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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第五話 別離編
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その十七 魯智深、錫杖を振るうのこと

 河濤(かとう)はこちらの会話が終わってからもしばらく動かなかった。


 よくよく考えてみれば彼にはこちらの会話が終わるのを待つ義理などなにもないのだから、攻撃をしかけてこなかったのは別にこちらに配慮を示したのではなく、彼なりの理由……黄信という彼にとって新たに現れた敵について観察するためだったのだろう。


 それに釣られるように魯智深(ろちしん)もまた自分の背後、やや左手の方向にいる黄信を見た。切れ長の瞳が鋭く河濤を見据えており、その両腕には軍人ということを差し引いても、あまりにも無骨な手甲をはめている。腕の先から肘の辺りまでを覆うその鉄の手甲はその先端に円錐形の針のようなものが付いていた。まともに当たれば、人体に風穴を明けそうなその大きさのそれを針と呼ぶことがゆるされるならばだが。長さはおよそ三寸(約九センチ)ほどのその『針』には既にその性能を十全に活かしたらしく、血や毛がこびりついている。それを長々と観察して、魯智深はふと疑問を浮かべた。


「そういや、さっきどうやってあいつに攻撃当てたの?」


「実は自分はずっと魯智深殿とあいつの戦いを見ていたのです」


「え? そうだったの?」


「はい。その際は敵兵が船と自分の周りを囲んでいた故、助太刀をしようにもできなかったのですが、それを見ていれば、あの瞬間、あの男が魯智深殿の背後に現れるだろうことは予測出来ました」


「……あんた意外と頭良いのね」


「『意外と』は余計です」


むすっとした表情を見せて黄信が答えた。


 出し抜けに河濤が動き出したのは黄信が『余計』と言ったあたりだった。あのキュンという音を残して、彼の大岩のような体躯が消え去る。彼が消えた時、魯智深はちょうど左手を彼に向けて構えている形だったが、慌てて周囲を見回す。とその瞬間に背後からガキンと音がした。どうやら今回は黄信の方が攻撃されたらしい。


「平気!?」


「問題ありません」


「……さすがに秦明が自慢するだけあるわね」


黄信には防御の体勢を取ったような様子は全く見受けられない。ちょうど、魯智深が振り向いた時は彼女は先程の自分と同じように虚しく攻撃を外した体勢でいた。おそらく咄嗟に反撃しようとして、間に合わなかったのだろう。


金内功(きんないこう)か、それもかなりの使い手だな」

いつの間にか、魯智深の右手、つまり元いた場所と魯智深達を挟んで反対側にに現れた河濤が、しげしげと自分の剣を見ながら言ってくる。おそらく、あの剣で斬りかかっても、黄信が全く動じなかったので驚いたらしい。傍目には非常にわかりにくかったが。


 金内功。体の一部、あるいは全部を硬化する技法である。切り付けられようが、叩かれようが、外部からの痛みは全く内部に伝わらず、一方で硬化した腕や足をそのまま振るえば、それは通常の武器と変わらぬ強さを持つ。黄信の真骨頂は身につけている無骨な手甲では無くむしろこちらにある。秦明曰く、今まで気功を使わずに金内功を使った彼女にかすり傷でもつけた人間はいないそうだ。


 ただし、これがあれば絶対無敵というわけでもない。他の内気功でも同様だが、気功には効果時間というものがある。効果を得ようとした場合、どうしても受動的なものとなるこの技法は、黄信が事前に自己申告した際に言ったのは、十数える間もつかどうか位らしい。とは言え、これは効果時間としてはかなり長い部類である。


「敵に褒められてもうれしくありませんね」


黄信が辛辣に言い切ると河濤は微妙に不愉快な表情を見せてまた消えた。


「さて、頼れるあんたが来てくれたのは良いけど、こっからどうするか考えなきゃね」


「基本的には対応策は一つしかないと思ってます」


「へえ。言ってご覧なさい……よっ!」


言いながら河濤が放ってきた剣閃を魯智深は錫杖で防いだ。が、完全には防げず、肩口をわずかに斬られる。


「動かれたら、あいつの攻撃に対抗する手段はほとんどありません。かと言って、こちらが近づいても追っても、あいつは一定の距離を保つだけでしょう。周りに確たる障害物も無いとなれば……」


そこで黄信の声が止まった。河濤に攻撃を受けたらしい。だが彼女は一瞬だけ言葉を止めたものの、相変わらず平然とした様子で言葉を続けた。


「なんとかして捕まえるしか無いでしょう」


「そのなんとかがうまく行かないから、さっきから苦戦してるんだ……けどぉっ!!」


またも河濤からの攻撃。魯智深は今度はなんとか完全に防ぐことができた。とはいえ、これはほとんど奇跡みたいなものだったが。


「魯智深殿は何か無いのですか」


「一応。一個考えたというか、隙らしきものは見つけた」


声を落として魯智深は囁くように言った。おそらくこれだけ聞かれても向こうには何の事だかわからないだろうが、用心に越した事は無い。


「それは?」


「この状況で教えられるわけ無いでしょ。あいつに聞かれたら駄目なんだから」


と、魯智深が答えた直後だった。またも河濤が魯智深の方へ飛びかかってきた。剣の一撃を錫杖で防ぐが、今度は河濤はすぐさま、下がるのではなく、連続して蹴りを放った。とっさに右手でなんとか受け止めるが、衝撃を殺しきれず、魯智深は黄信ともども後方に吹き飛んだ。


「だーもうっ! ぺぺっ! 女の腹を蹴飛ばすなんて随分な事してくれるじゃない!!」


「都合の良い時にだけ女を主張するのは関心せぬな」


口の中に入った砂を吐き出しながら起き上がると、その声は頭上からした。とっさに魯智深は転がりながら手元にあった土くれを投げつけた。目つぶしのつもりであったが、河濤はそれを認めると瞬時に魯智深の背後に周った。土塊がむなしく虚空を飛んで行く。魯智深の目はその双方の動きをぎりぎりで捉えていたが、具体的な対応は間に合わない。まだ彼女は尻もちをついたままだったのだ。


 だが、そこに黄信が魯智深をかばうように飛び込んできて斬撃を防いだ。がしっとやや間の抜けた音がする。


「悪い!? 使えるものは使う主義なのよ!!」


それでもなんとか、体の向きを変えると同時、魯智深はそう言い放ちながら、そのまま正面にいる黄信の尻を蹴り飛ばした。


「ちょっ!!」


黄信は流石にこれは予期していなかったのか河濤の顔面に頭から突っ込む。頭突きをもろにかましたような形になったが、気功を使ってないばかりに黄信もそれなりに痛みは感じたようだ。黄信が頭を抑えて呻く間に河濤が遠くへと飛ぶ。


「馬鹿! あのまま抑えてれば勝ちだったのに!」


「あーもうっ!! やるなとは言いませんけど、やるならやるで事前に言ってください!」


魯智深が立ち上がりながら、頭を抑えたままの黄信に文句を言うと彼女は涙目になりながら文句を言ってきた。さすがに少し痛かったらしい。だが、魯智深はその抗議を無視すると、彼女に顔に耳を近づけてぼそりと告げた。


「……でも今のであいつの弱点、わかったでしょ?」


「は……?」


黄信はその言葉にぱちくりと目を瞬かせ、ついで魯智深の意味ありげな指の仕草と河濤を見比べた。


「まさか……」


「多分あたってるわ。そのまさかよ。あんななりして意外と女々しいわよね」


にまりと笑って、魯智深は再び河濤の方向を向いた。かなり遠くまで後退した河濤はさすがに少し姿勢を崩したのか、ようやく立ち上がって、ゆっくりとこちらに歩いてきていた。再び衝突するまでは少し時間がかかる。


「とは言え、それをどう使えばいいのかはまだ考えて無いんだけれど」


「……いえ、そういうことなら、自分に考えがあります。なんとかして少しだけ動きを止めましょう」


魯智深はその黄信の言葉に、きょとんと振り向いた。


「ただ、自分が動きを止められるのはしばらくの間だけですから、その後は魯智深殿に全てお任せすることになりますが……よろしいですか」


確認するように黄信が言われ、魯智深は不敵な笑みを浮かべた。


「そう言われて頷けないほど根性無しのつもりはないわ」


「ありがとうございます。それともう一つだけお願いが……」


黄信は再びその口を開くと、その要望を伝えた。








 敵の行動を見て河濤はぴくりと眉をあげた。


(何の真似だ?)


敵の状況は先ほどとあまり変わりない。二人の女が背中合わせに立って構えている。ただ、こちらを向いているのは元からいた尼だけだ。もう一人現れた新参は、こちらに視線は向けているものの、体の向きはまるで反対方向を向いている。とはいえ、河濤が注目したのはそこではない。最も目を引くのは魯智深という女があの重たい錫杖を高々と天に掲げるように振り上げていることだった。もしや、自分が飛び込んだらあのまま錫杖を振り下ろして迎撃しようとでも言うのだろうか。


 そういう愚直な思考方法は河濤も嫌いではなかったが、付き合う義理はない。ちょっと横から回り込めばそれでおしまいだろう。


 先程と同じように河濤は敵の約五丈(約十五メートル)先で足を止め、じっとその尼と向き合った。彼女は無言のままであったが、微かに獰猛な笑みを浮かべていた。その服装とまるで釣り合わない、肉食獣のような笑みを。


 強敵だ。河濤はその事実を改めて自分に言い聞かせた。とっさの判断、気功の練度、圧倒的に不利であったにも関わらず折れない精神。この国、最大の武装集団である禁軍に混じっていたとしてもなんら遜色は無いだろう傑物である。


 だからこそ逆に河濤は彼女らの事が許せなかった。それだけの力を持っていながらなにゆえこの様な事をしでかしたのか、それだけの力があればいくらでも真っ当に生きれたはずではないのか、と。もはやそれを問う意味は無いだろうが。


(だが、真っ当に生きるとはなんなのだろうな……)


ふと我が身を振り返って河濤は思わず小さく自嘲した。そして続ける。自分は真っ当に生きてきたと胸を張れるのだろうか


 禁軍の軍人といえば聞こえはいいが、要は高級官僚や我儘な皇族の走狗に過ぎない。別に崇高な理想があって軍に入ったわけではないが、それでもあまりにもくだらない仕事の多さに辟易したのは河濤ですら、一度や二度ではない。今回の件だってそうではないか。こいつらを撃退し、無事に犯人と財宝を取り返したとして、それが何になる? 単に強欲な老人の蔵がまた一つ都に立つだけに過ぎない。


(嫉妬しているのか、俺は……?)


迷いでもなく、諦念でもなく、ただ自らの力を信じるがままに奮うこの目の前の女に対して。決められた事に力を奮いつづけ、恩賞と名誉は手に入れられても、決して満たされない自分が。


 河濤はその考えを追い出すように頭を左右に軽く振った。


 今更何を。こんな誇れはしない仕事は今日はじめてというわけでもない。目の前の人間が無実で無いだけ、今回はまだましな部類だと言えるだろう。親が罪人と言うだけで、まだ年端もいかない子供を殺したことさえあるのだ。その罪すらでっちあげに過ぎないことを知った上で。


 罪悪感は無かったが、虚しさが募る日々だった。金で手に入る酒や女でそれを埋められることもあったが、それもすぐに飽きた。


 そこまで考えてふと河濤は右手に持った剣を見下ろした。あの雷横の屋敷を改めた時に手に入れたものである。


 いつの頃からか、こうして仕事の度に河濤は何かしらその場にあったものを手に入れる癖ができていた。今回は一見して一級品とわかる剣だったが、こんな風に価値があるものとは限らない。たまたま立ち寄った町で売られていた杯だったり、ひどい時にはふと見つけた奇妙な形をした小石だったりした。


 要はがらくた集めである。事実、弟からは盛んにやれ捨てろだのなんだのとうるさく言われていたのだ。そうして手に入れた種々雑多な代物は、家の納戸に放り込まれている。一度そこに放りこんだものに河濤が再び興味を抱くことは一切なかった。それでも、彼はこの奇妙な癖を止めることができなかった。


 何故自分がそんなことをしていたのか、今まではわからなかったが、ようやくここにきて、河濤はそれがわかった気がする。


(何かを得たかったのだろうな、俺は……)


何でも良かったのだろう。金で手に入るようなものや、鼻持ちならない連中の心のこもらない賞賛の言葉でもない何かを。それがたとえ道端の小石だってよかったのだ。誰にも……弟にすら理解はされないが、それを自分は勲章代わりにしていたのかもしれない。


(やはり嫉妬しているのではないか……)


結局そう気づいて河濤はほんの少しだけ口の端を緩めた。それをどう受け取ったのかわからないが、相手の二人がわずかに緊張したのがわかった。


「行くぞ」


それは相手に向かってではなく、自分に向けての宣言だった。


 火内功を使うと河濤はいつも通り、ぐるりと二人の周りを移動し始めた。と言っても、その速度は風よりも速い。瞬時に移りゆく視界の中で河濤は緊張に満ちた二人の顔を観察した。強張ってはいるが、しかしその目に恐怖は無い。


 河濤はそれを確認しつつ、突如、回転の向きを変え、二人が動揺した隙に距離を詰めた。方角はちょうど背中合わせになった二人の女のその横から。右手に携えた剣を片腕で伸ばす。狙いは尼、魯智深と名乗った女だ。


 その魯智深はこちらを見るとニヤリと笑った。その笑みに一瞬不気味なものを感じるが、だからと言って自分が急に止まれるわけでもない。中途半端になるよりは、と河濤はさらに加速し、突っ込んだ。何をしようとこの尼が自分を迎撃することはできないはずだ。自分が正面から挑んだなら別だが今更こちらに向きを変えて錫杖を振り下ろすという行為は到底間に合わないはず……


「……りゃっ!!!」


(!?)


だが、魯智深は錫杖をそのまま正面に、つまり全く自分のいない方向に向かって振り下ろした。どごおぉっ! という巨大な衝撃音ととともに自分の体が地面ごと傾ぐ。


「無駄だっ!!」

こんなので俺が体勢を崩すと思ったのか!! 怒りと失望が合わさった心の中をそのまま爆発させるように河濤は吠えた。しかも、これだけの一撃を放った後だ。数瞬であろうが、おそらくあの尼はろくにこちらへの迎撃体勢を取ることもできないだろう。もう一人の手甲女もこの中で自分の動きを察するのは不可能だ。河濤は砂埃の向こうの影にそのまま右手で持った剣を差し込んだ。ずぬり、と肉を貫く柔らかな感触がして、暗い達成感に胸が震える。


(やった……!)


が、そう喜んでばかりもいられない。もう一人の敵がいる以上、ここは即座に引かなければと判断して、剣を抜こうとして……


(!)


剣はその場で何かに固定されたようにびくともしなかった。煙の中から出てきた腕が剣をつかむ。その腕は手甲をはめていた。


(バカなっ!?)


そしてその衝撃を受けきれぬまま、さらに河濤の腕を僧衣をまとった腕が掴み、何を考えるまもなく、腕の骨を潰された。


「つっ!!」


「黄信! もういいわよっ」


その声とともに自分の側頭部に振られてくる錫杖が見え……何故か、本当に何故かは分からなかったが、河濤は笑った。








「悪いわね。あんたに恨みは無い……まー色々殴られたり蹴られた事を別にすれば……無いんだけど、手加減もしてあげられなかったから」


魯智深は頭蓋骨を割られた河濤の死体を見下ろして、そう謝罪の言葉を口にした。相手にとってはなんの慰めにもならないだろうが、自分の罪悪感は少しだけ薄れる。


「……って、そうだ、黄信! あんた平気なの!?」


魯智深はそこで傷を負った彼女の事を思い出し、へたり込んでいた彼女に慌てて駆け寄った。河濤の剣によって黄信は左の上腕部に貫通するほどの創傷があった。かなり太い血管を傷つけられたのか、そこから噴水の様に血が噴き出している。黄信は無事な右手で傷口を抑えているようだったが、それで血が噴き出るのを抑えることはできず、顔色も既に青白くなり始めている。魯智深は自分の服の裾を引きちぎると、素早く止血を試みた。傷口に巻きつけた布はあっという間に黄信の血を吸って赤く染まる。


「ったく、無茶が過ぎるわよ。骨は傷つけられてないでしょうね……」


「はは、すみません。あの男に対抗するにはこれしかないと思って……」


半ば呆れの色までにじませた魯智深の言葉に、黄信は力なく笑った。


 黄信は敵の攻撃を体で受け止めたのみならず、その剣を傷口を締めることで、逃さない様にするという離れ業をやってのけたのだ。が、剣を抜こうとした河濤と短い間とはいえ、力比べを強いられたわけだから、腕の中はぐずぐずに傷ついてしまったらしい。それがこの大量出血へとつながっていた。出血を抑えることさえすれば、命に係わる事は無いだろうが、しばらくは黄信は安静にしている必要があるだろう。


「あの男は……死んでますね……」


問いを発しかけて、黄信はさすがに顔をしかめた。視線の先にはまき散らされた体液とその中心であり得ない形に変形した河濤の頭部がある


「あんたにここまでさせた以上、役割は果たすわよ」


魯智深もあまり長々と眺めていたいものでもないが、首から上を除けば、河濤の体はそれほど歪なものでもない。そうすると、彼女の目に入ってくるのはあの剣だった。


「……最後までその剣、手放さなかったわね」


魯智深はそういうと、すぐそばにある河濤の手を無理やり開かせて、その剣をしげしげと眺めた。


 魯智深が最初に妙に思ったのは河濤の剣を受け止めた時だった。あの時、河濤は剣を手放そうとしなかった。最初に振り下ろしたのを受け止めた時ならまだわかるが、その後、自分の蹴りを避けようと後ろに飛んだ時まで、魯智深が剣を握ったままだと、それを放さなかったが故に、魯智深の蹴りをまともに食らう羽目になった。何やらわからなかったが、この剣はこの男にとってよほど大事なものらしかった。そのため、剣さえ止めることができればなんとか、河濤の事を捕まえることができるのではないかと思ったが……その結果がこれである。


「ただの剣じゃ無さそうだけど……それでもあんなに固執するほどじゃ無いと思うけどね」


「持ってくんですか?」


黄信に問われて魯智深は肩をすくめた。


「死体剥ぎみたいであんまりいい気持ちはしないけど……このままほっといたらそれこそ本職の盗っ人が持ってくだけでしょ。遺体代わりだと思って供養ぐらいしてあげましょ」


「……まあ、そういう考え方もあるかもしれませんね」


微妙に納得仕切らない表情を浮かべながら、よろりと黄信は立ち上がろうとして、がくりと膝をついた。そのまま倒れそうになった彼女の体を魯智深が抱き留める。


「これ以上無茶するんじゃ無いの。とりあえず、大人しく船で寝ておきなさい」


「す、すみません……」


とそんなやり取りはしたものの、魯智深は内心、黄信の様子に驚きを受けていた。どうやら予想以上に出血量は深刻なようだった。というか、今なお、血はだらだらと黄信の腕から滴り落ち続けている。


 魯智深は黄信の体を担ぎあげると、周囲を見渡した。周囲には誰もおらず、遠方で炎上しつつある船に群がるように兵士がいるのが見える程度だ。一方で自分の背後にはいくつかの天幕が虚しげに風に揺れている。そのさらに奥から馬のいななきや人のざわめきが聞こえるが、概して静かなものだった。


 魯智深はその天幕に背を向ける形で、阮小二がいるだろう船の方へ足を進めつつ、後ろを振り向いた。そうしていると天幕の陰になっていて見えなかった山と炎上する森が次第に目に入ってくる。


「……何あれ?」


思わず呆然と魯智深がつぶやいたその視線の先。そこでは周囲の木々よりひときわ高い、炎の柱が踊るようにうねっていた。その非現実的な光景に魯智深がポカンとした直後、その炎の柱が上から押しつぶされるように消え、次いでその中心から魯智深の耳にも聞こえるほどの轟音が響いてきた。

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