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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第三話 慟哭編
34/110

その五 魯智深、宋江の力を調べるのこと

「んー、やっぱ。柴進(さいしん)のうちの料理はおいしいわねー」


「気に入っていただいたようで何よりですわ」


満足そうな顔をして魯智深(ろちしん)は茶をすすっていた。卓の上の料理はほとんど食べつくされている。宋江(そうこう)の勘違いでなければ、その半分以上は魯智深の腹の中に収まったはずだ。


「柴進さん、本当にありがとうございました。こんなに豪勢な食事をしたのは生まれて初めてです」


誇張でもなんでもなく宋江は言った。現代日本でもこれほどおいしい料理は食べたことが無い。


「うふふ。喜んでもらえたら何よりです」


柴進は同じようににこやかに宋江にも笑いかける。そのとき、柴進の使用人が彼女に近づくと何事かをささやいた。柴進はそれに少し耳を傾けると宋江たちに言った。


「皆さん、湯殿の用意ができたそうなので、ごうぞお入りになってください」


「え? お風呂ですか?」


宋江は驚いて問い返した。実は宋江はこちらの世界に来てから風呂と言うものにほとんど入って無い。一応毎日体は洗って清潔に保っているつもりだが使われるのはほとんど冷水である。最初は何日かに一度、燃料に余裕があるときだけ湯を沸かしていたが、温度計も無いこの時代では湯の温度を調節するだけで一苦労で、数回で投げ出してしまった。


「でも、いいんでしょうか。そこまでお世話になってしまって……」


遠慮がちに楊志(ようし)が聞く。宋江の失敗からわかるようにこの時代、湯を沸かすのは手間もお金もかかる。かなり裕福な家庭でも入浴は数日に一度というのが普通だった。そんな事情もあって楊志は柴進に質問したのだが、柴進は、お客様ですもの、という一言でそれを終わらせてしまった。


「宋江、あなた入ってきたら?」


「へ? 僕が最初で良いんですか?」


「あなたがお客だもの。ねぇ?」


と魯智深が柴進に同意を求めるとええ、と柴進は微笑んでうなずいた。


「いえ、こういうのは女性が先だと思いますからお二人こそお先に」


と宋江は楊志と魯智深に譲る?


「そう? じゃあ、楊志先に入ってきなさいな」


「いいの?」


「ええ、もちろん。楊志様も我が家の大切なお客様ですから」


柴進は先程と変わらぬ調子でニコニコと笑う。


「では、お言葉に甘えますね。宋江、そういうことだから私、先にいくわよ」


「ええ、どうぞ」


確認するように楊志が言うので宋江はこくりとうなずく。部屋の戸口に先ほどの給仕の中年女性がいて楊志を案内していった。


「んで、宋江。あなた今ならいつでも逃げられるけど」


「へ? 逃げる?」


と魯智深に言われて宋江はきょとんとする。解説を求めるように柴進をみるが彼女は相変わらずにこにこ顔のまま、無言でいた。


「楊志からよ。あなたこのままあいつにくっついて行ったら盗賊として縛り首よ。今逃げ出す絶好の機会じゃない。あたしがあいつの服を根こそぎ奪ったらあいつだって追いかけられないだろうし……」


「さすがにそれはちょっと……柴進さんにも迷惑がかかるでしょうし」


「まさか。私はちょっと勝手口にいる使用人に別の様を与えるだけですもの」


こともなげに柴進は言い切る。この人実はとんでもなく恐ろしい人ではないかと、宋江は思い始めていた。


「それでも、止めておきます。僕だって死にたくはないですけど、さすがにこんな形はちょっと……」


「そう……」


と魯智深はそれだけいうと茶を一口すすって立ち上がった。


「じゃあ、あたしからはもう何も言わないわ。ま、気が変わったらいつでもいいなさい。あいつ一人くらいならいつでものしてあげられるし」


そう言って魯智深もまたその場から去っていく。部屋には宋江と柴進だけが残された。


「魯智深さん、怒っちゃったんでしょうか?」


沈黙を埋めるように宋江は柴進に尋ねた。


「まさか。魯智深さんが本当に怒ってたら今頃この卓が真っ二つに割れてますよ」


と柴進はクスクスと笑う。素人の宋江から見ても目の前の食卓はそんな笑い事で済まされるような安価なものではないはずだが、柴進は気にしないようだった。


「ただ、そうですね。……悲しい、というのとは少し違うのでしょうが、歯がゆさを感じていられるのかもしれません」


「歯がゆさ、ですか」


「ええ、魯智深さんが宋江さんの立場なら間違いなく逃げ出しているでしょうから。かなり、あなたのことを気に入ったようでしたし」


宋江はなんと答えたものか困って曖昧に笑ったまま沈黙を保った。


「おかげで魯智深さんの心も晴れたようです」


「? どういう意味です?」


と聞き返すと柴進はそこで初めてその笑顔を崩した。


「申し訳有りません。今の言葉は聞き逃してください。隠すようなことではないのかもしれませんが。余人が勝手に口に出していいものでもないので」


「はあ。そう仰るなら聞きませんけど」


と、宋江は素直にうなずく。話題を変えたほうがいいなと思い、宋江は別の質問をした。


「魯智深さんとは付き合いは長いんですか?」


「今日で会うのが三回目ですね」


その言葉に宋江は驚いた。


「魯智深さんの知り合いっていうだけでここまで歓待してくれるのだから、もっと古い付き合いなのかと思ってましたよ」


「ふふ、最初にお会いしたのが四月ごろですからおおよそ、二ヶ月経ってますね。でもこういう事に時間は関係ないですよ」


そんなに短いのか、と思ったがよくよく考えてみれば自分と晁蓋(ちょうがい)呉用(ごよう)が出会ったのもおおよそ二ヶ月前だ。確かに彼女の言うとおり、あまりこういうことに時間は関係ないのかもしれない。晁蓋の場合は会って一晩の自分の面倒を見てくれると言ったのだ。それに比べれば彼女のしていることは彼女の家の豪勢さから見れば、そんなにこの国では特殊なことではないのかもしれない。


「ところで、宋江さんは十万貫の財宝を強奪したのだとか」


いきなり飛び出た柴進の発言に思わず宋江は呑んでいた茶をむせ返した。


「ごほっ、ごほっ。ろ、魯智深さんに聞いたんですか?」


「あ、ご安心ください。私も私の家のものも誰かに漏らしたりはいたしませんので」


魯智深さんもそれがわかってたから私に話してくれたんだと思います、と柴進は続けた。とはいえ、よくよく考えてみれば直前のあの魯智深とのやり取りを見れば、宋江がなにか追われる理由のある人間であることはわかるはずだった。


「詳細も聞き及んでます。久々に痛快なお話を聞かせていただきましたわ」


「痛快……ですか?」


思ってもいない言葉に宋江は目をぱちくりさせた。


「ええ、そうですとも。役人が集めた不義の財を奪う。知らせるわけにはいきませんけど、知れば民衆は喝采を叫ぶでしょうね」


「そんなものでしょうか?」


「……宋江さんはそう思ってらっしゃらないのですね」


宋江はこくりとうなずいた。


「少なくとも誇るべきことではないと、僕は思っています。実行した仲間たちのことは好きですけど、むしろ非難をうけるべきことだと思ってます」


「けれど、宋江さん。考えてみてください。その財宝は宋江さんたちが奪わなければ、悪徳役人の手に渡って彼らの豪奢な生活に使われるだけでしたのよ」


「でも、僕たちは人を殺しました」


「この国の役人だって大勢、人を殺しています。その十万貫の財宝だってなんの犠牲も無しに手に入れたものとは思えませんもの」


宋江が何も言えずにいると、柴進は微笑んだ。


「宋江さんは潔癖な方ですのね。もし誇るべきことで無いとお思いなら、その財宝を宋江さんが誇れる形でお使いになったらよろしいのでは?」


「誇れる形?」


「ええ、私も一時期、似たような思いをして過ごしたことがありますの。私の財産は全て先祖代々、受け継いだだけのもの、ならばそれをただ持っているだけの私って何なんだろうって」


柴進は昔を懐かしむように窓の外に視線を向けた。そこには湖が広がっていて、白いスイレンがちらほらと咲いている。


「でもそういう考え方はやめました。折角ある財産ならせめてたくさんの人を助けるために使おうって……」


「助ける?」


「お金ではできないこともありますけど、お金でできることもあります。宋江さんが、もし自分のしたことを悪いことと考えているならせめてそのお金の使い方で罪滅ぼしをされたらよいのではないでしょうか。役人に渡ったら決して救われなかった人たちのために」


「できるんでしょうか……僕なんかに」


「むしろ、宋江さんにしかできないことでしょうね」


柴進は相変わらず、にこにこと笑ったまま、そう言った。








 

 その日の夜。宋江は与えられた部屋の寝台であぐらをかいて座っていた。久しぶりに風呂に入れて(おどろいたことに風呂には石鹸まであった)ゆっくりと落ち着けたことだし、最近ばたばたしていたせいでさぼりがちだった気功の練習を再開しようと思っていたのである。

 

 目を閉じて深く息を吸う。以前に公孫勝(こうそんしょう)に教わったとおり、へその裏に意識を集中させた。限界まで空気を吸い込むとそれ以上のものを体外に吐き出すように息を吐いた。


(これでいいのかな……)


いまいち宋江は自信が無いまま、その動作を繰り返した。そうしているとなんとなく、体の中心に何かがたまっていくような感触がある。今までになかったことなので、宋江は少し怪訝に思ったが、そのまま続けた。三十分ほどして足がしびれたところで呼吸をやめて目を開ける。


 目の前に魯智深がいた。


「うええええ!?」


驚きのあまり、足のしびれも忘れて寝台の上で後ずさる。とはいえ寝台は壁際に据え付けられているので、すぐ壁に背中が当たってしまったが。


「それ、気功の練習?」


宋江の狼狽などまるで気にした様子も見せずに魯智深は宋江に問いかけた。


「そうですけど……あの、いつの間に入ってきたのですか?」


既に日は暮れてから一時間ほどたっただろうか。魯智深はいつもの袈裟姿ではなく、ゆったりとした白い簡素な服をまとっていた。おそらく寝巻きなのだろう。あまり生地が厚くないのか、燭台の光によって彼女の体の線が扇情的に照らし出していた。


「もちろんあなたが目をつぶっている間によ」


「声くらいかけてくださいよ」


宋江は軽く口を尖らせた。


「それで何か御用でも?」


寝台から降りて宋江は魯智深と向き合う。すると魯智深はすっと体を宋江に近づけ、耳元でささやいた。


「本当に逃げなくていいの?」


と魯智深は再度尋ねてきた。宋江が黙っていると魯智深は言葉を続ける。


「楊志がどういうつもりか、あたしも本当のところ、判断つかないけど、最悪の場合明日、滄州についていったら檻の中に入れられてもう逃げられなくなるかもしれないわ。傍目からみても、あなたはあの子に十分尽くしていると思う。ここで消えても誰もあなたを非難しないわよ」


「それは……」


「楊志のことを過度に信じるのはやめておきなさい。あの子にあなたを助ける意思があったとしてもそれを貫き通せるかどうかはまた別よ。それに、妹さんが故郷で待っているんでしょう? このままじゃ会えないまま死罪になることだってありうるのよ。それでいいの?」


「よくはないですけど……」


「なら、いいじゃない。とっとと逃げましょう」


「でも、そうなったら楊志さん、ますます困るんじゃ……」


「あの子も子供じゃないんだから、なんとかするでしょう。それにあなただって自分のことを少し大切にしなさい」


魯智深はやや強い調子でそう言うと、宋江は考え始めたようだが結局、首を横に振った。


「……どうしてか聞いてもいいかしら?」


「楊志さんを裏切りたくないからです。見てください。僕、今足枷も何もされてないんですよ。そこまで僕のことを逃げないと信用してくれているのならそれを裏切ることはできないです」


それを聞いて、魯智深は額を指で押さえてしばらく何か考え込み、やがて盛大にため息をついた。


「わかったわよ。そこまで言うなら今は何もしないでおく。でもいざとなったらあなたの意思を無視してでも連れて行くからね。あたしはあんたをむざむざ殺させるつもりはないわよ」


「どうしてそこまでしてくれるんですか?」


「……あなたみたいな正直者が損をするのに耐えられないから、かしらね」


困ったように笑いながら魯智深は言った。


「すいません。なんだか、ご迷惑かけちゃって」


「いいのよ。あたしが好きにやってることなんだから」


魯智深はぽんと宋江の頭に手を置きながら言った。








「ところで魯智深さんも気功使いなんですか?」


「ん? うん、そうよ。あたしは土の内気功ね。あなたは?」


「それは……まだわからないんです」


「そうなの?」


「はい。習い始めたばかりで、師匠にはそれを知るより前にとりあえずさっきの呼吸のやつだけやっておけって言われてたんです」


「へー、でも見た感じそろそろもうそういうのは終わっていいころだと思うけど?」


「そうなんですか?」


「なんかこう、体の中に何かが沈んでいくような感触が無かった?」


「あ、ありましたありました。今日初めてですけど」


「そしたら次の段階に入る合図よ。修行は始めてからどのくらいたつの?」


「えーーっと、半月くらいですかね?」


言って宋江は思い出す。公孫勝は才能があれば一月程度で次の段階に進めると言ってなかっただろうか。晁蓋の三日というアホみたいな記録はさておくと、自分もかなり早い部類になることに気づいた。


「最後にその師匠に見てもらったのはいつなのよ?」


魯智深の問いに宋江は記憶を検索した。最後に公孫勝に見てもらったのは黄泥岡の事件が起こる前々日だったのだからおおよそ十日間程度経っている。それを魯智深に伝えると彼女はふむと軽く頷いた。


「なるほど、一度河で溺れた時に、死にかけたことによって爆発的に力があがったのね、きっと」


「そんなことあるんですか?」


「いや、聞いたことないけど」


思わず、宋江は脱力した。


「じゃあなんでわざわざそんなことを言ったんですか……」


魯智深はその問いには答えずに指をからませるように宋江の手を握った。


「え? 魯智深さん?」


思わずどきりとした宋江に魯智深は言った。


「あなたの師匠には悪いけど、次の段階に進めちゃいましょうか。まず、あなたの力がどんなのか、知らなきゃね」


「うあ、あの、どうすれば……」


言ってるうちに魯智深はもう片方の手も同じように握った。


「さっきと一緒よ。目を閉じて呼吸してごらんなさい。あ、ちょっと顔を下げてくれる?」


「え、ええ……」


そこで宋江は魯智深の背は意外にも自分より若干低い事に気づいた。魯智深の顔が近づき、ぴたりと額と額がくっつけられる。


「あの、これって……」


「いーから、ほら目を瞑ってさっきの様子で深呼吸して御覧なさい」


魯智深がいつものからかうような調子ではなく冷静な受け答えなのでなんとか宋江も気を落ち着けることができた。目を瞑って息を軽くすって胸の鼓動を落ち着けると呼吸をした。


「こ、これでいいですか?」


「うん、大丈夫」


そう言って魯智深は額と手を離した。


「わかったわ、あのね……」


言い出した魯智深の声と、


「そこで何してるの? 二人とも」


冷たい第三の声がしたのは同時だった。









 宋江と魯智深が部屋の戸口を見ると燭台を掲げた楊志がいた。彼女の部屋は隣だったはずだが。自分たちが騒いでいたからなのか、いつの間にか出てきたらしい。魯智深と似たような白い服をきてみる。してみると、これは柴進が客用にいくつか持っている寝巻きなのかもしれない。


「え? なんの話って……」


だが宋江が何か言う前に、不意に魯智深がぴたりとくっつくように宋江にしなだれかかる。心地よい暖かさと柔らかさが宋江の両腕と胸板におしかけてきた。先ほどもいったが布の生地が薄いので彼女の体の凹凸がダイレクトに伝わってくる。


「えー、何ってー、こんな時間に男と女がいたらやることなんて一つでしょー」


「え、あの、魯智深さん?」


「あわせなさい」


ぼそりと小さな声で魯智深は言う。


「あなたが気功使いだなんて知られたら監視が厳しくなってますます面倒なことになるわよ。まさか、脱走の話してたなんていうわけにもいかないでしょ」


ぼそぼそとそのまま魯智深はそう続けた。


「で、でも……」


他にごまかしようはなかったのか、と思いながら宋江は楊志を見る。


 話題をごまかすという意味では魯智深の言葉の効果は抜群だったらしい。羞恥のためだろう。暗闇でも楊志の顔が赤くなるのが暗い中でもはっきりとわかった。


「え、そ、その、やることって……」


「あら、はっきり言わなきゃいけないの、こ……」


「だ、だめよ! 絶対だめ! 認められないわ!!」


決定的な一言を言いかけた魯智深の言葉をかき消すように楊志は叫びながらずんずんと部屋の中に入ってくる。


「えー? どうしてー?」


わざと無邪気そうな顔を見せながら魯智深は小首をかしげた。おまけに体までくねらせてくる。すりすりと二人の太もも同士がこすれあった。


(魯智深さん、やりすぎ!)


内心そう思ったが、宋江は驚きすぎてぱくぱくと口を動かすだけで声が出せなかった。


「え、えっと、そ、それは……そう! そうだわ! そいつの身柄は今、私が預かってるのよ! 勝手なことされちゃ困るわ!」


一方で楊志は指を突き出しながら言ってきた。どこか無理やりひねり出した、という調子である。


「いいじゃない。別にこのくらい。お堅いわねー、堅くなるのは男のほうだけでいいのよ」


「下品すぎるわよ、あなた!」


「あーもう、わかったから早く出て行きなさいよ。宋江も我慢できないってさっきから言ってるし」


「うえ!?」


いきなり爆弾を放り投げられて宋江はうろたえた。思わず視線を楊志から魯智深に戻す。宋江の胸によりそうようにしている彼女の衣服は胸元が少し開いていた。そこからは肌色の丘が少しだけ顔を覗かせており、宋江の視線は釘付けになってしまう。


「ね、宋江。早くしましょ」


「え、あ、その……」


そのまま魯智深に押されるように一歩後ろに引く。


「だ、だめ! とにかくだめ! いいからだめ! 絶対だめ!」


だが楊志は駆け寄るようにして二人のそばによると両腕で無理やり宋江と魯智深の二人を引き剥がした。


「もう、乱暴なんだから」


宋江から離れた魯智深は後ろに数歩下がると、とても仏門にいる身とは思えない妖艶な笑みを浮かべながら魯智深はぺろりと自分の指を舐めあげた。


「いいからとっとと出て行きなさい」


楊志は魯智深をにらみつけながら有無を言わさぬ強い口調で言う。いつの間にか、楊志は宋江をかばうかのように魯智深の目の前に仁王立ちになっていた。


「まったくもう、しょうがないわね。じゃ、宋江、また今度ね」


「今度もくそもないわよ!!」


くわっと目を見開いて楊志は魯智深の背中にどなりつけた。それに怯えたわけではないだろうが、あっさりと魯智深は二人の視界から消えていく。魯智深がいなくなっても気が収まらないのか、楊志はふーふー、と肩を上下させてしばらく魯智深の消えた方向をにらみつけていた。


「あ、あの……楊志さん?」


恐る恐る宋江が声をかけると楊志は振り向いてきっと彼のことをにらみつけた。


「あんたも一体全体、なに考えているのよ!」


「うえ! す、すみません!」


反射的に宋江は自分の頭をかばうように腕を前に出しながら謝った。


「あんた、罪人なのよ! 自分の立場ってものをわきまえなさいよね!」


「は、はい! 以後気をつけます!」


 宋江が平謝りしたことで楊志は気が済んだのか、語勢を弱めた。


「まあ、私も鬼じゃないんだから、なんでもかんでも駄目とは言わないわよ。でも勝手に行動しないこと。いいわね。なんかあったら私のところにきなさい」


「はい」


素直に宋江は頷いた。


 そこで話はおしまいだと思ったのだが、楊志はなぜか無言で立ったままだ。そのまましばらく、二人とも声を上げない。


「あの、まだ何か……?」


「わ、私に言うことがあるんじゃないの?」


「え?」


なんのことかわからず宋江は聞き返す。


「い、言ったでしょ。なんかあったら私のところにきなさいって」


「ええ、それは聞きましたけど……」


なおも疑問符を浮かべる宋江に対し、楊志はどこか落ち着き無くそわそわと左右を見回していた。


「い、いいのね? 何も無いのね」


「ええ。今のところは何不自由なく過ごしてますけど」


「え? だってさっき我慢できないって……」


「へ?」


再度、二人の動きが完全に硬直した。


 宋江は楊志の言葉の意味するところに気づいて顔を真っ赤にして叫んだ。


「ち、違います! あれです! 魯智深さんの言ってたことは嘘ですから! 信じないでください!」


「え? あ、そ、そうだったの!?」


楊志はそれを聞いてほっとした表情になった。


「な、なんだ……おかげであせっちゃったじゃない」


「あはは、す、すみません」


ごまかすように宋江は笑った。


「じゃ、じゃあ、私は部屋に戻るから」


「あ、はい、おやすみなさい」


楊志はちらちらと宋江の方を見ながら部屋から出て行った。


「あー、もう。なんで魯智深さんもあんなに楊志さんのこと、からかうかな」


部屋で一人になってから宋江はぼそりとそう呟いてのそのそと寝台に上がりこむ。


(しかし、楊志さんも本当に僕が本当にそうなったって相談したらどうするつもりなんだろう)


暴れないように縄でがんじがらめに縛られるのかもしれない、と宋江は想像してうすら寒い気持ちになった。

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