃんと引っ張ってこいよ」


「うん、わかっているって」


暴れている馬を抑えるのは一苦労だったが幸い、それほど気性の荒い馬はおらず少しくつわをひっぱるだけで大体おとなしくなってくれた。


 村人たちは全員五体満足とはいかなかった。死んだものはいなかったが、腕を切断されてしまったものや、動けないほどの重症を負っているものもいる。彼らは結局、半数ほどがけが人を村まで送るために帰り、残り半分がそのまま晁蓋についてきた。







 太陽が西に差し掛かる頃、晁蓋たちは陳安が根城にしているという砦に到着した。砦には陳安の部下がまだ何人か残っていたが、頭目がつかまっていると知るや、あっという間に裏口から逃げ出していった。


「たいした人望だな、おい」


「ぐっ、あいつら……」


陳安は口惜しそうに歯噛みするがそれだけではどうにもならない。


「じゃ、ちょいとおじゃまするぜ」


そう言うと晁蓋は門をぶち破った。


「おい、酒のある場所、金目の物がある場所、女がいる場所、順番に言いな」


「なっ、案内するなら許してやるって……」


「この期に及んで元気なやつだ。別にいいんだぜ。殺したってちょっと探す手間が増えるだけだ」


「う、うう……酒は左手で金目のものはその奥。女は右奥だ」


「よし、宋江。酒運び出すぞ。後金目の物もな」


陳安をその場に乱暴に転がすと晁蓋は左手に進んでいく。


「はいはい」


 自業自得とはいえ少しだけ山賊を哀れに思いながら宋江は晁蓋の後ろについていく、郭清もその後に続いた。村人たちは逆に娘たちが囚われたところに向かうらしく入ってからすぐに左右に別れた。


 だが残念なことに酒は残っていたが金目のものはほとんど持ちだされた後だった。どうやら直前に逃げた陳安の部下たちが持ちだしたらしい。


「ちっ、あの短い時間でしっかりした連中だ」


ぼやく晁蓋に宋江が声をかけた。


「酒は樽が七個あったよ」


「お、まじか。酒がこんだけありゃあ、金がなくてもまあ許せるか」


晁蓋はそう言って上機嫌に酒樽を眺め回す。そして宋江と晁蓋の二人で酒樽をひとつずつ、運びだした。郭清も運ぼうとしたようだが、宋江が止めておいた。子供が持つには少し重い。


「お、おい!」


「ん?」


そうやって酒樽をかついで砦の入り口に戻ってきた晁蓋に声をかけてきたのは縄で縛られ寝転がらされた陳安である。


「お前まだいたの?」


「縄でしばられてんだから、逃げられるわけ無いだろ!」


呆れたような声を出す晁蓋にごく真っ当な反論をしてくる。それを聞くとそれもそうだ、と晁蓋はつぶやいて彼に向き直った。


「で、なんなんだ?」


「もういいだろ! 砦に案内したし、ここにあるものは全部持ってっていい! だから許してくれよ!」


「ああ、いいよ許してやるよ」


あっさりと晁蓋がうなずくと陳安は逆に拍子抜けしたようだった。


「そ、そうか。じゃあ早いところ、この縄を……」


「何言ってんだお前?」


「はい?」


きょとんとする陳安を放って晁蓋は宋江に話しかける


「なあ、宋江。俺は許すって言ったよな」


「うん、言ったね」


「一言も縄を解くなんて言ってないよな」


「まあ、それはそうだけど……」


いいのかな、と思いながら宋江は陳安を見下ろす。


「て、てめぇ! ふざけんのも大概に……」


陳安がそこまで言いかけたとき、晁蓋の持っていた槍(山賊から奪い取ったものだ)が陳安のすねを張り飛ばした。ボギッと聞いてるだけで痛くなる音がする。見事なまでに骨が折れたらしい。


「うるせぇ、やつだなぁ。大声出すもんだから、俺怒っちゃったじゃん」


面倒臭そうに耳をほじりながら晁蓋はなんでもないことの様に言った。


「は、はごぉ……うぐっ、晁蓋、貴様……」


「じゃあな、達者で暮らせよ。機会があれば、だけどな」


晁蓋はそう言って意味ありげに陳安の後ろに視線を送る。そこには娘たちを助けた村人が静かにこちらに向かって歩いてきていた。


「ひっ……た、頼む……何でもするから、頼むから、助けてくれぇぇぇ!」


それは誰に向けた言葉だったのか。おそらく陳安自身にもわかっていなかったろうが……


 どの道、彼の声に応える人間は誰もいなかった。


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