Tale.3 島国の朝
夕暮れに染まるアイム海を、二隻の船が縦に並んでゆっくりと進んでいく。
前を行く白い帆の船の縁にもたれ海を眺めながら、エフィは後ろの黒い帆の船を眺めた。
先程の戦闘によって甲板は穴が開いていたり斬り傷だらけだったりと散々な状態である。
懲らしめた海賊たちも後ろ手に縄で縛られ座らされている。
何というか、少し哀れだ。やったのは自分達なのだが。
あれ以来、今のところはポストイを目指してのんびりと船を進められている。
到着するころには陽はとっくに沈んでいるだろうし、今日はあちらに一泊することになるだろう。
夜の航海ほど怖いものは無い。まさに自殺行為だ。
(シモンさんたちも色々忙しくなるだろうし、何日かはポストイでゆっくりできるかな)
ポストイは海底火山の噴火によってできた島にある国だ。
地熱を利用した商業が発展しており、アイム海を臨む露天風呂が有名だ。
食べ物に関していえば、温泉卵などだろう。半熟が一番美味しいと聞いたことがある。
疲れた体を癒すのにこれほど嬉しい国はない。
連続で依頼をこなすことになったウェインもようやく休むことができるだろう。
そう思い、エフィは視線を海賊船から隣の弟に移した。
ウェインは自分の隣で甲板の縁にもたれかかり、さっきから顔を伏せたままだ。
腰につけたポシェットが少し強い風に弄ばれ、中から小さく金属音を響かせている。
「…大丈夫?」
少し心配になって、呟く程度で尋ねてみる。
返事は期待しなかったが、不機嫌そうな声が即座に返ってきた。
「これが大丈夫そうに見えるなら姉さんの目は節穴だね」
「それだけ言えるのなら十分元気じゃん」
そう返すと、ウェインが不意に顔を上げた。
薄暗いせいで表情は分かりにくいが、疲れているのが分かる。
半目でじとりとこちらを見、ウェインが嘆息した。
「いくら魔力が多くても疲れるものは疲れるんだからね。精神力使うし」
「らしいね」
「らしいねって…」
「シルフの『精霊の器』使いは、戦闘以外じゃあそうなるのがオチってもんだろう!
がはははっ!」
舵を取っていたシモンからそう言われ、ウェインの表情が僅かに曇る。
それをエフィは見逃さなかった。
【白い鷲】の一員として過ごすために、ウェインは多くの人間に対して自分の過去を隠していた。
本当のことを知っているのは一部を除いた【白い鷲】のメンバーと、
カーディア王国の重鎮達、そして大陸の限られた人物だけである。
仕方がないことではあるが、ウェインは嘘をつきすぎている。
本来なら『危険物』として地下牢獄のようなところに閉じ込められていてもおかしくはないのだ。
本当のことを周囲の人間に知られてしまった時どうなるか――。
エフィはそれが心配だった。
小さく息を吐き、ウェインの背中を右手で軽く小突く。
怪訝そうに自分を一瞥する彼に、エフィは淡く微笑んだ。
ウェインも自嘲気味に笑みを浮かべたのを見、エフィは視線を海に戻した。
その時、エフィは視界に映っていたものに違和感を覚えた。
ポストイは火山の島だ。今も活動が活発なところもある。
その一つが首都のある本島の隣、ドゥ―べ島である。
アダーラからも噴煙が見えるほどの時もあった。
だが、今は違う。
ポストイ一の火山島は、あんなに静かなものだったろうか。
一通り考えを巡らせた後、エフィはそれを放棄した。
今頭を働かせてもどうせまともな答えははじき出せない。
今日はゆっくり休んで、また明日にでも考えればいい。
◇
窓から差し込んできた朝日の眩しさに、エフィはのろのろと瞼を上げた。
ベッドから体を起こし、大きく伸びをする。ついでに欠伸も出てしまった。
もう一眠りしたいところだが、そうはいかない。
なにせ、
「あ、おはようございます」
「…あふ。おはよ~」
眠る必要の無いモーゼ君が見張っているのだから。
エフィたちが寝ていたベッドから少し離れたソファに腰を下ろし、
モーゼ君は静かに読書をしていた。
どこで物を見ているのだろうとつくづく不思議に思うが、
追求するだけ時間の無駄だということは数年前に既に学んでいる。
昨夜エフィたちがポストイの首都であり港町のマルーンに到着したのは、
予想したとおり陽がどっぷりと沈んだ後だった。
入国の手続きやら海賊達の引渡しやらを済ませていると、
時計の針はあっという間に深夜零時を指してしまった。
それから宿を探し、ベッドに飛び込んだのは結局一時過ぎ。
そして、現在朝の十時。睡眠時間だけは健康的である。
エフィたちの部屋は二段ベッドか二つ付いた四人部屋だ。
エフィの上の段にはフィリスが寝ており、もう一つの下のほうはウェインが占拠していた。
二人ともまだ完全に夢の中だ。
フィリスはともかくウェインはまだ寝かせておいてあげたいところだが、
放っておくと一日中寝続けるのも学習済みだ。
ベッドから降り、まずは上のフィリスを起こすために梯子に足をかける。
顔だけで覗くと、布団を抱き枕状態にして寝ている彼女が見えた。
「紐無しバンジー…」などと意味の分からないことをほざいている。
右手を振りかぶり、最小限の動きで拳を振るう。
「起きろバンジー野郎」
「ふみゃっ!」
ごん、とフィリスの頭が鈍い音を立てた。
驚いたフィリスが勢い良く起き上がり、
二段ベッドの上だったために近かった天井に頭を強打する。
起きたことを確かめたエフィは、梯子から足を下ろした。
「いったたたた…。星っ、星が見えるよ…っ」
「朝っぱらから元気だね…」
「エフィ姉が叩くのが悪いんじゃん!」
「はいはい。分かったから顔洗ってきな」
「うー…」
渋々梯子を降り始めるフィリスを見送り、エフィはウェインに視線を移す。
さて、大変なのはここからだ。
同居し始めてからすぐに発覚したことだが、ウェインは寝起きが悪い。
機嫌が悪いくらいならいいが、そうではないから困ったものである。
単刀直入に言うと、寝ぼけて魔法を使ってくるのだ。
しかもウェインは人間魔法なら呪文の詠唱を必要としない。
つまり、至近距離からノーモーションで攻撃されるわけである。
以前の大惨事を思い出し、エフィは頬を軽く引きつらせた。
――今日はいつもよりヤバそう…。てか、絶対ヤバい。
どうやって起こそうか。布団引っぺがす?いやいや普通でしょ。
フィリスと同じように殴る?…返り討ちにされそうだ。
しばらく考えた後、エフィは一歩足を進めた。
ごちゃごちゃと考えても仕方が無い。ようは一発で起こすことができればいいのだ。
そう自分に言い聞かせ、一気にウェインに詰め寄り、大きく息を吸う。
「起きろぉぉォォォォォッ!!」
ウェインの耳元で、近所迷惑覚悟の大声で絶叫した。
これだけやったのだ、起きてもらわねば困る。
息が切れて肩で息をしていると、ウェインがもぞもぞと寝返りをうった。
「…ん」
「お、もしかして今日一発成功!?」
「…、うる…さい」
嬉々としてウェインの顔を覗き込んだエフィは、そのまま硬直した。
ウェインの眉間に何重にも皺が寄っている。
そして、彼の腕がゆっくりと上がり、人差し指と中指が真っ直ぐにエフィを指差した。
「…‘空気「ストップ!ウェインストップ!」
ウェインの言葉を無理矢理遮り、エフィはがたがたと彼の肩を揺すった。
エフィを指差していた腕が下がり、瞼がゆっくりと開く。
「…あ、ごめん。また寝ぼけてた?」
「うん。危うくこの宿に穴が開くとこだったよ」
「ごめんごめん。おはよう」
「おはよう」
何はともあれ、無事に修羅場は乗り切った。
一日分の体力を全て使い切った気分になり、エフィは大きく息を吐いた。
◇
同じ宿に泊まっていたシモンたちに今日の予定やらを聞いた後、
エフィたち四人はマルーンの市場に繰り出した。
今日はシモンたちも仕事があるということで、エフィたちは自由にしていいということだった。
ポストイは島国ということもあり、市場では毎日新鮮な食材が売られている。
道の両側に並んだ屋台では、色鮮やかな果物や魚介類が台の上に所狭しと敷き詰められていた。
売り子たちの張り上げる大きな声をあちらこちらから浴びつつ歩を進める。
しばらく歩いた頃、フィリスが屋台の一角を指差して声を上げた。
「エフィ姉!温泉卵だよ温泉卵!」
「お、ほんとだ」
「折角ですし、頂いてみましょうよ」
「さんせー!」
「すいません、これ4つください」
お金を売り子に渡すと、温かい温泉卵が満面の笑顔と一緒に手渡される。
それぞれに配ると、殻をべろんと一気にめくり、フィリスがかぶりついた。
「あふっ、おいしー!」
「もうちょっと味わったらいいのに」
「本当ですね」
温泉卵を片手に市場を巡りつつ、エフィは高台の上に建った大きな建物を見上げた。
海のモンスターの骨で装飾されたいかめしい外観のそれは、ポストイのギルド【珊瑚の槍】である。
マスターはラルフというウンディーネの『精霊の器』使いの女性だ。
怪しい者がギルドに近づくと槍が飛んでくるという話も聞いたことがある。
「あのっ、【白い鷲】の方ですか?」
考え事の最中に突然後ろから声をかけられ、エフィはびたりとその場に停止した。
くるりと振り返ると、そこには華奢な体格の少女が立っていた。
長く黒いポニーテールに瞳は鮮やかな桔梗色。
黒いブラウスと膝丈より僅かに短い茶色のスカートにブーツがよく似合っている。
一見大人しそうな少女だが、ブラウスの胸ポケットに留められたブローチがそれを否定する。
エフィたちが付けている物とよく似ているが、刻まれた紋章が異なっていた。
【珊瑚の槍】の一員であることを示す、三叉の槍が刻まれている。
「そうだけど…何かな?」
尋ね返すと、【珊瑚の槍】の少女は遠慮がちに口を開いた。
「本当は私達自身で解決しなきゃいけない問題なんですけど…。
…マスター・ラルフがあなた方の協力を求めているんです。
一緒にギルドへ来ていただけませんか?」
2013/04/17
【珊瑚の槍】のブローチ、三叉の槍って言ってますが、
それってジャベリンっていうよりむしろトライデント( ;゜0 ゜)
間違えた\(^q^)/