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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第四話 騒乱編
48/110

その三 宋江、心を奪われるのこと

 一方、魯智深(ろちしん)たちは順調に二竜山(にりゅうざん)内部へ侵入していた。とりあえず、捕虜という形になり、素直に牢屋に入っておく。気功使いということは隠し通せたため、それを封じられる禁気呪(きんきじゅ)も付けられること無いので、ちゃちな牢屋はいつでも外に出ようと思えば出られる。だが三人は宋江(そうこう)がどこにいるかわかるまでは脱獄しようとはしなかった。


 当たり前だが三人と宋江が仲間だということは山賊たちに知られている。おまけに若い女性など珍しいこともあったのだろう。ここに来るまでに砦の中で、かなり注目をあびてしまった。ここで自分たちが暴れだしては宋江にどんな被害が及ぶかもわからない。なので三人は宋江に接触できるまでは大人しくしているのだが……


「ちょっと……本当にこんなので踊るわけ?」


楊志(ようし)はまじまじと自分を見下ろしながら言う。三人のことを何も知らない、つまりただのか弱い女と思っている山賊から今日の宴会に出てもらう、ということで渡された衣装なのだが、それはかなり扇情的なものだった。


 楊志がまとっているのは白一色の上から下までが一体になった服だ。同じ色の帯で腰のところを締めるようになっている。ところどころに飾り布がついており、それらと袖口や裾が楊志が動くたびにふわりふわりと、宙を舞う。形だけみれば、それほど妙なものではない。


 しかし、問題はその衣装の生地だった。これでもかというくらい薄い絹一枚でできたその衣装は、その下にある肢体を隠しておらず、暗い場所でも少し注視すればその下にある体の線が隠しようも無くはっきりわかってしまうものである。おまけに三人がこの薄絹以外に身につけているのは胸と足の間を申し訳程度に覆う黒い帯だけであった。


 現代風に言えば、チューブブラとティーフロントの上にシースルーのネグリジェを一枚羽織っているだけ、といったところだろうか。ちなみに薄絹の衣装はそれぞれ、楊志が白、魯智深が赤、林冲が青だった。


「まあ、心配しなくとも踊る時間はそう長くあるまい。おそらくすぐに寝所につれこまれるだろうな」


林冲が驚くほどに淡々と言う。楊志もさすがにこの段階では自分たちに求められることを察しており、顔を真っ赤にして怒鳴った。


「そっちのほうが問題でしょ! どうするのよ! そんなことになったら!」


「何言ってるの。寝所に行ったら相手は一人なんだから何かされる前に速攻でのしておきゃいいじゃない」


「あ、そうか……」


その魯智深の呆れたような言葉に楊志は知恵の輪の解き方を示された子供のように得心がいったといいう顔つきになった。


 ふと、楊志は二人の表情を見つめる。こんな状況になっても二人はいつもどおり、落ち着いたままだ。最も、林冲はもともと感情の起伏に乏しい方なのだが。


「あなたたち、よく平然としてられるわね……」


二人も自分とほぼ同じ格好をしている。同性しかいないこの場にあっても落ち着くことのできない自分とは対照的だった。


「一応言っておくけど、あたしは恥ずかしいのを我慢してるのよ」


何も答えない林冲の様子をちらりと見上げながら、魯智深が口を尖らせる。よくみればさすがの彼女も頬が若干赤い。


(というか、あなた達はまだいいわよね)


楊志はふと自分の体と二人の体を見比べた。


 魯智深と自分の背の高さはほとんど変わらないはずだ。むしろ自分のほうが少し高いぐらいである。だというのに彼女の胸や腰には自分のそれとは比べ物にならないほど魅力的な丸みがあった。


 林冲はさすがに武人だけあって、自分よりも背がずっと高い。手足もすらりと長く、この衣装ですら彼女が着るといやらしいというより、どこか神秘的な雰囲気をまとっていた。


 それに比べて自分はどうだ。全体的に華奢で背も低く、胸は無いとは言わないが他の二人に比べれば小さなものだし、それ以外の場所も魯智深のように丸みを帯びておらず、どことなく骨ばった印象がある。


(私ももう少ししたら違うのかしら)


年齢で言えば、自分は十七、林冲は二十、魯智深は二十一だ。そういう意味では未来に希望があるかもしれないが三、四年で二人のようになるというのは期待し過ぎというものだろう。おもわずため息が出る。


「ちょっと、どうしたのよ。そんな溜息ついて」


「なんでもないわよ」


魯智深が耳ざとくそのため息を聞きつけて、背中から声をかけてくるが不機嫌に楊志は答えた。


「大丈夫よ、宋江は優しいからきっと受け入れてくれるわよ」


自分の心を見透かしたような薄気味悪い笑いを浮かべて魯智深が言ってくる。


「か、かか、関係ないでしょ!!」


「うん? 楊志はあれか? 宋江に懸想(けそう)しているのか」


少し目を見開いて林冲が言ってきた。その遠慮のない直裁的なものいいに楊志はますます顔の温度があがるのを感じる。


「ち、違……!」


と楊志が否定しかけたときだ。


「みなさん、ご無事で! ……すか?」


 バン! と格子戸の向こうにある扉が派手に開かれて宋江が姿を現した。








 扉を開けた先に三人はいた。宋江が派手な音をたてたせいか、みな、びっくりしたようにこちらを振り向いている。特に楊志が一際驚いた表情を見せていた。


「そ、宋江!? あ、あの、違うのよ! 今のは、そのなんていうか、売り言葉に買い言葉って言うか……」


「え? あの? なんのことです?」


突然、そんなふうに切り出されても前の会話を聞いていない宋江には全くわけがわからず、ぽかんとするしかない。


「へ? あ……ち、違うの。ごめん。……って、そんなことより怪我してるじゃない! どうしたの!?」


 格子戸に近づくと楊志が駆け寄って、その格子の隙間から宋江の頬に触れてくる。そう言えば劉高(りゅうこう)に殴られたのだった、と今更のように宋江は思い出した。


「あ、いや、大したこと無いですよ」


宋江は楊志を安心させるために、微笑を浮かべた。


「ところで皆さん、どうしてこんなところに?」


「何言ってるのよ。あなたがここに捕まってるって言うから捕虜のふりして乗り込んできたんじゃない」


むすっとした調子で楊志の後ろにいた魯智深が言ってくる。


「あ……す、すいません」


思わず宋江は恐縮してしょぼんと頭を下げた。


「そう気にするな。君の旅の安全は連れ出した我々が面倒を見るべきだろう。そういう意味では落ち度は君から目を離した我々にもあるのだ」


林冲も近づいてきて安心させるように微笑んだ。


「それより、顔の怪我はおいておくとしても、他は大丈夫なのか? 怪我は本当にしていないのか?」


顔を少し真剣なものにして林冲が聞いてくる。


「はい、大丈夫です。顔の怪我もちょっと殴られただけですし。ここに来てからもそんなにひどい目にあってないです。そんなことより皆さんのほうこそ……」


大丈夫ですか、と言おうとして宋江は視線を三人の首から下に落とし、ようやくその三人の格好に気づいた。


「きゃっ!」


宋江の視線の行く先に気付いたのか、楊志が可愛らしい声をあげながら体を手で隠す。彼女もまた自分の格好のことなどすっかり失念していたのだろう。


「あの……皆さん、どうしてそんな格好を……」


言いながらも、宋江はついまじまじと見てしまう。通常、そうした欲情を(あわら)にするのは羞恥心を覚える彼(ムッツリとも言う)でも目を離せないほど、今の三人は扇情的だった。


「この山の連中からこれに着替えろと言われていたものでな、まあ、あれだ、男の欲望をかきたてる衣装なわけだ。正直、この段階で君に会えてほっとしている。このままだと我々はこの山の男どもの無遠慮な視線にさらされるところだった」


林冲は相変わらずこんな状況にあっても冷静なままだった。ほっとしていると言うが、いまいちわかりにくい。


 なるほど未練が残るだけと、髭面が言ったのはこのためなのだろう。今夜、他の男のものになる女に会いに行くのか、という意味だったのだ。


「ねえねえ、ところで宋江、どう思うこれ」


言って赤い衣装を身に纏った魯智深はその場でくるりと回ってみせる。すると薄絹で作られた幅広い袖やすそがひらひらと舞った。


 だがそれ以上に宋江の視線を釘付けにしたのは動くたびに揺れる魯智深の柔らかい体だった。ふともも、胸、尻、二の腕、背中。惜しげも無く晒され、時に赤い幕の向こうで震え、時にその隙間からちらりと肌色を覗かせるそれらに、胸が苦しくなるほどに鼓動が早まる。


 その場で何度か回転した魯智深はこちらを見上げてきた。


「ちょっとー、黙ってないで、何かいいなさいよ」


不満げに頬を膨らませてくるその動作動作一つ一つでさえ、計算されたかのようだった。こちらを見上げてくる大きな瞳。柔らかそうなほっぺた、赤い唇。上体を少しかがめたために揺れる胸。そして後ろにつきだされるようにされた背中とおしり。宋江はいつの間にか、そこに生えている産毛すら見えると錯覚するほどに魯智深のことをみつめてしまっていた。距離が近づき、ミルクのような甘くて優しい香りがする。


「あれ? 宋江? どうしたの?」


黙りこくってしまった宋江を心配するかのように魯智深がさらに距離を詰める。宋江の視線は花の匂いに誘われる蝶のように魯智深の体に近づいたり、離れたりした。そんな風に落ち着きをなくしたまま、宋江は魯智深の質問に答えた。


「あ、あの、きれいだと思います。とても……その、えっと、なんていうか、暖かそうっていうか、柔らかそうっていうか……」


「え? あ、うん、あ、ありがと……」


思いがけず素直で直裁的な宋江の言葉に魯智深は珍しく戸惑ったようにもごもごと言葉を紡ぐ。


「………」


「………」


「ほ、ほらほら、楊志も後ろで隠れて無いで! 折角こんなの着てるんだから見せてあげなさいよ」


「ちょ、ちょと待って、押さないでったら!」


なんとなく気まずくなった場をごまかすように魯智深はぐるりと立つ位置を楊志と強引に入れ替えた。強引に宋江の目の前に立たされた楊志は顔を真っ赤にして手で自分の体を隠すように抑えている。


「あ、あの……」


宋江は何と言っていいかわらかず、言い訳のように意味のない音を出す。そんな宋江の様子を楊志はちらちらと見ながらか細くつぶやいた。


「み、見たい……の……?」


宋江は首を少しだけ縦に動かす。するとおずおずと楊志の体から手が離れていった。


「こ、これでいい……?」


手を後ろに組んで顔を真っ赤にしながら楊志はぎゅっと目をつぶる。まるでそうすれば宋江の視線から逃れられるのだ、とでも言うように。


「は、はい……」


楊志の水色の髪に白い衣装という出で立ちは、どこか妖精を思わせる可憐な美しさを醸し出していた。そしてそれと相反するような扇情的な衣装と羞恥のために赤くなった彼女の華奢な体が庇護欲を掻き立ててくる。


 すらりと細い手足にくびれた腰。ちょこんと可愛らしく体の中心におかれたおへそ。控えめながらもはっきりと存在感をもった乳房とその上の鎖骨。壊れてしまいそうな首に愛らしい唇。そしてぎゅっとつぶられた瞳とりんごのように真っ赤な頬。全てが(あい)らしく(いと)おしい。


「も、もういいでしょ……」


震えた声で楊志が言うと、ようやく宋江は我に返った。


「あ、ご、ごめんなさい……」


「謝らなくていいけど……」


言いながらささっと楊志はまた自分の手で体を隠した。


「宋江、感想ぐらい言ってやったらどうだ?」


林冲がどこか微笑ましげな表情を浮かべながら催促してくる。


「え? そ、そうですか? えっと……」


そこで宋江はじっと楊志がこちらをにらむように見つめてきていることに気付いた。妙なプレッシャーを感じながらも宋江は素直に思ったことを話す。


「可憐……でした。えっとこう言ったら怒られるかもしれないけど、すごく可愛らしいっていうか……」


そう言うと楊志は体を両手で隠したまま、俯いてしまう。何かまずいことをいってしまっただろうかと思い、宋江は言葉を重ねた。


「べ、別に頼りないとか、そういうんじゃないですよ! えっと……だからなんて言うんでしょう、思わず守ってあげたくなってしまうっていうか、抱きとめたくなるっていうか……」


「も、もういい、もういいから……」


宋江が途中まで言ったところで楊志から制止の声が入る。彼女は俯いたまま顔を手で隠すと全身で拒否するように体を振る。


「す、すみません。変なこと言ったつもりはなかったんですけど」


「ち、違うのそうじゃなくて……」


楊志はぼそぼそと答える。


「宋江にほめられるのが、なんだかすごく恥ずかしくて……」


「それは……」


どう返答したらいいものか、困ってしまった宋江も思わず下を向いてしまう。そのまま真っ赤な顔で二人は無言でいた。


「さて、お披露目も終わったのだから、着替えるとするか? もう大人しくここにいる意味もあるまい」


その沈黙を崩すように林冲が助け舟を出した。のだが……


「待って。林冲だけ、見られてないって納得できない」


「そうね、ここまで来たらどうせだから全員見てもらいましょ」


脱いだ服の山にもどろうとする林冲をやけくそになった楊志と面白げな顔をした魯智深がひきとめる。


「む、私か?」


「あの、僕は別に……」


慌てて否定しようとする宋江を無視し、楊志と魯智深は引っ立てるように林冲を宋江の前に押し出す。


「ふむ……こんな感じででいいのか?」


林冲は突っ立ったまま、腕だけ胸の下で組む。それだけだというのに彼女が長身ということもあってなんだか絵になってしまう。


 林冲の体は一種の芸術品のようだった。滑らかな肌で覆われた長い足はすらりと長く、引き締まった体はギリシャ彫刻のように整えられており、乳房や腰の丸みもその芸術を壊さないギリギリのところで膨らんでいる。(からす)の濡れ羽色の長い髪はストレートに腰のあたりまでおりてきており、それが背景のコントラストとなって林冲の白い体のラインをはっきりとうかびあがらせてた。


「むう……中々に恥ずかしいものだな、これは……」


「あ、ご、ごめんなさい……」


宋江がその言葉に視線を外す。


「ふむ。それでどうだった?」


「え?」


まさか林冲から感想を要求されるとは思わず宋江は少し、呆けた。


「二人に言って私に言わないのは少し不公平というものではないか」


珍しく林冲はかたちのいい目鼻立ちを少し曇らせてきた。


「えっと、それなら……」


宋江はしばし言葉を探すように視線を宙に迷わせた。


「きれいだなって、その魯知深さんも楊志さんもきれいだなって思うんですけど、ちょっとそれとは意味合いが違って、なんか神々しいっていうか崇高っていうか、そんな感じでした」


「ふむ……」


林冲がその宋江の感想に対して何を思ったのかは、いまいちわからなかった。


 無粋を承知で対比するとすれば、魯智深のは触れたくなる美しさ、楊志のは()でたくなる美しさ、そして林冲のは崇めたくなる美しさというべきだろうか。


「さて、それでは私のお披露目も終わったことだし、改めて着替えるとするか」


「あ、うん。そうね。宋江、悪いけどちょっと出てってくれる?」


「ええ、わかりました」


楊志に言われて、宋江は外で待つことにした。


 外に出て後ろ手で扉を閉める。すぐ近くで待つのもなんだか失礼な気がして数歩あるいたところで、壁によりかかることにした。


「おい、お前」


とそこに呼びかける声がした。声の発生源を見て、思わず眉根を寄せる。その声の主は劉高だった。


「なんですか」


警戒も(あらわ)に答えるとと相手も憮然としたまま返答してくる。


燕隊長(えんたいちょう)から命令だ。この倉庫の中、片付けとけって」


言って劉高は彼のすぐそばにある扉を指差し、宋江の返事を待つことなく、中に入っていった。


 宋江は劉高の入った扉を眺めた。朝のこともあるので、できれば魯智深たちとあまり離れたくないが、彼女たちは自分のためにあそこまでしてここにいるのだ。ここで自分が騒ぎを起こしては、あまりに申し訳ない気がする。


 後ろ手にこんこんと扉を叩くと、はーい、と中にいる魯智深の声がする。


「すみません。仕事言いつけられちゃいました。この部屋を出て最初の左の倉庫の中にいます」


わかったー、と返事をしてくるのを確認すると宋江は劉高の後を追った。








「うわ……」


倉庫の中はかなりごちゃごちゃとしている。入り口周辺の半径二メートルほどしか歩くスペースが無く、その外側にはものが散乱していて、比喩でなく足の踏み場もない。その向こうには棚があるものの、きちんと整理されているとはいいがたく、それは床の混沌を単に棚の中に移し替えているだけの様に見えた。棚自体が崩壊しているものも珍しくない。


 見回してみると見覚えのある魯智深たちの荷物も入り口の近くに置かれていた。ただし、いつも魯智深が持っていたあの錫杖はない。もし、あれを取り上げていたら、魯智深達が只者ではないのは一発でばれるからどこかに隠してあるのだろう。持ち上げた感じ、中に入っているのは衣服などの身の回りのものだけのようだった。


「お前はそっち側やれ」


劉高は左手の方向を指さしてくる。彼は既に右手の方向の荷物をより分け始めていた。


「片付けるってどうするんですか?」


「知るかよ。適当に棚の上に乗っけておけ」


ぶっきらぼうに言われて、まあ今日中には出て行く砦だし適当にやっておくかと思いながら、宋江はとりあえず手近なものを持ち上げる。それはただのぼろ布のようだった。


(捨てていいんじゃないかな、これは……)


そう思ったがとりえあえず手近な棚に無理やり場所を作ってしまいこもうとした瞬間だった。


「うらぁっ!!」


乱暴な劉高の声がしたかと思うと唐突に脳内に火花が飛び散るような激痛に襲われた。攻撃されたのはわかる、そしてその硬さは明らかに人体によるものではない。おそらく木の棒か何かを打ちつけられたのだ。それからほとんど間をおかず、背中に感じる衝撃。


「ぐっ……! あっ……!」


反射で手を頭をかばった瞬間に背中を蹴り飛ばされたらしい。それがわかったのは少し後のことだが。何にせよ宋江は背中を押し出されてたたらを踏み、倉庫に乱雑に置かれていた何かにけつまづいて倒れこんだ。


 今度は手が忙しく前に移動し、とっさに正面から激突しそうな体をかばうために前に出る。だが、体重を支えようとして捕まった棚板は宋江の体重に負けてあっさりと壊れ、宋江はそのまま、棚に頭から激突した。

 これもまた後でわかったことだが、宋江は額を丁度棚に置かれていた金属片にぶつけていた。ぶつけた箇所から血がだらだらと流れる。見た目の派手さに比べて、痛みは少ないがその血が目に落ちてきて視界が真っ赤に染まったことに動揺したのと、不自然な体勢のまま倒れてうまく身動きがとれないことで宋江は軽い混乱に陥った。


「な、何すんだよ!!」


「るせぇっ! てめえの! せいで! こっちは! ひどい目にあってんだよ!!」


この状況でそんな問いかけに意味があるわけもなかった。事実、劉高は一言一言を区切りながら執拗に宋江の背中に攻撃を与えてくる。


 だが背中に受ける攻撃はおもった程痛くない。元来、そこは体の中でも痛みを感じにくい部位だ。おまけに劉高の攻撃は単調で大した力もない。前に受けた晁蓋の手加減した攻撃のほうがまだ痛いくらいだ。


 落ち着いて考えてみれば、宋清(そうせい)のいた村で多数の人間に囲まれていた時や滄州(そうしゅう)で刃物を持った敵と相対していた時の方が状況としてはずっとひどい。そう思うと今のこの状況は大した事とは思えず、宋江は落ち着いて体勢を立て直すことができた。


「いい加減にしろよ!!」


攻撃してきた棒を当たった瞬間に後ろ手で引っ掴んで抑える。ぎぎ……と、相手が無理やり宋江の手を剥がそうとして引っ張るが、宋江も簡単に離しはしない。そして、そのまま宋江は体勢を立て直して立ち上がると腕を回転させ、暗闇の中で遠心力の乗った一撃を相手にぶつけた。


「いい加減にしろっつってるだろ!!」


暗闇の中でめちゃくちゃに振り回したはずの拳は面白いほど綺麗に相手にぶちあたった。


「ぶべ!」


劉高が奇妙な声を上げてたたらを踏む。


「て……めえ……!」


ぎりっと鼻血を出した劉高の顔が憎々しげにそまり、彼の足蹴りが飛び出してきた。逃げる場所もなく、宋江はそれをまともに受けておもわず腹を抑える。その瞬間に持っていた棒が宋江の手から離れた。

「死ねっ!!」

劉高が持っていた棒を高々と掲げ……次の瞬間、消えた。


(?)

何を疑問に感じたのか、宋江が心中で言葉にするよりも先に倉庫の奥で派手な音が上がる。見るとそこには豪快に壊れた棚の部品とその棚に乗っていた物品が、うずたかく山を作っており、その中腹辺りに劉高と思わしき人物の足だけががらくたの中から飛び出ていた。


「大丈夫か?」


改めて正面を見上げるとそこにいたのは半裸のままの林冲だった。ズボンははいているものの、上半身は先ほどつけていた帯しか身につけていない。


「宋江!?」


宋江が何かを言う前にその脇から楊志が飛び出してくる。こちらは逆に先ほどの帯に上掛けしか羽織っておらず、下半身はあの刺激的な帯以外何も付けていない。


「血がでてるじゃない!」


「え……あ……?」


そこで宋江はようやく視界が真っ赤に染まっていた原因を把握した。


「そ、そうか。額を切っちゃったのか……」


「い、痛くないの!? 大丈夫なの!?」


「はい。そんなには……っ!」


他に何か傷ができてないか探ろうとして、後頭部を触った瞬間に鈍い痛みがはしった。どうやらコブができているらしい。思わず顔をしかめる宋江に楊志が目尻に涙を浮かべながら言ってくる。


「ど、どこか、痛いの? 平気?」


「いや、多分、こぶができているだけだと思うんですけど……」


探るように後頭部をもう一度撫でると、ある一帯を触った瞬間、ずきりともう一度痛みが走った。


「ああ、本当だ……ごめんなさい。私が目を離したばかりにこんなことになって……」


「いえ……僕が勝手に歩き回ったのがいけないんですから……楊志さんが気にすることは……」


宋江は慌てて手を振ると問題ないことをアピールするように立ち上がった。


「あの、それより、お二人のその格好は……」


「ああ。騒ぎを聞いて急いで飛び出してきたものでな。だが、残念ながらそのようなことを気にしている場合ではないようだ」


林冲は超然としたまま、扉の外に出る。


 林冲の視線の先に意識を集中させると、宋江の耳にも口々に山賊が騒ぎ立てる音が響いてきた。今の轟音がとどめとなって砦の中で何かの異変を察した連中がいるらしい。


「はいこれ! とっとと着なさい!」


そこに現れたのは魯智深だった。彼女はきちんと着替えを終えており、林冲と楊志にそれぞれ衣服を投げ渡してくる。


「すまない。助かる」


林冲は簡潔に礼を言うと上着を羽織り(ただし、前ははだけたままだ)、油断なく前を見据えた。楊志も今更ながらに自分の格好に気づいたようで慌てて魯智深に礼を言うとズボンをはきはじめた。


「おい、女達が牢屋から出てるぞ!!」


階段を降りてきた山賊のうちの一人が大声を上げた。山砦の中はやにわに騒々しくなりはじめた。

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