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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第四話 騒乱編
47/110

その二 宋江、言いがかりをつけられるのこと

「そっちはどうだった?」


「念のため、丘にも登ってみたが見つからなかった」


「んもう、どこほっつき歩いてるのかしら、あいつったら」


魯智深(ろちしん)は腰に手を膨れてみせた。


 今朝起きてみれば宋江(そうこう)の姿が無く、楊志(ようし)林冲(りんちゅう)とも手分けして探したが、今に至るまで杳として行方が知れない。


「どこかで怪我してて動けないとか?」


「それなら声ぐらい出せるはずでしょう。あたし、何度も名前呼んだわよ」


楊志の意見を否定的して、魯智深は首を振った。


「しかし、となるとどうしたのだろうな。荷物があるということはすぐ戻ってくるつもりだったのだろうが……」


林冲はそこで言葉を止めた。魯智深には彼女の言いたいことがわかった。ここまで探していないとなる後は人食い虎か熊にでも襲われた可能性を考えねばなるまいが、そんな縁起でもない事を口に出すのは林冲も魯智深も気が咎めたのである。


 三人が沈鬱な雰囲気に包まれた時、それを良くも悪くもぶち壊しにするような声が辺りに響いた。


「おい、宋江って奴の仲間はいるか!!?」


中年の男の声だった。それが川原の方からしてくる。

「わ、私、行ってくる!」

止める間もなく楊志が飛び出し、魯智深も林冲と顔を見合わせると後を追った。


 魯智深と林冲が川原に降りると明らかに堅気の人間と思えない男が二人、楊志と対峙していた。


「楊志、どうなってる?」


林冲が呼びかけると、彼女は助けを求めるかのようにこちらに顔を向けた。が、彼女も何がなにやらわかっていないようで、困ったように首を傾げるだけだ。


「おい、すげえぞ、三人もこんな上玉がいやがる」


「ああ」


下卑た欲情を隠そうとしないその二人に魯智深は眉をひそめた。


「どちら様?」


「へっ、俺たちゃ、二竜山(にりゅうざん)の山賊、鄧竜(とうりゅう)一家のもんだ」


魯智深の簡潔な問いに年かさのほうの男が胸を張って答えてくる。


「今朝方、お前らの連れを預かった。返して欲しきゃお前らが持っている二十貫の現金、まるまるわたしてもらおうか」


「二十貫?」


魯智深は自分の記憶を探り出すと、ああ、と声を上げた。そう言えば、柴進(さいしん)から宋江に渡されていたお金がそれくらいだったろう。


「宋江は今、あなたたちのところにいるのね?」


ある意味、ほっとして魯智深は問い返す。このように言ってくるということは今のところ、宋江は無事なのだろう。人食い虎や熊よりは安心できる。


「おお、こいつを読んで見ろ」


ぽいっと若い方の男が紙切れを渡してくる。一番近くにいた楊志が受け取り、開く。


「ええと……」


楊志の横から魯智深も覗き込む。ぶつ切りの言葉でわかりにくいが、どうやら宋江がこいつらにとっ捕まったというのは事実で、とりあえず金さえ払えば無事に返してくれるらしい。


「一応、確認しておくけど、黒髪の男よね? こう、癖毛で、目の大きな……」


魯智深は身振り手振りを交えて聞くと、二人は頷いた。


「そうだ、このくらいの背の高さの奴だ」


男が自分の首の下あたりで手を水平に動かす。自分より少し高い程度、間違いなく宋江だろう。


「わかった。二十貫あれば宋江を無事に返してくれるのね」


「おう、と言いたいところだが……」


じゅるり、と年かさの男の口元から卑猥な音がする。


「気が変わった。お前たちにも一緒に来てもらおうかい」


「そりゃ、まあ……どの道、迎えにいかなきゃいけないからいいけど」


 どうも意味がよくわかってないらしい楊志があっさりと頷く。だが魯智深はあえてそれを止めないでいた。なんにせよ、宋江を助けるのなら、どの道、この男たちのところに飛び込む必要がある。こちらのことを無害な女だと思うようなら、それに乗るまでだ。


「しょうがないわね。ついていきましょうか」


ちらりと林冲を見上げながら言う。彼女はこちらの言いたい事を察してくれたようで軽くうなずいた。








 砦に着くと髭面の男は劉高(りゅうこう)という茶髪の男に宋江を引き渡した。どうも様子を聞くにこの男も宋江と同じく、山賊に捕まって無理やりここで働かされているらしい。髭面の男の前で、その劉高(りゅうこう)という男は哀れなくらいぺこぺこと何度も頭を下げてご機嫌を伺うようにしていた。背丈や体格は宋江よりも大きいはずなのだが、そのことが却って劉高の哀れさを際立たせているように見えた。


 ところが髭面の男がいなくなった途端に劉高はその表情を気弱で情けないものから傲慢なものへと一変させた。


「おい、何ぼさっとしてんだ。ついてこい」


乱暴に宋江に言うと、返事も聞かずにどかどかと砦の通路を進んでいく。


 上司と部下に対する態度が違うのは変なことではない、というのは頭ではわかっていても思わず目を疑う程の変貌だった。


 劉高に連れて行かれたのは砦の台所のような場所だった。あちこちに山と積まれた食器や鍋がある。それらを洗って棚にしまうのが仕事、とだけ言い残して劉高はすぐにどこかに消えていった、おそらく他に仕事を持っているのだろう、とその時は宋江はさほど彼のことを気にすることも無く仕事に取り掛かっていった。


 別にそんなに気合をいれて頑張る必要は本来無いはずであった。所詮、無理やりつれてこられた山賊の砦である。給料がもらえるわけでもないし、この砦の連中に、何か世話になった覚えも無い。適当にすませておけばいいはずであった。


 しかし、そこかしこに置かれた皿は幾日、放置されているのかもわからず、凶悪な腐臭を発していた。皿をどけた途端にその下からもさもさと何匹もの見たことの無い虫が這い出てくる、ということも一度や二度ではない。


 こんな状態では気合を入れねば食器を触ることすら嫌になってくる。そして、一度気合をいれてしまうと生来の真面目さが出てきて、宋江はまるでそれが自分の天職であるとでもいうかのように、どんどん皿や鍋を片付けていった。食器洗いくらいは前に宋清(そうせい)と暮らしていた時にやっているので洗剤のないこの世界でも大体どんな感じにすればよいかはわかっている。


 そうしておおよそ六刻(三時間)ほどたち、太陽が南中に差し掛かった頃だ。


「あれ?」


山賊が一人、やってきた。


「どうかしましたか?」


「……ここって炊事場だよな」


「ええ、そうですけど……」


何か気に障ることでもしただろうか、と宋江が不安になる横で山賊はまじまじとと周りを見渡した。


「すっげえ片付いてんじゃん、お前がやったの?」


「は、はあ、まあ……」


宋江が曖昧に頷くと男は別の疑念を抱いたようだった。


「お前、まさか食器捨てたりしてねえだろうな」


「そんなことしてませんけど……」


心外そうに口を尖らせるとその山賊は試すような笑みを浮かべてきた。


「ほう、じゃあ大皿四つ、欲しいんだけど、出せるか? 赤い龍と青い花の模様が入ってるやつな、あと、片手鍋二つ」


「ええーと、これですか?」


幸いにもそれは先ほどつい洗ったばかりだったので宋江は場所を覚えていた。ひょいっと棚から取り出す。


「お、すげえ。本当に出てきやがった」


 次いで別の男が姿を現す。


「あれ、劉高いないの?」


「いませんけど?」


「そうか……お前、こんくらいのでっかい椀知ってるか? 底に金魚の絵が書いている奴」


「ああ、それならこっちです。どうぞ」


 まだ棚にしまわれておらず、卓の端で重ねられている椀を取り出す。


「おお、すげえ、きれいになってるじゃねーか、助かったぜ。じゃな!」


言うが早いか男はその椀を三つほど持ち上げるとまたあわただしく出て行く。


 少ししてわかったことだが、どうもこの砦では食器や調理道具は全員共用で使っているらしい。食材は各自が持ってきたり支給されたりしているものの、調理は自分たちが行い、食器や調理道具はこの炊事場から持って行くというシステムらしい(ただし刃物だけはここに置いてなかったが)。


 そんなわけでしばらく宋江は次々にくる男たちに指定された食器や道具をどんどん渡すという作業を繰り返していた。そして気づけば、一度片付けたはずの炊事場には、また汚れた皿や鍋がこんもりと積み上がる状況になっていたのである。


「おい、椀と箸、一つくれ」


とりあえず、人の波が一瞬切れたのを狙って、洗い物をぬるま湯にしずめていると、そこにあの髭面の男がやってきた。


「ああ、はいどうぞ」


既に宋江は手馴れたものでぽんと指定された食器を渡す。


「おお、二人いると随分やっぱり違うな」


髭面は周りを見回して男は満足そうに頷いた。


「二人?」


「お前と劉高の二人で片付けたんだろ。一人だとやっぱ汚い皿がたくさんあったりとか、色々足りてなかったりしてたからな」


「劉高さんは別の場所で仕事をされてるんじゃないんですか?」


その宋江の言葉に髭面の男の頬がぴくりと動いた。


「あん? そりゃどういう意味だ?」


ぞっとするほどに男の雰囲気が変わって宋江は思わず後ずさる。


「え? え?」


「俺はあいつにここ以外に仕事はさせてねーぞ。まさか……おい、宋江とか言ったな。俺の質問に正直に答えろ」


「は、はい」


その後のやり取りでわかったことは、どうも劉高は仕事をかなりさぼっていたらしいということだった。宋江は劉高がてっきり、別の場所で仕事をしているのかと思ったが彼の仕事はこの炊事場の食器洗いだけのはずで、他は何も無いらしい。それでも手が回らないというので下働きで入った宋江をここに配置したらしいのだが……


「なめたまねしくさりやがって。おい、お前よくやったな。これ食っていいぞ」


褒美のつもりなのか、ぽんと卓の端にある未使用の皿の上に肉まんを置いて髭面の男は足早に去っていった。だが、宋江はそれに対して礼を言うことも無く動けずにいた。髭男の発する怒気はそれを直接向けられていないはずの宋江ですら金縛りにあわせるほどだったのである。


(大丈夫かな……)


自分は何も悪い事をしていないとは言え、宋江は劉高の事が心配になった。髭面の男の怒気はそれだけで劉高を殺しかねないほどだった。あまり彼にいい印象を持っていなかったのは事実だが、だからと言ってこんなことで殺されてしまっては寝覚めが悪い。


「おい、そこにある皿、早く洗えよ。使えねーだろうが」


だがそんな風に心配し始めた宋江にはまだ次々と山賊が来て、食器を用意しろと、わめいてくる。やむなく、宋江はまた自分の職務に従事せざるをえなくなった。


 ようやく人がはけたのは髭面の男が消えてからさらに一刻ほどたった頃だった。もちろん宋江の仕事はこれで終わりではなく、また、目の前に山と積まれた調理道具や、使用済みの皿を片付けなければいけない。とはいえ、精神的に余裕は出てきた。


(劉高さん……殺されてなきゃいいけど……)


彼を探しに出て行こうかと思ったが、自分はこの砦の構造もろくにわからない上にどこにいるか、検討もつかない。


 いや、そもそもそれ以前に出て行ってどうしようというのか、さすがにこの山賊の本拠地でもめごとを起こしたいとは宋江も思わなかった。


(酷い目にあってないのを祈るしかないか……)


そこでふと自分の腹が減っていることに気づいた。そう言えば、とうに午後になっているというのに、朝から自分は何も食べれていない。


(腹が減っては戦はできぬ……か……)


言い訳するように心中で呟くと、宋江は髭面の男がおいていった肉まんに手を伸ばした。


(まあ、案外いい人みたいだし、大丈夫かな……)


肉まんひとつで単純なものだと自分も思うが、宋江は髭面の男への印象をぐるりと変えて肉まんを一つほおばった。


(うん、おいしい……)


空腹もあって思わず笑みがこぼれる。ふんわりした小麦粉のふくらみと、そのしたにあるひき肉とたけのこが口を動かすたびに、ほどよい食感と旨みを宋江に与えてくれる。


 一口目をゆっくり味わい、二口目にかぶりつこうとしたそのときだ。遠くのほうからどたどたと派手な足音が聞こえた。宋江は食事を取りやめると肉まんをもったまま、炊事場の戸口から外に顔をのぞかせて、


「何のんきな顔で飯くってんだよおお!!!」


出し抜けに現れた劉高に宋江は頬を思いっきり殴られた。思わず、手に持っていた肉まんをとりこぼ

し、哀れにもその肉まんは泥だらけの床に落っこちてしまった。


「いたっ! 何すんだよ!?」


温厚な宋江も腹をすかせていたこともあって、さすがに激怒した。殴られた頬をさすり、相手をにらむように顔を上げる。


「それはこっちのいうことだよ、この野郎が!!」


そう言ってもう一発相手は今度は腹に殴りつけてくる。不恰好だが、宋江はなんとか腕で防御し、ダメージを抑えた。しかし、宋江がその拳に機を取られた瞬間、劉高はがっとこちらの襟首をつかんでひねりあげて、そのまま棚に宋江の背中を押し付ける。


「お前よ、なんで俺を起こさねーわけ?」


劉高は唐突にそんな疑問をぶつけてきた。


「はい?」


その質問に宋江はわけがわからず、疑問を顔に浮かべた。無論、宋江には彼から起こしてくれなどと言われた覚えも無いし、そもそも彼がどこにいるのかすら知らないのだ。冷静に考えてみれば、理不尽を通り越して狂人の戯言(たわごと)としか言いようが無いのだが、劉高の態度があまりに自信満々なので、宋江は一瞬、何かそういうことを言われただろうかと少し考え込んでしまった。


 劉高はさらに激したように声を荒げる。


「皆が昼飯の食器や道具を取りにここに来たろうが、わかんねーの? その時、俺がいないと困るだろうが」


「皆さん特に困りませんでしたけど?」


「俺が困るんだよ!!! 仕事してないみてーじゃねーか!!」


劉高はそこでまた吠えた。してないみたいも何も、実際にしてないのだから、その通りだと思うのだが。とそこまで思ったところで宋江は劉高が顔に青あざをつくっているのを見つけた。


(なんだ……ただの逆恨みか)


そう思った瞬間に急激に気分が冷えてきた。先ほど、彼に対してちらりと感じていた申し訳なさも殴られた怒りも吹き飛び、宋江の心には電車の中で非常識な言動をしている乗客を見るような微妙ないらだちと侮蔑だけが浮かんできた。


 おそらく先ほどの髭面の男が自分の話を聞いて、この男を制裁するか何かしたのだろう。殴られただけで済んだのは幸運だと思うが、何にせよ、こちらが引け目を感じる必要など何も無い。宋江は劉高の腕を乱暴に振り払うと挑むように言った。


「起こして欲しいんならそう言えば良かったでしょ」


いきなりぞんざいな口調になった宋江に少し驚いたようで劉高は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにまた表情を元の荒々しいものに戻した。


「あのさ、なんでお前、そう常識が無いわけ?」


さぼったあげくにそれがばれて逆恨みしてくるような人間に常識など説かれたくは無い。そう思ったがもはや反論することすら馬鹿馬鹿しく、宋江はこめかみを押さえた。だが相手はその無言を肯定とうけとったのか、言葉を続けてくる。


「お前さ、俺を何だと思ってるの? 仮にも先輩だよ、ここの。ちょっとはさぁ、目上の人立てようとかそういう意識無いの?」


「仕事をさぼるような人には敬意なんか持ちようが無いですね」


憮然としてそう答える。


「は? 仕事とか言って、お前何頑張っちゃってんの? どうせ、お前もどっかでつれてこられた口だろ? 別に給料でるわけでもねーし。馬鹿じゃん。あいつらにこきつかわれてるだけじゃねーか。ちょっとできがいいからって調子乗るんじゃねーよ」


あざ笑う劉高におもわずかちんと来る。おまけに腹が減っていたことと勝手な理屈で食事を邪魔されたことにさしもの宋江も怒りを爆発させた。


「あのね、あなた、何がしたいんですか? 仕事したくないんなら、しないでいいですよ。どこへでもほっつき歩いて遊びまわってればいいじゃないですか。その代わり、そのつけをこっちに押し付けるような恥ずかしいまねは止してください。みっともない」


「何言ってるのかわけがわかりませんー。あのな、とにかくてめぇの方が後から来たんだから黙って俺の言うこときいてりゃいいんだよ」


 奴隷は首につけられた鎖が頑丈かどうかで序列を作ろうとするという話を宋江は思い出していた。この場合、頑丈なほうが序列が高い。俺はそれほど持ち主から逃げ出されたくないと思われているほど優秀なのだ、ということだ。端から見れば滑稽な話であるが、まさに今の劉高がそれだった。彼は鎖で縛られている宋江を馬鹿にしながらも彼が自分より頑丈な鎖で縛られようとしていることが我慢ならないらしい。


「断るよ。別にあんたの指示に従ったっていいことなさそうだし」


「てめっ、よくも……」


明確に拒否された劉高は手近にあった皿を振り上げるとこちらに叩きつけようとしてきた。


「危なっ!」


素手で殴られるのとは違って陶器は破片が飛び散って目に入れば失明にもなりかねない。宋江は狭い室内で慌てて距離をとった。ぶん、と音がして皿が空を切る。なおも振りかぶろうとする劉高の肩にぽん、と手が置かれた。


「元気そうじゃねえか劉高」


それは先ほどの髭面の男だった。そのまま劉高の手から皿をあっさりと奪い取ると、ばきっと宋江が殴られたときよりも何倍も痛そうな音を立てて、劉高の頬を殴りつけた。


「まだ殴りたりなかったみたいだな。ん? お前を五体満足でいさせなきゃいけないのは事実だが、だからっつって痛い目に合わせられないとは思うなよ?」


「ど、どうもっす。(えん)隊長、お疲れさんです!!」


今までの乱暴な言葉遣いが嘘のように劉高は馬鹿丁寧に髭面の男に頭を下げた。驚いたことに劉高は鼻血を垂らしながらもにこやかな笑みを髭面の男、燕という苗字らしい、に向けていた。


「何やってたんだ、てめーは」


「い、いえ。これから片付けに入ろうとしていたところで、ねえ宋江君」


手をもまんばかりに近づいてくる劉高から距離を取りつつ、宋江は憮然とした表情を隠さなかった。何が宋江君だ。


「今、どうして俺が遊んでいるのをばれないようにしないんだ、って僕に文句言ってました」


「ちょ、ちょっとひどいなー。うっかり昼寝しちゃう時があるからそういう時は起こしてね、って頼んだだけじゃない」


 にこにこと笑いながら劉高が言ってくる。本当に先ほどと同一人物かと疑いたくなるような豹変ぶりだった。ビリー・ミリガンだってこうまで劇的に変化はしないだろう。今、宋江は怒りよりも不気味さを彼に感じていた。


「じゃ、断ります」


「あはははは、もうそんなこと言わないでよ。同じ職場なんだし、仲良くやってこ?」


なおも頑な態度をとる宋江に劉高は甘ったるすぎて胸焼けするような気持ち悪い声をあげてくる。もう宋江は付き合うのが面倒になって無言を押し通した。


「おい、ところで宋江」


「あ、はい。なんでしょう」


「お前、肉まん食ったか?」


言いながらちらりと視線を床に落とす。食べれなかったことはわかってるようだし、隠す理由もないので宋江は全てを話す。


「いえ、途中まで食べたところで劉高さんに殴られたんで泥まみれになっちゃいました」


「おいおいー。ちょっと偶然肘がぶつかっただけじゃないかー」


えらくアグレッシブな偶然もあったものである。宋江が目を細めてにらみつけると劉高はその視線から逃げるように肉まんをとりあげた。


「ほらほら、まだ泥を払えば食べれるよ」


食べろとでも言うのか、皿に載せてこちらに差し出してくる。だが肉まんは皮の部分がべったりと泥の色で黒く変色している上に、実の部分にまで泥がへばりついていて、餓死寸前でも口にするかどうかためらうような代物だった。


 すると、髭面の隊長は劉高が宋江に差し出したそれを奪い取ると逆に劉高につきつけた。


「じゃあ、お前が食べろ」


「え、えっと、僕がですかー、それは宋江君に悪いなーって」


「気にすんな。宋江にあげてお前にやらないのも不公平だろ。それで食えるってんならお前にやるよ」


「いやいや、僕怒られたばっかりですし……」


「食えないってのか?」


ぎろりと髭面がにらむと劉高は言葉を止めた。


 はたしてどうするのだろう、と宋江も行方が気になった瞬間、劉高は泥を払うと本当にその肉まんを口の中に放り込んだ。


「うまいか?」


「え、ええー、おいしいですよ、本当に。ありがとうございます」


「そうか、ゆっくり噛んで食え」


「は、ははは、どうも」


がり、とたまに硬質な音を立てながら笑顔のままで劉高は泥まみれの肉まんを咀嚼していく。場は一種異様な雰囲気につつまれた。


「宋江、ちょっとこっち来な」


「は、はい」


髭は宋江を炊事場の外へと呼び出した。


「さて、明日からあれがお前の部下だ。あんなひどい奴だが、まあ五体満足なら何してもかまわん」


「さっきも言ってましたね、そんなこと」


「ちと事情があってな」


 その事情について髭面の男は詳しく語るつもりは無いようだった。宋江はちらりと目を劉高に向ける。今は一応彼なりに仕事をしているようだが、宋江から見てもそのできばえは雑だった。


 明日から自分の部下になるらしいが、こき使え、と言われても嫌だった。とにかくこいつとは関わりたくないというのが正直なところである。一瞬だけだがシベリア送りにされた修正主義者のように無意味な穴掘りでもさせようかと宋江は考えた。


 宋江のげんなりした表情を見て髭面の隊長はおおよそ、何を考えたか察したらしい。


「まあ、そう嫌そうな顔するな。ほらよ」


言ってぽんと宋江の手に包みを渡した。


「なんですか、これ?」


「どうせ、あいつに駄目にされたんだろ。とっとけ」


開けるとそこには肉まんが入ってた。


「え? あの……」


「いらねえのか?」


「い、いえ、とんでもないです。ありがとうございます」


「おう。今のうちに食っとけ食っとけ」


今度こそ、宋江は肉まんを味わうことができた。


(ああ、やっぱりいい人だ……)


本当に単純だな、と少しばかり自嘲しながらも宋江はありがたくその肉まんを頂くことにした。


「そういやさっき、お前の連れもここに来たってよ」


「え?」


肉まんをぱくつく横で髭面の隊長が言ってくる。


「お前、えらい別嬪を三人も連れてたらしいじゃねーか。どういう関係なんだ? ん?」


隊長の目の色が少しだけ、好奇の色を覗かせていた。三人の別嬪……魯智深たちに違いなかった。


「いや、あの、旅の途中でたまたま知り合った人たちで……」


「へー、ま、何でもいいがな」


とっさに取り繕うように答えたが元よりこちらの答えに興味があったわけでもない様で彼は軽く聞き流した。


「あ、あの! その人たちと会えますか!?」


彼はちらりと炊事場のほうを見た。盗み聞きをしていたらしい、劉高が慌ててまた皿を洗いに戻っていく。


「一刻(三十分)だけぐらいならな」


「ありがとうございます!」


慌てて頭を下げると髭面の隊長は言った。


「行っても未練が残るだけだと思うがな」


「え……」


どきりとするようなことを言われるが彼はそれについてそれ以上、話す気はないらしい。通路を指差すと彼は順路の説明を始めた。


「この道をずっとまっすぐいくと階段がある。そこを降りて左に行け。突き当たりにいるはずだ」


そう言って彼もまたどこかに歩み去っていく。その背中に宋江は頭を下げた。


「は、はい! ありがとうございます!」


肉まんをほおばるのを止めて宋江は駆け出した。


(未練ってどういうことだ……?)


その単語を頭の中でリフレインせながら言われたとおりに進んだ。


(まさか……)


あの三人が大人しく捕まったというのがそもそも変な話だ。ひょっとして自分の事を心配して、山賊たちのいうことに従ったのだろうか。それとも強い奴がいて、それであっさりと捕まってしまったのだろうか。


 いずれにせよ、彼女たちがろくな目にあっていないのは間違いない。最悪と思われる想像のいくつかが宋江の脳内を駆け巡る。


(いや、でもあの三人のことだもの、きっと無事で……)

そう思いつつも逸る足は止まらない。階段を一段飛ばしで駆け下りる。教えられたとおり、左に曲がると宋江は速度をあげた。

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