その十五 楊志、宋江と宋清に出会うのこと
「嵐の夜に小船に乗って出て行ったぁ!?」
兵士の報告を聞いて、雷横は素っ頓狂な声を上げた。なにかとにぎやかしい彼女ではあるが、芯の部分では案外しっかりしているため、そんな風に狼狽する光景は親友である朱仝にとってもいささか珍しいものだった。
「は、はい。あの、その漁師が言うには、彼らは止めたらしいのですが、振り切っていってしまわれたと……」
「んもう……何やってるのよ、楊志さんたら……」
「たとえ危険とわかってても、犯人の手がかりをみつけた以上、追わないわけにはいかなかったのでしょう」
「まあ、あたしも気持ちはわからなくもないけどさ」
ぶつぶつ言いながら雷横は地図を取り出した。
「それで、楊志さんが追っていったその船は黄河を下って行ったんだって?」
「はい。船の大きさからするとそれほど長い距離を移動するつもりではないだろうとのことでしたが……」
雷横は地図に目をおろした。目撃場所があってから船で一日弱ほど移動した先に梁山湖という湖がある。湖の真ん中に梁山泊と呼ばれる巨大な中州がある湖だ。そしてその湖は晁蓋の住んでいる東渓村とは目と鼻の先である。
「楊志さんについてはもはや、どこにいったかわからない以上、今の段階でできることはなさそうね」
朱仝は冷静に判断を下した。雷横は一瞬だけ非難するような視線を向けたが、彼女もそれが朱仝の本意ではないことをすぐ悟ったのだろう。すぐに目を宙に向けて何か考え始めた。
「楊志さん、いて欲しかったなぁ、あの人強そうだし。どうする? 少し時間かかっても兵の増援を頼もうか。それとも索超さんに無理にでも出張ってきてもらう?」
「そうね……」
朱仝は目で報告に来た兵に退出を促すと、彼はすぐに二人がいる幕舎から出て行った。それを確認してから、朱仝は雷横と正面から向かい合う。
「何? どうしたの?」
兵を遠ざけたということは余人には聞かれたくないことを話すということだ。雷横の表情が一層、真剣さを増した。
「ごめんなさい。別にそんなに秘密にしなきゃいけない話でもないのだけど、だいぶ推論が混じるからいらぬ混乱を招きたくなかったのよ」
そういう朱仝に雷横は目で話の続きを促した。
「色々考えてみたのだけれど、今回のこの一件、晁蓋さんが首謀者では無い気がするの」
「うん……」
それはなんとなく、雷横も感じていたことだった。なぜと言われれば説明するのが難しいのだが、しいて言うなら、財宝目当てに戦いをしかけるというやり方が晁蓋らしくないから、だろうか。
「というより、相当頭のいい人が作戦をたててると思うの。ほら、私たちが山賊退治に黄泥岡の山賊を退治したときに、黒壁山で山賊が倒されていたの、覚えてる? あれも多分、晁蓋さんの仕業」
「え? どういうこと?」
「多分、あの場所の安全を確保したと一度、私たちに誤解させたかったのだと思う。あの黄泥岡には三組もの山賊がいたでしょう。合計すれば百五十人以上になってた。もしあれがそのまま残っていたら、守備兵が百五十人で十分だなんて私は言い出さなかった」
「ちょ、ちょっと待ってよ。そこまで見越して動いてた連中が晁蓋さんと一緒ってこと?」
「ついでに言えばあの政庁でおきた騒ぎもね。これも、推論というより当てずっぽうだけど、あまりにも起こった時期が良すぎる。偶然だとは思えないわね」
「………」
雷横はその話を聞いて思わず、鳥肌がたった。もしそうだとすれば、一体自分たちはいつから踊らされていたというのだろう。
「そしてもし、そこまで頭の回る人がいるならば、索超さんたちが逃げた後で、何の手も講じてないわけがない。つまり、晁蓋さんはひょっとしたら、もう東渓村にいないかもしれない」
「じゃあ、行っても無駄ってこと?」
「そうかもしれないけど、まだ救いはあるわ。多分、その作戦を立てた人は私たちと晁蓋さんが知り合いと言うことを知らないと思うの。もし、そうなら濮州で、しかもこんなに晁蓋さんが目立つ形で作戦をたてようとするのは明らかに失策だもの。というか、多分、晁蓋さんも私達が濮州にいるということを知らないと思う」
「つまり、こんなに早くばれるとは思っていない……」
「そう、今ならまだ間に合うかもしれない」
二人は目を合わせると無言で頷きあう。それは両者の意見が一致した合図だった。すなわちこのまま、州の境を超えて、東渓村へと踏み込む。
「山賊らしきものを追ってたらいつの間にか、済州にまでいってました。ついでだからちょっと昔馴染みにもあってきました。まあこの筋書きなら晁蓋さんが無実だったとしても最悪、減俸ぐらいで済むでしょ」
「わかった。それで行こう」
「このまま行けば明後日の夜には東渓村につくかしら」
「明後日……六月の十日だね」
ゆらゆらと視界が定まらない。まだ自分は船に乗っているのだろうか。耳をすませばまだ雨が降り続いているのがわかった。だが不思議なことに音はすれども雨は自分に降ってこない。体を少し動かすとどうやら布団の中にいるらしいことがわかった。そこで初めて、自分は屋内にいるのだと楊志は自覚した。
顔を左右に傾けてみる。だが暗くてほとんど何も見えない。ぼんやりと端のほうでろうそくが灯っていて、その手前に影があった。影は動くこちらに気づいたのか、いすから立ち上がって近づいてくる。
「あ、聞こえますか? 水、飲みますか?」
聞いたことのない声だった。だが、水はほしい。喉がとても乾いている。それにひどく体が熱い。こくりと肯いて起き上がろうとしたが、体が言うことをきかなかった。
「……えっと、失礼しますね」
すっと背中に回される手。でもなんだか無条件に体重を預けられる感覚とその温かさが少し心地よい。手は軽く力を込めると、ゆっくりと自分の上体を起こした。起き上がるとぼんやりとさしだされた水を眺める。
「どうぞ」
手をあげてその杯を受け取った。乾いた唇で受け止め、中身を少しずつ飲み下す。
「まだ、いります?」
うん、もっと欲しい。頷くとその影は一旦自分から離れた。
誰なんだろう、あれは、父さん? ううん、父さんの手はたしかに大きかったけど、あんなに優しくは無かった。索超? 違う、索超は優しいけど、あんなに繊細じゃない。じゃあ、母さん? いや、母さんは細やかな人だったけど、手はもっと冷たかった。
じゃあ、誰だろう。そもそも自分はどこにいるのだろう。
「はい、持ってきましたよ」
先程の人影が戻って来た。また水を差し出された。もう一度、さきほどと同じように水を飲む。けれども半分くらいでもう十分だと感じて杯を返した。
「あ、もう大丈夫ですか?」
こくりと楊志は肯くとまたそのまま力尽きたように横になった。
その後も同じようなやりとりを何度も繰り返した。不思議なことにその影はいつも自分の横にいて、すぐに水を差し出してくれた。ろうそくをつけているのでどうも夜らしいことはわかった。
どうしてこんな風に優しくしてくれるのか、楊志は不思議に思った。だが、そんな小さな疑問は楊志の頭の中で、疲労と眠気によってすぐにぐしぐしゃにつぶされてしまい、答えを見出すことはできなかった。
大分頭がはっきりしていたのは窓から太陽の光が入り始めた頃からのことである。体も本調子には程遠いがある程度動く様になっていた。しかし何故か、そのときには不思議な影は部屋からいなくなっていた。
まさか幻を見るほど自分の頭はどうにかなってしまったのだろうかと少し悩んだが、すぐに視界の端に見える扉に気づき、そこから出て行ったのだろうと推測した。
だが、頭がはっきりし始めれば、楊志には山の様に考えなければいけない事がでてくる。一体ここはどこなのか? 今はいつなのか? 索超はどうしているのか? 財宝を盜んだ連中はどこにいるのか?
だが視界内には彼女の問いに答えてくれる人はおらず、しかたなく寝ていた寝台から起きようとした時だ。がちゃり、と前方にあるドアが開いた。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
現れたのは黒髪の可愛らしい少女だった。くるりと頭の周囲をくくるような髪帯を身につけている。服装はごくごく普通の農民のものだ。さきほどみた影と違うと直感的にわかったのは彼女が小柄だからだろう。まだ十二歳前後と思しき程度の体格だった。
「気にしないで。もう起きてたから。あの……あなたが私を助けてくれたの? ありがとう」
「いえ、そんな、私はほとんど何もしてないですから……」
謙遜しているのか、彼女はそんなことを言っていた。
起き上がるといつのまにか着替えもさせられていた事がわかった。飾り気のない簡素な服だが清潔なものだ。ただ少々寸法が自分の体より大きいようですこしぶかぶかだったが。
そのまま、寝台の横にある自分の靴を履こうとしてかがんだが、楊志の体が満足に動いたのはそこまでだった。床に下りようとした途端、足に力が入らず、よろめいてしまう。
「あ、だ、大丈夫ですか!?」
慌てたように少女が駆け寄ってきて助け起こしてくれた。
「え、ええ……」
情けないことに歩くことすらままならなかった。一旦体が本格的な休息をとっつてしまったために、緊張の糸が切れてしまったのだろう。慌てて自分の体を支えた手もプルプルと震えていた。
「まだ休んでなきゃいけないんじゃ……」
少女は気遣うようにそう言ってくれたが、楊志は首を横に振った。
「かもしれないけど、そういうわけにもいかないの」
「でも……」
説得力が無いか、と思いながら楊志は寝台の上に座った。
「でも丸二日も寝てしまうぐらい疲れてらっしゃいましたから……まだ動くには早いんじゃ」
「え? ちょ、ちょっと待って! 私、二日間も寝てたの?」
「はい、そうですけど……」
「ということは今は……」
「六月十日の朝ですけど?」
「六月十日!?」
黄泥岡で賊に襲われたのが六月五日。その翌々日に船を出発して嵐にあったのだから自分はあの嵐の夜から数えると二日半ほど意識が無いままだったわけである。
「なんてこと……」
楊志は思わず目を押さえた。
おそらく自分たちを襲った賊を見つけるのは絶望的だろう。既に襲撃があってから五日。五日あれば風がよければ海に出れるだろうし、黄河の南岸で馬に乗り換えれば淮水のあたりまでいける。
よしんば見つけたとしても六月十五日の誕生祝にはとても間に合わない。つまり、この任務に自分は失敗した。財宝を一度奪われても取り戻せばなんとかなるかもしれないという最後の望みも、今絶たれたのだ。
「ど、どうしました? どこか、痛みますか?」
「ううん、違うの。ごめんなさい」
楊志は目頭を押さえたまま、首を横に振った。
「ただ、その、申し訳ないんだけど、少し一人にしてくれないかしら」
震える声で、楊志はどうにかそれだけ言い切った。少女はそれで察したようで無言で頷くと入ってきた時同様、静かに扉を閉めた。
どれほどの時間、そうしていただろうか。一刻ほどかもしれないし、四刻ほどたっていたのかもしれない。ただひとしきり泣くとだいぶ楊志も精神的に落ち着いてきた。
「いつまでも子供のように泣いてるわけにもいかないわね」
楊志はぽつりとそうもらすと、どさりと寝台の上に体を投げ出して、これからのことを考えた。
最低でも濮州の政庁に赴いて兵の全滅を知らせ、北京大名府に行き、任務の失敗を報告することは必要だろう。そうなった自分はどうなるだろうか。ひょっとすると任務に失敗した罪で死罪となるかもしれない。が、そうだとしてもこのまま逃げてしまうということは彼女にはできなかった。
あんな危険な輩がうろついているなら報告するのが軍人の責務だと思うし、何より索超のこともある。輸送隊の指揮をとっていた自分が失踪すれば、最悪彼女が罰せられる可能性もあった。それを見過ごすことはできない。
(とにかく、連絡をとらなければいけないわね)
さっきの少女にとりあえず、近くの役人がいる場所までどうやっていくのか教えてもらおう、と思って彼女の名前を聞くことも、自分の名前を名乗ることも忘れてたと気づいた。
「あの、大丈夫ですか?」
そこに丁度折りよく、先ほどの少女が戻ってきた。静かになったので入ってきたのだろう。
「ごめんなさいね、取り乱してしまって」
「い、いえ……あの、えっと残り物で申し訳ないんですけど、湯のみますか?」
少女の手の上にはとき卵と肉団子(後でわかったことだが、魚肉だった)が入った暖かい湯があった。
「ありがとう。頂くわ」
「あ、動かなくても大丈夫ですよ」
起き上がろうとした自分を制して少女はてとてととこちらに近づいた。
「熱いから気をつけてくださいね」
「え、ええ」
久しくこんな風に気を使われたことの無い楊志は逆に戸惑ってしまった。れんげをとって一口飲む。おいしかった。胃に入ってからそこを中心にじんわりと暖かさが広がっていくのを感じる。
「本当にありがとうね。見ず知らずの私にここまでしてくれるなんて」
「いえ、そんな……気にしないでください」
にこにこと笑いながら少女は屈託無くそう言った。
「そういえばまだ自己紹介もしてなかったわね。私は楊志っていうの」
「私、宋清っていいます」
改めて、楊志はその少女を観察した。年のころは十一か二といったところだろうか。はっとするような美しさは持っていないが、野山の草花のような素朴な可愛らしさを持つ少女だった。
「あの、宋清……。そういえばここは一体どこなのか、教えてもらえないかしら?」
「済州の石碣村という場所ですけど……」
済州は濮州の隣である。一つの州を越えたということは、大分遠くまで流されてきたらしい。しかし村の名前には聞き覚えが無かったので、具体的にどのあたりなのか、楊志にはわからなかった。
「ちょっと聞きたいんだけどここら辺で役人が詰めている町までどのくらいかかるか知ってるかしら?」
「ええと、鄆城という町が一番近いですよ。多分、大体一日歩けば到着します」
「そう。ありがとう、宋清。このお礼はいつか必ずするわ。悪いけど、私、急いでその町にいかなくてはいけないの」
自分の身分証明証となる符はまだ身に付けていた。そこまで行ってこれを見せれば、馬の一頭ぐらいは借りれるだろう。
「え、でも、まだ寝てなくて大丈夫ですか?」
「つらくないと言えばうそになるけど、あまり長々と寝てるわけにもいかないから……」
「それでも、もう一晩くらいいたらどうですか? もうじき、お昼ですから、今から出発したら夜中になってしまいますよ。それにまだ雨も降ってますし」
楊志は少し悩んだ。本来ならばすぐにでも行動すべきだが、実際駆け抜けるように急いできた結果がこの有様である。もし、ここでまた道中倒れたりしたら笑い話にしかならないし、目の前の少女の厚意も無駄になってしまう。
「……わかった。ごめんなさいね、もう一晩だけ、お世話になるわ。」
「ええ、それがいいと思います。あ、おかわり、いりますか?」
いつの間にか、空になっていた自分の椀をみながら宋清がそう言ってきた。
「うん、頂くわ……」
「はい!」
椀を持って室外に歩いていく少女を見て、ふと楊志はこの家には他に誰もいないのだろうか、と気になった。先ほどからだいぶこの少女と話しているが他の人間が様子を見に来るような状況はまったく見えない。彼女の家族は、見ず知らずの自分と娘を二人っきりにしておいて平気なのだろうか。
「お待たせしました」
そんな考えにふけっていたとき、宋清が戻ってきたので聞いてみた。
「ねえ、あなたの家族は外出されてるのかしら」
「あ、いえ、外出しているわけではないんですけど……その……」
言いにくそうに彼女は口ごもっていたが、やがて決心したように言い切った。
「あの、兄様はちょっと風邪を引いて寝込んでしまっていて……」
「他の方は?」
「いえ、いません。私と兄様の二人だけです」
「あ、そうだったの。ごめんなさい、変なこと聞いて」
「いえ、大丈夫です。両親が死んだのはずっと昔の話ですし、今は優しい兄様がいますから寂しくないです」
こちらの懸念を払拭するようににこりと宋清は笑ってみせた。
「楊志さんを助けたのもほとんど兄様なんです。私は着替えとか体を拭くのを少し手伝っただけで……」
「そうだったの。じゃあ、その方にもお礼を言わなきゃね」
考えてみれば小柄な彼女が自分をこの部屋まで運べるはずも無い。その兄がここまで運んできてくれたのだろう。思い出してみればあの暗闇の中で自分に水を与えてくれたのもその兄だったのかもしれない。
(あれ?)
先ほど、彼女は兄は風邪で寝入っていると言ってた。しかし、あの時、水を与えてくれた存在はそんなそぶりはまるで見せてなかった。
「ひょっとして、私の看病して、風邪をひいた……とか……?」
恐る恐る聞いてみる。
「え、えっと、多分違うと思います。元々風邪気味でしたし」
こちらが罪悪感を抱かないようにという配慮からだろうか。宋清は必死になって言い訳するようにそういう風に言って見せた。
「風邪気味だったってことは……悪化したってことじゃないの……?」
「そ、そうとも言うかも知れないですけど……」
指摘してやると観念したように宋清は言ってきた。
はあ、とため息を吐く。もちろん、自分に対してだ。
「本当にごめんなさい。迷惑かけちゃって」
しかし、その声に応えたのは目の前の少女ではなく、第三の声だった。
「気にしないでください。清の言うことは少し大げさですから」
開いた戸口の向こうに一人の男が立っていた。背は男性にしてはやや小柄と言っていい部類だろう。くりくりとした丸い目に黒い癖っ毛が特徴的な人物だった。年はほとんど自分と変わらない。これが宋清の兄だろうか。
「ごめんなさい。驚かせてしまって。僕、宋江といいます」
にこやかに笑いながら宋江と名乗ったその少年、青年といってもいいかもしれない、は近づいてきた。
「私は、ごほっごほっ」
名乗ろうとしたところでむせ返ってしまう。
「ああ、無理をしないでくださいね」
声を聞いてはっきりした。夜に何度も自分に水を飲ませてくれたあの声だった。
「すみません。ご迷惑をかけてしまったみたいで」
「困ったときはお互い様ですから」
気にするなと言うように宋江は微笑んでみせた。
「それにさっきもいいましたけど、清の言うことは少し大げさですから気にしないでください。風邪といっても大したものじゃないんです」
「兄様、まだ寝ていないと……」
宋清が心配そうに見上げながら彼の服のすそをぐいぐいと引っ張っていたが宋江はぽんと彼女の頭に手を置いた。
「もう、大丈夫。清のおかげですっかり治ったから、ありがとう」
「うー、ごまかそうとしてません?」
「そんなこと無いって」
彼になでられた途端に宋清はおとなしくなってしまう。彼女自身もそれを自覚しているのだろう。むくれた宋清の声には抗議の色が混じっていたがたが、結局、宋江がごまかすように笑った後は、声を上げなかった。
「仲が良いんですね」
「ええ、よく言われます」
少しだけ楊志は宋清がうらやましかった。自分には兄弟はいない。親戚で同世代の人間は何人かいたが彼らは友人と言うよりも競争相手という認識で、こんな風に優しい言葉をかけあう関係ではなかった。
(まあ、私も彼らに優しい言葉などかけたことないけど)
そう思うとこれも自業自得というものだろう。
今からそういう関係を築けるとしたら索超ぐらいだろうか。
(索超、会いたいなあ……)
頭をなでられてくすぐったそうに笑う妹とそれを見て微笑む兄を見つめていると楊志もなんだか幸せな気分になれた。
朝から降る雨は午後になってもやまなかった。いや、却って強まっていた。幸いなことはそれとは対照的に風は少し弱くなっている。
空は分厚い雲に覆われて見えないが、そろそろ東から夜が侵食してくる頃合だろう。朱仝と雷横は東渓村に到着したのは丁度、そのくらいの時間帯だった。
「朱仝、明日の朝に出直した方がいいんじゃないかな。もし晁蓋さんに逃げられたらこの暗闇じゃ追えないよ」
「そうね……」
朱仝は少し考えたが、結局かぶりを振った。
「いいえ、やめておきましょう。昼では兵士の位置がはっきりわかってしまうし、それに……」
「それに?」
「いざとなったとき、夜のほうが私たちが逃げやすいわ」
冗談めかして、朱仝はそう言った。
「あはは、何それ」
こちらが捕縛する立場で相手が犯罪者だと言うのに、それではあべこべである。
だが朱仝の狙いはまさにそこにあった。楊志と合流できなかった以上、自分と雷横では晁蓋に勝てない。朱仝の見立てでは自分と雷横と楊志と索超、四人がそろえばなんとか互角に戦えるだろうか、という具合であった。それでもおそらく彼が逃げに徹せばそれを抑えることは難しい。
索超と楊志の助けになってあげたいという気持ちには嘘偽りはなかったが、それとは別に朱仝は自分たちにできることを冷静に見積もっていた。
いざ、彼が暴れだしたら自分たちはしっぽを巻いて逃げるしかないのだ。雷横には素直に言ったら反対されるため、朱仝は副官を通じて兵士たちに標的である晁蓋の背格好とこの男が出てきたら戦うことなく避けて追跡に専念しろと言ってある。
「じゃあ、いきましょうか」
「うん」
少し小高い丘の上にある晁蓋の屋敷を見上げる。それを照らすように稲妻が走った。