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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第五話 別離編
74/110

その二 呉用、雷横について 語るのこと

「そう言えば、晁蓋(ちょうがい)や師匠……公孫勝(こうそんしょう)さんはここにはいないんですか?」


一通り宋江(そうこう)の周りの面々が互いに自己紹介を終えたところで、宋江はそんな疑問を口にした。決して話が彼にとって都合の悪い方向に飛ぼうとしたのを避けたかったわけではない。決して、決っっっして話が彼にとって都合の悪い方向に飛ぼうとしたのを避けたかったわけではない。


「あっと……そうね。そっちの話を先に済ませようかしら」


ただ、宋江の思いがどうであれ、司会役の呉用(ごよう)もさっきのような雰囲気はごめんだったらしく、宋江の会話に乗る事にしたようだった。その呉用の態度に何人かが不満気な視線を彼女に向ける。


「あー……まあ、あれよ。家庭内の事情に部外者が入るのもなんだし、複雑な話はまた身内だけでやってちょうだい」


「呉用さーーん……」


「情けない声をあげないの。あんたが自分でまいた種でしょ」


わざわざ言わなくても良いことを、と思いながら宋江は彼女のことを恨めしげに見上げたが、呉用がそんな彼の泣き言を真っ当に受け付けるはずもない。彼女は牛刀を振り回すような勢いで涙目の宋江の声をはね返した。


 今、宋江達がいるのは船着場の桟橋から坑道のような細い通路に入ってすぐにある大きな部屋である。岩山をくりぬいて作られたその部屋の中心には大きな卓がどんと置かれている。この卓は外から持ち込んだもの、というわけではなく、岩山をくりぬいた際に机の形にして残したのだろう。公孫勝は気功を使って気軽に穴を掘ったりしていたからこの卓も彼女の手際によるものだと思われた。


 とはいえ、卓はこれほど大人数が使用することを想定してなかったのか、何人かはその卓から少し離れた壁によりかかったり、あるいは木箱の上に適当に腰掛けたりしている。ちなみに宋江はこの場の中心人物、ということで半ば強制的に一番奥にある長椅子へと座らされていた。その右腕は宋清にしっかりと抱え込まれている。


「それにその辺の事情は少なくとも楊志さんにも知ってもらった方がいいだろうし」


「私……?」


呉用の言葉に楊志は自分自身を指さして不思議そうに首をかしげる。ちなみに彼女については表向き、宋江に命を救われてその見返りに宋江達を見逃すことにした、という説明が一応はなされた。無論、実情については公然の秘密であったが。


「まず結論から述べましょうか。晁蓋と公孫勝、それに劉唐(りゅうとう)の三人は今、濮州(ぼくしゅう)に行ってるわ……いえ、ひょっとしたらもうそろそろ帰って来るころかもしれないけど」


「濮州……?」


濮州はこの梁山泊(りょうざんぱく)の北西にある町である。かつて楊志が黄泥岡(こうでいこう)で晁蓋に襲撃される直前に滞在した町でもあり、宋江もその情報収集のためにで数日滞在したことがあった。


「何故、そこに行ったかと言うとね……宋江、あなた雷横(らいおう)って覚えてる?」


呉用の問いに宋江はこくりと頷いた。雷横とはその濮州にいる女性の高級軍人の名前だ。宋江も一、二回であるが彼女とは顔をあわせたことがあり、彼女のことはよくおぼえている。それだけでなく雷横は楊志の友人でもあるのだ。


「表向きは晁蓋はその雷横に捕縛されて、公孫勝と劉唐がそれを助けに行っている……といえばいいのかしらね」


「表向きは……?」


「順をおって話すわ。そうじゃないと混乱するでしょうし」


呉用の言葉通り混乱している宋江と楊志の顔を見て、呉用は軽く頷いて話を続けた。


「まず、あなたと楊志さんがここからいなくなるのと同時期に起こった事を話しましょうか。あなた達、知らないだろうから。実はその雷横と朱仝(しゅどう)……こっちの人もあなた達は知ってるわね、その二人は黄泥岡の事が晁蓋の仕業だということにすぐに気づいてあいつのところに押しかけたらしいの。三人はもともと済州(さいしゅう)の軍にいた時の知り合いだったらしくてね。私も晁蓋の軍人時代の交友関係までは知らなかったから、迂闊だったわ」


自分の額を軽く小突きながら呉用は最後の言葉を独り言のように付け加えると、また顔をあげて話を元に戻した。


「で、その二人と晁蓋の間で取引がなされたの。晁蓋からの要求はこの事件の下手人は晁蓋と劉唐の二人のみであると報告するということ。そして二人の要求は楊志さんに対し財宝の一部を返還しろという要求だったわ」


「わ、私に?」


楊志が少し上ずった声をあげる。そこで宋江は雷横と朱仝はもう一人、索超(さくちょう)とう人物とともに楊志の事をこの件の犯人として手配をかけた張本人達だという事実も思いだした。もっとも呉用の話を聞いた楊志の表情は意外そうというよりもどこか安堵したような色合いが強い。彼女もなんだかんだで自分の友人達のことを信じていたのだろう。


「そうよ。……ここまでがあなた達がここからいなくなるのとほぼ同時期に起こったこと。そしてここからが、先日ここに来た雷横が新たに語った話。つまり宋江がここからいなくなってから起こった話よ」









「いったい、どういうことなのだ、これは!!」


雷横と朱仝が濮州の政庁に戻り、事の次第、すなわち山賊退治の途中で索超を保護したことから始まって晁蓋の屋敷まで行ったこと、そして彼を捕まえようとして逃亡された事までを話すと(無論、晁蓋との間で行われた裏取引については話さなかった)、そのカエルのような顔をした短躯の知州(ちしゅう)は顔を真赤にして怒鳴った。


総兵管(そうへいかん)!! お前は一体今まで部下に何をさせていたのだ! たった二名の山賊に百五十の兵士が全滅させられるなど、前代未聞だぞ!」


「いえ、閣下。報告を聞く限り、相手は朱仝と雷横が二人揃っていても逃げ出せるほどの手だれということなら間違いなく気功使いでしょう。であれば、決してありえないということでも……」


「馬鹿を申すな! 撃退されたというならまだわかるが、全滅だぞ、全滅! 一人も逃げ出すことすらかなわなかったというのか! お前らはこんな事を儂から都に向かって報告せよと申すのか!!」


知州のあまりの激高振りに、普段は冷静なことの多い総兵管もさすがに困惑顔だった。彼を助けるためというわけではないが、流石に見かねて朱仝は口を挟む。


「お言葉ですが知州殿……下手人の晁蓋の戦闘力は私や雷横等とは比べ物になりません。信じがたい話かもしれませんがあの男ならそれくらいの事はやってのけます」


「そういう問題ではない!!」


が、知州は朱仝の言葉を遮るようにさらに大声を出した。


「いいか! こんな報告を都の方たちが聞かれたら、どう思う! 濮州軍はたった二人の賊に全滅させられるような不甲斐なしだと笑われるのだぞ! 相手が格段に強いなどというのは言い訳にしかならぬわ! 儂を都で笑いものにさせたいのか!!」


「……しかし、知州殿。事実は事実にございます。実際問題として、楊提轄(ようていかつ)が率いていた三十の兵、そして濮州軍が派遣した百五十の兵。ともに、索提轄以外は生存が確認されたものはございません」


その朱仝の反論に知州は不愉快そうに顔をしかめた。


「朱仝よ。その話なのだが、本当に下手人は二人だけなのか?」


知州が黙るのを待ちかねていたかのように総兵管は朱仝にそう問いただした。


「我らが仲間に入る振りをして聞き出した人数です。間違いないでしょう。それに、索提轄(さくていかつ)の証言とも一致いたします」


朱仝は落ち着き払って答えた。実際にはそれ以上の人間が関わっているだろうことは朱仝も雷横も察しはついていたが、それは晁蓋との約束で黙っていることになっている。


「認めぬ……こんなことがあってたまるか……」


だがそれでも、知州は唸るような声を出して強情に言いはった。


「しかし……」


「くどい!!」


知州は雷横達をどなりつけると、力任せに机を叩いた。


「良いか! なんの理由もなしに、濮州の兵がたった二人の賊に敗れた等という報告は一切認めん! 最低限、原因を解明してから儂のところに持って来い! わかったらこんなところで雁首並べとらんと、とっとと調査でもなんでもしてから来い!!」








「怒鳴ったところで事実は変わらんでしょうに。何考えてんだかね。あのおっさんは」


「雷横。気持ちはわかるが、知州閣下への無礼は程々にしておけ」


雷横のぼやきに先を歩いている総兵管が釘を差した。『程々にしておけ』という辺りに彼の中間管理職としての老獪さと苦労がにじみ出ている。


「それで、どうされるおつもりですか? 報告書での下手人の数を増やしますか?」


朱仝は探るような目つきと口調で総兵管に問いを発した。


 無論、朱仝や雷横の立場としてはそんなことになってはまずい。晁蓋は決して冷酷な男ではないが、一方で約定を破っても笑って済ませてくれるほどのんきな男でもない。ここで妙な報告に話がこじれて彼の約定を果たさなければ、楊志達のために財宝を返還するという話もたち消えてしまいかねないのだ。


 が、雷横と朱仝の懸念に反して、総兵管は首を横に振った。


「二人が二百であろうと、二千であろうと同じことよ」


その総兵管の不思議な言葉に雷横は思わず首をかしげながら口を開いた。


「知州が気にしているのは、小数の賊にやられたことというのでは無いのですか?」


「……少々異なるな」


雷横の問いに総兵管はぽつりとこぼすようにそう言った。雷横は反射的に朱仝を見上げたが、彼女も総兵管の発言の真意はわからないらしく首を横に振って見せた。


「……第一、二千名の賊があそこにいたなどと言ってみろ。それでは先日、諸君が黄泥岡の山賊を倒した事と矛盾してしまうではないか」


総兵管は苦笑を交えてそんな答えをした。


 確かに朱仝と雷横は晁蓋が楊志達を襲撃する前に、黄泥岡近辺にいた山賊を全て平らげている。である以上、大規模な賊があそこにいたという報告はその事実と両立しないということなのだろう。だが、雷横はその総兵管の言葉に何かを誤魔化すような響きを感じ取っていた。最悪、そんな報告書など書きなおしてしまえばいいだけの話なのだから。


「朱仝。雷横。お主達は優秀だが、しかし軍人としては足りぬものがあるな」


そんな朱仝と雷横の疑念を感じ取ったかのように総兵管は面白げに二人を振り向いた。


「と、仰られますと?」


「下劣さだよ。まあ無論、それを手に入れることが必ずしも良いこととはいえぬがな……」


無駄口の少ない総兵管にしては珍しくそんな風に嘯くと、彼は虚を突かれたように固まった二人を面白そうに見て言葉を続けた。


「……この件に関してはわしの方で対応する。朱仝、雷横。そなたらをそれぞれ臨時ではあるが騎兵都管と歩兵都管に任じよう。そなたらが率いていた兵馬には今日は休養を取らせ、明日以降は濮州の全軍が出撃できるように準備を整えさせよ」


「出撃……ですか?」


「そうだ。何が起こるかわからぬゆえ。いつでも何かあった時に即応できるようにして欲しい。私の直轄兵でこの町の守備を務める百名を除き、全員が出撃することになると考えてくれ」


雷横と朱仝はどこか釈然としないものを感じつつも、上官の命令に真っ向から反論するわけにもいかず、応諾の言葉を返した。








 ところが、その翌日のことである。総兵管に言われた通り出撃の準備を整えていた雷横の耳にとんでもない知らせが飛び込んできた。それは索超が晁蓋の一味として捕縛されたという知らせだった。


「はい? 索超が……? ど、どういうこと!? 詳しく説明して!」


雷横はその知らせを持ってきた兵士に襲いかからんばかりの勢いで問い詰めた。


「い、いえ、ですからですね……総兵管の直轄兵達に今朝からそういう指令が下ってたらしいんです。これこれこういう人物が来たら捕まえろって。で、実際にその索超……でしたか? 彼女が今日の昼頃に政庁にやってきたので捕縛したという話らしいんです。なんでも先日起こった黄泥岡の件で犯人の一味の可能性があるってことで……」


兵士の言うことは直前に彼が言った情報のほぼ繰り返しであった。どうやらこれ以上詳しいことは彼に聞いてもわからないと判断した雷横は兵士を置いてきぼりにすて執務室から飛び出ると、隣の朱仝の部屋へと飛び込んだ。


「朱仝! いるっ!?」


と、呼びかけてみるが部屋は無人であった。仕方なく雷横は軽く舌打ちすると、囚人がまず収容されるこの政庁の地下牢獄へと走った。


 雷横がそこに到着した時、ちょうど兵士が索超の入った檻を施錠していることだった。


「索超さん!」


あからさまに迷惑気な顔をする兵士を押しのけて雷横は牢の中に呼びかけた。


「雷横さん!?」


相手もまた自分と写し絵のような驚愕の表情を浮かべて、牢の中から声をかけてくる。彼女の頬は殴られたのか痛々しく腫れ上がっていた。猫のしっぽのような彼女の長い三つ編みが暗闇の中で揺れる。


「どうなってるの、これ!?」


「私も私も私も私もわかんないよ! そっちこそ何かしらないの?」


その話しはじめの言葉を繰り返す奇妙な彼女の癖が変わっていないことに雷横は何故か少し安堵すると、傍らにいる兵をきっと見上げて問いを発した。


「どういうこと? 誰にこんなことしろって言われたの?」


犬歯をむき出しにして雷横が詰問すると兵士たちはおののくように数歩後ろに下がったが、やがて気を取り直して落ち着き払った表情で答えた。


「……王総兵管のご命令です。楊志・索超の両名は黄泥岡で財宝を奪った一味と通じている可能性があるので、見つけ次第捕縛せよとの命令を今朝方受けました」


腹立たしいことにそれは雷横の聞いた情報とぴったりと一致していた。兵士の報告は何かの間違いだと思いたかったが実際には彼の情報はこれ以上ないほどに正確であった。


「そんなそんな馬鹿な! あたし達は襲われた側なんだよ。雷横さんや朱仝さんだって知ってる!」


一方、索超は自分のこの理不尽な扱いの裏にあるさらに理不尽な理屈を知って声を荒らげた。


「そうよ。犯人は済州(さいしゅう)東渓村(とうけいそん)の晁蓋、他一名。あたしもそう王総兵管には報告しているわ。何かの間違いじゃないの!?」


こちらが犯人を既に特定していることに索超が意外そうな目を向けてくるがこの時の雷横に詳しく説明するだけの余裕は無かった。とりあえず何か聞きたげな索超の視線は無視して、彼女はその兵士たちを睨みつけた。だが、兵士達も直属の上官から言われた命令にケチをつけられても困惑するばかりのようだった。


「いいえ、雷横。その命令は間違いではないわ」


と硬直しかけたその場面に唐突に現れたのは朱仝だった。


「朱仝……?」


雷横と索超が意外な面持ちで彼女を見つめる中、朱仝はかつかつと石畳に足音を響かせて、雷横達に近づいていくる。


「あなた達は持ち場に戻りなさい。もう、役目は終わったでしょう」


と朱仝は索超を引き立ててきた兵士たちに告げた。その言葉の響きはいつもどおりのように聞こえたが、付き合いの長い雷横だけはその声にわずかに不機嫌な色があるのに気づいた。


「し、しかし……」


雷都管(らいとかん)には私から説明します。あなた達もその方がいいでしょう。それとも、まさか私達が罪人を逃がすような真似をするとでも?」


そういった時、朱仝は雷横の前に立って兵士と向き合っていたため、雷横と索超からは朱仝の背中しか見えなかったが、それでもその朱仝が醸し出す雰囲気と兵士の反応は朱仝の表情が尋常でないことを雄弁に語ってくれた。


「そ、そ、それ、それでは、お、お任せいたします。わ、我々は持ち場に戻りますので」


「ええ。そうなさい」


かわいそうな程に怯えた兵士が後退し、やがて完全に背を向けると半ば逃げるようにしてその場を離れていった。


「遅くなってごめんなさいね」


そういって雷横と索超に振り向いた朱仝の顔は穏やかな笑顔だったが、索超はもちろん、雷横もその笑顔に安堵するよりもむしろ奇妙な緊張を強いられてしまった。


「索超さん。怪我はされてませんか?」


「う、うん。少し少し殴られたりしたけど、大したこと無いよ」


「そう……黄泥岡で負った傷は?」


「そ、そっちはそっちはそっちはまだ完治はしてない……かな? あはは、完治してたら捕まることも無かったのかもしれないけどね。不意を付かれちゃった」


索超は苦笑いを浮かべてそう言う。だが、雷横の見たところ、完治していないどろこか、まともに生活するのがやっとという有り様のように見えた。あの晁蓋とやりあった結果だ。この短い期間で完治したとは思えない。


「そうですか……。すみません。急いでいたので、今は手持ちが無いのですが……後ですぐに差し入れを持ってこさせましょう」


朱仝がそう言ってそれが彼女が今すぐできる唯一の手助けだと言うように格子の間から手を伸ばして索超の手を握った。


「あ、ありがとうね」


索超がそう言って照れくさそうに笑う横で雷横は朱仝に話しかけた。


「あのさ、朱仝……嘘の命令じゃないっていうのは……」


「……総兵管の仕業です。昨日、知州が言ってたでしょう。晁蓋と赤毛の女の二人だけでは財宝を奪えるわけがない、と。それで新しく犯人に加えられたのが索超さんと楊志さんというわけなのです」


「……? 総兵管は犯人の数は関係ないって言ってなかった?」


「そうです。重要なのは犯人の数ではなく、その奪われ方だったのですよ」


雷横は朱仝の言葉の意味がわからず、索超と顔を見合わせたが、彼女も困惑げにこちらを見てきた。


「昨日、総兵管が大事なのは下手人の数ではないと言ったのは、下手人が二人だろうが二千人だろうが結局警護を請け負ったはずの濮州軍がその任を果たせなかったという事実は変わらない、という意味なのです。そして、その事実が変わらない以上、敵の兵を増やしたところであの知州がその報告を認めるわけがないのです。こんなことを報告しようものなら、知州も総兵管も打首……はさすが無いとしても、左遷・降格ぐらいは覚悟しなくてはいけないでしょうね。けれど、それを回避する手段がひとつありました。それがこの件の生き残りであり、濮州軍の管轄下にない索超さんと楊志さんに全ての責任を負わせるというやり方です」


 話しながらだんだんと苛つき始めたのか、朱仝は彼女にしては珍しくその端正な顔を崩しながら言葉を続けた。


「はっきりと聞いたわけではありませんが、おおよそこんな話をつくろうとしているのでしょう。財宝に目が眩んだ楊志と索超の二人はこれを奪うべく計画を立てた。彼らは黄泥岡に差し掛かると、そうですね……まあ、しびれ薬でも昼食に混ぜておいて、仲間を昏倒させた後、予め呼んでいた仲間と共に兵士たちを殺害。そして、身を隠すはずが、私達に見つかったので、とっさに仲間の風貌を伝え、そいつを囮にする。それが晁蓋。まんまとそれに騙された私達が彼のもとに行く頃には残りの一味は雲隠れ、といったところでしょうかね」


「む、無茶苦茶だよ、そんなの! 索超さんは怪我まで負ってたんだよ!!」


「無茶苦茶なのは知ってます。けど大事なのはその方が知州に取って都合が良い、ということですよ。こうであれば丞相の財宝を守れなかったのは濮州軍が悪いのではなく、楊志さんと索超さん……すなわち、北京大名府(ほっけいたいめいふ)側の人間ということになるのですから」


言いながら朱仝もまた苛立たしげにかかとをこつこつと床に打ち付けた。


「ま、待って待って! 楊志は!? 楊志はもうここに来てるんじゃないの?」


不意に索超にそう声を上げられて雷横は思わず顔を曇らせた。索超は自分達と別れてからずっとあの山奥の村で静養してようやくこちらに出てきたばかりだからその辺りの事情も知らないのだろう。だが、彼女の親友の不幸な末路を話すためには雷横には数瞬とはいえ、時間が必要だった。


「……楊志さんは……行方不明なんだ。最後に嵐の中を河に漕ぎだして行ったのが目撃されているけど、それっきり……」


「う、うそ! だって……!!」


「途中で、犯人の一団らしきものを見かけたらしいんだ。それで無理にそれを追って……」


「そんな……」


さすがの索超も雷横の言葉に呆然とする。


 あの生真面目な楊志のことだ。無事な状態でいるというなら連絡が無いということは考えにくい。だからこそ、未だ行方がわからないという事実が示す意味は重かった。だがそれでも索超は最悪の想像を振り払うように頭を激しく左右に振った。


「ち、違う違う! 楊志は……楊志は……そうだ! 楊志とか重い鎧とかは身につけてなかった! 溺れたんなら絶対、体が浮き上がるはずだよ!! でもそれらしい死体も見つかってないんでしょ!?」


「うん。それはまあ……」


別に死体を捜索させたわけでもなかったが、それを四角四面に言うのはためらわれて雷横は頷いた。


「まあ、連絡が無い理由はいくつか考えられますわね。よほど遠くまで流されたのか、あるいは起き上がれないほどひどい怪我でも追ってしまったのか……まあ、楊志さんの事も心配ですが、今はまず索超さん。あなたのことです」


朱仝が優しく言い聞かせるように話題を変えた。


「何か手段を考えているの?」


「一応は……」


と言って朱仝は懐から書類を取り出した。


「それは……?」


「順を追ってご説明します」


朱仝は訝しげな顔をして書類を覗きこもうとする二人を制するように手を広げた。


「楊志さんと索超さんが、自分が犯人でないと主張する方法はあります。奪われた財宝を二人が持ち帰れば良いのです。盗んだものを返しにくる盗賊なんて普通いませんからね」


「でもでもでもでも財宝はどこにあるかわからない……あ、でもさっき犯人はわかってるって言ってたっけ?」


と索超に話しかけられて雷横はうなずいた。


「うん。さっきも言ったけど、済州の晁蓋って大男。あたしと朱仝とは昔同僚だった。まあ索超さんにこんなこという必要無いだろうけど、めちゃめちゃ強い」


「骨身に骨身にしみてるよぉ」


言いながら索超は晁蓋に殴られた腹に痛みを思い出したのか、反射的に腹をかばうような姿勢を見せた。


「ということはということは、そいつのところに行けば……」


「うん、行ってきた。で、財宝の……全部じゃないけど一部は返してくれるって……」


「え? 返して返して……くれるの?」


きょとんとした索超を見て、まあ普通はそう思うよなぁと思って雷横には思わず笑みを浮かべてしまった。


「理解し難いでしょうが……そういう男なのです。多分、元より彼自身は財貨には興味が無かったのでしょうね」


「そんなんならそんなんなら、最初からほっといてくれればいいのに……」


索超の言うことはもっともだった。実際、雷横もなぜ晁蓋がこんなことをしでかしたのかはわからない。が、同時に知りたくもないと思った。聞けばおそらくこちらが呆れるほどに幼稚で単純な理由が返ってくることが容易に想像できたからだ。例えばそう……暇だったから、とか。


「朱仝。それはつまり、索超さんを晁蓋さんのところに連れてって、財宝を返してもらうってこと?」


自分の益体もない想像を脇において雷横が朱仝に尋ねると朱仝は、当然のことであったが、首を振った。


「いいえ。索超さんは既に囚われの身ですから、それは不可能です。それは楊志さんにやってもらいます」


「そ、そっかそっかそっかそっか! 楊志が財宝を取り返して来てくれてあたしも犯人じゃないって言ってもらえば……」


「ただし、その楊志さんも今は行方不明です」


朱仝の言葉に一瞬だけぱっと輝いた索超が哀れなほどにしょげかえった。


「……だめじゃんか」


索超が下手人だという判断がくだされるまでそう長い時間があるわけでもない。早ければ明日にでも拷問は開始され、索超が耐えられたとしても数日が限度だ。ついでに言えば、拷問にかけた後で、その人間が無実とわかっても、報復をおそれてそのまま拷問の手違いを装って殺されることだってありうる。


「私が言いたいのはですね」


とやや神妙な口調で朱仝は言葉を続けた。


「楊志さんには多少の悪評が立とうともそれをひっくり返すことが可能だと言いたかったのです」


その一言に雷横は何か嫌なものを感じた。朱仝は基本的には善人であるし、信頼できる人物だ。だが雷横は同時にこの自分の親友がいざとなった時にはその美麗な容姿や物腰とは裏腹にかなりえげつない手段であっても躊躇なく実行するということを知っていた。


「ですが、索超さん。あなたは違います。もはや一刻の猶予もありません」


そんな雷横の懸念を置いてきぼりにするように朱仝は言葉を続ける。


「この状況を抜ける手段はひとつ。あなたもまた楊志さんに全ての責任を押し付けるのです」


その朱仝の言葉に雷横と索超は思わず唖然とした。その沈黙に畳み掛けるように朱仝は言葉を続ける。


「私の持ってきた書類……これは告発文です。索超さんから楊志さんに対しての。先ほど私が話した筋書き。あの犯人を楊志さん一人にすることで、あなたの嫌疑をそらします。知州にしてみれば、犯人が誰だろうが、自分の管轄下の人間でなければいいのですから、この訴えは受け入れられるでしょう」


「で、で、できるわけがないでしょっ!!」


雷横の予想通り、索超はその提案を即座に拒否した。


「自分が自分が助かるために、楊志を……友達を売れっていうの!?」


「……そう言う見方もできるでしょうね」


と朱仝は言ったが、雷横からしてみてもそれは言い訳がましい言葉にしか聞こえなかった。それ以外の一体どういう見方があると言うのか。


「けれど、正直、今の私ではこれ以上の案は思いつきません。それに、先ほど言ったとおり、楊志さんは多少疑われても、まだやり直すことができます」


「そういうそういう問題じゃない!」


だが索超はぶんぶんと首を振って否定した。


「あたしはあたしは楊志には助けてもらった恩がある! それを蔑ろにするようなことはできない! 例え例え楊志が死んでたとしても、それは一緒だよ!! あの子の名誉を汚すことはできない!」


激高した索超はそう乱暴に言うと、朱仝から距離を下がるように一歩下がった。


「どうしても……嫌ですか?」


その朱仝の小さな声が直前の強引さを感じさせる声とあまりに落差があったのか、索超の態度も大人しく縮んだ。


「せっかくせっかく、考えてもらって悪いけど……楊志を裏切るくらいなら殺される方を選ぶよ。まあ……できたらできたら拷問受ける前に舌でも噛もうかな。当たり前だけど、痛いんだろうし」


さすがに憂鬱なのか索超は最後にはあと溜息を吐いた。


「いいえ、そんなことをする必要はありません。それなら次善案があります。正直、あまり気は進まないのですけど……」


「え、次善案があるの?」


と雷横は不思議そうに首をかしげる。索超が捕まったという連絡があってから、そう時間は経ってないはずだというのにこの友人はいったいどれほどの手立てを考えてきたのだろうと訝しんだ。


 雷横と索超の視線が集まったところで朱仝はその取り出した告発文を丁寧にたたんでしまった。


「雷横。私の机の一番上に鍵のかかった引き出しがあります。その中の書状を知州と総兵管に渡してください」


「え?」


と雷横が訝しんだのは、朱仝の言葉ではなく、彼女がそう言いながらいきなりすらりと腰につけた剣を抜いたからだ。


「しゅ、朱仝……さん……?」


どこか呆然としながら索超も彼女の名前を呼ぶ。


「書いてある内容は単純なものです。今度の黄泥岡の事件の犯人が私であると。私が死んだ上にそんな書類が出てくればさすがにあの二人も認めるでしょう。それで索超さんや楊志さんにかけられている嫌疑を晴らせます。ただ、先ほど言ったとおり、知州はこの件が濮州軍の責任となるのをおそれてますので、もみ消されないようにしてくださいね」


「ちょ、朱仝、待って……」


と朱仝に駆け寄ろうとした雷横は、その時になって自分の足に鎖がまとわりついていることに気づいた。考えるまでもなく朱仝の気功によるものだろう。いつの間にこんな仕掛けをしたのかはわからないが。


「嘘! 朱仝! 本気じゃないよね……! ちょっと!!」


がちゃがちゃと鎖を外そうとしながら雷横は朱仝に呼びかけるが彼女はそれに答えず、ことさらに綺麗な笑みを浮かべた。


「雷横、私の私物はあなたの好きにしてください。索超さん、楊志さんにはよろしく言っておいてくださいね」


言いながら朱仝は数歩後ろに下がって二人から距離を取った。


「や、やめてやめて、お、脅しでしょ? 脅しなんでしょ? そんなことしたってあたし書かないよ……!」


索超が祈るように言うが朱仝は笑みを崩さず言葉を続けた。


「少し責任を感じているのですよ、私は。あの時、兵士の数を提案したのは私ですから。もっと護衛の兵を多く率いるよう進言していれば、この事件は防げたかもしれないのに」


「ぐっ! くっ!」


雷横はがちゃがちゃと鎖を解こうとしたが場所が薄暗い通路ということもあってその作業は思うように進まなかった。


「では、後のことはお願いします」


そう言って朱仝はすっと剣の切っ先を喉元にあて、


「ま、待って待って! 書くよ、わかった。書くから!! 楊志が犯人だって書くから!!」


索超が鉄格子に体をぶつけるようにしてそこで大声でわめくとその動きをぴたりと止めた。


「索超……」


雷横は思わず彼女の事を見上げた。彼女は大粒の涙をぽたぽたとたらしながら喚くように声を張り上げた。


「ひ、卑怯だよ。卑怯卑怯! 朱仝さんは卑怯だっ!」


「自分を清廉な人間だなんて思ったことは無いですよ」


その索超の言葉に朱仝は苦笑して剣をあっさりと収めた。


「けれどまあ、索超さんがそう言ってくれて助かりました。私も好んで死にたいとは思っていなかったので」


「うーっ、うーっ、うーっ」


そんな朱仝を睨みつけながら索超が涙目でうなる。


「あのさ、索超さん……朱仝もその……こんなところはあるけど、基本的には良い奴だからさ……」


「知ってる知ってる! だから怒ってるの!!」


索超は癇癪を起こしたかのように怒鳴るとぷいっとそっぽを向いた。そしてそのまま言葉を続けた。


「楊志の楊志のこと、絶対助けてよね」


「ええ。お約束します」


そう言うと朱仝は索超が格子の間から差し出した手にそっと紙と筆を手渡した。


「……ありがと」








「次からやめてよね。ああいうの。すっごい肝冷やしたんだから」


「ごめんなさいね。索超さんを説得するにはあれしかないと思ってたから」


索超から書類を受け取った二人は知州の部屋に向かいながら会話を交わした。


 明確にしたわけではないがさっきの朱仝の行動は八割方脅しであったろうと雷横は見当をつけていた。もし本当にあの場で言った事を実行するつもりならあんな地下牢の前ではなく、もっと目立つところで朱仝は自殺を企んだろう。とはいえ、そこを問いただしても素直に答える人間ではないので、真相は闇の中なのだが。


「それで、楊志さんの方は具体的にどうするの?」


「この索超さんの書付をもとに楊志さんに指名手配をかけます。黄河の流域にある町が対象になるでしょうね。取り調べはこちらで行うので絶対に傷つけないように言って、それでいざ楊志さんが捕まったら私かあなたが、楊志さんを迎えに行きます。その途中でうまく晁蓋さんからの財宝を返してもらって楊志さんにそれを渡しましょう。それで彼女は凱旋です」


「そんなにうまくいく?」


「……正直、索超さんを助けることと彼女を説得することしか考えてなかったから、うまくいくかどうかはわかりませんね……」


雷横の疑問に対して朱仝はあっさりと自身の不手際を認めた。


 その素直さに雷横はふと思った。


(朱仝、ひょっとしてあなた……もう楊志さんが死んだものと決めつけてるの?)


即座にいや、と考えなおす。このまま知州達の思うがままになっていたとしても結局楊志が罪人として手配されるのは変わらなかったろう。それならばまだ自分達でなんとかできる索超だけでもなんとかしようと思ったのだろう。


「さて、索超さんと約束したことですし、気合を入れねばいけませんね」


 この後、朱仝の目論見通りに索超の告発文は認められ、各地に楊志の手配が行われることになった。それからおよそ半月ほどして、雷横達のもとに楊志を確保したという報が滄州(そうしゅう)よりもたらされたのだった。

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