その七 晁蓋、断を下すのこと
郭清の父母と弟は五年前の流行病で死んだ。当時、郭清は七歳。親を失った子供が一人で生きるにはあまりにも幼い年齢であった。そんな郭清を引き取ったのがこの村の村長だった。その対価として親の持っていた田畑も村長のものになったのだから善意ばかりというわけではないだろうが、郭清が誰かと結婚したら郭清の畑に戻るんだよ、と話してくれたので、いずれ返すつもりではあったと思われる。
当時、村長には奥さんと息子がひとりいた。息子の歳は郭清より八歳年上だった。彼も奥さんも郭清の世話をよくやいてくれた。彼らのおかげもあって家族を失った悲しみはしばらくし大分薄れ、郭清にも笑顔が戻ってくるようになった。
奥さんは料理や裁縫のことを教えてくれたり、遠い国の話をしてくれたりした。息子、郭清にとっては兄といってもいいだろう、は山に一緒に行ってきのこをとったり、兎を狩ったりしてそれを郭清に食べさせてくれた。もちろん、村長も自分の娘のように可愛がってくれた。街に行った時にはおみやげとしておもちゃや髪飾りを買ってきてくれた。あの陳安という山賊が現れるまでは楽しい日々だった。
山賊が現れたのは三年前の秋だった。村長の息子、すなわち兄は自分の婚約者として決められていた村の娘を助けるために周囲の反対を押し切って山賊に戦いを挑み、死んだ。
厳密に言えば自分達に影を落としたのは山賊の出現ではなく、その死だった。息子の葬儀を終えてから村長は感情を手放したように怒ることも悲しむこともなくなった。奥さんはそれを埋め合わせるようにずっと怒りっぽくなった。その時から、彼女は郭清を殴るようになった。自分に優しく針の使い方を教えてくれた人と同一人物とは思えないほどに豹変した。
陳安はそれから月に一度の頻度で現れては酒や馬や食料を気ままに奪っていった。彼が来る時は皆、声を押し殺して息を潜めていた。村長と何人かの男だけが彼に対応した。陳安が来た時は村長の妻は普段よりもずっと怒りっぽくなった。体が臭いと言って蹴られたり、髪が長いと言って無理やり引きぬかれたこともある。それでも郭清は耐えた。自分の息子がいなくなったから一時的に荒れているだけなのだと、いつかはもとに戻ってくれると。村のみんなもそう言っていた。でも一年が経ち、二年経って、彼女が怒る回数は減ったけれども、元の優しかったあの頃には決して戻らなかった。
一月前に陳安が現れた時、晁蓋という人を連れて来いと言われたらしい。郭清がそれを知ったのは陳安が訪れた晩のこと、村長の家に珍しく人が集まって何事かを話していた時だった。郭清の寝床はその一年ほど前から台所の土間になっていて広間で話しあいをする男たちの声が丸聞こえになっていた。
じっと聞いているとどうもその晁蓋という人と一緒に山賊をやっつけようと言ってる人と、いや山賊の言うとおり晁蓋を差し出そうと言う人達が話し合ってるようだった。郭清はじっと耳をそばだてて聞いていた。
話は平行線のようだった。もう耐えられないという人とまだ我慢しようという人、どちらも譲らない。村長はだまったままのようだった。この手の話し合いで村長が自分の意見を言うのは息子が死んでからはめっきりなくなっていた。そのうちに誰かが言った。
「そういえば村長、今年も知県の方に軍を出してもらえないか、お願いしたんでしょう、どうだったんです」
村長の言葉は簡潔にして不明瞭だった。
「今年は出せない、と言われた」
それは別に来年の派兵が約束されたわけではない。だが、村の何人かはそう勘違いした。ならば、今年さえ耐えれば、なんとかなるのかもしれない。議論は一気に山賊に従う方に傾いた。その内に誰かが言い出した。
「もう俺達に取られるものはほとんど残されてない。蓄えと酒はもう無くなった。家畜は年老いた馬が二頭いるだけだ。娘ももういない、強いて言うなら半分子供の郭清ぐらいだろう。それならいいじゃないか」
自分の名前が出たことにどきりと反応する。でも、それは、その言葉は私ならいなくなっても大丈夫、ということなのだろうか。その言葉の真意を測りかねている内に議論は終わり、山賊の言うとおりに従う、という結論になった。それは取りも直さず、郭清が山賊にいずれ連れて行かれることも意味していた。そしてそれに対して反論してくれる人は誰もいなかった。
自分が差し出される予定となっているのも衝撃だったがそれ以上に郭清の心をざわつかせたのはその決定に対して誰も反論を述べなかったことだ。今までならどこかの娘が犠牲になりそうだという時は必ず遅くまで話し合いが続いていた。どうにか回避できる方法がないか模索するために。今回、自分の番になった時はだれも何も言わなかった。それが何より郭清の心を傷つけた。
郭清はそれから与えられた仕事を必死にこなした。ひょっとしたら誰かが、郭清が連れて行かれるのは止めよう、と言ってくれるかもしれないと期待して。でもそんなことは無かった。それがわかったのは三日前。その晁蓋のところを訪ねた村人が帰ってきて時だ。その村人は晁蓋が快く応じてくれたことを伝えた。ほっとした雰囲気が皆の間に流れ、その日の会合はそれで終わった。だが、二、三人の男が会合が終わった後も村長に詰め寄っていった。
「村長、これで本当にいいんですかい?」
「もう既に決まったことだ」
「村長、本気かよ。来年まで待ってたら郭清だって連れて行かれるかもしれないぜ、あんたそれでもいいのかよ。実の娘のように可愛がってたじゃねえか」
「別に構わん。大丈夫じゃ、お主らの娘が成長する頃までにはなんとかなっているじゃろう」
ベツニカマワン。それを聞いた時、郭清の心はもうどうしようもなくなっていた。自分を大事にしてくれる人は、自分がいなくなっても悲しんでくれる人はだれもいないのだ。詰め寄った男たちも村長のその言葉にあっさりと引き下がった。彼らにとって本当に気になっていたのは自分の娘達の事なのだろう。
自分が晁蓋と宋江に味方したのは彼らのためでも、山賊を倒してもらうためでもない。ただただ、村人たちに思い通りになりたくなかっただけだった。彼らのことを恨んでいたからだけだ。
だというのに、どうして自分は今、晁蓋の目の前で彼らをかばうように立っているのだろう。
カミソリのように薄い月が照らす夜の庭。晁蓋は落ちていた棒を拾うと目の前の郭清に声をかけた。
「さて、郭清って言ったか。一応、そこに立っている理由を聞いておこうか」
そんなの私が知りたい。自分のした事ながら混乱して郭清はそう胸中でぼやいた。遠くの方で宋江が起き上がりながら心配そうにこちらを見つめている。
「どうした? 黙りこくっちまって」
宋江の方向に視線を向けていると晁蓋の声から上からかかる。
「あ、う……」
自分のひきつったような声がのどからもれた。何か言わなければという思いがそれをさらに悪化される。間近で見た晁蓋は想像以上に圧倒的だった。空を仰ぐようにしなければ顔を見ることすらかなわない。その顔は月影に隠れて表情はよく見えない。にやりと笑った口元と白い歯だけが郭清からは見えていた。
「晁蓋……」
宋江がよろよろと足元がおぼつかないながらも、こちらに向かって近づいてきた。
「待ってろよ。俺だってさすがに自分の味方になってくれた子を問答無用でぶん殴ったりはしねぇさ」
その宋江を晁蓋は手だけを伸ばして制した。宋江はしぶしぶといった形ながらも足を止める。その様子を見て晁蓋は再び、郭清と向き合った。
「さて、質問に答えてもらってなかったな」
郭清は黙って下を向いた。何故なのだろう。何故自分はここに出てきてしまったのだろう。村の人たちのことなんか嫌いだった。いなくなってしまえばいいと思ってた。
「郭清……」
ふと、誰かが、誰かはわからないが、そう呼ぶ声が聞こえて郭清は後ろを振り返った。言うまでも無くそこには自分の村の人たちが並んで座っている。誰がつぶやいたのかはわからない。
郭清はぼんやりと彼らの顔を眺めた。後ろを向いたのは自分を呼んだ人を探すよりも目の前にいる大男から目を背けたかったからという方が気持ちとしては強かった。
だが、眺めているうちに郭清は次第に思い出してきた。思い出してしまったのだ。今まで、何度も山賊たちがやってきたときの顔と今の彼らは一緒だった。息子や兄弟を失ったとき、あるいは娘や姉妹をさらわれてしまったとき。どうしようもなく、見送るしか無い彼らをのことを案じていた表情。それは確かに心配とよばれる情念だった。それが今、自分に向けられている。
(ああ、そうか……)
先ほど、宋江が言ったことを思い出す。好きでやってたわけじゃない。彼らだって自分のことが嫌いで自分を見捨てたわけではないのだ。彼らだって自分の一番大切なものを守るために仕方なく、そうせざるを得なかったのだ。それはどうしようもなく、郭清にとって悲しいことだったけれど、自分は彼らの一番大事なものではないのだ。でも、それでも自分のことが視界に入っていないわけではないのだ。
そう考えると郭清の目に今まで、ただの嫌いな人たちだった彼らが違うものに見えてきた。いや、違う面を思い出したというほうが正しいのか。
あそこにいる斉さんはお古になった娘の服をくれた人だ。あっちの呂おじさんとはあまり話したことは無いけどあそこのおねえさんはよく知っている、きれいで歌をいくつも知っていた。あそこの岳さんは狩りにいったときにとれたウサギをくれた人だ。おいしい食べ方を教えてもらった。そして自分のすぐ近くにいる二人。村長とその奥さん、自分を育ててくれた人だ。髪飾りも買ってくれたし、針の使い方もやさしく教えてくれた人たちだ。
(結局、私はこの人たちのことを見殺しにするほど嫌いにはなれなかったんだ……)
それに気づくと、郭清は改めて、晁蓋の方向を向いた。深呼吸をして言うべき言葉を探す。
「どうか……この村を救って頂けないでしょうか」
深々と頭を下げてそう言った。
「どうか……この村を助けて頂けないでしょうか」
「曖昧だな。もう少し具体的に言え」
「この人たちを許してあげて下さい。それと、山賊も退治して欲しいです」
「ふん。それはちょっと欲張り過ぎじゃないか」
晁蓋は値踏みするように郭清を見ながら棒で自分の肩をとんとんと叩いている。
「晁蓋様は……晁蓋様はなぜ、そこまで怒っているのですか」
「ん?」
「恩義を感じずにこの人たちが裏切るような真似をいたしたからでしょう」
「わかっているじゃねぇか」
「ならば私が晁蓋様を助けたことの恩義を裏切らないでほしいです」
「なに?」
「晁蓋様と宋江様の命を救ったのは私です」
郭清はきっと顔をあげてそう言った。精一杯の虚勢なのだろう。離れた宋江にもひと目でわかる程に彼女は震えていて、目尻に涙がたまっている。
「その恩義を晁蓋様は無視するのですか」
この論法は予想してなかったのか、晁蓋は少し、顎を撫でて考え込んだ。
「なるほどな。確かに言うとおりだ、子供が考えたにしちゃ説得力がある……と言いたいところだが、一つ、忘れちゃいないか」
「え?」
「俺は別にお前に助けてほしいなんて言ってないぜ、そりゃ押し売りってもんじゃないかい?」
「そ……れは……」
「晁蓋!」
いくらなんでもそれはあんまりだ! 腕に残るしびれもそれによって与えられた恐怖も忘れて宋江は吼えた。
「落ち着けよ」
「何が落ち着けよ、だよ! いくら殺されかけたからって、郭清に助けられたのは事実じゃないか」
「俺は今、郭清と話をしている」
晁蓋のその言葉は宋江にそれ以上しゃべらせるのを許さなかった。
「すまんな。邪魔が入った」
「い、いえ……」
郭清は少し驚いたような表情をみせている。
「宋江もお前も勘違いしているようだが俺だって俺たちがお前に助けられたことぐらいはわかってる」
「え、それでは?」
「お前の言うとおり、俺はお前に対して借りがある。だが、それはどれほどのものだ? 押し売り云々もそうだが、お前が救ったのは二人、それに対してお前は俺にこの村全員を救えという。ちょっと釣り合わないんじゃないか?」
「あ……う……」
郭清はそれ以上、重ねる言葉を持たなかった。もともと限界に近かったあせりやおそれが表面張力を失ったコップの水のように外に漏れ出そうとする。
「晁蓋」
その時に口を挟んだのは宋江だった。
「俺は郭清と話している、といったはずだが」
「助太刀くらい認めてよ。子供相手に大人げない」
「……なんだ」
「僕は釣り合うと思うよ。村と僕ら二人。ううん、お釣りがくるぐらいだ」
「……おまえ、算術はできたはずだよな」
「晁蓋は自分の命の価値が彼ら一人一人と同じだというの?」
「うん?」
晁蓋は眉根をよせた。
「少なくとも僕はそうは思わない。晁蓋の価値はそんなものなの? こんなせっかく遠くから来た助っ人を山賊に売り飛ばすような人達の価値と同じなの?」
「おいおい、お前の言いたいことはわかったが、さっきと言ってることが間逆じゃないか? お前らはこいつらのこと、どうしたいんだよ」
「真逆なんかじゃないよ」
「そうか? さっきはこいつらが大事みたいなことを言ってたような気がするが」
「そんなこと言ってないよ」
言って、ようやく宋江は悟った。自分が何故、自ら傷つくリスクを犯してまで晁蓋に村人たちを殺さないように歯向かったのか。目の前で流れる凄惨な光景を止めたかったから? あまりにも無力な村人に憐憫を覚えたから? それもあるかもしれない。だが最も大きかったのは晁蓋がそんなことをしているのを見たくなかったからだ。無抵抗の村人を殺戮していくような彼を見たくなかっただけなのだ。
自分は郭清と似ているようで違う。村人を助けたいのではない、晁蓋を止めたいのだ。結果としては同じかもしれないが行動の原理は明確に違う。
「僕は、僕自身は彼らの味方じゃない。……晁蓋の味方だよ」
「わけがわからん。味方なら俺のやろうとすることを止めるなよ」
「呉用さんだって晁蓋の敵じゃないけどやることを止めることはあるでしょ」
「いや、あいつは明確に俺の敵だが?」
そんな風に返されるとは思わなかったので少し思考がフリーズした。
「……例えが悪かったみたいだけど、えっと子供が刃物をさわろうとしたら止めるでしょ。でもそれは子供のためにすることであって刃物のためじゃないよね」
「………」
晁蓋は何も言わなかったが表情から察するにこちらの言いたいことは理解したようだった。
「話を元に戻すけど、どうなの? 晁蓋の命の価値はそんなもんじゃないでしょ」
「……けっ、よく口が周る奴だ。つくづく今日はお前についての認識を改めさせられたぜ。いいだろう、そこの嬢ちゃんとの取引に乗ろうじゃねえか」
「ほ、本当ですか!」
郭清が喜びの声を上げる。
「が、俺の命の分から俺の怒りや納得ってもんを差っ引いて考えねえとな。『値引き』はさせてもらうぜ。この村にある残りの馬と酒、全部俺に渡しな、いいな、孫名主」
久しぶりに晁蓋は村長に声をかけた。
「は、はい」
村長にしてみれば嫌も応も無い。こくこくと壊れた人形のように首をふるだけだ。
「承諾したな。後で証文書かすぜ。次に郭清」
「は、はひっ」
緊張のためか彼女の声が上ずる。
「お前から受けた恩はこいつらを見逃す分でそれはチャラだ」
「えっ?」
「最初にも言ったろ、よくばりすぎだって」
「あ……う……」
「だが、しかし、だ。こいつらを殴らなかった分、鬱憤がたまってる。明日にでも遠慮無くぶん殴れる連中のところに案内してもらおうか」
「は、はい!」
晁蓋は頷く郭清から視線をあげ、今度は村人たちに向かって声を上げた。
「言っとくが勘違いするな。おれはそいつらをぶん殴ってついでにそいつらが溜め込んでる酒やら馬やらをかっさらうだけだ。結果としてこの村の人質がどうなろうが、関知しねえ。一緒にいくことだけは許してやるから、そっちはお前らがどうにかしろ」
「は、はい!」
先ほど、娘を助けるように晁蓋に懇願していた男が真っ先に賛意を示した。それを皮切りに村人たちが次々と平伏していく。
その後、晁蓋は郭清以外の村人たちを屋敷から追い出した。村長夫妻は一晩とはいえ、家を奪われた格好だがさすがにそこまでは宋江も同情しない。今日はどこかの家に泊めてもらうことだろう。
「つーわけだ。俺はもう酒飲んで寝る。明日この村を出るからな」
晁蓋は最後にそう言って、手にしていた棒を放り投げるとさっさと家の中に戻っていった。後に残っているのは力が抜けたようにへたり込んだ郭清とその傍らにたちっぱなしの宋江だけである。
「た、立てる?」
宋江は郭清に近づいて手を差し伸べた。が、近づくと郭清の目からはぽろぽろと涙があふれていたのがわかった。
「ど、どうしたの? 大丈夫? どこか痛いの?」
「わ、私……私、とんでもないことを、ぐすっ、しちゃいました……」
「え?」
「うぐっ、皆にあんなにやさしくされていたのに、私のせいで、みんな傷ついて、でも私あんなにがんばったのにみんなひどいことして、それでわけわかんなくなって……」
「………」
郭清からもれた声は意味があるものになっているとは到底言えなかった。混乱しているのだろう。
「えぐっ、うっく」
「だ、大丈夫だよ」
宋江はひざをつくと、声をかけた。
「郭清のしたことは、間違ったことじゃないよ」
「でも……みんなに嫌われてます、きっと」
宋江は気づいた。ひょっとしてこの子は自分たちの味方をするということがどういうことか、わからないまま行動してしまったのではないかと。晁蓋があれほど激怒するのも、その結果自分がどうなるかも、わからないまま動いてしまったのだ。ついしっかりした言動なので忘れてしまっていたが、彼女はまだ十二歳の子供なのだ。
覚悟が足りない、と言えばそれまでかもしれない。でも、その行動は間違ったものでは決して無かったし、ましてやその行動によって救われた自分や晁蓋がそんなことを言う資格は無かった。
「大丈夫、大丈夫だよ、郭清。少なくとも僕と晁蓋は君の味方だよ」
手をとってそう言う。
「だけど私、二人を、ぐすっ、宋江様と晁蓋様を利用しました……自分がひどいことされたからって、それで……」
利用? ……なんのことか宋江にはよくわからなかった。だから言葉を繰り返した。
「大丈夫だって。僕も晁蓋もそんなこと気にして無いよ」
ぽんぽんと背中に手を伸ばしておちつかせるために軽くたたく。
「うえっ、うぇっ、うええええええ……」
郭清が顔を宋江の胸に押し付けるようにして倒れこんだ。
「大丈夫、大丈夫だよ、何も心配しなくていいよ……」
何もわからない宋江はとりあえず、そう声をかけながら静かに彼女の体を受け止めた。
「ようやく泣き止んだみたいだな」
気づくと庭の隅に晁蓋が居た。手に酒瓶を持っている。さっき酒で窮地に陥ったくせにこりないな、と思いながら、宋江は返答した。
「戻ってきたんだ。寝るんじゃなかったの? 」
そう言ってちらりと胸元を見下ろす。郭清は泣きつかれたのか、目を閉じて寝ているようだった。
「そりゃ俺だって子供の泣き声が聞こえれば、一応気にぐらいはする。まあ、お前に任せときゃいいと思ってたから見てただけだけどな」
どうもかなり、最初の方から見ていたらしい。
「飲むか?」
「ううん、いらない」
「そうか」
晁蓋はあっさりと酒を引っ込めた。
「利用してごめんなさいって謝ってたけど、なんか心当たりある?」
「まあ、多少の推測はつくぜ」
「え? 本当?」
ほとんど期待していない問いかけだけに宋江は驚いた。
「見た感じ、十一か十二ってとこだろ、そいつ。今までは子供だったけれど、そろそろ山賊に献上される頃合だったんだろ」
「ケンジョウ?」
「ようするに慰みものにされるってこった。それが嫌で行動したんだろ。利用っつーか、単なる利害の一致だな」
飄々とかたる晁蓋はたいして気にした様子も無い。
「え? 慰み者って……え?」
いわゆる犯罪的なあれだろうか。
「まだ子供じゃない、この子は」
「股から血がでりゃ、もう女って考える獣は少なくないからな」
「股から血って……」
内容云々よりもっと穏やかな言い方はないもんか、と思いながら宋江は郭清を背負った。彼女の体は見た目よりもずっと軽かった。
「俺が使う予定だった寝台に寝かせてやれ。俺はあのくそじじいの寝床を適当に荒らして使う」
くそじじいとはおそらく村長のことだろう。
「うん。じゃあ僕は適当に寝床探しとくよ」
そういうと晁蓋は意外そうな顔つきをした。
「お前は自分の寝床で寝ときゃいいだろうが」
「だって、同じ部屋だよ」
「『子供』だろ、気にすることあんのか?」
にやにやとからかうように言う。それとこれとは違う、ととっさに反論しようとしたとき、晁蓋の顔つきが真剣なものになった。
「そいつはこれだけ色々あった夜に前後不覚のまま、眠ったんだぞ。起きたときに見知った顔がいないとかわいそうだろうが。変なところで気が利かねえな、お前は」
言い捨てて晁蓋はその場を去っていった。
「なんでそっちこそ変なところで気を回すんだよ」
ぼそりとそう一人でつぶやく。よいしょっと郭清を抱えなおすと宋江も自分の部屋に戻るべく足を進めた。