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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第五話 別離編
78/110

その六 雷横、計画を滅茶苦茶にされるのこと

 時は少し遡る。宋江(そうこう)梁山泊(りょうざんぱく)に到着するより数日ほど前、晁蓋(ちょうがい)は縄に繋がれたまま、のんびりと濮州(ぼくしゅう)の町を闊歩していた。もちろん彼一人ではなく、前後には彼を護送するための兵士がついている。


 しかし、その光景は道行く人の目には非常に奇妙に映っていただろう。罪人である晁蓋は確かに縄で手を縛られ、そこには気功を封じる禁気樹(きんきじゅ)と呼ばれる木製の札がぶらさげてある。しかし、普通、罪人となれば俯いて人々の好奇の視線から逃げるようにこそこそとしているのに、晁蓋ときたら平然とした様子でのし歩いている。さらに、


「なあ、あの串焼き美味そうだなちょっと買ってきてくれよ」


なんて事を隣にいる兵士に言ったりする。言われた兵士は困ったように雷横(らいおう)を見上げてきた。


 できれば無視したかったがそういうわけにもいかず、雷横は晁蓋に向き直って答えた。


「あのさ、晁蓋さん。自分の立場わかってる?」


「あたりめーだろ。お前に捕まった囚人だ」


「……だったらそれに相応しい態度っていうのがあるんじゃないかと思うんですけど?」


雷横は慎重に言葉を選んだ。晁蓋と雷横の関係は複雑である。表向きは晁蓋の立場は彼が言うとおり、雷横が捕まえた囚人なのだが、晁蓋はいわば雷横に協力して『あげている』立場なのだ。本気で晁蓋が抵抗したら雷横には彼を捕まえるすべなどない。ついでに言えば財宝も戻らないわけで、そうなれば朱仝(しゅどう)索超(さくちょう)はこのままこの件の犯人として殺されるはめになるだろう。一方で、このまま晁蓋が引き渡されれば、朱仝や索超が無罪放免となるだけでなく、うまくやれば楊志(ようし)の疑いも晴れるのだ。


 しかも(たち)の悪いことに、晁蓋は手を縛られ、気功を封じられてなお、普通の兵士が数人かか

っても取り押さえられないような強さを発揮していたのである。これは雷横もさすがに予想外であった。


 晁蓋を捕らえた最初の晩には、彼を怒らせた兵士が鎧の上から蹴り飛ばされて、あばらを骨折させられた上、彼を取り押さえようとした兵士が十数人、手を拘束されたままの晁蓋にコテンパンにされるという事態まで発生している。その場はなんとかなだめすかして抑えたが、はっきり言って今の晁蓋でも雷横は自分が勝てるかどうかわからなかった。つまり今なおこの男が本気になった際にどうなるかわからない。いやおそらく冷静に考えればさすがに雷横が全力を出せばどうにかなるかもしれないが、串焼きだのなんだのその程度のために、そんな危ない橋を雷横は渡りたくなかった。


 雷横がこんな状況でも晁蓋の我がままを許しているのは、彼が協力してくれているという精神的な劣位だけでなくこうした切実な事情もあったのである。


 だから、部下の手前ということもあって多少高圧的な物言いになったが本音を言えば次のようになる。すなわち、ほんっとーーーーーにお願いしますからもう少し囚人らしくしてください、と。


「硬い事言うなよ。知らない仲でもねーだろ」


が、晁蓋はそんな雷横の内心などどうでもいいらしい。というか、さっぱり考慮してなかった。雷横はため息をつくと、もう考える事を放棄して傍らの兵士に小銭を渡した。


「……適当に数本買ってきて渡しなさい」


「よろしいので?」


「へそ曲げられてここで暴れるよりましだわ。あんたが取り押さえてくれるっていうなら別だけど」


兵士も既にこの晁蓋の恐ろしさを十分知っているので首をぶんぶんと横に振って、その串焼き屋の前に走っていった。


(完全に失敗じゃないの、これ……)


既にもう何度かそんな思いは持っていたが政庁を前にして雷横はますますその思いを強くしていた。雷横の予定ではもう少し晁蓋が囚人らしくしてくれて、というか気功を封じられればそうせざるを得ず、彼と財宝を引き渡せば朱仝と索超が開放されるはずなのだが、この調子では雷横が晁蓋という虎を町に放ったと非難されてもしかたない状況になりつつある。


 おまけに晁蓋は明言しないものの、雷横に対しても周りの兵士に対しても捕まって『あげた』という態度をまるで隠さないものだから、何か問題があれば雷横が責任を追求されるのは目に見えている。既に雷横は朱仝と索超が開放されたら二人を連れて即刻この街を去るつもりでいた。


(感謝するところもあるけど、やっぱりこの人とは関わりたくないや……)


雷横は串焼きが無事、晁蓋の手に渡ったところを確認するとため息をついて、またゆっくりと馬を進めた。


(ま、さすがにこの人も政庁につけば多少大人しくしてくれる、よね……)


予想というよりは最早完全に祈るような調子で雷横は心中でそう呟いた。







「あんたが晁蓋?」


「おう、俺が黄泥岡(こうでいこう)で財宝を奪った晁蓋様だ」


河清(かせい)の質問に無駄に偉そうに答える晁蓋を雷横は思わず殴りつけた。


 甘かった。完全に甘かった。この男は自分を囲んでいる兵士が数十人から数百人になろうとも、そんなことは知ったこっちゃない、と言わんばかりの調子である。


 雷横の放った拳は意外な事にあっさりと晁蓋の脇腹に突き刺さり、晁蓋の口からおごっと妙な音が発された。


「痛ってーな、何すんだよ」


普通の男なら雷横の今の拳を受ければ胃の中のもの全てぶちまけて悶絶してもおかしくないのだが、気功も無しに痛いだけで済ますこの男はやはり異常だった。


「言われたとおり、主犯の晁蓋と奪われた財宝奪還してきたよ」


もはやボロが決定的になる前に話を終わらすしか無いと決めた雷横は晁蓋の言葉を無視して、前置きも無しに引き渡しに入ることにした。胸元から晁蓋とともにいた呉用(ごよう)という女から渡された交引(こういん)の束をばさりと河清に渡す。河清はそれを受け取りはしたが、顔は決して晴れやかなものではない。むしろげんなりとした表情をしている。


「いや、雷横ちゃん。こんな手負いの虎みたいな男押し付けられてもさぁ……」


「腕はきちんとしばったし、気功も封じてここに連れてきた。これで捕らえてないっていうならどうすればいいのよ」


雷横はもはや勢いで乗り切る意外の手段は無いと考え、強硬に反論したが、河清は(当たり前といえば当たり前なのだが)難色を示した。とはいえ、さすがの河清もこんな状況で未だにふてぶてしく、かつ実際に雷横の一撃を受けても平然としている晁蓋という人物は想定外だったらしく、雷横の言葉に有効な反論ができないでいた。


「……まあ、いいや。兄貴、ちょっと取り押さえられる?」


河清が傍らにいる河濤(かとう)を見上げると、次の瞬間、河濤の姿がふっと掻き消えた。


火内功(かないこう)か……)


河濤のその動きを見て雷横はそう判断した。火内功、とは火属性の内気功の事を短く言い換えたものだ。肉体の能力を高める内気功の五つの属性のうちの一つで、体の瞬発力や反射速度を高める技術だ。この河濤という男はその使い手らしい。雷横も火内功を使えるが、この河濤という男のそれは雷横のよりも数段上のようだった。それでもなんとか目で追うぐらいのことはできたが。河濤は瞬時に晁蓋の背後に立つと背中から馬乗りになって、晁蓋の顔面を地面に押し付けた、いや押し付けたというよりも激突させたというべきかもしれない。ごずっと鈍い音がする。晁蓋もさすがに本気を出した気功使いにはかなわないのか、抵抗することもできず、顔面を石畳にめり込ませた。


「……へっ、やるじゃねえか」


鼻血は出しているので全く効いてないというわけでもないらしい。ただしそんな状態にあっても晁蓋は強がり……いやこの男に限っては強がりではないのかもしれないが……とにかく、そんな不敵な言葉を口にした。


 すると河濤は表情を一切変えずに、引き続き掴んだ晁蓋の頭を地面に連続して打ち付け始めた。ごすっ、ごすっ、ごすっ、と間断なく晁蓋の頭が石畳にたたきつけられる。 


「ちょ、ちょっと……」


無表情のまま、その挙動を続ける河濤に何か不気味なものを感じて、雷横は反射的にそんな声をあげてしまった。晁蓋の額でも切れたのか石畳は既に赤く染まり始め、晁蓋は声を上げる気配もない。しかし、河濤はそれにも構う様子もなく、ひたすら無表情に晁蓋を地面に打ち付け続けている。その鈍い音が五十を超えたあたりで河濤の手が止まった。


(死んでない……よね?)


さすがにここで死なれては目覚めが悪い。そう思って雷横は横から覗きこんだが、幸い、というべきか晁蓋は気絶することすらなく、面白げににやにやと河濤の事を見上げている。雷横はその二人の様子を見て、何故河濤が動きを止めたのかを理解した。。晁蓋の縛られた腕は当初、背後から押さえつけられたために彼の体の下にあったはずだが、それがいつの間にか頭上に周り、河濤の小指を掴んでいたのである。と、雷横の目の間でその小指が通常ありえない方向に曲がった。指を晁蓋がへし折ってたのだ。河濤の眉がぴくりと跳ね上がる。河濤の顔が動いたのを見るのはこれが初めてだった。


(なんてことを……)


色々な意味で唖然とさせられ、雷横は思わず、口をぽかんと開けた。


「おう、もう一本いくかい、でかいの?」


一方、晁蓋は手を縛られ、背中に馬乗りになられたとは思えないふてぶてしさでそんなセリフを吐いている。この様子にさすがの河清も本気で驚愕したらしく、目を見開いた。


(ちょっと、どういうつもりよ……)


だが、そんな余裕綽々なのは晁蓋だけで、雷横としてはほとほと泣きたかった。あの石碣村(せきけつそん)で俺を連れて行け、と言われた時に微妙に嫌な予感はしていたが、それでもここまで滅茶苦茶をやるとは思っていなかった。こんな風に自分の危険性を喧伝していったいどうしようというのだろう。大人しくする芝居さえしていてくれれば、何事も無く無事に済んだというのに。これではどんな難癖をつけられるかわからない。


 しかし、次に言葉を発した河清のいうことは雷横のそんな予想を遥かに超えた言葉だった。


「……おい、兄貴。こいつ駄目だわ。危険すぎる。もうこの場で首刎ねちまおう」


その言葉に雷横だけでなく、その場にいた全員が、つまり河濤も含めて、驚愕の色を見せた。


「良いのか……?」


河濤が確認するように晁蓋の背に乗ったまま目くばせをした。雷横が彼の声を聴くのもまた、これが初めてのことだった。そのいかつい体躯を裏切らない野太く低い声である。


「ああ、責任は全部俺っちがとる。こんな猛獣みたいな男、とても開封府(かいほうふ)に連れて行けねーよ。兄貴はそのまま抑えておいてくれ」


ついで河清が声をかけるとばらばらと何名かの濮州兵がそれぞれ晁蓋の足や手を押さえつけ始めた。最後に河清が剣を携えて晁蓋に近づいて行く。


(どっ……どうすればいいの、これ!?)


呉用という女から聞いていた話では晁蓋を河清に引き渡した後、折を見て仲間が助けに来るという話であった。だが雷横はその仲間について何も知らないし、どんな手段で彼を助けようとしているかもわからない。ただこんな風に晁蓋が引き渡されるなり、殺害されるという展開は少なくとも彼らは想定していないはずだった。普通、これだけの大事を起こした犯罪人であれば、生きている限りは都へ送られ、そこで見せしめのためにもむごたらしく殺されるのが通例である。特に晁蓋はこの国の最高権力者の一人に、しかも賄賂を奪うという民衆の喝采を受ける形で喧嘩を売った男だ。


 捕縛の際に殺してしまったというならともかく、無事捕縛した重罪人を殺してしまうのはそうした連中への心象もよろしくは無いだろう。事実、河清の周りにいる彼の部下や河濤ですら、一瞬ではあったが、彼の判断に躊躇したのだ。


(落ち着け……落ち着け……)


晁蓋がこうなったのは自業自得だ。彼が仲間とともに二百名近い兵を殺し、財宝を奪ったのは事実である。その財宝の出所がいかに怪しかろうと、これは立派な犯罪だ。


 だが、同時に晁蓋がこうなったのは自分のためでもある。晁蓋は自分の朱仝と索超を助けたいという思いに応えたからこそ、彼は大人しく……いや、大人しくは無いが通常の彼から比べれば遥かに穏便に縄をうたれ、気功も封じてくれたのだ。


(ああもう、だから……大人しくしててほしかったのに……)


そしてさらに直接的な原因をたどれば、捕まったってあんなふうに暴れなければ彼の仲間が考えているように、この街を離れたところでもっと容易に助けることができたのだろう。とは言え、河清がここまで果断な人間であったと知ってたら雷横ももっと強く言っていたのだが……と、そんな風に雷横の思考は二転三転する。


(ぐ、う、ううううううう、けど……)


冷静に考えれば晁蓋を見捨てるべきであった。ここで彼を救うという事はこの国に対する明確な反逆であるし、そうすれば朱仝や索超の安否だってどうなるかはわからない。自分は晁蓋のような超人的な力があるわけでもない。ここでしくじれば全員そろって打ち首だろう。第一、この事件の発端はこの男の馬鹿げた行動が原因なのだ。だが……


(……朱仝、索超、ごめん!)


それでも雷横は体を素早く動かすと、その今まさに晁蓋に向かって剣を振り上げた河清を蹴とばした。意外なことにあっさりと、河清は雷横の蹴りを受けてふっとんだ。どこか遠い世界の出来事のように彼もんどりうって地面の上を転がっていく。続けざまに槍を振るうと晁蓋の体を押さえつけていた河濤の体が霧のように掻き消えた。わずかに目で追うことのできた雷横は河濤の体がふっとまた幽霊のように音も立てず、河清の後ろに現れるのを目で追った。


「……何やってんの、雷横ちゃん」


誰もが唖然として自分を見つめる中、起き上がった河清がそう声をかけてくる。唇を切ってはいるようだが、その顔には怒りも驚きもない。覚悟を問うように静かで冷たい瞳を浮かべていた。


「見てわかんない? 今日からあたしも山賊の仲間入りってことだよ」


もはややけくそ気味に宣言して雷横は槍を構えた。途端にちくりと、足に痛みが走る。見ると、非常に浅くはあるが、あの一瞬で河清は自分の足を切りつけていたらしい。とはいえ、大事はなさそうであったが。


「正気とは思えないね。残念だぁ。美人薄命ってほんとなんだねぇ」


と言って河清が軽く右手をあげた瞬間だ。


「くっくっくっくっく、あっはっはっはっはっは! だーーーはっはっはっは」


と雷横の足元にいた晁蓋が馬鹿笑いをあげた。それに思わず雷横も河清も河濤も怪訝な顔を向けた。


「何がおかしいんのさ! 誰のせいでこんなことになってると思ってるの!」


「おう、わりぃ、わりぃ」


代表して雷横が怒声混じりに聞くと、晁蓋は笑いをこらえながらも謝ってみせた。


「いやー、びっくりしたぜ、雷横。まさかお前がこんなことしてくれるとはなぁ」


晁蓋は未だ数名の兵士に取り押さえられ、地面に転がったままである。兵士は彼らの義務感としてというより下手に動くに動けないといった様子で雷横の突然の行動以降も晁蓋を押さえつけていた。


「おら、もういいだろ」


と晁蓋は妙な言葉を口走った。何が、もういいというのか


「いい加減縄を切れ、劉唐(りゅうとう)


「わかったわかった」


その晁蓋の声に応じるように彼の体を押さえている兵士の一人が応じた。女の声だった。

ぎょっとして思わず見下ろした雷横の目の前で、兵士の一人が、いや兵士の格好をしたその人間がぷつんと短刀で素早く晁蓋を拘束している禁気樹を結ぶ紐を切り飛ばした。


 何を考えるよりも早く、雷横は瞬時に後ろにとんだ。


 晁蓋の背に乗っていた兵士たちが嵐に吹かれた木の葉のように吹き飛んでいく。その内の一人が雷横を追うように飛んできて彼女は慌てて身を避けた。と、同時に河濤がその嵐の中心に向かって暴れ馬のように突っ込んでいくのが見える


「散開しろ!」


河清が鋭く叫ぶとその直後に彼の体が吹き飛ぶ。先ほど晁蓋の戒めを破った女が飛び蹴りをくらわせたのだ。が、実際には河清はきちんと防御したのか、目立った傷は見当たらず、女も舌打ちをする。


「味方がいるんだったら、最初から言えーーーーっ!!!」


そこにきてようやく雷横に文句を言うという選択肢が出てきた。冷静に考えればそんな場合では無かったのかもしれないが、それでも言わずにはいられない。


「るっせーな。俺も来てから知ったんだよ」


河濤とがっぷり四つに組んだまま、晁蓋が律儀に返事をしてくる。


「あははっ、悪い悪い。あたしたちも晁蓋の旦那が大人しく捕まってるなんて思ってなかったからさ、予め潜んでたんだよ」


その女が兜を脱ぎながらそう言ってくる。火のような赤毛だった。劉唐と晁蓋は呼んでいたが、これが黄泥岡で索超が見たというもうひとりの実行犯なのだろう。


「呉用の入れ知恵か」


「それで助かったんだから、感謝したって罰あたらないぜ」


面白くなさそうにつぶやく晁蓋に兵士を蹴り飛ばしながら、劉唐が答える。


「おい、お嬢ちゃん。友達が捕まってるんだろ。行かなくていいのかい?」


「お嬢ちゃん言うな! これでもあたしは十七だぞ!」


赤毛の女にそう悪態をつくと雷横はあたりを見回した。河清は既に逃げだしたのかこの場にいない。河濤は晁蓋が抑えていて残りの兵士はその晁蓋の様子を遠巻きに見ているか、劉唐に睨みつけられて動けないでいた。


 雷横は先ほど晁蓋によって吹き飛ばされたその兵士を引き起こすと手早く問いを発した。


「朱仝はどこ?」


「ち、地下牢ですっ!」


こちらが元上司ということもあってか、兵士はあっさりと口を割った。それさえ聞けば用は無く、雷横は彼を開放すると、見慣れた濮州の庁舎内を走り出した。








「朱仝! 返事して!」


飛び降りるような速度で階段を駆け下りると雷横は地下牢の奥に向かって声をかけた。


「雷横!? こっち!」


全く事情のわかってないらしい牢番から鍵束をひったくると雷横は声の出た方向に走った。朱仝も何も詳しい状況はわかっていないはずだが、こちらの切羽詰まった声を聞いてただごとではないと判断したのだろう。声を張り上げて自分の位置を教えてくれた。


「さっきからさっきから騒がしいけど何かあったの?」


「晁蓋さんが上で暴れてるんだよ!」


隣の牢にいる索超の質問に雷横は端的に答えて、朱仝の牢につけられている鍵を一つ一つ穴にさしていった。ここに閉じ込められていた朱仝が一体どこまで事情を把握しているのかはわからなかったが、その一言で朱仝は大概の事情を察したようで苦い表情を浮かべた。索超はさらに何か聞きたそうにしていたが、雷横は機先を制して口を開いた。


「悪いけど、それ以上の事は後にして! 今はすぐにここから出ないと……くそっ、どれだ、どれだ……」

牢の鍵はどれも同じような形なのでひどくわかりにくい。不運な事に最後に試した鍵でようやく朱仝の部屋の檻が開いた。

 雷横はそれを確認すると鉄格子の間から短刀を彼女に渡した。朱仝はすぐさま、その短刀を受け取ると自分を縛っている禁気樹を断ち切る。そして、次の瞬間、朱仝をつないでいた足環と鎖が一人でに解けた。


 その間に雷横は索超の牢屋の鍵を同じようにがちゃがちゃといじり始めていた。しばらくして、索超の牢屋の鍵も開く。


「それでこれから逃げるということですね」


と同時に自由になった朱仝が扉を開けつつ、雷横に確認するように聞いてきた。最低でも数日、この薄汚い牢屋に閉じ込められていたはずだったが何か呪術でも使ったのかと聞きたくなるほどに彼女の美しさは損なわれていなかった。身につけているのも薄汚い囚人服だというのに彼女が着ていると逆に妙に色気がある。特に擦り切れた服の裾から覗く太ももは男だったら垂涎ものだろう。


「そう。悪いけどこのまま、とりあえず町の外にでて……」


と索超の体を拘束している鎖の鍵を解きながら雷横は答えたが、途中でその言葉を遮るようにして、この牢の唯一の出入り口である階段からバタバタと足音が聞こえてきた。


「残念だぞ、雷横。まさか、おぬしが賊と通じていたとはな……」


見ると先頭に立っていたのは総兵管だった背後に、連弩を構えた弓兵を十人ほど連れてきている。。


(ま、そう思われても仕方ないか……)


雷横は皮肉げに口元を歪めた。とはいえ、状況は笑えるほど余裕があるわけでもない。逃げ場のない狭い通路で兵士が弓を使ってこっちを狙っている。しかも距離はそこそこあるため、矢が発射される前に切り抜けるのは難しいだろう。


「朱仝、それに索提轄。大人しく牢に戻るが良い。今なら何も見なかったことにしても良い」


「お断りですわね」


と間髪入れずに朱仝が答える。


「あたしもあたしも悪いけど、牢に戻る気は無いよ。正直何が起こってるのかはわからないけど、雷横さんを信じる」


「そうか。発射用意」


朱仝と索超の答えを聞くと総兵菅はそれ以上こちらに何も言わず、だしぬけに兵に指示を下した。兵たちは多少驚きつつも連弩の引き金に指をあてる。


「あたしがあたしが最初に行く」


雷横と朱仝が止める間も無く、索超が二人をかばうように先頭に立った。


「……任せた」


雷横は索超が何をするつもりかは知らなかった。しかし、彼女がそういうからには勝算があるのだro

う。雷横にとっても彼女の意図を詳しく聞く時間もない。


「地上に出たらどっちに行ったらいいのか、指示お願いね」


言い残すように索超が告げて一歩前に出る。


「撃て!!!」


即座に総兵菅が命じて、矢が放たれた。それと同時にまた索超もまた矢のような勢いで正面の兵士たちに向かって突進していく。


 ダダダダダッと大型の雨粒が連続して天井板を打つような音がし、索超の体に無数に矢が刺さった。彼女は腕を顔の正面で交差させ、顔面への矢は防いだようだが見た目からして痛々しいことこの上ない。


 それを見て兵士たちに安堵の息が漏れ、雷横と朱仝が息をのんだ次の瞬間、


「いったーー!」


索超がそう叫んで腕を振るう。と彼女にささったはずの矢がばらばらと床におちた。いや、よくよく観察して見れば矢が刺さった場所はかすり傷程度の傷しかできていない。


「弾いた……!? 金内功か!?」


総兵菅の顔が驚愕に歪む。が、彼もいつまでも呆然としていたわけではなった。


「そんな事出来るんなら先に言ってよ! 本気で心配しちゃったじゃない!」


その索超を追い越しながら、雷横は喋った。


「話す話す隙無かったでしょ!」


索超が反論するように声を上げるが雷横は聞いてはいなかった。


「弓捨て! 剣持て!」


総兵菅が矢継ぎ早に指示を出し、兵が慌てて動く。連弩は威力は高いが、連射ができないのが難点だ。だが、兵士たちが剣を構えるより先に彼らに走り寄った雷横が正面にいた兵士の顔面に槍の柄を振り下ろした。


「どけっ、どかなきゃ怪我するよっ!」


雷横ががなり立てるように言うと半ば反射的に兵の何人かが道を譲る。総兵菅と違って、彼らはまだ、雷横を敵に回したことをそれほど割り切って考えていないのかもしれなかった。もちろん、雷横や朱仝の恐ろしさが身に染みてわかっているというのもあるのだろう。


 しかし半数ほどの兵士は果敢にも雷横達の道をふさごうとしてきた。が、それらの兵士はほぼ全て雷横の持った槍で叩きのめされる羽目になった。


「ふっ」


総兵菅はその隙に後退すると、階段の上から息を吐いて剣を唐竹に雷横に振り下ろしてくる。それを雷横は槍の柄で受け止めた。


「お世話になりました」


その雷横のさらに背後から朱仝がそう言い放つと雷横の体の横から蛇のように鎖が飛んで行き、総兵管の体をぐるぐる巻きにして階段の上から引きずり下ろした。雷横は予め心得たようにそれを避けると、総兵管は同じように鎖で縛られた兵士の塊へと突っ込んでいった。その間に再びまた入れ替わるように索超が雷横の横を抜けて先頭に立って階段を駆け登った。


「どっち!?」


「左!!」


地下から飛び出した索超の問いに即答して、雷横も後へ続く。後ろでは朱仝によって互いに繋がれた兵士たちが混乱しながらわめいていた。


「馬屋に行くつもりですか!?」


「そうだよ! さすがに徒歩じゃ逃げられない!」


朱仝の質問に雷横は即座に答える。


「な、なんでなんでこんなことになってるの!? というか楊志は!!? 滄州(そうしゅう)の情報は間違いだったとしか聞いてないんだけど!」


走りながらそれをずっと気にしていたらしく索超が尋ねてくる。


「楊志は滄州から脱走して行方がわからなくなってる! こうなったのは晁蓋の馬鹿のせい!」


そこはかとなく自分のせいでもあるのだが雷横は勢いで晁蓋に全責任をおしつけた。


「馬屋は馬屋は後はまっすぐでよかったよね!!」


索超はぼんやりと政庁の構造を憶えているのか雷横の返事を待たずに馬屋を目指していく。


「合ってるけど、中庭は避けよう!! そっちで晁蓋が大立ち回りをやってるはずだから!! 次を左に曲がって!」


雷横が言っている最中にも人の悲鳴と剣戟の音が中庭の方角、すなわち正面から聞こえてくる。索超は特段返事を返してはこなかったが、進路は雷横の言うとおりに走っていく。


「それにしても、もうちょっと穏やかになりませんでしたの!?」


「あたしだってそうしたかったよ! けどあの人が絡んだ以上、無理!!」


朱仝の指摘、というよりは愚痴に近いその言葉に雷横は律儀に走りながら反論した。

ちょっと中途半端な場所ですが、きりのいいところまでやろうとすると、長すぎるのでここで一旦中断です。

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