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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第二話 蠢動編
22/110

その十 宋江、呉用と約を交わすのこと

 不愉快な頭痛がして目をあけると宋江(そうこう)の前には惨憺たる光景が広がっていた。


 赤ら顔のまま眠る晁蓋(ちょうがい)劉唐(りゅうとう)は吐き気がするほどの酒くささと共に、ひっくり返った料理をぶちまけながら寝ていた。特に晁蓋はいびきもひどく、一度目覚めてみればこんな騒音の横で寝ていた自分が不思議なほどだった。


 視線を下におろすと宋清(そうせい)と、なぜか公孫勝(こうそんしょう)までが自分のふとももを枕にするようにして寝ていた。二人は晁蓋たちのように料理と共に寝てしまうほど悲惨ではないものの、髪と衣服がだいぶ乱れている。


 宋江はぼんやりとその四人の様子を視界におさめながら昨日、何があったのかを少しずつ、思い出そうとした。


 二日前に濮州を宋清、公孫勝、阮小五(げんしょうご)の三人と共に出発し、昨日、晁蓋と劉唐と合流した。晁蓋と劉唐は昔にどこかの山賊が使っていたらしい小屋を使って寝泊りしているということでそこに案内されてきたのである。


(それで……晁蓋が山賊から奪ってきたとか言う酒を開け始めて、前祝(まえいわ)いだとか言って飲み始めたんだ)


其の辺りはまだかなり明確に記憶が残っていた。うすらぼんやりするのはその少し後、公孫勝が自分の口に酒の徳利をつっこんでからで……


(それでどうなったんだろう……)


細切れの映像を見ていくように自分の記憶を再生させていく。赤ら顔の公孫勝が自分にしきりに酒を飲ませている映像。晁蓋の投げた牛肉が、思いっきり劉唐の顔にヒットしている映像。なぜか自分も晁蓋の顔に牛肉をぶん投げている映像。宋清が抱きついてくる映像。


(わけがわからない……)


 ふと、同時にももに何かあたたかいものがおちるのを感じて宋江は意識を昨日の夜から目の前の光景に移し変えた。探るようにその源を辿っていくと公孫勝の後頭部が見えた。


(よだれ……? げろじゃないよね、まさか……)


なんとなく先日の呉用(ごよう)との一件を思い出し、恐る恐る彼女の顔を覗き込む。


 公孫勝は眠りながら涙をこぼしていた。







 宋江はなるべく音を立てないように小屋の扉を閉めた。左手に川原があったはずなので顔を洗おうとそちらに降りていく。予想してしかるべきだったが阮小五がそこにいた。


「起きたのか」

「え、ええ、おはようございます、阮小五さん」


阮小五は川のほとりに座って髪を結わいていた。先ほどまで水につかっていたのか、全身ずぶ濡れである。水着がわりなのか、さらしを上下に身に着けているだけの格好なので宋江としては目のやり場に困るが相手は気にした様子も無く淡々としていた。


 かなりぶっきらぼうな対応をとられていたので彼女に嫌われているのかと当初は思っていたのだが、どうもこれは彼女の素らしく、晁蓋や劉唐にも同じように接していた。それからはわりと宋江も普通に接している。


「あの、昨日のことなんですけど……」


「うん?」


「そのなんか、ご迷惑おかけしてませんでしたか? ほとんど記憶が飛び飛びで……」


「まあ、あんだけ飲まされてりゃ、そうなるわな。俺は特に被害受けてねーけど」


「そうですか……」


「むしろ、お前が被害受けてる側だったもんな」


「え? そうだったんですか?」


子供(がき)二人に振り回されるわ、劉唐さんから酒飲まされるわで。正直同情したぜ。あと、お前頭洗っといたほうがいいぞ、晁蓋さんに魚乗っけられてがしがしかき回されてたからな、すげえ生臭い」


「………」


酒のにおいのひどさで鼻が利いてなかったが、確かにそういわれて改めてかいでみると自分の体のそこかしこからべたべたした汚れや嫌なにおいがまとわりついていた。


「そうさせて頂きます」


「ああ、俺は上流に行って魚でも取ってくるよ」


阮小五はばさりと袖の無い衣服を羽織ると宋江に背を向けて歩き出した。








 阮小五の助言の通り、体と頭を水で流し、しばらくそこでぼっとしていると次にやってきたのは公孫勝だった。


「あ、師匠。おはようございます」


「う、うむ……おはよう」


なぜか、公孫勝はこちらに目を合わせようとしなかった。視線を横にそらし、つむぐ言葉もどこか、歯切れが悪い。


「昨日はすまなんだな。その、色々と……」


おそらく酒を飲ませたことを言っているのだろう、と宋江は判断した。


「え? いや、気にして無いですよ」


「そ、そうか。なら良いが……」


「ええ、でも僕はいいですけど、あんまり他の人にまでやらないようにしてくださいね」


「あんなこと、他の連中なんかにやるか!」


怒った様に公孫勝はそう怒鳴った。


「え? 何の話です……?」


「……ひょっとして、おぬし……覚えておらんのか?」


「……何をですか?」


「い、いや、覚えておらぬなら良い。そのまま忘れておいてくれ」


「は、はあ……」


なんだかとても気になる言動をするが向こうがそう言うならと宋江はそれ以上、会話を続けるのはよした。


「のう、宋江」


「はい、なんですか?」


「おぬし……」


公孫勝が何か呟きかけたときだ。


「おー、泣き虫仙人、何やってんだ?」


公孫勝の背後から劉唐がそう声をかけてきた。


「泣き虫……?」


気になる単語をつぶやくと同時に公孫勝が劉唐にとびかかった。


「わー! 馬鹿馬鹿言うでない!」


「いやー、まさか酔いつぶれたら泣き上戸になるとわねー、意外だったぞー、あたしは」


公孫勝は短い手足で劉唐の口をふさごうとばたばたもがいていたが劉唐にしっかりとおさえつけられてしまう。


「泣き上戸だったんですか、師匠は」


「聞くでないー!!」


だが劉唐はあっさりと公孫勝の抗議を無視して彼女の小さな体を押さえつけると文字通り頭越しに宋江と会話を始めた。


「あれ? お前覚えてないの? こいつ途中からぐすぐす泣いちゃってさ、お前に張り付いて離れなかったんだぜ。そしたら宋清も離れろって怒っちゃってさー。お前も意外と隅におけない……ってあれ?」


上機嫌に話していた劉唐はそこで初めて目の前の公孫勝の異変に気づいたようだ。怒りのためか、羞恥のためか真っ赤になった彼女の全身から得体の知れない気配が発されていた。


「あ、あれ? 公孫勝?」


「その口を……閉じろーーー!!!!」


公孫勝の絶叫と同時に劉唐のたっていた地面にぼっと穴が開いた。声をあげる暇さえ無く劉唐が落下した後、公孫勝がまた何事かつぶやくと、地面の穴はまたふさがれた。


「え……あの……師匠……?」


「忘れよ、よいな」


「いや、それはいいんですけど、劉唐さんは……」


「よ・い・な!」


「……はい」


公孫勝は宋江がそれだけ言ったのを確認すると、小屋に向かって歩み去っていった。


 劉唐はしばらくして自力で這い上がってきた。







 昼過ぎになって残りの三人、呉用、阮小二(げんしょうじ)阮小七(げんしょうしち)の三人も合流してきた。考えてみれば財宝強奪計画の全員が一堂に会したのは初めてのことである。


「酒くさっ!! あんたたち何やってたのよ」


起きてから宋清と宋江がかなりがんばって掃除をしたのだが(他の面子は手伝うそぶりすら見せなかった)、だいぶましになってきたとはいえ、初めてここに来る三人にはかなりきついにおいだったのだろう。阮小二だけはいつもと変らず、にこにことしていたが。


「前祝いに決まってるだろ」


呉用の抗議に平然と晁蓋がそう返した。


「まったくあんたたちは……ああ、もういい」


一瞬何か言いかけた呉用は結局あきらめたようにそう言ってため息をついた。


「状況と明日のこと、外で説明するわ。こんな場所にいたら鼻が曲がりそう」


 野外で呉用はかりかりと枝を使って地面の上に地図を描いた。


「敵だけど、元々の輸送隊の三十名に加えて、百名の歩兵と五十名の騎兵がつくみたい」


「全部で百八十か。少ねぇな」


晁蓋が残念そうにぼやいたが呉用は無視した。


「おそらく明日の昼頃に黄泥岡(こうでいこう)を通るはずよ。宋江、明日天気どうなるかわかる?」


「え? えっと……多分、一日中、晴れると思うよ」


「そう。じゃあこれから実際の襲撃の時の配置を説明するわ」


呉用はさらに地面の上に文字を書き入れていく。


 黄泥岡は森の中から長く続いている緩やかな坂が終わる場所である。辺り一面に森が広がる中で、黄泥岡周辺だけぽっかりと穴が開いたように樹木がほとんどなく、代わりに高草が生い茂っている。街道はその開いた空間の中心を横断するように整備されていた。辺りにひそみやすく、且つ街道を通る人馬は良く見える。これこそがこの辺りで山賊が出没する理由だった。


「阮小二と劉唐、それと晁蓋はこの場所、黄泥岡の一番高いところにいて。反対側から登ってくる輸送隊からは見えないように身を伏せてね。そして、公孫勝と阮小五、阮小七は森の中で輸送隊をやり過ごしてそのまま隠れてて頂戴。宋江と宋清はまた後で指示するわ」


全員が頷いたのを確認すると、呉用は言葉を続けた。


「まず公孫勝たち、森にいる三人の役割は逃走する敵を逃さないようにすること。前進する必要はないわ。弓矢か何かで逃げてくる兵をどんどん倒していって。公孫勝。あなたが最後の砦だから逃がさないようにしてね」


「うむ」


さすがに公孫勝はもう落ち着きをとりもどしていた。


「次に晁蓋だけど、あんたは単純。とにかく一人でも多くの敵を仕留めて」


「おう、ようやくか」


「うん。で、劉唐と阮小二は私の指示に従って臨機応変に動いてちょうだい。基本的には阮小二は丘の上から弓を撃って逃げようとする敵兵を倒すこと、劉唐は私と阮小二の護衛として近づく敵兵を倒してほしいのだけれど、敵の状況によって色々変わると思うからよろしくね」


いわば遊軍というわけだ。


「了解しました」


「わかったぜ」


「それである程度敵を倒せたら阮小二は敵の宝を運んですこし先にある黄河のほとりまで運んで頂戴。宋江、それと宋清。阮小二が運んだ荷物を船に移すのがあなたたち二人の仕事よ。既に阮小七が船を持ってきているはずだから詳しい場所を後で聞いて、明日の朝、ここから直接そこに行って見つけておいてね」


「わ、わかりました」


「まあ、敵も色々とこちらの予想に反したことをやってくるだろうけど、そのときは適宜、判断して。阮小五と阮小七は基本的に公孫勝の言うことを聞いてちょうだい。宋清は宋江。残る人たちは私の指示ね」


 そこまで一気に呉用は語ると一息ついた。


「まあ、こんなところかしら。とりあえず、敵の来る時間帯がわかってて、その数が百八十人という時点でこっちの優勢はゆるがないわ。後は如何にして兵を全滅させるかよ」


「え? 全滅させるんですか?」


「目撃者が残ってたらばれちゃう可能性、高くなるわよ。それでもいいの?」


「いや、良くないですけど……」


呉用の言い分に宋江は反論するすべを持たなかった。


 宋江にとって少し気になったのがこの輸送隊を率いてる人物のことだ。楊志(ようし)という人物は物語どおりに進むのならば、いずれ自分たちの味方になってくれる存在である。はたしてそれを殺してしまっていいものかどうか……


「特に何も無ければこれで終わりにしましょ」


呉用がそう言い、その場はそれで解散となった。








「おい、宋江」


「何?」


宋江は焚き火に枝を放り込みながら晁蓋に返事をした。火の上では陶製の水差しの中で湯が煮立っている。料理用に使うということで宋清からたのまれたものだ。


 そろそろ昼から夕暮れに空が変わろうとしているころだった。現在、小屋の前には宋江と晁蓋の二人だけである。女性陣は全員で川へと向かった。晁蓋は、といえば、例のごとく、酒を呷りながらそのあたりの倒木にもたれかかっていた。


「公孫勝から聞いたんだけど、気功習ったんだってな」


「え、あ、うん。といってもまだ初歩の初歩らしいけど……」


あの公孫勝の呼吸をし続ける妙な訓練はまだ続いている。公孫勝の言うとおり肉体的にはどうってことないが、精神的にかなりくるものがあった。とにかく自分が上達した実感も無く永遠におなじところをぐるぐると回っているような徒労感を感じている。まだ始めて十日と経っていないのだからこれが一年続くとなれば、確かに嫌になる人間が続出するのもわかる気がした。


「晁蓋は最初の修行ってどのくらいかかったの?」


「最初の修行?」


「あのずっと息を吸ったり吐いたりするやつ。誰でも最初はあれからやるって聞いたけど」


宋江は慎重に水差しを取り上げると中身をまた別の容器に移した。


「ああ、あれな。三日ぐらいだっけかな」


「三日ぁ!?」


公孫勝は才能があれば一ヶ月ほどで終わるといっていたが、三日とは……つくづくこの男が規格外であることを宋江は思い知らされた。


「いや、五日だっけかな?」


と晁蓋は言い直すが、三日にせよ、五日にせよ、常識をはるかに超えて短期間であることは変わりない。


「はー、すごいね、晁蓋は……」


「そうかあ? 俺に言わせりゃなんでそんなに時間がかかるのかわからねーがな」


そう言いながら晁蓋は腹筋をつかって起き上がった。


「ところでよ」


「今度は何?」


「お前行かなくて良いのか?」


「? 行くってどこへ?」


「覗きに」


「行かないよ!! いきなり、何言い出してるの!?」


「そうか? 丁礼(ていれい)達はこういう時、我先に行ったもんだがな」


「あんまり褒められた行為じゃないと思うよ。大体、晁蓋はどうなのさ」


「俺か? 俺は見たくなったら見せてもらう。わざわざ覗きなんて面倒な真似はしねーよ」


どういう手段でそれを目にするのかは宋江は考えないようにした。


「見たことあるの?」


「そりゃ、お前俺だって二十一だぜ。無いほうが不自然だろ」


「え? 誰の? 呉用さんの?」


「ちげーよ。済州に住んでた時にはそういう店が周りにいくらでもあったからな」


要は売春、ということらしい。


「恋人とかいなかったんだ」


性格はともかくとして、晁蓋は背も高く、顔だって悪くないし、その上この強さだ。考えたことがなかったが、割と街では人気が高かったのかもしれない。


「女ってのはすぐ輿入れだなんだと言い始めやがるからな。面倒ごとはきらいだ」


「……そういや前もそんなこと言ってたね」


「そういうお前はどうなんだ?」


「……無いよ」


なんとなく晁蓋の話を聞いた後に白状するのは癪だったが、嘘を付く度胸もなく、宋江は認めた。


「それでか。一回ぐらい見てなれたってバチはあたらんぜ。呉用の鶏ガラみたいな体じゃどうしようもねえが。阮小二とか劉唐とか結構いい体してるだろうが」


「………」


「おいおい、どうした。黙りこくって。ひょっとして想像しちゃったのか」


「あのさ、晁蓋」


「何だ?」


「その……後ろ」


宋江が指差した先、そこにはもう水浴びを終えてきたのだろう、女性陣が戻ってきていた。晁蓋が気づかなかったのはうかつとしか言いようが無い。


「………」


つかつかと無言で呉用が近づいてくる。


「あ、あの、呉用さん……?」


自分は何も悪いことはしていないのだが、その迫力に宋江は思わず慈悲を乞うように声をかけてしまう。


「わ・る・かっ・た・わ・ね! トリガラみたいな体でぇ!!」


そう叫んで呉用は宋江の足元にある煮立った湯を晁蓋に向かってぶちまけた。


「うおぉ! 何しやがる!」


これはさすがに晁蓋も浴びたらただではすまないのか後ろに飛んでかわした。


「やかましい! 今日という今日は勘弁ならないわ!」


ぶんぶんとすでにからになった水差しをふりまわすが距離をとった晁蓋にはとても当たりそうに無かった。


「まあまあ、呉用先生。落ち着いてください。実害は何も無かったのですから」


後ろから阮小二が羽交い絞めにしてようやく抑えた。


「宋清ちゃん! 今日はこいつは飯抜きでいいからね!」


「けっ! 飯ぐらい自分で兎でも捕まえてくらあ!」


まだ怒り覚めやらぬ呉用の台詞に対して、捨て台詞を残して晁蓋はそのまま、どこかに消えてしまった。


「宋江実は覗きたかったんでしょ、怒らないから正直にいいなよー」


「勘弁して」


阮小七がにやにやと笑いながら聞いてくるのに対して宋江はげんなりとした顔でどうにかそれだけ答えた。








 夕食(阮小五がとってきた魚を煮込んだ鍋だった)を食べ終わって宋江は小屋の外で寝ることにした。女性陣は家の中で寝たら、と言ったのだが(特に宋清はそれなら自分も外で寝たいと言い出した)外で焚き火を燃やし続けて無いと晁蓋が帰ってこれないだろう、と説明すると彼女たちもそれ以上、強くは言わなかった。


 既に日は落ち、夜の森は薄暗い。小屋の中からは既に寝息が聞こえ始めていた。半日開けっ放しにしておいたおかげで、だいぶ酒臭さも薄れたらしい。


 焚き火を見つめているといろいろなことが宋江の頭をよぎった。明日の自分の動きのこと、まだ見ぬ楊志という人間のこと、これからの皆の未来のこと、自分の気功の能力のこと、そもそもここに来た理由……


 不意に背後で小屋の扉の開く音がして、宋江は振り返った。


「ごめんなさい。起こしてしまったかしら」


「呉用さん……?」


呉用はそのままぱたりと扉を閉めた。


「いえ、気にしないでください。僕も寝てたわけじゃないですし」


「そう……悪いわね……あいつの尻拭いさせるような形になっちゃって」


そう言って呉用は宋江が座っている丸太の上に腰を下ろした。焚き火のか細い明かりが隣に座った呉用の顔を照らしている。


「そんな……僕から言い出したことですから。あの、呉用さんも晁蓋のことが気になって?」


「まさか。少し考え事してて眠れなかったからね。出て来ただけ」


「やっぱり、明日のこと、緊張しますか」


「ええ。うまくやってきたつもりだけど、実際のところ、何が起こるかわからないもの。それに、昼間はああ言ったけど、やっぱり人を殺させるのは少し抵抗があるし……」


「……すみません。何の考えも無しに適当なこと言って」


思わず宋江は視線を焚き火へと落とした。


「気にすることは無いわ。あなたのその感覚のほうが正常なのよ」


しばらく二人とも無言でぱちぱちと木がはじける音だけが聞こえた。


「できれば、あなたにはそのままでいて欲しいわ」


「え?」


「あなたと宋清を明日の戦場から外したのわね、もちろん戦力的に期待できないというのもあるけど殺し合いに直接関わって欲しくないからなの」


座った場所の具合でも悪かったのか微妙に体を動かしながら呉用は言う。


「はあ……」


「他の人たちはね、程度の違いはあれど、これは正義の戦いだとか、悪徳役人を倒すためだとか考えていて軽く思っているようだけど、今から私たちがやることは結局のところ、山賊と変わりないのよ」


「………」


 宋江が黙っていると呉用は宋江に懇願するような瞳を向けた。


「一つだけ、お願い。もし、明日あなたたちが待っている場所で一日経ってもだれもこないようならその時は私たちは死んだものと思って行動して」


「そんな……」


「もちろん、晁蓋がいるのだからそんなことにはならないと思う。でもさっき言ったとおり、何が起こるかは誰にもわからない。そんなときはあなたたち二人だけでも生き残って平穏に暮らして欲しいの……」


「そんなこと……できませんよ」


宋江は頭を振って否定する。


「宋清ちゃんのことがどうなってもいいの?」


「卑怯です。そういう言い方は……」


「ごめんなさい。私にはこういう言い方しかできないのよ」


とはいえ、宋清のことを持ちだされては、呉用に真っ向から反論できようはずもない。でも、どうしても一つだけ言っておきたくて宋江もまた懇願するように呉用に目を向けた。


「じゃあ、僕も代わりに一つだけ……」


「何?」


「呉用さんも危なくなったらきちんと逃げてください。何があっても、です」


「……どうしてそんなことを言うの?」


宋江は少し沈黙した後に答えた。


「僕が呉用さんをこの計画に引っ張り込んだ張本人だからです。自分勝手な理屈ですけど、だから他の誰よりも呉用さんには死んで欲しくないって思ってます。これを約束してくれたら僕も呉用さんの言うとおりにします」


「……ずるい人ね」


「似たもの同士かもしれませんね」


そう言って宋江が笑うと、呉用もつられたように笑った。


「わかったわ。そうしましょう。ちゃんと約束守るのよ」


「わかってますよ。指きりでもしますか?」


「ユビキリ? 何それ?」


「あ、そうか、知らないのか。僕の地方の風習です。子供なんかが約束するときに使う儀式ですかね」


「……私、もう子供じゃないわよ」


少しすねたように呉用が言った。背の小ささをさんざん晁蓋辺りからからかわれているのかもしれない。


「じゃあ、大人だったらこういうとき、どうするんですか?」


「……誓約書を書く?」


自信なさげに呉用は答えた。


「しますか、それを?」


「もう……わかったわよ。じゃあ、やってみましょうか、そのユビキリって奴を」


ものめずらしさもあったのだろう。呉用はそう承諾した。


「じゃあ……」


すっと宋江は右手を持ち上げて小指だけを突き出した。


「呉用さんも同じようにしてください」


「こう?」


「ええ、それでこうやって指を絡めるんです」


宋江は左手で呉用の手を取るとそっと自分の右手の前に誘導した。


「それで?」


「で、二人で一緒に呪文を唱えるんです。『ゆびきりげんまん、うそついたらハリ千本のーます』って。で、最後に『ゆびきった』っていって指を離したらおしまいです」


「へえ、じゃあやってみましょうか」


「ゆびきりげんまん、うそついたらハリ千本のーます、ゆびきった」


暗い森の中で二人の声が唱和した。


「こんなんでいいの?」


「まあ、子供のやることですから」


宋江が苦笑すると呉用もそうね、とだけ言った。


「ごめんなさいね、邪魔して。私はもう寝るわ、おやすみなさい」


「あ、はい。おやすみなさい。足元、大丈夫ですか?」


「ええ、平気よ。ありがとう」


そう言って呉用は迷うことなく小屋へと戻っていった。









「ふいー、参ったぜ」


呉用がいなくなってからしばらくして晁蓋がしげみをがさごそと揺らしながら戻ってきた。


「あ、晁蓋。戻ってきたんだね」


「おう、イノシシ、仕留めたんだがよ、素手だったもんだから解体に偉い苦労したぜ」


「素手で解体って……まあ、いいや。どうすんの、こんなでかい肉持ってきて」


宋江の見立てでは30キロは優にありそうな肉塊がどさりと投げ出される。晁蓋といえどもとても一人で食べきる分量とは思えない。


「明日の朝も食えばいいだろ」


「大丈夫なの、それ?」


季節は既に六月となっている。加熱するとはいえ、一晩常温で放置した生肉を食べられるかどうかと言われれば、かなり怪しいと宋江は思った。


「火さえ通しゃ平気だろ。お前も食うか?」


宋江のいうことなど意に介さず、ぶつぶつとナイフで肉を切りながら晁蓋が言う。


「いらない。もうご飯食べたし」


「ちっ、付き合いの悪いやつだ」


 焚き火に適当にまきを加えると宋江はその場に横になった。


「なんだ、もう寝るのか?」


「明日、朝早いしね。失敗したら大変でしょ」


「なあに、失敗したらその時はその時だ」


この底抜けの楽天さがどこからくるのか、宋江は知りたかった。


「そう言うけど、失敗したら死んじゃうかもしれないんだよ」


「だからその時はその時なんだよ。人間なんていつか死ぬ」


肉を無理やり歯でひきちぎりながら晁蓋は答えた。


「もう、晁蓋を頼りにしている人たちだっているんだからそんなこと言わないでよ」


「誰だよ。俺を頼りにしてる連中って」


「僕だよ。丁礼(ていれい)たちだってそうだし、呉用さんだってきっとそうさ。というかここに集まってる人間は皆そうだよ」


「期待したいんなら勝手にしろ。だが俺は別に応えたりはしねえからな」


「はあ……まあ、晁蓋はそういう人なんだろうけどさ」


あきらめたように宋江はつぶやいた。


「前も言ったろ。俺に言うこときかせたけりゃ、俺より強くなるんだな」


「もう、いいよ。僕は寝るからね」


「おう」


周囲の何もかもを気にすること無く、猪の肉にかぶりつく晁蓋を見て、宋江は少しだけ羨ましいとも思った。

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