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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第三話 慟哭編
32/110

その三 楊志、再びあせるのこと

  楊志(ようし)が目を覚ますと目の前に眠る宋江(そうこう)がいた。


 何がどうなっているのかさっぱりわからないがどうやら死んでないことだけは確からしい、とぼんやりした頭で考える。


(って、宋江!?)


距離が三寸(約10センチ)と開いていない彼の顔の近さに気づいて、がばりと跳ね上がり、同時に腹に急激な痛みを感じた。


「いっつぅー……う?」


思わずかばうように自らの腹を抑えて、楊志は妙なことにきづいた。妙に視界内に肌色の物体が多い気がする。


「え?」


おそるおそる手を開きながら自分の体を見下ろしてみる。そこにあったのは一糸まとわぬ自分の裸体だった。


「え?」


あれ? なにこれ? どういうこと? なんで私、全裸で宋江と一緒の寝台にいるの?


 急激に高まった嫌な予感のままにそっと自分と宋江を覆っている毛布を少しだけ、つまみあげてみる。目を落とすと見えるのは宋江の上半身だけだったがそれで十分だった。宋江もまた何も衣服をまとっていなかった。


「ど、どういうことなの?」


ついに口に出して楊志は問うがもとより誰かが返事をするわけでもない。なにせこの場に居るのは自分と目の前の宋江だけで、その宋江は寝ているのだから。


 しかしばさばさと隣で楊志が動いていたせいだろう。あるいはその楊志の声のせいかもしれないが、宋江の目がうっすらと開き、両者の目が合った。








「きゃああああああああああ!!」


魯知深(ろちしん)がその叫びを聞いたのは音の発生源であろう船室から遠く離れた桟橋の上であった。


「ありゃ、起きちゃったか」


彼女がそう残念そうに呟いたのは船に戻らなくてはいけない理由ができてしまったからである。今の悲鳴は間違いなく女性のものだ。この船に乗る女性は二人しかいない。自分と、三日前の朝拾った、死亡寸前の女である。身分証明書が間違いなければ楊志という名前だったろうか。


「んー、どうしようかな」


なんとはなしに空を見上げる。くっきりと晴れた青い空が広がっており、中天に太陽が瞬いている。つまりお昼だ。


 船がこの村に留まっているのはそう長い時間ではない。昼食休憩のためによっただけで一刻(三十分)もすれば出て行くだろう。魯知深としてはどこかの酒場で一杯やりたかったのだが……


「殺す! 殺すわ! 死んで頂戴!」


「わー! わー! 落ち着いてくださいってば!!」


船室内からそんなやりとりが聞こえてきてしまってはそんな風にのんびり過ごすわけにもいかなそうである。魯知深はあきらめて近くにいた船員に肉まんでも買ってきてもらうように声をかけると船室へ戻った。








「んもう、どうしたのよ」


船室の扉を開けて入ると半裸の女が同じく半裸の男の上に馬乗りになっていた。と、表現するとえらく刺激的だが、実際には女は鬼気迫る表情で男の喉下にするどく尖った火箸をあてており、男がそれを必死に押し留めているのだから、あと少しすると刺激的の意味合いが別のものになってしまう光景である。


「た、助けてください!」


と叫ぶのは男のほうである。名前は知らない。


「ほら、こういってることだし、許してあげたら? 一応、私仏門の身だし、目の前で殺生はちょっとね」


ぽんと肩を叩いて火箸をとりあげると割合、あっさりと女は手放した。おそらく本気ではなかったのだろうが、振り上げた拳だったものだから下ろさないわけにはいかなかったのだろう。


「だって! だってこいつ、私が寝ている間に……」


「だからそれは誤解ですってば!」


「うるさい! このけだもの! 優しい顔であんなこと言っておいてあんまりだわ!」


「何もしてませんって!!」


「じゃあ、なんで私とあなたが、は、裸で抱き合ってたのよ! しかも同じ寝台の上で」


「あ、それあたしがやった」


ぎゃあぎゃあとわめく二人の言い合いのさなかで魯知深は無造作にその言葉を二人になげつけた。


 二人はぴたりと同時に動きを止めると、ぎぎぎぎぎ、と錆びた金属音をこすり合わせたような音を立てながら首を回して魯知深を見る。


「今、なんて?」


女が低い声で問いただした。


「え? だからあたしがやったっていったのよ。ああ、誤解しないでね。やったって言っても裸にひん剥いて二人の体を同じ寝台の上においといて布団かけただけだから、決して何かヤッちゃったわけじゃないから」


「そんだけやってたら十分でしょ!」


がーっと女が男から離れてこちらに向かってくる。身に付けているのは薄手の毛布を胸に巻いているだけなので、それを抑えながらなのであまり迫力はない。


「黙りなさい!」


くわっと魯知深は目を見開いて叫んだ。


「私だって何の理由も無しにこんなことをやったわけではないわ。見つかったときのあなたたちが濡れた服のままでひどく体も冷たかったからよ。濡れた服のままじゃ体も冷え切ったままだし、寝台だってそういくつも余分なものがあるわけじゃないのよ。そのぐらい、我慢しなさい」


こんこんと諭すように言うと、


「う……それは……そうかもしれないけど……」


「あのう……」


魯知深の勢いにおされててか女が黙ると交代するように男の方が手を上げながら声をあげた。こちらはいちおう、下着(パンツ)だけはいている。単に魯智深が脱がさなかったからなのだが。


「なに?」


「お話はわかりましたけど、その……替えの服とか無かったんでしょうか」


「いい質問ね」


うんうんと頷いて魯知深は答える。


「あったけど、裸のままの方があんたたちが起きたときに何かと面白いかなって」


女が拳を振るうのを魯智深はあっさりと避けた。








「ええと、魯知深さん……とおっしゃるんですか」


「ええ、そうよ」


宋江たちが乾いた自分たちの衣服を身に付けた後、袈裟を着た彼女はざっくりと二人を見つけた状況の説明をし、その後簡単な自己紹介を互いにした。そこで飛び出した彼女の名前が魯智深である。


(また女の人なのか)


どうやらここまで来ると自分の名前に起因する呪いか何かと思ったほうがいいかもしれない、宋江は考えていた。とにかく大体自分の目の前に出てくる美人は水滸伝の関係者と同じ名前だ。それがわかっていれば、楊志のことももう少し早く手が打てたろうに、と思う。


 ちらりと視線を魯智深と名乗るその尼さんに飛ばす。なるほど尼というだけあって、肩のあたりで切りそろえられた黒髪のショートボブという髪型をしている。だが今までの言動から見てもどうも僧侶という単語から連想される人物像とは程遠いらしかった。彼女の性格そのままのようなくるくるとした大きな猫のような瞳が印象的である。背はそれほど高くない、揚志より少し低いくらいだろうか。


「ところで、ここ、どこなの?」


傍らに座る楊志が不審げに辺りを見回しながら魯知深に尋ねてくる。


「船の中」


「おちょくってんのかぁー!」


「楊志さん、楊志さん。一応命の恩人ですから」


魯智深に飛び掛かろうとする楊志を宋江は必死に引き止めた。


「ちょっと。一応って何よ、一応って」


「それで、魯知深さん。この船、どこに向かってるんですか?」


魯智深の疑問はあっさりと無視して宋江は再度問いなおした。まあいいかとでも言いたげに鼻を鳴らすと魯智深は答えた。


「今、この船は黄河を下流に向かっているわ。もう少ししたら滄州(そうしゅう)ってとこにつくわよ。そこが私の目的地」


「滄州……滄州ですって!?」


楊志は絶叫した。例によって宋江はよく場所がわからず、困惑して聞いた。


「あの、滄州って……」


「滄州は国のほとんどはしっこよ。黄河の河口じゃない!」


「ええと、済州(さいしゅう)からは遠いんでしょうか?」


なんとなく答えがわかりつつも宋江は聞いた。


「遠いなんてもんじゃ無いわよ! なんでそんな遠くに!?」


楊志が詰問するように魯智深に問いかけると彼女はなんでもないことかのように答えた。


「まあ、あなたたち、三日も寝てたし、河の増水でかなり流れも速かったからね。ついでに言えば、この船の船長は少しでも遅れを取り戻そうと必死になって船を進めていたから相当早く進んでいるのよ」


「なんてこと……」


楊志がその場にがくりとうなだれた。


 そこで話題が途切れたとみてとったらしく今度は魯智深から問いが発せられた。


「そういや、聞き忘れてたけど、あなたたち、どういう関係なの?」


その魯知深からの質問に楊志はふと気づいたように顔を上げ、宋江に顔を向けてくる。


「そう言えば宋江。私もあなたに聞かなければいけないことがあるわ」


「なんでしょうか」


宋江はある程度その質問を予期していた。じっと無言で楊志の目を見つめ返す。


「あなたとあの赤毛の女……劉唐(りゅうとう)とあなたは呼んでいたかしら? どういう関係なの?」


 とぼけるという選択肢もあると宋江は思った。聞き間違いじゃないですか、と。あるいはつながりは認めても肝心な部分については何も知らない振りをするというのもあったろう。友達ですよ、黄泥岡(こうでいこう)? いえ知りませんね、というふうに。


「仲間です」


だが宋江はそのいずれの選択肢もとらなかった。


「それは黄泥岡(こうでいこう)の一件に関する、ということでいいのかしら」


こくり、と宋江は頷いた。


 しばらく無言が続いた。さすがの魯知深もからかえるような雰囲気でないと感じているのか、口を挟んだりはしない。


「……どうして、そんなにあっさり認めたの? 私がこの場であなたを切り捨てたかもしれないのに」


ややあって楊志は再度、宋江に問いかけた。


「楊志さんに嘘をつきたくなかったからです」


「……どうして私にそこまでしてくれるの? 一回目は私のことを知らなかったとしても、二回目の劉唐との戦いのとき、どうして私をかばうような真似をしたこともそうだし」


「………」


 宋江の沈黙は今までのものより少し長かった。正直、自分でもよくわかっていない。楊志と宋江が沈黙していると、今度は魯智深が声を上げた。


「ちょっと、楊志……だっけ」


「なんですか?」


魯知深がちょいちょいと楊志のことを手招きする。


「いいから、ちょっと、こっち来なさい」


「?」


楊志は頭に疑問符を浮かべながらも素直に従うようだった。魯知深はそのまま彼女を船室の外まで連れて行くと扉を閉めた。








「なんなんですか?」


ちらりと船室に繋がる扉を見ながら楊志は問う。宋江が逃げるとは思っていないが、それでも捕縛しておくべき彼から目を離すのは落ち着かない。


「あのね、あなたちょっといくらなんでも野暮ってものじゃない?」


「野暮?」


言われた意味がわからず楊志は見開いた瞳で魯知深のことを見つめた。


「詳しくは知らないけど、あなたたち敵同士なんでしょ、本当は。あなた提轄だったんなら、宋江は何? 闇塩売りか、山賊の下っ端あたり?」


とてもそんな風には見えないけど、と付け足しながら魯智深は問う。


「あの……何故私が提轄だと?」


「身分証明書を見たからよ。そんなことより、敵同士なのに、なんかわかんないけど彼があなたのことを助けてくれたってことね」


否定することもできず、こくりと楊志は頷いた。それを見て、魯知深はあーあ、と盛大なため息をついた。


「な、なんですか」


出来の悪い生徒に対するような態度をとられて楊志は少し動揺した。


「あのねえ、あの子が仲間を裏切ってまであなたを助けてくれたのは何でだと思うの?」


「いや、だからそれがわからないから私も聞いていて……」


「だから、野暮ねって言ったのよ。そんなの、愛に決まってるじゃない」


「あいいいいい!?」


「馬鹿! 声が大きい!」


魯知深はべしりと楊志の頭をはたいた。楊志も自分の声の大きさにきづいて慌てて辺りを見渡す。


「え、でも、愛って……」


「愛よ、愛。男と女の愛! それ以外に何があるって言うのよ」


「えええ、それってつまり宋江が私のことを好きってこと!?」


ちらりと船室に続く扉を見る。扉には窓など無いので当たり前だが、中にいる宋江の様子はうかがい知ることなどできない。


「つまりも何も無いでしょ。それ以外に敵だったあなたを助けるのにどんな理由があるって言うのよ」


「え、ええと……」


とっさに反論しようとしたが、続く言葉が思いつかず、楊志は黙りこくってしまう。


「ということよ。わかった?」


「ほ、本当にそれしかないの?」


「あなただって何も思いつかなかったじゃない」


呆れたような口調で魯智深が言ってくる。


「そうだけど……」


「じゃ、戻るわよ」


「ま、待ってその色々準備とか……」


しかし、魯知深はそんな楊志の呟きを無視して彼女の肩を強引につかむとまた部屋へと強制的に戻らせた。


「お待たせー、宋江くん」


「あ、はい」


宋江はぽつんと所在無げに部屋の中心にいた。その正面にぺたりと楊志と魯知深も腰を下ろす。


「ねえ、宋江くん。あなた、何か楊志に言いたいことがあるんじゃないの?」


「え、あ、はい。どうしてそれを?」


宋江は不思議そうに小首をかしげた。


「んふふ、お姉さんはなんでもお見通しなのよ。……というわけで、楊志ちゃん。宋江君から重大発表よ」


「うえ!? ちょ、ちょっと待ってよ!」


「何言ってんの。ほらほらとっとと宋江くんも言って言って」


「ま、待って! いいからちょっと待って!」


 楊志にとっては幸いなことに宋江は楊志の言い分を優先させてくれたようで、はい、待ちます。と素直にうなずいた。


 楊志はすーはーと深呼吸すると改めてその場で座りなおした。こほんと咳払いをして、


「ど、どうじょ」


噛んだ。


(さ、最悪! よりによってこんな時に!!)


もはやまともに顔をあげるのもつらく、楊志にできるのはちらちらと宋江の様子を伺うことくらいだった。


「あの、楊志さん。その、お願いがあるんです」


「い、いいいい、言ってみなさいよ」


「あの……」


「う、うん」


 そのとき、自然と楊志の顔は宋江の顔を見つめていた。深い大きな褐色の瞳に楊志の心は揺れた。その瞳がじっと自分を見つめている。自分の体は金縛りにあったように動かなかった。しかし、そのことに恐怖は感じなかった。暖かい真綿で包まれているような、あるいは幼子がに母に抱きしめられているような、そんな感覚。


「楊志さんには迷惑なことかもしれませんけど……」


「ううん、迷惑なら私だって、散々かけたし……」


そこで宋江は少し息を吸った。そんな小さな挙動もわかってしまうほど、彼を注視してしまっている自分に楊志は気付いた。


「あの、どうか一目だけもう一度妹と会うまで僕を処罰するのは待ってもらえないでしょうか!」


頭を深々と下げて宋江はそう懇願した。その内容に楊志の熱が急速に冷めていく。


「はい?」


「あ、あのですから妹のこと、置き去りにするようにして来ちゃったんで……」


恐る恐るこちらを見ながら言葉を続ける宋江だが、楊志はほとんどその言葉を認識できなかった。


 一分ほど沈黙して、どうも、自分はまた妙な勘違いをしていたらしいことをようやく楊志は悟った。


「ちょ、ちょっと待ちなさい! いい! 待ってるのよ! 聞き耳なんかたてるんじゃないからね!」


先ほどと逆で今度は楊志が魯知深の襟首を引っつかんで船室の外にずりずりと引きずっていった。


「ちょっとどういうことよ」


船室の外に出て楊志は魯智深の襟首を引っ張り上げる。


「えへ、なんか勘違いだったみたい」


片目をつぶりながらこつんと可愛らしく拳を自分の頭にあててみせる魯知深を見ていると無性に腹が立った。


「あんたね、私がどれだけ……!」


「あー、ごめんごめん。期待しちゃったもんね」


「き、期待なんかしてなかったわよ! この馬鹿!」


「なら、いいじゃない」


「そ、それは……」


なおも言い募りかけた楊志を無視して魯智深は部屋に戻っていった。文句をいう相手もいなくなり、楊志もしかたなく彼女に続いて部屋に戻る。


「あの、それで……」


部屋の中ではおどおどした様子の宋江が座ったまま二人を見上げた。はあ、とため息をついて楊志は頭に手を押さえる。


「構わないわよ。というか、どの道、あなたを処罰するのは事件のあった濮州(ぼくしゅう)かあなたが住んでた済州(さいしゅう)に戻らなきゃいけないんだからこの場でどうこうするつもりもないし」


「そうなんですか?」


宋江が問い返すと魯智深が答えた。


「ええ、事実よ。とは言ってもそれはあくまで処罰を決定する権利ね。拘束されたりとかはまた別よ」


「ついでに言うなら、緊急時には現場の判断で処罰する権利は与えられているからね。あんたがちょっとでも変なことしたらすぐに首を飛ばすわ」


「うええ!!」


宋江が驚いて助けを求めるように魯智深を見ると彼女はあっさりとうなずいた。


「うん、事実。ついでに言うと緊急時って言うけど、それを判断するのは現場の人間だから。というか私も見るの初めてなんだけどね、わざわざ連れて返すの。普通、面倒くさいからその場でずっぱりやっちゃうんだけど……」


「……詳しいわね」


「元軍人だもの、あたし」


魯智深の来歴に気になったが楊志はそれは一旦脇に置くことにした。


「ま、これでわかったでしょ。あんたの命は私の一存ってことね」


「う……わかりました」


「ところで、さ。宋江くんは罪人らしいけど一体何やったの?」


「え? あ、えっと、それは……」


魯智深の問いにちらりと宋江は楊志を見上げた。


「別にいいわよ。話したって。むしろ話しなさい。私もあんまり把握していないのだし」


それではということで宋江は個人名はなるべく隠しつつも今回の件について当初のところから話し始めた。十万貫という多額の財宝のこと、それを自分たちの仲間が奪ったこと、自分は直接その場にいたわけではないが、協力者の一人だったこと、楊志を助けたこと、その後、自分の仲間と楊志が戦いとなり、その戦いを止めようと間に入って川に落ちたこと。


「別に悪いことしてないじゃない」


全てを聞いて魯智深はあっさりとそう言った。


「あなた、話聞いてなかったの? こいつらは十万貫の財宝を奪い取ったのよ」


楊志が呆れたように言うと魯智深はすぐに反駁した。


「じゃ、聞くけど、その十万貫ってどこから出てきたの」


「どこから出てきたって……それは北京大名府の知府のお金でしょ」


きょとんとして楊志は質問に答える。


「知府の給料だけで十万貫なんてお金が出てくるわけがないでしょ。横領か賄賂か知らないけど、真っ当な手段で得たお金とは思えないわね」


「……何が言いたいの」


「山賊が人から奪ったものを他の山賊が奪ったってあなた達はそのお金を取り返しに動いたりしないでしょう? 山賊が人から略奪したお金と悪徳役人が賄賂とかで手に入れたお金。どっちも不義のお金でしょ。取られたって文句言えないものだと思うけど?」


「……言いがかりよ、そんなの」


とは言いつつも楊志は明確に反論できずにいた。この国の役人としては最高の地位にいる宰相の給与ですら月三百貫である。公的な収入であるが。十万貫と言ったら宰相を三十年近く務めた金を全て貯めてようやく手に入るお金だ。そんなものを知府とはいえ、一役人が公的な収入だけで持てるはずもない。


「せめて自分が信じている言葉で反論しなさいよ」


その自分の本音を見透かしたように魯智深がいった。


「あの、魯智深さん。でも僕らが兵士の皆さんを殺したのは事実で……」


何故か反対におろおろと宋江が自分たちの罪を責め立てていた。


「ところで、宋江くん」


魯智深はそれに取り合わず、話題を変えた。


「あ、はい。なんでしょう」


「どうして楊志と自分の仲間の戦いを止めようとしたのよ」


魯知深は半眼で宋江にそう問いただした。


「最初、助けた時は知らなかったからまだわかるとして、次にあんたの仲間とやり合ってた時は明確に敵って分かってたんでしょ?」


それは今までのようなからかうような口調ではなく、真剣な様相を帯びていた。楊志も気になって顔を上げて宋江を見る。


「なんでといわれても……」


そこで宋江はちらりとこちらを見てきた。視線が合い、慌ててお互いに目をそらす。落ち着かせるためか、宋江は深呼吸をすると答えた。


「その、うまくいえないですし、あっているかどうかわからないですけど……」


そこで一旦宋江が口をつぐむ。


「楊志さんが一生懸命になってくれてたからでしょうか」


「一生懸命?」


「はい。勘違いにしろ、楊志さんは僕と妹を守ってくれようとしました。ぼろぼろの病み上がりだったのに。だから、そのまま見捨てることができなかったんだと思います。その……ちょっと考えてみたんですけど、多分さっき楊志さんにうそがつけなかったのも同じ理由だと思います」


「………」


「あの、魯知深さん……?」


いきなり黙ってしまった魯智深に宋江が怪訝そうに声をかけた瞬間。


「気に入ったわ!!」


「ええ!?」


唐突に叫ぶと彼女は宋江の首にがしっと腕を回してきた。そのまま自分の小脇に宋江の頭を引きずり込む。


「ちょ、ちょっと! 気に入ったってどういうことよ!」


ぎょっとした調子で楊志が叫び声を上げた。


「あらー、気になっちゃう? 気になっちゃうのかしらー、楊志ちゃん」


「質問に答えなさいよ!」


ばんばんと乱暴に床を叩きながら楊志は声を張り上げた。


「んふふふふ。心配しなくても、楊志ちゃんが考えるような意味じゃないわよ」


そう言いつつ、見せつけるように魯知深は宋江の頬をぴたぴたとたたいた。


「こんなすれきったご時世でこの義理堅さ。さらに自分の敵だってわかってるのに助けちゃうその甘さ。中々いないわよ、こんな子」


「宋江! あんたも抱きつかれてへらへらしてるんじゃないわよ!」


「へ、へらへらってそんな……」


「んもー、そういう意味じゃないって言ってるのに、聞き分けのない子ねー」


あきれたように言ってから魯知深は宋江を向く。


「それとも、そういう意味にしちゃおっか、ね、どうかな、宋江」


「へ? あ、あのそういう意味って?」


「うっさい! あんたは黙ってなさい!」


「どういう意味かっていうとぉ……」


「あんたもよ、このえせ尼ああああ!!!」


楊志の絶叫が狭い船室で反響した。

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