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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第五話 別離編
75/110

その三 雷横、尋問を受けるのこと

「弱ったなぁ……」


雷横(らいおう)は彼女にしては珍しく弱気な声をあげると、馬上で思わず顔を抑えた。視界の彼方に濮州(ぼくしゅう)の町が見え始めてきている。そしてそれが一層のこと、雷横を憂鬱にさせた。


 原因は楊志(ようし)がまたもや行方不明になってしまったことにある。


 およそ一月ほど前、楊志が滄州(そうしゅう)で捕らえられたという話を聞いて、雷横は滄州へと向かった。表向きは楊志の護送のためである。わざわざ雷横が行くこともあるまい、という話は無かったわけではないが、雷横と朱仝(しゅどう)はそうした反論を楊志が気功使いだから万が一にも暴れたら大変だという理屈で強引に突破した。実際には仮に気功使いの罪人であっても通常、囚われの身となれば、それを封じられる措置をとられているはずなので雷横や朱仝の主張は普通に考えれば杞憂である。だが何にせよ、彼女たちの主張は結局認められた。


 折良く、この知らせと前後して晁蓋からも手紙が届き(おそらく他の人間が代筆したものだろうが)、石碣村(せきけつそん)という場所で財宝を引き渡す準備もできたという。そこで雷横達は楊志をどこかで逃し、財宝の場所を教えて、楊志がそれを回収したら、別の町に雷横ともどもそれを知らせる、という手段を取ることにした。これならば、知州(ちしゅう)に楊志の功績をもみ消される心配もない。彼の面子は丸つぶれになるだろうが、そこを考慮するほど、雷横達は慈悲深くは無かった。


 しかし、滄州に行ってみれば、楊志はおらず役人に尋ねても返ってきた答えは楊志という人間が捕まったのは間違いだったというなんともとぼけた回答だった。無論、雷横がそれで納得するわけもなく、応対に出た役人に斬りかからんばかりの勢いで問い詰めはしたものの、それで楊志が出てくるというわけでもなく、結局は引き下がらざるを得なかったのである。


 その後、町中で聴きこみをしたり別の役人に金を握らせて話を聞いたところ、どうも楊志は確かに一度捕まったものの脱走したらしい、ということがわかった。それも単独ではなく、林冲(りんちゅう)という別の罪人と一緒らしい。


 林冲の名前は雷横も知っている。女性でありながら禁軍の武術師範代まで上り詰めた人物である。おそらく女性限定ならこの国で最強と言っていい人物だろう。そんな人間がいつの間に罪人としてここに囚われていたことにも驚いたが、雷横にとっては楊志が逃げ出した方がより深刻である。


 一度目は楊志もまさか自分が指名手配を受けているとは知らなかったからあっさりと捕まえることができたのだろうが、二度目はそうもいくまい。もはや今度はやすやすと彼女が捕まることはなかろう。となれば、自分達が楊志に会うのは非常に難しくなってくる。


 一緒に逃げ出したらしい林冲が唯一の手がかりなのだが、どうやら滄州はこの二人が逃げたことをひた隠しにしているらしく、州外にはまともな捜索隊も出されていないようだった。もっとも林冲について聞いている噂が事実なら彼女を捕まえることの困難さは楊志のそれよりも数段上ではあるのだが。


 そんなわけで雷横は意気消沈して滄州を出ると、同行している従者の目を盗んでこっそり石碣村で晁蓋に落ち合い、今しばらく、財宝を持っているように頼んでからこうしてまた濮州に戻ってきたのである。しかし朱仝はまだ良いとしても、このことを索超(さくちょう)に伝えるのは考えるだけでも億劫だった。今、彼女は疑いが晴れてから雷横の屋敷に逗留しており、自分と楊志が戻ってくるのを一日千秋の思いで待っているはずなのだ。


 そんなわけで雷横は町に戻ると、城門の兵士に知州と総兵管が町に戻り次第、庁舎に来いという伝言を受け取ると、自宅に戻らずにそのまま、庁舎へと向かった。


「雷横。只今もどりました」


いつもの知州の執務室に通された雷横は入り口で礼をすると、室内を見回した。そこには知州と総兵管(そうへいかん)だけでなく、見知らぬ二人の男がいた。


 二人の男の年齢はどちらも二十代半ばと見受けられたがそれ以外は何もかもが対照的だった。一人は小柄な男で、へらへらとした興味深げな笑いを浮かべている。服装は一応軍属のものであったが、金持ちのボンボンが悪戯半分に着てみました、というような風情であった。栗色の髪も女のように艷やかで全体的に軽薄な印象を受ける。いや、というよりも軽薄という言葉がそのまま人になったもの、と言った方が良いくらいだ。一方、もう一人は山のような大男だった。上背はおそらく晁蓋より高く、腕も丸太のように太い。黒い髪を短く刈りこんでおり、顔は静かな無表情が支配していた。小男の方を軽薄と評するなら、こちらは重厚と評するのが適当だろう。こちらも軍人らしく鎧を着ているが、鎧を着ていなかったとしても、市井の人間には到底見えない。


「失礼ですが、そちらのお二人は……?」


「雷横よ。それよりもおぬしは滄州から楊志を護送してきたのではないのか? 肝心のその楊志はどうなった?」


雷横の問いを無視して知州はいつもどおりその小さな体を精一杯大きくみせるような尊大な口調で問いを発した。雷横はふとその時になって朱仝がこの部屋にいないことに気づいたが、知州の様子はその疑問を差し挟むのを許してくれそうになかった。


「それなのですが……」


と、雷横はため息と共に自分が滄州で言われたことを伝えた。ただし非公式に得た林冲との楊志脱走云々は話さなかった。林冲がどのような罪状であそこにいたのかはわからないが、禁軍の武術師範代まで務めた彼女が罪に問われるとは余程のことであろう。下手にそのことを伝えるのは楊志が林冲の仲間だと思われてさらなる罪状が課されかねない事を危惧したのである。


 結果として雷横は滄州の連絡がそもそも間違いであったのみを話すに留まったのだが、その言葉に対し、真っ先に反応したのは知州でも総兵管でもなく、先ほどの軽薄な男だった。


「知州さん、知州さん。こいつはちょっと話が違うんじゃねーの?」


男の声はその外見から受ける印象通り、毬のように軽く落ち着きがなかった。


「悪いけど、俺っち達も上からきっつく言われてんだよね。ま、個人的にはあの老い先短い蔡京(さいけい)のじーさんがこれ以上金もらってどーすんだって気はするけど」


とその言葉で雷横は男の正体を概ね察した。その男はくるりと雷横に向き直って言葉を続ける。


「ども。君が雷横ちゃんだね。うんうん、可愛いって聞いてたけど、こりゃ期待以上だねー。あ、俺っちは河清(かせい)っていうの。今回の事件を調べるために禁軍から派遣されてきたんだ。査察官っていう名目だけど、そう気張らなくてもいいから。あ、ちなみに後ろにいる無愛想なのが兄貴の河濤(かとう)ね」


 おそらくこの被害額の大きさと被害者が蔡京というこの国きっての大物であることからこんな連中が派遣されることになったのだろう。ただ雷横にとっては何よりも、この二人が実の兄弟だと紹介されたのに一番衝撃を受けた。どう見ても兄弟どころか、十代遡っても血の繋がりなどまるで見えないような二人である。


 河清はこちらが何かを言おうとする前にまたその軽薄な笑みを貼り付けたまま、しゃべりはじめた。


「あっはっは。驚いてる驚いてる。似てないってのは良く言われるんだけど、これが正真正銘血を分けた兄弟なんだよな。ちなみに兄貴の方が母親似。ま、それはどうでもいいんだけど」


と立て板に水を流すようにべらべらと河清はしゃべり続ける。ちなみにこの間、兄の河濤は唇どころか眉一つ動かさない。


「ええと、お目にかかれて……あー、光栄です。雷横と申します」


男の勢いに圧倒されて、雷横は使い慣れない敬語でやや硬い挨拶を口にした。


「うんうん。いいんだよ。そんなに緊張しなくって。仲良くやってこうじゃないの。僕らも君もこの事件を解決したいっていう思いは一緒だからね。仲間よ、仲間。おっともちろん、雷横ちゃんなら私的な意味でも大歓迎だよ」


河清というその男はそう言いながら雷横に近づいてきた。どうやら軽いのは体つきだけではなく、頭の中身のほうもらしい。


「いやーでもびっくりしたよ。まさか、濮州の歩兵都管がこんなカワイコちゃんだったなんてねー。騎兵都管の朱仝ちゃんもそうだったけど、あっちはどっちかっていうとキレイ系かな。ああ、もう禁軍なんか辞めて濮州軍に入っちゃおうかなぁ。前は楊志ちゃんとか林冲ちゃんとかいたのに、二人ともいなくなっちゃうんだもん」


楊提轄(ようていかつ)を知ってるんですか?」


前半のというか、それ以前にかけられた言葉を全て無視して雷横は河清に尋ねた。だが、河清はその辺りに何も痛痒を感じていないようで平然と会話を続ける。


「そりゃ知ってるさ。あの子も禁軍にいたことあるからね。よく覚えてるよー。いっつもこうまじめにキッとしてるんだけどさ、ちょっと抜けてるところがあってね。でもまあ、そこがまたいいって言うか……慌てた時に崩れる顔が可愛いんだよ。からかいがいがあるよね、ああいう子は」


「はあ……」


雷横が聞きたかったのはそういうことではないのだが、とりあえずは適当に相槌を打つ。


「とにかくまあ真面目な子だったからさー、正直意外なんだよね。まさかあの楊志ちゃんがこんなことしでかすなんて。出世街道から外れてやけになっちゃったのかね。確かに目の前に十万貫なんてあったら誰だって邪な考えは持っちゃうわな」


どうやら幾分ねじ曲がっているものの、この男は楊志に対して好意的な感情を持っているらしい、と雷横は判断した。それはどれほど重いものかは、わからないが。


(……ひょっとしてうまく使えば、楊志さんの疑いを晴らせる……かな?)


雷横はふとあの事件以降の自分達の考えを一切合切この男に喋ってしまおうかとも考えた。無論、知州や総兵管のいないところでこっそりと、という事になるが。この男と内密に会うのは何か本能的な危機感を覚えるが、そうも言ってられる状況ではないだろう。


「ところでさ、雷横ちゃん。楊志ちゃんの仲間で晁蓋(ちょうがい)っていうのがいるんだよね? 雷横ちゃん、知り合いなんだって?」


と、そこで雷横の思考に割り込むように河清が声をかけてきた。


「ええ、済州(さいしゅう)軍時代の同僚ですが……?」


「ああ、うん。朱仝ちゃんからも聞いた。恐ろしく強い男なんだってな」


河清は不自然なまでに何度も頷いてそんなことを言ってくる。


「雷横ちゃんや朱仝ちゃんよりも強いの?」


「残念ながら……比べ物になりません」


多少忸怩たる思いがありながらも雷横はそう口にした。


「惚れてた?」


「まさか」


河清の質問に雷横は思わず失笑した。


「図抜けて腕っ節は強いですがそれだけの男です。見ているだけなら面白いで済むかもしれませんけど、深く関わりたいとは思いません」


「でも、楊志ちゃんはその晁蓋と組んだわけだ」


「どうでしょう……今にして思えば、楊提轄は脅されていたのかも知れませんね。あの男がやりそうなことではあります」


雷横は自分でも多少白々しいかな、とも思いながらそう言ってみた。この男は楊志に対し、好意的な感情を持っているようだし、そういう考えを植え付けることも何かの役に立つかもしれないと思ったのだ。ちなみに晁蓋が脅迫等というまだるっこしい手段を取るなどとは雷横自身はかけらも思ってない。


「どうかな? 俺っちは楊志ちゃんが多少脅されたところで盗賊の言うことに唯々諾々と従うとも思えないけど」


だがその雷横の目論見はあっさりと崩れた。雷横は心中で舌打ちしつつも、河清の言うことに多少共感も覚えた。楊志は晁蓋のような男に脅されても、任務を放棄してしまうようなことは無いだろう。


(多少騙されやすそうではあったけどね……)


楊志の姿を思い浮かべながら他愛もないことを心中で呟いた。今頃、変な男に騙されたりしてなきゃいいけど、と平和な悩みを浮かべてみる。


「雷横ちゃんだったらどう? その晁蓋って男に殺すぞって脅されたら、言うこと素直に従っちゃう?」


河清の言葉はあくまで世間話のような何気ない体を装っている。彼の言葉や表情も先程から何か変化があるわけではなかった。相変わらず、へらへらとした軽薄な笑みを浮かべている。


 変化があったのはその背後に控える河濤のまとう雰囲気だった。先程から表情だけは全く変わらないが、彼の全身は矢が放たれる寸前の弦のように引き絞られ緊張を帯びていた。雷横は反射的に腰に携えている武器に手をやりかけて、慌てて思いとどまったほどである。


 河清はその雷横と背後の河濤の様子を見て、軽く舌打ちをしてみせた。どうやら今までの会話は単なる世間話でもなければ、河清の純然たる趣味でも無いらしい。明確な目的をもってなされたもののようだった。そしてその目的は河濤という弓の引き絞られた先、すなわち自分である。


(なるほどね……)


と雷横は自分でも不思議な程に冷静になりながら河清と河濤の考えを察した。つまり、どうもこの男たちは晁蓋と協力して財宝を強奪したのが、楊志ではなく自分や朱仝ではないかと思っているらしかった。今までのこの話も単なる雑談ではなく自分から何かを聞き出そうとしての事だったのだろう。


 確かに考えてみれば、晁蓋との接点は楊志よりも自分や朱仝の方がはるかに多い。というか、今まで知州の思惑もあって見逃されていたが、楊志と晁蓋が接点を持っていることの方が不自然だ。晁蓋が済州の田舎者なのに対して、楊志は生まれた時から(みやこ)にいた上級武官の一族の人間である。自分達なら楊志達の行程を知ることもできたし、この辺りの土地勘もある。公平な目で見て自分と楊志のどちらかが犯人だと言われたら誰だって自分を指すだろうし、もっと言えば、自分達が楊志が行方不明になったのをこれ幸いと、全てを押し付けたようにも見えるかもしれない。


 二人の男の表情から察するに河清はもうしばらくこんな風にしゃべり続けて自分から何かを聞き出そうとしたらしいが、兄の河濤は河清ほどの曲者では無いらしい。あるいは弟の迂遠なやり方にしびれをきらせたのかもしれなかった。


 だがそれでも疑問は残る。ここまで自分に対する疑惑を露わにして、この男は一体どうするつもりなのだろう。禁軍からやってきたというが、まさか千や二千も部下を率いてきたわけでもあるまい。となれば、当然この件を解決しようとするなら地元の軍事力を実質的に掌握している自分や朱仝に協力してもらわなければ話にならない。しかしこんな態度では自分達の積極的な協力を得るのは不可能だ。つまり、河清の態度は一言で言ってしまえば軽率だった。


(つまり、あたしがそれでも協力するとたかをくくっているか……それとも何かよほど強固な証拠でもあるの?)


なんとなく雷横は後者である気がした。河清という男はそれほど馬鹿ではなさそうだし、それ以上にわざわざ他人の不興を買って自分の仕事を増やしたがる人間には見えなかった。どちらかと言うと仕事については極力手を抜く……つまりこっちの事をおだてて転がし、手柄をかっさらうような人間に思われる。


(どうするかな、これは……)


無論、楊志の疑いが晴れるのは自分としては歓迎すべき事態ではある。だがそれと引き換えに自分と朱仝が犯人に仕立て上げられてしまうとなれば、手放しで歓迎するわけにもいかない。さしあたってはこの場にいない朱仝の状況と、そしてこの男が何を以って自分と朱仝にこんな疑いをかけているのかを知りたかった。


 雷横はちらりと自分の正面にいる総兵管と知州の様子を伺った。二人の顔つきは明らかに河清が雷横にこうした尋問まがいのことを行っていることを歓迎してはいなかった。それは無論、雷横のためを思ってというわけではなく、この濮州軍から逮捕者が出ることを忌み嫌ってのものだろう。だがいずれにせよ、その態度は雷横にいくつかの情報をもたらした。


 河清の言動から察するに、この男は自分がこの町に帰ってくるより前に朱仝に会い、同じような質問を彼女にしたはずだ。もし、その結果、朱仝が逃走するなどの明確な反抗を示していたら、知州と総兵管はあんな風な態度をとっていないだろう。失点を回復するために必死に河清と共に自分を追求する側に回っているはずだ。


(つまり、朱仝が晁蓋の一味だって確定しているわけじゃないってことだ……)


 それは同時に河清が掴んでいる何か(そんなものがあればだが)が決して万人を納得させうるようなものでもないことも同時に示している。あるいは少なくともそれを知州や総兵管に開示はしてない。となれば、せいぜい朱仝が受けている措置はこの政庁のどこかに軟禁と言った程度であろう。またおそらく索超も似たような状況に置かれていると考えた方が良い。自分と朱仝が楊志に罪を押しつけたと考えるなら、索超がそれに関わっていないと考えないわけがない。


「朱仝にも同じことを聞いたんでしょ。あたしの答えも朱仝と一緒だよ」


敬語も忘れて雷横は河清に反抗的に答える。知州や総兵管が何か言いたげに口を開くがそれを制したのはほかならぬ河清だった。


「あははは、朱仝ちゃんと一緒かー、なるほどねー」


河清は雷横の様子に少しも怯むことなく、朗らかに笑ってみせる。だが、雷横にしてみればその笑みはこの男の危険な本性を隠す薄絹のようにしか感じられなかった。その裏側にあるものが既に隠しきれていないという意味も含めて。


「ああもう、こういうやり方はすきじゃないんだよねー。雷横ちゃんとだったら仕事抜きでもずーっとおしゃべりしてたいのにさ。まあ、宮仕えの苦しみだねえ。仕方ないから本題に入ろうか」


とそこで、河清の雰囲気が一瞬別人かと錯覚するほどに変わった。だらしのない目元と口元がすっと鋭く引き伸ばされ、視線も雷横の背中まで見通すかのような鋭いものになる。


「雷都管、開封府(かいほうふ)、つまり枢密院(すうみついん)蔡丞相(さいじょうしょう)は君ら濮州軍の報告に納得していない」


開封府とはこの国の首都のことだ。一言で言ってしまえばお偉方連中ということになる


「それは……楊提轄が犯人であるわけがない、ということ……ですか?」


もう一度、言葉遣いを直して雷横は尋ねた。すると、途端に河清の雰囲気がまたもとの軽薄な態度に戻った。

「違うんだなー、これが。財宝を盗まれて犯人にも逃げられました、なんて報告は聞きたくないってことなんだよ」


その答えに雷横は思わず笑い出したい気分になった。この前、そういって暗に報告を直すように告げた知州の事を雷横は軽蔑しきっていたが、どうやら彼のこういう態度は決して珍しいものではないらしい。この国の上層部も彼と同じような連中だということだ。


「で、もちろん査察官として派遣された俺っち達も同じような報告をしたらぶん殴られるじゃあすまない。さて、賢い賢い雷横ちゃんが俺っちの立場だったらどうする?」


「犯人をでっちあげる、ですか?」


「うわぁお、顔に似合わず結構物騒な考え方するね」


雷横は皮肉のつもりで言ったのだが、河清は通じなかったのか、それとも意図的に無視したのか、大仰に驚いてみせた。


「正解はちょっとでも関わりそうな奴を引っ張ってくる、だ」


「……同じでしょう、それは……」


「違う違う。少しでも収穫があれば、まだ許されるってことさ。少なくとも君と朱仝ちゃん、索超ちゃんの三人は財宝の隠し場所を知っているでしょ?」


その言葉に思わず雷横の背中を悪寒が這い上がった。何故だ? 何故この男はそんなことを知っている? 


 河清が言ったことは事実だ。雷横がこの街を出る前に晁蓋から手紙が届けられた手紙の内容は、自分と朱仝、索超の三人で確認している。


 朱仝や索超が話したのか? いや……それなら、とっととその財宝をとりに行くべく人が派遣されているだろうし、自分のことなど問答無用で捕まえればいい話だ。総兵管や知州を見たが、二人は困惑したような、祈るような目でこちらを見ている。それはつまり、その言についてもまだ目の前の男が掴んでいる何かがやはり説得力の無いものだという事を意味している。だが河清はあくまで自信満々だった。


 しかしこのちぐはぐ具合はどういう事なのだろう。先ほど河清は朱仝や自分が晁蓋の一味だと確信しているようだがそれは誤解である。だが、この情報についてもこの男は同じ程度の確信を持っているようだった。


(ひょっとして、当てずっぽうに言ってるだけ?)


もしそうだとするなら大した役者である。


「なんの、ことでしょうか? 知ってたらとうに報告してますよ」


「……雷横ちゃんはわかりやすいな」


「ちょっと、不愉快な物言いはやめてくれる?」


くすりと今までの笑みとは違い、真に心の底から湧き出たような河清の嘲笑を見て、雷横は意図的に敬語をかなぐり捨てた。


「禁軍から来たんだかなんだか知らないけど、そこまで人のことを悪し様にいうからには、覚悟はできてるんだろうね」


「覚悟? 悪いけど覚悟なんて生まれてこの方したことないよ」


雷横の啖呵に対し、河清は心底面白そうにくっくっくと笑うと、そんなことを(うそぶ)いた。


「まあ、素直に認めないならそれもそれでいいさ」


「王総兵管」


「……え、あ、何でしょう?」


河清に突然呼びかけられた総兵管はうろたえたような声をあげた。河清は先ほど一瞬だけこちらに見せた軽薄とは程遠い雰囲気をその身にまとっている。


「前にも言ったけど、今回俺っち達はこの件に関しては蔡丞相に直接報告を奏上することになってる。無論、濮州の皆さんがどれだけ協力してくれたかもそこには記す予定だよ」


それはつまり、雷横のみならず目の前の知州や総兵管の今後の人生をこの軽薄な男が握っているという事実だった。知州や総兵管は既にこの事を知らされているのか冷静なままだったが。


「楊志ちゃんが来るというから彼女をしょっぴいていくのも有りかと思ってたけど、来ないっていうなら猶予はこれまでだ。雷都管に財宝の奪還と犯人の拘束を命じてもらおう。期限はそうだな……十日だ。それを超えたら捕らえてある朱仝と索超を拷問室に移せ」


「なっ……!」


河清のあまりに無茶といえば無茶な要求を聞いて、雷横は驚いた。が、真に驚愕すべきなのは、雷横が一部ではあるが、その命令が達成可能であることを彼女自身わかっていたからだ。少なくとも、今、晁蓋に預けてある財宝をここに持ってくることは可能だろう。その狙ったような内容に雷横は安堵よりも薄気味悪さを覚えた。


 と、同時に雷横は確信した。良くも悪くも、この男、ひいては都の連中は犯人が誰かという点には全くが興味ない。重要なのは犯人が捕まったかどうかと財宝を取り戻せたかどうか、なのだ。仮に雷横が適当な山賊をしょっぴいてきても財宝さえ戻ればその人間を黙って犯人として扱うだろう。


「……雷横よ。聞いたとおりだ」


一方、王総兵管は深い溜息とともに、同情するような視線を雷横に向けた。


「儂も知州も無論、そなたが賊とぐるになっている等という事は信じてはおらぬ」


それが彼自身の保身から出た言葉だとしても、雷横はその言葉に少し救われた気がした。


「だが、そなたも自分の同僚が無実の罪で拷問室に放り込まれる事になるのは納得はいかぬだろう。総兵管として命じる。至急、財宝を奪還し、可能ならその晁蓋という男を取り押さえてこい」


 拷問というのは対象が知ってる事を聞き出す行為ではない。拷問する人間が聞きたい事を喋らせる行為なのだ。朱仝が無実であるのは雷横も当然知っているが、彼女とて拷問室に送られれば、あっという間に晁蓋の一味であったと自白するだろう。拷問とはそういう仕組みなのだ。これは頑張ってれば耐えられるというものではない。それを雷横も総兵管も十分に熟知している。


「……承知いたしました」


雷横は不承不承であるが、頷かざるを得なかった。拒否したところで結末は一緒だし、この場で暴れて朱仝や索超をどうにか逃すというのも現実的な選択肢ではない。他の人間はともかく、河清は底が知れない不気味さを持っていたし、その後ろに控えている河濤は明らかにただものではなかった。勝てない、とは言わないが決して分の良い賭けではないだろう。


「ですが、条件を二つほど、よろしいでしょうか」


「言うてみよ」


「一つは期限を十日でなく十五日に延長してほしいのですが」


総兵管がちらりと河清に目配せすると彼はあっさりと首を縦に振った。


「認めよう。もう一つは?」


「あたしが帰るか、約束の刻限がすぎるまでは朱仝と索超には誰も指一本触れぬことです」


「無論だ、構わぬ」


王総兵管は今度は河清にはばかることなく頷いた。それは砂一粒ほどのちいささではあったが、彼の示した矜持であったのかもしれない。


「では、早急にこれより出発いたします。百名ほどの兵を率いて出ますので」


「……もう少し多くてもかまわぬが?」


「いえ、下手人との戦闘においては兵などいくらいても、一緒です」


「そうか……」


最後に雷横は軍隊式に礼をするとくるりと振り向いて、部屋から出て行くことにした。


「がんばってねー」


後ろからかけられた河清の脳天気な言葉に雷横は腸を煮えくりかえらせた。

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