その七 秦明、宋江に己の価値を説くのこと
「さて問題です」
と茶さじをくるくると指先で振り回しながら秦明は言う。
「どーして、宋江くんはこうして私に屋敷から引っ張り出されてこんな場所にいるのでしょーか」
そう言われて宋江は改めて周りを見渡す。現代風に言えば喫茶店とでもいうべきだろうか。自分たちが居るのはその二階部分だった。一階にはそれなりに客が入っていたが二階部分には自分以外には人は居ない。というよりおいてある卓の数やスペースの大きさから考えるとこの場所は少し趣を変えた個室、というべきものかもしれない。左手にある窓の下には青々とした草木が初夏の日差しに照らされていた。
目の前の黒塗りの卓の上には凝った茶器と少々の木の実や果物が置かれている。店内の装飾から見ても貧乏人が気軽に入れるところでは無いのだろう。宋江も秦明から言われていつものような簡易な旅装姿や麻の服ではなく、柴進からもらった藍色の絹の衣服を着ていた。着る手順が面倒なのであまり出番のない衣服でもある。
秦明はここによく来ているようで従業員とも顔見知りであり、ほとんど何も言わずともこの場所に案内されていた。
秦明の屋敷に到着して三日間が過ぎていた。秦明は当初の宣言どおり、濮州の朱仝に向けて楊志の手配に関する手紙を出してくれた。宋江達はその返事が来るまではやることもなく秦明の屋敷で時間を潰していた。
宋江も秦明の父親の蔵書であったという歴史書なんかを読ませてもらって時間を潰していたのだが、三日目の今日、午後になって秦明にいきなり屋敷から引っ張り出されたのである。
ちなみに秦明に限らず、この国の役人の勤務時間は基本的に午前中のみらしい。午後も仕事、という日も無いわけではないが秦明ほどの地位になるとそれは例外的なことらしかった。
「えーと、買い物の荷物持ちか何かですか?」
自信は無かったが特に他に思いつく答えも無い。
「残念、はずれです」
律儀に指で×印まで作って言う。
「じゃあ、えっと……気分転換に付き合え、とか?」
「それもはずれ……あ、いや、それもちょこっとだけあるかな? まあ、いいわ。いつまで経っても正解に辿りつかなそうだから答えを言うとね、楊志さんのことよ」
そう言われて宋江は少しバツが悪そうに視線を宙に漂わせた。
秦明の屋敷に到着したその日の晩のいざこざ以来、楊志とは没交渉状態が続いている。顔をあわせるのは食事の時くらいで、その時も楊志はずっと宋江を見ようともしない。
「いくらあなたでも今の状態でいいと思っているわけじゃないでしょ」
「それはもちろん」
宋江がこくりと頷くと、秦明も満足そうな笑みを浮かべて頷く。
「というわけで仲直りさせるために、もう少し言うと、その準備のためにこうして、呼んだわけだけれど……宋江くんはそもそもどうして楊志が怒ったか理解してる?」
「それが……考えたんですけど、どうもよくわからなくて……」
「本当に?」
確認する、というよりは問い詰めるような口調で秦明はもう一度問う。
「ええと……ひょっとしたらこうかなっていうのも無いわけじゃないんけど……ちょっとあまりにも突拍子も無い上に間違ってたらすごく恥ずかしいからあまり言いたくないなーなんて……」
「間違ってても笑わったり怒ったりしないから言ってみて」
秦明は教え子を諭す教師のように優しく微笑みかけた。
宋江はそれでも不安に感じて辺りを見回した。しかし当たり前だが階段を登ってくるものがいない以上、自分たちの他に人が居るはずもない。
「ひょっとしてなんですけど、その……もしかしたら、楊志さんて僕のこと、好き……なんでしょうか」
もし勘違いだったら恥ずかしさだけで死ねる自信がある。そう思いながら宋江は囁く様に秦明に言った。
「なんだ、わかってるんじゃない」
「あ、ああ、合ってるんですか?」
「あれほどあからさまにされてて、何故そこまで自信なさげになれるのか、不思議だわ」
どもりながら確認する宋江とは対照的にあくまで落ち着き払った調子で秦明は答えた。
「だって、僕は楊志さんを今の状況に追い込んだ原因のうちの一人ですよ。恨まれる理由はあれど、好かれる理由なんて……」
主に晁蓋と呉用が計画し、実行した黄泥岡の十万貫強奪によって楊志は死に掛けるほどの状態に陥ったのだ。今だ状況は不明だがあの手配だってそれとは無関係ではあるまい。
「そんな細かいこと、気にしないの」
「……決して細かくは無いと思うんですが」
宋江が反論するが、秦明はそれを一蹴する。
「細かいことよ、もしくはそうじゃなかったら見当はずれ。それに今、大事なのは楊志さんと仲直りすることであって、楊志さんがどうしてあなたを好きになったかって言う過去の経緯はまた別の話なの」
「は、はい……」
少し縮こまった宋江に言いすぎたと思ったのか、秦明は言葉を付け加えた。
「まあ、その辺りの事を知りたいんなら本人に直接聞いたらいいんじゃない? 私もなんとなく予測はつくけど、あんまり不確かなことを言っても問題だろうし」
と茶の入った杯をすすりながら秦明は言う。そしてその杯を置いたところで表情を微妙に真剣なものに変化させた。
「ところで、宋江くん。ちょっと本題からはずれる話なんだけど……」
秦明は少し身を乗り出しながら言う。
「最初に林冲から話を聞いてからずっと不思議に思ってたんだけど……どうしてあなたは十万貫の強奪計画に参加したの? あなたとは数日の付き合いだけど、とてもそんな荒っぽいことをするような人には見えないのだけれど。もし無理やり付き合わされたって言うなら……」
「あ、ち、違います、違います!」
宋江は慌てて否定する。
「違うの? でもまさかあなたが主犯というわけでも無いんでしょう?」
「ええ、それも違います。一応計画の中心に居たのは晁蓋と呉用さんになるのかな?」
「へえ、どんな人たちなの?」
問われて、宋江は二人のことを思い出すためにしばし視線を宙に彷徨わせた。
「晁蓋はとにかく強い人です。武術の達人で……本気を出したところは見たことが無いですけど、負けたことが無いらしいんです。一回だけ、晁蓋が戦ったところを見ましたけど、その時は拳一つで人が屋根より高く吹っ飛んだりしてました。楊志さん達を実際に襲って蹴散らしたのもほとんど晁蓋一人でしたし。それだけでなくて精神的にも強くて、でもその反面、ちょっとわがままなところがありますね。後、基本的には暴れん坊で、十万貫の件もお金目当てっていうより暴れる口実が欲しかったようなところがありました。呉用さんは女性でとても頭がいい人で、計画はほとんどこの人が全部立ててました。それも一日で。晁蓋の幼馴染で、ほとんど唯一、晁蓋に言うことを聞かせられる人です」
「ふうん……なるほど、ね」
宋江の少し長い説明に対し、秦明は短く応答した。
「で、本題に戻るけど、楊志さんのことはどうするつもりなの?」
「え、あ、えっと、その……ど、どうすればいいんでしょう?」
「宋江くんはどうしたいの?」
両手の上に顔を乗せて秦明は試すように問い返す。
「う? え、えっと……」
宋江は少し言葉を止めて考えた。秦明は急かすわけでもなく、こちらを眺めている。
楊志は少し気難しいところがあるが、基本的にはいい人だし、美人だ。お付き合いできるものならしてみたい、とも思う。
だがそうはいかない事情がいくつかある。一つ間違えば罪人となりかねない宋江の現在の立場、この国の日本より大分早い結婚適齢期、そして何より自分がいた元の世界の事だ。
宋江は、この場所からすぐにでも日本に帰りたい、とは思わない。そう思うにはあまりにも多くの人と係わり合いを持ちすぎてしまった。が、一生日本に帰れなくてもいいのか、と言われればそれもまた否である。宋江には向こうにも友人がおり、家族がいた。卑近なことを言えば、向こうでしか食べられない食べ物や、向こうでしか楽しめない娯楽もある。それらを全て捨ててこの国にいてもいいと思えるほど、宋江は割り切りよくはなれなかった。
そんな状態で、結婚などして家族ができてしまったら日本に帰るとき、どうすればいいのか、という問題がある。日本に連れて行けるとかならまだいいが、もし帰るのが自分ひとりとなったらそんなときにはどうすればいいのか。大げさに言えばここで楊志にどう対応するかは元の世界に戻れるかどうかにも関わってくる極めて重大な問題をはらんでいた。
もし帰るつもりなら、極力自分は身軽でいたい。恋人とかの選択肢があればまだ良かったかもしれないが、どうも話を聞く限り、この時代にはそうした概念も無いようだった。
突き放すのも手段としてはあったかもしれないが、宋江は自分を好いてくれる女の子にわざと嫌われるように仕向けるほど高尚にもなれなかった。
「ど、どうしていいかわかんないです……」
結局のところ、それが宋江の現時点での結論だった。
「そう……」
秦明は茶を一口すすると、静かにうなずいた。
「じゃあ、何もしなくていいんじゃないかな」
「い、いいんですか?」
「楊志さんはかわいそうだと思うけどね。宋江くんにも事情があるんでしょ。あ、ひょっとしてもう決まった人が居るとか?」
「ち、ちが、違いますよ!」
「そんなふうに慌てるとは却って怪しいなー、まあ楊志さんなら妾でもいいから傍においてくれって言いそうだけど」
「め、めかけ?」
「知らないの? 愛人のことよ」
この国の結婚制度は基本的には一夫一妻制だ。とは言え、皇帝の後宮などを想像してもらえばわかるとおり、裕福な人間であれば愛人を幾人も囲っているのが普通である。高級官僚や大商人ならその数は二桁にものぼるし、農村の名主程度でも一人や二人は居てもおかしくないのである。
「いいんですか、そんなの?」
「良くはないわよ。やっぱり女としては面白い話ではないし。でもまあ、捨てられちゃうよりはましじゃない? うちのお父さんも三人くらいいたし。あの子だって都会の名門の家に生まれたならその辺の機微は察するでしょ」
中国の愛妾は基本的に本妻がいる家と同じ家に住んでいる。だから子供からでも父親のそうした状況を察するのは難しいことではない。
「宋江くん。故郷に帰ったらお金持ちなんでしょ。十万貫を九人で山分けするんだっけ? まあそれだけあれば妾の四、五人くらい、軽く養えるじゃない」
現代で生きてきた宋江からすると中々受け入れるのに難しい倫理観ではあるが、この国の常識ではさほど問題ないようだった。
「とまあ、それはそれとしても、この間の事は謝らないとね」
「ええ、それはもちろん」
「じゃ、行きましょうか」
秦明はがたりと立ち上がった。
「行くってどこにですか?」
「贈り物くらい持っていくべきだと思わない?」
秦明がそう言って次に宋江を引っ張っていった先はこの町で一番大きな通りだった。通りの両側には煌びやかな商店がいくつも軒を並べている。
「秦明さんじゃないですか、たまには寄ってくださいよ!」
「お嬢様! 新しい商品が入りましたよ!」
秦明がその通りを進むごとに両側から声がかけられる。
「お嬢様?」
「父さんがこのあたりで商売してたからその名残よ。店自体はもう人手にわたったけどね」
秦明はよってくる売り子たちに応対しながらも宋江の疑問に答えた。
「ところで、秦明ちゃん。となりのお連れさんはひょっとしていい人かい?」
「残念ながらそんなんじゃないの。この人は都にいる友人の遠縁で……」
当然というかなんというか、話題は秦明の隣に居る宋江にも及んでくる。身奇麗にした宋江は肌の白さや線の細さもあって周りの人間にはどこかいいとこの坊ちゃんにも見えるのだろう。宋江に商品を薦めてくる人間もいた。
「あ、あの……」
これほど強烈な売り込みは宋江には経験なく、困ったように秦明を助けを求めたのだが、
「秦明様! 結婚式のご用意でしたらぜひうちに!」
「お酒はうちで準備させてください!!」
「だからそういうんじゃないってば!」
秦明も秦明で勘違いした連中の対応に苦慮しているようだった。
「秦明さん、と、とりあえず逃げませんか?」
子宝を授かるための薬、等という怪しげな小瓶を差し出してくる男を振り払いながら宋江は呼びかけた。
「そ、そうね。これじゃさすがに面倒だし……でも、どうしようあんまり手荒なまねをするわけにもいかないから」
「でもこの囲みを抜けるのも難しそうですね」
宋江はそう言って辺りを見回す。周りには無関係の野次馬まで集まってきてちょっとした騒ぎなっていた。
「上に逃げるというのは如何でしょう」
「上?」
「伸びろ!!」
宋江がそう叫んで手を振り上げる。すると宋江と秦明の足元からにょきにょきと木が生えて二人の体を樹上に運んでいく。
「気功!?」
秦明は驚きながらも伸ばした宋江の手をつかむ。木はそのまま常軌を逸したスピードで成長し、宋江は手近な建物の、屋根の上に降り立った。秦明も少し遅れて宋江に引っ張り上げられる。
「あなた、こんなことができたのね。やるじゃない」
「あはは、どうも……でも、却ってめだっちゃいましたかね」
下を見下ろすと群集のボルテージは却って増したように見える。突然木が生えたメカニズムはわかるにしても、その強硬な逃走手段が商売人たちに火をつけてしまったそうだ。
「まあ、まさかなぎ倒していくわけにもいかなかったから良しとしましょうか。とりあえず通りの反対側に降りてから目的地に向かいましょう」
「それはまた災難でございましたな」
秦明につれられた先の商店で二人を迎え入れた初老の男はここにやってくる経緯を聞いて、朗らかに笑った。
「一つ間違ったら笑い事じゃすまなかったわよ」
「仕方のない事でございましょう。ここらの人間は皆、秦明様の事を子供のときから知っている人間が多いですから、ご友人とは言え、若い男を連れて来られれば、騒ぎもしようというものです」
白い口ひげをたくわえたその男は秦明を諭すようにそう言った。
「さて、それで、本日はどのようなご用件ですかな?」
「今日は玉を買いに来たのよ。ああ、買うのはこっちの宋江ね。小さいものでいいからみせてくれない?」
「なるほど、かしこまりました。お待ちください」
そういってその初老の男はすぐに引っ込んでしまう。
「あの、秦明さん。ギョクってなんですか?」
「ほら、こんなやつよ。見たこと無い?」
と秦明はその部屋にかざってあった薄緑色の石を指差した。
「ヒスイ?」
翡翠は中国において古代より玉とも呼ばれ黄金よりも珍重されていた宝石である。人物の徳を高めるとも、災いを防ぐとも言われ、歴代の皇帝の身の回りの品物にも装飾として使われた宝石だ。
「今まで迷惑かけてたっていう自覚あるんでしょ。このくらいあげても、いいと思うけど?」
「そ、それは良いんですけど、僕もうあんまり持ち合わせが無くて、大丈夫でしょうか……」
先日、二竜山で山賊に有り金の大半を宋江は奪われており、あまり自由になるお金はない。
「足りなかったら貸してあげるわよ。どのくらいあるの?」
「えーと、たしか、五貫くらい……でもそれも家に置きっぱなしなんですけど」
「私が一緒なら後で払うって言えば大丈夫なはずよ。それに予算も五貫もあるなら問題ないわよ」
とその時になってさきほどの初老の男が戻ってきた。後ろに何人かの人間を連れている。
「お待たせいたしました」
一礼してその男は卓の上に様々な装飾品を丁寧に並べていく。腕輪や首飾りのようなものからどういう用途かわからないわっかのようなものまで色々とある。ただ何にせよ、宋江には価値の判別がつかないという意味では一緒だったが。
「これが現在の在庫になります。如何でしょうか」
「どう、宋江。良さそうなの、ある?」
男の問いを秦明がそのまま宋江に丸投げする。
「ええと、どういうものがいいんでしょうか?」
「楊志さんに似合いそうなもの、これはさすがにあなたが選ばなくてはね。本当は店を回らせたかったけどあの騒ぎでそうもいかなくなちゃったし」
「そうですね……」
宋江は素直に頷くと少し悩んで並べられた装飾品の中からシンプルな首飾りを選んだ。黒い簡素な紐で涙型の翡翠が銀の台座に嵌めこまれた地味なものである。しかし、その翡翠の鮮やかさは他と比べるとひときわ美しい(ように宋江には見えた)。
「ほほう、お若いのに目が肥えていらっしゃいますな」
「そうなんですか? あまりどういうのがいいかわからないから、地味で他の服とかとの邪魔をしないやつのほうがいいかなって思っただけだったんですけど……」
「そちらの品物は装飾品というより、お守りの類でございますが、かまいませんかな?」
「お守り?」
「邪気を払い、家内安全、夫婦円満、商売繁盛、立身出世、その他諸々に効果がございます」
ちょっと茶目っ気のある目で初老の男はそう笑う。
「鄭さん。それでこれ、おいくら?」
鄭というのがその初老の男の名前のようだった。そして彼の提示した額は秦明の言うとおり、宋江の持ち金でもなんとかなる範囲だった。秦明が確認するように宋江を見るので宋江も承諾の意を込めて頷き返した。
「ではこれを頂けますか」
秦明が言うと初老の男は恭しくその翡翠を受け取り、箱へと収めた。
「ありがとう。ついでだからこのまま少し休ませてもらっていい? まだ表も煩そうだし」
「ええ、かまいませんよ。それでは私共は別室に控えておりますのでなにかありましたらお呼びください」
そう言って静かに彼は退出していった。
「あれで楊志さんは許してくれるでしょうか」
鄭が部屋から去った後に宋江はふっとため息をつく。
「許してくれると思うわよ。なんて言ったって好きな人からの贈り物だもの」
そういう言い方をされると(もちろん、そんなつもりは秦明には無いのだろうが)、なんだか自分がほれた弱みにつけこんでひどく卑怯なことをしているように思えた。
「そんな顔をしないの」
その考えが顔に出たのか、秦明がこつんと頭を軽く叩いてくる。
「本当はそれはとても素敵なことなのよ。十万貫の財宝を奪ったり、何百もの敵を打ち倒すよりもずっとね」
宋江がどう答えたものか迷っていると秦明は言葉を続けた。
「私、あなたはもう少し自信を持つべきじゃないかと思うの」
「どういうことですか?」
「……この間の楊志さんを怒らせた件にも通じることだと思うけど、あなたは自分に対する評価がとても低い気がするのよね」
少し真面目な顔をして秦明は言葉をつむぐ。
「でも、実際僕は強いわけでも頭がいいわけでもないですよ」
「まさにその言い方よ。私が言っているのは」
秦明は宋江のほっぺたを不満そうにつつく。
「私の推測だけど、あなたさっき話した晁蓋や呉用って人と、無意識に自分を比べていない? 確かに彼らはすごい人達なんでしょうけど、だからといってそれはあなたがすごくないという意味ではないはずよ?」
宋江は反論できずにいた。言われてみれば彼自身にも思い当たる節が無いわけでもない。
「少し心配だわ。あなた本当に故郷に帰らなくて大丈夫だったの? 強い人や賢い人たちだけじゃどうにもならない部分があるのよ。あなたがいなくてさびしがってる人や困ってる人がいるんじゃないかしら」
「た、多分、大丈夫だと思いますけど……」
「その言葉が信用ならないんだけど、まあとりあえずは置いておきましょうか」
秦明は先ほど、宋江が買い求めた翡翠の首飾りの入った箱をそっと持ち上げた。
「私が言いたいのはね、あなたには力があるってことなの」
秦明は宋江の手にその箱を乗せ、そっと包むように手を握る。
「力?」
「そう、腕力でも、知力でも、権力でも、財力でもない。でも人を幸せにできるという何より尊くて大事な力が。あなたが滄州でやってきたことがいい例じゃない」
にっこりと秦明は笑う。
「だからこれはお姉さんからそういう力をもったあなたに対するお願い。あなたにも色々と事情があるらしいことはわかるけど、その上で、周りの人のこと、考えてあげてね」
「はい、わかりました」
まっすぐに秦明の顔を見つめて宋江はうなずいた。
「うん、いい返事よ」
そう言って秦明は宋江の頭をぽんぽんと叩く。
「まあ、ついでだから私がこの後も結婚相手見つからなくていよいよ切羽詰ったら拾ってくれるとうれしいわ」
「えええ!?」
「大丈夫、大丈夫。生活の面倒は自分で見るし、遺産とかもうるさいこと言わないわよ。ちょーっと子作りに協力してくれればいいだけだから」
「え? あの、子作りって……」
想像して宋江は真っ赤になる。が、秦明はその宋江の真っ赤な顔に気づかないようで憂鬱そうなため息を吐きながら言葉を続けた。
「家を継がせなきゃいけないからねー、どうしても子供が必要なのよ、私の場合」
「た、大変なんですね」
結婚同様、出産・育児などという単語も十六の宋江にしてみればまだまだ縁遠い話でなんと答えていいものかわからず、やっとのことでそれだけ口にした。
「ま、宋江くんに愛想つかされるような年齢になる前になんとかするつもりだけど、どうしようもなくなったら頼らせてね。いくつくらいまでなら大丈夫なの?」
「え、だ、大丈夫ってそれは……」
「もう、女の人に言わせるつもりなの? 面倒見てくれるかってことよ」
「答えにくいですよ、そんな質問」
「ふふ、まあいいわ。その前に自分でどうにかするつもりだしね。 それより、そろそろ帰りましょうか! 楊志さんも待ってることだしね」
「そ、そうですね、あはははは」
宋江が不自然に乾いた笑いを上げると立ち上がって秦明の後に続いた。




