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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第一話 邂逅編
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その六 宋江、晁蓋と対決するのこと

 宋江(そうこう)が目を開くと心配そうに覗きこむ郭清(かくせい)と面白そうに覗きこむ晁蓋(ちょうがい)の顔があった。自分を殴る見張り役が二人に増えて頭を殴られた時からの記憶があいまいになっている。が、しこたま殴られたらしいことはずきずきと痛む全身と顔の痛みからわかる。どうやら自分がひきつけている間に郭清が眠っている晁蓋を起こす作戦は成功したらしい。これで失敗してたら殴られ損だ。


「おう、宋江。ずいぶんかっこよくなったじゃねぇか」


「あのさ、助けてあげたんだから普通こういう時ってお礼から始めるものじゃない?」


そう言っていると郭清が水で冷やした手ぬぐいで自分の顔を冷やしてくれた。ありがとう、といっててぬぐいを受け取る。


「だから褒めてんじゃねぇか。かっこよくなったなって」


「皮肉にしかきこえないよ」


言葉をしゃべるたびに顔のそこかしこが痛む。幸いにもどうやら歯は折れていないようだが、ものをまともにしゃべるのも困難だった。だから鏡を見ずとも、自分の顔がひどく腫れ上がっているだろうことは容易にわかる。


「顔の話じゃねえさ。聞いたぜ、そこの嬢ちゃんから。自分を囮にするなんて根性座ってるじゃないか。見なおしたぜ」


「そりゃどうも」


ストレートに褒められるた宋江は恥ずかしくなってつい横を向いてしまった。


「まあ、三日もあれば腫れも引いて元に戻るだろう」


晁蓋はそう言うとくるりと振り返って村人たちを見下ろした。


「んで、ふざけた真似をしてくれたお前らだが……」


晁蓋の目の前には村長を含めて十人ほどの男が地面に転がっていたり、座らされたりしている。いや一人だけ女性も、昼間に見た村長の妻もいた。とりあえず今はダメージもあってかおとなしくしているようである。大体が視線を下に落とすか倒れたまま、上を見上げている中で村長とその妻の二人だけは憎々しげに郭清を見ていた。


「郭清、貴様、村の決定に逆らったのか……」


「育ててやったっていうのにとんでもない子だよ!! この恩知らず!!」


そう言われると郭清は目を伏せた。宋江からしてみればこんな奴らに恩義など感じる必要もないと思うが。


「おい、これ以上、俺の許し無しに舌を動かすな。ぶっ殺すぞ」


「ぐ……」


「その苛立たしげな目も止めろ。目ん玉くり出されてーか。大体、お前らみたいな人に助け求めといてそいつを山賊に売り飛ばすようなやつに恩だの何だの言う資格があると思ってるのか」


「し、しかたなかった、おぶう!!」


「もう、俺の言ったこと忘れたのか? 舌動かしたら殺すっつったろーが。自殺願望か? 手伝うぞ?」


晁蓋がした事は手に持った棒で村長の頬を軽くひっぱたいただけだ。だが、それだけでもう二人はがたがたと震えて、何かをいう気力をなくしてしまったらしい。


「さて」


手に持った棒で自分の肩をとんとんと叩きながら晁蓋は続ける。


「まあ、お前らがどういう魂胆だったのかは大体聞いた。んで、明日、その陳安とかいうやつに俺を引き渡すことになってるらしいな。おい、お前」


と言って晁蓋は近くにいた村長とは別の男を棒で指す。


「ひっ、わ、私ですか!?」


「明日のいつ、俺を引き渡すことになってんだ」


「しょ、正午です! 山の入り口にある山門前の広場で……」


「よしいいだろう、黙れ」


「っ……!」


男は指示通り黙ったが、哀れを通り越して滑稽な程怯えていた。舌どころか、うっかり呼吸もとめそうな勢いである。


「もう一度、確認しておこうか。俺に助けを求めるふりをして俺を捕まえてから山賊に引き渡すっていう話だったらしいな」


そう言って晁蓋は手に持った棒を近くにあった松の木にたたきつけた。ドンという衝撃音の後、ミシミシと松の木が折れていく。その様子に村人たちは震え上がった。


「ここまでこけにされたのは久しぶりだ。もちろん失敗した時には俺に殺される程度の覚悟はできてんだろうな!」


「う、うわあああああ!!」

その様子を見て村人の一人は逃げ出そうとした。が、晁蓋はその男との間合いを詰めると頬をぶん殴った。歯が一本とんでいき、男自身もそのまま数メートル吹き飛ぶ。と、同時に晁蓋は手に持った拳ほどの大きさの石を恐ろしい早さでこっそり逃げようしていた別の男に投げつけた。石は男の側頭部にあたり、何かを言う間もなく、あっさりと男はその場に倒れる。なおも起き上がろうとしたその男の側頭部を晁蓋は容赦なく蹴飛ばした。


「いたぶるってのは趣味じゃねえがな、逃げ出す奴には気絶しない程度に痛めつけるぜ」


村人たちがいるのは庭の一番奥だ。晁蓋がそういう風に集めたので逃げるには晁蓋を突破するしか無い。


ざっ、と晁蓋が一歩前に進む。それだけで村人たちは哀れなほど狼狽した。その中で一人の男が土下座するように晁蓋の前に倒れ伏した。


「お、お願いでございます。私は直前まで何も知ら、ぶべぇっ!!!」


だがその男がそう話しだした途端、晁蓋は男のあごを正確に蹴り上げた。舌を噛まなかったのは幸運としかいいようがない。


「しゃべんな、ってんのがどーしてわからねーかな。犬だって一発殴られりゃ覚えるぜ」


晁蓋は涼しい顔でそう話す。


「わ、私は殺されてもかまいません! ですがどうか、どうか娘を助けて頂けないでしょうか!! 山賊にとらわれ、げふぅっ!!!!」


さらにもう一人しゃべりだした男にも晁蓋は容赦なかった。土下座する男の腹を蹴飛ばして宙にうかせると掌底をつきだす。男の体は庭の奥の白壁まですっ飛んでいき、派手な音を立てて激突して止まった。


「殺されてもかまわねぇっていうその意気に免じて一応、答えてやろう。お前らみたいな連中のために指一本動かす気はない。娘は助けねぇ。会いたきゃ地獄に期待しろ」


「う、うう……」


痛みのためか、悲しみのためか、はたまた後悔か。男は腹を抱えたまま、そこで泣きだした。


「さて、時間もおしいし、そろそろ処刑といくか、誰からやるかな」


その言葉に村人たちは半狂乱になった。違うんです、全ては村長が、と言い訳をするもの。お願いです、どうかお許しを、と懇願するもの。他にどうしろっていうんだ、と逆に怒り出すもの。すみません、どうしようもなかったんです、とひたすら謝罪を続けるもの。だがそれら全てに晁蓋は冷淡だった。


「わかんねえ奴らだな。お前らは俺に殺されてりゃいいんだよ、豚のようにな」


そう言って晁蓋は先ほどの宣言通り、それらの村人を一人ずつ、痛めつけていった。顎をくだき、指を折り、水月を突き、関節を外す。そうして村人たちを半強制的に静かにさせていった。


 これが晁蓋の怒り。宋江はそのすさまじさに呆然とした。あれが昼間からのんびりと酒を飲み、たいていの事があっても豪快に笑っているあの男と本当に同一人物なのか。傍らの郭清を見る。彼女は村の皆の様子に声も出せずに震えていた。


 ボキリ、と鈍い音がした。見ると村長の腕があらぬ方向に曲がっている。また何か、何かは知らないが晁蓋の気に触ることをしたのだろう。


「あ、ああああああ、や、やめ、はぐっ!」


痛みのあまり絶叫した村長の声は唐突に打ち切られた。晁蓋が顔を蹴飛ばしたからだ。


「お、お願いでございます。我々に他にどうしようも、あ、あぎぅっ!」


「ちょ、晁蓋!」


今までフリーズしていた頭がその村長の声でようやく現実に引き戻された。だが、晁蓋はこちらを振り向いたものの、その表情はぞっとするほどに冷たい。


「なんだ、お前もやりたいのか」


「そんなわけないだろ! 殺すなんてやり過ぎだよ!」


思わず立ち上がって叫ぶが晁蓋は全く動じた様子がなかった。


「何言ってるんだ、お前。こいつらは俺を山賊の生贄にしようとしたんだぞ。せっかく遠くからわざわざ来てやった俺をだ。失敗したんなら俺に殺されて当然だろうが」


「そ、それは……でも……その人たちだって好きでやってたわけじゃないじゃない! 山賊に脅されてたのは聞いたでしょ!」


晁蓋は呆れたようにため息を付いた。


「好きでやってたんじゃなきゃ何やってもいいのかよ。お前だってしこたま殴られてただろうが。言っとくがお前だって捕まってたら殺されてたんだからな」


「それはわかるけど、実際には誰も死んでないじゃない!」


「そうだな。お前とそこの嬢ちゃんが助けてくたおかげでな。だがな、だからなんだって言うんだ。こいつらは俺を殺そうとしたんだぜ。そんな奴らにかけてやる情けなんざ俺は持ち合わせてないね」


「でも、さすがに殺すのは……」


「あのな、宋江」


なおも言い募る宋江の言葉を晁蓋は押しとどめる。


「お前が何を考えてんのか知らねーがな、この手の連中は絶対に自分が悪いと思ってねぇ。上辺をどう取り繕おうともだ。しょうがなかったとか、村の皆のためとか、自分の中で耳障りのいい言葉を作って、被害者づらしてるだけだ。俺がこの場で見逃せば確実にこいつらは俺たちに逆恨みして危害を与えてくる。俺もこんな奴らにやられるとはおもわねーが、自分の周りをぶんぶんとんでる羽虫をあえて放っておいてやる理由は無いだろ」


「考えすぎじゃ……」


「こいつらはな、わざわざ協力してやろうと思って来た俺たちを平然と山賊に突き出すようなやつらだ。つーことはわざわざここで許してやったって同じようなことを繰り返すだけだろ」


宋江と話しながらくるくると手に持った棒を晁蓋は回し始める。それだけで村人達に緊張が走った。


「で、でも、大体殺して平気なの? その警察……じゃないや、役人とかに捕まっちゃうんじゃないの?」


「安心しろ。殺されたのが役人の身内じゃなけりゃあいつらはこんな片田舎まで動かねぇよ。そもそも訴える連中がいねえ。明日には村の奴は全員山賊に殺されるらしいからな」


自分がいた日本の常識との隔絶具合に少しばかり唖然としながらも宋江は反論を試みた。


「そ、それだったらせめて役人のところに連れて行くとか。私刑って良くないと思うし」


「誰がそこまで連れて行くんだよ。俺は嫌だぜ。なんの得にもならねぇのに。お前が行くって言うなら止めねぇが、どうせ、途中でこいつらに袋叩きにされて終わりだ。言っておくが役人がいる町まではここからだと三日はかかるからな。ついでに言えば役人が賄賂も持っていかねぇお前の訴えをまじめにとりあげるかどうかは……まあ、賭けの対象ぐらいにはなるな」


「………」


 どうしたらいいのだろう。確かにこの人たちは自分たちを殺そうとした。だからって皆殺しにしてしまっていいのだろうか。だがいずれにせよ、晁蓋が自分の説得に応じる姿勢はなかった。晁蓋が言っていることは多分、本当だろう。この場で彼らを見逃したところで得るものは何もない。こういう状況で嘘をつく人間ではないことは宋江は短い付き合いながらもわかっていた。晁蓋は嘘をついたりしない、自分にも、他人にも。宋江はこれまでの晁蓋の行動を思い出しながら、そう思った。そして悟った。


「……わかったよ、晁蓋。晁蓋の言っていることは多分、正しいんだろうね」


視界の隅にいる村人たちの顔に絶望が見えた。話の流れでは助かると思っていたのかもしれない。


「でも、僕は嫌だ。自分の目の前で抵抗できない人間がただ殺されていくのは嫌だ。例え、晁蓋が正しいとしても、昼間に晁蓋に言われたとおり、僕は自分のわがままを通すよ」


そういう言葉の選択をしたのは少しばかり昼間の晁蓋の暴論に反抗したいという思いもあったのかもしれない。だが、結局のところ、自分のこの衝動は理屈ではない、というのは間違っていなかった。


 不思議なものだった。普段、勝手気ままに動いている晁蓋が理をとき、それと対照的な自分が今は勝手気ままなことを言っている。


「ほう」


晁蓋は宋江のそのセリフをきいて一瞬だけ感心したような顔つきになった。が、それをすぐに獲物を見つけた肉食獣のような表情に変えた。


「いいぜ、宋江。お前、思ってた以上に面白いな。だが分かって言ってるんだろうな。ここでお前のわがままを通すってことは俺の敵になるってことだ」


「もちろん、わかってるさ」


晁蓋に勝てるとはもちろん、思ってない。だがこの状態を見過ごしていれるほど自分はこの状況に対して無関心にはなれなかった。しかし、勝算はない。


「ふん、いいだろう」


カランと晁蓋は手に持っていた棒を落とした。


「来な、最初の一発だけは無抵抗で受けてやる」


そう言うと、晁蓋はだらりと棒立ちになった。まるで駆け寄る子供を待つ母親のように両手をひろげている。宋江はその晁蓋の様子を改めて観察した。彼はそこに佇んでいるだけで、それだけで圧倒的であった。大柄な体に鍛えられた肉体、そしてその中に練り上げられた技術がある。早まった事をしただろうか。と、今更になって思った。そもそもどうして自分はこんなことをしているのだろう。晁蓋の後先考えない癖が移ってしまったのだろうか。ヘンテコな世界に連れてこられて自暴自棄になってしまってるのだろうか。


「どうした? そんな手心はいらねえってか?」


「ぐっ!」


情けない話だったが、宋江の体はその言葉で焦りと共にようやく動き出した。腕を振りかぶり、吠えた。足の痛みを無視して踏み込み、晁蓋の無防備な腹筋に拳を打ち付ける。


 結果はひどいものだった。晁蓋は微動すらせず、黙って宋江の腕を掴んだ。


「このっ!」


半分恐怖に動かされて左手で殴りかかろうとするがそれも今度は当たる前にあっさりと止められた。右手と同じように手首を掴まれている。


「全然ダメだな。お前、人を殴ったこと、無いだろう」


宋江は黙っていた。否定や肯定をするよりもまず、身体が動かない。晁蓋は宋江の両腕をつかむと無理やり胸の前でバツを形作るように組ませた。


「腕だけで殴るからダメなんだ。いいか、殴るときには全身を使え。特に足と腰を意識しろ。それだけでだいぶ違う」


 両腕を固定したまま、晁蓋はそう言ってくる。てっきり即座に反撃が飛んでくると思った宋江は意表をつかれた。そこですっと晁蓋の手が自分の両腕から離れるが、宋江は腕をそのまま動かさなかった。


「次に防御だ。拳は握れ。足は肩幅より広げろ。腕はくっつけるな」


何故なら晁蓋が次にすることがわかったからだ。晁蓋はぐっと拳を握ると腰だめに据えた。殴られる。それを意識して慌てて晁蓋の言うとおりに体を動かした。


「さっき、俺が言ったことを意識して攻撃を受けろ。足と腰だ。それと……こんなに手加減する拳は最初で最後だ」


 言葉が終わると同時、矢のような晁蓋の拳がとんできた。拳は自分が構えていた両腕の中心にぶち当たり、宋江の体を吹き飛ばした。ふわりと体が持たあげられる浮遊感の気持ち悪さと腕からびりびりと走る衝撃の強さが宋江の体を支配する。一瞬後、地面に尻から落ちた宋江の胸に去来したのは安堵だった。生きてる。


「ま、その調子じゃ、俺に対してわがままを貫けるのはまだ先だな」


そう宣言する晁蓋はにやりと笑っている。


「う、うん」


何だったんだろうか、今の一幕は。勝負というよりも稽古のようだった。いや稽古そのものと言っていいのかもしれない。結局のところ、自分は晁蓋と勝負する段階にすらいたらないのだ、ということを唐突に理解した。


 宋江の両腕は今もまだ震えている。いや、震えているのは全身だった。


 晁蓋がこちらにくるりと背を向ける。今度こそ、村人達を殺すつもりなのだろうか。だが、宋江にはもうこれ以上、晁蓋に反抗しようという気は起こせなかった。勝負に負けた事というより初めて晁蓋の拳を受けてその力強さに戦意を折られてしまったのだ。


 もはや、晁蓋を止めるものは誰もいない。一人を除いて誰もがそう思っていた。だから、宋江も晁蓋の足音が止まった時に困惑し、さらにその原因を見て絶句した。


「ふうん、今度はお前の番ってわけかい、お嬢ちゃん」


 晁蓋の前には郭清が立ちはだかっていた。村人達と自分の間に手を広げ、まるで彼らを庇うかのように。

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